プロジェクト6【戦略実行】:後編

 その頃、第1大隊のいる主戦場への援護に向かう魔導師隊を護衛していたサーブリックたち多角戦略隊は、予期せず出くわしたゴブリンと鳥猿類の軍団に囲まれていた。


 魔導師たちがいれば時間をかけて殲滅できない数ではないが、いま戦略的に魔導師が必要なのは第1大隊だ。それにサーブリックの隊に配備されているのは、多角的運用を考慮して鎧を一部外して戦盾を小型化した戦盾騎士だ。

 人数から言っても、魔導師たちを無傷で守り切れる状況ではない。


「こりゃ皆で残るのはよろしくないスね。戦盾騎士は魔導師を護衛して、あそこから一点突破。残りのメンツは、悪ぃが、ここでアイツらと遊んでもらうぜ」


 ともあれ魔導師たちを送り届けさえすれば、主戦場を攻略できるはずだ。

 弓兵はもちろん、剣士たちも異論は唱えなかった。


「ぐ、軍師殿の指示を仰いだ方が良いのでは……?」


 魔導師の一人が言うが、先ほどから本陣の通信は混み合って待たされることもあったし、ハーズの様子から察しても向こうは向こうで相当に立て込んでいるのだろう。

 タスクが手一杯な様子も目に浮かぶし、それにサーブリックは理解していた。

 敵のほぼ全戦力の様相が明らかに見えた以上、自分たちの一先ずの、この一戦での任は果たしたと。へらへらとやる気のない隊長を筆頭とした剣士弓兵20名、その価値は魔導師たちに比べ遥かに軽いし、手一杯の軍師さんの思考を煩わせるほどでもない。


「いんや。報告は必要ねぇっしょ。いいか? アンタらは戦盾騎士と一緒にここを突破して、黙って魔法をぶっ放しに行けばいいんスよ。総員、放て!」


 合図に合わせた弓兵の一斉射に魔物が怯んだところを狙って、剣士たちが道を作り、戦盾に守られた魔導師たちが一斉に突破した。

 あとは、周囲を取り囲むこの魔物どもと遊んでやるだけである。


「全員、風属性攻撃魔法ゲイル・ハンマーに注意しろ。俺たちじゃ食らったら一発でオジャンだぜ」


 にじりよってくる魔物たち。

 その上に飛ぶ鳥猿類に向けて矢を放つ。

 通常は障壁ごしでは命中させるのは難しい。魔力拡散を図るのが目的の魔法障壁だが、風属性障壁魔法ブリーズ・ファウンテンは相性的に矢の狙いを逸らす効果も秘めているのだ。

