第6話:化けの皮が剥がれるとき

 件の『生命の石』が展示されているのは、美術館の二棟に挟まれたドーム型の展示棟だった。

 同じくコンクリート造りだったが、白い塔に挟まれているせいでフロアは一つしか無かったし、部屋自体もさほど広くはなかった。

 ガラス張りの天井から差し込む陽の光に照らされているのは、伝説に語られた赤石。

 展示室自体、その赤石しか展示されていない。

「どうです? 綺麗でしょう」

 プラシェラが繊細な声で、しかし誇らしげに言う。後ろに控えるエルガーも、笑みを宝石へ向けている。

 美術には疎い、と言っていたウォルトもその赤石には感嘆の声を漏らしていた。

 アインだけが、別の場所へ意識を向けていた。

 天井のガラス。ステンドグラスで飾られていたそれは、歯車と十字架の模様が施されている。

(そりゃ聖職者がホストなら、宗教色が強くなってもおかしくはないけど――。一体どこの神奉ってんだ?)

 疑問の目線を、再びプラシェラに向ける。が、その先にある『生命の石』が目に移って、肩を竦めた。

「とんだ再会になっちまったな」

「あら」

 プラシェラがアインに近寄る。

「貴方、『生命の石』をご存じなのね」

「まあな」

 アインも訊ねられて、微笑をこぼす。再会を喜ぶ笑みにしては、少し物寂しげだった。

「俺も、この石には思い入れがあって」


 言うなれば、あれこそ、初恋だったのかも知れない。

 幼い頃に心焦がれた、ピラミッド型の赤い宝石、『生命の石』がそこにいた。


「よお久しぶりだな」

『生命の石』のすぐ近くにまで近付き、声を掛ける。声を持たない石から、返事はなく、アインの声だけが展示室に響いた――直後。

「久しぶり」

 それは少女の声だった。

 プラシェラとは違い、少し低く、しかし心の底に響くような声。

「アインッ」

 異変に気付いたウォルトが声を荒げるが、その時には既に遅く、少女の姿をした『悪魔』が真っ赤に染まった異形の手で、アインの腹部を貫いていた。



 その場で倒れ伏すアインを確認すると、悪魔は赤い瞳を他の三人に向ける。

 そこに感情はなく、ただただ、標的を捉えているだけだった。赤く染まった翼を広げ、魔素の槍を作り出すと、周囲に解き放った。

 全てを壊すかのように。


「プラシェラ様!」

 飛んでくる魔素の槍から逃げるようにエルガーがプラシェラの手を引く。時に身を挺して守るような姿勢になったりするが、二人に怪我はなかった。

 対するウォルトも何とか魔素の槍を避けるが、数に対応し切れずモッズコートが何カ所か擦り切れていた。顔にも切り傷が刻まれている。

 だが、その表情はあからさまに明るくなっている。

 口を三日月型にして、魔素の槍最後の一本を掴んだ。

「『悪魔』。いいじゃねえかよ。殺る気マンマンってカンジだ」

 そして、あろうことか魔素の槍を噛み砕いた。

 残った槍、だった魔素の塊を投げ捨て、一歩、音もなく足を出す。

 瞬間、悪魔との間合いが一気に詰められていた。咄嗟に悪魔も腕を振るうが、そのスピードに間に合わず、ウォルトの肘撃ちに吹き飛ばされた。もう息をしていないアインを拾い上げると、エルガーのほうへ投げる。

「ソレ、後で回収するから頼んだぜ」

 隣人が作った血だまりを、古ぼけたスニーカーで踏みつけて、立ち上がった悪魔に向かう。

「やっぱりお前の事だから訳わからん事すると思ったぜ! このクソ女!」

 この場合、彼女――悪魔の事を言うなら、二十年前に強盗に入った『翼を持った悪魔』だろう。しかしウォルトには、『街で五本の指に入るクソ女』――赤コウモリとしか見えていなかった。


