第4話:酒の席は突拍子もなく


『ウォッチ&リポート』の看板でもある、テレビのネオンの理由は、店に入れば一目瞭然だった。

「へえ、シュガー・ポットに来て半年ねえ。それなら新入りも当然か」

「だろう? 俺ももう少し早くこの店を教えておけばよかったぜ」

 言って、ウォルトはウォツカを瓶のまま呷った。

「まあまあ。今日紹介出来たんだから、いいじゃん」

 ヒューラもモヒートのおかわりを貰って頷いた。魔素斑点が刻まれている顔も少し赤らんでいる。

 そんな二人を横目に、アインはタールの重い煙草を味わっていた。酒はまだ一杯も飲んでいない。

「そうだな。これからよろしく、新人。これっぽっちの酒で死ぬなよ?」

「生憎、これくらいじゃあ嫌でも死ねねぇさ」

 店のマスターに顔を向ける。

 シュガー・ポットでは珍しくないらしいが、アインは人間の頭を持たない人間に、初めて遭遇した。

 

 マスターの頭は、アンテナ付きのテレビなのだ。

『ウォッチ&リポート』とテレビ頭のマスター、通称テレビは、シュガー・ポット内でも特に有名だった。繁盛している、と言うよりも、ウォルトの持ってきたジンしかり、とてもじゃないが人間が飲めるような酒を置いていない事で、有名なのだ。

