プロジェクト2 【労働環境分析】

 北の地で30年に渡って魔王軍との戦いを続けていたサヴァイ国が遂に陥落したと聞いたときにも、国民たちは不安などほとんど口にしなかった。

 騎士団と王国軍、そしてゴルトシュタインが誇る魔導師ソーサラー隊がいれば魔王軍など恐れるに足らず。

 誰しもがそう思っていた。


 だが、国境付近での防衛戦を繰り返すうちに、前線の者たちが気づき始めた。

 倒せども倒せども魔物たちの侵攻は止まない。おまけに魔法においてもゴルトシュタインのそれを上回る威力であった。

 やっとの思いで敵のゴブリンやコボルトを倒せば、今度はオーガやトロールが出てきて腕自慢の騎士たち数人をまとめて片手で吹き飛ばす。

 見かねた魔導師ソーサラーたちが火属性攻撃魔法フレイムアローを放つが、それもまた敵陣に突き刺さることなく水属性障壁魔法アクアウォールによってかき消された。


 積み重なった仲間の亡骸を前に、魔導師ソーサラーたちは前線の兵が戦線を突破できないせいだと叫び、兵士たちは魔導師が決定打を与えられないせいだと声を荒げた。

 そんな戦いを何十か何百か繰り返した頃、戦場は自然と王都の正面にまで迫っていた。



 ゴルトシュタイン王国騎士団団長、戦盾騎士ホプリテスのマズルス・クラスタルは、民に慕われる騎士の鑑のような存在だった。

 そのおおらかな人柄と、一騎当千の戦鎚斧ハルバート捌きによって民衆や騎士たち、そして国王からも一様に広く深い信頼を得ていた。

 それが過去形であることを本人は否定しない。

 3・5ラールグにおよぶ鍛え上げられた屈強な体躯は、王国で唯一オーガとさえ対等に戦える存在であったが、いまやそんな程度では国民からはなんの羨望も得られなかったのだ。

 敗戦の連続で国民からの信頼は地に落ちていたが、そんなマズルスにも所謂『最後の砦』程度の役目は残されていたようで、こうして城門前の戦線にて全軍の指揮を担っている。


 本来であれば自身も前線に身を投じて戦友たちの盾となりたい。だがいまはそれもままならない。この城門こそが名実ともに最後の砦なのだ。

 後方から新たに若い騎馬兵が報告に現れる。まだ少年とも呼べる年頃だ。


「クラスタル騎士団長。ご報告致します」


 騎士団や兵士には顔の効くマズルスであったが、ここ半年で兵士たちにずいぶんと見慣れぬ顔が増えた。

 つまりは見知った顔がその分消えていったということだ。


「うむ。状況はどうか?」

「国民の避難は概ね完了いたしました。西門にもいくらか敵軍が回り込んでいますが、護衛の軍が応戦中です」


 避難民の護衛には残った軍の約半数を当てている。敵本隊に突破されない限りは大丈夫だろう。


「国王陛下はどうなされたか?」

「王妃殿下とともに御身の戦いを最後までご覧になられるそうです」


 言い終えて、若い騎馬兵は城を仰ぎ見る。マズルスもまたそれにならった。

 戦盾騎士として王国に仕えて30余年、同世代であった現国王とは忠誠を誓った主従の関係であったとともに、密かに酒を飲みかわす仲でもあった。国民を第一に考え、国を思う素晴らしい王だ。彼のもとで戦盾スクトゥムを握れることはマズルスの誇りでもあった。


