プロジェクト4 【財務分析・組織再編】

 戦いから2日。歴史に残る大勝だと誰しもが喜び、兵士たちは勿論のこと、市民たちにも活力が戻ってきていた。


 だがタスクとしては喜んでばかりはいられない。モチベーションを上げる手筈を整えるのはコンサルタントの仕事ではあるが、コンサルタント本人はメンタル的な要素に左右されることなく、情報データとの対話を試みなければならない。

 そんな訳で、西方に向かわせていた一行からの報告を聞いたタスクは一先ずは安堵した。


 亡命は無理でも、関所内での純粋な商売ならばあるいは、というソフィアの考えに希望を託し、事前に15人の兵たちと、商売に明るい市民、そしてその人数の許す限りの荷馬車を西方のコンバス国との関所に向かわせていたのだ。

 ソフィアが提供してくれた、僅かに残った姫としての衣類やアクセサリ、市民たちが「どうせここで死ぬくらいなら」と提供してくれた財産。それらを用いて、買える限りの食料を調達に行ってもらっていた。


「かーなり叩かれたんスけどね、最初は。そこは軍師さんのブレスレットをこうやってチラリと見せてね。したらもう連中、目の色変わってましたぜ」


 サーブリックが自身の左袖をちらりと捲って話す。


「いや、確かにお前に腕時計を預けたけど、別にお前が装着して持っていけとは言ってないんだけど」


 王国一、口が回る男だと兵士が口々に言うので、タスクはこの剽軽な弓兵にチタンの腕時計と栗のケーキと同じ名前の某社のペンを預けたのだ。腕時計を手放すのは心理的にも戦略的にも悲しいが、一応それを補うべく砦にあった、ありとあらゆる大小さまざまな砂時計を集めて、時間を記しておいた。


「いやいや、軍師さん。そこはホラ。これは俺のモンだから売りモンじゃないんですぜ。って見せかけて、値段を吊り上げるんスよ」


 確かにセンスはあるようで、タスクとしてもなるほどと思う。タスクの居たビジネスの世界でも機会主義的行動という名前で心理的駆け引きが繰り広げられるが、正直こればっかりは普通の交渉と違って机上の知識よりもセンスが勝るのだ。


 針が動くブレスレットと、回すと軸が出てくるペン。この二つにはなかなかの価値がついたようで、彼らはおよそ2週間分の食料と、そして夫婦貝アライアンス・コンクを2組持ち帰ってくれた。

 多いとも言えないが、どのみち衣住の問題を考えれば遠からず王都を奪還しなければ意味は無い。

 もともと砦にあった備蓄と、近隣の森で僅かに取れる食料を合わせて、3週間を食いつなぐ。その間に王都の魔物を倒し、帰る場所を奪還する、というのがタスクのプランだった。


「それにしても軍師さん、すんげぇ方だったんスね。最初見たときは俺のケツ狙ってんのかと思って、流石の俺もビクビクしてましたぜ」


 ちなみにサーブリック・ギルブレスは、タスクがエクルス砦に来た際に乗せてもらった馬の騎手でもある。

 タスクとしては、喧しいのは妖精だけで事足りているのだが、この男はこれで弓の腕も立つらしく、不本意ながら今後も戦略的な話でも世話になりそうなのであった。



 ともあれ食の問題が幾分か解決した以上は、戦いの戦略だけでなく、砦での生活管理、兵たちの装備管理、兵たちの運用管理、兵たちのモチベーション管理などもマネジメントしなくてはならない。


 砦での生活に関しては、活力の戻った市民たちに労働力となってもらうことにした。分担して、砦の外での食糧調達や水汲み、テント作りを行ってもらい、ついでに簡易の風呂も作ってもらう。ただし食料の保管管理については、ソフィアとアージリスの選任した兵たちのみが携わるものとした。

