第1話:酒と煙草のエトセトラ

「兄ちゃんよ、最近いい買い物してくれるのは有り難いんだが、ちょっと、その煙草はやめた方がいいと思うぜ?」


 煙草と酒の専門店、『黒いヒツジ』。小太りで毛深いクセに、少し頭皮が寂しげな店主、黒ヒツジに差し出されたのは煙草三パックとウイスキーの小瓶二本だった。

 兄ちゃん、と呼ばれた青年は答えず、代わりに代金のお札をカウンターに置く。

「見たところまだ若けェんだし、こんな店やってる俺が言うのも難だが、もっと自分の身体は大切にした方がいいぜ」

 アンダーグラウンドな住人御用達の黒ヒツジも危険な店の店主。一部の住民からは恐怖の対象だ。それでも、青年の持ち出したモノには待ったを掛け、あろう事か心配までしていた。

「今月になってもう一ダース越えただろ・・・・・・」

 ウイスキーは一般的な度数の代物だが、煙草のほうは仕入先からも注意を受ける程、タールの重いモノだった。

「それに、その湯水みてーな大金はどこから湧き出てくんだ? さてはいいとこの坊ちゃんか?」

 一言も答えない青年にしびれを切らして代金を受け取るが、なかなか黒ヒツジは物を入れた紙袋を渡そうとしない。

 始めのうちはイキがっているだけのガキだと思い、どんな煙草でも酒でもいいように扱っていたが、中毒を起こして廃人になるなり金をせびるなりもして来ないし「騙したな!」とも怒鳴って来ない青年を気持ち悪く思うようになったのだ。

 青年は周りからの目線など気にしていない。ただ、若者らしい気さくな態度で買い物に来るだけ。

「いいや。家なんかとっくの昔に縁を切ったよ。切られた、かな」

 それに、普通の家だ。

 青年が店主の怪訝も気にせず手を振る。

「毎日ある程度勝ってるだけさ。俺、運だけは良いから」

「賭博か。緑オヤジの小屋グリーンファザー・ハウスか?」

 青年は頷く。そういえば最近、妙にポーカーが強いガキが賭博小屋に入り浸るようになったと支配人の緑オヤジから聞いたな。黒ヒツジも納得して顎髭を撫でた。

「運が良いなら、何で『この街』に来たんだ。もっとマシな所はあっただろ? ほら、あの、北の方にあるミューなんとかっつー都市なら魔素まその濃度も低いハズだぜ」

 今度は首を横に振る。そして、慣れた手つきで黒ヒツジから紙袋を掠め取った。

「ミューゼリアなら遠慮しておくよ。なかなか苦手でさ、あそこ」

 それだけ言って、いつもの様に帽子を下げての挨拶もなしに足早に青年は去っていった。トタンのドアが悲鳴を上げなら閉まる。

 それを見送ると、壊れかけの椅子にふんぞり返り、一息ついて黒ヒツジはぼやいた。

「良い客だとは思うがね、帽子のガキ」

 カモがネギをしょってくるとはこの事。お陰様で売り上げも良好にはなったが、血色も変えない青年が不気味で仕方ない。

 本当に生きているのだろうか、それとも、いよいよ街の善良な組織が店を潰しに来たのではないか、将又はたまた、自分の方が中毒で幻覚でも見ているのではないか――黒ヒツジは時々胸に手を当てて考えてしまう。

 気分を変えようと、新聞を手に取ると一枚のビラが落ちてきた。

『入居者募集! 物好き達の街、シュガー・ポットはスリルとスラムが紙一重! 安全で健康的、楽しい暮らしを実現します! 黄クラゲ不動産』

「物好き達の街、かァ」

 黄クラゲの野郎、センスねーな。

 馬鹿みたいにフォントが大きいビラを、口に銜えた煙草に付けようとしたジッポの火で燃やした。


 煙草に火を灯して、紫煙を吐く。タールの重さで一瞬咽返るが、その感覚こそが青年の求めるものだった。

「残念だけど、もう病みつきなんだな」

 心の中で黒ヒツジに謝るが、悪意など更々無かった。

 黒ヒツジの店を教えて貰ったのは、前に手を貸していたロックバンドの女だった。心に傷を負っているか弱い子だと思っていたが、『この街』に来てから、黒ヒツジの店に行くようになってただのジャンキーだという事に気付いた。もう連絡は取っていない。

