飲眠眠打破我即時覚醒而全夢幻如作品未完成

波野發作

第1話くわしいことは察してくれ

 詳細についてはイベントの事務局に問い合わせてもらうとして、俺は今二つの原稿の仕上げをするという使命を負っている。どんな原稿かは一切述べられない。俺も編集のはしくれ。守秘義務厳守はDNAにまで刻まれているからだ。


 その原稿を仕上げる羽目になったイベントは二日間で行われる。初日を終えて、俺は二人の作家から原稿を託され、朝までにどこをどう直すかを整理して赤ペンで染め上げて戻すことを約束し、ホテルへ入った。


 シャワーを浴び、一息ついたところで睡魔と淫魔が襲い掛かってきた。

 淫魔は流石に門前払いをくわらせることに性交したが、睡魔の方はどうにもしつこい。いくら体操をしたり、顔を洗ったりしても一向に帰ろうとせず、俺の頭の上に居座っているのだ。しかもどうやら少しずつ数が増えているらしい。おのれ睡魔ども。


 自力解決を諦めた俺は、薬物に頼ることを決めた。ほぼ半裸だったところにコートを羽織り、財布を手にコンビニへ急ぐ。コンビニはホテルから少し遠いが、まあダッシュで往復すればすぐだ。たいした距離ではない。


 深夜のオフィス街には人気がない。終電も終わったタイミングであれば、OLはおろか酔っぱらいサラリーマンすら歩いてはいない。走ってもいない。走っているのは徹夜を決め込んだロートル編集者の俺ぐらいのものである。


 とは言えすぐに息は切れたので、走るのをやめ、たらたらと歩き始めてしまったが、それは俺の怠惰ではなく、単なる老化現象による衰えに起因する。歩いていても息切れはする。暗く静まり返る街に、コンビニエンスストアだけが煌々と周囲三十メートル四方を照らし、深海の龍宮城のごとく俺を誘惑していた。


 コンビニで俺は世界で二番目に睡魔に効くというドリンク剤を二本買った。

 一本は今飲むため。もう一本はホテルで飲むためだ。

 そして世界で最も睡魔に効くというドリンク剤はここでは扱われていなかった。俺はオーナーの見識を疑ったが、深夜に静けさを取り戻すような問屋街には必要ないのだろう。ああいうものは、もっと明け方まで赤ペンがブンブン振り回されているような本屋街あたりにこそ相応しい。


 コンビニを出てすぐ、買ったばかりのドリンク剤を一本飲み干す。ちょっとビターだが甘い。のどにまとわりつく不快感が、睡魔を体外に排出してくれるのだろう。少しむせながらも俺はその御利益に期待してホテルへと足を向けた。


 大通りを渡る交差点で赤信号に進路を遮られた。うぬ。体が冷えてくる。走ってるうちはそうでもなかったが、ちんたら歩いていると季節の特色が心身に染み込んでくるではないか。左右を見るとこちらに向いているヘッドライトはなかった。俺は反則とは知りつつも合理性を優先して横断歩道をの突破を試みた。


 小走りに凍結したストライプを駆け抜ける。法を破る快感に、少し背徳感を感じながらも、俺は走った。ゴールラインを突き抜ける頃に、背後で青信号に変わるのを感じた。俺は少しだけ気が早かったようだ。そんなことを考えていたらニヤつきが止まらなくなった。


 ホテルのネオンサインが見えた時、野太い声に呼び止められた。


「ちょっといいですかね」


 道を尋ねられたかと思って振り返ると、いきなり懐中電灯が向けられた。俺は眩しさにむせた。思わず顔をしかめる。


「すみませんが、ちょっと職務質問させていただけませんかね」

「あ、はい」

「荷物はないのかな? ポケットになんか入ってます?」

「あ、いえ、財布とこれだけです」

 俺は財布とドリンク剤を見せた。

「ちょっといいですかね」

 ポリスマンは俺のドリンク剤を確認した。

「これは未開封ですね?」

「ええ、まあ。買ったばかりなので」

「身分証明書かなんかはありますかね」

「あ、はい」

 俺は素直に運転免許証を取り出して、ポリスマンに差し出した。

 ポリスマンは懐中電灯で俺の免許証を照らし、まじまじと見た。そして再び俺の顔に懐中電灯を照らした。何度か免許と顔を交互に照らした。少し回数が多いようにも思うが、俺が今ヒゲを生やしているのでわかりにくいのだろう。仕方がない。これはファッションなのだ。


