~小さな恋の物語~ 鋼鉄のバレンタイン 

ニセ梶原康弘@カクヨムコンまた落選

鋼鉄のバレンタイン

バレンタイン。


「ああ、千葉ロッテにそんな監督がいたなぁ」

「西暦二七〇年にローマで殉教したテルニーの司教のことだね」

「昔、アントニオ猪木と戦ったプロレスラーにそんな奴がいたなぁ」


等々、目に涙を浮かべて年一回訪れる現実から目をそらす男性は世に多いのではないでしょうか。 


ただでさえ未婚男子の多いこの日本社会に、更に格差を生まんとするこの社会風習の蛮行!

二次元嫁を愚弄し、「ただしイケメンに限る」を助長するようなこの狂騒をイケメンではない我々は許していいのか? いいわけないよな!

さぁ、みなさんご一緒に!


「恋愛格差粉砕ッ!」

「おおーッ!」

「モテる奴等は一人残らず生き埋めにしろーっ!」

「おおおおおーーッ!」



 そんなこんなでバレンタインにチョコレートを贈るなどという南蛮渡来の行事こそは軽薄な消費社会である日本の現状を端的に示す一例であろう、と嘆かわしく思うので、今度こそ「バレンタイン撲滅キャンペーン実行委員会」を結成しようと日夜オレ様は……え?単にひがんでるだけだろうって? う、うるさいよッ! 


 この時期が来ると、街角のケーキ屋やお菓子屋、デパートに花のように群がってチョコレートを買い求める女の子たちの楽しげな姿を見かけるので「くそう、ここにバズーカ砲があったらあそこに一発お見舞いしてやるんだが……」などと、ついつい物騒なことを思ってしまうのですが、今回ご紹介するのは現代の甘いチョコレートの恋物語ではありません。

 今から七八年前、第二次世界大戦に登場した「バレンタイン」という名のイギリス戦車が誕生するいきさつについての、ちょっとほろ苦いエピソードです。






 時は一九三七年。

 ヨーロッパ大陸に鉤十字のきな臭い戦争の匂いが漂い始めた頃、イギリスでは次第に高まりつつある戦争の足音を感じ取っていたのか、急かされるように軍が兵器の開発や生産に追われていました。動員の下準備も水面下で始まっていました。

そんなある日のこと、イギリス軍需産業の大手メーカー、ビッカース社に大騒ぎが持ち上がります。

 ビッカース社が開発したA一〇型戦車の生産が突如として打ち切られ、軍が自主開発した「マチルダ」戦車の増産依頼が持ち込まれたのです。


「我が社はA一〇型戦車を開発してたのに別の戦車が追加生産されるのか!」

「我が社の兵器開発は認められないのか?」

「これまでの開発投資が無駄になってしまう!大損だぞ!」

「えらいことになった……」


 ちなみに既に一七〇台余りが生産されていたA一〇型戦車は、リベット打ちの装甲に最高速度二〇キロ余りという、この頃には既に旧式な観のある戦車でした。

 ですが、まさか自社以外の戦車生産を依頼されるとは。ビッカース社にとっては、まさに寝耳に水の出来事でした。


「何とかならないのか!?何としても何とかするのだ!何とか出来る者はおらんのか!?」


 何をどうして何とやら。

 吼えたける社長を前に周章狼狽の会社首脳陣は右往左往。

 しかし、何とかしろといっても軍からの依頼にダダをこねていたら仕事がなくなってします。(ここらへんの悲哀は日本の中小企業もイギリスの兵器産業も変わりませんね)

 結局「マチルダ」より高性能の戦車を開発して軍に打診する他に途はないのですが、いかに大手軍事メーカーといっても高性能な戦車の開発が一朝一夕に出来る筈もありません。彼等は途方に暮れるばかりでした。


 このまま、軍の命令に唯々諾々と従うしかないのか?

 このピンチを救う救世主はいないのか?


 しかし、そんなある日のこと。

 「あるものを創意工夫してまかなう」というイギリス人らしい発想を持った一人の社員が軍への打診案を提案します。

 ついに社長の祈りが天に通じたのです! 直ちに社内での検討会議が開かれました。 


 彼が提示したのは新型戦車ではなく、A一〇戦車をベースにマチルダと競合出来る性能の歩兵戦車をなるだけ短期間で開発しようというプランでした。

 彼の説明によるとA一〇型戦車の車体そのものの性能は決してマチルダに劣っておらず、むしろ優れているとのこと。そこで「古い皮袋に新しい酒」の例え通り、エンジンやシャーシ(車体)はそのままで、その上に新しいデザインの装甲と砲を載せて出来るだけ性能の刷新を図ろうというものでした。