 サーブリックは親友のように風見の魔法ストリーマ・フォーサイトも使えない。

 だが、天性の感覚で放たれた矢は、左へ弧を描いて的確に鳥猿類の首を射抜いた。

 それを皮切りに、先頭の魔物たちは一斉にサーブリックたちへ飛びかかってくる。


 剣士たちが身構える。だが、魔物たちは飛来した水属性攻撃魔法ウォーター・バレットによってその身を射抜かれた。

 何事かと振り返れば、すでにここには居ないはずの魔導師の姿を見つける。


「うぉい。何やってんだ、ガキンチョ。なんで騎士たちについて行かなかった」


 一人残っていたのを小さくて気づかなかったのだ。

 構わず突進してくる魔物たちに、剣士が迎撃を開始し、サーブリックも弓を引く。


「ガキじゃないです。ロシュです。確かに普通の魔導師ならば足手纏いですが、この国で2番目に優れた魔導師ならば問題ないでしょう」


 そして高速詠唱によって即座に次の魔法が放たれた。

 サーブリックも知っている。レイトリィアも習得していたスキルだ。


「それに、走ればきっと追いつけますよ」

「はっ……そりゃ違いねぇわな」


 魔物たちを指揮する鳥猿類を次々とサーブリックが射抜き、他の弓兵もその隙に乗じる。

 ロシュの魔法攻撃からこぼれたゴブリンを剣士たちが次々と切り捨てる。

 徐々に敵は数を減らし突破口が見え始めた。

 そんな頃だった。大地が隆起し、弾けた岩の弾丸によって剣士と弓兵10人近くが一斉に吹き飛ばされる。


「地属性攻撃魔法(ロック・ブラスト)か!?」


 コボルト・ロードの大群が現れたのかと思った。

 だが周囲を見渡しても見当たらない。


「なんだ……こいつぁ?」


 居るのはどう見てもスライム1匹。ただし通常の10倍近いサイズだ。


二属性バイエレメンタムスライムですよっ!」


 ロシュが叫んだ。

 サーブリックも聞いたことがある。

 通常のスライムは水属性の魔法を用いる。

 だが、成熟したスライムは、人間の頭蓋骨を苗床にして子を産み、そしてごくまれに、その人間の脳髄に浸み込んでいた魔法属性を吸収して変異体のスライムが生まれてくると。


 だが水と地の2属性ならば、ロシュの負けはない。

 風属性で最悪でも8割強を相互拡散、上手くすれば地属性への貫通を狙える。


風属性攻撃魔ゲイル・ハンマー!」


 なによりロシュには高速詠唱がある。並のスライムの属性結合などで追いつけるものではない。


 だが、ロシュの放った魔法は粉々に消し飛ばされ、そして逆に攻撃が飛んできた。

 サーブリックに引きずり倒されなければ、ロシュは今頃、『炎に焼かれていた』だろう。


「……ト、三属性トリエレメンタムっ!」


 スライムがもともと持つ水属性魔法に加えて地属性と火属性。


 そして地と火の属性を持つ二属性魔導師は王国には居ない。

 居るとすれば、いや、居たとすればそれはただ一人。水、地、火の三属性を操る女性魔導師ただ一人だ。


「……っ!」


 杖を潰さんとばかりに握りしめて、ロシュは立ち上がった。

 飛び出そうとしたところで、だがその肩にサーブリックの手が置かれる。

 止めようとも無駄であり、何と言われようと戦おうと思ったロシュだったが、サーブリックから出た言葉は彼の考えとは異なるものであった。


「周りの雑魚は俺が殺る。お前はあのヌルヌル野郎をぶっ殺せ」



 そして、サーブリックの方が先に駆け出した。

 あえて魔物たちの注意を自分へ向け、群がるゴブリンの剣を躱し、飛び交う風属性攻撃魔法を転がって回避しながら弓を弾き続ける。

 そもそもサーブリックは、特にレイトリィアと親しい訳ではなかった。知人以上友達未満程度だ。大人しい性格とは裏腹な、出るトコの出たボディラインにはそそられるが、でもサーブリックの好みはもっとアクティブな女性なのだ。


 だがある日、なんだか近頃相方の様子が妙だな、と思ったことがあった。

 もともと酒の席では、サーブリックは道化的発言と常識的発言を交互に使いこなして笑いを取っていくスタンスだった。

 そして、同じ村から共に都に出てきたアーレイは、体を張って笑いを取りに行く典型的なイジられ芸を得意としていたのだ。なのにその頃のアーレイときたら、なぜか妙にイジり芸にご執心で、しかも笑かしたあとの引き際がヘタクソで、相手に泣きべそをかかせてしまうのだ。それもいつも同じ相手に。

 そうして、どうしたんだお前と訪ねて、やっとアーレイは「やべ、俺ってレイティに惚れてるかも」と白状したのだ。ともあれ、アーレイとは逆に女性の扱いに長けていたサーブリックは、色々と手を回してやることにした。


 その頃には国も大変だったが、サーブリックには親友がいつまでも童貞な方がずっと大問題だったのだ。そしてついにアーレイは「明日、彼女に告白するよ」と決意し、そして、それが二人が交わした最後の会話となった。