 子供たちや、縫物ができない老人たちには砦の清掃を頼んだ。


 最初はこんな時に掃除など、と難色を示す者も多くいたが、戦勝の立役者である軍師様に深々と頭を下げられると、皆仕方なしに作業を始めた。タスクとしては依頼人クライアントへの挨拶で毎日のように下げていた頭であって、今更どれだけ下げようと何の苦もない訳だが。

 そうしていざやってみれば、皆作業に熱中して、文句を口にするものはいなくなっていた。


 タスクの居た世界でも、ラクガキやゴミだらけだった場所を一度ピカピカにしたらその後は治安が良くなって綺麗な状態が維持された、という話もある。清掃の度合というのはある程度人々の意識にも影響をもたらすものだ。

 何より、なにかすることがあると言うことは、それ自体が更に活力を生むきっかけにもなるはずだ。

 装備管理については、確認してみると兵たちの装備のほとんどは鍛造で造られたものであるらしかった。これまでの戦いや、先の戦闘でガタがきてしまい、満足に機能を発揮しないものも多く見られるようで、前線の兵たちを悩ませる一因ともなっているようだ。


 そして、この砦の避難民に鍛冶ができるものは3人。これまでは痛んだり折れたりした剣や盾を預り、順番に修理、もしくは新たに打つなどしていたらしい。

 当然ながらとても追いつかず、鍛冶師は過酷な作業を日々不休でこなし、兵たちもまた、ままならない装備で戦っていたのだろう。

 限られた時間の中で、ある程度に形になった装備を満足にそろえる為にも、鍛冶師たちには鉄を打つことだけに専念してもらう必要がある。


 柄の革巻きや鞘の縫い付け、あるいは刃の研ぎなどは、かつて服飾店や食肉店などを営んでいた市民に協力してもらうように手配をとり、皆で協力して鍛冶師の作業場の隣に第2工程作業場を作った。

 鍛冶師たちが仕上げた半完成品を、そのすぐ隣に用意したW字状の長テーブルにて構えた仕上げ係たちが剣なら剣、盾なら盾と担当別に受け取って協力して仕上げる、というタスク考案のU字ラインならぬW字ライン製造方式だ。

 通常の製造業では、一人で

いくつもの工程を手掛ける場合にU字ラインを用いる。だが、このW字状に組んだテーブルならば作業者三人、サポート二人が臨機応変に対面して手作業を協力できる。アナログだがこれで剣や盾の仕上げ効率も向上するだろう。


 アリスタやオペラニア姉弟にも協力してもらい、丸一日をかけて鍛冶工程マネジメントをする一方で、タスクは合間の時間で兵士たちの仕事や訓練の様子を観察させてもらっていた。

 普段通りの行動をとって欲しいという、事前のタスクの指示もあって、そしてそもそも誰が見ていようと別に気にしないというアージリスたちの性分もあって、兵たちは普段と変わらぬ行動を送っているようだ。


 兵たちの行動は大きく三つに分かれる。

 近衛や見張りに出る者。

 魔法研究を行う魔導師。

 そして訓練に勤しむ、戦盾騎士、弓兵、剣士たちだ。

 タスクはその内の訓練の様子を見守らせてもらった。


 当然と言うべきか、タスクの目から見ても、まぁなかなかの体育会系ぶりだ。

 剣士隊を覗いてみると、大勢の剣士たちが木剣を持って1対1、もしくは1対2で模擬戦を行っている。

 布を巻いた木剣とはいえ、打ち合う様子は鬼気迫るものがあり、見ているだけで背筋がぞくりとなりそうだ。

 隊長代理のマクレラントは元は剣術指南役というだけあってか、一人一人を個別に見て回って、堂にいった様子で助言をしている。

 本人は反りの入った片刃剣を使っているようだが、剣ならなんでも扱えるようで、両刃の剣についても打ち合う際のいなし方を詳細に指導していた。


 弓兵隊へと邪魔してみると、こちらも各々が練習に励んでいるようだが、助言をするものはいないようだった。

 サーブリックは木の上で寝そべっている。素人目にはまるで昼寝をしているようにさえ見えた。

 そしてよくよく考えてみれば、タスクは弓兵隊の隊長を知らない。アージリスとマクレラントがそれぞれ騎士団と剣士隊の指揮をとっていたのは知っているが、弓兵隊の隊長には挨拶すらしていなかった。


