第16話(最終話) 青と蒼の間


 昭和19年の大晦日、夜10時近くに警報が鳴った。既に寺の鐘は金属拠出で失われた寺が多く、大晦日の東京の空に響いたのは空襲警報、そして爆撃機B29の翼の音と焼夷弾投下の音、そして機銃の音だった。爆撃は夜半過ぎに二度目、そして明け方に三度目と繰り返され、空は正月の神社の篝火のように明々と照り渡った。それは渋谷や目黒、高輪からも見える程であった。

 下谷、浅草、本所向島地域に焼失被害を出し、5人の死亡が確認されている。来たるべき3月10日の下町大空襲の予行演習のような空襲範囲は、その後なぜか山手線の内側に範囲を移している。

 米軍の攻撃目標がより広い範囲に検討、立案されていた事を示すものであるかもしれない。


 新年の祝い気分もない年明け早々、碧生蒼太郎は喀血し、練馬の療養所に再入院した。従軍作家活動と、元海軍パイロットという肩書のために都内各町内の防空訓練や訓話に駆り出された事で疲弊し、治癒したと見えた持病の結核が再発したのである。

 入所したのは前回と同じ東京市立療養所だが、退院していた2年の間に院内の様子はだいぶ変わっていた。医療用物資の不足、患者への配食の不足は明らかだし、人手も足りず、付き添いのない患者達の不衛生な様子は目についた。

 結核療養所なので薄い壁の各部屋の窓は開け放たれ、身を切り裂く冷たい風が病室と言わず廊下と言わず吹き荒れていた。その寂寥感に付き添ってきたリカとヨハネは首をすくめた。

 病室のベッドは相変わらずぎしぎしと軋み、古いシミも付いていた。何人もの患者がこの寝台の上で、もがき苦しみながら命の火を消していっただろう。

 元結核患者でもあるヨハネを早々に帰すと、リカはありったけの夜具や冬用の上着を蒼太郎に着せ、分厚い靴下をはかせ、薄い布団の上から重ねた。夫のくっきりと頭蓋骨の形までむき出しになった顔、落ちくぼんだ眼窩、突き出た頬骨と、関節が一個一個数えられる程に細くなった首。

 リカは小さくなった夫の顔を両手で挟み、口づけしようとしたが、夫は拒否した。

「口づけは絶対に良くない。君に移ってしまう」

「私は大丈夫です。構わないわ。このご時世いつ死ぬかなんて誰もわからないもの」

「いや、君は生きなさい。僕は元々若い頃に一度死にかけた身だ。君と出会って息を吹き返したとはいえ、それは余生みたいなものだったんだ」

 蒼太郎の声は吐息に音が載った弱々しいもので、耳を寄せてやっと聞き取る事ができた。

「だからそう近くに顔を寄せるんじゃないよ。離れなさい」

「余生だなんて言わないでください」

「いや、人生はみな一瞬の光の中の残像だよ。それを瞼に焼き付けたまま残りを生きていくんだ。貴女はまだ光の中にいるから大丈夫だよ」

 その夜、リカはペコペコにへこんだ病室の床に薄い布団を敷き、外套を着たまま横になった。綿入れは全部蒼太郎の体にかけたので、自分は寒さに震えていた。

 夜はさすがに窓を閉めるが、古い建物の隙間からは容赦なく冷気が入って来るのだ。

「明日は家に帰りなさい。これは僕からの命令だと思ってください。貴女は亜希子達のそばに居て、お母さんやヨハネ君と亜希子を護ってください。さやさんと光君もいる」

「どうしても帰らなければなりませんか? 」

 リカの呟きはしんとした夜の空気に溶けて消えた。夫の手を握ると、骨と血管の位置も形も全部分かる、餓鬼絵のような細さだった。

「どうしても。僕は元気になって帰るから。余生は余生として一日でも長く現世に留まりたいからね」

 翌朝、眼に涙をためて振り返りながら帰って行く妻の姿を見送りつつ、蒼太郎は同じ病で逝った母を思い出した。

 まだ海軍飛行学校の学生だった頃、見舞った自分を見送る母のあどけなく感じた目は、きっと現世の色んなしがらみや欲望から少しずつ引き離され、世界に拒絶されていった人の悲しみの目だったのだろう。だが自分にはまだ戦いが残されている。日本が戦っているように、自分も戦い続けなければならない。

