第15話 いつか行く空
1942年(昭和17年)暮れ。
結核が再発した碧生蒼太郎は江古田にある結核療養所に入院した。現在の練馬区江古田にあった東京市療養所である。大正9年に建てられた古い建物で、詩人の立原道造が入院し、24歳の若さで亡くなった病院だった。妻のリカも毛布と身の回りの物を背負って市電と電車を乗り継ぎ、江古田の療養所に向かった。
蒼太郎は高熱にあえぎながら狭い部屋のベッドに寝ていた。38度以上の高い熱が昼夜となく続き、真冬の寒い時期だというのに顔と体には玉のような汗をかき、寝巻はぐっしょりと濡れていた。高熱で便所にも行けず、ベッドの脇には尿瓶が雑然と置かれていた。ただ大量の発汗のせいか尿はほとんど出ない。水の他は口にできないほど衰弱していたが、訪れたリカの事はしっかりと認識した。
「何をそんなに大荷物を? 」
息が肺から漏れ、蒼太郎の声は力なく擦れていた。
「私の身の回りの物と毛布です。泊まりこんで貴方についているつもりで」
「だめです。帰りなさい」
「どうして?」
「移ってしまう。それに貴女には亜希子の傍にいて欲しいんだ」
「なぜそんな事を言うの? 母親だから?貴方の妻という事よりそれが優先?」
「落ち着いて。ここでの僕にはもう、貴女にやってもらう事はないんだ。良くなって退院するまでは」
蒼太郎は無理に笑おうとしたが、力がなく口角が上がらない。
「ここは僕が一人で戦う戦場だから。君は家に居て待っていておくれ」
ここは自分の戦場だから。蒼太郎はもう一度繰り返して、リカの手を触った。握る力はないようだった。
「戻るから。亜希子と待っていてください。素敵な物語を沢山書いて、退院したら読むよ」
来た時と同じ電車に揺られ、リカは四ツ谷に帰るしかなかった。手に下げ背中に背負った大きな荷物が車内の客にぶつかり、邪魔臭いというように顔をしかめられたが、全く気が付かなかった。蒼太郎は戦うと言った。自分も戦わなくてはならない。できる事で。
「お帰りなさいお母様」
夜も更けた頃実家の戸を開けると、母のゆふにお風呂に入れてもらい、紅い寝巻と半纏を着せてもらった娘の亜希子が駆け寄って抱き着いた。
娘を連れて家に帰ったリカは、誰もいない家にただいまと声をかけた。もう夜も遅いし、隣家の柘植さやは夫が再び出征していく日に向けて、千人針を縫うのに忙しい。いつもは蒼太郎とリカと亜希子、三人で布団を並べて寝ている茶の間に、今夜から当分の間2人の布団を敷いて寝るのだ。
大人用の布団の隣に娘の小さな布団をくっつけて敷き、戸締りをしておやすみなさいと電気を消したが、リカは長いこと眠れなかった。不安がる亜希子が自分の布団に入ってきた。大人達の動きをよく見て騒がず静かにしていても、まだ5歳なのだ。リカは子供くさい娘の頭を胸に抱き寄せた。
翌朝。市電の駅に長身の青年が降り立った。つんつるてんの背広にぶかぶかのズボンという体に合わない服を着て、大きなトランクとリュックを背負った青年は、青白い顔はしていたがその表情は晴れ晴れとしている。
古い料亭と惣菜屋の間の石段をゆっくり抜けて、ふと足を止め、小さな三角広場を懐かしそうに眺めた青年は、背中の荷物を重そうにひと揺すりして、また歩き出した。古い二階建ての屋敷の玄関をガラガラと開ける。
「ただいまお母さん。ヨハネです」
小さな姪の亜希子が転がるように走ってきた。先日お見舞いに来た時に顔を覚えたのか、キャーキャー声をあげながら子犬の様に飛びつく。荷物を置いたばかりのヨハネはリュックの重みもあって思わずよろけた。
「おいおいお姫様。そんなに手荒くしないでよ。おじちゃん病み上がりなんですよ」
「おかえりヨハネ。随分突然じゃない」
「今朝退院したんです。そんなに荷物もないし家にくらい独りで帰れますよ」
ゆったりと出てきた母のゆふは、息子の下ろしたリュックを玄関先に置き、トランクを受け取った。
「省線の駅から来たの? この辺はだいぶ変わったでしょう」