「折角だしその辺も把握しておくか……」


 周囲を見回して、丁度よく隣を通りがかった少女に聞いてみることにした。

 ハーズやソフィアよりも更に幼い年頃に見えるが、しっかりと弓を背負って弓兵隊の服を着ている。きっと見習いであろうが、隊長の所在くらいは知っていることだろう。


「失礼。ちょっといいかな?」


 タスクが声を掛けると少女が振り返って見上げてくる。

 この世界では自分以外で初めて目にする黒髪だ。肌も少し赤っぽい褐色であり、この砦の他の民たちとは異なる地方の生まれなのかもしれない。


「あ! ヒヒガネタスクくんじゃ~ん! おっつ~!」


 流石に見習い兵士でも軍師様のことは知っているようで、気持ちのいい挨拶をしてきた。この砦で出会った子供のなかではかなりテンションの高い部類だ。

 サーブリックといい、弓兵隊の風潮なのかもしれない。

 実際に会社の人事マネジメントでも、こういった小集団内での風潮や空気感というのは考慮対象になったりもする。ときには能率アップに役立つし、ときには集団浅慮の原因にもなるものだ。


「うわぁ。テンションの高い子供ですねぇ」


 まぁそれはさておき、アリスタにはそれを言われたくないと思う。わざわざ口にはしないが。


「あぁ。お疲れ様です。弓兵隊の隊長さんに挨拶したいんだけど、どなたか知ってるかな?」


 しゃがんで目線を合わせて話す。

 タスクは個人的には子供はあまり好きではないが、こういったテクニックもサービス業や営業では必要になることが多いのだ。


「もちろん知ってるよ~。ウチが弓兵隊の隊長だからねん」


 どう見ても身長130センチ程度のその少女は、立てた親指で自身の顔を指してみせた。


「…………。へぇ。そりゃ凄いね。参考になったよありがとうそれじゃさようなら」


 そして個人的には子供はあまり好きではないタスクとしては、なんの益もないならば子供のおふざけに付き合う気はない。


「あら~。信じてないね、タスクく~ん。じゃあ、これでどうかな……っと!」


 だがタスクが踵を返そうとした瞬間、少女は目にもとまらぬ速さで背から弓をとった。指先でくるんと一回転させると、瞬く間に矢を放つ。

 適当に弦だけを引いてもそんなに速くは無理だろうというスピードだったにも関わらず、放たれた矢は遠く向こうの別の兵が使用していた的の真ん中に刺さっていた。


「……マジか」

「ひゃー。凄いですねぇ」


 命中精度もさることながら、距離も普通の兵士の3倍は離れている。

 弓のことなど知らないタスクでも、その飛距離を成すための弓を引くのに相当な筋力が必要なのは想像できる。

 確かにただの子供ではないようだ。


「ふふん。分かってもらえたかな? んじゃ改めて、弓兵隊隊長のリオ・ピグマリーだよ。ヨロシクねん」


 確かに驚くべき腕前に一瞬目的を忘れたタスクだったが、よく考えれば今は弓の腕前を見に来たわけではない。


「あぁ、こちらこそ宜しくお願いします。ところで弓兵隊はいつもこんな感じで訓練を?」


「ん~? そうだね。本当は動く獲物の方が良いけど、ここじゃ南の山のほうまで行かないと獣もいないからね~」


 タスクとしてはそうゆう意味で質問した訳では無かったが、まぁ剣士隊とは随分違う風潮だということは十分以上に分かった。


「ところで、サーブリックが木の上でしてるのは何か魔法的な訓練なの? 素人目にはぱっと見、昼寝してるようにすら見えるけど」

「うん。ありゃあ昼寝だね~。サボりだね~。よ~し。悪い子はおねーさんがコイツでお仕置きしちゃるぞ~」


 そして素人目に昼寝に見えた行為は、なんと昼寝であったことが判明した。

 リオは取り出した2本の矢を、それぞれ両手の指先でくるくると回している。


「タスクくんも一緒にやるかい? じゃウチはヤツの左の鼻の穴にコイツを突っ込むから、タスクくんは右に……」


 ウキウキとした少女を見て、タスクは「頑張ってください」とだけ返して、その場をあとにした。

