プロジェクト3 【戦略策定・資源投入】

 一先ず話を聞いてもらえる土台はでき上がったが、本題はここからだ。

 少しでも矛盾点があれば即座に口を挟まんと訝しがっている彼らに、リアルタイムで情報を収集しながらプレゼンテーションを行わなければならない。

 タスクは大きく息を吐いて意を決すると、思考を仕事モードへ切り替えた。


「アリスタ、喋ってもいいぞ」


 込み入ったことになるのは目に見えていたので、事前に「余計なことを喋ったらコボルトの死体のケツに突っ込むぞ」と脅しておいたのだ。


「はい。お任せください軍師さまぁ! みんなを説得して、言うコト聞いてもらえばいいんですねぇ!」


 もう勇者はやめだと言った際には、落ち込んだ様子を見せていたが、情報を集め理論を考察するタスクを見て、彼女もまた何かを閃いたようで、妙な呼び方は少し変わっただけで継続されることになってしまった。


「いや全然違うから。ホワイトボードを出してくれ。あとこの軍の魔導師隊の属性分布も確認したい」


 朝までになんとか考えた戦略の基本方針。まずはそれをプレゼンする下準備からだ。


「はい。ではでは、妖精の落書帳スラック・スクリーブルゥっ! ほぁちゃーっ!」


 アリスタの振った手に合わせてタスクの背後に白い『もや』が集まり半透明のスクリーンになった。外壁の外で作戦会議をしていた最中に「なんかメモ無いのかよ」と質問したら判明した能力だ。


「アーンド、妖精の色眼鏡エレメンタム・アナライズゥ! とりゃぁーっ! おぉっ! 皆さん整列してくれてるので数えやすいです」


 続いて両手で作った二つの輪を除きながら軍を眺めるアリスタ。彼女の目には適正リテラシーの有無と属性エレメンタムが見えるらしい。その行動の如何わしさから、若干訝しみの目線が増した気がするが、やむを得ない。


「さて、マクレラントさんとアトキンソンさんも、もうお分かり頂いたように、部分、全体をを問わず逃げる手はありません」


 ポケットに入っていた某スイスブランドのペンを取り出して、先を引っ込めた状態で妖精の落書帳をなぞる。光の線で簡単な周辺図を描き、南にバツを付けた。当てがあるならまだしも、この状況で逃げてもじわじわと死にに行くだけだ。


「ということで、必然的に積極策になりますが、森で堂々と戦ったところで、こちらの不利は決定的です」


 砦のすぐ上にもバツをつける。これも言うまでもない。

 案の定と言うべきか、痺れを切らせたアージリスが口を挟んでくる。


「そんなことは言われずとも分かっている。どこで戦っても数の不利を覆せない以上は一点突破しかないだろう!」


 分からなくもない理屈だが、そんなことはない。


「数の不利なんてどうって言うことはないですよ」


 少し口端を上げて答えて見せる。

 案の定アージリスは食いついてくるが、タスクとしてもそのほうがやりやすい。ツッコミ役がいてくれた方が、一人でしゃべり続けるよりも周囲も退屈しないし理解も早まるだろう。


「貴様分かっているのか!? 魔王軍は3000! こちらは800だぞ! この数の差を覆せると、そう言うのか!?」


 タスクは伝奇小説に出てくるような凄腕の軍師ではない。数的不利を覆す戦略など、そんな真似は到底無理だ。


「確かに数の差を覆すような策はない。だから戦力の差を覆せばいいんです」

「馬鹿か貴様は! 話にならん。敵の戦力をどうやって減らす!? 倒すしかないだろう!」


 本当にこの人間重機さんはありがたい。


 おそらく他の人たちの聞きたいことを5割増しくらいで代弁してくれていることだろう。


「いや。倒す以外にだって減らしようはあるさ。それに、それだけじゃない。こっちを増やすんだよ」


 アージリスは何も言ってこない。頭のおかしい人間を見る目をしている。次にタスクが何か言うと同時に殴ってくるのかも知れない。

 それに代わって発言してくれたのはマクレラントだ。


「お若いの、いくらなんでも援軍なぞ期待はできぬぞ。砦に残る市民も戦えるものは殆どおらぬ」


 その通りだ。

 当然人間は増やせない。だが増やせるものもあるのだ。


「増減させるのは人や魔物じゃない。『仕事量』ですよ。単位時間当たりのね」


 相手に普段の半分しか仕事をさせずに、こっちは普段の倍の仕事をすれば数の不利は無くなる。

 タスクには大岩を崩すような奇策は無く、敵軍の裏をかくような奇襲戦法も使えない。

 だが、業務効率化と市場(戦場)戦略策定。それらは、いや、それらこそがタスクの分野だ。


「軍師さまぁ。数え終わりましたぁ」


 ちょうど属性分析をしていたがアリスタが戻ってきた。


「えーっとぉ、この軍の魔導師さんは全部で86人ですぅ。二属性バイエレメンタムの方が何人かいらっしゃったんでぇ、内訳は、えっとぉ、風属性が20人、地属性が15人、水属性が25人、火属性が30人です」


 アリスタの報告をホワイトボードに書き記す。


「さて、こっちが仕事量を増やす、つまり効率よく仕事を行う為にはゴルトシュタイン王国の独自の強みコア・コンピタンスであったものであり、敵のからの脅威でもある魔法の配分と運用が肝になります。なので、まずはその適正配分の計算分析、つまり属性ポートフォリオの構築をします」