 悪魔は奇妙な形をしていた。姿そのものは人間――さしずめ、ウォツチ&リポートで見た、赤コウモリとは何ら変わりはない。

 しかし腕だけがいびつに変形していて、悪魔と呼ぶには相応しい赤黒いものになっている。アインの返り血が染み着いていて、更に赤く見えていた。


「それにしても」

 悪魔に向かって何発か銃弾を放って、装填しながらエルガーはウォルトを捉えていた。もう、客として迎え入れるような態度ではなく、『異形』を見るような目だった。

「あの男は一体、何者なんでしょうかな。素手で悪魔と張り合うなんて馬鹿げてやがる」

 エルガーの言う通り、ウォルトは自分の身体一つで悪魔に立ち向かっている。人間の身体など一撃で撃ち砕く事が出来る腕をあまつでさえ捌いて弾き返しているのだ。

 長い間プラシェラの用心棒をしているエルガーだが、そんな人間は初めて見た。

 気味の悪さでさえ覚えるものがあった。

「よく見て下さい」

 悪魔が翼から顕現させた魔素の結晶弾が部屋に飛び交い、地面を床を抉るなか、プラシェラがウォルトを指さす。

 ウォルトがちょうど、結晶弾を左手に被弾させながらも手にして、魔素の結晶弾――言うなれば魔素の塊を喰らったところだった。

 全て食べ終え、口を拭うとウォルトの腕から銀色の刃が、肉を、コートの袖を、突き破り生えてくる。

 人間の身体から這い出てくるには奇妙すぎる、冷たい刃。

 凶悪な笑顔が悪魔に向けられた。舌なめずりをすると、切り裂こうと再び肉迫した。

「魔素による形状変化です。理由はどうであれ、彼が人間であるかも別として、魔素の汚染に負けず活性化をさせています」

 魔素の結晶弾を銃身で弾き返すと、エルガーがため息混じりに言う。

「人間のクセに魔素を使いこなしてるってか。それとも、あの男も人間の皮被った『何か』っつうオチか」

「理論上後者でしょう。魔素に勝った時点で、ソレは人間では無くなります」

 人間の姿をした別の何か。

「なら、もうアイツも『悪魔』じゃ無いかも知れませんな」

「それは、何故?」

 プラシェラの、場違いな透き通る声にエルガーは銃声で答えた。

 銃弾は悪魔の翼に的中すると、小さなホールが開いてみるみるうちに片翼を吸い込んでしまった。

 バランスを崩した悪魔が倒れ込む。その悪魔に向かっていたウォルトの一撃も空を切るだけになり、空いた懐にエルガーの蹴りが入った。

「ッ」

 ウォルトも不意打ちに対応し切れず、エルガーに投げ飛ばされて倒れた。

「アイツ、もう誰の命令も聞かないし、狡猾な知識も使わない。全部全部、自分の力を赤石のせいにして暴れ回ってるだけの、ケモノ、って所なんじゃあないですかなァ」

 エルガーが銃口を悪魔に向けながら言う。

先ほどの特殊な銃弾に魔素を吸われたのと、ウォルトとの戦闘で身体が随分と疲弊していた。

「え、る、ガアァ」

 立ち上がろうとするがその度にエルガーに阻まれる。

「何だよお嬢ちゃん。二十年間、お前を殺り損ねてから、ずっと会いたかったんだぜ?」

 もう一度、異形の腕を伸ばすが、銃弾が片腕と片翼を貫くほうが速かった。

「何が従順な悪魔だ」

 魔素が抜け落ち、翼を失った背中は爛れていた。魔素を奪われた片腕も、少女の弱々しい腕に変わっていた。

「汚ねえケモノになりやがって」

 エルガーが少女の腕を踏みつける。細い腕は、小枝のように簡単に折れてしまった。

「あ、ああ」

 悲鳴にも成らない擦り切れた声を上げる。

「さあ、このケモノをどう致しましょう。我が主」

「ケモノ」

 


