プロジェクト6【戦略実行】:前編

 前回の戦いから18日が経ち、いよいよ王都奪還戦が開始されようとしていた。

 敵の編成や魔法属性の配分が判明していた前回とは異なり、臨機応変な戦略策定が必要となるだろう。

 タスクは本音では望まぬこととはいえ自己の判断で行軍へと同行することにした。ソフィアには反対されたし、先日は一緒に行かないのかと聞いてきたアリスタさえも反対してきた。とはいえ、映像の無い通信だけでは、観測そのものが間違っている可能性と、観測されたものの伝達が間違っている可能性、そして口頭でもたらされた情報を受け取ったタスクが意味を見誤る可能性、いくつものリスクが生じる。

 それに、まぁ本人たちは知りもしないだろうが、ここはマズルスたちがその命をもって、タスクにこの世界での活路を示してくれた地でもある。


 それらを考慮すればタスクとて、この地に来ない訳にはいかなかった。

 ソフィアや市民の見送りで出発してから、歩き続けること3日。計80キロ以上に及ぶ道のりではあったが、特に荷物も持っていなかった身としてはあまり苦労は感じなかった。

 そして兵たちも、出発前日の訓練を軽いランニングで終えてゆっくり休んだおかげもあってか、疲労の色はあまり見受けられない。外周を交代で見張り、他は好きに話して構わないというタスクの指示も功を奏したのかも知れない。

 そうして、何度かの小さな戦闘はあったものの、無事に王都までおよそ4ロールグの距離まで辿り着いたのだ。


「過去の記録と斥候が持ち帰ってくれた情報。これらから推察するに、王都近辺には1万をゆうに超える魔王軍が巣食っていることが予想される。まずは早急に本陣の設営。ならびに王都周辺の敵の配置確認を行います。全軍協力して望んでください」


 タスクの指示に合わせてアージリスたちが個別に隊を動かし、兵たちが散っていった。

 なだらかな丘陵地帯の、小高く盛られた辺りを自陣として定め、簡単な仕切りや調理場を設置する。

 豆粒程度にでも王都が見えるということで最前部に作った指揮所には、大量の紙の束が運び込まれた。

 無防備ではないかという声も出たが、どのみち敵がここに来ることになれば、その頃には友軍は壊滅状態だろう。タスクとて、その時にはせめて自陣内で一番前に立つくらいの覚悟はしている。


 紙というのはラムゼイの木の繊維から作られるそうで、そこそこに貴重品らしかったが、タスクは惜しまずに使った。

 タスクは脳内で軍の動きをシミュレートできるような天才軍師ではない。多少暗算が得意なだけのコンサルタントだ。使えるものは使っていくしかない。

 高低差、地面の水気の状態や障害物の有無を含む地理情報。

 各戦隊の能力や特色。および各個人の能力や特色。魔導師の属性レーダーチャート。

 戦隊ごとの物理的、心理的、属性的相性を示すアクティビティ相互関係図。

 ありとあらゆる情報を書面に書き起こした。


 腕時計を手放す前に測っておいた大小さまざまな大量の砂時計も用意した。

 そして勿論、あれも作った。テーブル一つを丸々使う大きな地図と、そこへ並べる戦隊数分の駒だ。タスクもこの世界に来るまでは映画やアニメを観ていて、盤上で駒を動かすだけで戦況が分析できるのかと疑問だったが、これがやってみると思いのほか効果的で、リアルタイムで全体への戦略策定を行うなら、これの有無で勝敗が決まるのではと思えるほどだった。

 そんな訳で、事前に作っておいた大量の資料をテーブルへと鋲で留めていると、大きな木箱を抱えた姉弟が入ってくる。


「タスクさん。通信台はここでいいですか?」


 ハーズがテキパキと木箱を開いて夫婦貝を取り出す。


「あぁ。頼むよ」


 当初はタスクも同行までは求めないと言ったのだが、この姉弟もまた強く希望してついて来てしまったのだ。

 確かに前回の戦いのあと、タスクは通信に携わる兵を招いて講習会を開いた。講習は全4回で、宿題も出した。最終日にはテストを行いみんなを労った。この姉弟が好成績だったのも事実だ。

