経営コンサルタントとしての経験は、御世界にて軍師を勤めるにあたり、お役に立つものと考えております。

江辺一真

プロローグ

 その日、少女は悲しみに暮れていた。

 友の亡骸を前にして、ふと昔のことを思い出した。

 ほんの200年前まではこのエクルスの森にもたくさんの妖精たちがいて、豊かな自然の中でみんな楽しく遊んでいたのだ。

 しかし今は誰もいない。


 魔物たちの侵攻が進むにつれて、他の妖精たちは徐々に姿を消してしまった。

 森は日に日に面積を減らして、動物も、植物もやがて居なくなった。

 だが、それでも少女には気の合う友達がいたのだ。……昨日までは。

 なので今は誰もいない。

 木々も命を散らして昔より狭くなったとはいえ、少女はこの森にひとりぼっちだ。


「あぁ、世界の理の調停者たる大精霊アダムスよ」


 だから少女は妖精の言い伝えに従うことにした。

 310年前だったか、309年前だったか、いつだったかは思い出せないが、とにかく当時一番長命だった妖精が教えてくれた、とても古くからの伝承。


 この世界の調和が乱され危機に瀕したとき、かの者を召喚せよ。

 妖精たちが最も愛するものを失ったとき、かの者を召喚せよ。

 その土地に住む全妖精たちの総意によって、かの者を召喚せよ。

 愛する者の亡骸を大精霊へ捧げることで、かの者を召喚せよ。

 世界に調和をもたらす、かの者を召喚せよ。


 少女はそれを実行した。


「魔王の軍勢によって命を落とした私の友達の魂を捧げます。どうか彼女の魂に安らぎと平穏をお与えください。そして……」


 たまに風の精霊たちが運んで来るささめきを聞いてみれば、人間たちも住む場所を追われているらしい。

 このままではきっと人間も、いずれは妖精と同じように絶滅してしまうだろう。

 やはり言い伝えに従って、魔王をやっつけてくれる人を呼ぶしかないのだ。

 少女は意を決すると、横たわる友の体へと火の精霊を導いた。

 ほどなくして、木々の間を抜けて1本の白煙が天高く伸びた。


「……そして、願わくば大精霊アダムスよ。この世界に平和をもたらす勇者さまを、どうかお招きください!」


 少女の声に応えるように白煙は光を放ち、そして徐々に広がっていった。





 その日、日々銀ひひがねたすくは朝食を終えて、まず書類の整理をした。

 昼前から郊外ショッピングセンターへの対抗策を講じる中小小売店を対象として、販売戦略マーケティングの講演会にて弁舌を振るった。

 続いて夕方からは、大手メーカーの下請け受注を目指したいという工業部品工場の製造工程マネジメントを行う。

 最後に一頻りの挨拶を終えると、それからようやく自宅兼事務所への帰路についた。


 すでに日はとっくに落ち、ひと気も減った頃であったが、今日はまだ一仕事残っているのだ。

 27歳で経営コンサルタントとして独立してから早1年。

 ようやく得た事業再生の大仕事だ。

 これを成功させればハクもついて大きな仕事も入りやすくなるだろう。

 まずは帰って、債権者への説明資料の作成だ。財務分析は一通り終えたし、おおよその資金繰りの計画案もできた。

 あとはそれを基にして依頼者クライアントの代わりに利害関係者ステークホルダーへ説明を行う。

 最初は拗れるケースもあるだろうが、相手に伝わるようにしっかりと説明をして、上手くいけばやっとゴールが見えてくるという寸法だ。


 自宅はもはや資料作成のために帰る場所と化していて、先週からはずっと仕事の合間に仕事をするような生活が続いている。

 今月はきっと1年で一番忙しくなるだろう。

 そう。確かにキツイ生活だが、タスクにも夢があった。


「名前が売れれば、同じような講演をしても実入りが変わってくるだろうし、人を雇って財務分析とかの受注を増やしてもいいかも知れんなぁ。『所長』なんて呼ばれて、いい車乗って、キャバクラに連れて行ってくれるような交際費持ちの取引先も増えるかもだし」