「入院した子供の時以来ですからね。僕は市電の駅から歩いたけど、思わず人に尋ねちゃいました」
退院したヨハネを迎えた間宮家の夜は、久々に団らんの空気に溢れた。育ち盛りの彼の服は、母が仕舞っておいた父の服を大急ぎで縫い直す事にして、ささやかな夕餉を楽しんだ。皆この場にいない蒼太郎を気づかったが、心配してもしょうがない事なのだ。お風呂に入って行きなさい、という母の言葉に甘えてリカと亜希子は久々に実家の風呂に入った。
母子で並んで食事の後片付けをして、亜希子と遊ぶヨハネの元気な声を耳にしながら風呂を焚き、小さな子連れなので先に入られてもらう。そんな実家で過ごす穏やかな時間は随分久しぶりだ。
「どう、久々の家のお風呂は」
湯上がりに分厚い外套と襟巻で武装して、リカは交代で風呂炊きに出た。今は弟のヨハネが入っている。
「気持ちいいよ。療養所の風呂も綺麗で近代的でよかったけど、やっぱり家族と一緒にいるっていうのがいい」
子供の時からずっとサナトリウム育ちだったヨハネにとっては、多分成長後初めて味わう『家庭の夜』だろう。リカはどんどん薪をくべながら膝小僧を抱えて窯の脇の庭石に座っていた。
「ずっと入所させっぱなしで、家族を恨めしく思っていない?」
「まさか。だって姉さんもしょっちゅう来てくれたし、僕が病気だったからだし。なんで逆恨みなんてするんだよ」
「いえ、あんたの10代をほとんど療養所の中で過ごさせちゃったなあって……蒼太郎先生の今いる施設に行くたびに思う。あんたには酷だったって。少し良くなったら引き取るべきだっんじゃないかって」
「むしろあそこに入れて、きっちり治してもらってよかったよ。姉さんがそんな風に自罰的に思うの、自分じゃかっこいいと思ってるかもしれないけど全然違うから」
ヨハネはちゃぽん、と軽い水音を立てた。風呂桶は背が伸びた彼には狭く、足がよく伸ばせないはずだ。
「俺、ちゃんと仕事探して働くから。療養所の中でも色々勉強したけど、世間に無知な俺でも頑張って働いてお金を稼ぐから」
だから姉さん心配しないで。全部自分で何とかしようなんて思わないで。そんな事無理なんだから。俺もいるから。
ヨハネは窓をガラッと開けて、姉を見て微笑んだ。
「もう充分熱いから大丈夫だよ。湯冷めしちゃうから家に入って。風呂から上がったら送ってくから亜希子ちゃんと待ってて」
自分が守らないと、と思っていたか弱い弟は、気が付かないうちに立派な若者になっていた。
娑婆の生活に慣れたヨハネは、サナトリウムで知り合った元患者の紹介で、とある映画会社の下働きとして雇ってもらえる事になった。全国の映画館で必ず上映されるニュース映画の制作会社である。
都内に工房と本社を持つこの会社は常に人を募集していた。ヨハネはここで映像に焼き付ける字幕の職人見習いとして働いた。給金は少なかったが四ツ谷の自宅から電車を乗り継いで通った。毎日遅くまで働き、仕事が立て込んでくると職場に泊まり込む日もしばしばだった。結核の症状はほぼ解消したとはいえ肺や背骨にまだ病巣があり、徴兵検査では兵役に耐えられぬと丙種に留められた。
ともあれ若く一生懸命に働くヨハネは社員の信頼を得た。下働きから正社員に格上げされ、字幕だけでなく撮影助手の仕事も教え込まれた。遊びに出る事もなく呑みにも行かないの、で給料をほとんど母と姉に渡し、間宮家や主人の蒼太郎が入院中の碧生家を支えた。
1943年(昭和18年)
碧生達が住む東京市はこの年「東京都」となった。だが彼らが住む四ツ谷区はそのまま、表示も区分も行政も変わらなかった。現在の新宿区は都内では珍しく、戦後も珍しく古い町名が残っている地域であるが、リカやヨハネ達にとってなじみの四ツ谷という町名が残されたのは嬉しかった。
初夏、朗報がもたらされた。練馬の病院で療養中だった蒼太郎の退院が許可され、約半年ぶりに我が家に帰る事になったのだ。リカと義母のゆふ、隣家のさやが退院を手伝い、荷物を持った。