 もともとのセンスか、あるいはロシュにも話した「なんとなくでも経験しておけば体が覚える」という理屈もあるかもしれない。


「本陣より第1大隊観測手へ。夫婦貝の試験交信を願います。繰り返します、夫婦貝の試験交信を願います。以上です。…………本陣より第1大隊観測手へ。確認しました。ご協力ありがとうございます、以上です」


 バーグの通信の様子も以前とは別物だ。

 軍事知識の無いタスクなりに考えて指導した、誰から誰にの原則、手隙確認の原則、本題優先の原則、締めの原則、5W1Hの原則、復唱の原則、ホウレンソウの原則が活かされているのだろう。


 今回は夫婦貝が5組になったことも鑑みて、金管を繋いで夫婦貝を直接手に持たなくても聞き取れるようにした。聞き取りは常時全てのほら貝から可能だが、喋りたいときは金管の蓋を開けた夫婦貝だけが使用状態になるという寸法だ。夫婦貝を持たせたのは第1、第2、第4戦隊と多角戦略隊、そして魔導師隊だ。複雑化はしたが、これならハーズとバーグの取り違い防止にも役立つだろう。


 まぁともあれ、自分以外が全員兵士というならまだしも、これでタスクとしては更にここを敵に晒す訳にはいかなくなった。




 数時間して斥候の兵が戻り、そして、いよいよ開戦となった。


「敵は王都西門付近におよそ3000。残りは東、南、北に分布していると思われる。魔物の性格から言っても種族を超えて一致団結することはない。まずは『回遊作戦』で敵軍を削り取れ!」


 当然、魔物の数が減って来れば大挙して押し寄せるだろうが、それまではゴルトシュタインでの魔物の基本的な戦術はゴブリンとコボルトを消耗品とした、こちらを削り取る作戦だ。

 ならば、こっちも削り取ってやればいい。


「タスクさん。迎撃隊、1から5までの全隊、配置完了です」


 バーグからの報告。お出迎え準備は完了だ。


「アージリス隊長より連絡。正面ファザード配置完了。ですが敵軍に察知されたようです」


 同様にハーズからも報告。呼び込みの準備も完了だ。


「あぁ。アージリス隊は全速で後退。全軍におもてなしするようにと伝達。アージリス隊には夫婦貝を第2大隊に戻すように伝えてくれ」

「了解です。本陣より創発隊へ。ファザードは後退を開始してください。その際に夫婦貝は第2大隊に返却してください。繰り返します……」

「了解。本陣より第1戦隊、第4戦隊へ。全軍、敵をおもてなししてください。なお第2戦隊は現在一時的に夫婦貝を手放しています。第2、第3、第5大隊への伝達の徹底をお願いします。繰り返します……」


 タスクの指示に合わせて二人が即座に伝達する。


「アリスタ。望遠鏡で直接観測して異常があったら報告してくれ」

「らじゃです! 妖精の遠見鏡デ・ファクト・テレスコピウムゥ! とぉーう!」


 アリスタが両の手のひらで作った輪をのぞき込む。森の監視者のように複数箇所を見ることはできず、属性分析同様アリスタ本人にしか見ることができないが、場所を選ばずにある程度遠くが見える魔法、つまりただの望遠鏡だ。