 ちなみにサーブリックはこの国の人口の6割が信仰するアダムス教の信者ではなく、出身した村での信仰に従っている。


 なので、こうして魔物の群れに飛び込んだ訳だ。

 その信仰に、かたきを討つ教えがある訳ではない。際立って女性を大切にする教えがある訳でもない。

 だが、魂は自然へと還元されるというアダムス教の教えと異なり、彼の信仰では善者の魂は死ぬと天へと昇って、そこで安らぎを得るのだ。

 なのに彼女の魂があそこに捕らわれていては、アーレイはあの世でも童貞確実になってしまう。

 だから、矢を撃ち尽くしても、短剣を弾き飛ばされても、それでもなおサーブリックは戦い続けた。


 転げ回って魔法を避け、そこへ覆いかぶさって来たゴブリンを蹴り飛ばす。

 同時に拾った石を革袋に詰めて、ゴブリンの顔面めがけて振り回す。落ちている矢を見つけては拾って、鳥猿類を撃ち落とす。

 背後から斬りつけられようとも、その手をとって投げ飛ばし、剣を奪って、サーブリックはなおも戦い続けた。



 ロシュもまた、残った僅かな剣士たちの手を借りて魔物の間を走り抜けながら、スライムからの魔法を回避し、あるいは防御する。

 魔法が放たれた次の瞬間にはすでに次の詠唱を開始し、即座に再び放つ。極限まで高まった集中力は、常人のおよそ6倍近い魔法回転率を発揮したが、それでもなおスライムに魔法は到達しない。

 三属性スライムの魔法発動は、王国最速であるロシュすらも僅かに上回り、その上で完全に計算しつくした運用をしてくる。

 ロシュの詠唱による発光で結合する属性が特定できればそれを貫通する属性の魔法を、特定できなければ風属性の攻撃か障壁を発動してくる。


 水と風の二属性魔導師であるロシュには風属性に対して相殺以上の結果は望めない。

 圧倒的に魔法戦で劣っているのにこうして無事でいられるのは、走り回ってギリギリで回避しているからだ。

 だがその繰り返しの間に、既に残り僅かとなった剣士や弓兵はどんどん倒れていく。


 タスクは逃げる為に走れと言ったが、ロシュはそもそも、その似非軍師が好きではない。

 だから、スライムを目指して前へと駆けた。

 火属性攻撃魔法フレイム・アローが迫る。詠唱していた風属性障壁魔法ブリーズ・ファウンテンでは防ぎきれない。だがそれでもロシュは脚を緩めなかった。貫通した炎の矢を身を捩ってなんとか回避して、燃やされたローブを脱ぎ捨てて、走った。


 地属性攻撃魔法ロック・ブラストを防御し、盛り上がった地面に躓き転んだが、それでも走った。

 スライムに肉薄し杖を思い切り叩きつける。大した効果は得られず、今度は懐から取り出した儀礼剣を突き立てるが、やはり大した効果は得られない。


 それどころか、ゴポリと泡立った場所から触手が生えてきて、ロシュの両手は捕られた。

 骨も肉もない水の塊のくせに力は強く、両の手は意図しない方向へと動かされていく。

 だがそれでも、


「……ふっ……ざけんな。バケモノ! あの腕立て伏せの方が、お前なんかよりずっとキツかったぞ!」


 渾身の力で、再び杖と剣をスライムの体へ突き立てた。

 スライムには物理攻撃は効果が薄い。

 ロシュの属性ではどうやっても有効打は望めない。

 だが、ロシュは王国で2番目に優れた魔導師であり、こんな魔物ごときに負けることは決してない。彼より優れた魔法の使い手は姉だけだ。


水属性攻撃魔法ウォーター・バレット! 風属性攻撃魔法ゲイル・ハンマー!」


 ほとんど詠唱らしい詠唱もせずに、突っ込んだ両手にそれぞれ、2つの属性を同時に結合させる。

 思い返すとロシュにはタスクが嫌いだった理由がもう一つあった。

 はじめて彼が皆の前に立った際、ただでさえニワカ知識の魔法理論を提示した上に、ロシュに言わせればあり得ないくらいの、重大な間違いを堂々と言ってのけた。そして更に気に食わないのは他の魔導師が誰もそれを訂正しなかったことだ。


