プロジェクト1 【基礎分析】
タスクは俯いたまま歩いた。
「俺の華々しい未来が……外車が……キャバクラが……せっかく受注した事業再生が……」
そもそも駆け出しのコンサルタントの稼ぎは決して良くはない。世間のイメージの士業っぽくなるのはかなり軌道に乗ったあとだ。そしてこの度、その軌道に乗る機会は失われた。
「大丈夫ですよ。勇者さま。そのガイシャさんもキャバクラさんもジギョー何とかさんも、きっと元気にやっていますよ!」
適当ななぐさめを口にする妖精。少なくとも事業再生を頼むような会社が元気な訳がないのだが。
「いやコンサルタントが逃げた時点で駄目だろ。元気にやってるどころか会社は終わりだろ」
とはいえ、森の中にいても仕方がないので足は進める。
歩けども歩けども見えるのは森ばかり。タスクからしてみればこれほどの大自然に身を置くのは十数年前ぶり、学生時代に富士山に登ったとき以来だ。
しかしながら本場の、プロの妖精さんから見れば抱く感想も変わってくるようで、どうやらこの森は要求されるクオリティを満たしていないらしい。
「私の若いころと比べたらこの森も酷いものですよぉ。魔王軍のせいで枯れていく一方です。昔は妖精の仲間も居ましたし、精霊たちも飛び交って、魔力に満ちた良い森だったんですけどねぇ。たまーに人間さんも遊びに来るので、みんなで驚かせて遊んだりもしていましたぁ」
そんなどうでもいい話を聞きながら、なおも歩いた。
まったくもって不本意ではあったが、どんなに事態が最悪であろうと行動をするとしないとでは、結果は大いに異なる。
気づけば鞄すら失っていたタスクの所持品は腕時計と、スーツのポケットに入っていた小銭とガムと筆記用具のみ。
まずは衣食住を確保が必要ということで、人間のいる方角を目指して、こうして歩いている次第だ。
人と出会って衣食住が得られるかと言えば甚だ疑問ではあるが、それでも右も左も分からない森の中で妖精と二人きりというよりは、よほど建設的だろう。
アリスタは10秒と黙ることなく口を働かせ続けたが、圧倒的に情報が不足しているタスクにはラジオ代わりには丁度良いものでもあった。そもそも自身をこんな事態に巻き込んでくれた元凶ではあるが、まぁそこは目を瞑るしかない。
「その精霊ってのは? 魔力が満ちるってのは?」
この世界の人間がどんな文化で、どんな道徳観念があるのかは知らないが、仮にタスクが原住民側であったとして、最低限の常識すら知らない住所不定の不審人物に進んで手を貸したいとはあまり思わないだろう。まずは少しでもこの世界のことを知っておきたかった。
「精霊は魔力の集合体ですねぇ。本来は意思を持たない現象である精霊が土や草、木々や岩といったものから命と意思を得たものが私たち妖精だって言われてます。魔力は量の差はありますが世界中に日常的にありますよぉ」
数百年生きていると言うだけあってか子供っぽい喋り方とは裏腹に、もたらされる情報は比較的まともだ。
「まぁ知恵と知識は違うからな」
「え? 勇者さま、なにか言いました?」
特に馬鹿にするつもりは無かった。いや、このせわしなく頭の周りと飛び回る妖精がアホっぽいのは事実だが、知恵と知識はどちらも大切であり、逆にどちらか一方であってもそれはそれで重要な資源だ。
そんな思案を知らず故か、アリスタは深く考えていない様子で、タスクの「いやべつに」という短い返事だけで納得し話を続けた。
「人間やエルフの中には魔力ではなく、精霊の力を借りた精霊魔導士っていうのもいるみたいですよぉ」
タスクには完全に専門外のジャンルだが、自身のいた世界とは若干違う認識というのは分かった。
あまり詳しくはないが、たしか草木に宿る魂がスピリチュアル的なものであると言われていたような気がする。
「つまり俺がさっきから話す度に、無意識に知らない言語で話してるのも、そうゆうマホウの類だってこと?」
「おぉ! 流石は勇者さま! 気づかれてたんですねぇ!」
たとえ音を聞いて意味を認識できたとしても、自分が馴染みのない言語を話していれば普通は気づくだろう。
順を追う流れで質問のタイミングを待っていただけだ。
「大精霊アダムスの御意思によって、勇者さまをとりまく精霊が力を貸してくれてるんですねぇ」
「いや、そんな親切より他に気を遣うところがあるだろ。その大精霊様の果たすべき
どうせなら井戸に飛び込めばすぐにもとの世界に帰れるとか、そうゆう親切が欲しかった。
というか百歩譲ってあの光に触れたことが契約であると言うならば、せめて重要事項を記載した契約書の事前の読み合わせがあって然るべきである。
「それで? もう随分歩いたはずだけど、人間の『に』の字も見えんぞ」
「……ぷっ! 人間の『に』の字も、って。あっはははは。勇者さまって真面目な方だと思ってましたけど、面白いことも言うんですね! 『に』の字もって。ぷくくく。あはははははははは、ひゃーっ」
酔っぱらった蜂の如く飛び回るアリスタになんとも言えない憤りを覚えるが、きっと笑いのツボも文化的な違いなのだろうとタスクは心の中でそっと素数を数えた。