 これで、脳天に矢の雨を売りつけるゴルトシュタイン販売店の開店だ。あとは押し寄せるお客様に、勝手に買い物をして頂くだけである。



 アージリスたち、創発戦略隊は他に戦隊3つを借りて、敵の正面に立った。

 まず先頭のコボルトと目が合って、そして魔物たちが一斉に動き出す。

 それを見たアージリスは本陣からの通信を得て、即座に指示を出す。

 そして、みんなで魔物に背を向けて一目散に逃げた。


 少し前なら敵に背を向けるなど考えられなかったが、今は悔しいことにそれが勝利につながることもあるのだと学んだ。

 弓兵を先に走らせて剣士、最後に騎士が後ろを固める。

 まだ若干の距離はあるが、追いつかれるのは時間の問題だ。そして、いくらアージリスといえどもあれだけの魔物の大群に囲まれればひとたまりもないだろう。


 だが、囲むのはこちらのほうだ。

 左右から無数に降り注ぐ矢の雨に乱される魔物どもを見て、アージリスは、これが知略だ魔物ども、と少しだけ笑った。



 20数分後、バーグに報告が入る。


「第1大隊から報告です。敵軍主力は山犬蜥蜴(マウンテン・コボルト)。敵停滞率およそ20%。戦盾への被接触率およそ50%」

「予定通りだな。アトキンソンに一番ハードなポジションだが、持ちこたえてくれと伝えてくれ」


 敵の停滞率は20%。

 つまりアージリスたちが敵に発揮している誘引効果は80%程度機能していることになる。

 上々だ。

 観測に関わる者たちには事前に、タスクの指示で動き回る軍を眺めさせて、おおよその人数把握に慣れさせてある。大きくは外さないだろう。


「更に第1戦隊から報告。友軍稼働率100%。。攻撃機会率およそ60%。攻撃参加率およそ90%。攻撃命中率およそ50%です」


 標準的な戦闘ならば攻撃機会率、すなわち戦闘に参加している友軍が位置的に攻撃に参加できるチャンスは100%が望ましい。効率の面から見ても当然だ。

 だがこの『回遊作戦』ではこの程度でも問題はない。

 一方的に攻撃して敵を削りとるのが目的だからだ。

 敵軍は正面に発見したアージリスを追って、こちらが思い通りにレイアウトしてある矢の雨を扱う販売店へと入店してきた。

 そのままこちらが意図したとおりに狙った経路を誘導されて動き、そして矢に降られ続けることになる。


 多少の敵は戦盾騎士の横隊で押しとどめ、そのまま矢に降られながら、こちらの意図した買い物通路を歩き回ってもらう訳だ。

 押し寄せる敵が増えて来たらそこは閉店して退けばいい。

 これこそが小売店の販売戦略インストア・マーチャンダイジングの店内レイアウトを応用した『回遊作戦』である。


 一般的に量販店では顧客が望んで買いに来るジャンルやブランドを入口の逆、一番奥に設置する場合が多い。スーパーマーケットで入口が決まっていて、歩く通路もなんとなく決まっていて、そして酒類が一番奥にあるのも同じ理由だ。

 目的は単純、顧客にたくさん歩き回ってもらうため、つまり回遊性を高めるためだ。

 たくさん歩き回れば、顧客はその分色々な商品を見て、手に取って、迷って、あるいは買っていく。言い換えれば攻撃機会アプローチチャンスが増えるということだ。

 それらを考慮して、顧客購買率を算出するのが店舗経営におけるスペースマネジメントだ。

 そして、それを用いれば敵の撃破効率を測ることができる。


 すなわち、敵が移動した距離である『動線長』、位置的に攻撃チャンスがどれだけあったかという『攻撃機会率』、チャンスのあった内の何割が攻撃できたかという『攻撃可能率』、そして『命中率』と『命中数』、これらを全て乗じたものを弓兵がコボルトの撃破に必要な平均命中回数で割った数字がトータル戦果ということだ。