 うへへへへ、と含み笑いが漏れそうになる。

 稼いだ分は遊ぶ。それこそがタスクの信条であり、つまりはたくさん遊ぶためにはたくさん稼がなくてはならないのだ。

 一刻も早く戻らねばと路地を抜けつつ、ひと気がないのを良いことに、成功を夢見てついついスキップなんぞしてしまう。

 もちろんタスクとしても、やらずにすむならダラダラとサボっていたい。だがキツイ仕事も成功への道筋をイメージすればなんのそのだ。


「おっと」


 曲がり角の先からちらちらと光が漏れているのに気づいて脚を緩めた。いい歳をした男が一人でスキップをしているのを見られたとあっては、流石に恥ずかしすぎる。

 自転車でもいるのだろうと平静を装って曲がってみるが、予想に反して何もなかった。


「……何だこれ?」


 そう。予想に反して何もなく、そこには光しかなかった。

 もちろん街灯の光ではなく、色合いは昼白色だが蝋燭の炎のようにちらちらと揺らいでいる。

 不思議なことに光源が見当たらない。それに目線から膝丈程度までは間違いなく光を放っているのに、地面はほとんど照らされていない。


「こんな技術ありえるのか? プロジェクション・マッピング? でも空中だぞ……。なんだこりゃ?」

 少し不気味だが知っておけば個人的な投資や、工業系企業のマネジメントの受注時に役立つかもしれない。

 思わず手を伸ばしてしまうタスクであったが、


「……うぉあ!?」


 あー、昔読んだライトノベルにこうゆうのあったなぁ、と気づいた時にはすでに眼前は真っ白な光に包まれていた。





 思い返せば確かにそういった物語はタスクの記憶にある。

 平凡な生活を送っていた学生がひょんなことから、こことは違う異世界に召喚されてしまい、そして特殊な能力を駆使して可愛いヒロインたちと一緒に戦うのだ。


「……さま」


 女の子たちはみんな主人公に気があって、ちょっぴりヤキモチやきで。


「……者さま」


 そう。こんな風に可愛い声で……。


「勇者さま!」


 だが、ふと現実に戻る。たとえ夢でもそんな妄想にひたる年齢ではない。タスクとてその程度は無意識に自覚している。


「……なんだこれ」


 だからこそ、目の前の光景が理解できなかった。

 先ほどまでは夜の住宅街に、具体的には午後9時半に、用地区分で言えば第二種住居地域の路地に居たはずだ。

 なのに、周囲を見渡せば暖かい日光に照らされながら木々が生い茂っている。

 そして……


「勇者さまぁーっ! 本当に来てくださったんですねぇーーっ!」


 寝転がった自分の腹の上を見れば緑がかったブロンドヘアの少女。ただしどう見ても身長は30センチに満たない程度にしか見えない。


「……なんだ。なんだこれ。自覚が無かっただけで、俺は日々の生活にそんなに疲れを感じていたのか?」


 思わず自分の頬を思い切り抓ってみるタスクであったが、その行動からも然したる成果は得られなかった。


「痛い。確かに痛いが、果たして実際に夢の中で自分の頬を抓る行為を実行した人間が世の中にどれだけいて、その内の何割がそれが夢であると実証できたんだ? いま脳が感じているのは痛みではなく『自分で抓って痛みを感じたという事実を思い描いた結果だけ』であるのかも知れないだろうが」


 慌てて飛び起きる。腹に乗っていた小さい生き物が「ふぎゃん」と鳴いたがそんなことを気にする余裕もタスクには無い。

 近くに生えていた木の幹に目を付け、思い切り頭を打ち付けた。

 痛みは無い。もう一度試すが、ひたいが切れるどころか痛みすらない。


「痛くない。……はは。なんだ、やっぱり夢じゃないか」

「あ、勇者さまぁ。ラムゼイの木を見るのは初めてですか? 樹皮にすっごく弾力性があって、人間さんたちはそれでクッションや枕を作るんですよぉ」


 余計な言葉が聞こえた気がして、念のため幹を指で押してみる。


「……天然素材のくせにいい具合の低反発。……ああ、これは売れそうだな……」


 タスクとて馬鹿ではない。

これ以上あれこれと試さずとも、思考が思い通りに働き、指先の感触が滞りなく脳に認識されているのを見れば、少なくともこれが夢では無いことはとっくに分かっていた。


「あのー。勇者さまぁ? 大丈夫ですか? なにか召喚で不備があったんですか?」


 この小さい生き物が背中から光の羽を覗かせて飛んで来ても今更吃驚して叫んだりはしない。


「待て。言葉が通じるならそこで止まれ。それ以上近寄るな」

「え? わ、私なにか失礼をしちゃいましたかぁ!?」


 オロオロとする小さい生き物の様子にまずは安堵した。どうやら悪意は無いようだ。タスクは職業柄、ある程度人の挙動を見ることには慣れているつもりだ。

 まぁそれが謎の生き物に通用するのかは分かりかねるが。


「俺……自分は日々銀佑です。28歳。生まれも育ちも東京で、職業は自営で経営コンサルをやってます」

「あ、そうですよね。はじめて会ったら挨拶ですよね。人と出会うのは100年ぶりくらいなのでうっかりしてましたぁ! 私はアリスタです」


 アリスタという名前以外はよく分からない内容であったが、言葉が通じて会話が成立するだけの知能はあるらしい。


「俺の常識では人間は俺とそう大きく変わらない身長が殆どで、金髪の人種はいても緑がかった髪の人は恐らくいなくて、寿命は長くて100年前後なんだけど」

「はい! 私の知ってる人間さんもそんな感じです。私の知ってる人間さんは、寿命は長くて70年くらいですけど。でもよかったぁ。勇者さまは人間さんのこと詳しいんですねぇ」