 蒼太郎は、従軍作家として書き上げて提出した、海軍飛行隊基地の訪問記が、情報局の逆鱗に触れボツになった事を知らなかった。


 やがて3月に入り、それまで局地的なものが多かった東京への空襲は、昼夜を問わず大規模なものとなった。

 3月10日。日付が変わったばかりの0時7分過ぎ。深川、本所、浅草、日本橋区に第一波の焼夷弾が落とされた。まずぐるりと輪を描くように目標の広範囲に炎の壁を作り、住民を閉じ込め、慌てて目を覚ました人々が逃げられないようにした後、ゆっくりと時間をかけて中心部に焼夷弾を落としていった。

 記録によればその夜は極めて強い季節風が吹き、まるで野焼きのように燃え広がり、はじめは日頃しつこく指導されていた消火訓練にのっとり火を消そうと努める人々をじりじりと追い込んでいった。

 たまたま前日、卒業式のために疎開先から東京に戻って来た小学校があった。久しぶりの家族団欒に安心して寝入った六年生の子供達は、逃げ惑ううちに次々と紙に火が付き、火だるまになり、燃え落ちた家屋の崩落に巻き込まれ、焼け死んだ。

 通りという通り、路地、全てに火が付き、風にあおられて炎の吹雪となって人火 戸を巻き込んだ。悲鳴、助けて、熱い、死にたくない。全ての言葉が町が燃える、否世界が燃える竈の中に飲み込まれ、動くものはなくなっていった。

 0時20分。第二派の攻撃が港区、神田、麹町、渋谷、赤坂、大森、世田谷等広範囲に焼夷弾を落とした。日本軍の迎撃機は大幅に遅れ、高射砲による地上砲火もほとんど用を為さなかった。

 米軍の使用したナパーム焼夷弾の中身は粘り気のあるゲル状の油脂で、人間の皮膚上の皮脂になじみやすい事から、投下・炸裂して飛び散ったナパームの炎は水では消えない。隅田川や横十間川に飛び込んで逃れようとした人々を炎が舐めて焼き尽くしたのも、水の表面に浮かんだまま勢いを衰えさせることなく燃え続ける、その威力の為である。

 下町の川という川、防火用水の壺、皆飛び込んでは焼かれ、人の姿の炭となった遺体はいつまでも燃え続けた。900℃から1300℃という超高音の炎の壁の中、何万人もの人々は炎の隙間の出口を探して右往左往し、火の壁にぶち当たり、熱せられた空気に自然発火して燃えていった。動く蝋燭のような人の形の炎の塊がふらふらと揺れ、やがてくずおれてそのまま消し炭になって燃え尽きても尚火勢も攻撃も止まなかった。

 助けて下さい、せめて子供だけでも。言葉は激しい火災旋風に乗ってかき消された。

 この一晩で失われた命は推定10万人。罹災者は100万人を超える。


 療養所のある練馬(当時は板橋区の一部) からも夜空を明々と焦がす炎が見えた。碧生蒼太郎はもはや飛行機が悪魔の道具であることを痛感した。

 この3月10日の下町大空襲の後は、帝都防衛の高射砲も迎撃機も役に立たぬほどの攻撃機、爆撃機の数と焼夷弾の量で、東京と言わず日本中に襲い掛かった。

 迎撃がないと見越した米軍機による、逃げる人々への低空からの機銃掃射は容赦なく、撃たれた人達の体はざくろかスイカ割りのスイカのように弾け、内臓や脳漿をまき散らした。東京は実に100回以上の空襲を受けた。その大半が軍事施設というより一般市街地を狙ったものだった。数日おき、もしくはほぼ毎日空襲警報は鳴り、どこかで繰り広げられる焼夷弾の落とされる音、着弾の音、間を縫って繰り出される機銃掃射の音は体に染み付いてしまった。