「タスクさん。第4大隊から報告です。敵停滞率およそ20%。戦盾への被接触率およそ60%です」


 バーグからの報告。

 お客様はだいぶ奥の方まで歩き回っているようだ。


「第1大隊から報告。停滞した敵、およそ800。その内の壁面への接触率およそ80%」


 続いてハーズからも報告。

 ここでは500も引きつければ十分すぎるのだが、アトキンソンのことだ。相当に粘ったのだろう。


「第1大隊は敵を引きつけつつ後退。『かんばん作戦』へ移行。魔導師隊は移動開始」

「了解です。本陣より第1大隊。『かんばん作戦』へ移行するために後退してください。繰り返します……」

「了解。本陣より魔導師隊へ。第1大隊へ、かんばんの準備を開始してください。繰り返します……」


 ハーズとバーグがそれぞれ後退とかんばん用意の指示を伝える。

 敵を極力壁面、つまり戦盾騎士に触れさせないことも一つの目的としていた『回遊作戦』では、敵をばらけさせてしまう魔法はあえて使用しなかった。

 そして勿論、こうして誘導からこぼれた敵を改めて一網打尽にするためでもある。




 アトキンソンたちが『かんばん作戦』で概ねの敵を仕留め切ったと報告を受けた頃、ついにその報告が入った。


「多角戦略隊より報告。王都南方向より、向かってくるゴブリンとスライムの大群を確認したそうです」

「第1大隊より連絡です。北方より鳥猿類(ホークヘッド)が飛び立ったとのこと」


 ついに敵の本隊も動き出したらしい。

 せめてアージリスたちが引きつけ続けている残りを殲滅してからにしてほしかった。


「多角戦略隊に詳細な数の報告を要請。第2大隊と第5大隊は『回遊作戦』から外れて前に出るように伝達。西からくる敵の中で足の速いものから順に、南側へ移動しながら叩いてもらえ。第1大隊は魔導師隊の3分の2とともに、敵を観測しつつ後退して北へ移動。第2、第5大隊と合流して敵を迎撃。残りの魔導師隊は後退して『回遊作戦』の援護にあたれ。属性は必ず均等に分けること」


 言い終えるが早いか動くが早いかという頃合いで、タスクは戦隊別になった兵たちの資料の束をつかむと、空いた手で地図上の駒を移動させた。

 ここから先は事前の準備は無い。臨機応変な戦略が必要だ。


「夫婦貝を持つ全ての隊の観測手に伝達。観測できる限りの、ありったけの情報を報告しろ。アリスタは引き続き『回遊作戦』を監視だ」


 地図に並んだ駒を眺めて、ふとその場で実際に戦っている者たちの顔が脳裏をよぎった。

 実際に兵のデータは殆ど頭に入っているし、全体の半分くらいとはそれなりに話す時間もとれた。

 口では何やかんやと言いつつも、招集をかけると決まって真っ先に現れるアトキンソン。

 若いころの武者修行で目にした光景をタスクに語り聞かせてくれたマクレラント。

 運動や細かい工作は得意だからと言って、地図や駒作りと、魔導師の基礎トレーニングを率先して手伝ってくれたリオ。

 一見すると寡黙だが、孤児たちと遊んでいる際には誰よりも元気なゼルズニッケ。

 剣士たちの訓練を眺めていたタスクを誘って、実際に木剣を交えながら丁寧に剣の扱いを教えてくれたアルフリード。

 各隊の能力を分析していたタスクに、女性兵士たちの3サイズを図を交えて丁寧に教えてくれたサーブリック。

 ことあるごとに襟首を掴んでくるアージリス。


 まぁ一部はどうでもいい思い出だが、もちろん他の兵たちとも、共に過ごした思い出はある。

 できれば誰も失わずに勝ちたい。

 だが無傷で勝利できる必勝の策なんてものは無い。

 事前に計算して、事前に分析して、事前に準備して、勝てる勝負を用意するコンサルタントの仕事も、もう終わってしまった。

 ここから先は、必勝なんかない戦いに勝ちをもたらす、軍師の勤めになるのだろう。


「アリスタ。とびきりデカいホワイトボードを頼む」

「らじゃですっ! 妖精の落書帳ゥ! てぇいやぁ!」


 手のひらをこめかみの高さでビシィとした、真面目なのか真面目じゃないのか分からないポーズとともに妖精の落書帳が展開される。

 そこへ休むことなくペンを走らせて、観測手から送られてくる、数字、状況、属性を次々書き連ね、指示を出し続けた。

 そのほとんどを暗記してあったので、隊や隊員たちの特性や能力に合わせてどんどん戦隊を配分していく。


「多角戦略隊は第9、第13戦隊の足止めしている鳥猿類の側面をつかせろ。サーブリックの隊なら敵の魔法発動直後を狙えば削れるはずだ。第4、第12戦隊は現場の判断で魔導師の援護と戦線の維持を両立させろ」 