 なんだかまったく会話が進んでいない気がする。


「いや、キミみたいな30センチ弱の人間は見たことないって言ってるんだけど」


 これではまるで海外の伝承や絵本などにある、そう。いわゆるアレである。


「あ、これは失礼しました。私たち妖精種もここ150年で数を減らしましたもんね。人間の方は妖精なんて最近は見慣れませんよね。あっ、私はこのエクルスの森の木々から生まれた妖精なんですけど」

「いや……」


 どうやらいわゆるアレだったらしい。

 アリスタと名乗る生き物は本当にアレだったらしい。

 そして全く会話のキャッチボールが成立しない。


「いやいや。そうじゃなくてですね。俺の常識では今も昔も、少なくとも普通の人間の知る限り妖精なんて実在しないし、樹皮がクッションのような木も存在しない。俺が知りたいのはなぜ俺にとってこうまで非常識なことが当然のように発生しているのかと、ここがどこなのか、そしてなぜお前が俺がここにいることを当然だと認識して、俺のことを変な呼び方しているかだ」


 まとめて質問をしすぎたきらいもあるが、タスクの中の嫌な予感が適当ならばこれらの質問の答えは一つに帰結する。

 そう。認めたくはないが、きっとここは……


「えぇーーーーっ!! 勇者さまはひょっとして……異世界から来たんですかぁーーっ!?」


 きっとここは異世界なのだから。


「……って。えっ!? それお前が驚くの?」



 ……


 その妖精とやらは、三つ編みをぷらぷら揺らしてペコリと頭を下げた。

 うなじには肩甲骨に届く程度の長さの三つ編み。左のもみあげにも小さい三つ編み。

 緑がかった金髪を2箇所で結ったヘアスタイルは、少しエスニックっぽくもあり、言われてみれば森っぽいというか、妖精っぽいという気もしないでもない。


「では! 改めまして、アリスタです。大精霊アダムスの導きにより勇者さまを召喚させて頂きましたぁ。勇者さまって大精霊さまのような、なんか超常的な場所からいらっしゃるものだと思ってたので、私とってもビックリです!」


 妖精たちの文化的なものなのか、いちいち腕を大きく振ったり広げたりとぱたぱた身振りを交えて話す様子は、なんとなくせわしない小動物っぽい。


「いや俺の方が吃驚だから。なんで召喚なんてしちゃったの。こんな普通のアラサーを」


 納得はいかないが、タスクとしてもとりあえず会話を進行させて事態を理解しないことには否定も肯定も逃げも隠れもできない。

 摩擦コンフリクトの発生は状況を進展させるのに必要だが、そのためには双方が現状を理解して、会話の地盤を固めなくてはならないのだ。


「はい。妖精に伝わる古い言い伝えなんですよぉ。世界がピンチのときに妖精たちの総意で、大切なものを生贄に捧げると世界を救ってくれる勇者さまを召喚できるって」


 彼女が先刻から2人称として用いていた単語に、何となく抱いていた嫌な予感が少しばかり的中してしまった。


「妖精たちの総意って、つまりその妖精の皆さんが俺に何かを望んでるってこと? それに大切なものを生贄にって?」

「いえ。今はもう妖精は私一人だけなんです。妖精は自然の意思を得た魔力の集合体ですから、満喫できる平和が無くなるとみんなもとの自然に戻ってしまうんですよ。なので先日の魔王軍の侵攻で亡くなった友達の体を生贄に捧げて、勇者さまをお招きしましたぁ」


 また聞きたくもない単語が増えてしまう。


「あー。それは、なんとも、お悔やみ申し上げます」

「ありがとうございます。彼女がオタマジャクシだった頃からの仲ですから、それはもう悔しくて、カタキをとってあげたくて……」


 タスクもぼちぼち葬儀に出席する機会も増えてきた年頃だ。

 期せずして奪われた命で、ましてやそれがオタマジャクシの頃からの長い付き合いなど、その悲しみは想像も……


「え? 待て待て。その魔王とか言うのも気になるけど、オタマジャクシ? オタマジャクシって言ったのいま? 妖精の仲間じゃなくて? オタマジャクシなの?」

「いえ。妖精の仲間はもう150年くらい見てないですねぇ。それにオタマジャクシだったのは昨年の話です。今年は成長して私を乗せて跳べるくらい立派なブレトンオオガエルになっていました。なのに、魔王軍の侵攻の際に山犬蜥蜴マウンテン・コボルトに踏んづけられて……。そのまま帰らぬ人に……いえ、帰らぬカエルに……」