 魔導師たちの視線が一斉にタスクに集まった。職業柄、学問っぽい用語には反応するのだろうか。

 人間重機もといツッコミ係も口を開く。


「貴様、ゴルトシュタインの魔法研究は世界一だぞ! その采配に問題があるというのか」


「いや。指揮官の指揮のもとで、正確無比な詠唱をしてるんだろうと思いますよ。ちなみにここでは誰が?」


 夢で見た王都の魔導師の戦いぶりを思い出す。わざわざ大精霊が見せてくれた実戦の光景は、今思い返せば十分以上と言える情報源であったのかも知れない。


「儂が任されておるが」


 マクレラントが答える。

 まぁアージリスではないと思っていたので妥当だろう。


「ちなみに人間の平均的な魔導師と、その魔法が使える魔物とでは同じ魔法で威力に差はあるんですかね?」

「うむ。一般的には比較した場合、魔物のほうが1・2倍程度威力が上だと聞いておる」

「なるほど。ありがとうございます」


 アリスタに聞いておいた情報の通りだ。

 同じ魔法を撃ち合った場合は魔物5人に対して人間6人が必要ということだ。更に数的不利が広がってしまった。


 ちなみに魔法の4属性は、地、水、火、風、巡って地、という具合に一つ下に強く、一つ上に弱い相性になっている。なお厳密には更に光と闇の2属性があるが、この地には現在は敵味方ともに使い手は居ないらしい。


 詠唱には時間がかかるが威力は弓とは比較にならず、狙って回避するのも難しい。

 魔法にはそれぞれ攻撃系と障壁系があり、相性が生じた場合は物理的な運動エネルギーとは無関係に魔力マナの拡散によって無効化が発生する。


「そして仮に同威力の魔法同士であった場合は、相性関係が生じた場合にはおよそ3倍程度の補正が発生しますよね。つまり、相性がネガティブであっても、1単位の水属性攻撃魔法ウォーター・バレットは3単位の火属性障壁バーン・フォールで相殺ができる。そして水と風などの無関連属性や同属性同士ならば共に100%消滅する。また、多属性魔導師以外は原則一人1属性。得意属性以外を使用すると威力は半減する。この辺も、間違いありませんかね?」


 魔導師はもちろん、剣士や騎士も多くが頷いた。きっとここの世界ではある程度常識的な理屈なのだろう。

 これらは、様々な属性が入り乱れる戦場においては多大な影響を及ぼすだろう。


「じゃあアトキンソンさんに聞きたいんですけど、魔法攻撃を普通の剣士や弓兵が受けた場合にはどうなるんですかね?」

「あ? 普通の兵士なら一発だろうよ。俺ら戦盾騎士なら数発は耐えられるだろうがな」


 実はすでにタスク自身、外壁の外で焦げて穴の開いた大盾を見かけている。破損の具合からして、盾持ちの騎士でも防げるのは上手くやって2~3発、命を捨ててもせいぜいその倍程度だろう。


「そうですか。なら、あとは魔法を使う敵がどれだけいるかだが……」


 人間同様に使えるもの自体はそう多くないとは聞いている。

 これについては、実は先刻すでにソフィアに伝えてあった。


「タスクさん。斥候の兵から連絡が帰ってきたそうです。確認できたのは鳥猿類ホークヘッドがおよそ100体、インテリジェント・スライムがおよそ50体です。ウィル・オ・ウィスプは他の種族の魔物の侵攻に合わせて発生する魔物なのでまだ確認されていないそうですが、これまでの戦いでは一度当たりに多くとも25体程度しか観測されていない魔物です。コボルト・ロードについては見分けがつき辛く確認できなかったそうです」


 予想を超えて上々の成果だ。

 ちなみに鳥猿類が風属性。インテリジェント・スライムが水属性。ウィル・オ・ウィスプが火属性。コボルト・ロードが地属性の魔法を使うらしい。

 だが、更に魔導師の一人が挙手して口を開く。


「恐れながら、コボルト・ロードは魔物を動かす指揮官でもあるので、大体5%の確率でコボルトの軍隊に入っていると聞いています。コボルト族は大体1200匹程度なので、60匹くらいかと」


 周囲の魔導師も、そういえば、とか、あぁ確かに、と続いて口を開く。

 アージリスに出汁になってもらって、口を挟みやすい環境を作り、声の届く限り全体に話を聞かせた成果が出始めたのだ。ボトムアップで下から上がってくる情報というのは、時に当人たちが思っている数倍の結果を生む価値あるものであったりもする。

 それに続いてマクレラントが話す。


「鳥猿類は空が狭まり風が読みにくい峡谷を嫌う傾向にある。また、スライム族はほとんどが水分の多い北の草原に多く出没しておる」


 更にアトキンソンが続いた。


「確かコボルト族は峡谷を通るはずだ。草原の魔物どもは鳥猿類にまとめさせて、自分は犬どもをひとまとめにして指揮するためにな」


 周囲を見渡せば、何人かはそれに対して頷くなどのリアクションを見せてくれいる。

 あの出だしで始まったプレゼンとしては良好と言っていいだろう。

 ウィル・オ・ウィスプについては得られた情報から推察するに他の魔物の比率に比例して配分されると考えるしかない。


「なるほど。皆さん、ありがとうございます。じゃあこの情報を人間の魔導師換算の単位にしてまとめると、1・2倍することになるので……北東の峡谷にはコボルトロードが80単位と、他の魔物数に比例するというウィル・オ・ウィスプが260分の80かける30で9単位。草原には鳥猿類が120単位、インテリジェント・スライムが60単位、ウィル・オ・ウィスプが残数の21単位。概算でこうなる訳ですね」


 ホワイトボードこと、妖精の落書帳へ書きなぐる。

 魔導師隊の多くは完全に話に食いついているようで、騎士を押しのけてずいずい近づいてきている。

 戦場では指示されて魔法を撃つだけだったのであれば、こんなこと考えたことも無かったのだろう。


「さて、理由は後で説明しますけど、敵を殲滅するのは北の草原側にします。つまり北東の峡谷はいかに少ない戦力で効率よく防衛するかが、そして草原側は投入した残りの戦力で如何に素早く敵を殲滅するか、ということになります」