 5月24日。

 療養所の近くにも焼夷弾が落ち、患者達は逃げ惑った。

 蒼太郎は国民服に着替え、靴を履いて建物から逃げた。持参した金と重要と思われる書類、そして家族の写真を体に着け、ぶかぶかになってしまった国民服のまま、燃え盛る街に飛び出していった。この日の空襲は死者762名である。

 翌5月25日は、山の手大空襲と言われる猛烈な爆撃が都心部及び城南部を襲った。東京駅や国会議事堂も焼け、火は皇居にも及んだ。宮城内の明治宮殿も焼失し、7千人以上が死傷した。また陸軍刑務所に収容されていた米軍捕虜62人も焼死した。

 どこをどう彷徨ったのか、碧生蒼太郎が再び家族の元に戻ったのは山手空襲の翌日、5月26日の午後だった。途中何度も血を吐き、倒れ、そして歩き続けての帰還だった。あちこち焼け焦げた国民服は黒くすすけ、そこら中に自分が吐いた血の染みが付いていた。暑く焼けた路上を歩いてきたので靴の底は焦げ、戦時下の粗悪な素材のため、縫い目から火が入り、焼けた。蒼太郎の両足の甲と底は火傷でべろべろと剥けていた。それでも彼は帰ってきた。四ツ谷の坂道を焼け焦げた石塀に凭れ、転がるように玄関に入ってきた夫を、リカは抱きしめた。

「早く、姉さん」

 朝から焼け跡の片づけに出ていたヨハネは戻るなり、枯れ木のような義兄を抱きかかえて奥の寝室に運んだ。蒼太郎の意識は数日戻らなかった。

 四ツ谷区や新宿淀橋、代々木、渋谷、豊島や目白台と都心至る所が焼けくすぶった中、娘と夫を自分一人で背負い込もうとする娘に、母はすました顔で諭した。

 なけなしの米を、あんたのダーリンに、と持ってきてくれた後である。

「リカちゃんの、全部自分で乗り切ってみせるって考え方はカッコいいけど、実際的じゃないわ。そうやって一人でしょい込んで共倒れになったら、今度は二倍三倍の負荷が別の人にかかるのよ。突っ張った木の枝は遅かれ早かれ折れるの。その辺見極めないと」

 そして早口で囁いた。

「この国だってそうよ。こんなに毎日やられてるのにラジオの大本営発表じゃ負けていない勝っている、もう一息だなんて。誰が信じるものですか」

 息子が軍と一緒に映像を撮っているのに、あたしったら失礼な奴よねえ。これじゃ娘に嫌われるはずだわ。そう言って母は笑った。

     

 昭和20年8月9日。

 その日長崎は朝から雲に覆われていたが、朝もやが晴れるように、時間を追うごとに青空が広がってきた。今日も暑い日になりそうだ。カトリック長崎司教区の司教座聖堂である浦上天主堂の、テラコッタ色の2本の尖塔と白い縁取りは、夏の強烈な光の下に明るく照り映えていた。

 朝から鳴り響いていた警報は10時頃には止み、街は働きに出る人々、学校の授業、商売、その他の市民活動が始まった、いつもと変わらない朝であった。

 広島に落とされた新型爆弾の話は、全国の県や市町村の首長に伝わり、長崎も警戒に入っていた。何しろぴかっと光ったら全てが瞬時に破壊されている。そんな逃げようのない爆弾という話が広まっていた。

