あんこ論
「これ、得意先からもらったお菓子です。あそこの社長に気に入られちゃって」
部下は営業から帰ってくると、しばしばこのようにお土産をもらってくる。
「お前は取引先でどんな皮をかぶってるんだ?」
「いつもこのままですよ。そろそろ休憩ですし、食べましょう」
部下が和紙風の封をぴりぴりと開ける。
「おっ、饅頭か。いいじゃないか」
中にはこしあんと粒あんの二種類の饅頭が入っていた。
「お茶入れてきましょうか?」
「ああ、頼む」
「やっぱり和菓子はいいですね」
俺にお茶をわたして、部下は粒あんをとった。俺はまず茶を飲む。口の中を一度潤して、和菓子を受け入れる態勢を整えるのだ。
「ああ、洋菓子もいいが俺は和菓子の方が好みだ」
俺が答えると、部下は大きく頷いた。
「それも日本茶があればこそです。洋菓子にはコーヒー、紅茶、ウィスキーと、多様な組み合わせがありますが、いまいち決め手に欠けます。器用貧乏というか、八方美人というか、浮気癖とでもいいましょうか。その点、和菓子は一途です。日本茶一筋です。和菓子と日本茶、片方ずつでも美味しいですが、共に食べたときに引き立てあう両者。これは長く連れ添った
長い独白を終えて気が済んだのか、部下は満足げに粒あん饅頭を食べだした。
「ずいぶんと饒舌だな。いつものお前のように細かいことを言ってやろうか。和菓子だって緑茶にも抹茶にも合うぞ」
「ええ、それはもちろん。原料は同じですからね。振袖を着ているか、浴衣を着ているか。その程度の差ですよ。そんなことで夫婦愛が冷めるなんてことはありませんよ」
俺はその答えを聞き、ニヤリとした。
「引っ掛かったな。その論でいくと、紅茶も緑茶も原料は同じだ。だが和菓子と紅茶の相性がいいとは思えない。どうだ、答えてみろ」
「おっ、うまい茶々を入れてきましたね。お茶だけに」
「そういうのはいい」
「それはですね、育った文化圏の違いですよ。いくら遺伝子的には同一人物だとしても、環境が違えば人は変わります。紅茶と日本茶ほどの差があれば気が合わなくても無理はない――って、部長。本気ですか!」
俺が饅頭をとると、部下は目を剥いて大声を出した。
「何がだ」
「饅頭ですよ。今どっちを取りました?」
「どっちって、こしあんだが。まさかこれにもいちゃもんを付ける気か?」
「いちゃもんとはなんです! これほど大きな問題は…………」
突然、部下の口が止まった。
「どうした?」
「……いえ、別に、なんでもないです」
「そうか」
ついさっきまでの闘牛と見まがうような気迫はどこ吹く風。声も小さくなり、お茶をちびちびと飲みだしてしまった。
俺が饅頭を全部食べてしまっても、ついに部下の口は開かなかった。
部下は口をひん曲げて、なにやら浮かない顔をしている。
黙りこくってしまった部下にどことなく居心地の悪さを感じ、俺はもう一度話を振った。
「こしあんに何か言いたいんじゃなかったのか?」
「いえ、いいんです」
「なんだなんだ。気になるじゃないか」
「いいじゃないですか、こしあんでも粒あんでも」
その言葉に俺は飲んでいた茶を吹き出しそうになった。
「どうしたんだ、急に。いつものお前らしくもない。言ってみろ」
「気にしないでください」
「言わないとお前のノルマだけ二倍にするぞ」
「そんな無茶通らないですよ……。わかりました。白状します。皮です」
「カワ?」
「粒あんの皮が歯に挟まったんですよ。今からこしあんより粒あんの方が優れていると証明しようと思った直後のことでした。僕が直接、粒あんの欠点を体験してしまっては調子にも乗れません」
なるほど、状況次第で人間はこうも変わる。
議論に参加しないこいつは、酸化を進めずに作る日本茶のように大人しいものだ。
俺は二つ目の饅頭を頬張りながら、そう思った。
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