 あの時タスクは、「無関連属性や同属性同士ならば共に100%消滅する」と言ったが、厳密には同属性なら相互消滅。無関連属性ならば相互拡散するのだ。そして、ロシュが12歳の時に書いた論文のテーマは、『魔力的密閉下における相互拡散』だ。


 スライムの体内で魔力が結合され、二つの属性の発光現象がロシュの顔を照らした。

 逃げ場を失った相反する魔力属性マナエレメンタムは、どんどんとその魔力的密閉空間を膨らませた。

 やがてボコボコに泡立った三属性スライムは、粉々に弾け飛んだ。


 ロシュもまた盛大に吹き飛ばされて、ゴロゴロと転がって岩に打ち付けられた。

 そして自身の理論の正しさに笑って、そして姉を思って泣いた。



……


 そのときマクレラントの感じたそれは、あるいは走馬燈のようなものだったのかも知れない。

 ゴブリン・ウォリアーの振るう斬岩剣の一閃が首へと届くかという瞬間、マクレラントは少しだけ冷静さを取り戻せた気がした。


 同時に振るった自分の剣閃もよく見えた。

 どちらが速いということもないが、たとえ頭を斬り飛ばされても、胴体だけでもとどめを刺せる自信はあった。

 よちよちと歩く歳の頃から剣を振るい続けてきた体だ。頭など無くともそれくらいの仕事はしてくれるだろう。


 事実、マクレラントの剣はゴブリン・ウォリアーの顔面を深くえぐり、返す一閃で深く目を斬り、最後に深く突き刺した。

 そしてマクレラントの頭は、青く濁った返り血と赤い鮮血、その両方を滴らせた。


 だがしかして、マクレラントの首はいまだ繋がっている。

 ゴブリン・ウォリアーの剣撃は、戦盾を一刀両断して、だがそれでも、アトキンソンの屈強な前腕によって止められていた。


「ふざけんな、耄碌ジジイ……。アイツに続いてアンタが居なくなったら、誰が俺の相手をするんだよ……」


 肉を斬られ、骨も断たれ、だがキャズムはそこで止まっていた。


「自分の隊はどうした馬鹿者……まったく、この国はどこを向いても……困った倅ばかりだのう」


 そもそもこの男は、ラガードやマクレラントに勝ったことがないどころか、その辺の中堅剣士にもしょっちゅうに負けているというのに、いつも懲りずに剣士隊を訪ねてくる。


 本当に困った男だと、マクレラントは目元を拭った。





 あと、一歩。あと一歩足りなかった。

 もともとのアローダイヤグラム分析はどこを短縮する必要があるのか、どこに余裕があるのかを分析する手法だ。


 それは要素を細分化して莫大な量の計算を行い、要素間の戦力の移動と、戦場間の近接性相性関係を考慮に入れたタスクの改良版であっても同様であり、これはあらゆる効率化や戦略策定、戦力投入の指針なのだ。

 だが、その全てを実践してもあと一歩足りない。


 紙一重の差でこちらの一画が崩される。

 一つが崩れれば、あとは決壊したダムのように、押し寄せる魔物に潰されるだけだ。


「軍師さまぁ。ここの38っていうトコロでコボルト・ロードの迎撃に魔導師隊に行って貰えば……」


 流石のアリスタも普段のふざけた雰囲気はない。

 タスクからしても悪くない意見であり、よくそこまで理解してるなと言いたい。

 だが、


「駄目だ。38工程で魔導師隊を動かすと、どんなに走らせても、57工程に絶対に間に合わない。障壁が追いつかなければ第14戦隊……リオさんの隊が全滅する。フォローを回せばそこに穴が開いて終わりだ」