 だがこの日、戦時下ではあったが長崎のカトリックの象徴というべき教会、浦上天主堂では8月15日の聖母被昇天のミサに向けて告悔(ゆるしの秘蹟)が行われていた。

 『聖母被昇天」とは、この世の人間として受肉されたキリストを生んだ聖母マリアが地上の死の際に天使達によって天上に引き上げられたというキリスト教・カトリックの祭日である。その日を清らかな心身で迎える為、今まで犯した罪を神父に懺悔し、罪の許しを請い反省して祈る。告解とは世界中のカトリック信徒達が行う祈りの一つである。

 荘厳な浦上天主堂は当然信徒も多く、朝から大勢の人々が懺悔に詰めかけていた。主任神父の西田三郎師、助任神父の玉屋房吉師は告悔室に入りきりで、列をなす信徒らの懺悔を聴いて赦しを与えていたが、とてもとても追いつかない。神父達は近隣の教会に応援を求めた。

 一番近い教会からミカエル湯浅神父が応援に駆け付けた。昨年東京から赴任してきた神父だが、この地の司牧生活に慣れようと一生懸命だと評判だ。

 使いの少年侍者と共に天主堂に急ぐ湯浅神父は、坂を上る途中、汗を拭くために立ち止った。見上げた青空の中に、ちかっと光る物を見たような気がした。それはテニアン島から飛び立ったB29「ボックスカー」だった。そして全ての音が消えた。


 昭和20年8月9日午前10時58分、高度9000メートルからプルトニウム239型原子爆弾『ファットマン』は手動で投下された。その4分後、長崎市浦上地区上空で炸裂した。

 浦上天主堂に集まった大勢の信徒、二人の神父、天主堂の入口に着いた湯浅神父と侍者の子供。近くの長崎医科大の教授陣や学生、患者達。人々は光と炎と爆風の中に蒸発していった。

 廃墟の天主堂跡には黒く焼け、溶けた聖アグネスや聖母マリア像、吹き飛ばされた鐘が残った。その時に聖堂や教会の周り、医大の内外にどれだけの人がいて、焼け焦げ溶けて消えていったのか、はっきりとした数は今でも分からない。


 8月15日。空襲警報もアメリカの飛行機の音もしない、妙にしんとした穏やかな朝だった。空襲であちこち焼かれ破壊された四ツ谷の街の大通りから路地を、隣組の男達の自転車が走り回っていた。国民服に身を包み、軍の使いの如く威張っている隣組の指導員は大声で怒鳴っていた。

「本日正午、全員ラジオの前に居るように。日本国臣民にとって極めて重大なる放送があらせられる。全員ラジオの前で待機するように」


「やれやれ、せっかくの貴重な静かな朝が台無しだわね。あの怒鳴り声で」

 リカは夫の蒼太郎と娘の亜希子と共に目覚めた。寝室に強烈な朝日が差し込んでいる。今日は防火訓練もないのかな。珍しいなあ。暑さにうだる寝室で、せめてもと黒いカーテンを開き、ガタガタと軋む窓を開けた。とたんに涼しい風が室内を吹き抜けた。