「……王女殿下は?」

「はい。共に御身を見守られることを望まれておりましたが、クラ……近衛騎士のアージリス・クラスタル様をお傍におかれて避難民と共に脱出されました」


 一瞬言葉に詰まったのは報告対象と報告相手が同姓であったからだろう。


「……大儀であった。貴公は避難民の護衛へと合流し民を守れ!」


 今更少年一人を逃がしても仕方がないが、ここに残らせたところでそれは更に仕方のないことだ。

 若い騎馬兵が離れていくと、同じ頃合いで物見の兵が声をあげる。


「前線が突破されました!」


 目を凝らせば既に迫りくる魔物たちが見える。


「全軍構えぃ! 戦盾騎士隊は横隊にてオーガを止めよ!」

「はいっ!」


 マズルスの持つ特注品ほどではないにしても、巨大な盾を構えた騎士たちがずらりと並んだ。


「ラガード! 剣士隊を率い、有象無象を蹴散らせ! 敵後衛をさらけ出すのだ!」

「……心得ました」


 寡黙な性格ながらも、剣において右に出るものはいないと評されるラガード・グランド。

 もとは孤児であった身ながらも、『斬岩』と呼ばれる剣士に拾われ、以来その腕を磨き続けてきたストイックな青年だ。

 彼を先頭に、剣士たちが一斉に剣を引き抜く。


「アーレイ! 弓兵隊を任せるぞ! 敵後衛をかき乱せ!」

「うっす。リョォカイです」


 森の中で生まれ育ったアーレイ・リリアントは、風見の魔法(ストリーマ・フォーサイト)を使いこなす凄腕の射手である。

 彼とその親友であるサーブリックの剽軽なやりとりは、平素は勿論のこと、戦時においても荒んだ皆の心を和ませた。そしてそれでいていざとなれば頼れる、弓兵たちのまとめ役でもあった。

 彼が矢を握ると、仲間たちも一斉にそれに続いた。


「レイトリィア! 魔導師隊は攻撃魔法を6、障壁魔法を4にて配置、合図に合わせて詠唱を開始せよ!」

「は、はい。がんばります」


 弟思いの心優しい性格の持ち主で、酒の席ではいつもアーレイにからかわれて、すぐに泣きべそをかいてしまうレイトリィア・マジョリティ。

 しかし魔法に関して彼女に並び立つものはいない。王国でも唯一の、3つの属性を減衰無く自在に操る三属性魔導師トリエレメンタム・ソーサラーであり、高速詠唱クイック・ジングルの使い手でもあるのだ。

 魔導師隊が彼女の指示に合わせてピッタリと6対4に分かれた。


「城門を突破されれば国は落ちる。我々に後はない。だが負けてはおらぬ! ケダモノどもに思い知らせてやれ! ここがゴルトシュタインであることを! 最強の盾を! 最強の剣を! 最強の魔法を! ここで示せっ!」


 そして兵士たちが一斉に吠える。

 確かに広い目で見れば戦局の悪化によって、騎士団長マズルス・クラスタルはかつて王国全土に響いたカリスマの多くを失ったかもしれない。

 だが今この場において、兵たちは勝利を確信していた。


 魔物どもを一匹残らず切り飛ばし、叩き潰し、焼き払う。王都を守り抜き、そして侵攻された北方方面も取り戻す。まだ王国は負けていない。ケダモノどもに王国軍の力を思い知らせてやるのだと。

 王国最強の戦盾騎士と、自分たちならばそれができると、皆が確信していた。


「征くぞぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 鬨の声をあげて突進するマズルスに、全軍が続く。