 大切な友人だったのは事実なようで、タスクとしても、「うっ、うぅっ」と顔を覆って泣き呻く妖精になんと声をかけて良いのか分からない。

 そしてカエルを生贄に自身が召喚されたという驚愕の事実にも、動揺せざるを得ない。


「あぁ。そ、それで。その魔王っていうのは?」


 あまり聞きたくもないが、これ以上カエルの話もされたくはなかった。


「はい。200年前くらいに北端の地に現れた魔物の王です。最初の150年くらいは人間やドワーフと戦力も拮抗していたんですけど、戦争の度に数を増やすアンデッドや、繁殖力の高いコボルトなどに対して人間はちょっとずつ数を減らしたみたいです」


 タスクとしてもそういった軍事やファンタジーに精通している訳ではないが、話としては理にかなったものではある。


「なので勇者さま! どうか魔王軍をやっつけて、あの子のカタキをとってあげてください」


 小さな瞳に涙を浮かべて訴える妖精。

 答えは一つだ。


「いや無理」

「……え?」


 学生時代は野球に勤しみ甲子園一歩手前というところまで行ったタスクであったが、今は徹夜明けに辛さを感じ始めた28歳だ。

 百歩譲って、血気盛んな10代の少年時代だったなら考えたかもしれない。当然戦いなどできるはずもなく、すぐに泣きたくなっただろうが、それでも少しくらいは考えたかもしれない。

 だが少し冷静になればきっとすぐに気づくだろう。一般的な価値観で考えて、現代の標準的な日本人が魔物とやらに勝てる訳がないと。


「いや、どうやって倒すんだよ。ここがどうゆう世界か知らないけど、平たく言うと商人とか情報屋とかそうゆう系統ですよ。俺の仕事は」

「えぇーっ!? ゆ、勇者さまって剣の達人じゃないんですかぁ?」

「剣なんて触ったこともないけど」


 学生時代の選択授業は柔道だった。おまけに野球好きだった体育教師のおかげで、それすらも3回くらいしかやっていない。


「ハ、高位魔導師ハイクラス・ソーサラーでいらっしゃるとか……」

「それは俺が聞きたいわ。魔法が使えるの、俺?」


 召喚に妖精、魔王。続いて魔法が来たところで、さして驚きもしない。


「いえ、その……勇者さまからは魔法属性マナエレメンタムを感じません。残念ですけど、人間で適正リテラシーのある人はそんなに多くないって聞きますから」


 騒がしく喋り続けてきたアリスタであったが、どうやらようやく状況を理解し始めたようで、もともと小さな体が、背筋が丸まった分さらに小さく見える。


「念のために聞くけど、その大精霊様の加護で身体能力が向上したり、あらゆる武器を使いこなせる力とか、あらゆる魔法を無効化する力とかが俺に宿ったりは?」

「そういった話は特には。……すみません」


 タスクとしても特に期待はしていない。

 たとえそんな能力があったとしても、それを適切に使用して敵と戦う、などということは普通の人間には難しいだろう。


「いや。こっちこそスマンな。力になれなくて。じゃあ悪いけど、家に帰らせててもらえるかな? 今ちょっと仕事も立て込んでてさ、ホント悪いな。じゃ、頑張れよ」


 アリスタには悪いが、タスクにできることは何も無いし、そもそも初対面の他人の仇討ちに協力するような稀有な人柄でもない。


「……え?」


 目をまんまるく見開いて、ぽかーん、とするアリスタ。 


「……え?」


 タスクもまた、鏡写しで応えた。


「えっと、私は儀式を行っただけで、勇者さまを導かれたのは大精霊アダムスのご意思ですから」

「うん。……アダムスのご意思ですから? なに?」

「……その。……もとの場所にお戻りになるっていうのは、私や勇者さまの個人の意思では無理……なんじゃ……ないかとぉ……」


 コンサルタントというのは常に冷静でなくてはならない仕事だ。

 冷静に情報を収集して、冷静に現状を把握し、冷静に分析して、冷静に事態を改善へ導く。


 それ故に、タスクは冷静に思った。あぁ、目の前が真っ暗になるって、こうゆうことなんだなぁ、と。

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