第8話:赤色打明話
シュガー・ポットにだって、当然教会はある。しかし誰が見てもそれはただの廃墟だ。ステンドグラスの窓は叩き割れており、十字架もへし折れている。白い壁には魔素で赤紫に変色した蔦がびっしり生えていた。
中に入っても、破損具合は変わらない。長年放置されていたのだろう。非道い音を立てて閉まるドアの風圧で、床のホコリが舞った。思わずアインがせき込む。
その音で気付いたのか、前方の人影が僅かに動いた。
「よう、お前こんなカビ臭い所によく居れるな」
まあ酒臭くてヤニ臭い所よりマシか。アインの登場に、先客――赤コウモリは困惑して、何も返事を返さなかった。
「失礼するぜ。あ、煙草はやめとくから」
沈黙を了承と受け取り、赤コウモリの隣、壊れたパイプオルガンの鍵盤に腰掛ける。音は鳴らなかった。
「それとも、俺、煙草臭い?」
にやけながら訊ねてくるアインに、困ったような顔で首を振る赤コウモリ。言いたい事はあるが、どう切り出していいものか分からない。
それも読み取ったのか、アインが先手を掛けてきた。
「何でここが分かったか、だろ」
肩を竦めて頷く。
「可愛い女の子の匂いがあればどこへでも――と、言いたいけど、それだと俺がストーカーになっちまうからなぁ」
帽子を外して、
「切っても切り離せないんだろ、こういう場所と」
手の中にあった帽子を投げる。脇に飾ってあった頭のない聖母像に引っかかった。
アインの言う、こういう場所、とは、廃墟や人気のない場所、ではなく、教会の事を言っていた。
「うん」
そこでようやく赤コウモリも口を開く。
「なあ、お前とあの司祭、どういう関係なんだ? どうにも不自然なんだ、お前の行動が」
アインの問いかけに、赤コウモリは初め沈黙していたが、鈍色の瞳に訴えられて、
「親子だよ。主従関係っていう名のね」
「親子・・・・・・。それはまたややこしい」
アインがため息を吐く。赤コウモリが続けた。
「あなた達は、『魔界』って呼んでるのかな。そこから、プラシェラに喚ばれて、こっちに来た」
包帯で巻かれていない方の腕を掲げて、魔素を顕現する。腕が肥大化し、鋭い爪を持った悪魔の腕へと変わった。
「美術館で見たでしょ。これが本当の姿」
「プラシェラの目的は、私を機巧化させる事だったの」
「元々私、こっちの世界の言葉なんて分からなかったし、人間的な思考もなかった。ただ喚ばれたから、プラシェラに従う事しか出来なかった」
「全てが分かった時に、喰ってやろうと思ったから」
「でも、あの赤石――『生命の石』を見たときに、本能的に思ったの」
「あれが欲しい」
赤コウモリの手が虚空を掴んだ。手の中から、微かな風に吹かれて赤い魔素の光が舞った。
「そこからかな。プラシェラを支配するとか、喰ってやろうとか、そんな事思わなくなったのは」
「むしろ、逃げたい、支配されたくない、って、思うようになった」
「まあ、まさか『生命の石』に支配されて、命令されたから、なんて思いもしなかったけど」
その一言に、アインは眉をひそめる。
「ビックリした? 『生命の石』は、いま私の体の中だよ」
「つまりお前が『生命の石』、って事になるのか?」
「ははは。そうだね。私、悪魔じゃなくて石ころだ」
乾いた笑いが、教会に響く事なく、壊れた床板に落ちていく。
「『生命の石』は、綺麗な宝石なんかじゃない。言うなれば、人の心と魔素の集合体だよ。人を取り込んで、赤石になってまた別の人を取り込む。言うなれば人喰いの魔石だよ」
「だから軽率に人の心を奪ってしまうし、縛り付けてもしまう。人が『生命の石』を欲してるんじゃない。『生命の石』が、人を捕食してるの」
「残念な事に、悪魔なんて取り込んだからなかなか思い通りにいかないみたいだけど」
「そこからは、エルガーとプラシェラの言う通りだよ」
「二十年逃げた。ついこの前、とうとう見つかったけどね」