そもそもの問題として、どちらか一方に全兵力を投入したとしても人数で劣るほどの数的不利なのだが、いずれにしてもまずは魔法による被ダメージを最小に留めないことには、前衛の効率化は図れない。

 そしてアージリスが見るからに不機嫌そうになる。峡谷側に一点集中と言った自分とは逆の意見がでたからだろう。


「そうなると峡谷に投入するのはまずコボルト・ロードの地属性を迎撃する風属性魔導師を20単位。それから……見たところは、あとは水属性魔導師かな、投入する配分を計算してみましょう。大局でみて全体的に不利であることへの対策は後で説明します」


 とたんにアージリスがふんと鼻を鳴らした。


「ふん。馬鹿か貴様。やはり適当を言っていただけのようだな。確かに峡谷には火属性のウィル・オ・ウィスプがいるが、それと同時に敵には地属性がいるのだぞ! 相性の悪いの水属性を投入するなど愚策もいいところだ」


 アリスタ並に何も考えていないのかと思っていたが最低限は試案を巡らせているらしい。

 だが彼女の意見は一概に正しいとは言えない。


「個別に相性を見比べた場合はそうなりますね。でもいま必要なのは峡谷側を最大効率で防衛すること、それと草原側を最大効率で攻撃すること。つまりは、反比例する2つを組み合わせた全体効率なんですよ。じゃあ味方の水属性の配分で具体的に計算してみましょうか。味方の魔導師である25単位を、仮に『草原15、峡谷10』にて配置した場合、草原側の魔法攻撃は風属性に対しては0、地属性の敵障壁は無いのでそのまま15、水属性同士は完全に相殺されて0、火属性はポジティブな相性を考慮して15引く3分の21で8。つまり同じペースで魔法を使えば、こちらの水属性の攻撃は平均で5・75単位が敵へ到達する訳ですね。峡谷側は防戦を想定して敵攻撃の被到達度合で計算します。敵は2属性なのでこちらの水属性障壁を突破してくる攻撃を計算すると、地属性はネガティブな相性を加味して80引く3分の10、火属性は完全に防御して0。つまり合計で76.7単位の攻撃がこちらに到達します。まずは水属性で他の人数配分も計算していくと……」


 手を休めることなく動かして、数字を書き続けた。

 経営コンサルタントの多くが保有する某国家資格は、1次試験に電卓の持ち込みが禁止されている。タスク自身、自分の頭の出来が優れているとは思っていないが、こと暗算に関してはこの程度は朝飯前である。


「さて、こう言ったグラフができあがります」


 右上がりの線と右下がりの線、2本の交点に丸をつける。


「もうお分かりだと思いますけど、つまりここの数字。水属性は『草原20、峡谷5』が最適配分比率。つまり、もっとも効率的な配分になります。同じ要領で他も計算すると……」


 魔導師たちは食い入るようにタスクを眺め、あるいは負けじと地面に計算式を書き連ねている。


「風属性は草原0、峡谷20。地属性は草原15、峡谷0。水属性は草原20、峡谷5。火属性は草原30、峡谷0。一見すれば偏った編成ですが、これがもっとも効率的ということになりますね。これが第一の効率化、『属性ポートフォリオ理論』です」


 ポートフォリオはもともとは書類ホルダーの意味だが、転じて配分や効果、リスクを考慮した組み合わせ運用を表す言葉でもある。

 ビジネスシーンにおいては投資に関するリスクとリターンを計算し金融資産の最適保有比率を求める『金融ポートフォリオ』。あるいは一つの企業が複数の事業を行う際に2つ以上の事業の組み合わせ度合から生じる相乗効果シナジーとリスク分散効果を見極める『事業ポートフォリオ』が有名だ。

 本来であればここから更に偏差や疲労と人数差による仕事量の逓減を考慮したいところだが、現状の情報ではこれ以上の分析は望めないのでこれでやむなしとする。それに本命の作戦はまだ別にあるのだ。

 この属性ポートフォリオはあくまでも作戦の下地であり、そして指揮の下がった兵士たちにまだ勝機はあると意識させるための演出でもある。


 そんなタスクの思惑通り、魔導師たちから歓声があがる。魔法そのものは研究をしていてもこんな運用は考えたことも無かったのだろう。

 これは他の兵士たちの理解にも繋がるはずだ。自分自身が分からなくとも、分かっていそうな人たちが歓声をあげるということはきっとそうなんだろう、くらいの認識はしてもらえるだろう。

 アージリスはあまり納得した様子はないが、口を挟まないところ見ると、少なくともぐうの音は出ないらしい。


「して、軍師殿。魔導師を分けて配置するのは分かったが、数の不利はどうされのか? ましてや兵士たちには属性の相性など無いと思うがのう?」


 マクレラントもある程度は聞く姿勢を持っているようだ。

 ついでに言うと、タスク自身はその変な称号を名乗った覚えは無いのだが、アリスタのせいで誤解されてしまったようだ。


「ええ。それについてはいくつかの策がありますが、まずは皆さんの協力が不可欠です」


 剣士や騎士、弓兵、魔導師をぐるりと見渡す。

 なんとか興味を引くことには成功したらしく、皆が一体なんだとばかりにタスクを見つめていた。


「皆さんにやって頂く作戦、それは……」


 アージリスほどではないにしろ疑念の目を向けていたアトキンソンすらも、続きを気にするそぶりを見せている。


「それは……?」


 誰もがごくりと唾を飲み、


「それは、『かんばん作戦』です」


 そして、なに言ってんだこいつは、と目を丸くした。





 もっとも危惧すべき問題として、そもそも時間が圧倒的に不足していることもあって、まずは全軍をもって準備に取り掛かる運びとなった。

 いまだ納得しないものも当然多くいたが、魔導師たちやソフィアの声もあり、そしてそもそも駄目でもともとという戦いだったこともあって、表立って異論を述べるものは多くはいなかった。