「今日は珍しくいい日だね。とても静かだ」

 青白い幽鬼のように痩せ細った夫が床から囁く。

「そうね。防火訓練が無いようなら後で何か買い出しに行ってくるわ。起き抜けで悪いけど先生は何が食べたい? 」

「夏の空と入道雲を丸い果実として実らせた、西瓜が食べたいねえ」

 蒼太郎は目を輝かせて枕から頭を上げた。汗ばんだ寝巻の浴衣から浮き出た骨が見える。痩せた、というより骨格標本に皮を貼ったという状態だ。

「立原道造ね。五月の爽やかな風をゼリーにして食べたいと言った詩人……」

「材料が手に入るようになったら、リカの作った『ぷでぃんぐ』もいいね」

「貴方、茶わん蒸しと間違えて食べるのをためらっていたじゃないの」

「よく覚えているね」

「そういう事ってよく覚えているのよ。教育勅語は暗唱できなくてもね」

 お腹空いたよ、朝ごはんにしましょうよお、と亜希子が二人の体を揺すってせがんだ。穏やかな朝だった。ご飯と言っても庭で育てた野菜に、芋、雑穀の雑炊なのだが。


 正午。

 時報に続いて日本放送協会のアナウンサーにより、これから重大なる放送が行われると、起立を促すアナウンスが行われた。だが正午の時報が鳴った時点で間宮家の茶の間にいた人々は皆起立脱帽してかしこまっていた。がりがりと盛大に雑音が鳴る茶の間のラジオの前に、間宮家、碧生家、柘植家、そして家を焼け出されて身を寄せている同じ町内の家族が整列し、ガガガ、ギリギリという身も心も軋むような雑音を聴いていた。

 アナウンスの後は下村宏国務大臣兼内閣情報局総裁の、天皇陛下直々の御言葉を賜るとのアナウンス。そして盛大な雑音の合間合間に、古式ゆかしい抑揚の声が聞こえた。大元帥天皇陛下の声だ。あまりに難解な言葉で、しかも雑音のせいで何を言っているのか聴き取れない。

「ねえリカちゃん、なんて?」

「分からないわ」

 間宮家のラジオは電池が切れかけていたので、雑音もお声も急に小さくなったり、果ては数秒途切れたり。まともには聞こえなかった。

「最後の一人になるまで戦い抜けと仰せなのではないかな」

 避難してきた近所の一家の、腕の火傷に包帯を巻いている父親が、ぼそっと言った。

 5分足らずの天皇陛下の御言葉の直後、とうとう電池が切れてぷっつりと鳴らなくなった茶の間のラジオに一礼し、間宮家に集った人達は夫々自分達の生活に戻って行った。

 リカと娘の亜希子は食料の買い出しに出かけた。終戦に伴いやがて国家による物資の配給が止まり、戦争中より苦しい飢餓状態になる事を、国民はまだ知らない。

「先生、蒼太郎先生」

「お父様ったら」

 風の通る寝室でよく眠っている蒼太郎は、妻と娘が声をかけても気持ちよさそうに寝息を立てたまま目を覚まさない。母娘はせっかく珍しく咳も出ずに寝ているのだからと、それ以上声をかけずに出かけて行った。


 8月半ばの空は眩しく高い。空襲警報も鳴らずとても静かな日。薄い、汗の沁み込んだ煎餅布団で碧生蒼太郎は眼を開けた。

 光だ。なんという眩しい光だろう。空が8月の強靭な光で覆われている。眩しさに圧倒されてしばし目をつぶっていた蒼太郎は、爽やかな気分で起き上がった。あれほどしつこかった咳が出ない。喉に絡みつき息をふさぐ痰もない。素晴しい日だ。

 碧生蒼太郎はしっかりとした足取りで庭に降りた。皆どこへ行ってしまったのだろう。買い出しや建物疎開、演習に行ったのだろうか。でもそれにしては何時も聞こえる勇ましい掛け声や喧しい軍人の怒鳴り声がしない。全ての音か消えている。何だろう、自分だけ隔離されてしまったようなこの違和感は。

 8月の庭には野菜や豆に交じって夏の赤い花が咲いている。全身趣味に生きる絵師・故片桐惟人が愛した西洋の花・ダリヤだ。いつの間にかリカがアトリエの跡地から移植したのだ。

 美しく派手やかな花の咲きっぷりに、蒼太郎は机の引き出しから大事に使わずに置いたメモ帳とガラスペンを出して来た。ガラスペンは一度ペン先を漬けると長く書き続けられるインクの持ちの良さから、彼は愛用していた。

 花の美しさはいったいどこから来るのか。こんなに死と荒廃が身近に迫っている世界なのに。彼は夢中で瑞々しい花や艶々とした葉、凛とした若枝の様子を描写し始めた。庭の外は歩いている人も居らず、ラジオの音も軍事教練の掛け声もしない。