そう、日本のビジネスシーンで戦ってきた士業戦士にとってこの程度のストレスはなんてことは無い。なんてことは無いのだ。
「いや別に面白いこと言ってないから。あとどれくらいの距離なんだよ」
ひーひーと笑い飛び回っていたアリスタは、しばらく息を整えて、ようやく答える。
「あっ、はい。えーっとぉ、100年前にきたときは、あそこの魔力溜り(マナ・スポット)からぁ……あ、見えないかも知れませんけど、あそこに魔力溜りがあるんですよ。あそこからもう人間の集落が見えたんですけどねぇ」
そうは言われても周囲には何もない。
「あとはぁ、たしか東の方におっきな街と、すっごいおっきな家があったはずですねぇ。ここからだとだいたい10ロールグくらいですねぇ」
「……え? なんて?」
「10ロールグですよ。1万リールグです」
おっきな家とやらも気になるがそれよりも問題がある。
「なんだ、そのロールグって。大精霊の自動翻訳が早速働いていないぞ」
まぁおおよその想像はつく。おそらくぴったり対応する単語のない固有名詞には機能しないのだろう。
そして裏を返すと、すでに会話が成立している「年」という単位については、お互いの共通認識であると想像できる。
「距離の単位なのか、それとも消費エネルギーの単位なのか? あと十進法で間違いないんだよな?」
タスクにとっては先刻に28歳という自己紹介が正常に通じた時点でなんとなく分かってはいたことだが、念のために記数法もアリスタの口から確認しておきたかった。
「ルグは長さの単位ですよぉ。ルグ、ラールグ、リールグ、ロールグって100までいったら次の単位になるんです」
「それさっきの説明と一致しないんだけど。10ロールグは1000リールグじゃないのか?」
あまり的確な指導を貰えたとは言いがたいが。
「あぁっ! そうかもしれません!」
しかし少なくともアリスタの頭の出来具合はタスクもよく分かった。とは言え、単位だけを知ったところで自分が理解できる尺度でないと参考にもならない。
「お前、自分の身長は分かるの?」
「はい。むかし人間の尺棒を拾ったときに測りました。えっとぉ、たしか39ルグでした!! 身長を測るときにはぁ、スクエアナッツの殻のかどっこの部分を、頭の上にこう押し当ててですねぇ……」
得意げに身長の測り方を教えてくれるアリスタであったが、タスクはおもむろにその39ルグの物体を掴むとその肢体に手のひらを這わせた。
「……ちょ! ゆ、ゆゆゆ、勇者さま! 駄目ですよ。確かに私は妖精の中でも可愛いと評判でしたし、勇者さまは男性な訳で、あひゃぁん。もちろん私としては種族や生命属性にこだわる気はありませんしぃ、勇者さまは格好いいと思いますけど、でもぉ、こんな日も沈まぬ内から、ひゃわぁぁぁぁーーー!」
頭頂部から踵までが、およそタスクの手のひら1・5個分といったところだ。
「だいたい25センチ前後だな。えーっと、39分の250で……ろく、てん、5、いや4か」
概算で1ルグがおよそ6ミリ強。つまり10ロールグは65キロといったところだろう。
「はうぅぅ。勇者さま意外と大胆なんですねぇ。ところでさっき言ってたジュッシンホーってなんですか?」
「あぁ。それももう分かったからいいよ」
近所とは言えない距離だが、学生時代にはフルマラソンにも挑戦したし、昨年の独立したての頃は挨拶回りに半日で10キロくらい歩き回ったこともある。
距離的には問題はない。
まぁ果たして人間のいる場所にたどり着いたとして事態が好転するかと言えば甚だ疑問ではあるが。
「って言っても、魔物とやらがいるような世界で野宿もできんしなぁ……」
そもそもその魔物という存在すらいま一つ理解ができない。
「そういえばその魔物って……おい。聞いてんの?」
返事は無い。
思案を巡らせて気がつかなかったが、先ほどまでは運転中に流すどうでもいいラジオの如き存在だったはずのアリスタが妙に大人しくなっていた。
「おい、アリスタ。触ったのは悪かったよ。確かにセクシャル・ハラスメントは労働環境問題でも特に重要視されている話題だけど、お前は妖精だし……」
言いかけてふと気づいた。
どうも触ったことで口をつぐんだ訳ではないらしい。というか思い返してもあまり嫌そうでは無かった。
心底どうでも良いけど、と思いながらアリスタの視線の先を追ってみれば、遠目に何かが動いている。
「あのぉ……勇者さまは本当に剣は使えないんですか?」
「剣どころか包丁もあまり使えんが」
遠目に見えたその何かが少しずつ大きくなってくる。
「でも、少しくらいは戦えますよね?」
「だから商人とか、執事とか、秘書とか、そうゆう系統の職業だっつーの」
何かのシルエットが少し明らかになる。
胴だけを覆う簡素な鎧。そこから出ている手足はゴツゴツした鱗に覆われていて、頭には犬と豚の中間のような不細工な顔がついている。
「
「先に言え。役立たず!」
一目散に駆け出した。
十数年前、身体能力全盛期に甲子園予選で決めた人生のベスト盗塁が脳裏をよぎる。今は絶対にそれよりも速いと断言できた。
「お、おい! これどうするんだよ?」
なのに後ろを見れば徐々に距離が縮まっている。
「1匹だけなのできっとどこかで人間と戦って、群れからはぐれたんでしょう」