 魔導師隊とアリスタ、ソフィアは地図を眺めて、タスクから教えられた『属性ポートフォリオ』と、『かんばん作戦』の実行へ向けた配置と手順を周知確認し、弓兵たちはそのよく分からない『かんばん』とやらを作らされた。

 看板の名に反して実際には板では無く『のぼり』、いわゆる棒の長い旗のようなものであり、これがなんの役に立つのかと皆が首を傾げた。

 染料を使って書いたものが『右』だの『左』だのよく分からない『カンジ』という記号であることもまた、一層謎を深めた要因だろう。


 そしてタスクは、そのできあがった『かんばん』を早速掲げていた。

 それに合わせて、前方に疑似配置した軍がリアクションを見せる。

 タスクに背を向けて並び立つ弓兵たち。その中で逆にタスクの側を見ていた何人かが、タスクの動きに合わせて声を張り上げる。

 タスクが『左』と書かれた『かんばん』を掲げれば、


「カンバァーン! ヒダリィーっ!」

「カンバァーン! ヒダリィーっ!」


 直接『かんばん』を見た何人かが叫び、そしてタスクに背を向けていた弓兵部隊全体がそれを繰り返す。

 続いてその更に前方にいる戦盾騎士隊と剣士隊がそれに合わせてアクションを起こす。

 タスクが『右』と書かれた『かんばん』を掲げれば、


「カンバァーン! ミギィーっ!」

「カンバァーン! ミギィーっ!」


 やはり同様に皆が反応する。

 これだけ見れば少しだけ統率された軍隊っぽい気がする。

 やってることはシュール極まりないけど、とタスク自身も思った。





 当初は疑心もあり、敗戦を察していたこともありで半ば死んだ目をしていた兵たちも、同様の手順でそれぞれに策を伝え疑似的に実践する度に、少しずつ活力を見せていった。

 それにともなって「軍師殿」という不本意な呼び名が広まっていくのが少し気になるタスクではあったが、皆が話を聞いてくれたことには素直に感謝したかった。

 覚悟を決めたタスクがなんとかひねり出した、合計4つの戦略理論。

 兵士たちには敢えて自信に溢れた態度を見せたが、これで駄目なら覚悟はしている。

 不本意だが、タスクとてこれだけの人数の命の責任を背負って、自分だけ逃げ延びようとは思いはしない。

 故に彼らが敗れれば、タスクの異世界生活もそれまでだ。

 そんな訳でタスクは進軍していく王国軍を見送って、砦の一室で悠々と食事をはじめた。

 スープにキノコが一切れ入っているのは、食事がゴージャスになった故だろう。


「軍師さまぁ。ほんとぉーに軍の人たちと一緒に行かなくてよかったんですかぁ?」


 そのアリスタの問いはタスクにとっては愚問だ。


「いや、俺が一緒に行って何するんだよ。やることないだろ」


 でもでもぉと、ぐずるアリスタに答えてくれたのはテーブルを挟んで座るソフィアだった。


「アリスタさん。タスクさんはご自身のお勤めが、戦術指揮ではないと仰っているのではないでしょうか」


 本当に頭の回る少女だ。


「私たちはこれまで兵を動かすことが戦いだと思っていました。果敢に戦って下さる兵士の皆さんがいて、そしてその根底にあるのは部隊を動かす指揮官。その指揮官の武器こそが『戦術』であるのだと」


 その通りだ。ソフィアの意見は正しい。


「ですが、兵士の持つ剣に剣術の教えがあり、それを打つ鍛冶師がいるように、指揮官の武器である戦術にもまた、それを選び、教え、打ち鍛える方が必要だったのですね」


 そしてその先も理解しているようだ。

 そう。当然のことながら、会社で意思決定を行い、戦略的判断を下すのは経営者であり、すなわち会社を動かすのもまた経営者だ。

 だがそのための方針を定め、戦略策定を手助けする専門家もいる。

 情報を多義的に収集し分析し、長い歴史の上に成り立つ理論に基づいて組み立て直し、その扱い方を指南する者。

 すなわち経営コンサルタントだ。

 そして優れた戦略は、会社だけでなく、時には市場に影響を与え、敵すらも動かすこともある。


 その日の夜は、進軍する者たちにとっても、砦に残った者たちにとっても、長いようでもあり、そして短くも感じられるものになった。





 そして翌朝、砦の一室に集まった一行に、遂に軍からの接敵の報告が入った。


「草原の方で魔物を確認したそうです」


 夫婦貝から耳を離したハーズが知らせを伝える。兵士は近衛を残して進軍しているので、夫婦貝の交換手はハーズとバーグの姉弟についてもらうことにした。

 避難民の中では比較的元気であったし、それに知らない顔よりは知った顔の方がいいだろうという思いもあった。


「峡谷も敵が見えたみたいです」


 同様にバーグからも報告が入る。


「敵の数は?」


 タスクの声に2人が夫婦貝に語りかけた。

 通信専門に人を用意するというのは少し物々しい気もしたが、こうしてみるとほら貝を二つ同時に扱ってそれぞれと会話をするというのは一人では難しそうだ。判断としては間違っていなかったようである。