 実際言うと、まだ煙草を吸える歳ではない。酒も許されてはいない。年齢的な成人まであと二年必要だった。

 吸えなくなった煙草を、既に空かしたウイスキーの小瓶に落とす。すぐさま次の煙草に火を付けて、黒い幸せを肺に満たした。


 魔素の濃度が特に高く、住民に人間以外もよく見かける、黄クラゲの考えたキャッチコピーの通り、『物好き達の街』、シュガー・ポット。

 青年がここへ来てからもう半年が流れた。

 目的らしい目的は、勿論、黒ヒツジの店以外にもあった。しかし成果は出ていない。

 むしろ、青年にしてみればシュガー・ポット程住みやすい街など、どこにも無かった。

 自分はもしかしたら、この街に来る事こそが目的だったのかも知れない。そう思うようになってからは、毎日のように緑オヤジの小屋で賭博をして、黒ヒツジの店で煙草と酒を買って、アパートの屋根の上で嗜むのが日課になっていた。

 別に、目的など無くとも、生きてさえいればいい。街に流されて、時間に流される。怠惰な幸せを街が与えてくれるのだ。

「また一人酒かい、俺を呼べっての」

 不意に後ろから声を掛けられて、振り返ってみるが無視すれば良かったと後悔する。居るのはジャージ姿の隣人ウォルトだった。

「家で勝手に飲んでろ。静かな晩酌を邪魔すんな」

 別にウォルトの事が嫌いでは無かったが、如何せんウォルトは酒呑みだ。街一番の酒場の酒を一晩で枯らした伝説を持ち、早飲みでなら右に出る者はいない。

 今も、酒造法無視でとんでもない度数になったジンの瓶を片手に笑っている。

「初めての晩に酔って屋根から落ちたお前を受け止めてやったのはどこの誰かな」

 ぐうの音も出ない青年を横目に、ウォルトも腰を落とす。考えてみれば、ウォルトに色々と恩がある。少しくらいは付き合うのも義理というものだ。ウォルトが隣でジンを呷り始めても、追い払おうとはしなかった。

「なんかよ」

 瓶から口を放してウォルトが切り出す。

「初めての晩って、エロいな」

 本日二度目の後悔。青年は開きっ放しのジンに煙草を落とした。

「あー! お前ふざけんなよ! まだ半分も飲んでないぞ!」

「そのうるせえ口にでもぶち込んでやれば良かったか?」

「冗談の通じない奴だなぁ」

 言いながら、ウォルトはジンの瓶を路地裏めがけて投げ捨てる。けたましい音が夜に響いた。

「高く付くぜ」

 寄越せ、と言わんばかりに手招きするウォルトに、未開封のウイスキーを投げる青年。

 不満げにウォルトはウイスキーのキャップを外した。

「しょっぺえ」

「明日の稼ぎで返してやる。どうせ黒ヒツジの店だろ?」

「いいや」

 予想外の答えに、次の煙草に火を付けている手が止まる。いよいよ黒ヒツジにも出禁にされたのかとも考えたが、非合法な酒の売り場が黒いヒツジ以外にもある事が珍しかった。

 飲み屋には歓迎されるが、酒屋には嫌われるのがウォルトだ。

「お前には紹介して無かったか? テレビの店」

「テレビ?」

「そ。まぁ、目立たない場所にあるからな。折角なら明日連れてってやるよ。その代わり」

「高く付くんだろ」

「物分かりが良い男は好きだぜ」

「気持ち悪ぃ」

 ウイスキーを飲み干す勢いで呷るウォルトを横目に、青年は箱最後の煙草を吹かす。

 慣れてはきたが、まだこの有象無象の街には染まりきっていないようだ。

 ならもう少しだけ、目的を忘れて生きてみよう。ウォルトが投げたウイスキーの瓶が、アスファルトに叩きつけられた音がした。


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