結局あのこはうまくやるのよ。

日崎アユム/丹羽夏子

結局あのこはうまくやるのよ。

「仕方があるまい」

 王が重々しく口を開いた。

 双子の姫たちが蒼ざめた。

「お前たちのうちのいずれかを嫁に出すこととする」

 玉座の前でこうべを垂れていた二人が揃って顔を上げる。

 覚悟はしていた。いつか異国に嫁ぐ日が来る。自分たちには、夫を選ぶ権利どころか、生まれ故郷に永住する権利すらない。けれどそれは受け入れていたつもりだ。王家に生まれた者のさだめである。いつかはこの身にかえて保護し養育されてきた恩に報いなければならない――そう思ってはいた。

 しかし見通しは甘かった。それでも、夜ごと開かれる舞踏会で出会った誰かと結ばれるものだと思い込んでいた。城の夜会には近隣諸国の御曹司たちがもれなくつどっていた。父はいつの日か自分たちをこの中の誰かのところへやるのだと信じていた。

 それもこれもすべてあのならず者たちが現れるまでの話だ。

 その蛮族はある日突然河を遡ってやって来た。

 伸ばし放題の金の髪を振り乱し、筋骨隆々とした腕で斧や槌を振り回す者たちだ。凍てついた北の海から来たのだという。城下町に至る道のりで略奪の限りを尽くした。各地の警備隊は何ら役に立たぬまま彼らにほふられている。

 暮らしはなんとか守られた。兄である王子が国の誉れたる騎馬隊をもってしてかろうじて城壁の外で進撃を食い止めたためだ。しかし、彼らは今なおすぐ傍で息をひそめている。彼らがその気になったら今度は城下町で戦が始まるだろう。そしてその戦は必ずしも勝利を約束されたものではない。

 王は穏便な解決を望んだ。今のところ周辺諸国との関係は悪くない。けれどどこぞが弱ればどこぞが兵を挙げるのも世の常だ。万が一挟み撃ちにされたらいくら我が国と言えども滅ぼされかねない。ましてこれから冬が来る。いたずらに兵を消費し国庫を疲弊させるわけにはいかない。王はただ戦に勝てばよいわけではないのだ。

 王命を拝した使者が命懸けで蛮族どもの首領と交渉した。結果返ってきた蛮族どもの回答はこうだ。我々は常日頃北方の貧しい土地で寒さと飢えに喘いでいる。このたびは南方の豊かな土地を求めて来た。しかし我々はなにもこの国の滅亡まで望んでいるわけではない。このように大きな国を自ら治めることはあたわぬ。戦とあらば情け容赦する次第はないが、同盟関係を結ぶというならば考えようがある。

「彼奴らは同盟関係を結んだ証を要求しておる。人質を差し出すほかあるまい」

 眉間に深い皺を刻んだ王が言う。

「余とて本意ではない。他国に知れたらここは蛮族に膝を屈したのだとして侮られかねぬ。しかし事実あの蛮族どもは強い。これ以上王子を危険に晒すわけにもいかぬ、あの子は余の唯一の跡取りなのだから」

 言葉を失った姫たちに、「堪えてくれ」と訴える。

「どうか彼奴らのふところ深くに潜り込んで情報を得てきてほしい。今後また彼奴らがこの国に攻めてきた時にそれ相応の対応をするにはそのほかにない」

 拒否権がないのも分かっていた。兄を錦の御旗に掲げたはずの騎士たちが恐れを知らぬ蛮族どもを前に士気を失ったことも聞いている。今度は自分たちが蛮族どもと戦うのだ。

 けれど、それでも、

「どちらが行くのですか」

 姉は震える声で訊ねた。

「二人とも参らねばなりませぬか」

 王は首を横に振った。

「そこまで退くつもりはない」

「では、どちらが……」

 嫌な思い出の数々がぎっていった。

 妹はいつも姉より一枚上手だった。お姉様の方がしっかりなさっているから、お姉様の方が頭が良いから、お姉様の方が世情を分かっているから、だから、わたくしは仕方がないの――そう言ってある時は逃れある時は得てきた。自分は持ち上げられながらもおとしめられているような気がしていた。良い思いをした記憶は一つもない。

 庭の池で遊んでいたことが家庭教師に見つかった時は、妹はわざと自分が姉をそそのかしたのだと訴えていた。妹は品がないと叱られながら同時に無邪気な童心が愛らしいと父に言われていた。姉は自らの過ちを素直に認めようとしないとがで責められて居心地の悪い思いをした。