「第6戦隊が前回観測時から更にゴブリン部隊を30匹以上殲滅しました。第11戦隊、第3戦隊と合流しました。前回報告時から継続して敵部隊の足止め中です」

「軍師さまぁ! 回遊作戦の達成率がだいたい80%を超えました」

「第6戦隊は横隊での迎撃戦に変更、敵は多いが無理に倒さず時間を稼がせろ。第11と第3は以降1つの戦隊として行動。少しずつ後退しながら互いに欠員を補ってこぼれた敵の撃破に当たれ。第2大隊の観測手に第5大隊の報告をしろと伝達」


 タスクもハーズもバーグも、気づけば何十分も休まずに喋り続けていた。もっともそれは戦場が休まず動き続けていることも意味するのだが。

 ともあれ、上手く機能しているように思われた。

 これで『回遊作戦』が完遂されれば、一気に前線を押し上げることも可能になるだろう。

 そう思っていた。

 だが不意に、絶え間なく続いていた指示と伝達と報告がぴったりと止まる。

 まるで凍り付いたように、タスクも、ハーズも、バーグも、アリスタさえも、何も言えなかった。


「……は? …………。もう一回言ってもらえるか?」


「……あの……だ、第5大隊が、壊滅しました。だ、大隊長は……戦死。……観測範囲で生存者は若干名」


 狼狽えた様子のハーズが、絞り出すような声で述べた報告。

 タスクはその意味を頭の中で数回反芻して、それでも彼女が何を言っているのか、まるで分からなかった。




 90にも及ぶ死体が転がるその惨状を見て、マクレラントは思った。

 軍師殿は、これをもう知っただろうかと。


「いったい何が起きたというのか……」


 返り血にまみれたゴブリンたちが迫ってくるのをみて、圧迫感さえ感じた。

 第5大隊を預かっていたアルフリードは剣の腕は勿論、判断力にも優れる有能な男だった。

 かつてはラガードに命を救われ、以来それを目標に腕を磨き続けてきた男だ。マクレラントはずっとそれを見守って来た。


「せ、先生……」


 剣士たちはマクレラントが隊長の任についても変わらず昔からの称号で呼ぶ。アルフリードもそうだった。

 隊員たちが次々と、ある一点を見つめながら「せ、先生」、「た、隊長」と、恐怖を訴え狼狽え始める。

 通常ゴブリンの隊長は約2ラールグ前後だ。子供かホビット、あるいは小柄なドワーフ程度だろう。

 だが、死体の上ではしゃぐ他のゴブリンたちの奥にぬっとそびえ立つそいつは、どう見ても2・6ラールグのマクレラントと同じか、それ以上くらいの身長がある。


 それに隆々としたその筋骨は明らかにゴブリンのそれではない。

 その右手には深紫(アメジスト)色に煌く片刃剣を握り、左手には肋骨が開かれ胴が空洞になった隻眼の剣士が引きずられていた。


「ゴ、ゴブリン・ウォリアー……」


 隊員の一人が呟く。

 出所の分からない噂話だと思っていた。

 強敵との戦いを好み、倒したものの肋骨を開いて血肉をすすり、そして倒したものの装備を根こそぎ持って帰るという、くだらない噂の中の魔物だと思っていた。


「……お主らは、他の戦線への助力へ迎え。大隊を一つ失ったとあれば、戦局は一大事であろう。ましてや……ここで全滅することはあるまいて」


 ゴブリンたちへと近づいてゆくマクレラントに、隊員たちは狼狽えながらも共に戦おうと構える。

 だが、それを制したのは以外にも教え子である剣士たちだった。


「行け。そして軍師殿に伝えよ。件の魔物は、『斬岩』が斬ったと……」


 隊員たちは剣士に連れられて少しずつ離れていった。

 これは大局を見て戦え、という指南役であるマクレラントの教えの賜物でもあるだろう。

 だが、何人かの剣士は、その巨体のゴブリンが持つ武器に気づいていたのかも知れない。