 ポリスマンは通信機のスイッチを押した。

「えー、照会お願いします。番号は*************です」

 通信機の向こうでなにやら声がするが、よく聞き取れない。

「あー、了解。それでいいです」

 ポリスマンは通信機を切り、再び俺に興味を示した。

「はいじゃこれ」

 俺に免許証を返してくる。礼の一つもないのはどうかと思うが、とく悪びれた様子はない。いずれにしても俺は指名手配犯でなければ、前科もない。テロリストでもないし、狂信者集団のボスでもない。ましてや指定暴力団の構成員でもない。これでこの職務質問とかいう災厄も終わるだろう。早くホテルに戻ろう。俺には原稿が待っているのだ。

 嗚呼! 愛しき玉稿たちよ!


 もう解放されるだと思ったそのとき、意外な言葉がポリスマンの口から漏れた。

「ちょっと前あけてもらってもいいかな」

 何? 前?

「え?」

「コートの前を開けなさい」

 なんだ?

「コート?」

「そのコートの前をね、ちょっと開けて見せて」

 そこで俺は思い出した。


 コートの下には何も着ていない。ズボンは履いているが、上半身は裸だった。

 善良な市民である俺にとくにやましいところはないが、状況は芳しくない。あえて言うなら危機的状況である。


「どうした。なにかあるのか」

 コートの開放に応じない俺に不信感をいだいたのか、ポリスマンの態度が変化する。青鬼から赤鬼に変わった感じだが、まあ鬼は鬼か。フォームチェンジしたポリスマンが尚も俺を責め立てる。なんと仲間を呼び始めたではないか。


「えーこちら岩本町二丁目路上にて、不審者発見。応援をこう」

『ザピー。こちら警ら三、了解。急行する』


「あの、おまわりさん、俺は怪しいものでは」

「言い訳は署で聞く」

「あの、でも時間があまり」

 そうだ。ここで連行されたら俺の原稿たちが真っ白なままホテルに置き去りだ。それでは明日正午の提出に間に合わない。バカな。ここまで頑張ってくれた作家たちになんと詫びればいいのか。ここはなんとしても切り抜けて、一刻もはやくホテルに戻らなければ!


 俺は警官が目を離したすきに、ホテルめがけて駆け出した。全力で振り切ってホテルに飛び込めば、あとはホテルマンが保護してくれる。ホテルマンは客を守るのが使命だ。金を払わない客以外は丁重に扱ってくれるものだ。

 走っても走っても足がついてこない。もどかしい思いで俺は泳ぐように光の海でもがいていた。振り返ると警官が増えている。パトカーが何台も追いかけてくる。いつの間にかパトカーじゃないものもまで俺の追い立てる。あれは、理事長? なんで俺を追うのだ。ああ、作家連中もいるじゃないか。待ってくれ必ず朝には赤字をまとめてお前たちに返す。それまで預かるだけだ。決して作品を奪い取ろうなんて思っていないのだ。信じてくれ。俺は足をからませて地面に転がった。



 ベッドから落ちて目が覚めた。


 しこたま肩を打ってうなりながら立ち上がる。

 床には校正用紙が散らばっていた。どうやらいつのまにか眠ってしまったらしい。すっかり睡魔からも解放された。俺は勝ったのだ。状況に勝ったのだ。もう今日の勝利は揺るぎないものだろう。待っていろ俺の作家たち。栄冠を君たちに!


 床のまっさらな原稿を拾い集めて、ふと顔を上げると、カーテンの隙間からまばゆい陽光が差し込んでいた。


 やれやれ。



 

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