そんな冷静な分析は欲しくない。いま欲しいのは逃げきる算段だ。
振り向くたびにコボルトは近づき、手に持っているものも鮮明に見えてきた。刃こぼれだらけの手斧。ベタベタと張り付いている赤黒い固まりかけのペンキのようなものが、なんであるのかはあまり考えたくなかった。
「勇者さまぁ! あそこ、人間さんの人影です。助けて貰いましょう」
アリスタがひょいと正面に回って指差した先に人影が見える。そして彼女がタスクに合わせているだけで、本当はもっと速く飛べるらしいことも判明する。
「…………っ」
もはや喋る余裕すらもない。タスクはひたすら全力で走った。
幸運にも人影はこちらに気づいたようで、向こうからも駆け寄ってきてくれた。
あと20メートル……10メートル。
助けを求めて、死にたくない一心で走った。
仮定として、もしもタスクが冷静であったなら、これから起こる事態は予想の範疇であっただろうし、「よく知らないけど確かネットゲームとかで言う……ほら、なんだっけ、MPKって言うの? そりゃやったら不味いわな」くらいのことは言ったかも知れない。
「……っ!」
息も絶え絶えになったタスクが見たのは、魔物を背に息を切らせ、そして絶望に染まった少年と少女の顔であった。
彼らからも同じように、魔物を背にして絶望を浮かべたタスクの顔がよく拝めたことだろう。
あろうことか、魔物に追われる2組の男女は互いに助けを求めて、魔物を引き連れて鉢合わせてしまったのだ。
背後には山犬蜥蜴。前方には少年少女を視界に挟んで2匹の緑肌の醜悪なモンスター。
「ゴ、ゴブリンです。逃げないと! 勇者さまっ」
アリスタが必死に袖を引っ張っるが、ここへたどり着くことに全労力を投入したタスクの心肺にもはや余裕はない。
少年少女も事態を察した様子で、膝から崩れ落ちていた。
少年が「姉さん」と呼んでいるところを見ると姉弟なのだろう。服装はヨーロッパ系の民族衣装に少し似ている。髪色は自然なブラウン。当然と言うべきなのか、アジア系の顔立ちではないようで、正確には見て取れないが、おそらくは10代半ばといった年齢に見受けられた。
職業柄ゆえ第一印象を広く浅く捉える癖がついてしまったタスクは、酸素の不足した頭でそんなどうでもいい分析をしながら、ゴブリンの持つ汚れた剣を眺め、そして思った。
あぁ、これ死ぬわ、と。
そんな人間の様子に悦を得たのか、コボルトはぐひぐひと喉を鳴らしながら口端を持ち上げ、ゴブリンたちはベロベロと剣を舐めまわしている。
コボルトが手斧を振り上げるのを見て、恥も外見もなく泣き叫びそうになるが、その声はすんでのところで上からかき消された。
「下がれ!」
何を言われたかなど全く理解できないタスクであったが、怒号に驚いて思わず尻もちをついてしまう。
途端に風切り音が幾重かに重なって響き、1本の矢がコボルトの首から生えた。同時に何本かの矢が鎧に弾かれ、あるいは地面へと突き刺さる。
「ひょぇぁ!」
後になれば助けようとしてくれたのだろうとは分かるが、不意に飛来する何本もの矢を見て28歳コンサル業の男性はいまにも泣きそうな声で後ずさってしまう。
巡らせた視線を再び手前に戻せば、もはや間近にまで迫った鎧騎士が映る。
手足と胴を覆った見るからに重厚な鉄の塊に加えて、背中には盾と思しきもの、身の丈の6~7割はあろうかという鉄板を担いでいる。にも拘らず、恐るべき勢いで突っ込んでくる。
目標を変更して剣を構えたゴブリンたちに目を付けたその赤毛の騎士は、腰に固定されていた
「ふんっ!」
途端にゴブリンたちの上半身が吹き飛び、色々なものが撒き散らされる。
最後に、矢を受けてよろめくコボルトへのとどめとして犬の頭部が粉砕された。
タスクは息をするのも忘れて地面にへたれこんだ。
鎧に包まれたその人間重機は戦鎚棍にこびり付いた色々なものをボロ布でふき取ると、辺りを見回しながら腰を抜かして座り込む4人のもとへと歩み寄ってきた。
「怪我はないか、お前たち」
「はい。ありがとうございます。アージリス様」
先ほどまでは確認する余裕など全くなかったが、近づいてくるその顔と声からその人間重機、もとい鎧の騎士が女性であると言うことに気づき、そしてアージリスという名前であると窺い知ることができた。
某有名劇団で男装をして王子様役でもやっていそうな、凛々しくも整った顔だち。要するに、なかなかの美人だ。
「お前たちには捜索の依頼が出ている。
「は、はい」
「ご迷惑をおかけしてすみません」
やはり姉弟であったようだ。
続いて赤髪の女騎士の視線はタスクへ向く。
「お前は……見たところ御側役の装いのようだが、城では見なかった顔だな」
「あ、はい。どうも」
姉弟よりは歳を重ねているようにも見える。断定はできないが、タスクより半回り若い程度だろうか。
ともあれ鋭い眼光が少し怖い。
重厚な鎧のせいか、はたまた先ほどの大立ち回りを見たからか、へたり込んだタスクからはまるで2メートルを超える大男のようにさえ見えた。
「立てるか?」
表情は胡乱げであったが、手を差し出してくれたところを見ると一応の心遣いはしてくれているようである。