「ありがとう。でも僕一人のささやかな出所にこんなに皆で来るもんじゃないよ」
「長く入院してたんですもの。それなりに荷物も増えるでしょう」
リカは顔色こそ悪いが咳が収まり目に輝きが戻った夫を、安堵の目で見た。丸めた布団を背負うのはたまたま非番の義弟ヨハネの役である。
「悪いなヨハネ君」
「なに、貴重な男手ですから、お姫様達からこき使われるのなんか慣れっこですよ」
カメラや撮影機材、録音道具を運ぶ作業が多いヨハネは、細いなりにめっきり力が付き、頼りにされていた。その若々しい力強さに蒼太郎は少々嫉妬した。サナトリウムへの入院当時、十代初めの頃は自分より症状が重く、車いすでしか移動できないほど弱っていたのに、彼はか細い少年から、同じ細くとも力強い青年の若さを手に入れている。そして皆から頼られ、他者を気遣う事もできる。
蒼太郎の嫉妬は何事につけ彼を苦しめた。自分のいない間、すっかり実家と近くなり母親と和解した妻は、何かと言うと行き来し、娘もおばあちゃまと若いおじちゃまに頼る。それが自分を気遣い、余計な負担をかけないようにとの配慮だとわかってはいるが、蒼太郎は納得できなかった。妻はそうして周囲の協力を得て、また娘の亜希子もよく理解して大人しく遊び、母に執筆の時間を提供している。その完成されたバランスの輪の中に入っていけない自分を、蒼太郎は感じていた。
とはいえ隣家でつつましく穏やかに、リカやその母とも仲良く暮らしている柘植さやに、若い頃のように一時の心身の安らぎを求めるわけにもいかない。彼女なら自分を落ち着かせ、なだめすかしてくれるだろう。だが父の愛人だった彼女は親友の妻で、しかも立派な母親だ。リカと同じ立場なのだ。
「女性というものは強いよ……」
隙間風の入る小さな書斎の座卓で、ときおり着物の袖に腕を引っ込め温めながら、蒼太郎は出版される当てのない原稿を綴っていた。
昭和18年。夏。
ヨハネは会社から命じられ、従軍カメラマン(軍属)として軍の訓練風景を撮ることになった。先輩社員達とカメラを担ぎ、録音機材を携えて各地の国内の基地を撮影していくのだ。撮影した映像は素材として情報局の検閲を受け、ニュース映像や国威高揚映画の素材として使われる。
撮影中も担当の高飛車な軍人が付きっきりで、撮影可能な場所その他一切を仕切り、命令を下していた。若いヨハネはカチンとくる事もあったが、撮影を終え帰る道々、先輩社員達がガス抜きをしてくれた。
「お前の気持ちはよくわかるよ。民間人相手に威張りくさりやがって、てめえは前線にも行かず、内地でたまに慰問に来る女優でも見て鼻の下伸ばしてるんだろうよ。そう言いたいんだろう」
「はい。御明察であります」
「ありますはやめろ。そんな事は俺らはお前の百万倍くらいぶちまけてやりてえんだよ。でもな、これが俺たちの仕事なんだ。そして俺たちの撮った映像を映画館に見に来て、自分の息子の姿を見て安心する親達も大勢いるんだ」
それが、軍と軍人を映す隠れた大きな意味だと思っている。年とった演出補兼キャメラマンはそうつぶやいた。
1944年(昭和19年)春。
碧生蒼太郎は日本文学報国会の事務局に呼び出された。元海軍の作家として従軍作家としての任務が与えられたのだ。陸軍には現役軍人の芥川賞作家として一躍有名になった火野葦平が居り、中国戦線に取材し「麦と兵隊」「土と兵隊」とヒット作を飛ばし陸軍情報局を満足させていた。海軍もそれに倣ったのである。
朝鮮半島北部の元山海軍航空隊、台湾の東港海軍航空基地、海南島の海口と、軍と共に前線を回り兵士を慰問してカメラマンと共に取材し、帰国して戦意高揚の作品を書いて発表するのだ。撮影隊には義弟のヨハネも参加する。
4月。他の補充要員と共に兵員輸送船で、まだ寒い朝鮮半島の元山に渡ると、そこは既に、出撃しては次々機体を失い荒んだ基地で、最盛期の面影もなかった。
