第2話:赤色世間話

 青年がシュガー・ポットで生活するうえで、一番困ったのは身元の証明だったが、逆に一番困らなかったのは金銭面だった。

 これまで生活資金を貯めるのにどんな汚れ仕事もこなしてきた。

 一歩間違えれば破滅させられてしまうような組織にも手を貸して、どうにか生活を食いつないできたが、シュガー・ポットに来てからこれほどまでに簡単に稼げるものなのかと拍子抜けしていた。


「スリーカード」

「マジかよ」

「今日で三回目だぜ、帽子」

 シュガー・ポットで見つけた賭博小屋、『緑オヤジの小屋グリーンファザー・ハウス』で三回目のスリーカードを決めて、今日の稼ぎ分は取れた。

 ウォルトの誘いの事を考えると、もう少し取っておくべきか悩んだが、行き過ぎた欲は身を滅ぼすと自分に言い聞かせてずらかる事にした。

「おい、帽子」

 途中、緑オヤジ――文字通り肌が緑の賭博小屋の支配人に呼び止められる。

小屋では『帽子』という通り名だった。名前を教える気も、青年には更々無かった。

 むしろ、その名前を教えていいのかも分からなかった。

「やけに今日は早いじゃないか。どうだよ、コレで遊んでいけよ」

 指をさされた先にあるのはルーレットだった。青年が特に苦手とするギャンブルをわざわざ指定してくるあたり、支配人としても一泡吹かせてやりたいのだろう。

「すまないね、今日は約束があるんだ」

「へぇ、そうか。なら景気付けに」

 やおら首を横に振り、「女の子が待ってるんだ」と適当な嘘をつく。これで撒けると思いきや、流石は緑オヤジと言うべきか、尚も食い下がってきた。

「まさか、赤コウモリじゃ無いだろうな? もしそうなら手元に金がある方がいいぜ。がっつり巻き上げてくるからな」

 巻き上げようとしてるのはどっちだよ、心の中で呆れながらも、聞き慣れない名前に首を傾げた。

「赤コウモリ?」

「ああ。街で五本の指には入るクソ女だ。そういやお前はまだ会ってないのか」

 まあ座れよ、ルーレット台に促してくる緑オヤジをどう避けようか考えたが、妙に『赤コウモリ』が引っかかった。

 そういえば黒ヒツジからも、ウォルトからもその名前を聞いた事があった。しかし二人も妙に赤コウモリに関しての情報を渋るので、ただ、このシュガー・ポットに赤コウモリという女が居る事しか分かっていない。

「なあ、オヤジ」

 青年は勝った金の半分を緑オヤジの、緑色の手に握らせる。

「話だけでも。これで手を打たないか?」

 緑オヤジが、変に生真面目な顔をする青年に面喰らってぽかんとしていた。やがて気を取り直すと、青年に突き返す。

「馬鹿言え、帽子! アイツの紹介もクソも、こんなに要らねえよ。会うなら気を付けろよ、お前まで喰われたら可哀相だ」

 もう帰っていい、とまで言われ金片手に立ち尽くす。

 喰われる。

 まさか人喰いなのだろうか。シュガー・ポットに来てから色々なものに出会ってきたが、流石に人喰いに会うのは気が引ける。

 決まりの悪くなった青年はしばらく入り口近くでたじろいでいたが、ややあってルーレット台のほうへ戻った。

 ニヤニヤしながら回転する博打を見守る緑オヤジの目の前に賭け金を叩きつける。

 またしても緑オヤジは目を見開いたが、やがてすぐに笑いかけた。

「分かってきたじゃあねぇか、帽子」

「どうにも、このままじゃ帰れないんでね」

 ルーレット台の椅子に腰掛け、帽子の位置を直す。同時に、ズボンのポケットからボールを一つ取り出した。




『赤』と聞いて、思い出す事があった。

 それは確かまだ子供の頃で、ミューゼリアに住んでいた時だ。

 晴れた日には外を走り回り、街はずれの森を冒険したり、時々勉強をして、アニメも観る。他愛もない、ごく一般的な子供だった。

 当たり前のように、恋もしていた。

 遊び仲間の一人である赤毛の少女。名前は忘れてしまった。なかなか素直になれない自分と比べ、彼女はひたすらに真っ直ぐだった。

 そんな彼女に心惹かれるある日、両親に連れられて美術館に行った。

 育ち盛りの少年にとっては、静かにしていないといけない環境は退屈そのもの。 初めのうちこそ物珍しい美術品を楽しんでいたが、どれもこれも全部同じに見えてきて、すぐに飽きてしまった。

 早くお昼が食べたい。そう思い、ふと、顔を上げた先には、ある宝石が展示してあった。



『赤』。



 その『赤』は未だに忘れられない。純粋で混じり気のない、まっすぐな赤。

 自分の瞳を射抜いてしまう光。恋慕する少女を思わせる、ピラミッド型の赤い宝石だった。


 ガラスケースに厳重に守られている宝石が一体何なのか、展示の説明文が読めない少年はすぐさま両親を呼び寄せた。

 あれは一体なに?

 どこから来たの?

 どうして、あんなにきれいなの?