「あぁ、ありがとうございます。助かります」
ぐいと力強く引かれて立ち上がらせて貰うと、鎧に包まれた女騎士の胸もとが視界に入る。
首を上に向けて視線を上げれば再び赤毛の女性の顔。
「…………デカくねっ!?」
立ち上がってもなお、見上げなければ顔が見えないほどだ。
アージリスの顔色が変わったのを見て、思わず「あ……」と呟く。
もちろんタスクとて普段ならばこんな礼を失した発言はしないが、とにかく吃驚してぽろっと出てしまったのだ。
と思いきや、目線が不意にアージリスと同じ高さになる。
「ぐえ」
代わりに首が苦しくなったのは、スーツの後ろ襟を掴まれているからだ。
タスクはぞんざいに扱われる野良猫の気分が少し分かった気がした。
「いやその、助けて頂いたのに、とんだ御無礼を致しまして……」
ブラブラと揺らされながら謝罪を試みるが、女騎士の表情は晴れない。
「貴様、命を救われておいて随分無礼なヤツだな」
そのまま左右にゆさゆさと揺さぶられてしまう。
片手で成人男性を持ち上げる行為が無礼でないかどうかとか、これならお互いさまと言えないこともないとか、そういう考え方もあるが、この場合においてそもそも大元の原因がどちらにあるかと考えると反論は憚られた。サービス業などの顧客対応トラブルでもしばしば責任者の裁量が問われる問題でもある。
「申し訳ありませんでした。なにぶん人間ばかりの場所で生きてきたんで……デカい種族の女性を見るのは初めてで……」
とにかく謝罪をした上で理解を得るしかないと頑張ってみるタスクであったが、
「あのぉー、勇者さまぁ。このヒトも人間さんですよぉ」
「えっ?」
結果として失敗の上塗りに終わった。
「貴様、本当に喧嘩を売っているらしいな」
拳が握られた
「あ、いや。ホントすいませんでした。ア、アリスタ、助けて! なんとか言ってくれ!」
こんな腕力で殴られれば死んでしまう。恥を捨てて助けを請うタスクに、慈愛に溢れた可愛らしい妖精様は健気にも手を差し伸べてくれた。
「あのぉ。人間さん? 勇者さまは別の世界から来た方なので無知で非常識なんです。許してあげてください」
全く持って釈然としない意見だが、まずは物理的な意味で再び地に足がついたことに感謝をしたかった。
「妖精……か? これは凄いな。まさかこの目で見ることができようとは」
一方のアージリスは本当に頭にきていたようで、どうやら今まではアリスタが見えていなかったようである。
「それに勇者とはどうゆうことだ?」
タスクの予定では人と出会うまでに呼称を改めさせようと思っていたのだが、結果として手遅れになってしまった。
「はい。魔王をやっつけるために大精霊アダムスの導きによって勇者さまをお招きしたんです!」
何を言っているんだと言わんばかりの表情でタスクを眺めるアージリス。当の本人が一番困惑しているのだから当然だ。
「……よく分からんが、行き場に困っているなら一緒に来い。向こうに馬を待たせてある。古くから妖精は平和と豊穣を運ぶ使者とも聞く。姫様もお喜びになるだろう」
「あ、はい。お願いします」
アージリスが属するのがどのような集団か不明瞭な以上、『ついて行かない』という選択も判断としてありえる。
だがタスクは意思決定における『満足化基準』にのっとることにした。
野球に例えるところの、『来るか定かではないおいしい球が来るまで待つくらいなら、早いうちに手の出るインハイの球を打っちまえ』という理論をビジネス風に言ったものである。
要するに、もうビビっちゃったので今のうちに一緒に行かせてください、ということでもある。
「それと貴様、次に無礼なことを言ったら放り出すからな! 覚悟しておけ」
「あっはい」
アージリスに睨まれる。身長のことを言っているのだろう。
冷静になって周囲を見れば、助けられた二人も、他の弓兵らしき者たちも普通の身長だ。
彼女には悪いことをしてしまったと、タスクは心の中で反省した。
「確かに私は少しばかり背が高いが、とは言え0・028リールグだ。鎧のせいでよけいに大きく見えるのだろう」
なぜか少し照れながら身の丈を明かすアージリス。だがタスクは無意識にそれにリアクションをしてしまった。
「いや嘘つけ! どうみても……320ルグはあるだろ!」
どう見ても俺より頭一つ以上デカいじゃないか、と竜頭蛇尾気味に付け加えつつ、タスクはとっさに暗算し数字の間違いを正してしまう自身の職業脳を呪った。
ほどなく、「ぐえぁ」という、襟首を吊られて腹パンされた男の悲鳴が響いたのは言うまでもない。
余談だがタスクの背丈は170センチであり、更に余談だが、320ルグ、つまり3・2ラールグは、およそ210センチである。
アリスタの言う10ロールグという当初の予想の真偽は不明だが、人里と呼ぶべき場所へは荷馬の脚で20分程度の距離であった。
サーブリックと名乗る弓兵らしき男性の馬にやっかいになって、この場に到着するまでに三つ分かったことがある。
まず第一に乗馬が予想以上に難しいのだということ。
おかげでその青年の背にピッタリとしがみつくことになり、大の男が二人そろって苦虫を噛んだような顔をする羽目になった。