所属していたのは第七五五海軍航空隊だが、あまりに消耗が激しく、他隊と連合し二個飛行隊として活動している有り様だった。燃料もほとんどない基地では、整備兵がひたすら残り少ない機体を整備しているのみだった。
「正直、君に来られても何も見せる所がないんだ、碧生君」
ガランとした基地に立ち、寒々しい滑走路や兵舎を茫然と眺める碧生に、基地の副官はそう囁いた。ヨハネや先輩カメラクルーもイライラしている。どこをどう撮ったら国民の戦意を高められるのか教えてほしい。
「君は海軍の人間だったから正直に言うが、この基地はもうすぐ第一航空艦隊に全機移譲されるのだ。それまで待った方がよかったな。そうしたら書いてもらう材料も出来ただろうに」
副官は気の毒そうに笑った。彼も学生時代は文学青年で、碧生の名も知っていたし作品も読んだ事があると言った。
「今は書きたい事も書けない世の中で、さぞ不自由だろう。私もそうだが君も大層不器用な性質とお見受けする」
蒼太郎は何と答えたら良いのか分からなかった。なぜこの副官は自分にこんな言葉を投げかけるのだろう。答えはすぐに知れた。
「お互い、何とも言えず空が好きなだけなのではないかと思う。あの世界が」
「はい。自分はまさしくその通りです」
彼は首が折れる程に頷いた。
碧生蒼太郎は行く先々で歓迎された。もう既に誰が見ても勝ち戦ではない戦いの前線、人も設備も充分でない基地が多かったが、それでも元飛行学生でパイロットの卵だった悲運の作家というだけで、パイロットはおろか整備兵や基地警備の兵士まで、彼を尊敬のまなざしで見上げ、隙あらば話しかけようとした。勿論彼も時間と監視の軍人の許す限り、兵士達と会話をする機会を持った。皆碧生が作家と知り、自分の話を覚えていてほしい、出来たら故郷に人々に向けて書いてほしいと切り出した。地上の生活に山ほど想いを残している者が大半だった。それはそうだ。皆背負っているものを内地へ置き切れず、背負ったまま外地へ来たのだ。
元山の次は南国台湾の東港、そして更に暑い海南島の海口飛行基地。各地で兵士の声を聴き克明に取材メモを取った。そして日本兵が常駐している地元住民の、自分達を遠巻きにして見る冷たい呪詛の眼を見た。
基地の整備や下働きに駆り出され、危険な労働ばかりを強要される朝鮮の人々や、スパイ容疑をかけられて現地住民が射殺される音も聞いた。彼らを撃ったのは海軍の兵士ではないかもしれない。現地出身の治安維持の兵士だったかもしれないが、日本人を見る憎悪の眼の光は美しい空の光に負けず強かった。
一度海南島でカメラを置いたヨハネ達撮影スタッフと街へ出かけたことがあった。もちろんお目付け役の兵には常時見張られているが、地元住民と日本兵との姿を描写したくて下町に出かけたのだ。
海南島は日本軍の占領地域の中では治安の良い所だったが、それでも自分達を警戒する矢のような鋭い視線は、至る所から注がれた。自分達日本人が市場や通りに入ると、余程愛想の良い商店主以外黙ってしまうし、売り物の値段を聞いても死んだような目の愛想笑いしか帰って来ないし、子供や娘達はそそくさと家の奥へと隠される。
市場の隅で魚や貝を店頭に並べ、ぼうっと空を見上げている少年がいた。汚れてあちこち破れた服に傷だらけの裸足だ。だがその目は青い空を見上げていた。
「君は空が好きなのかい?」
碧生は立ち止まり、少年の前に屈むと笑顔で話しかけてみた。その子の佇まいに、日本での隣人の柘植譲二とさやの息子、光を思い出していた。だが彼はおびえたように国民服の碧生に目を向け、慌てて強く首を振り黙り込んでしまった。
「僕も、空が大好きなんだ。一緒だね」
なおも笑顔で話しかける碧生を、ヨハネが引っ張った。
「蒼太郎兄さん。こっちこっち」
驚いて辺りを見回すと、碧生は少年の親兄弟、親戚と思しき男達にぐるりと取り巻かれていた。けして手を出すわけではないが、厳しい拒絶の視線で彼を睨みつける住民達は、碧生をはっきりと「敵」と認識していた。これが八紘一宇、大東亜共栄圏を謳う戦争の姿だと、彼は瞬時に悟った。