 ふと妻のリカと娘の亜希子の声が聞こえた気がして、彼は歩きだした。狭い庭の木戸を開け、家の前の路地に、そして大通りへと。汗ばんだ男物の白と藍の浴衣と下駄姿の彼は、このご時世の街中にあっては大層目立つはずである。だが大通りにも人っ子一人いない。

 なんて気持ちのいい日だろう。きっと妻と娘は買い出しに行って、すぐ近くまで戻っているのだ。迎えに行って驚かせてやろう。

 彼は悪戯心を起こして歩き出した。やがてその足取りは早足になり、ついには軽やかに走り出した。

 見上げると、どこまでも青い空だ。雲がみるみる切れて、晴れから快晴。絶好の飛行機日和だ。こんな日に飛ばさないで何時飛ばす。

 彼の駆ける足元はいつの間にか一面のレンゲ畑になっていた。青い空の端の色がすこうし薄くなっていて、行く手の空一面に大きな虹がかかっていた。

 走っているのは一人ではない。いつの間にか着物に兵児帯を閉めた裸足の子供達が、大勢一緒に走っている。ワーッと意味もなく歓声をあげながら、身体の中から湧き上がる力のままに走っている。まるでサバンナを駆ける美しいトムソンガゼルの群れだ。

 と、彼は花を咲かせたレンゲに足をとられた。二・三歩たたらを踏み、もんどりうって顔から地面に叩きつけられた蒼太郎は、首元にちりっとした痛みを感じた。転んだ拍子に刈残した稲の株でひっかいたのだろう。

 顔をあげると、目の前に、自分と同じように転んだ少女に手を貸して起き上がらせる少年がいた。

 あれは、あれは誰だろう……


「自決だ」

「この作家さん、元軍人さんだっていうから……」

「ペンで喉を突いたって……」

「宮城の方を向いて自決したんだ。立派な最期じゃないか」

 8月15日の夕方。

 四ツ谷の間宮家に、戸板に載せられむしろをかけられた碧生蒼太郎の体が運び込まれた。首に折れたガラスペンが深く刺さり、頸動脈からの出血はもう止まっていたが、筵の端からだらりと垂れた手先や裸足の足指は真っ青で、既に死後硬直が始まっていた。

 妻のリカは涙も出なかった。四ツ谷から離れた宮城の近くのお堀の傍で見つかった蒼太郎は、首にペンが突き立った状態で、両手足を大きく広げ、空を飛んでいるようにうつぶせに倒れていたという。

『蒼太郎先生、今になって飛ぼうとするなんて。ちょっと遅かったし無茶もいいところだわ』

 泣きじゃくる娘の亜希子を抱きしめ、運んでくれた人達に頭を下げて礼を言うと、リカは心の中で呟いた。


 日本国内は終戦のこの日を境に何もかも変った。自身も従軍作家として軍に同行し文章を発表したとして、戦争協力者・間宮リカが文壇から遠ざけられたのは間もなくの事だった。リカだけではない。多くの作家、評論家、詩人、音楽家。『表現者』が『軍におもねった』表現したが故に公職を追放された。

 先頭に立って彼らを攻撃したのは、かつて父の書生だった槇村や湯浅神父、絵師片桐の仲間。当局の弾圧に遭っても転向せず、思想犯、共産主義者として特高に捕まり戦後釈放されたプロレタリア作家達だった。


 昭和21年2月11日。沖縄本島を出発したすし詰めの復員船が、三浦半島の浦賀に帰還した。柘植一等兵の所属する陸軍歩兵第三連隊が、防衛にあたっていた宮古島から沖縄本島を経由して帰って来たのだ。

 浦賀港に上陸して解散となった歩兵第三連隊は、久しぶりの内地の寒さに震えながら各人バラバラに帰途に着いた。ある者は徒歩で横須賀の町に向かい、またある者は浦賀の駅から私鉄に乗った。