第二に、彼らの住まいがエクルス砦と呼ばれる場所であること。
アリスタの当初言っていた『おっきな街』とやらがどの程度の尺度で言われていたのかは知らないが、ここはタスクの目からみても大きいとは言いがたかった。建築面積は目測でおよそ1万平米くらいだろうか。野球のグラウンド一つ分に満たない程度だ。外壁までを含めてもせいぜいその1・5倍程度だろう。
平素なら十分広いと感じるだろうし、石造りの壁の珍しさに写真を撮ったかもしれない。だが建物の中も外も、そして砦の外壁の外にまで人で溢れかえっている。痛んだ武器の手入れをする者、怪我の手当てをする者、縫い合わせたボロ布でテントを作る者、あるいはボンヤリ空を眺める者まで様々だが、とにかく人口過密すぎる。
第三に、つまりこの国はもう敗戦間近であるということだ。
砦と称されるこの場所がこの惨状となれば、住むべき土地からすでに追われた身の人間が大勢いるということなのだろう。
兎にも角にも、とんでもない場所に、いや、とんでもない世界に来てしまったものだとタスクは改めて嘆いた。
繋がれた荷馬のそばでそんな思考を巡らせていると、一行を残して一度姿を消したアージリスが戻ってきた。
「姫様がお会いになるそうだ。アリスタ殿、どうか平和と豊穣を運ぶ使者として、姫様にお力をお貸し頂きたい」
「なんか分かりませんけど、ヒメサマさんっていう方とお話すればいいんですかぁ?」
タスクとしては、どう考えてもそれは原因と結果が逆であり、もとからのどかで豊かな場所だから妖精がいたのではないかと言いたかったが、これ以上この人間重機女に怒られるのが正直に言って怖かったので口は挟まなかった。
「おい。貴様もそのような御側役の装いをしているくらいだ。謁見の経験は有しているな? 先刻のような無礼があればその首が落ちると思っておけ!」
「え? 俺も行くんですか?」
てっきりアリスタだけが行くのだと思っていた。
「どこの家の者かは知らんが、おおかた使えていた主を失ったところをアリスタ殿に導いてもらったのだろう? 見聞きした魔王軍の情報を貴様の口からもお聞かせしろ」
幸か不幸か、勇者だの召喚だのという単語はあまり印象に残らなかったようで、どうやら執事かなにかだと思われているようだ。
ともあれ、今更になって嫌だと駄々をこねる訳にもゆかず、アージリスと件の姉弟の後に続いて砦の中を進むことになった。悲しいかな日本のビジネスマンは流れに逆らう行為には慣れていないのだ。
中の様子もやはりと言うべきか、壁に等間隔で据えられた燭台も全体の3分の1程度しか灯されていない。財政破綻寸前といった感じだ。
外観の印象通りそこまで大きい砦ではなかったようで、数分歩いただけで目的のドアらしき場所へ着いた。
衛兵が二人、ドアの両脇に立つその様子は如何にもファンタジーっぽいが、その衛兵たちも顔や腕に真新しい生傷がある。
軍隊やファンタジーに詳しくは無いタスクにも分かる。普通はこういった近衛兵は直接戦って傷を負うような前線には行かない。つまりはそうゆうことだ。
「報告した姉弟と、それに合わせて保護した者たちをお連れした」
アージリスの声に合わせて両開きの扉が開かれる。
予想はしていたので驚きはなかったが、狭くもなく広くもない簡素な部屋だ。騎士や執事といった者たちが控えてはいるものの、最低限の調度品とレースのカーテンによる仕切りがあるだけだった。いわゆる玉座などといった印象はまったく無い。
数歩立ち入って、アージリスと姉弟がほぼ同時に跪き頭を下げる。視界の端で三人を観察していたタスクも一瞬遅れてそれに続いた。アリスタはこの際放っておくことにする。
「騎士団長代行、
カーテンが開かれる衣擦れの音に続いて、優し気な声が響いた。
「ご大儀でした。皆さん、お顔をお上げになってください」
アージリスに続いて姉弟が顔を上げたのを確認してタスクも顔を上げる。
そこにいたのは隣の姉弟とそう歳の変わらなそうな少女であった。
陽光のように輝くブロンドヘアと蒼い瞳は、まさしくおとぎ話の姫君そのものであったが、シルクのドレスを着ている訳でもなく、ティアラを乗せている訳でもない。髪型はハーフアップ、服装はディアンドルを少し上品にしたような感じ。
つまり、いたって普通だ。
外の人々のように薄汚れてこそないものの服装の仕立てはそう変わらない。庶民の不便に対して反した生活をしている訳ではないようだ。
タスクとしては、上流の者は上流なりの生活をするというのを悪いこととは思わないが、ともあれこの姫様とやらが一般の市民を大切に思う人柄だというのは、ここで観察できる情報だけでも十分に推測できる。
「ハーズ・オペラニアさんとバーグ・オペラニアさんですね。よくぞ無事にたどり着いてくださいました。北東の砦の方々は本当にお気の毒に……」
まずは隣の姉弟に労いの言葉がかけられる。
当然タスクが口を挟むような話題でもなく、次第を静聴することとなった。
だがおかげで、アリスタの話だけでは理解の及ばなかった多くを、ようやく察することができた。
まずこの国、ゴルトシュタイン王国の首都はここから東に12ロールグほどの距離にあり、すでに魔王軍の侵攻によって陥落していること。そしてその戦いで国王や王妃、多くの兵士たちが命を落としたこと。
