思慮は罪と知るべし

〈カクヨム計劃トリビュート/〉に掲載された時点での感想です。

ジョージ・オーウェルの『1984年』を連想させる社会。
『虐殺器官』の後、『ハーモニー』とは異なる方向へ舵を切った世の中。
そんな印象を抱かせる物語です。

序盤は主人公による世界設定のお話。
このディストピアが如何にして運営されているのか語られますが、その設定に唸りました。
文章の注目度や好意度はパラメータとして管理され、内容の変化の度合いすら内容維持指数(CMI)として可視化されています。
そして、主人公はパラメータを操作することで政府の望む文章を生み出します。

注目度、好意度といったパラメータはまさにカクヨムのようなサービスが模索するシステムであり、これを公的機関が既に取り込んでいる時代なのです。
そこでは内容の正当性――意味論的な言語の操作すら――数値として測れてしまう。

これらを可能としたのが〈言葉(スクリプタ)〉と呼ばれる存在。

〈言葉〉は人の感情に働きかけ、〈言葉〉の通りに思考させる。
〈言葉〉を備えた言葉は明瞭な意味を持ち、ヴィトゲンシュタインの言った「語りえぬもの」は消え失せているようです。

ゆえに主人公は、ひたすら政府のため、人々の幸福の為と盲目的に労働します。
ただ、〈言葉〉の命じるまま。

そこに意志はあるのか、思考というプロセスは存在するのか。
そうして僅かな疑問を抱いてしまった主人公は……。

早く続きを!