 それでも足りない。

 主戦場の時間経過と、敵後続の予測時間を測っていた砂時計を改めて見る。不可能は一目瞭然だ。

 第3大隊はすでに回遊作戦から外して第1、第2大隊と同じ主戦場の右翼に展開させているが、障壁が無ければ鳥猿類と接敵した際に長くは持たないだろう。


 そもそもアローダイヤグラムは数字の順番に要素が進む訳ではない。あらゆるものが複雑に絡み合うものだ。

 そして、そのあらゆるものを全て計算しつくしても、足りないのだ。

 諦める気はない。だがどうするべきか。抜本的にすべてを見直すべきだろうか。

 それとも一点突破を試みるか。いや、それこそ全滅が近づくだけだ。


「タスクさん。アージリス騎士長が、タスクさんをお呼びして欲しいと」


 アージリス隊には夫婦貝を渡していない。近隣に展開させていた第4大隊のものを使用したのだろう。

 そこまでしてなんの用だと言いたいが、正直何をしていた訳でもないのはタスクの方だった。


「本陣より、騎士長。どうした?」

「なぜ敵軍のコボルト・ロードどもに迎撃を出さない? このままでは遠からず接敵するぞ」


 この騎士は当然、交信の研修は受けていないので藪から棒だ。


「あぁ。分かってるが、今魔導師隊を動かせばその後に第3大隊を守り切れないんだよ。お前は分からんかも知れんが……」

「あぁ分からんな。ここに動けるものが居るではないか」


 確かに分からなかった。一体どこに居るというのか。


「貴様はあのとき私を見透かして騎士長にして、してやったりと思ったかも知れんが、私とて貴様の考えくらいは見抜いている。魔法攻撃を迎撃しながらオーガを食い止める策が無いのだろう!」


 あれを根に持っていたのかとも言いたいし、そんな戦場を見れば分かることを得意げに言うなとも言いたい。タスクは色々言いたかった。


「私たちが向かおう! 指示してくれ」

「勝手に動かなかったことは評価したいが、相手に魔法があるって本当に分かってるのか。後衛にコボルト・ロードとウィル・オ・ウィスプ。前衛にはオーガもいるんだぞ」


 魔法障壁が無ければ集中砲火を浴びることになるのは目に見えている。


「そんなことは分かっている。だが私たちの戦盾ならばある程度は持ちこたえられるはずだ。それにこちらからも仕掛ければ敵の攻撃の手も多少は緩むだろう」


 そんな計算は思案するまでもなく済ませている。


「いや無理だろ。お前の隊に腕利きの戦盾騎士が多いのは知ってるが、どう考えても小さい砂時計4回転……12分強で崩壊するから」


 戦盾騎士の魔法攻撃に対する平均被弾可能数は3回。アージリス隊でも平均4回。アージリスであっても6回がいいところだ。


 コボルトロードとウィル・オ・ウィスプの魔法発動は弓の届く範囲でおよそ1・4回毎分。

 弓の届かない範囲でおよそ2・1回毎分。

 オーガ1体に対するアージリス以下4戦隊の有効撃破率はおよそ2・4体毎分。それも魔法攻撃に曝されながらであれば約半分にまで落ちる。

 これを件の敵軍にぶつければ12分で隊列が崩壊、18分で全滅する計算だ。


「確かに貴様は先見の明があるし、学ばされる点もあった。貴様の策も信じよう。だが、貴様も私たちを信じろ! おそらく他の隊長たちも今頃は貴様の予想を上回る働きをしているはずだ」


 確かに現場の人間を育て、そして信用するのは、経営者や戦略策定者の務めでもある。

 だが、無理を成せと命じることは、断じて違う。

 否が応でもアルフリードとその隊員たちの顔が思い浮かぶ。


 短い付き合いではあったが、中には食事を共にした者もいた。戦略について熱心に質問してきた者もいた。タスク的にあの人ちょっといいな、と感じる女性もいた。

 彼らはもういないが、だがそれらはアージリスの隊にだっている。


 戦争の駒としても大切だし、同じ砦で生活した仲間としても、そんな無理を命じることなどできない。

 そう。そんな無理など命じられない。

 だがアージリスは、タスクが口にせずとも、その単語を使ってきた。


「確かに無理かも知れない。しかし、主君を護り、民を護り、己を護るのが騎士の務めであるように、仲間を護る戦盾でもありたい! 今こそが『己を護る』ときだと私は思う。教えてくれヒヒガネ! 奴らをどれだけ食い止めればいい? 何を成せばこの戦いに勝てる?」