「見渡す限りが山犬蜥蜴(マウンテン・コボルト)みたいです。オーガも見えるみたいです」


 バーグからの報告。峡谷側だ。

 昨日も出会ったあの恐ろしい怪物が見渡す限りいるだなんて、考えるだけでも恐ろしい。


「鳥猿類(ホークヘッド)が100体くらいと、沢山のゴブリンだそうです。スライムもきっと隠れてるって言っています」


 同様にハーズから草原側。

 ミリタリー的な知識のないタスクではあったが、それでもだいぶいい加減だというのは分かる。

 だが少なくとも鳥猿類とやらの配置が事前情報と差異が無いのは良好だろう。

 タスクは震えを抑えるために、ぐっと拳を握った。

 前線の者たちがこんな比ではないプレッシャーを得ているのは承知しているが、それでもここに座って聞いているだけでも胃に穴が開きそうなのだから仕方がない。


「草原の軍へ連絡。『かんばん作戦』を開始させてくれ」

「分かりました。……『かんばん作戦』を開始してください」


 タスクの声に合わせてハーズがほら貝に語りかける。


「峡谷の軍へ連絡。『問題児作戦』を開始だ」

「はい。……えっと『問題児作戦』だそうです。頑張ってください」


 同様にバーグも峡谷の軍へ伝達する。

 あとは、上手くいくのを祈るだけだ。



 地平まで広がった北の平野。少し南に進めばエクルスの森がある。

 もともとはこの一帯も妖精で賑わうエクルスの森の一部であったが、それも遠い昔の話となってしまった。今は平時から、はぐれゴブリンがうろつく危険な土地だ。

 そこを大勢の具足が踏み鳴らす。


「総員横隊! 突げぇぇぇぇきっ!!」


 アトキンソンの声に、戦盾騎士(ホプリテス)たちが続いて吠えた。


「一匹たりとも後ろに行かせるな! 戦線を押し上げろぉぉぉぉ!」


 戦盾騎士の最大の任務は横隊での突撃。身の丈の6~7割にも及ぶ大盾で敵を押し戻すことによる最前線の戦線構築だ。

 そしてその後ろに控えるのは剣士隊だ。戦線を突破した敵を切り倒すだけでなく、必要ならば戦盾騎士の前へと出て攻勢へ転じる役割である。

 その更に後ろには弓兵隊がいる。前線へと群がる敵へ矢の雨を降らせる仕事であるが、昨今は鳥猿類の風属性障壁魔法ブリーズ・ファウンテンとの物理的な相性に悩まされていた。

 そして最後衛に魔導師部隊だ。魔法障壁を破り敵への攻撃を行う役目と、逆に魔法障壁によって敵の魔法から味方を守る役割も担っている。


 不意に魔物の群れの中から、水の塊が飛び出してくる。水属性攻撃魔法ウォーター・バレットだ。

 魔導師隊によって即座に地属性障壁魔法ソリッド・トレンチが発動され、前衛部隊は守られた。

 だが次の瞬間には頭上の鳥猿類から風属性攻撃魔法ゲイル・ハンマーが放たれる。圧倒的な数の差は属性の相性さえも覆し、火属性障壁魔法バーン・フォールを貫通した暴風の一撃によって、屈強な戦盾騎士が10人以上まとめて吹き飛ばされた。


 そう。これは何度となく繰り返された光景であり、そして繰り返されるたびに激しさは増していったのだ。

 圧倒的な数の差によって魔導師たちが受ける指示は障壁の一辺倒になる。

 そうして防戦一方に追い込まれ、前衛を徐々に削られていく。

 前衛に穴が開けば、剣士隊を突破した敵が弓兵たちへと押し寄せ、戦場は大混乱となる。

 そして多大な犠牲のもとに、やっとの思いで魔物たちの前衛の数を減らせば、魔物たちは日暮れを迎えた子供のように帰っていき、数が整えばまた再び現れるのだ。


 だが、今日は違う。


「カンバァーン! ヒダリィーっ!」


 魔物とは逆の方向を見守っていた弓兵の一人が、叫んだ。


「カンバァーン! ヒダリィーっ!」


 他の弓兵たちも叫ぶ。

 それに合わせて戦線左部の剣士隊は一斉に後退し、空いたスペースへ戦盾騎士が後退した。

 ゴブリンたちが何事かとそれを追撃しようとした瞬間に、一斉に魔法攻撃が降り注いだ。

 ほぼ全てが障壁によって防御され実際に貫通したのはタスクの言葉通りの、たった『5~6単位』であった。


「いくぞお前ら! ぶっ潰せぇっ!」


 だが敵陣が乱れたその瞬間に、アトキンソンが突撃し、戦盾騎士たちが魔物の群れをかき分ける。


「機を逃すでない。続けぇい!」


 そこへすかさずマクレラントが切り込み、剣士隊が続いてなだれ込む。

 若き日には大勢の腕利きを斬り倒し、王国最強の剣士、『斬岩』と呼ばれたマクレラントではあったが、昨今は筋力は衰え、瞼はたるみ、教え子たちに後れを取り始めていた。

 だがそうとて、今は再び剣士隊を預り前線に立つ身。例え一瞬であろうと、生じた相手の隙を見逃す彼ではない。


 片刃剣による攻撃が目にもとまらぬ速さで繰り出され、ゴブリンたちは青黒い血飛沫をあげて次々と倒れていった。

 全体の指揮役でもある鳥猿類がそこへ注目したと思えば、再び弓兵たちが叫ぶ。


「カンバァーン! ゼンタァーーイっ!」

「カンバァーン! ゼンタァーーイっ!」


 人間に近い程度の知能を持っている鳥猿類であったが、それが何を意味する言葉で、そして人間が何をやっているのか、全く理解できていない様子だ。

 今度は前衛全体が下がり、そして魔法が降り注ぐ。

 やはりほとんどが障壁によって防がれるが、今度は先ほどよりも少しだけ多く、10単位以上が貫通した。

 同様に戦盾騎士と剣士がそこへ押し入り、弓兵たちは鳥猿類の注意の薄れた隙を狙って弓を引いた。


 そして魔導士隊はさきの2工程と同様に、間髪入れずに詠唱を再開する。

 魔法の詠唱は標準的な魔導師で約2~30秒。

 これまでであれば、障壁魔法を事前に唱える役目の者と、前衛の指示や援護妖精に合わせて攻撃魔法を唱えるものとを事前に配分し運用していた。

 それは前衛と後衛の連携を活かした完璧な戦法。そう思われていた。


 だが今日は魔導師たちは独自に、魔導師たちの中でのみ連携をとって、すなわち魔導師の判断で詠唱を行っていた。

 そして独自に判断し配分した内の、攻撃魔法の詠唱が15秒を超えたあたりで、自分たちが魔法を撃ちこみたい場所、効果的であると思われる場所に合わせて、その『かんばん』を掲げる。