 続いて騎士団の様子はと向かってみれば、近づいた途端に怒号が何度も聞こえてきた。

 そもそも熟練の兵が失われている環境であるため、必然的に練度の低いものが多く混ざっているようで、アージリスの訓練に熱が入るのも頷ける。


「貴様たち、それでも王国の騎士かっ! その程度ではゴブリンの突進すら防ぎきれんぞ! しっかり気を張って構えろ! 次の戦いで戦果を上げた者には私から姫様に褒賞の推薦をしてやる。死ぬ気で戦えっ!」


 団長代行と言うだけあって、飴と鞭らしきものは使っているようだが、タスクに言わせてもらえば兵たちが不憫極まりない。

 どうやら盾を構えた戦盾騎士に対して、アージリスが丸太でそれを突き、受け止める訓練らしい。だが、そもそも丸太を片手で振り回す人間重機が相手では、それこそオーガとか言う魔物でもなければ立ち向かえないだろう。


「貴様はもう一度だっ! 他の者たちもよく見ていろ。この者の体の使い方がいかになっていないかを後で教えてやれ」


 同じ兵士がもう一度突き飛ばされる。こういったところはいかにも軍隊で、正直タスクには少し怖い。

 確かに心理的な意味で敢えて突き放したり、褒賞を期待させることで、モチベーションを高める手法は存在する。


 だが、今のゴルトシュタイン軍に必要なのはトップダウンの統率力でも、負けじと頑張る長期的な向上心でもない。

 集団の魔物に対して、こちらも集団で立ち向かうチームワークと、それを活かす為の指揮系統だ。

 という訳でタスクはアージリスへと近寄って声をかけた。


「アージリス。今日の訓練が終わったら隊長たちとそれに近い立場の人間を集めてくれ」


 出会った当初はこの210センチの女騎士型人間重機を恐れていたタスクだったが、彼女が22歳で年下だと知り、そして仕方なしにとはいえ軍師とかいう立場を得た今や、たとえ重機だろうと恐れるに足りない。


「ヒヒガネか。それは構わんが、何かするのか?」


 向こうは向こうでタメ口なのだが、まぁそれはタスクとしてもあまり気にはしない。

 ともあれ、姫の下に就く立場として対等くらいにはなったのだ。そして軍の運用を任され立場にもなったので、遠慮なく指示をする。


「ああ。騎士団は廃止するから」


 そしておもむろに胸倉を掴まれて「喧嘩を売っているのか貴様」と凄まれて、まぁ考えれば対等くらいじゃこんなもんかぁと、宙ぶらりんになりながら思った。




 その日の夜、事前に声を掛けたとおり、騎士団、剣士隊、弓兵隊の代表と、補佐役やベテランなどを含む十数人が砦の一室へと集まった。


「おい、タスク! 騎士団を廃止とはどうゆうことだっ! 俺たちの何が不満だってんだ!?」


 タスクが話を切り出す間もなく、早速アトキンソンが口を開いた。

 なぜ騎士団の上の方には人の話を聞かないタイプが多いのかと、早速嘆きたくなるが、そこはぐっと堪えて我慢した。

 本題を繰り出せばどうせ不満が出るのは分かっていたことだ。


「いや、廃止するのは騎士団だけじゃないから。剣士隊も弓兵隊も廃止します。魔導師隊は別個に再構築します」


 集まった一同がざわざわと騒ぎ出す。


「それはつまり、新しく騎士団や剣士隊、弓兵隊に取って代わるものを作る、ということかのう?」


 全体にとって悪くないこの意見を出したのはマクレラントだ。

 この老人の方がよほど騎士らしいイメージだが、若い頃は剣にしか興味がない冷たい刃のような男で、そして流浪の旅をしていたせいで今も地位は高くないらしい。


「そうですね。マクレラントさんの言うとおり、当然新しいものを作ります」


 ここで安堵したものと、続きの説明を求めるものとを、タスクは密かに分類して記憶した。

 もちろんこれだけで決めるつもりはないが、新しい組織の責任者には最低でもここで疑問を持てる程度の人材は欲しい。本人たちには悪いが、勝手に評価させてもらうことにした。