王都を追われた国民たちは散り散りに逃げ延び、各地の集落や砦へと身を寄せたこと。
周辺に同等の規模らしき国家があるが、救援どころか国民の受け入れさえも拒まれていること。
今も王都には魔物たちが蔓延っていること。
それらが僅か3カ月前の出来事であること。
そしてこの姉弟がこことは別の砦へと避難していたが、その地もまた魔王軍の手に落ち、『夫婦貝(アライアンス・コンク)』と呼ばれる貴重な通信機器のようなものを守って姫のもとまで逃げ延びてきたことなどだ。
途中、アリスタが耳元でいちいち感想を話しかけてきたが、最低限のTPOは弁えているようで周囲には響かない程度の小声であったので全て無視した。
「こちらが父より預かりました夫婦貝になります」
姉弟の姉、ハーズがほら貝を掲げると傍に控えていた執事服の老人がそれを受け取った。
「長い道のりをご大儀でございました。寝所も食べ物も足りていませんが、どうかお体だけでもゆっくりとお安めになってください。メイナード、お二人を休める場所へご案内して木の実とスープを差し上げてください」
「かしこまりました」
姫の言葉に先ほどの老人が応じて、定型的な挨拶の後に二人を連れて退室した。
先刻の夫婦貝とやらは、もともと置いてあった四つと合わせてキャビネットに並べられている。二つで1セットならば、もう一つどこかにあるのかも知れない。
「さて、そちらのお方は?」
ようやくと言うか、ついにと言うか、姫の視線がタスクたちへ向いた。
「はい。オペラニア姉弟を保護した際に、ともに魔物に襲われていた者です」
もちろん謁見などしたことのないタスクであったが、ビジネスシーンであれば丁度口を開く頃合いだ。
一先ずは無難な対応をしておけばいいだろう。
「お初に目にかかりま……」
「はい。私はアリスタです! こっちは勇者さまですぅ。……あっ。でも勇者さまは勇者じゃないって言ってて、なんだか手違いだったみたいなんでぇ、あんまり勇者さまじゃないかも知れません」
まぁ勿論、本当に最低限のTPOしか持っていなかった妖精に邪魔をされる訳であるが。
「あら可愛らしい。貴方が伝承に聞く妖精さんでいらっしゃいますの?」
「はい。『アリスタは素直で良い子だね』って妖精の中でも評判だったのでぇ、それはたぶん私のことです」
そして色々なことがありすぎて結局、その『勇者』とかいう『コミット』並に定義の分かりにくい単語を口止めしておくことを忘れていた。
「まぁ。宜しくお願いしますね、アリスタさん。そちらの勇者様というのは?」
「あ、はい。日々銀佑(ひひがね たすく)と申します。勇者というのは彼女の上席にあたる大精霊の手違いのようでして……」
結局なんとも冴えない挨拶になってしまう。
「勇者さまは別の世界から来たんですよぉ!」
そして一切の秘匿なく、大盤振る舞いで更に明かされていく勇者様の秘密。
タスクとしては正直を言えば、こんな危険な場所で素性を明かして関わりを持ちたくはなかった。
確かに魔王軍とやらも恐ろしいが、おおかた人間たちも過酷な避難生活でゆとりをなくしていることだろう。
「まぁ、それはそれは」
だが姫は興味津々なご様子だ。
「改めまして、ソフィア・ハフ・フィロテレス・ゴルトシュタインと申します」
「……宜しくお願い致します」
無難な返しをしておく。この世界の感覚ではもしかしたら「お見かけ同様に麗しゅうお名前、感銘いたしました」とかそんなことを言うのかも知れないが、下手に慣れない真似をして失敗はしたくない。
その点については気にした様子は特になく、だがソフィアは僅かに座上から身を乗り出した。
「それでタスクさん。現在この世界では、北端の地で誕生した魔物の王、デプレケイオスによって各地に侵略が行われています。エルフも、ドワーフも、我々人間も、日に日に土地や文化を奪われ、数を減らしています。タスクさんはお召し物を拝見しましても、異なる世界でも名のある方へお仕えされていらっしゃったのだとお見受け致します。どうか私たちにお力をお貸し頂けませんか?」
確かに若干背伸びして麻布の有名店でオーダーしたブランドのスーツではあるが、別に名のある方へはお仕えしていないし自営業だ。
それにそんなことを言われても、財務や産業面の話なら情報さえあればなんとかなるかも知れないが、こんな身の安全すらままならない場所でタスクができることなど何もない。
「……ち、力を、と仰いますと?」
とはいえ、タスクとしても藪から棒に断るのも失礼かもという思いはあり、とりあえずは狼狽えたふりをしてみた。
「魔法でも、剣でも弓でも、タスクさんのお得居なもので構いません。直属の兵もお付けいたします。あぁ、異なる世界から足をお運び頂いたのであれば、身の回りのお世話もお困りかしら。このような砦ではおもてなしも限られますが、よければ女中を選んでいただくくらいは……」
「いえ。剣も弓も魔法も、残念ながらできかねますので」
まぁ、きっとこうなるだろうとは思っていた。
砦や人々の惨状を見れば、藁にすがりたくなっても不思議ではない。