 それは、少しばかりタスクの心を動かしたかも知れないし、あるいは彼女もまた仲間を思う一人の人間に過ぎないと教えられたかも知れない。

 タスクは自然と、答えを口にしていた。


「40分……いや、どこか大隊が一つ空くまででいい。あの軍勢を足止めしてくれ」

「心得た! 貴様の予想すら凌駕する戦盾騎士の力、よく見ておけ!」


 金管から聞こえてくる具足の足音を聞きながら、ふと思い出した。

 ビジネスにおいても躍進していくパワフルな企業の多くは、経営に関わる者たちの的確な戦略判断を武器としている。

 だが万が一窮地に陥ったときに、会社を、皆を護る盾となるのは、現場からボトムアップでもたらされる創発戦略であると。


「頼んだぞ。人間重機」

「なんのことか知らんが、あとで覚えておけ」


 戦場を眺めると、独立して敵軍へ向かって進む一団が見えた。本陣からでは豆粒程度の大きさにしか見えない集団へ、タスクは直接呟いた。覚悟しといてやるから戻ってこい、と。





 タスクとの通信を終えて、アージリスたちは回遊作戦からも主戦場からも外れて、味方のいない孤独な戦場へと駆けた。

 遠からず、主戦場へ向けて駆けていく魔物の軍勢が見えた。


「総員、横隊! 奴らの注意をこちらに引くぞ! 友軍を護り、そして己を護れ!」


 全員が一斉に隊列を組む。戦盾騎士も、剣士も、弓兵も、一様に敵軍を睨みつけて武器を握りしめた。


「接敵前の魔法は各自で回避しろ。困難と思われるものは、戦盾騎士よ! 分かっているな! 突げぇぇぇぇきっ!!」


 そして一斉に駆け出す。

 敵軍もこちらに気づいて身構えた。

 なおも突き進み、あと半リールグ程の距離になったところで、魔法が次々と飛来する。


 魔法研究の進んだゴルトシュタインであったからこそ、魔法の恐ろしさを理解する兵たちもまた多くいる。これまでならば怯み、進む脚を緩めてしまった者もいただろう。

 だが今は誰しもが、一心に前へと進み続けていた。

 飛び交う岩のつぶてを躱し、炎の矢をかいくぐり、あるいは戦盾で受け止めて、ひたすらに進み続けた。


 兵たちの多くから見て、その軍師は稀有な存在だった。

 大臣職の外套を羽織る身分でありながら、毎日のように訓練に顔を出し、時に木剣を交わし、時に一緒に走り、市民と語るその姿は変わり者と言う他ないだろう。

 だがその分、間近で語り合った兵士たちも多い。

 だからこそ多くの兵が知っていた。

 勝てるという確信など無い。それ故に工夫して立ち向かうのだと。


 そして、いま兵たちの多くが思っていた。もはや眼前に迫った王都を取り戻したい。

 この騎士長とともに、それを成し遂げたいと。

 それを成し遂げたのはアージリスの同じ思いがあればこそであり、それ故に兵たちのモチベーションは最高潮だった。


「弓兵、一斉射!」


 弓の間合いに入り、一斉射を受けた魔物たちが怯んだ隙をついて、遂に戦盾騎士が魔物たちへ突撃した。


「弓兵は敵軍深くを狙え! 前衛は前進と後退を繰り返して、敵に魔法を使い辛くさせろ。オーガは無理に止めようとするな。引きつけて突出させ、そして囲み込め! 魔物どもに……人間の知恵と知識……戦略を食らわせてやれっ!」