 その上で、指揮される下の人間たちのためにも、相応しくない人間には新しい組織では指揮官からは降りてもらうことになるだろう。


「ってーことは、その新しいもの、ってのは今までとは結構がっつり変わっちゃうって訳なんスね」


 老剣士同様に、サーブリックも理解しているらしい。なかなか掴みどころのない男だ。


「え~。弓兵隊のみんなとお別れはおねーさん悲しいな~」


 リオは正直何を考えているのか分からない。


「そいつは、今までと違う戦い方をしろってことか? そんな大きく変えることなんてできる訳ないだろうが」


 意外にも一番良いことを言ったのはアトキンソンだ。本能的に核心を突くタイプなのかも知れない。


「それはつまり、貴様が新たに騎士団を率いると、そう言いたいのか!?」


 そしてアージリス。


「うん。キミは何もかも全然違います」


 こいつは駄目だ。


「じゃあ、まず先に現状を確認してみましょうか。今のゴルトシュタイン軍は強固な4枚構造の集団でできあがっている組織です」


 話しつつ、木製の板を4枚、重ねて側面が見えるように並べる。W字ラインを作ったときの余りの板を貰ってきたものだ。


「つまりはこうゆうこと」


 皆がうんうんと頷く。大抵の場合においては大人も子供も、言葉よりも絵、絵よりも立体を交えた例に興味を示すものだ。


「ただこの4枚の板、確かに強固ですけど、これじゃあどうやっても5枚にはなりません」


 そりゃそうだ、と何人かが笑う。タスク的に見所があるのは顎を擦りながら熱心に考えるマクレラントと、頭に手を組んでニヤニヤ笑っているサーブリック。この二人はタスクが言いたいことを理解したらしい。


「板切れはそうだろうが人間は動けるんだぞ。5枚にも6枚にもなるだろうが」


 それにアトキンソン。本当に意外だが本能で理解しているらしい。

 もちろん理解しているのは言わんとすることまでで、結論は間違っているのだが、タスクもそこまでは求めていない。


「確かに、アトキンソンの言うとおり、戦盾騎士の横隊は板切れなんかじゃない。指示があれば前にも後ろにも動けるだろう」


 そんなことは分かっているが、だがこれを全員が理解したうえで次の話に進むのが重要なのだ。


「でもここで言いたいのは、物理的なものじゃない。心理的、精神的なコミュニケーションの話だ。もしも仮に、戦場で独自にミクロ的戦況判断の共有が必要になった場合に、この1枚目の板のここの点と、この2枚目の板のここの点、この二つは瞬時に情報を共有して協調した判断をくだせると、皆さん思いますか?」


 2枚の板の、それぞれ適当な1点を指差して問う。

 つまりは、不特定の戦盾騎士数名と不特定の剣士数名が、瞬時に協調してそのときに必要な分の情報共有ができるか。あるいはそのときに必要な最良の判断ができるか、ということだ。


 部屋の中で各々が隣の席の者と話し合うが、表情は浮かない。

 まぁ無理だろう。タスクもそれは分かっている。

 彼らは完全な機能別組織であり、ビジネス風に言うと開発部は開発部の常識で、営業部は営業部の常識で、資材部は資材部の常識で、それぞれが動いていることになる。


 もちろん同じ国で文化的に生きる人間である以上、一般的な常識は共有されるため、日頃に表立っては問題は出てこないが、その集団ごとの差が能率の低下や判断の遅れや大きなミス、先日のような集団浅慮グループシンクの発生、あるいは解消されないままの摩擦コンフリクトの蓄積へと繋がってしまうのだ。