 そう。倒したものの肋骨を開いて血肉をすすり、そして倒したものの装備を根こそぎ持って帰るというその魔物が持っている片刃剣に。


 そもそも『斬岩』とは、元を正せばマクレラントの異名ではない。

 マクレラントが若き日に、挑んでくる者は誰かれ構わず切り捨てていた頃に、南の地の洞窟で一人で暮らしていたドワーフに譲り受けた『斬岩剣キャズム』の名なのだ。


 多分にもれず名前が大袈裟という節はあり、もちろん本当に大岩が斬れる程ではない。だが数人斬れば刃こぼれが生じる王国の剣とは明らかに一線を画す品ではあった。

 その剣はマクレラントが現役を退いて指南役になるまでに刃こぼれ一つ起こさず、そして彼の息子に譲られてもまた、刃こぼれ一つ起こさず戦い続けた。


「……ねぇだろ」


 故に、『斬岩』は剣の名であり、そして仮に『持ち主の異名』であったとしてもそれは、剣を受け取ったラガードのものなのだ。


「……じゃねぇだろ」


 そして、ゴブリン・ウォリアーの異名ではない。たとえ、そいつが斬岩剣キャズムを所有していたとしても、断じてゴブリン・ウォリアーの異名ではない。


「……テメェのモンじゃねぇだろ! ソイツはよォォォォォォォォっ!!」


 ゴブリンたちはマクレラントが瞬きの瞬間には横を駆け抜けていったことに驚き、そして、血飛沫を上げて次々と倒れた。

 ラガードはもともと、すでに全盛期を大きく過ぎた頃のマクレラントが、だが剣を捨てられず旅を続けていた途中で立ち寄った、とある街の路地で見つけた孤児だった。

 カビとホコリだらけの捨てられたパンを食べようか迷っていたその小僧に、マクレラントは気まぐれで、無言のまま新しいパンを放ってやったのだ。

 すると何故か王都までついて来たので、放っておいたら周りの世話を受けて勝手に自分の養子になっていた。


 ラガードという彼の名も、その時に人づてにはじめて聞いたものだ。

 最初は半年に1回程度しか会話をしなかったが、それが月に1回、週に1回となるにつれて、マクレラントは他の人間とも会話するようになっていった。そうして剣術指南を担う頃には独り言すら碌に言わなかった男が1日に何十人という人間と会話をするようになり、ラガードとも、まぁ日に1回か2回は会話をするようになっていた。

 そう。マクレラントもまた、幼少から剣のみを友として生きた身であり、大局を見るという座右の銘のようなものも武者修行の旅に出て剣を振るっていた際に一人で思いついたものだ。

 だからそれ故に、これは、


「何っとか! 言えよっ! みどりヤロォォォっ!」


 マクレラント・グランドが54年間の人生で初めて味わった、心の底から湧き上がる怒りであり、いわゆるブチ切れる、という感情だった。

 荒れ狂う暴風のごとき猛烈な剣撃を放ってなお、ゴブリン・ウォリアーはそれを防御してくる。

 いや違う。マクレラント自身が無意識に自ら剣撃を『いなされて』いるのだ。

 はぐれドワーフが独自の技法で金剛鉄(アダマンティウム)を何度も折り返して鍛え、刃筋と峰とを異なる温度で焼き戻すことで生み出されたというキャズム。その刃と真っ向から討ち合えばマクレラントの愛剣とて3合と持たないだろう。


 激昂し、呼吸さえも忘れて斬撃を叩きつけながらも、剣歴52年のマクレラントの肉体は刃がぶつかる瞬間に、意図せずともそれを避けていた。

 当然のこととして、逆にゴブリン・ウォリアーが攻勢に転じれば、その剛腕で繰り出される剣撃で、防御した剣は一撃のもとに叩き折られるだろう。

 それゆえ、攻撃に転じることを許さぬ、息もつかせぬ程の斬撃の嵐を見舞い続ける。それこそが、斬岩剣キャズムとゴブリン・ウォリアーへの唯一の打開策でもあり、マクレラントは無意識それを実行していた。


「ずぇあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 更なる咆哮とともに斬りつけ続ける。

 だが息もつかせぬその攻撃は、実際にマクレラントに無酸素運動を強いるものでもあり、当然ながら息はどんどん上がり、呼吸が続かず、体は発熱していく。

 周囲のゴブリンたちを巻き込み、血風を散らしながら、我武者羅に斬撃を見舞うその老剣士の体が長くは持たないのは必至のことだった。


 片刃の峰が擦れ合い、散った火花は300か、400か、あるいは500かそれ以上か。

 一閃一閃が必殺の斬撃を無数に放ち続け、もはやマクレラントに意識はほとんど無かった。だが、その生涯を剣にささげた彼の肉体は自然と、必死にして必殺の判断を下した。


 徐々に剣撃が鈍り、そして遂にゴブリン・ウォリアーからの反撃を許した瞬間。

 斬岩剣キャズムが自身の首筋へ触れるかというその瞬間。


 マクレラントもまた、生涯最速の一撃を、その緑野郎の顔面へと見舞った。




 報告を聞いて、タスクはテーブルに拳を叩きつけた。

 夢で見たマズルスたちの光景が脳裏をよぎり、そして、思ってしまう。『あぁ、いったいどの時点で、間違えていたたのだろう』と。


「タ、タスクさん。あの……敵軍後方、更にコボルト・ロードとオーガ、トロール、ウィル・オ・ウィスプの混成部隊が出現しました。……あの……指示を……」


 バーグの言葉も良く聞こえなかった。

 不意に吐き気がして、タスクは思わず口元を押さえた。

 砦の防衛戦でも犠牲は出た。なんの犠牲も無く勝てるなどタスクだって思ってはいない。

 だが、大隊一つ分の人数が、あっと言う間に死んだ。第5大隊は3戦隊半。およそ100人だ。


 自分の采配で。それが死んだ。

 人間が100人死んだ。自分のせいで。


 全員の顔と名前が頭に入っているし、食事を共にした者もいる。

 アルフリードは生真面目だが気の利く男で、後輩にいたらいいな、という好青年だった。片目を覆った傷跡を撫でながらラガードやマクレラントのような剣士になりたいと話していた様子が思い出される。