 鎮守府のあった横須賀は彼と親友・碧生蒼太郎の故郷、みかんのなる陽だまりの丘の村の近くだったが、生まれ育った地に係累のいない柘植は真っ直ぐ東京を目指した。愛する妻・さやと息子・光に逢いたい。その一心が宮古島での飢餓と組織内制裁、マラリアから彼を生き延びさせた。

 すし詰めの現在の京浜急行本線に乗って、新橋に降り立った柘植は、そのまま都電に乗り継いで四ツ谷へ向かった。彼が軍役について本土にいない間に、東京市は東京都になっていた。

「おかえりなさい」

 さやと息子は荒木町の間宮家から舟町の粗末な借家に戻っていた。

 転戦の際ほんの一時戻った時と同様、妻は自分の軍靴の音を聞き分け、手早く纏め髪と顔に手を入れて整え、玄関に迎えに出た。小学校から帰った息子は

「おかえりなさい、お父さん」

 と、母に代わって父の重たい背嚢を受け取り、玄関に脱いだ軍靴を揃えた。いつもこうやって助け合って生きてきたのだろう。柘植は妻の荒れてささくれ立った傷だらけの手を握り、抱きしめた。息子の光も抱き寄せ、固く抱き合った。

 夫の親友・柘植譲二が帰還したという知らせを聞きつけ、碧生リカとその娘亜希子が顔を見せた。

「おかえりなさい。御帰還おめでとうございます。お勤めお疲れ様でした」

 笑顔で声をかける親友の美しい妻と娘は、喪に服したまま黒い服を着ていた。


 真っ黒な画面の上半分を、下半分の光る地面が照らしている。

「I'm going to step off the LM now」(これより着陸船から足を踏み降ろす)

 冷静な男の声と口調とは裏腹な荒い呼吸音が、テレビ画面から聞こえる。

 昭和44年、日本時間7月21日午前11時53分過ぎ。アメリカの月面着陸船・アポロ11号からアームストロング船長がタラップを降りる映像が全世界に放送された。

 全身を重装備の白い宇宙服に覆われ、ヘルメットのバイザーに月面の様子を反射した宇宙飛行士は、地上から空へと飛び立ち、その空をも振り切って宇宙を駆け、月に到達したのだ。

 太平洋戦争の終結から四半世紀足らずの24年目。当時は超高高度からのB29の爆撃が世界を恐怖に陥れたが、今は戦争中の兵士達も、紛争中の地域も、ベトナムもクレムリンもベルリンも、世界中が宇宙飛行士達の一挙手一投足に目を凝らし、送られてくる月の様子にリアルタイムで息を飲み、飛行士の会話に耳を傾けている。


「That's one small step for a man, one giant leap for mankind」(これは人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな飛躍だ)

 アームストロング船長が月面に足を着いた。地面はふわりと細かい霧のように舞い上がる。

「みかねえ、月の砂漠って海岸のそれっていうより、メリケン粉の浜辺みたいねえ」

「そうですねえ。もっとざらざらしているのかと、ねえやは思っていましたけどねえ」

 メキシコの小さな町の白い壁の家。南国の樹木に囲まれたコロニアル風の明るいロッジの中で、サングラスをかけたアジア系の精悍な男が、年老いた召使とテレビを見ていた。

 ソビエトを脱出し、メキシコに亡命したレフこと富士見レオ少年の45歳の姿だった。日本にいた幼少期からずっと傍を離れず仕えてきた乳母のみかねえは、すっかり年をとってしまったが、モスクワからパリ、イスラエルを経てアメリカ経由メキシコの主人の逃避行に付き従い、いま亡命先の家でも甲斐甲斐しく世話をしている。