「カンバァーン! ミギィーっ!」

「カンバァーン! ミギィーっ!」


 掲げられた看板に合わせて弓兵たちが叫び、前衛が退く。

 すかさず一斉に魔法を撃ちこむ。

 今度は先ほどよりも更に多くが貫通した。魔物たちの障壁展開は追いついていない。


 それに魔物たちからの攻撃魔法の手も緩い。前衛の切り込みと後退の激しいこの戦場では撃てないのだ。

 魔法を用いるインテリジェント・スライムやウィル・オ・ウィスプなどの種族は比較的知能が高い。野生の本能的な部分も合わせて、無意識に自覚しているのだろう。

 度を越して味方に命中させてしまえば混乱が生じ、最悪の場合はゴブリンたちの剣が自分たちへ向くと。


 詠唱が進み、再び『かんばん』を掲げる魔導師たち。

 これまでの待遇に不満があった訳ではない。

 だが思い返せば、いつも指示を待ちながら戦場を眺めていた。

 自分たちが主導になって、逆に前衛を動かすなど、考えたことも無かった。

 だからこそ、魔導師たちのモチベーションは今この瞬間、最高潮であり、そんな最高のコンディションの魔法に障壁も無く曝された魔物たちが次々と吹き飛ばされるのは、自明の理であった。



 夫婦貝アライアンス・コンクに耳を当てていたハーズの頬が少し綻ぶ。


「タスクさん。草原の軍が、少しずつ戦線を押し上げているみたいです」


 この報告にはタスクも胸を撫でおろした。一先ずは上手くいっているようだ。


「あぁ。気を抜かずに尽力くださいと伝えてくれ」


 タスク自身は自分でも無責任だな、とも思うが、まぁ『軍師様』からの労いなら少しくらいは戦場にも効果はあるだろう。


「流石は軍師さまですねぇ。やりましたねっ! ばんばん作戦!」


 飛び回って喜びを表現するアリスタであったが、すぐに「いや違うから。かんばんだから」と正された。

 張りつめていたものが少しばかりは緩んだのか、それまで固唾を飲んで報告を待っていたソフィアも、久方ぶりに口を開いた。


「こう言ってはかえってご無礼かもしれませんが、本当に凄いです、タスクさん。このような素晴らしいお知恵をお貸し頂けるなんて……」


 瞳を潤ませるソフィアであったが、タスクとしても思いは同じであり、日本の偉人たちに向けて彼女と全く同じ台詞を言いたかった。


「いや、これは俺のいた世界じゃ工場で使われていたアイデアで、それを真似しただけですから」


 ものづくり大国である日本。

 その日本の超有名大企業が世界へ誇る、『トヨタ式生産システム』。その中核を成すのが、『かんばん方式』だ。

 必要なものを、必要な時に、必要な分だけ生産する、という極限まで無駄を省いたコンセプトを実践するそれは、端的に言うなれば従来なら『部品を作った分だけ、それを使った製品を作る』としていた生産を、『製品を作りたい分だけ、必要な部品を作らせる』という具合に、順序逆転させたものである。

 その伝達を超効率的に、一切の無駄なく行うための工夫が『かんばん』なのだ。


 タスクはそれを基に、魔導師が独自に判断し、必要な魔法を、必要な時に、必要な分だけ放つためのシステムを作ったに過ぎない。

 つまりは、前工程(前衛)にあった主導権を後工程(後衛)に移したのだ。


 その結果、後衛から前衛への一切無駄のない援護が可能となり、そして待機時間を無くすことで、魔法を放ってから次に魔法を放つまでのリードタイムを、ほぼ詠唱時間と同等にすることにも成功した。

 陣形を乱された敵軍は、逆に魔法攻撃の回転率が下がり、人数で劣っていても仕事量、すなわち攻撃量において同等以上の成果が発揮できたのだ。


 とまぁ、タスクのそんな長々とした説明を聞いてもハーズとバーグは何言ってるんだろうとばかりに首を傾げ、アリスタは全然聞かずに飛び回っているのだが。

 真面目に聞いてくれるのはソフィアだけだ。

 本当に理解の早い子だなぁとタスクが関心していたのも束の間、夫婦貝からの通信を聞いたバーグが叫んだ。


「あの、タスクさん! 峡谷の軍から援軍を希望する通信がっ!」


 タスクは渇いた口内を一度水で潤してから答える。


「まぁそうだろうな。まずは誰がなぜ援軍を求めているのか、向うの交換手に聞いてくれるか?」


 200人の軍で1500近い魔物を迎撃しているのだから、タスクがその場の兵士だったら泣きながら助けを求めただろう。

 だが草原側の戦力はこれ以上避けないし、移動の時間というのは戦局に直接的な影響を生まない、言わば仕事量のロスだ。

 慌てた様子のバーグが再び報告してくる。


「溢れんばかりの山犬蜥蜴で、現在はなんとか持ちこたえているそうですが……奥にはオーガも見えて、もしそれが前に出て来られたら、まとめて相手をするのは不可能だと。そう言っています」