「こら、貴様ら何をやっているか!」
碧生達を見失ったお目付け役の兵隊が慌ててやってきたのを見て、住民達はさっと逃げて行った。あの空を見上げていた少年も、碧生をじろりと睨みつけ、売り物の魚を抱えて走って行った。碧生の心にごうっと大風が吹いた。
「ここでは空が好きとかそういうのは関係ないんですよ。空が美しい事よりも生きのびる事が大事。いかに死なないようにするか。蒼太郎兄さんの大事にしている世界よりも、もっと切迫した世界なんです」
ヨハネは慰めるように義兄に声をかけた。
俺は一体何を見て生きて来たのだろう。世の中を見ているようで聞いているようで何も分かっていなかった。真に生きてもいない俺が書く文章とはなんだ。
「それでも、書かなきゃいけないんだよなあ。皆が俺に話してくれた事を体に取り込んで」
「それを書けるかどうかは分かりませんよ。僕達だって映せるものと映してはいけないものがある。目の前の世界をそのまま切り取る事は、今はもうできないんです」
カメラを操り目の前の世界を直接的に映す義弟は、見たものを文学に落とし込もうとする義兄の蒼太郎に苦言を呈した。文章を書くという作業すらも、もう自由な創造とはいかないのだ。カメラマンと文士の差がここにあるのかもしれない。
だが蒼太郎は本当に分かってはいなかった。自分の中にある『元飛行士の卵だから』という自尊心が、空の下にいる様々な傷を抱えた人の心を、無神経に「空が好きだから」という全て肯定的する言葉の濾紙を通す。それがいかに傲慢か、義弟のヨハネは気付いていたがあえて指摘はしなかった。その一点を崩されたら、この繊細で無神経で限りなく優しい人は壊れてしまう。ヨハネはそう感づいていた。それに治安維持法の元、多くの表現者が逮捕され迫害を受けていた頃から、ものを表す自由など、とっくになかったのだ。
一方東京に残った妻のリカにも従軍作家の話が持ち掛けられた。夫の蒼太郎と同じ日本報国文学会から、軍に同行しての取材と慰問の話を持ち掛けられたのは一度や二度ではなかったが、そのたびに子供が小さい事、夫の看病がある事を理由に断り続けてきた。軍に同行して、というのが生粋のフェミニストであるリカにとっては気づまりで、不愉快だったからでもある。
だが今回話を持ってきた事務局員の男は執拗に勧めてきた。
「間宮さん、もうお子さんも大きくなったじゃないですか。おばあちゃんに預けて何週間かは外出できるでしょう」
リカは筆名に旧姓を使っていた。
「でも私は有名でもない童話作家ですし、軍に同行とかお門違いだと思います」
「そんな事はありません。女性ならではの視点で、銃後の女性達にこそ戦争遂行の意気を高めてほしいというのが情報部の意向ですので、それには間宮さん打ってつけかと」
気安く間宮さんを連呼し、玄関に座り込んで話す男性事務員も、以前は夫の事を蒼井先生、自分の事を間宮先生と呼んでいた。
「それに、この話受けておいた方がいいですよ」
事務員は急に声を潜めた。
「ここだけの話ですが、間宮さんと碧生さんはアカだという噂が出ています。若い頃プロレタリア作家と緊密なお付き合いがあったとか、特高に殺された画家と長い付き合いだったとか。こちらとしても庇って差し上げたいんですよ」
「そんな……私達はただ」
「分かってます。お二人が誠実な作家さんだという事は皆分かっています。でも世の中はそう見てくれる人だけじゃない。だから蒼井先生の方にも、従軍作家の道を紹介したんです。お守りする為に」
軍と行動を共にするという事が、リカには虫唾が走るほど嫌だったが、何も言い返せなかった。
「こんな世の中です。横浜や京都で出版社の編集員や作家、記者達が特高にどんな目に遭わされたかご存じですよね。改造社、中央公論社、朝日新聞、岩波書店……貴女達にはご家族がいる。子供さんとお母さんを守るためです」