むしろ問題なのはその『勇者』とやらが、本当に藁切れ程度にしか役に立たないことのほうだろう。
「では、異世界ということは文化や魔法体系、武器なども異なるところであるやもと思いますが、どうでしょう。タスクさんのお知恵で何か私たちにお貸し頂けそうなものはありませんか?」
だが続いてされたこの質問は、タスクとしても少し予想外だった。
異世界であろうと、言葉の通じる相手なら本気を出せば口八丁の交渉術でのらりくらりと躱せるつもりだった。勿論その認識自体は今も変わらない。
だが先ほどのソフィアの『ある行動』と、今の文化的な差を見越した上での問いで分かった。なかなかに頭の切れる少女だ。
「過大なご評価を頂き大変恐縮です。しかしながら拝見させて頂いた限りでは、国家の一大事のご様子ですし、自分ごときがご助力させて頂くことは難しいかと」
まぁそんなことを言われてもタスクは銃だの爆弾だのといった武器のことなど知らないし、例え詳しくても机上の知識をこの地で実際に役立てるのは不可能だろう。
「勇者さまは多分きっといい人ですけどぉ、まだまだ無知で非常識なので難しいかもしれません」
そんな気持ちを知らずとも、流石は半日近くを共に過ごした仲と言うべきか、なんとも有難いことにアリスタがやんわりと否定してくれた。
「ですが、世界の調停者である精霊神アダムスのお導きに従うのであれば、タスクさんは神に認められるお力をお持ちでいらっしゃられるのでは?」
どうやら人間のあいだでは大精霊は神という扱いらしい。
タスクは改めてアリスタが口走ることの利用価値と危険性とを、合わせて認識した。
「いえ、お力添えさせて頂きたいのは山々ですが、自分の身には余る大任かと存じます」
きっとこんな感じだろうかと思いつつ、跪いた姿勢のまま深く頭を下げる。
「そうですか……。そのお話の通りであれば、タスクさんもさぞ大変なお立場なのでしょう」
ソフィアは残念そうに僅かに乗り出した身を戻す。
そんな姫を慮ってか、静聴していたアージリスが口を開く。
「ア、アリスタさん……。いえ、アリスタ殿は平和と豊穣をもたらす身だろう? なんとかご助力いただけないか?」
おおかた予想に反して、姫へなんの利益も生めなかったことを焦っているのだろう。
ちなみにこれを『認知的不協和』と言う。良かれと思って自分で選んだ買い物が、持って帰って使ってみたらなんか抱いていた期待と違って、イマイチな結果となってしまったときのやるせない気持ちだ。
「えーっと、豊穣ですかぁ? 私は草がいっぱい生えてる場所とか、おっきな木がある場所とかが好きです」
全く会話が成立していないあたりが、更にやるせない。
「ともあれ、日も暮れる頃合いです。アージリス。タスクさんたちにも木の実とスープを差し上げてください」
頭を下げて部屋を後にする。アージリスは見るからに不機嫌であったが、流石に直接待遇に反映されることは無かった。
案内された先は予想通りと言うべきか、屋外であった。先ほどの姉弟もいるようで、ここが先刻言っていた休める場所とやらなのだろう。
5粒の木の実と2口分程度のスープを貰うこともできた。
砦の立地で言う中庭にあたる場所のようで、人口密度がそこまで高くないのと、内壁に渡された布が屋根になっている分だけ、最初に目にした場所よりは恵まれた環境に見えないこともない。
「やぁ、さっきはお互い災難でしたね」
姉弟の弟、バーグの隣へと腰かけた。
相手が男女二人組の場合は基本的に、自分と同性側から近づいた方が相手は心理的抵抗を感じにくい。
「あ、どうも」
「どうもです」
フレンドリーとはいかないが、先刻勝手に聞かせてもらった境遇を考えれば当然だろう。
しかしタスクとしては二人との邪魔の入らない会話は、実は待ちわびていたものでもある。
騎士や姫とは異なる生の情報が得られるし、同じ危機を共有した者同士、多少は口も軽くなるはずだ。
「ハーズさんたちも無事で何よりでしたねぇ。あれは私も流石に死を覚悟しましたよぉ。勇者さまの」
「いや普通そうゆうのは自分の死を覚悟するんだけど」
どうせアリスタがすぐに無駄口を叩きだすであろうことも計算ずくだ。
「さっきも思いましたけど、本物の妖精さんなんですね」
予想通り、早速姉のハーズが食いついてくる。
「あぁ。二人は妖精に会うのは初めて?」
しかしここでアリスタに主導権を持たれては、会話は迷走するだけで終わりである。
猫じゃらしのように振った指先でアリスタの気を引きつつ、タスクは空いた方の手で会話の主導権をがっちり握った。
「勿論です。お婆ちゃんは若いころに会ったことあるって言ってましたけど、その頃から誰も信じてくれなかったみたいです」
更にバーグが食いつく。アリスタの話は間違っていないようで、ずいぶん前からすでに希少な存在だったらしい。
「そうなんだ。じゃあ今いる世代じゃ見たことある人は少ないのも仕方ないかもね」
極力ネガティブなイメージを避けつつ、だが答えを限定するようにトーンを少し落として誘導する。
「そうですね。ただでさえベテランの兵士さんや、体力の衰えた高齢の方がどんどん減っている状況ですもんね。兵士の方も多くはあの日に王都に残って戦ったって聞きますし」