 他にも、一緒になって猥談をした弓兵もいたし、妹がソフィアの女中なのだという騎士もいた。

 自然と、第5大隊の一人一人の顔が脳裏をよぎった。


「あの……。タ、タスクさん……その……指示を……」

「……なんだよ。なんだよこれ。どれだ? どれが間違ってたよ?」


 涙がこぼれ出た。

 甲子園を逃したときも、父を亡くしたときも泣かなかったが、自然と涙がこぼれ出た。


「少し上手くいったからって、いい気になってこれかよ」


 やっと分かった。いや、薄々は分かっていた。

 もともと無理だったのだ。

 確かに、一度は無謀な策をやめさせて、皆を助けたかもしれない。

 だが素人に戦争なんてできる訳がない。

 軍師なんて、できる訳がない。


「あぁ。そうだろ。そりゃそうだろ。こんなの無理に決まってるじゃねぇか。やったこともないのに軍師の真似事なんか」


 28歳というタスクの年齢は、世間ではとうの昔に成人となっていて、経験を活かした転職を始める時期でもある。ましてや、この世界には少年の兵だって大勢いる。

 だが、それでも28歳という年齢は、実際には本人が思っているほど達観してはいない。

 こぼれ落ちた涙が地図を濡らしても、ハーズもバーグも何も言えなかった。

 しかし、涙に濡れたその頬は、300歳を超える小さな手のひらで、思い切り引っ叩かれた。


「こんなの軍師さまじゃないです!」


 珍しく怒って見せるアリスタだが、その頬もまた涙で濡れている。

 そして、そんなことはタスクも言われなくても分かっている。

 タスクは勇者でもないし、軍師でもない。


「そんなことは分かってるんだよ!! 戦争の知識もないのに軍師なんかできる訳……」

「だって、だって……軍事さま、言ってたじゃないですか!」


 今度はアリスタまでもが、子供のように泣き叫んだ。


「森で私と会ったときに、言ってたじゃないですか!」


 恨み言ならたくさん言った。

 だが、タスクはアリスタに対して魔王を倒すだの、勇者になるだのと言った覚えはない。


「言ってたじゃないですか! 『コンサルタントが逃げたら、カイシャは終わり』だって」


 なのに、その身勝手な妖精の口から紡がれた言葉は、確かにタスクが言った言葉であり、そして、タスクにとって至極当たり前のものだった。

 そう。当たり前のことだ。


「……タスクさん。……第1大隊より連絡です。指示を求む。必要ならばこの場を第2戦隊のみで食い止めても構わないと」


 どう考えても無理である。

 残存している500の魔物を30人で食い止めるなど。だが、いかにもアトキンソンとその部下たちの言いだしそうなことだ。


「魔導師隊より連絡。敵軍後方の部隊の迎撃は可能。走れば5分で到達してみせるとのこと」


 それも駄目だ。

 魔導師隊の戦力は主戦場に使うべきだ。

 そう。この様相だ。


 あまりにも愚策だ。

 全然なっていない。


 だから、『コンサルタントが逃げたら、会社は終わり』なのだ。


「……お前の言う通りだ。こんなのは俺のやり方じゃない」


 タスクは涙を拭うと、妖精の落書帳ホワイトボードへ向けて、横薙ぎに腕を振った。書かれていた膨大な軍略が全部消える。


「第1大隊には全員その場で戦闘を継続するように伝えてくれ。かんばん作戦で一刻も早くその場の敵を殲滅しろ。魔導師隊は主戦場の援護が先だ。サーブリックたちを護衛につけて移動してもらえ」


 指示を出しながらタスクは、猛烈な勢いでペンを走らせた。

 思い違いをしていた。

 アリスタの言う通りだ。


 確かに勝ちたかった。一人でも多くを生き残らせたかった。

 だが、それで軍師の真似事を始めるなど、そんなのは『軍師さま』のやり方じゃない。

 必要なのは工程プロセスと所要時間、相性だ。

 求めるのは最高の効率と最高のスピード。


 次々と戦場攻略に必要な要素を書き記し、その前後関係を、すなわちAを成す為には事前にBとCの完遂が必要といった順番をつなぎ合わせる。

 細分化した要素を書いては分析しを繰り返して、前後関係を矢印で示して所要時間を記載する。

 やがてバラバラだった要素が繋ぎ合わさり、一つの図表ができあがった。

 無数に繋がった矢印と要素でひし形、三角形、台形、様々な形が描かれる。


 それはハーズたちの目には、まるで巨大な紋章のようにさえ見えた。

 それはアリスタにはさながら、大精霊アダムスが司るという世界の形を成すもの。4属性の理の原則ようにも見えた。


 だが勿論、そのどちらでもない。

 アローダイヤグラム分析。

 あるプロジェクトを構成する作業を細分化して、それぞれを矢印でつなぎ合わせ、前後関係を明らかにする。その中にはその後二つや三つに分かれるものもあるし、二つや三つがやがて一つに収束することもある。

 それらを使用して、どこに資金を投入するのか、どこが遅滞が許されない箇所なのかなどを戦略的に分析する手法。

 それがアローダイヤグラム分析だ。


 タスクはそこへ更に要素間の戦力の移動と、アクティビティ相関分析による近接性相性関係を足して、最終戦略目標への、つまり『勝利への道筋』を求めた。

 すなわち、それはビジネスシーンにおける戦略を支える基盤であり、そして、これこそがゴルトシュタインの軍師さま《コンサルタント》のやり方だ。


「第2戦隊へ30分以内に正面の敵を殲滅するように伝えろ。10分おきにカウントの通信を送る。手助けが必要ならば第4戦隊はその援護を、不要なら第4戦隊は第3、第11の混成戦隊と交代して前にでろ。左前方の戦線は20分間でいい。指示があるまでなんとしても維持しろ! 第10戦隊は敵を押し戻す形で前進、中央の戦線との連携を取って20分以内に敵を90度で挟み込む形を作れ」


 タスクの新たな指示に合わせて、ハーズとバーグもそろって夫婦貝の金管へ向き合った。

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