「……そしてお国の為」
「その通りです。反対がなかったらこちらで話を進めていきますよ」
リカはお願いしますと固い顔で頭を下げた。私が戦ってきたのは男の考えで時代を動かしている世論そのものだった。でも今は男の考えでも女の考えでもない。「国体護持」、国を守るという男も女も超越した概念が頭上を覆っている。
リカは尊敬するフェミニストの大先輩に手紙を書いた。その先輩女闘士からの返事は、彼女の頭をガツンと一撃するようなものだった。
『女の権利を主張する為には、戦争に協力した方がいい。実績を作って、女性の権利を主張しやすい素地を作る事が、今は大切だ』
リカは軍と共に慰問に行こうと決意した。
昭和19年。秋。
児童文学作家・間宮リカが始めに派遣されたのは羽田である。ここは1941年(昭和16年)10月より、海軍の飛行教育隊である霞ヶ浦海軍航空隊の一部が移り訓練を続けていた、民間・陸・海軍共用の空港であった。
霞ケ浦の訓練部隊と言えば、夫の蒼太郎が第一期生として合格し、横須賀に移転するまで勉強をした所である。リカは不思議な縁を感じながら、海軍情報部員と共に取材に赴いた。中国戦線に派遣された女性作家もいた中、近場の東京飛行場への取材に留まったのは、小さい子がいる事に対する配慮なのかもしれない。
同行の若い情報部員も、始めは高圧的な態度や皮肉を向けていたが、ふとした拍子にリカの夫が元海軍の飛行士だと分かると態度を変えた。筆名は旧姓を使っていたから、彼女が作家・碧生蒼太郎の妻だとは気づかなかったのだろう。
一行は基地の担当士官の案内で、ひとまず広い基地内を歩いて回り、滑走路の端から駐機してある練習機の機影を眺めた。練習用の基地とは言え、思った程には訓練飛行はしていない。自分のような部外者が来たから警戒しているのだろうか。
「もう燃料も油もないのですよ。訓練機も空襲や特攻に駆り出されて、数が減っている。ろくに訓練も受けさせられずに戦地に派遣される飛行士ばかりなんですよ」
お目付け役の情報局員の目を盗み、ベテランの整備班長に話を聞いてみると、彼は悔しそうに語った。随分率直な物言いだと不思議に思っていると、整備班長は自分は碧生の同期だとリカに告げた。
リカは小さな取材メモ帳に、見聞きした事を詳しく書き込んでいたが、ふと目をあげると、練習機の陰や格納庫の隅、滑走路の端から幾つもの幼さの残る眼が、彼女を見詰めていた。
「あいつらは少年兵に毛の生えたような奴らです。手練れの飛行士達は皆南方へ送られて帰って来ないか、戦死してしまった。もうあんな子供達しかいないのです。それでもここは守らなけりゃなりません」
碧生蒼太郎と同期だという事は、彼は30歳前後なのだろうか。こんな自分が今では最古参の年齢ですよ、と班長は苦く笑った。
「霞ケ浦第一期生の奥様が来るというので、心待ちにしていた奴らが大勢います。出来たらそいつらの話も聞いてやってください」
「分かりました。情報局の方にお願いしてみます」
女流作家の頼みに情報局員は大層渋い顔をしたが、若い兵士達の意気込みを聞くという目的を提示され、渋々作家と兵士の直接対話を許した。
先輩兵士達に隠れてこっそりと手紙を託す少年兵は
「従妹にです」
と言いつつ小さく固く畳んだ、封筒に入った手紙をリカに託した。周りの兵士達が、なにが従妹なものか、絶対に恋人だろうと冷やかした。
近々母の誕生日なので、とやはり手紙を託す者、ずっと年下の妹が貴女の本を何時も読んでいました、と言ってくれる兵士もいた。
「確かに子供向けかもしれないが、私も勉強の合間に読んでいました。この戦争が始まる前の東京の光景が幾つも描かれていて、私は大好きでした」
自分も大学生だという新米飛行士の若者は恥ずかしそうに言った。海軍の中では『碧生蒼太郎の妻』という眼でしか見られないだろうと思っていたリカは、思いもかけぬ愛読者に心が温かくなった。