 母が身まかった時も、妹は兄の前でうまく泣いて父に遺品を優遇するよう口を利いてもらっていた。結果姉は品数こそ多く引き継いだものの本当に欲しかったものはほとんど妹に持っていかれた。

 最後の夜会、平和な時が崩れ去る直前の宴の席でもそうだった。気がついたら、妹は隣国の王子と踊っていた。はしたないと言われながらも自ら彼に手を伸ばした妹が勝利したのだ。姉はひとり壁の花となり涙を呑んで二人を見つめていた。

 今回も同じかもしれない。今回も、嫌な役をやらされるのは自分の方かもしれない。

 妹が口を開いた。

 姉はうつむいた。そして自分に言い聞かせた。嫁入りが決まれば海を渡ることになる。移住だ。これで妹と離れられる――そう前向きに捉えるしかない。

 しかし――予想外のことが起きた。

「わたくしが参ります」

 目を見開いて妹の顔を見た。

 色を失った顔は自分と同じ造形をしているとは思えぬほど美しいと思った。

「お姉様には今までさんざん迷惑をおかけしてまいりました。わたくし、今度こそ、お姉様に甘えてきたことを清算したく存じます」

 王は「そうか、えらいぞ」と妹を褒めたが、姉は今度こそ嫉妬を覚えなかった。むしろ、自らの浅ましさを恥じた。

 妹は分かっていたのだ。自分がずっと妹を妬みそねみ羨んできたことを――自身が恨まれていることを、何もかも承知の上で行こうとしているのだ。

 なぜゆるしてやれなかったのだろう。たった一人の片割れではないか。

「あなた――」

「いいのですお姉様」

 妹が微笑む。

「お姉様は何も間違っておりません。それに、わたくし、お姉様もご存知のとおり、とてもしたたかなのです。どこへ行ってもうまくやっていけますわ」

 「そのとおりだ」と、王が言う。

「姉は少し繊細過ぎるきらいがある。お前の方があの蛮族どもに交じっても上手くわたっていくだろう。頼りにしておるぞ」

「はい、お父様」

 妹がドレスをつまんで父にお辞儀をした。

 姉は頬に涙が流れ落ちるのを感じた。

 腕を伸ばした。妹を抱き寄せ、彼女の長い髪に顔を埋めて嗚咽を漏らした。

「ごめんなさい、わたくし――」

「泣かないでくださいませ」

 妹も姉の背中に手を回す。

「勘違いなさらないでくださいませね。これは自分に自信があるからできることなのです。お姉様はもっとしっかりなさって」

 そして耳元で囁く。

「忘れないでくださいませね。わたくしが行くことを。お姉様ではなく、わたくしが、行く、ということを。お姉様は一生、わたくしのことを引きずって生きてくださいませ」




 しかし、だがしかし、だ。

 城に現れた蛮族の首領の青年を見て、姉は絶句した。

 長く伸ばされた金の髪は丁寧に編み込まれ不潔な感じはない。ひげを剃り上げた頬も若々しく自分たちとそう年の変わらない青年であることが分かる。携えられた剣は彫り込まれた細工が美しく彼らの芸術文化の精神性が高いことを暗に示していた。

 冴えた空のような碧眼には、穏やかだがどこか困惑した表情が宿っていた。

「まことによろしいのか。むろん我々の側としては姫を迎え入れる用意はある。しかし我々の世界に華やかな舞踏会などない、苦労ばかりおかけすることになるだろう。それで姫の方はご満足いただけるのか」

 頬を染めた妹が甲高い声で「はい」と答えた。青年もまた耳まで赤くしながらうつむき「そうか」と呟いた。

「戦うことばかり考えてきて女性の上手い扱い方はひとつも知らぬ武骨者だが――」

「いいえ、いいえ、わたくしとて何かを知っているわけではございませんから」

 姉は呆然としたまま二人のやり取りを見守った。

 しまった。純朴そうな感じも高い背も、何もかもが好みだ。

「戦の神に誓おう。我ら戦士たちはこの姫がある限り貴殿の国のため戦うと」

「おお、ありがたい! 余もそなたの嘘偽りなきまなこを信じて必ずや物資を用意する。これは姫を飢えさせぬためでもあるのだ、くれぐれも頼むぞ」

「委細承知」

 青年は「では参るか」と言いきびすを返した。妹が弾んだ声で「はい」と言って青年のたくましい腕をつかんだ。

 妹が一度振り向いた。

 姉に向かって舌を出して見せた。

 姉には妹を見送ることの他に何もできなかった。

 してやられた。

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