 タスクとて現実の兵士が将棋の駒とは違うことは承知している。申し訳ないとは思う。

 だがここで援軍は出せない。


「……却下だ。もう一度全員に、特に騎士団長代行に問題児作戦の内容と、『共食い』を思い出すようにと伝えてくれ」


 おそらく援軍の要請をしているのはアージリスだろう。人間重機ならば眼前の敵を倒すことしか考えてないのも頷ける。


「軍師さまぁ。その『共食い』ってなんですかぁ?」


 申し訳なさそうに通信を送るバーグをしり目に、アリスタがタスクの口から出た一つの単語に反応した。


「あぁ。魔物に共食いしてもらうんだよ」


 何気なく答えるタスクであったが、これにはアリスタやオペラニア姉弟は勿論、ソフィアも目を丸くする。


「えぇーっ! 魔物って共食いするんですかぁ? おっかないですねぇ。でも軍師さま、なんで知ってるんですかぁ?」

「いえ。あの……タスクさん。魔物は確かに野蛮で、人間と比べて思慮の浅い者たちですけど、流石に共食いはしないかと……」


 能天気なアリスタ対して、逆に不安そうに尋ねるソフィア。だがこれに関してはタスクには自信があった。


「いや。今頃は、もうしている頃でしょうね」


 確かに『かんばん作戦』はタスクにとっても未知の領域だったが、魔物たちの戦いの様子に関しては、あの謎の夢でしかと見ている。

 あの場にいた王国兵の誰一人として魔物の共食いなど見ていないだろうが、タスクには確かに魔物たちの共食いカニバリゼーションが見えたのだ。




 交換手から回って来た砦からの通信にアージリスは舌打ちした。


「何だと言うのだ! こんな前進と後退を繰り返すだけの作戦では、一向に敵を倒せないではないか!!」


 姫からの命令でもあったので、タスクの指示には一先ず従ってはいる。

 1歩進んでは2歩下がり、2歩進んでは3歩下がる。

 裁量は現場に任せるが、とにかく犠牲を抑えつつ前進と後退を繰り返し、じわじわと後退していく。というのがタスクの出した『問題児作戦』だ。

 アージリスとしては、「せわしなく動く問題児みたいだろ」などというタスクのネーミングセンスも含めて気に食わない。

 だが確かに、『かんばん作戦』ほど統率された動きでは無いにしても、前へ後ろへと忙しく動く前線に対して、コボルトロードの地属性攻撃魔法(ロック・ブラスト)の発動回転率は落ち、ある程度の効果は得られていた。


 とはいえ、前線が持ちこたえられるのはせいぜい山犬蜥蜴の攻撃までだ。屈強なアージリスだけならまだしも、並の戦盾騎士ではオーガに対抗はできない。

 もしオーガたちが前に出てくれば味方の攻撃魔法で倒されるまでに、前線にも痛手を負わされてしまう。


「押し寄せる敵を、ろくに敵を倒しもしないとは……っ! こんな消極的な作戦では……」


 すぐに前線が崩壊してしまう。と、そう考えて、アージリスは、はっと我に返った。

 そう。200対1500の戦いだ。いくら『問題児作戦』とやらがあっても、すぐに崩壊してしまうだろう。だから援軍を要請したのだ。

 そして、要請は却下された。

 なのに、まだ前線は健在だ。


「……どうなっている?」


 そうしてアージリスは、虚言にも満たないただの戯言だと思っていた、『共食い』の意味を少しだけ理解した。


 タスクの言った『共食い』は、もちろん魔物同士が互いに肉を食らい合うという意味ではない。

 食い合うのは互いの攻撃機会(ビジネスチャンス)。すなわちポジションだ。

 21世紀の地球で、ビジネスのシーンにおいて、ライバルとする企業に顧客を奪われるのはもっとも避けたい事態だろう。

 だが同じくらい危惧されるものとして、自社で自社の顧客を食ってしまう現象、すなわち『共食い(カニバリゼーション)』がある。

 仮にある企業が、『魚料理をとても美味しく温められる電子レンジ』を開発したとする。その優れた製品はライバル企業を寄せ付けず、1万台の売上が予想された。

 だが同じ時期に、同じ会社内で『肉料理をとても美味しく温められる電子レンジ』も開発されてしまい、2つの機能を同時に搭載することはできなかったとする。

 どちらも1万台の売上が予想されるこの2つを、もしも同じ会社が同時に発売したとして、はたして合計で2万台が売れるかと言えば、勿論そんなことは無い。

 どんなに素晴らしい製品を出そうと、市場にはレンジが欲しい顧客は1万人しかいないし、レンジを一人で2台も買う物好きもそうはいない。本来なら1万人に売れるはずの一方の顧客を、同じ会社が発売したもう一方が食ってしまうのだ。

 せっかく合計2万台を売り上げるポテンシャルを持っているのに、同時に発売したばかりに半減してしまってはなんとも笑えない事態だ。


 これは経営戦略に携わるタスクにとって、至極当たり前のことである。

 そして同様に、近接の戦闘に特化した騎士たちにとって、棍棒や手斧も届かなければ痛くも痒くもないということもまた、至極当たり前のことであった。


 すなわち、魔法を除けば、実際に攻撃できる魔物は前線の者たちのみ。

 そのポジションを味方に食われている限り、他の魔物は攻撃には転じることはできない。

 ましてや、戦場は幅の限られた峡谷であり、前線を揺さぶる主導権も、どれだけ後退するかの決定権も、握っているのはアージリスたちだ。

 少し冷静になったことで、「少しずつ後退して敵を渋滞させろ」というタスクの言葉も思い出された。


「全体、10ラールグ後退しろ!」


 戦盾騎士の職務は横隊での突撃で戦線を押し上げ、味方を守ることだ。だが、その日アージリス・クラスタルは人生で初めて率先して後退の指示を出した。





 そうして、更に数時間が経過した。

 タスクとしては大いに胃痛を感じさせられた時間でもあり、幸い自分にはまだ縁の無かった生え際の後退だの、白髪だのが、これを機に現れないか不安にさせられた時間でもあった。

 そんな中、ハーズが通信を得て夫婦貝に耳を当てる。皆が一斉にハーズの様子へ注目を集め、息を飲んだ。

 通信を聞いたハーズの口元が徐々に綻び、そして信じられないとばかりにタスクへ振り返った。


「タスクさんっ! 殿下っ! 草原……草原の魔物が殲滅されました!」


 ハーズの喜ぶ声に合わせて、アリスタが全身で喜びを表現して飛び回った。

 ソフィアは感無量といった様子で、言葉もなく口元を抑えるばかりだ。

 だが、勿論まだ戦いは終わっていない。

 防戦の疲労は攻勢時のそれとは比較にならないだろう。

 戦いなど知らないタスクにもその程度は分かる。


「あぁ。すぐに峡谷への援護に向かってもらえ」


 ハーズに答えると共に、バーグへ視線を動かす。


「峡谷の軍にもなんとか持ちこたえろと、伝えてくれ」


 北の草原から北東の峡谷へ回り込むまでの時間、アージリスたちにはまだ頑張ってもらわなければならない。



 確かにタスクの問題児作戦は有効に機能し、200の軍で1500の敵を押しとどめたが、それとて限度がある。

 戦盾騎士や剣士の犠牲も少しづつ積み重なり、また、兵たちにも疲労が色濃く出始めていた。

 疲労が蓄積された兵たちにもはや時間の感覚は薄く、「なんとか持ちこたえてくれ」という指示からどれだけの時間が経ったのかのもよく分からない。

 アージリスの目にも、味方の疲労は明らかであり、もはや猶予は無いと思えた。


 そんな頃、相対する魔物たを挟んで更に向こう側から、鬨の声が響き渡る。

 魔物の背後をとった友軍が後衛のコボルト・ロードたちへ一斉に斬りかかったのだ。

 それに合わせて、峡谷の兵士たちにも少しづつ活力が戻っていく。

 一人、また一人と、高らかに声をあげ初め、そしてやがては峡谷全域に盛大な鬨が響き渡った。


 かつては高校球児だったタスクとて、単純に精神論に頼ったマネジメントは好まない。

 だが、モチベーションというのは本人たちが思っている以上に能力へと影響を与えるもので、時には成果に対して数倍の差を生むこともある。

 そして、これまで幾度となく魔物に蹴散らされてきた者たちが、逆に魔物を取り囲み、逃げ場を失ったケダモノどもを叩きのめすチャンスを与えられたとあれば、どのような結果を生むのか。

 それはタスクすらも予想など到底できないほどの大きな力となるだろう。

 そんななか、ひと際大きな雄叫びをあげ終えたアージリスへ、近くの兵が語りかける。


「交換手から伝言です。軍師殿より、『問題児作戦』はもう終わりだ、とのことです」


 それを盗み聞いた周囲の兵たちは、待っていたと言わんばかりに、各々の武器を掲げた。

 そしてアージリスもまた、戦鎚棍(メイス)を強く握りしめ、『最後の作戦名』を思い出した。

 タスクの戯言など碌に興味もなかったアージリスだが、作戦名だけはあまりに間抜けなので覚えていたのだ。


「これより『花形作戦』へ移行する! 全軍、私に続けっ! 一匹たりとも生かして返すなぁぁぁぁぁっ!」


 アージリスの声に合わせて、魔物たちは再び咆哮に飲み込まれた。

 彼女が間抜けと称したタスクの作戦名は、半分はタスクなりのジョークでもあった。

 せわしなく前後に動いて戦場をかき乱す問題児悪ガキ。これはタスクなりのジョークであり、そしてアリスタ以外にはにはあまり受けなかった。


 そして残りの半分は真面目な理論『PPMプロダクト・ポートフォリオ・マネジメント』に基づくものだ。

 ビジネスシーンにおいて、企業が満を持して発売した自慢の新製品。これが思うように売れないことはままある。

 そこそこ注目を集めているジャンルで、市場の成長性だって期待できるのに、なかなか売れない製品。これをタスクたちは『問題児プロブレム・チャイルド』と呼ぶ。

 だが、そんな問題児とて、適切な戦略でマネジメントを行い資源を適宜投入することで、進化することもある。

 適切に運用された問題児はいずれ、圧倒的な存在感で市場を支配する『花形スター』へと変貌するのだ。


 そして、今。異世界においても戦場を支配する圧倒的な花形スターたちに、魔物は成す術もなく蹂躙されてゆく。

 群れの中へと切り込まれたコボルト・ロードたちは迂闊に魔法を放つこともできず、その隙を狙ったマクレラントが旋風の如き剣捌きで次々と犬の頭と蜥蜴の胴とを分断してゆく。

 負けじと突撃したアトキンソンもまた、右手の戦盾の打撃で数匹をまとめて弾き飛ばすと、すかさず左手の剣でとどめを刺した。


 指揮官を守ろうと末端のコボルトが次々と移動を始めるが、オーガたちが邪魔になってあっと言う間に渋滞してしまう。

 侵攻されれば圧倒的驚異のオーガもこれでは周囲で混乱を起こすコボルトたちにいら立つばかりで、遂にはコボルトたちを蹴散らしはじめた。


 そんな隙を最高のテンションで迫る王国軍が見逃すはずもなく、すかさず弓を引き、あるいは詠唱を開始する。

 巨漢の魔物たちを以ってしても無数に降り注ぐ矢の雨と、そして魔法の直撃は耐え難いようで、次々と身悶え倒れてゆく。

 なおも生き延びた数体もアージリスの一撃によって順に叩き潰されていった。


 程なくして戦場には勝鬨が響き渡り、兵士たちは涙ながらに、人間はまだ終わっていないと、この勝利を歴史に残そうと、口々に語り合った。

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