 タスクが机上で説明したのを聞いていた時には、そんなもの、と思ったこともあったが、今は無意識に口から指示が飛び出した。


「でぇぁっ!」


 アージリスは気合の声と共に戦鎚棍を横薙ぎに振った。一撃のもとにコボルト・ロードの頭を3体まとめて砕き、更に後ろに見える犬頭と目が合う。だが深追いはしない。

 飛来する魔法を回避しつつ、身を引き、今度は突出していたオーガの膝を横から叩き、砕いた。

 更に飛来する地属性攻撃魔法を戦盾で受け止める。魔力を帯びた強力な岩つぶての直撃によって戦盾が暴れまわるが、それを押さえこみ、再度前進した。


 前方にオーガが立ちはだかるが、他の戦盾騎士たちも別のオーガを計3体引きつけている。

 戦盾騎士たちは弾き飛ばされてもなお、すぐに立ち上がって再びオーガへ立ち向かっていく。

 プラータが棍棒の一撃を紙一重で回避し、すかさず巨大な指を叩き斬った。その隙をついてクラティスがオーガの眼球へ向けて矢を放つ。


 誰しもが決死の覚悟で戦っていた。

 今度は引けない。アージリスが引いて、4体目のオーガを通せば、本来の前線構築が疎かになってしまう。

 オーガの攻撃は片腕で何人もの戦盾騎士を吹き飛ばす威力だ。一度前線が乱れれば崩壊を待つだけだろう。

 だから、アージリスは、自身をもってしても見上げる程の高さから振り下ろされた棍棒の一撃を受け止めた。


「こんなものかぁぁっ!!」


 戦盾がひしゃげ、ヒビが入る。だがそれでも、アージリスはその大岩のごとき一撃を受け止めた。


「でぇぇあぁぁっ!」


 その拳を押し返し、生じた隙に腰骨を砕き、頭を叩き割る。

 倒れたオーガに怯んだコボルト・ロードたちへと飛び込み、戦盾で数体を纏めて吹き飛ばす。

 だが、そこへウィル・オ・ウィスプからの火属性攻撃魔法フレイム・アローが次々と飛来した。

 身を捩ってなんとか初弾を躱し、転げ回って更なる追撃もなんとか躱す。

 4発、5発とどうにか回避したところで、だが逃げ場が無くなった。


 魔物たちも危険な要素から先に排除しようと考えたのだろう。

 何発もの岩つぶてと炎の矢がアージリスの周囲一帯すべてに降り注いだ。

 咄嗟に戦盾で防御したが、既に強力な一撃を何度も受けていた戦盾は岩つぶてによって割れ、そして炎の矢がそれを更に砕き、次々と魔法攻撃が、アージリスの身体へ降り注いだ。


