歴史小説を書く人はどこの小説投稿サイトにも多く、一定数のファンも存在します。
ですが、この分野はひどく誤解されています。
なぜなら、「歴史小説とは何か」が解っていない人がたくさんいるからです。
歴史小説を書くために必要な要素は幾つかあります。
それは、戦国武将の名前をたくさん知っている事でもなく、大砲の口径を丸暗記している事でもありません。
19世紀のコルセットの形やスカートのヒダの数を知っている事でもありません。
一方、この作品には、歴史小説を書く上で必要な要素が詰まっています。
一体それは何なのか。
まず、歴史とは何か考えてみましょう。
歴史とは、社会の変遷を記録したものであり、社会とは、個人の生活を束にしたものです。
小説において、社会を表現するには、まず個人を描かねばならず、個人はその生活によって小説上に再現されます。
歴史小説は、巨大な歴史のうねりが個人の人生にどのような影響を与え、もてあそぶかを描くものです。
これを解っていない作者が書いた小説は、決して歴史文学ではなく、ただの借景文学でしかありません。
本作品においては、大正の終わりから昭和十年代の少しづつ閉塞していく日本と、そこで暮らす市井の人々の生活が体臭を伴って描かれています。
文章から推測するに、作者はしっかりとした資料集めと綿密な取材をしているはずです。そうでなければ現地の空気感をこうも生々しく表現できないでしょう。
歴史小説を描きたいと思っている方、書いていてもうまくいかないと考える方、また、人間の描き方が苦手な方、ぜひこの小説をお手本にしてください。
間違いありません。
おすすめです。
軍国主義へと進んでいく日本を舞台に、危うい青春を描く。実はこれ、非常にレビューが書きにくい作品である。
密度が高く、登場人物も多い。しっかりと調べこまれた舞台が設定集としてではなくきちんと息づいている。しかし、複雑なのだ。
描いている時代が、とにかく複雑だから。
だから、一人、わたしの大好きな登場人物を紹介しよう。
間宮リカ。
奔放な母親の娘として生まれ、時代の要請する女性像にあらがい――しかし、ある意味では、非常にその時代の女性性を体現してしまうような少女だ。
傷つきやすいのに気が強く、とにかく戦う気まんまんの彼女を含めた登場人物たちを、時代は容赦なく振り回す。
緻密に書きこまれた物語。
物語は大正年間に始まる。
主人公の2人、藍生蒼太郎は大正3年、間宮リカは翌4年の生まれだ。
2人は幼時に関東大震災を経験し、軍国主義の台頭を目撃し、
次第に高まる社会不安の中、儚くも強く青春時代を過ごす。
純文学というジャンルが具体的にどういった特徴を持つのか、
私は未だよく理解していないが、本作が純文学なのだろうか。
重厚である。緻密である。さらりと読み通すことはできない。
おもしろおかしくはない。けれども、確かに「おもしろい」。
本作のその「おもしろさ」の正体は、一体、何なのだろうか。
ひとつ確かに言えることは「一貫したリアリティの存在」である。
「何年何月何日に何が起こったか」が膨大な資料の上に構築され、
それだけではなく、「そのとき登場人物が何を思い考えたか」が
当時の世相と風潮を見事に反映させて、生き生きと描き出される。
昭和初期を舞台にしつつ、なぜ「生き生き」と表現し得るか。
2010年代の日本とは別の時代や国を物語として描くとき、
簡単なのは、現代日本人の感性と言葉で書いてしまうことだ。
無論、そんな手抜きの創作は、リアリティの破綻をもたらす。
その時代、その国の在り方を、如何にして現代日本人が描くか。
ただ資料を追うだけ、年号を暗記するだけの歴史のお勉強では、
優秀な解説文なら書けても、リアルな物語は決して創り得ない。
資料の隙間に隠された人間性の真実を見出さなければならない。
大正年間や昭和初期の日本、東京の情勢や文化、風物について、
私は少しも詳しくない。時代考証云々なんて、とてもじゃない。
けれども、資料的根拠に基づいて書かれるからこその盤石ぶりを、
圧倒的な厚みを持つ本作の世界観から感じ取ることができる。
登場人物のひとりひとりが、人生を持って、存在している。
蒼太郎はパイロットに憧れて海軍学校に入学するも、結核を発症。
療養先となった父の妾の邸宅では、妾への複雑な感情を経験する。
「文学など軟弱だ」と考えていた軍国少年が、胸を病んで初めて、
己というフィルターを通して身近な世界を筆に起こす意味を知る。
着目すべきは、「思想の変化」が如実に描き出される点だろう。
単なる思考や感情ではなく、世相に根差した「思想」がリアルだ。
21世紀の視点で前世紀を見るかのような超越的邪念を介さずに、
21世紀の読者にも理解し得る前世紀の「思想」がここにある。
どっしりと腰を据えて物語に向き合いたい読者におすすめしたい。
このレビューでは蒼太郎しか触れていないが、登場人物は多い。
多いけれども、重なり合う人生模様の群像劇は只「おもしろい」。
そしてペンの自由が保証されていることの本当の意味を痛感する。
読了後の、やるせなさと充実感。
その正体を今、じっと考えている。