「そんなに義母が嫌いなら、どうしてあの時従ったんだ?」
「親子だから、かな」
「逃げきれなかった。だから、言う通りになるしかなかった。だって、子供は親の言う事を聞くって、そういう事でしょ?」
「俺らを襲ったのもプラシェラの命令でか?」
「うん」
悪いことをした、とも思わず、機械的に頷く。
「まあ、機巧化にも失敗して、悪魔の力もほとんど使い物にならないって分かったらしいから、もう用済みらしいけどね」
「ケモノ」
「そう、もう、暴れるだけのケモノらしい」
そこまで言い切って、赤コウモリ、と呼ばれている『何か』は、パイプオルガンから降りた。
そして、申し訳程度の笑顔で、アインに問いかける。
「悪魔。石。ケモノに、赤コウモリ。翼を持った悪魔に、クソ女。ねえ、私って、いったい、『なに』なんだろう?」
空洞のような教会に吹き抜ける風が鳴いた。『何か』は、アインの答えをずっと待っていた。理由はどうであれ、助けてくれたのなら、自分の存在だって決めてくれるはずだ。
自分は、何もかも、もう分からない。なら、分かっている人に従うべきだ。
しかしアインの答えは期待通りのものではなかった。
「さあ。俺に聞くなよ」
赤コウモリの顔が強ばる。パイプオルガンから降りると、帽子を被り直した。
帽子の奥から、鈍色の目線が『赤』を射抜く。
「自分が『何者』なのか、なんて
「もし、他の誰かが自分の事を決めていいなら、俺は『化け物』だし『不死身の怪物』だし、『帽子の賭博師』だ。わかんねえよそんなの」
投げたようなアインの言葉に、何か、は顔を暗くさせる。「ごめん」と呟こうとしたが、アインの次の言葉に遮られた。
「でも俺は俺だ。どんな名前がついても、他人からそう見られていても、俺は『アイン』だ」
つられるように、顔が上がる。その先で、アインはふっ、と微笑んだ。
「『自分』さえあれば、お前は『何者』でもいいんだ。石でも悪魔でもなんでもいい」
手癖で帽子の位置を直す。そして、少しだけ、格好付けて言った。
こればかりは、本当に口説いたのかも知れない。
「俺には、美少女に見えるけどな。そうだ、お前が初恋の相手だ」
クサい口説き文句に、赤い瞳から、大粒の涙が零れた。
「そっか・・・・・・。私、そうだね・・・・・・。覚えててくれたんだ・・・・・・」
泣き崩れる初恋の相手を慌てて抱き留める。困ったように眉をひそめた。
「おいおい、そんなに泣くなよ。やっぱり女の子じゃねーか」
「それただの性別でしょ・・・・・・、私、だって、今まで・・・・・・」
泣きじゃくって言葉を聞き取れないアインはため息を一つ吐く。翼のない背中をさすると、「じゃあ」と切り出した。
「自分の事が知りたいなら、まずは他人の事を知ればいい。まずは、テレビの店の常連くらいは、覚えような」
胸の中で小さく頷いた彼女の頭を撫でる。このまま帰ろうかもう少しこのままでいようか考えたアインだが、その顔は不満げだった。
「その前に」
目線の先にある扉が破られる。
夜の雰囲気を纏って現れたのは、まさしく教会にいるべき人物。
「決着をつけないと駄目みたいだな」
初めて、アインはそのエメラルドグリーンの瞳と目が遭った。
「ええ」
『機巧教団』の司祭、プラシェラが口を開く。
「魔素を持たない貴方に恨みはないけれど」
用心棒、エルガーが銃の安全装置を外して躍り出る。
「ケモノの味方するなら、貴方も汚れている」
敵対する理由は、それだけで充分だった。
「俺もアンタらに恨みなんて一つもないけど、理由ならいくらでもあるさ」
初恋の相手を下がらせて、アインも戦闘態勢に入る。
「あ、一つだけあった」
ふと思い返すと、得意げに笑って地面を蹴った。
「喫煙所がないのはニコチン中毒に大変失礼だ」
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