 シャーシを新しく設計する必要がないのぶん、性能的にさほど目立ったものは見込めませんが、開発期間や試作車両のテスト期間を短縮出来ました。

 そして、それは来たるべき戦争への準備に間に合うという可能性を示していました。 


 ビッカース社は非常な希望を抱いてこの計画を陸軍省へ提出します。

 提出された計画は、軍によって検討された結果承認され、戦車には「バレンタイン」の名が冠せられました。

 計画が陸軍省へ提出された日。その日が二月一四日だったからです。 


 さて、ここでイギリスから眼を転じてヨーロッパ大陸に向けてみると、まだ第二次世界大戦こそ始まっていませんでしたが、ナチスドイツが不気味な動きを見せていました。

 一九三五年三月。ヴェルサイユ軍事条約を破棄し再軍備に着手。

 翌三六年三月、非武装地帯のラインラントに進駐。ロカルノ安全保証条約を破棄。

 同年七月、スペイン内戦が勃発。ドイツは義勇軍の名で軍を派遣。

 また、ドイツ国内では軍が大規模な演習を頻繁に繰り返していることが探知されていました。そして、それが近い将来何らかの軍事行動に向けたものであることは、もう火を見るより明らかでした。


 世界情勢に敏感なイギリスは、チェコスロバキアやポーランドといった東欧諸国の政情にドイツが関与し始めたことも察知していましたが、未だに戦争に対する準備が欠けており、チェンバレン首相はドイツに有効な外交圧力をかけることが出来ませんでした。(チャーチルはこの頃まだ下院議員でした)

 そこで彼等は、宥和政策によって戦争を回避しようと模索していたのです。

 しかし、軍の指導者はそれに何ら甘い幻想を抱いておらず、早急に軍備を整える必要性を認識していました。

 そのため、ビッカース社にはバレンタイン戦車の開発計画こそ承認しましたが、充分な開発期間を与えることが出来ませんでした。

 危機はらむヨーロッパ。そして迫り来る戦争を前に様々な制約の枠内で、マチルダ戦車に劣らない性能を求められた「鋼鉄のバレンタイン」。


 社運のかかったこのやっつけ工事を考案しその設計に取り組んだ男は、実は若干三〇代の青年でした。





 彼を初めて見る人は、技術者らしくない彼の風貌に戸惑うでしょう。

 優しげな風貌に小さな丸メガネをした、少し気弱そうな好青年。バレンタイン戦車の設計者、ウィリアム・ノーランドは、いかめしい戦車の設計図を黙々と引く技術者というよりも学校の教師、それも、風采は上がらないが子供たちに慕われる人の良い先生のように見えました。

 また、話し下手でもあったらしく、ビッカース社に残された資料を見ても、彼が出席している会議の議事録に彼の発言はほとんど見られません。

 彼の同僚だったビッカース社員が戦後書いた回想録に、そんな彼の人となりを示すエピソードがあります。

 ある時期、社内の至る所に花が飾られることが多くなったので女性社員が気を利かせたのだろうと思っていたところ、そうではなかったので、誰が飾ったのか社内に尋ねたところ、答える者は誰もいませんでした。

 ノーランドが一人で花を買って来て、一人で飾っていたことを知っていた何人かの社員は彼を見ましたが、答えようとしてどもった彼がうまく言えずに黙ってしまったので、それを見た彼等も言い出せなくなったのでした。


 そして何故彼は花を買ってくるのか、それも謎でした。


 同僚が、ノーランドがロンドンのとある街角で美しい花売りの少女に気づいてもらおうとして花を買っていたことを知ったのは、それからずっと後のことでした。 



 ”彼女も毎回花を買い求める彼にはとうに気づいているので、言葉をかければいいのだが、彼は、例によってうまく話し掛けられないので、結局黙って花を買うことを繰り返していたのだ。私は「このままいくと君が破産する頃には我が社でも花屋が開けるぞ」と、からかったのだが彼は一向に肯んじなかった。だが、花を買うと他の客よりひときわ素晴らしい笑顔を見せてくれる彼女にノーランドも嬉しそうに微笑んでいた。だから、人にはこのことを黙っておくことにした。” 



 おそらく、ノーランドという青年は黙っていても何となく人と意志が通じるような雰囲気を持っていたのでしょう。これは私の確信に近い推測です。


 このように彼は口ベタだったので、会議や打ち合わせで口調を荒げて論議を戦わせることは一度もありませんでしたが、自分の構想するコンセプトを論議のなかで曲げることも決してありませんでした。

 様々な制約のなかで設計にあたったノーランドは、実に地味で堅実なプランを引きました。

 「マチルダ」の競合戦車として野心的な性能を求める会社首脳陣に対して、彼はA一〇型シャーシの車重限界が一六トンであることを指摘してそのような構想を「バレンタイン」で実現するのは実際的でないと主張します。

 彼はバレンタイン以前にA一〇型戦車の設計助手をしており、A一〇型シャーシについても熟知していた為、彼の説明には充分な技術的根拠がありました。

 会社は彼の主張を承認するしかなかったのですが、だからといって彼もこの戦車を寸法なしのやっつけ工事で終わらせるつもりはなかったのです。 


 やがて、時を経て出来上がった新型戦車「バレンタイン」の性能は、カタログデータ上では、備砲はやや小さな四〇ミリ砲、時速はマチルダと同じ鈍足の二四キロというパッとしないものでした。