 多くの事を訊ねて、多くの事を両親から教えて貰ったが、少年が理解できたのはこの宝石が〝ミューゼリアの外〟から来て、〝旅をしているから、長くはここにいない〟事だけだった。


 それから、少年は両親に美術館へ連れて行くよう何度もせがんだ。

 初めのうちは両親も喜んで連れて行ったが、他の物には目もくれず、一日中『赤』を眺めている少年を、不気味がるようになった。

 あの子は一体、どうしてしまったのだろう――。


『赤』がミューゼリアの美術館から旅立ってからしばらく、少年は空虚のような日々を過ごした。

 恋していたはずの赤毛の少女から告白されても、「君を見ると思い出すものがある」と静かに返して、見向きもしなくなった。

 実際も、『赤』を思い返して悲しくなるのではない。ただ、目の前の赤毛は自分が惹き寄せられた『赤』にはほど遠くて、どうでも良くなってしまうからだ。

 黒ヒツジの言う通りミューゼリアは魔素の濃度がとても低い。

 そのせいあってか、いつしか少年はミューゼリアの住民達から後ろ指さされるようになっていた。


「あの子は、きっと赤い宝石が運んできた魔素にヤられてしまったんだ」







「・・・・・・幸先悪い事思いだしたな。テレビの店に、赤毛の可愛い子が居ないといいけど」

 小屋帰りの路地裏、赤く焼ける夕陽を遠目に青年は呟く。

 目の前には、汚らしい身なりの男がナイフを構えて何か喚いている。

 ルーレットで文句なしに稼いだ帰り、ぼんやりと歩いていたところをこの男に鉢合わせたのだ。

「お、お、お前! お、おれは見たぞ・・・・・・。さっき、イ、イ、イカサマしただろ・・・・・・!」

 ろくに気にする様子もなく、青年は帽子の影から男を見つめる。青年の鈍色の瞳に射抜かれて、男が震えた。

「だったら、どうするつもりなんだ? 別に、小屋にはイカサマをしちゃいけないなんてルールはないぜ」

「う、うるせぇ! お、お前さえ来なければ、お、おれが一番だったんだぞ・・・・・・! 小屋の金は、全部おれのものだったんだぞ・・・・・・!」

「ほう」

 少しだけ顔を上げて、青年はポケットに入っていたルーレットのボールを指で弾いた。

 親指に弾かれたボールは、勢い任せに男のナイフを弾く。

「なら、これに見覚えがあるな?」

 ナイフの傍に転がったボール。

「そうだぜ、お前がくれた、イカサマ用のボールだ」

 それを見て、男の顔が真っ青になる。

「まさか忘れたのか? この病人クランケめ。右も左も分からない俺にイカサマを教えてくれたのは――尤も言うなら」

「イカサマの犯人を押しつけてきたのはお前だぜ?」

 お陰様で金に困らなくていいけどな。

 微笑して、青年は男と反対方向へ進もうとした。

「じ、じゃぁ、何で――お、お前、捕まってないんだ?」

 振り返り、少し答えに迷う。ややあって、斜に構えて答えた。

「お前が捕まって、緑オヤジに借金して、それをイカサマなしで返そうとして毎回負けてるのがなんじゃねーの?」

 少し遠回りになるが、仕方がない。今度こそ、男に背を向け歩き出した。

 背後から聞こえてくるのは男の叫び声。ドタバタと煩い足音。

 考えている事は、ウォルトに自慢する今日の小屋での出来事。そして、赤コウモリの事――。

 何故自分は、会った事もない赤コウモリに、ここまで執着しているのだろう。暮れゆく空に思いを馳せていると、どうしたことか、先ほどの借金男の喚きが自分のすぐ近くで聞こえてきた。

 そして身体に走る鋭い痛み。指先に、足先に伝わる痺れ。

「あ」

「あっ、あ・・・・・・!」

 程無くして、青年は路地裏の冷たく汚い地面に倒れる。

 胸元、ちょうど心臓の部分に、男が落としたはずのナイフが刺さっていた。

 勢い任せに突き刺したナイフと、青年を見て男も膝から崩れ落ちる。

 後は逃げるだけだ。今日の青年の稼ぎ分を奪えば、借金は返せる。だがどうしてか身体が動かない。

「お、おぉ・・・・・・。お、れ・・・・・・」

 出来るだけ早く、手を離したつもりだったが返り血は付いていた。

 手の震えが止まらない。シュガー・ポットに来てから、賭博小屋でも多数、汚い事に手を染めてきたが、自分の手を血に染めたのは、初めてだった。

「は、はっ・・・・・・」

 胸を上下させて、何とか動こうとする。

「痛い」

 しかし聞こえるはずのない――つい先程動かなくなったはずの青年の声が聞こえてきた。

「はあっ・・・・・・!?」

「痛い。もうちょい優しく刺せよ」

 それだけでも身体が凍り付いたのに、何事もなかったかのように起きあがる青年を見て更に顔がこわばる。

 少し長めの昼寝から起きた感覚で、寝癖を直す程度に、胸元のナイフを抜く青年。

「全くよ。人ひとり刺した事もないのか。もうちょっと次から丁寧に、な。これも優しさってヤツ」

「お、おまえ、なんで、し、し――」

 言い終える前に、青年は男の喉元にナイフを突き刺した。特に悲鳴も上げず、命乞いも聞こえて来なかった。


「まあ次なんて無いけど」

 回り道を、足取り軽やかに進む。〝昼寝〟のお陰で、少し気分が軽くなっていた。ナイフが肺に少しかすったせいで煙草は吸えないが、ウォルトと共に店に着く頃にはもう吸えるようになるだろう。

「あっと」

 忘れ物に気付いて、再度振り返る。

「期待させて申し訳ないけど――俺、そういうの、効かないタチなんだ」

 倒れた時に脱げた帽子を被り直して、借金男に告げる。

 男は青年とは違い、答える様子も無ければぴたりとも動かなかった。

「残念だなぁ。いい知り合いを持てたと思ったのに」

「まあでも、最後だから教えておくよ」

 語り掛けるように言ってはいるが、それは全て独り言になってしまった。

「俺の名前はアイン。墓の中まで持ち込んでくれよ」



 有象無象が集まる街シュガー・ポット。

『不死身』の青年すらも飲み込んでしまった街の夜は、月が昇ったばかりだ。

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