だがその笑顔も、自分に手紙を託す若々しい武骨な手も、敵の飛行機と戦って負ければ、銃弾に裂かれ炎に包まれて亡くなってしまう。誰にも秘密ですよ、と目を輝かせて、故郷でこっそりと付き合っていた少女の話をする兵士と、それを羨ましがる若者達をリカは胸塞がる思いで見つめていた。
この若者達は皆10代や20代前半。人生の波乱も恋の甘美さも苦悩も知らず、漠然とした憧れだけを抱えて死に赴く青年達だ。その彼らを前にして自分は何が言えるのか。死は隣にいるというよりも、脱げない上着のように常に覆い被さってくる。その中でも最も死に近いこの若者達に、自分は何を聴き何を書こうというのか。
抜け出せない蟻地獄のような状況の前には、ペンと声は圧倒的に無力だ。表現の手段を失った時、自分には一体何が残るだろう。
「大丈夫。皆様のお手紙は全部手帖に大事に挟んで、誰にも見せないでお渡しします。すぐにというわけにはいかないけれど、必ず届けますから」
リカの声に安心した様にうなずく若者達。その童顔が傷ましく、リカは細かい文字で埋め尽くされた取材手帖に目を落とした。今はまだ、幸いなことにペンは残されている。そして、はるかに厳しい環境の外地で取材をした夫の心身を、リカは心配した。
夫の蒼太郎は、春から初夏にかけて外地の海軍航空隊基地の取材に行った後、軽く体調を崩していた。大丈夫だよ、何でもないよ、と家族には笑顔を向け、防空訓練に参加し配給の列に並び、ペンをとって従軍記を書いていた。だがその背中は大層辛そうだった。
わかる。分野は違っても同じ『書き手』として、妻のリカには夫の辛さと、それでも書かずにはいられない作家の劫が理解できた。自分も国内の基地を幾つか取材して得た情報を基に、国威高揚の為の作品を求められているのだ。
「蒼太郎先生、お作、進んでいます?」
リカは夕飯を作りながら、一息つきに二階の書斎から降りてきた夫に尋ねた。自分はこうして家事や手仕事をやれば気分も替えられるが、仕事人間の夫はそうはいかない。根を詰めすぎている。
「いや、なかなか。思ったようには書き進められないものだね。現地で書いてきた取材ノートの半分も文章にできない」
「私もです。求められているものと書いておかねばと思う事って、違うものですね」
「それが自然だよ。僕もそうだ」
「先生、無理して書いて、また体調を損ねませんように」
「大丈夫だよ。それより帝都の空もだいぶきな臭くなって来た。君も子供達も外出する際は気をつけなさい」
11月、サイパン島が米軍の手に落ち、お隣テニアン島の滑走路が米軍機の離発着に使われるようになると、日本全土が新型爆撃機や戦闘機の攻撃範囲になった。間もなく本土空襲が本格的になり、東條英機内閣は総辞職した。
代わって就任したのは陸軍の元朝鮮総督、小磯國昭である。
昭和19年12月。
体の芯まで冷える空っ風の吹く冬が巡ってきた。微熱が続き食欲もなくますますやせ細った碧生蒼太郎の元に、郵便屋が一通の郵便を届けた。差出人は元目白台の司教座聖堂に居た湯浅神父。投函された住所は長崎県長崎市になっている。
『主の平和
私の住所に驚かれた事と思います。私は今修道院を離れ長崎の地に司牧の機会を得てこちらに住んでおります。
異動の内示が示されたのは秋、万霊節の直後の事です。私は友人の片桐惟人君を失った某事件の後、修道会管区長の計らいで長く修道院にて保護を受けていましたが、命を受け長崎に派遣されました。
蒼井先生、間宮先生のご活躍もしばしば耳に致します。文章の依頼があるという事は素晴らしい事です。新しい事に挑戦し、その分野の勉強をし、実地を積み経験を活かすのは、若いお二人の作家生活において必ずお役に立つと存じます』
長崎と言えばカステラ、金平糖、ちゃんぽん。甘かったり魚介がたっぷりだったりでお腹がすくものばかりだね。蒼太郎とリカは娘を両側から抱きしめて笑った。神父の手紙は続いた。
