舞台は月面の葬儀センター。
少女が息絶えたペットロボットを持ち込むところから物語は始まる。
月の資源は貴重だ。
たとえそれがペットロボットであっても、毛皮や筋繊維に至るまでリサイクルされてしまう。
ペットロボットに限らず、月にあるインフラやロボットは耐用年数を過ぎれば分解され、別の製品へ形を変えてしまう。
私達がするように、亡骸を墓にとどめることはできない。
影も形も無くなって、もう二度と会えなくなってしまうのだ。
……この事実を、年端もいかない少女にどう伝えるべきか。
それが葬儀センターに勤める男に課せられた仕事。
彼は淡々と事実を伝える。
少女が理解できるように、少しずつ、言葉を選びながら。
そして少女が、月におけるロボットの在り方を理解してくれるよう願うのだった。
彼もまた、ロボットだから。
月面のロボット。
本作で描かれるのは、この特殊な存在の死生観だ。
ロボット(AI)の身体はやがて朽ちリサイクルされてしまう。
その精神は新たな体に受け継がれるが、世代を重ね成長――あるいは変質――し、別物になってしまう。
彼を構成する存在は消えないが、全て変わってしまうのだ。
それは、人が抱く「死」という概念とは異なるもの。
明らかな別れでありながら、どこかで常に寄り添い続ける。
きっと私達人間はこの感覚を理解できない。
同じように、ロボットも人の「死」という感覚を理解できない。
ゆえに本作では、別れの時交わされる「またね」という言葉が胸に響く。
互いの死生観の間には大きな溝が横たわるが、それでも別れを惜しみ、消えた存在を悼もうと紡いだ言葉が「またね」なのだ。
きっと私達も、将来同じような状況に遭遇するだろう。
実際、一時期話題になったAIBOの葬式では近い事があったのかもしれない。
未来における「死」の在り方を伝えてくれる、しっとりとした短編だった。
また本作は、月面における生活を描いたSFとしても楽しめた。
独特のインフラや思想、端々に織り込まれた固有名詞が月面と言う異世界を引き立てる。
テーマのみならず、舞台も丁寧に描かれ没入しながら読み終えることが出来た。
生まれ変わったピートの最初にくぐる扉が、帚木家の扉であることを願います。