 マズルスたち戦盾騎士が最前線で敵を引き付け、その隙間から飛び出したゴブリンをラガードが次々と切り刻み、他の剣士もそれに続いた。

 弓兵たちが続々と矢を放ち、とりわけアーレイのそれは風の流れに乗って、空を駆ける鳥猿類ホークヘッドの目すら射抜いた。

 前線から要請があれば魔導師隊が即座に答え、魔法を放つ。

 およそ戦いには適さない性格のレイトリィアであったが、その手から放たれる魔法は、何十、何百という魔物を打ち倒し、潰し、焼き払った。


 誰しもが思った。

 やれる、と。

 皆が思った。

 勝てる、と。


 そうして戦い続けて、程なくして、王国を守る最後の砦であるゴルトシュタイン軍の精鋭たちは、全滅した。


 その最後の一人となってしまったレイトリィアは、詰みあがった仲間の死体を眺めて、そして迫りくる手斧が視界一杯に広がるのを見ながら思った。


 『あぁ、いったいどの時点で、間違えていたたのだろう』と。





 タスクは目を覚ますと、まず頬を抓って、そして額の汗をワイシャツの袖で拭った。


 どこからが夢だったっけ、と考えて空を見上げれば蒼く輝く三日月。

 周囲を見渡してみれば、先ほどと同じ砦の中庭だ。腕時計の時刻は午前3時。ただし日没した頃を午後6時として適当に合わせ直しただけだが。


「……ひょぇあああーーーっ!」

「うぉ!」


 耳元で響く突然の悲鳴に思わず体を震わせてしまう。


「……ってあれ? 勇者さまぁ?」


 はたして妖精に伝わる吃驚したポーズなのか、アリスタはバンザイしたままの姿勢できょろきょろと視線を巡らせた。


「急に変な声を出すな。夜は静かにしろ。そしてお前は昼ももう少し静かにしろ」

「えぇー、だってすっごい怖い夢だったんですもん。べちゃべちゃの血まみれの斧が、びゅーんって迫ってきて」


 何気なく話すアリスタであったが、タスクは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。


「途中までは、なんだかカッコイイ感じだったんですよぉ。おっきな体のおじさんが出てきて。たしかぁ、名前は……」


 側頭をくりくりしながら思い出そうとするアリスタであったが、その必要はない。


「……マズルス・クラスタル」


 馴染みのない土地の名詞だろうと直前に見聞きしたものを忘れるタスクではない。


「あ、そうですそうです! えぇー!? 勇者さまも同じ夢を見てたんですか? すっごい偶然ですねぇ」


 偶然なはずがない。なんの因果関係も生じずに二人そろって見ず知らずの人間の夢をみるなどあり得たことではないだろう。


「俺が説明責任アカウンタビリティとか言ったからか? おい。大精霊は俺に何をさせたいんだよ?」

「えっと、それは私にも……。勇者さまは世界に調和をもたらすお方ですから」


 情報が得られるのは助かるが、こんな無用の長物は求めていないし、心臓に悪いのでやめてほしい。


「まぁとにかく丁度いい時間だ。裏の方から出るぞ。姫の居た部屋や食料関連の施設は番が居るだろうから避けて、人の居ない方から行くから。先に飛んで行って様子を見てくれ。静かにしてろよ」

「えぇーっ!? 本当にここから出ていくんですかぁ?」

「いいから行けよ。ほれ」


 前を飛ぶアリスタについて中庭を出て、廊下を進む。

 深夜とはいえ、そこを寝所にしている中の何人かは起きている者もいた。だが、明かりもろくに無く、それ以上に他の誰かに興味も無い環境では素通りしたところでさして問題は無かった。

 砦の奥半分を抜けてドアを開けると裏庭にでる。どうやらここは寝所代わりには解放されていないようで、見渡すかぎりでは市民や兵士が寝転がっている様子はない。


「って言っても、背の高い庭木があるから気を付けて進……」

「あ、どうもこんばんわぁ」


 タスクは思った。確かに先に行って様子を見てくれと言ったし、静かにしてろとも言った。だが堂々と挨拶をしちゃダメだぞ、とは言わなかった。

 タスクは更に思った。あぁ、俺が馬鹿なのか、それともコイツがアホなのか……、いやいや後者だろ、と。

 しかし先方側にも予期せぬ挨拶であったようで、そのブロンドヘアの少女はすこし狼狽した様子を見せた。


「ア、アリスタさん。それにタスクさんも。こんばんは」


 タスクとしては彼女と会うのは、あまり嬉しくない。

 この少女、ソフィア姫に「国をお助け下さい」とか、「本当は大精霊の導きに見合ったお力があるんですよね」とか言われれば一層面倒くさいことになってしまう。

 ゆっくり死んでいくのが確実な場所にいるくらいなら、多少のリスクを許容してでも隣の国まで行きたいのは当然だ。


 だがタスクとてここへ残る人々へ同情はする。

 深夜の裏庭に一人でお姫様がいて、泣き腫らした目元に気づかれまいと、さり気なく拭っている様子を見れば、大抵の男は同情だけならするだろう。

 若くして、いやたとえ若くなくとも、住む場所すら失った大勢の国民の上に立つ器量などタスクには到底ない。

 逆の立場ならタスクだって泣いているだろう。

 そして、まぁだからってしてあげられることは無いけど、と心の中で付け足すのも忘れなかった。


「ですが、お二人ともこのような時間にどうなされたのですか?」

「あ!」


 そして慌てて口を塞ぐアリスタ。なぜお手本のように怪しい行動をとろうとするのか聞きたい。


「いやぁ、これはですね……」


 走って逃げる手もある。昔は脚には自信があったし、今でもジョギングはたまにしていた。

 だがソフィアの反応は、タスクの予想とは少し違ったものだった。


「……そうですか。お発ちになるのですね」


 アリスタの多大な失態があったとはいえ、今の一瞬からそこへたどり着かれたことにはタスクも少し驚く。

 こうなっては、正直に対応するしかない。


「……そうですね。良くして頂いて恐縮ですけど、もともと自分たちはよそ者ですし」


 遠慮なさらずに、という返しが通用する言い訳だが、彼女になら少なくとも意図は通じるだろうという思いはあった。


「……いえ。タスクさんこそお気遣いありがとうございます。でもよろしければ少しだけ、こちらでお待ちただけませんか? すぐに戻って来ますので」


 そう言うとソフィアは返事をする間もなく、走り去ってしまう。


「……どうするんですかぁ? 勇者さまぁ?」

「どうって……」


 もしかしたら油断させて人間重機を連れてくるのかもしれない。

 今の内に出発した方がいいのだろうか。と、そんなことを迷っている間にソフィアは戻ってきてしまった。

 時間にすれば2分も経っていない。息を切らせているところ見ると、走ってきたのだろう。

 人を連れている様子はないが、手に何かを持っている。


「お伝えすればこの地を発ってしまわれるのではと思い、先ほどは言い出すことができなかったのですが、これまでの周期から考えると、きっと明日明後日中には魔王軍の攻撃があると思います。どうかそれまでにできるだけ遠くまで行かれますように」


 タスクの予想は、半分は当たって、半分は当たらなかった。

 確かになんの関係も無い身としては、早急にここを出た方がよさそうだ。だが、ソフィアはそれを引き留めることはせず、なんの関係も無い男にまで気を使ってくれた。

 彼女が手に持っていたものを手渡される。


「朝晩は肌寒いですから。こちらを」


 濃赤色の外套だった。金糸を使った刺繍で王国の紋章があしらわれている。


「もともとは執政職の者たちが使用していたものですが、タスクさんは騎士や貴族というお見かけでもありませんし、こちらがお似合いかと思いまして。もし他国を目指されるのであれば国境でもお役に立つかもしれません」


 確かに仕立ては良い。着の身着のままのスーツだけよりは信用も得やすいだろう。


「ありがとうございます。恐れながら、引き留められるのかと思っていました」


 あえて本音を漏らしたのはタスクなりの誠意のつもりでもあった。

 たとえ立場の離れた関係であっても、礼を弁えた建前よりも、多少礼を欠いでも明かした本音こそが誠意たりえる場面もある。


「タスクさんはとても思慮深くて、お優しいお方なのですね。お話していれば分かります」


 それは無いし、少なくとも貴女ほどじゃないよ、とタスクは心の中で返す。


「……本当は何かお力添えを頂けるのであれば、お力をお借りしたいという思いもあります。……でも、これ以上ここで誰かが傷ついてしまうのを……見たくはありませんから」


 いまにも消え入りそうな声で紡がれた言葉であったが、言わんとしていることは伝わった。


「……お引き留めしても申し訳ありませんし、そろそろ失礼しますね」


 ソフィアが少し足早に去っていったのは、濡れた頬を見せまいという思いからだろう。

 彼女は『これ以上ここで誰かが』と言った。それはつまりこの砦の人間たちについては、すでに覚悟を決めているということだろう。

 何が悲しくてこんな安っぽい映画のような悲劇シーンを見せられなければいけないのか。

 そもそも、もとを正せばタスクはごくごく普通の経営コンサルタントであり、一刻も早くもとの世界に帰りたいのだ。


「ソフィアさん、やっぱり良い人でしたねぇ」

「まぁな」


 先週受注した事業再生。あれを成功させて、おいしい仕事を増やして、いい車に乗って、キャバクラに通って、そんな生活をしたかったのだ。

 どうしても無理ならせめてこの世界で事業でも始めて一山当てたい。


「ったく。ひどい世界だな。行くぞ」


 そうゆう訳で、さっさと砦の外へ向かう。


「えぇ。本当に行くんですかぁ? ソフィアさん可哀想ですよぉ。勇者さまぁ」

「いいから行くぞ。あとその勇者も辞めだ。二度とその呼び方はするな」


 貰った外套はとりあえず羽織っておくことにした。





 王国でも希少品の夫婦貝アライアンス・コンクは、古くは貴族たちの娯楽用途として用いられることが多かった品だ。

 最大で30ロールグほどの距離まで、1対1での双方向の会話が可能なその精霊器を、軍事利用できないかと最初に提案したのは、それまでにも魔法研究でいくつもの成果を上げていたレイトリィアだった。

 騎士団長のマズルスがそれを後押しし、遠からずそれは斥候兵が用いる定番のアイテムとして定着していった。

 そして現在においても、それはもちろん活かされている。


「先ほど斥候兵より、魔王軍侵攻の知らせが入りました。現在は北方へ20ロールグの場所を進行中です」


 タスクを見送って翌朝、ソフィアはこの砦に生き残った全軍、およそ800名の前に立っていた。

 側役兼教育係であったメイナードの進言もあって、この砦での迎撃をするようになって以降は率先してソフィア自らが軍の鼓舞にあたっていたのだ。


「きっとこれまでと同様、およそ3000の魔物が二手に分かれて進軍し、エクルスの森で合流するはずです。明日の午後にはここで戦闘になるでしょう」


 魔王軍の編成というのは地域差があるらしいが、ゴルトシュタイン近辺での戦い方はいつも決まって同じものだった。

 ゴブリンとコボルトを前衛として軍を衝突させ、人間たちの前衛が食いついたところで後ろに控えたコボルト・ロードやインテリジェント・スライムが魔法攻撃を仕掛ける。

 そして空から戦場を見守る鳥猿類(ホークヘッド)が頃合いを見てオーガたちを突撃させる。

 前衛となるゴブリンやコボルトが減ってきたら、今度は徐々に後退をはじめる。

 その頃には、『人間であったもの』も戦場に山ほど転がっていることになる。

 そして繁殖力の高いコボルト族とゴブリンの配備がある程度整った頃に再び現れるというものだ。最初こそどうにか迎撃できていたエクルス砦軍であったが、徐々に戦死者が累積されていき、それに比例して一戦あたりの死者数も日に日に増えていった。


 対するエクルス砦軍の戦いは 数的不利を補うべくしての一点集中防衛だ。

 北の草原を進軍してくるゴブリン、鳥猿類、スライムを中心とした軍。

 そして北東の峡谷を抜けてくるコボルト族、オーガを中心とした軍。これらを個別に迎撃したのでは圧倒的な数的不利を覆す術はない。

 それゆえ地の利を活かせるエクルスの森にて魔王軍を包囲する形で防衛を行っていたのだ。

 だが、今回は少し違った。


「王女殿下。恐れながら具申致しまする」


 そう言って前へ出て頭を垂れたのは剣士隊長代理のマクレラント・グランドだ。四半世紀前には地上最強とも呼ばれた『斬岩』の異名を持つ剣士であり、その後は一線を退き剣術指南役を担っていた男性だ。ひたいが広くなり、寄る年波で瞼の皮膚がたるみ始めた彼が再び前線に立った経緯は語るまでもない。


「どうぞ、仰ってください。マクレラント」


 あるいはソフィアも誰かが言ってくれるのを待っていたのかもしれない。


「ご聡明な御身のことです。お気づきとは存じますが、かろうじて迎撃を成し遂げられたのは前回まで。いまや我らの戦力では奴らの侵攻を止めることは叶いませぬ。民を守りつつ、全軍で南にあるレバルの山へ逃れることを提案致しまする」


 社会的地位や政治的地位こそ高くは無いマクレラントであはるが、若い頃は武者修行で各地を渡り歩いて多くを見てきた男だ。その進言は信用に足るだろう。

 だが当然価値観は人それぞれであり、そこには摩擦コンフリクトが発生する。


「馬鹿を言うな! 耄碌したのか、ジジイ!」


 ソフィアの目も顧みず声を荒げたのは、戦盾騎士ホプリテス、アトキンソン・ドゥーキスであった。


「この砦には守るべき民がいるんだぞ! まず俺たちが矢面に立って戦わずしてどうする!?」


 戦盾騎士の中でも特に剣での戦いに拘りを持っていた彼は、平素にはしばしば稽古相手にと剣士隊を訪ねる男であった。

 そしてラガードに敗れ去るアトキンソンを眺めるのは、マクレラントの日々の日課でもあった。

 まだ王都が健在で平和だった頃の話だ。


「儂とてそれは承知しておる。民を守りたい思いは、お主と変わらぬわ。だが儂等が敗れれば民もまた蹂躙される他ないのだぞ。大局を見よ若造」


 対するマクレラントも負けじと反論をする。

 ソフィアとしてはどちらの意見も理解はできる。言葉にして考えたくはないが、「せめて悔いのない最後を」というのが彼女の思いだった。

 一層ヒートアップするかと思われた2人であったが、


「いい加減にしろ貴様ら!! 姫様の御前であるぞっ!!」


 オーガの咆哮にも劣らぬ程の怒号によって黙することとなる。

 騎士団長代行、アージリス・クラスタル。

 もともとが横の関係であり、上下関係の存在しない騎士団と剣士隊、弓兵隊、魔導師隊ではあったが、避難以前より王女殿下の近衛騎士であったアージリスの立場は、ソフィアが国の代表となったこともあって、一応の立場として軍部の総預り役でもあった。

 もちろん彼女が騎士団長の娘であったことも大きいだろうし、もしかしたら某スーツの男よろしく皆も210センチの人間重機女が怖かったのかもしれないが、ともあれ異を唱える者はこれまでいなかった。


「双方の言い分は分かった。姫様、騎士団長代行として提案致します。まずマクレラント隊長の言う通り、民を一度南方のレバル山へ少数の護衛と共に逃します。その上で残った全軍を持って総攻撃を行います。その際には北の草原は無視して全軍で北東の峡谷を通る敵軍の殲滅を行うのが良いでしょう。あそこは崖に囲まれて狭いですから、一気に押し込めば軍の規模で不利にはなりません。これならば少ない軍でも敵を撃退できるはずです!」


 アージリスの意見は一見理にかなっていた。

 マクレラントもアトキンソンも、まぁそれならば、という顔をしている。

 だが、その聡明さ故か、あるいは直接的には戦いを知らない彼女であったからこそ、その作戦の無理に気づけたのか、とにかくそれは成功しがたいものだろうとソフィアは思った。


 だが、何も言わなかった。

 これ以上言い争っては欲しくなかったし、その作戦ならば希望が持てると皆が思うならばそれもまた仕方がないのだと。アージリスのその作戦を承認しようと思った。

 個々の戦力でも劣る上に数の差は歴然。800対3000だ。きっとどのような作戦でも結果は同じだろう。


 エクルス砦の兵が6000人を下回った頃、ソフィアはコンバス国の将軍家へ順々に自身との縁談を求める書状を送った。何とか援軍を送ってほしい。無理ならどうか助成を。せめて民の受け入れを。食料の援助だけでも。

 兵士たちが減るのを見る度に条件を下げた。結果、何通送ろうとも手を差し伸べる者は誰一人現れなかった。


 一国の姫が、自身の身までを対価にしてもなお、何の助力も得られなかった。

 幼い頃に読んだ英雄譚に登場するような、姫のピンチに颯爽と現れる勇者はおらず、王女という立場もまた、国民に対して何の救いも与えられなかった。

 兵たちが減っていくのをただ黙ってみてることしかできなかったような小娘が、これ以上皆の希望を削ぐような真似ができるはずがない。

 それ故、ソフィアは何も言えなかった。

 皆が納得のいく形で戦った結果の最後ならば、きっと諦めもつく。



「……却下だ!!」


 だからその声を聴いたとき、少女は驚きを隠せなかった。

 視界の端に近づいてくる濃赤色の外套姿を見つけたとき、少女は驚きを隠せなかった。

 ちょろちょろとせわしなく飛び回る妖精を見つけたとき、少女は驚きを隠せなかった。

 自分の頬に涙がつたったのを感じて、少女は驚きを隠せなかった。

 本当はまだ誰かに助けて欲しかったのだと気づいて、少女は驚きを隠せなかった。


 男はソフィアに背を見せて立つと、臆面もなく言った。


「どうもはじめまして。この度、皆さんをコンサルさせて頂く運びとなりました。日々銀佑と申します」





 唖然として自分を見る騎士だの剣士だのの色々を見てタスクは、あぁやってしまった、と内心で嘆いた。


 あのあと、タスクは邪魔の入らない外壁の外へとアリスタを連れ出してこの時間まで間髪を入れず質問をし続けた。

 魔王軍のこと。魔法のこと。アリスタの能力のこと。近隣の地形のこと。聞ける限りのありとあらゆることを質問し、情報を集めまくったのだ。


 そして、受けることにした。本当は力を借りたいですけど、と言った少女の依頼を。 

 ぶるぶる震える手をぐっと握ってなんとか平静を装ってみたのの、大丈夫だったろうか。ちゃんと噛まず言えていたかが自分でも分からない。


 人は第一印象が重要とはよく言われるが、とりわけマイナス方面のイメージは記憶に残る。

 だからタスクは仕事の新規受注時や講演での挨拶は、失礼のない範囲で少し強気すぎるくらいのものを心がけていた。

 柔和な印象は後からでも足せるが、一度頼りない奴と思われてしまえば挽回は難しいのだ。

 まぁそもそも、何を言ったか自分でも分からないくらい緊張していたら意味がないが。


「なんだお前は! 素人が口を挟む問題じゃないんだよ!」


 早速アトキンソンに胸倉を掴まれる。だがタスクとてここで動じる訳にはいかない。


「お前、なに平然としていやがる!?」


 かなり怖いが、先に手を伸ばしてきたのがアージリスであったら既に殴られていたかも知れないと思うと、むしろ安堵さえ感じられた。


「貴方とそこのご年配の方は、さっきアージリスさんの案に賛同していたようですけど、あれって北の草原の敵軍がどう動くかは考慮してるんですか?」


 別にタスクとて彼らをバカにするつもりは一切ない。

 だが話題が絞られているなら様子をよく観察すれば相手の認識度合は大抵分かるものだ。


 加えて、彼らには『集団浅慮グループシンク』が発生している。

 人事マネジメントにおいて危惧される現象の一つだ。

 独自の価値基準を持った集団がストレスを感じる環境下で何かの意思決定をした場合に、それぞれが一人で意思決定をした場合よりも、むしろ短絡的で愚かな結論に至ってしまう現象を『集団浅慮』と言う。

 タスクのよく知る戦いの場ビジネスシーンでも、こういった判断ミスはときに決定的な過ちを生むこともあった。

 アトキンソンは慌てて肯定する。


「あ、当たり前だ! 砦を押さえられちまう可能性はあるが、だが!」


 いま考えたのがバレバレだが、それすらもいま一つだ。


「それ以外にも、一点突撃した全軍の後方に回り込まれれば挟み撃ち。あるいは砦で止まらずに逃げた市民の方向へそのまま進まれるかも知れないな。疲弊した市民ではどう考えても逃げきれないでしょう」


 アトキンソン自身が『可能性』と言ったのだ。

 つまりこのケースで魔物の動きを断定できる統計はないのだろう。であれば、なおさら市民を危険に晒す策はとれない。

 胸倉を握っていたアトキンソンの手が緩む。

 老人、マクレラントの方は歳の功とでも言うべきか、黙って話を来てくれている。

 そして問題の、人間重機が歩み寄ってくる。


「貴様っ! 最初に出会った時から無礼な男であったが、一体どうゆうつもりだ!」


 痛い目にあわされる前に策を講じたい。

 だがこれを言えばタスクはもう後戻りできないだろう。

 今はまだ、あるいは「冗談です、失礼しました」で通るかもしれない。


 だがこの先を続ければタスクは、眼前一杯に立ち並ぶ兵士たち、砦の中で過酷な生活を送る市民たち、彼ら全員に責任を追わなければならない。その命の責任を。

 全くとんだ事業再生になってしまったものだと嘆き、そしてアージリスが怖いのでとりあえず言うことにした。


「分からないか? お前らを勝たせてやるって言ったんだ」


 確かにこの状況で割って入る以上は、演技であっても自信に溢れた様子を見せなければならない。いまの彼らに必要なのは、それこそ妄信できるほどの希望なのだ。

 そして確かにタスク自身、あんな訳の分からん戦略で突っ込むくらいなら俺の方がマシだ、とは思う。

 だがそれでも、自分の助言一つで大勢の人間の生死が決まる様なコンサルティングなど、たちの悪い冗談でしかない。


 おそらく世界一インファレンス能力を問われる仕事になるだろう。異世界だけど。

 しかしそれでも言ってしまった。

 正直に言ってこの人間重機が怖かったし、そして正直に言って、ソフィアの小さな背に背負わせるなら自分が背負ってもいいと、あのとき思ってしまったのだ。

 勝つ、という単語に多くの兵士がどよめいた。

 だがアージリスは納得がいかない様子で、止まらないどころか拳を振りかぶった。


「貴様は! 姫様の前でなんという戯言をっ!」


 ここで臆した態度を見せれば今後のコンサルに関わるし、そもそも速すぎて反応できない。


「待ってください!」


 だが拳はソフィアの一声で止まる。

 少し涙が出たが、タスクはなんとか平静な顔でごまかした。


「私たちは本当に……、本当に……この砦を……皆さんを……守れますか?」


 そこに王国の王女殿下とやらは居なかった。

 涙でぐしゃぐしゃに顔を濡らした、ただの少女が居るだけだ。


 だが、膝を落として頬を濡らす少女に、兵たちは誰一人としてかける言葉を持たない。

 腹心のアージリスですらその問いには答えられずにいる。


 これがインファレンス能力を問われる理由だ。

 つまりは正誤、あるいは可能と不可能とを見極めて、それをクライアントに伝える線引きの能力。これが無ければただの無責任な口だけの大嘘つき野郎になってしまう。

 自身の知識で他者の命運を握るコンサルタントにとって、もっとも重要な能力であり、必須の心構えでもある。


「この砦を守る? いやいや、冗談はやめてくださいよ」


 だからタスクは首を横に振った。


「せっかく受けた事業再生だ。まずは最低でも魔王軍をやっつけて、みんなの王都を取り戻さないとな」


 そしてソフィアの頭をわしゃわしゃと撫でて答えた。

 そう。インファレンス能力はもっとも重要なものであり、コンサルタントは、果たすと決めたことしか口にしてはいけない

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