ショートケーキ論
有野実弥
ショートケーキ論
「ちょっと部長、本気ですか?」
部下は非難めいた口調で俺に尋ねた。
「本気? なにがだ」
「それですよ。苺です。なんで真っ先に苺を食べようとしているんです?」
部下が指さしたのは俺がたった今フォークで突き刺した苺だった。
「そんなの、俺の勝手じゃないか」
俺は構わず苺を丸ごと頬張った。咀嚼と共に酸味の強いそれの果汁が口いっぱいに溢れる。
「ああ! ……いえ、すいません。ただ、僕は絶対に土台から食べます。その方が間違いなく美味しいです」
「なんだなんだ。なにを美味しいと感じるかなんて俺次第だろう」
「一理あります。では、僭越ながら、何故苺から先に食べるのか、教えて頂けませんか」
「んなもん、いちいち考えてねえよ」
この部下はよくこういうことを言う。細かいことを気にするのだ。仕事でもそうだ。新人用の分厚いマニュアルの細かい誤植を全部指摘してきたときは度肝を抜かれた。
「困ります」
「何がだ」
「気になって気になって、この後の仕事に差し支えます」
「馬鹿言うんじゃない。子供じゃあないんだから」
「話題をそらさないでください。あ、さては説明できないんですね? だからはぐらかそうとしてるんだ」
「あのなあ、それこそ子供の挑発じゃないか。……説明くらいできるさ」
待ってましたと言わんばかりに部下の顔が輝く。
「じゃあお願いします」
「いいだろう。まず、ショートケーキはだな、甘味と酸味。この二つが大切だろう?」
俺は特に考えもなかったが、口が回るに任せて喋り始めた。
「ええ。僕もそう思います。だから部長のしたことは不可解なんです。だって……」
「まあ、話を聞け。甘味と酸味をバランスよくとるべきだとかなんとかいうつもりだったんだろう? だから一気に酸味だけを口にすることが理解できなかった。そうだろう?」
「まあ、大筋は」
奥歯にものが引っ掛かったような言い方をする。
「例えば絵画を考えてみろ」
「カイガ……。絵ですか?」
「そうだ。絵を描くときに必要な絵の具があったときに、お前はそれを最初に全部混ぜて、キャンパスを一色に埋めるのか?」
「いや、絵なら埋めませんが、今は……」
俺は遮って続ける。
「埋めないだろう? 抑揚というものが必要なんだ。メリハリだ。全部バランスよくってのはつまらない食べ方だ。最初に酸っぱい苺をガツンと頬張ってだな、自分の舌を苛め抜くんだ。酸っぱければ酸っぱいほどいい。それで舌も、喉も、苺の果汁でコーティングされた後にいよいよご褒美だよ。抹茶の後のお菓子、仕事の後のビール。まあそんなとこだ。甘いホイップクリームだ。最初はまだ苺でコーティングされてるからな。そんなに甘くは感じない。でも、だんだんホイップクリームが果汁を絡めとっていく。グラデーションが生まれるんだ。俺はそれを楽しみにしてるんだ」
いつもの茶々を入れず静かに聞いている部下にいい気になって、つい大人げなく喋り過ぎてしまった。だが、これで部下も言い返す余地はないだろう。
「もういいですか?」
「は?」
「もう部長の肯定側立論は終わりですか?」
「ん? ああ」
「じゃあ僕の反駁ですがね」
「反駁?」
はあ、と大げさなため息を付いて部下が切り出す。
「甘いですよ。部長。論が甘い。丁度部長の皿に今乗ってる、この苺のないショートケーキのようです」
「うまくねえぞ」
「では、お言葉ですがね、部長。そんなに長々と喋られて、まだ口に酸味は残っていますか?」
俺がこの後、部下に口酸っぱく説教をしたのは言うまでもない。
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