温泉サウナでひと休み
紅葉は良い。
桜は散るのが早すぎる。桜の美しさには儚さがありきで、美しさを語るのにそういう能書きを垂れないといけない。少しでも緑が混ざれば終わったものとされてしまう。
梅は好きだが、口に出せば粋人ぶっているなどと言われかねない。
紅葉はただその美しさを愛でていればいい。儚くもなく、大衆的で、その色彩を綺麗だと言えば許される。
目前に広がるのは水彩のパレットのようなごちゃ混ぜの色。しかしどのように混ざっても汚くなることはない安心感がある。
俺は露天風呂に浸かって紅葉を眺めていた。社員旅行である。
「紅葉はいいですね」
部下が隣に座ってきた。
「ああ」
また何か言い出すかと思ったが、部下はそのままぼんやりとしている。
肩を湯から出す。少し寒くなってきた時分である。のぼせることもなく、時々吹く風が心地いい。
ひらり、もみじの葉が舞い落ちた。白く濁った湯面に鮮やかな紅が映える。
「今日はえらく静かだな」
つい皮肉を言ってしまう。
部下の耳に届いているのか否か、俺の出した声量が朧げになるくらいの時間を置いて部下が、
「部長、サウナ入りませんか」
と応えた。
「サウナか、あの水風呂が好きじゃないんだよな。心臓に悪そうで」
「まあ、いいじゃないですか」
背中がむず痒くなるような発言だ。殊に、この部下に限っては。
却って興味を惹かれ、俺はサウナについていった。
木製のドアを開けると熱気が溢れ出す。
先客はおらず、部下と俺はタオルを腰に巻いて中段に座った。熱い空気が鼻腔を緩やかに刺激するため、自然と呼吸が深く、少なくなる。
「さっき、電話があったんです」
部下が唐突に話し出した。
「大学時代から付き合っていた彼女からでした。僕たちは別れた方がいいんじゃないか、と」
驚いた。仕事のことでも滅多に愚痴を言わない部下が、俺に恋愛相談をしようとしている。俺は相槌をせずに、一言一句聞き漏らさないようにした。
「もう4年になりますから、結婚も、少しは考えていたんです。結局口には出しませんでしたが、いつ切り出そうかタイミングを計っていた部分もあります。ですが、考える内に、自分でもよく分からなくなっていたんです。結婚ってなんでしょう。結婚って良いものなんでしょうか。それとも悪いものなんでしょうか。僕には、答えは出せませんでした」
部下はそれきり、目をつむり、口をつぐんだ。
俺の結婚はどうだっただろう。プロポーズは何の捻りもなく、少しだけ背伸びをしたレストランで「結婚しよう」と一言だけだった。妻のことを世界で一番の女だとは思わなかったが、世界で一番愛していたことは間違いない。そして、それは今も変わらない。
だが、もし妻と結婚せず別れていれば、おそらく新たな一番と結婚していたはずだ。
「俺には分からないさ。そもそも俺は結婚しない人生なんて考えたくなかったし、今独身ならどういう生活をしているのかも想像できない。だから審判には向かない。お前はきっと結婚に肯定の意見と否定の意見、どちらも十分考えたんだろう。そのあと頭の中で十二分に議論を重ねたはずだ。それなら、判断できるのはお前しかいないだろう」
呼吸の度に胸部が膨れる以外、部下は微動だにしなかった。
俺は目の周りの汗を拭った。サウナは暑すぎる。
「ただ、近くに白黒つけなくてもいい人がいるっていうのは、意外と楽なもんだぞ」
そう言うと、初めて部下がニヤっと笑った。
室内の温度に我慢できず、俺は立ち上がる。
「もう出るからな」
「そうですね、僕も出ます。それと部長」
声のトーンがいつもの調子に戻っていた。
「なんだ」
「サウナの後は水風呂の前に、少し外を歩くんですよ。そうすれば心臓への負担は軽くなります」
「知っているさ」
再び俺と部下は露天風呂へ出た。
紅葉は、色が混ざるから良いのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます