第2話

 由莉は時間をずらして、しばらく三好さんと会わないようにした。

 淳は理由を察したようで、悪気はないやつなんだけど、悪気がないから困ることもあるとは思う、と言葉を濁しまくって最終的にストレートなことを言った。

 短歌の、本は、ついめくってしまった。電車のわずかな待ち時間だとか。友達と別々に受講してしまった講義の前、手持ち無沙汰で携帯端末を見たら電池切れ寸前だったときとか。

 知らないひとの言葉を見ても、何も感じないこともあれば、ぽん、と水たまりに水滴がひとつ落っこちるような何かを残すこともあった。

 変なの。

 と、思いながらも、由莉は気負いなく、適当にカバンの中に本を入れっぱなしにした。小さくて軽かったし。携帯端末の予備バッテリーより軽い、それだけだ。


 淳はその日、少し遅く帰ると言った。夕飯は一人で食べてと頼まれ、頷いたが、由莉はふと思いついた。

 いつもご馳走になるばかり(手伝いはするが)なので、由莉が一品でも用意していたら心底驚くのではないか。これまで自炊は野菜や肉をほぼ原材料の姿で煮炊きし、ドレッシングをかけて食べるだけだったが、誰かのために作ると思ったら、何だか楽しそうな気がしてきた。

 講義の後で買い出しに出かける。買い物途中、何とか記念日とかいう短歌のことを思い出した。

 できる、気がする。今日は自炊記念日だ。

 と、盛り上がっていたら、

「由莉ちゃん?」

 すっ、と気持ちがしずまるような声がした。煮え立った鍋に水をぶち込んだような加減。

 どうしてだ、生活圏はそこまで重なっていたのか、知らなかった、なぜここに、

「み、みみみみみ、三好さん?」

 由莉が振り返ると、果たして三好さんが微笑んでいる。カゴに謎のクッキーやスナック菓子を入れていた。あっこんな人でもジャンクフードを食べるのか、と、由莉は変なことを考えた。

「こんにちは。今日はお買い物?」

 分かりきったことを聞かれる。だから、ひねりもない言葉で答えた。

「ご飯、作るんです」

「そうなの」

 これでも少し気負っていたのに、相手はさらりと返してきた。

「メニューは何?」

 カレーやシチューなら習ったことがある。これならできると思っていたのでそう言うと、三好さんは軽く頷いた。

「そうなんだ。カレー、好き?」

「好きっていうか、普通ですけど」

「私はね、今、お好み焼きが食べたい」

「ええ? じゃあ三好さんお好み焼き食べたらいいじゃないですか」

「うん。だから。一緒に食べない?」

 何だこれ。由莉は、キャベツを掴んだ三好の微笑みに何と返したらいいのか分からない。

「あのね、食べたいときに、一緒に食べるのにぴったりな人と食べたら、楽しいでしょ」

 と、言われたら、由莉には断りきれなかった。

 不思議な人だ。

「お好み焼きって、作ったことあるんですか?」

「ないけど」

 帰り道、サブバッグに詰め込んだお好み焼き用の粉とソース、キャベツがとても重い中で三好さんは簡単に応じる。卵、牛乳、肉、その他を入れた帆布バッグを掴んだまま、由莉はぼんやりとする。

「由莉ちゃん、どうしたの?」

 どうしたもこうしたもない。

「どうやって作るんですか?」

「え? 混ぜたり焼いたりソースをかけたらできると思うけど」

「そんなこと言ったらお好み焼き大好き派に怒られますよ」

「由莉ちゃん面白い子ね。いいのよそれは別に。私たち初心者だし、ご飯はそもそもとても個人的なものなのよ。好きに、食べたらいい」

 ね、と、手でも繋ぎかねない勢いで近寄られる。

 由莉はこれまで、淳のことを押しに弱いと思っていた。押しかけられたら断りきれない、と。

 だが、それは淳だけだと思っていた。

 訂正しよう、従兄弟である由莉も、やっぱり親戚であった。

 押されたら断れない。


「何してんの……」

 深夜、帰宅した淳は、粉まみれのフローリングを見下ろした。

 合鍵の持ち主である由莉は、ソファーでぐっすり眠っている。三好も、隣で居眠りしていた。

 フライパンと食器は洗われている。飛び散ったのは粉だけらしい。粉は雑に拭かれて、まんべんなく床に広がっている。

 テーブルに残されたのは、平たい物体。潰れたホットケーキに似ている。何だこれ。

 端をちぎって口に入れる。キャベツが歯ごたえよく主張。これはお好み焼きであるようだ。

 お好み焼きパーティーでもしたのだろうか。この二人。

 楽しかったのか、二人の距離はごく近い。

 仲がいいならまぁいいかと、淳はため息でストレスを逃がす。

 片付けは明日することにした。

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今日も明日も、食卓を せらひかり @hswelt

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