 プラシェラの声が、静かに、しかし確かに、響いた。

「悪魔であろうとも、神に仕える事が出来ると証明しようと思いましたが」

「ならば、もう必要はありません」

「神の為に、散りなさい」


 司祭の声が死刑宣告を告げる。

 銃声が吐き出される。

 悪魔は自分の死期を悟る。

 ああ、もう、悪魔でもないのか。

『ケモノ』は、自分の運命にわらった。ならば、獣のように浅ましく足掻いてやろう。差し違えるかの速さでエルガーに異形の腕を伸ばす。

 そのかいなは最後まで届かず、自分の身体を凶弾が抉る――。二十年前と同じように。

 違いがあるとするなら、今度こそ、自分は仕留められる事だろうか。


 もう、人間よりも強靱な『悪魔』ではないのだ。

 狩られるだけの『ケモノ』になってしまったのだ。


 しかし一瞬の痛みも、絶望的な気だるさも、襲っては来なかった。

 代わりに聞こえてくるのは、グシャ、という不快な音。それも二回も聞こえてきた。

「痛ってえな」

 自分の目の前で。

「ただでさえ猫背なのに、もっと肩こりが非道くなりそうだぜ」

 斜に構えたような台詞。

 恐る恐る、ケモノが顔を上げてみると、目の前には自分がその身を切り裂き、倒れ伏したはずの帽子の青年――アインが背中を向けて立ちはだかっていたのだ。

「なんで」

「そりゃ今にも死にそうな女の子が居たら身を挺してかばうのが男の鑑ってモンだろ」

 他愛もない話をするように、女の子を口説く感覚で。アインは右肩で異形の腕を、脇腹で銃弾を受け止めていた。

 受け止める、というより突き刺さっていた。

「ああでも、コレはある意味一周回って肩が軽くなるかもな。あの街シュガー・ポットの整体なんて是が非でも行きたくねえ」

 背中のケモノに向けていた目線を、不意に上へ向ける。そして、夕陽が射し込み始めた天井、ステンドグラスに、叫ぶ。

「なあお前もそう思うだろ、ヒューラ!」


 次の瞬間、ガラスを突き破るけたましい音が響いた。

 青と、薄茶、白で彩られていたガラスが雨のように降り注ぐ。

 そのガラス雨と共に降り立ったのは、尾の長い蝶の羽根を広げた『魔女』ヒューラだった。

「絶対反対だね! あんなマッドでモラルのない整体師になんか、任せられないよ」

 にやり、と魔女が笑う。ステンドグラスのような虹彩を放つ蝶の羽根は、優しくケモノの少女を包み込んだ。それから、ヒューラが少女の身体を抱きかかえて、乱暴にアインの肩から異形の腕を引き抜く。