流石は素直な若者と言うべきか、聞きたい情報がするすると出てくる。
「そういえばこの辺にもその魔王軍が来てるんだよね?」
兵士たちの様子や生傷をみれば分かる。
「えぇ。聞いた話ではこの砦でも週に1回か2回くらい迎撃に出るみたいです」
それが自身のいた世界のそれと比べて多いのか少ないのかはタスクには分かりかねたが、いずれにせよそう長くは持たないことだろう。
「他の国に逃げようって人はいないんだ? ここから国境まで遠いの?」
先刻に難民の受け入れが拒否された話は聞いていたがタスクはあえて聞いた。これも今なら異なる答えが帰ってくるかもしれない。
「西に行けば8ロールグくらいでコンバス国との国境がありますけど……」
再びハーズが答えてくれる。
東の首都に向かうより近い距離だが、あまりポジティブな語調は感じられない。
「コンバス国は軍隊の統制が徹底されてて国境に詰所があるので。……それにみんなにとって王都が帰る場所ですから」
バーグが続きを紡ぐ。
「あぁ。なるほど」
精神的にも、機能的にも、気軽に亡命ができるのであれば普通はこんな生活は選ばない。
分かっていた答えではあるが、得るものは得られた。
「ありがとう。邪魔したね」
立ち上がって、人の少なそうな辺りへ移動する。
「なんだか二人とも、あんまり元気がありませんでしたねぇ」
アリスタは相変わらず能天気だ。
「聞いた感じでは家族を亡くしてる風だったからな。当然だろ」
「可哀想ですねぇ。どの人間さんも、みんな大変ですけど、あのソフィアさんは他の方よりも元気そうでしたねぇ」
「へぇ……そう見えたか?」
振り回されるのは御免だが、タスクとしてもアリスタの能天気さを否定する気はない。何百年も人の顔色をうかがう必要の無い生活を送ってきたのだから能天気なのは当然のことだ。
だが、もしかしたら動物的な勘で人の感情の機微を見抜いたりするのでは、とは思っていた。
しかしどうやらそんなことも無かったようだ。
「そう見えたかって? 違うんですかぁ?」
首を傾げるアリスタ。考えているのか、格好だけなのかは定かではないが。
「まぁ確かに、あのお姫様は俺に対してもお前に対してもあっさり引いたし、俺たちの晩メシが木の実5粒だけのことにも一言も触れなかった。それに自分の両親や大勢の国民を亡くしたばかりにしては元気かもな」
アリスタのような喧しさではないが、まぁ確かに元気には見えた。
一見すればだが。
「ほらやっぱり。タフガイってやつですねぇ」
他の避難民も一様に元気なら、文化の差としてあり得るかもしれないが、そんな様子はない。
「思い出してみろよ。あのお姫様は俺が別の世界から来たって聞いて、会話の途中だったのにすぐに名乗っただろ?」
直後に無意識に身を乗り出していたことも考えると、気持ちとしてはすでに次の話題に向かっていたはずだ。
だが彼女はわざわざ自分の名を教え、ご丁寧に魔王の解説までしてくれた。
「あ、そぉいえばそうですね」
「相手と自分の基礎情報量の違いを把握して、相手に気遣いできる人ってことだよ。普段は名乗るまでもない存在である自分の名前を、俺が知らないと察してすぐに自己紹介をしたんだ。まぁ普通と言えば普通だけど、そんな人が家族を亡くして国を追われて、大勢の人が死んだことに心を痛めないと思うか?」
タスクも職業柄、駆け出しなりに大勢の起業家や経営者を見てきた。特に人柄というのは本人が隠してもよく見える部分の一つだ。
「じゃあやっぱり、お姫様の力になってあげるんですかぁ?」
「いや無理だろ。俺たちにできることなんて無いし、それに夜明けの少し前まで待ってここを出るから」
先ほどハーズとバーグに近づいたのもそのためだ。
こんな状態で、しかもいつ攻め込まれるか分からないというのでは、アリスタと出会った森とさして変わらない。
8ロールグなら急げば半日の距離だし、普通の亡命者は無理でも妖精を連れたタスクが異世界の知識を披露して本気で交渉すればなんとかなるだろう。
「え!? それってコッソリ出ていくんですかぁ? あのソフィアさんなら挨拶すればお見送りしてくれるんじゃないですか? 良い人そうでしたし、勇者さまの言ってた通りなら、悲しくても元気な振りをしているくらい良い人なんですよね?」
確かに思いやりがある人なのだろうが、それは第一に国民に向けられるものだ。
先刻に彼女があっさりと解放してくれたことも気になる。
「客観的に見て良い人でも、主観的に見たらメリットのある人かは分からんからな」
タスク自身は『勇者様』に本当になんの力も無いと分かっているが、彼女からすれば国民を思えば藁を聖剣と見間違うことだってあるかも知れない。
そんな思案に合わせて、視界に大きな鎧姿が現れた。
「ヒヒガネタスク! 姫様が明日、改めて謁見をお許しになった。明朝、目が覚めたら近衛騎士に声をかけろ!」
「あぁ、はい」
案の定である。
離れてなお巨大に見える大盾と大女を見送って、タスクは大きくため息をついた。
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