 しかし、鈍足と引き換えに施した最大六〇ミリの装甲はマチルダと全く同じ堅牢さを証明し、更にコイルスプリング付きのボギーサスペンションは不整地で抜群の走行性能を発揮しました。

 また、整備しやすい構造で戦場における高い稼働率が見込めることを窺わせました。

 決して高性能とはいえませんでしたが、耐久力や運用性、稼働率といったカタログデータには現れにくい、これらの優れた点をテストに立ち会った軍の関係者は見逃しませんでした。

 野心的な性能こそ望むべくもなかったものの、マチルダ戦車にない利点をバレンタイン戦車の特徴として抜かりなく盛り込み、それによって活路を見出そうとした彼の目論見は見事に成功したのです。


 軍に引き渡され、テストを受けたバレンタインは、しばらくしてイギリス陸軍に正式に採用されます。軍備計画が整い次第生産を発注する旨が、ビッカース社に知らされたのです。

 社長の喜びたるや思うべし。謹厳実直な彼はその日、陸軍省に打ち合わせにゆく社員を自ら送り出しました。

 ただ見送ったのではありません。有頂天の彼はホテルのベルボーイのように玄関に乗り付けたタクシーのドアを御自ら開けて社員を乗せ、送り出したのです。 


 しかし、結局バレンタインの生産が実際に開始されたのは、第二次大戦が始まってから後のことでした。

 フランス侵攻を阻止する為に派遣されたイギリス軍の戦車隊にバレンタインの配備は間に合わいませんでした。

 わずかな数のマチルダ戦車と非力な軽戦車がドイツ軍の前に果敢に立ちふさがったのですが、怒涛のような電撃戦の前に壊滅したのでした。


 しかし、生産開始こそ遅れたものの、いったん生産が始まるとイギリスは持ち前の工業力を動員し、「鋼鉄のバレンタイン」は終戦までに何と八〇〇〇台が生産されました。

 まず、風雲急を告げる北アフリカに送られ「砂漠の狐」ロンメルの戦車軍団と戦い、それを皮切りに様々なヨーロッパの戦場に送り出されていきます。

 更に、レンドリースによってロシアにも大量のバレンタインが与えられました。

 また、二五ポンド砲を搭載した自走砲、地雷原や壕を乗り越える特殊工作車といったバリエーションも開発され、アメリカ軍の主力戦車シャーマンやイギリスのクロムウェル、ファイアフライ戦車が登場するまで、勝利に奢るドイツ軍に立ち向かっていったのです。

 エルアラメインの砂漠で、零下のスターリングラードで、クルスクの草原で、イタリーの泥濘で、そしてノルマンディーの海岸で……。


 その設計思想において非凡な才能を見せた設計者ノーランドでしたが、彼が手腕を発揮したのは「鋼鉄のバレンタイン」が最初で最後となりました。

 敬虔なクリスチャンでもあった彼は、迫り来る未来の戦争において自分の設計した戦車が戦場で多くのイギリス人の生命救うと同時に大勢の枢軸国の兵士の生命を奪い、その家族が悲しむ様子を思い、次第にたまらなくなったのです。

 戦争がなければ、戦車など金のかかるガラクタにしか過ぎません。

 しかし、それが彼にとって「理想の戦車」だったのです。

 本当に戦争が始まることをその身に感じたとき、鋼鉄のバレンタインが、戦場で多くの生命を奪う、そんな当たり前のことに彼は気がつき、良心の呵責に耐えられなくなったのです。

 彼が優秀な能力を持ちながら不適格な職にいたことは間違いないでしょう。

 兵器に、ヒューマニズムは存在しないのですから……



 彼は「バレンタイン」の設計が終わると同時に職を辞しています。

 それは奇しくも、彼の計画が陸軍省に提出されたのと同じ日、二月一四日でした。

 おそらく、彼は戦争への関わりをこれ以上持ちたくなかったのではないでしょうか。

 しかし、これからおよそ一年半後の一九三九年九月、ドイツはポーランドへ侵攻を開始します。

 戦渦はやがて世界を覆うのですが、神ならぬ彼にはそれを知る由もありませんでした。

 会社を去る日、彼は同僚に「今日、勇気を出して彼女に声をかけてみるつもりなんだ」と語っていたといいます。 


 一九三八年二月一四日。

 この日は雪が降っていました。

 それは、神様からやがて来る巨大な戦禍を前にした世界への、せめてもの贈り物だったのかも知れません……。



 彼の、その後の消息を示す記録はありません。



 オレ様はあの日、舞い降りる雪のなかで彼がついに小さな愛と巡り合った……そう信じたいと思います。

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