 全身を覆う戦盾騎士の鎧であっても耐えきることは叶わず、肩当が砕け、篭手が吹き飛び、臑当が割れ、胴鎧も半分が焼け散った。

 だがそれでも、アージリスは降り注ぐ魔法によって身を引いた魔物たちのもとへ迷わず飛びこみ、なおも蹴散らした。


「この身はゴルトシュタインが誇る戦盾騎士の長! クラスタルだ! この身体スクトゥムを砕きたい者は、臆さずにかかってこいっ!」


 その声に反応して、トロールの巨大な平手が叩きつけられる。

 皮一枚をかすめて、なんとか回避したが、その衝撃と地面から飛び散った破片に吹き飛ばされて思わず倒れ込んでしまう。

 なおも飛来する無数の魔法を、転がっていたコボルトの死体を投げつけて迎撃した。

 かと思えば再びトロールの拳が視界に広がり、今度は回避しきれずに、思い切り殴りつけれれてしまう。


 7ラールグにも及ぶ巨体から放たれる拳は地属性攻撃魔法ロック・ブラストなどの比では無く、全身に衝撃が走り、肺の空気が絞り出された。

 紙屑のように転がされたアージリスは、だがそれでも倒れない。

 この中々倒せないたった3・2ラールグの小さな存在を相手に、トロールは苛立ちを覚えたようで、転がったアージリスめがけて組んだ両手を槌として振り下ろしてきた。

 周囲を揺らすほどの一撃に、地面が叩き割られ、そこにあったものは粉々になる。


 血で彩られた盾や鎧の破片が舞い散った。

 だが、トロールは舞い散る破片の隙間に見た。

 殴っても壊れない。叩いても砕けない。不壊の戦盾を。

 アージリスは、飛び交う石片鉄片を吹き飛ばす勢いでその巨大な腕を駆けのぼった。


 確かに手にしていた戦盾は砕けたが、主君を護り、民を護り、なかまを護るのが戦盾騎士だと言うのなら、アージリスは、いや、この場の誰しもが戦盾を持っている。

 かつての騎士団長は単身でオーガと渡り合える強さを持っていたという。

 だが、その身の屈強さが、騎士としての廉直さが、皆から得た信頼が、戦盾騎士を象徴する強さだと言うのなら、いまの騎士長はきっとそれに決して劣らない。それは兵たちの総意であり、タスクが決して口にしない感想でもある。

 アージリスは巨木の如きその腕を駆け登って、そしてトロールの顔面めがけて跳んだ。


「くたばれっ! この、でかぶつの木偶野郎ぉぉっ!!」


 そして、その身に持った信念スクトゥムと、ついでに自分が言われたくない台詞の第1位を戦鎚棍メイスに乗せて、思い切り叩きつけた。




……


 ハーズも、バーグも、そして勿論タスクも、用意した水を手に取る暇すら無い程に喋り続けていた。

 戦況が動くたびにタスクは分析図を進め、修正し、あるいは半分近くを消して新たに書き直し、その莫大な量の計算をし続けた。

 そして、戦場を妖精の遠見鏡で眺めていたアリスタから、待ちわびた報告が入る。


「軍師さまっ! 回遊作戦で残ってた敵を第4大隊がほとんどやっつけました!」


 同時にバーグへも連絡が入った。


「タスクさん。マクレラント隊長が戦線へ復帰しました。アトキンソン隊長は負傷するも健在とのことです」


 更にハーズへも。


「多角戦略隊、被害多数ですが健在。サーブリック隊長が魔導師隊のロシュさんを連れて戦線へ復帰しました」


 これでおよそ7割を攻略したことになる。


「創発戦略隊……アージリス隊は!?」


 数瞬を置いて、ハーズから返答が来る。


「健在です!」


 その声に、タスクは改めて分析図へと振り返った。

 ビジネスにおいても重視される、このアローダイヤグラム分析の目的は人材や資金を投入する最良の経路、すなわち『クリティカル・パス』の発見にある。


「タスクさん! 第3大隊、および魔導師隊より報告です! 右翼突破しました!!」


 そして、タスクの眼前、妖精の落書帳に光の線で記された改良型アローダイヤグラムもまた例外ではない。

 元いた世界での夢に向けた成功への道筋は断たれたタスクだったが、だが今度こそ、ここに文字通りの『必勝の道筋クリティカル・パス』が繋がった。


「第4大隊は速やかに最前線まで出てアージリス隊の援護だ。第3大隊は戦線右翼から、第1大隊は戦線左翼から、アージリス隊の後退を援護しろ」

「了解です。本陣より第4戦隊……」

「魔導師隊は属性を均等に三班へ分割。1班は中央戦線にて『かんばん作戦』を展開。残りはアージリス隊の援護に向かい、2班は全属性攻撃を一斉に詠唱。3班は10秒差で分割して詠唱を行い戦線を押し上げろ! 戦線を再構築でき次第『問題児作戦』だ。王都を取り戻せ!」

「了解。本陣より魔導師隊……」


 タスクの声にハーズとバーグは次々と指示を伝え、アリスタは遠くの友軍に精一杯の声援を送った。

 果たしてアリスタの声が届いたかは定かではないが、戦場からは盛大な雄叫びが響いてきた。


 あるいはそれは、全盛期には8万の軍勢を有したゴルトシュタインの歴史の中でも、もっとも大きな勝ち鬨だったかも知れない。


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