「いっ、てえ」

 アインの肩が、力を失ってだらり、と下がった。

「お前もっと優しく引けよ、ぜってえ神経痛になる」

「神経痛ならお酒が効くよ」

「俺は大体の不調は酒で解決するあそこの酒飲みじゃねえ」

 二人の目線が、遠くでガラス雨を払うウォルトに向いた。

「あん?」

「どう、何杯くらい飲めば治りそう?」

 ヒューラの質問に、はじめ眉を落としていたが、ややあって理解したのか「ああ」と首を鳴らして自分の身体の損傷具合を確かめる。

「ウイスキー十二瓶、ってトコロかな。それぐらい飲めばまあ何とかなるだろ」

「大ボトルでか?」

「当然」

「うええ、キモい」

 三人の突然始まった世間話にケモノの少女は目を丸くしている事しか出来なかった。

 今さっきまで、死の瀬戸際に立っていたとは思えない軽快さが頭を混乱させる。

 目の遣り場に困って、アインの更に先に向ける。

 その矢先、嬉しくはないが、期待通り煮えを切らしたエルガーが二発目の銃弾を放ったのだ。

「黙って聞いてりゃ、ガキ共がギャアギャうるせえな。ここは学校でも溜まり場でも無えんだよ!」

 二発目もアインの身体が受け止める。喉に命中した銃弾だが、魔素の吸収は始まらない。

 それでも人ひとりの身体を壊すには十分の威力を持っている凶器だ。喉に空いた穴から血を流してうなだれるアイン。

 しかし今度は倒れなかった。

 どころか、よく見てみれば損傷したはずの右肩が何事も無かったかのように再生していたのだ。

「・・・・・・化け物め」

 余裕綽々だった、獲物を仕留める狩人の顔が不機嫌そうにゆがんでいる。

「化け物? 何言ってんだ、流石のアインさんじゃねーのかよ」

 潰したはずの声帯から声がする。再びエルガーが銃弾を放とうとするが、明後日の方向から投げられた凶刃に、銃身が弾かれた。

 見れば、ウォルトの腕に生えていたはずの刃が一つ無い。そしてウォルトもスローイングのポーズを取って、笑っていた。

「この、クソガキ共があ!」

 エルガーが感情任せに叫ぶ。大きな傷跡がある不気味な顔が真っ赤になっていた。

「まぁまぁ、そう怒るな。ちょっとコーヒーでも飲んで落ち着けよ」

 ほらよ、と。顔を上げたアインから投げられたのは二発の空薬莢。

 シルバーのそれにもう役目は無いが、エルガーの注意をウォルトが放った凶刃から離すには十分だった。

 ブーメランの要領で、帰り刃がエルガーの片腕と片足を削いだ。しかし彼の身体から舞ったのは、血肉ではなく、金属部品とコード、そして歯車と結晶だった。

「ほほう。こりゃ驚いた、今時の学芸員ってのは、化け物退治が出来るアンドロイドだとはなあ」

 喉の穴も塞がって、アインは調子よく口笛を吹く。そして、ヒューラが突き破った天井を見上げては、茜色の光に目を細める。

「それじゃあ日も暮れてきたし、ガキは帰らせて貰うぜ」

「残念だったな司祭様。これで、お前のブランドはガタ落ちるぜ」

 アインとウォルトの足元を、ヒューラの使い魔である黒い蝶が渦巻く。

 鈍色の瞳が、目を閉じ微動だにしない司祭を射抜く。

 言葉こそふざけていたが、射す視線は本物だった。それでも、プラシェラは身じろぎも、狼狽えもせず、ただそこに鎮座していた。

「このッ」

 反撃なのか、最後の足掻きなのか、エルガーが切り取られた機巧の腕を投げる。しかしヒューラが大きく羽ばたくとその風圧で舞い上がった使い魔達が、二人の姿を完全に消してしまった。

 ヒューラも、二人が消えた頃には既に遙か遠くの空を舞っていた。


 エルガーでも、もう追う事は出来ない。悔しさから、琥珀色の瞳が大きく見開かれ、地団駄を踏む事も出来ないので、歯軋りだけがボロボロになった展示棟に消えた。


「エルガー」

 長い間、沈黙していたプラシェラが口を開く。

 繊細な、透き通るような声が、大きな穴が空いた展示棟に抜けていく。エルガーは器用に半身を回して振り返り、頭を下げた。

「申し訳ありません、我が主。一度ではなく二度までも、あの赤石を」

「貴方がケモノになってしまっては、意味がありません。余計な感情は仕舞っておいて下さい」

「・・・・・・失礼致しました」

 深く頭を下げるエルガーを、支えるように抱く。その姿は救いを施す聖者そのものだったが、初めて開かれたその瞳――妖しく光るエメラルドグリーンの瞳には、聖なる光など映していなかった。

「身体をすぐに直して差し上げます。帽子の彼が言った通り、少しお茶でも飲んで落ち着いてから、向かいましょう」

 主の言葉に、はた、と顔を上げるエルガー。

「向かう、とは」

「当然、あの異端の街シュガー・ポットですよ」

「昔から、あの街は大嫌いでしたから」



「ああ可哀想に。私の愛しい子供は、魔素にヤられてしまったばかりに、ケモノに成り下がってしまったのですね」




 茜色に染まる空には、もう蝶の影はない。夕闇が、すぐそこまで迫っていた。



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