 スターリンの独裁が終わり、事実上の後継者だった上官のラヴレンチー・ベリヤが粛正されると、レオはかねてより準備してきたルートを使い、日本人の旅券を偽造してソビエトを脱出した。この暑い中南米でやっと安住の地を得たかに見えたが、ソビエト秘密警察の追跡者がいつ自分を消しに来るかわからない。政治亡命者であるレオには心の休まる時はなかった。ワンナイトラブの相手は豊富だがけして相手には入れこまず、自分の生活には立ち入らせなかった。おかげで45歳の今でも独身で、老女の乳母と暮らしている。

 こういう生活も悪くない。宇宙を飛び、月面を歩く宇宙飛行士達の姿を見ながら、レオは昼からラム酒のカクテルを呑んでいた。

「呑みすぎはご法度ですよ、坊ちゃま」

「はいはい。でも今日くらいいいでしょ。人類が月に立った記念日だもの。みかねえもちょっと飲まない?」

「……ほんの少しですよ」


 宇宙は暗い。窓の外に広がる空はこんなに明るく青いのに。

「じゃお母さん、行ってきます」

「亜希子、またデート?今日くらいゆっくりテレビ見ていればいいのに」

「うん。だから合流して彼のアパートで見るの。今日は遅くなるか、泊まって来るわ」

「はいはいご自由に」

 50代になっていた碧生リカは、じゃあねとドアを開けて出て行く娘の後ろ姿を見送った。鍵をかけるとまたテレビの画面に向かう。

 早朝の5時過ぎからずっと中継は続いている。のんびりテレビを見て、自分達の頭上に焼夷弾をまき散らし、原爆を二発も投下した国の宇宙飛行士に声援を送る。

「いい時代になったものだわ」

 リカは台所のキッチンテーブルに座り、冷蔵庫から冷たい水を出して飲みながらテレビに集中した。冷凍冷蔵庫。24時間物が冷やされ、氷を作る事ができる。全く便利な物が次から次へと世に出てくる。

 戦争が終わって24年。ずっと物書きを続けてきたリカの人生は平穏ではなかった。

 戦争が終わると軍協力者として糾弾され、作品は封印され発表の機会が閉ざされた。終戦時に死んだ夫の碧生蒼太郎も、自分と同様従軍作家・軍の御用作家として、文壇から抹殺されていた。

 だが朝鮮戦争が終わり、日本が戦後復興・反共・日米協力体制の波に乗って来ると、戦前から力を持っていた実業界、文壇、芸術界の保守派の面々の巻き返しが始まった。

 夫の著作は真っ先に復刻され、悲劇の元軍人作家として売り出された。彼の繊細な詩や随筆は学生運動の最中にある大学生や、早熟な中高生によく読まれ、人気らしい。それがいい事なのか、学生時代から彼の一番のファンであり続けた妻のリカには分からない。

 一方自分が長年書いてきた子供向けの作品、児童文学も復刊され、売れ行きは地味だが各地の図書館や児童館の本棚にボチボチ揃えられている。今も精力的に執筆を続けているリカは、そろそろ大人向けの小説も発表したいのだが、温かい作風の児童文学者という取り付けられた看板に苦戦をしている。

 テーブルには今朝の新聞。一面に大きく踊るのはもちろん『アポロ今朝にも月着陸』という一報だが、ベトナム戦争、学生運動、過激派の破壊活動、成田闘争……見出しの文字がひしめき合っていた。青い空の上はテレビに映る通り真っ暗かもしれないが、こんなにも死と生が対峙しあっているこの世界の上の蒼は、夫・碧生蒼太郎が愛した青だ。


『テレビじゃ真っ暗な死の世界だっていうけれど、空の上は本当はどうなっているんでしょうね、蒼太郎さん』

『ずっとずーっと青い空気と白い雲が続いているんだよ。そしてその上に本当に尊いものが待っていてくれるんだよ』

 夫の明るい声が聞こえた気がした。

 貴方はそこで待っていてくれるんでしょう。碧生蒼太郎先生。


リカは呟いて、くすりと笑った。


(完)

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My lady greensleeves 南 伽耶子 @toronamasan

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