『先日、地元の信者に船を出してもらい五島の島々に行きました。江戸初期のキリスト教の迫害厳しかりし時代に家族もろとも処刑されたガスパル西、ジュアン坂本ら、多くのキリスト教徒が信仰を捨てず命を落とした所です。私の疲れ切った心はその海と空の青、岩に囲まれた地でひたすらに祈り、勇気と力を得ました。
今はキリスト教徒にとって大層困難な時代です。今に至る数十年前から、ゆっくりゆっくり世の中の困難さは増してゆき、人々の物言う力、立ち上がる気力は挫かれ、ついに困難を耐え忍ぶという方便で黙り込むようになりました。
だが私は『神様はきっとわかってくださる』という言い訳を、神様に対して、何より自分の内なるご聖体に対してしたくなかった。例え友を失い人間関係を断たれても、悔いなく生きたいと思っていました。
古い友人の多くは志半ばにして天に召されましたが、私はたまたま生かされ、まだ息をして大地を踏みしめながら信徒達と共に祈り、人の世に留まる猶予を与えられました。自分のこれまでしてきた事に後悔はありませんが、友人達を志半ばの無念の死に追いやった者達も、それを止められなかった私を含めた者も、誰も恨み憎む事はできません。
自分のした事もされた事も、その結果は全て神が判断されるもので、人は人を裁き断罪する事はできません。そして人間のやる事は全て、天の御父にとっては愚かしくも愛しい事なのです。その愚かしさを叱りつける事ができるのも御父だけです。例え人の為した事が最悪の愚かな所業であっても。
平戸から帰ってきた後、私は待降節に向けて、信徒達と心穏やかに準備に専心できるようになりました。今派遣されている教会は長崎の司教座聖堂である浦上天主堂のすぐ近くです。小さな教会で、時局がら色々と困難な事はありますが、熱心な信徒達が温かくも厳しく私を見守ってくれます。
いつかまた、皆さんにお目にかかる日が来る事を願っております。碧生さん達のお子さんも、柘植夫人のお子さんもだいぶ大きくなられたでしょう。東京の地で皆さんと親しく交わる事ができたのは真に天のお恵みだったと噛みしめている毎日です。
それでは。皆様に豊かな恩寵がもたらされることをお祈りしつつ』
手紙には浦上天主堂の壮麗なスケッチが同封されていた。
「綺麗な建物ね、お父さん、お母さん」
「そうだねえ。でも父さんと母さんが出会った病院のすぐ隣にも、これと同じくらい美しい教会の建物があるのよ。亜希子もヨハネおじちゃんを迎えに行く時に行ったでしょう」
「そこはここみたいに華やかじゃなかった」
確かに長崎の浦上に比べれば、子供の目に東京の司教座聖堂は渋くこじんまりと見えるかもしれない。蒼太郎とリカは苦笑した。若い頃その隣のサナトリウムの庭で、緑と花に囲まれてニンフに扮した娘と朴念仁として、二人は出会ったのだ。その日々と司教座聖堂は切っても切れない大事な記憶だ。
「今はとても寒いから、戦争がひと段落して世の中が落ち着いたら行こうねえ」
蒼太郎は『勝ったら』という言い方は避けた。代わりに『ひと段落したら』と娘に言った。
先日帰国して今執筆中の、外地の海軍航空基地の取材記事。克明な取材メモを読み返し文章にしていくにつれ、軍情報局の望む戦意高揚、銃後の家族の士気を高める為の文章にはなりようがない。
外地へ赴いた碧生蒼太郎だけでなく、国内航空基地の取材に留まった妻のリカも、自分の周りに集まってきたあどけない顔つきの少年兵や若者達をどう書いていいのか苦しんでいた。
生きる為には書かなければいけない。配給切符の配布を受け原稿料をもらい、子供を護り生き抜く為には、信条に沿わない文章も書いていかなければならない。だがそれがどれほどの役に立つのか。蒼太郎とリカの二人の作家は、この時ほど自分の持つペンが軽く感じられた事はなかった。
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