 おまけに、皮肉なのか頭がそうなっているからそうなのか、テレビ自身がシュガー・ポット随一の情報屋としてその名を轟かせている。

 アインも賭博小屋で何度かテレビの名前を耳にしたのを思い出して、「ああ」と頷いた。

 まだまだこの街には有象無象が溢れている。



 さほど広くない店内。半分はステージで、もう半分はカウンター席とテーブル席が七対三程度の割合で設置してあった。

 アインとウォルト、ヒューラはカウンターに座って向かいのマスターと酒を嗜んでいる。

 今日のステージは、哀愁漂うアコギの弾き語りだったが、誰も耳を傾けてはいなかった。

「それにしても、新人。初めての友達がこんな酒飲みとピンク頭とは、選択は慎重にするべきだぞ」

「俺も、別に好んで友達になった訳ではないけどな」

「えーヒドいなー」

「あんなに助けてあげたのにー」

 ウォルトがヒューラの口調を真似て茶化す。いつもであれば、酒を飲んで流すが、今日のアインは曖昧に頷いて目を逸らすだけだった。

「・・・・・・どうしたの、アイン」

 先に気付いたのはヒューラだった。

「まさか、タバコ酔いじゃあないでしょ。まさかね」

「そうじゃないけど」

 言葉で否定はしているものの、まだ半分は残っている煙草を灰皿に押しつけるアイン。目線を追っていたウォルトが口を開いた。

 正確に言うと、ウォッカの瓶から口を離した。

「そんなに赤コウモリが気になるなら、口説いて来いよ」

「へ――」

 あれが、『街で五本の指に入るクソ女』。ウォルトの指摘に、言葉が詰まった。

 自分たちが座っているカウンターの先にある四人掛けのテーブル席に一人座って、店でたったひとりアコギの弾き語りに耳を傾けている美少女。

 店に入った時から、アインの注意はほとんど彼女に向いていた。

 黒髪のショートカットに、白いブラウスと赤いスカート、黒タイツ。どれもこの街じゃ見ないような清潔感があった。

 慎ましく伸びた睫毛が儚げで、一体どこに悪い所があるのか、疑問になってしまう程だった。

 それに、一番は。

「赤ちゃーん、ナンパが来るから逃げなー」

 ヒューラの声で、赤コウモリがこちらを向く。その時、文字通り、アインは引き寄せられてしまった。

 彼女の、宝石のような『赤』い瞳に。

「きみは――」

「あなたは」

 言葉が重なりそうになった、その一瞬。

「!」

 赤コウモリが何かを察知したのか、赤い瞳が揺れる。そして身体を赤い蝙蝠に分散させて店の外へ飛び去ってしまった。


「フられてやんの」

 ウォルトの言葉も頭に入らず、一体何が起きたのか、呆然とアインは立ち尽くしている。

「すまんな新入り。うちの居候、少し人見知りでな」

「こうも客の入りが慌ただしいと、ビビって逃げちまうんだ」

 そこでようやく、自分以外の目線が入り口に向いている事を理解して顔を上げるアイン。

「あ、あの、さっきのは・・・・・・」

「気にしないでくれ。街じゃ日常茶飯事だ」

「まあ、赤コウモリが閲覧料を請求して来なかったのは、少し意外だがな」

 そこには、高級ブランドのスーツをくたびらせた男が、おずおずと様子を窺っていた。

「分かるよ、お客さんが欲しいのは酒じゃなくて情報だろ?」

 テレビがチャンネルのダイヤルを回す。当然、最初から何も映っていないテレビだが、その画面に一瞬だけノイズが走った。


「なるほどあの美術館か。そりゃ遠路はるばるご苦労だったな」

 ウォッチ&リポートに訪れた男の名刺を見るなり、テレビは労いの言葉を掛けた。

「ご存じですか、流石、噂は伊達じゃないですね」

 強ばっていた男の肩から力が抜ける。飲み飽きたウォルトをテーブル席のソファーに寝かせ、今はアインとヒューラに挟まれる形で、男が座っている。男の名前はリック・エルガー。シュガー・ポットからは離れた街にある美術館の学芸員だった。

「どんな噂が蔓延はびこっているのやら」

 皮肉めいたテレビの言葉に、またエルガーが肩をすくめる。

「そんな、外からのお客様なんだからテレビさんもう少し優しくしようよ」

 ヒューラが場を和ませようとするが、エルガーからしてみても魔素斑点が顔に刻まれている女の言葉には安堵できなかった。

 ややあってから、意を決したようにテレビに切り出す。

「テレビさん。『生命の石』という宝石をご存じですか?」

『生命の石』。その言葉に、先に反応したのはアインだった。

「現存しているのはたった一つだけの、高純度の赤い宝石、だろ」

「あ、ああ、はい。おっしゃる通りです!」

 少し熱が入ったのか、エルガーが続ける。

「その美しい赤色から、手にした者に強靱な生命を与えると謂われている宝石です。我が美術館が管理をしておりまして。大変人気を博しております・・・・・・ここしばらく二十年程、特別展で世界各地を旅しておりました」

「それで先日、館長から連絡で、美術館に戻ってくる事が分かりました」

 そこまで饒舌に語っていたエルガーだったが、そこまで来てまた言葉を詰まらせた。

「ここから先は、突拍子もない話になってしまうのですが」

 声を潜めて、続ける。

「二十年前、まだ『生命の石』が美術館に常設されていた頃、一度強盗に入られ、奪われた事があるのです」

「ああ、それ知ってる。新聞で見た事あるかも」

 ヒューラがグラスを置く。

「確かさ、犯人がまだ捕まってないんでしょ?」

 彼女に対する警戒心が解けたのか、エルガーはヒューラに大きく頷いた。

「もし、二十年前と同じような事が起きれば、噂は瞬く間に広がり、我が美術館の信頼問題に繋がっています。そのような情報を、もし、掴んでいたらお教えくださいませんでしょうか・・・・・・?」

 苦しげに言葉を繋ぐエルガーに、ふむ、とテレビは短く唸る。

「それなら、ここを頼るより警備会社を頼ったらどうなんだ? ここは慈善事業でも何でもないんだ」

「普通なら、そうしました」

 煮え切らないエルガーに、三人の注目が集まる。

「その・・・・・・。にわかに信じ難いのですが、当時の強盗の犯人は、『翼を持った悪魔』だと」

「『悪魔』! 『悪魔』だって! 面白そうじゃねぇか!」

 突然、後ろから聞こえてきた大声にエルガーの身体が跳ねる。寝ていたはずのウォルトが目をギラギラさせて騒ぎ出したのだ。

「ああ、アレはいつもあんな感じだから気にするな」

 アインが肩を叩いて宥める。しかしすぐに剣呑な表情を見せた。

「情報があるにせよ、無いにせよ、護衛が欲しいんだろ?」

「・・・・・・まあ」

 ぎこちなく頷くエルガーに、鈍色の瞳を向けるアイン。

「俺に任せてくれないか」

 その一言に、エルガーが目を丸くする。ウォルトが目をギラつかせながら、ヒューラが上目遣いに。アインに無言の同意を送った。

「安心しな。俺も伊達にこの街で半年も生きてんだ。それなりの腕は立つぜ」

〝生きてる〟だってよ。馬鹿馬鹿しいことこの上ない台詞に、内心呆れながら、アインはシュガー・ポットの夜を窓越しに睨んだ。


 赤コウモリが逃げ出す、最後の一瞬。確かに彼女は、アインの耳元で囁いたのだ。




「――待ってる」

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