「じゃあ、できると思う方は挙手をお願いします」


 誰の手も上がらなかった。まぁそうだろう。流石にアージリスも無理を可能とは言い張らないはずだ。


「かと言って、この板切れをバラバラにして臨機応変に組み替えたら、散らばってしまって、ただのパズルですよね」


 全ての兵士があらゆる方向へ連携を発揮する、というのもこれまた現実的ではない。

 マクレラントを初めとした数人が頷いてくれた。

 必要なのは部門ごとの独自の固定観念セクショナリズムを解消し、それでいてすぐに連携が発揮できる集団だ。


「と言う訳で、皆さんにはこれになってもらいます」


 木の板に退場してもらい、テーブルにレンガを並べていく。


「このレンガは横に並べれば強固な長い壁に、2列にすれば短くも更にぶ厚い壁に、敵や味方を囲めば四角や円の壁になります。あるいは個別に動いて敵にぶつかる事だってできる」


 更に多くが頷く。この時点でほぼ全員が理解したようであった。


「このレンガ一つが一つの戦闘単位、つまり事業部ディビジョンです。理想としてはこれが1単位あれば、このサイズのあらゆる戦闘が可能で、必要に応じて他のレンガとも強く結びつくことができる能力を有することが求められます。つきましては、既存の組織形態は騎士団、剣士隊、弓兵隊を全て廃止。再編します。既に姫には同意を貰ってますので、具体的な配置や配分、つまり人事についてはこれから皆さんの意見を貰えればと思います」


 タスクは一通り話し終えて、辺りを見渡した。

 少なからず反対意見が出るかとも思っていたが、今回は思ったよりも良好なプレゼンができたようだった。


「なるほどのう。つまり騎士、剣士、弓兵からなる小さい集団を一つのものとして扱い、必要ならば組み合わせて従来と同じ、否、従来よりも強固な壁にもすると。儂らには思いつかぬ発想であるな」

「やぁー軍師さん。またメンドーなもん考えるスね。こいつは大仕事ですぜ」

「おいタスク。俺は騎士だが、この爺さんにも負けない剣士でもあるんだ。そこんとこ、しっかり考えておけよ」


 三人をはじめとして、皆が好き勝手に喋るが協力は得られたようである。

 だがそこへ、


「馬鹿を言うなっ!! そんなことをすれば騎士団はどうなる? 私の騎士団長代行としての立場はどうなるっ!!」


 盛大な反対意見が現れた。おまけにそれは、そもそも最初の時点で言って欲しい反論だ。

 そんなタスクの思いを知ってか知らずか、他の者もアージリスの気迫に押されてなだめることもできずにいる。


「まぁまぁ姐さん、落ち着い……うごぁ!」


 唯一なだめに入ったサーブリックは、一瞬で胸倉を掴まれてテーブルへ叩きつけられた。


「戦盾騎士はゴルトシュタインの誉れだぞ! 騎士団は民を護る象徴でもある! それをっ!」


 相当に冷静さを失っているようだ。アージリスは自分が掴んだ男の存在などまるで眼中に入っていない様子で、なおもタスクに詰め寄ってくる。


「あーっ! 擦れてる擦れてる! 摩擦! 摩擦が! あーっ!!」


 顔面をテーブルにガリガリと擦りつけられてもがくサーブリックの姿に狂気を感じる。ちなみにここで言う摩擦は、もちろん摩擦コンフリクトではなく物理的なものだ。

 リオはそそくさと離れていき、アトキンソンはそっぽを向いている。マクレラントは堂々と静止する言葉をかけているが、近づく気はないらしい。

 ともあれ、タスクとしても仕事モードのときに退く訳にはいかない。指揮にも関わる問題だ。


「それを……黙って聞いていれば貴様。よもや本当に廃止するなどと……っ! 今日まで騎士団長代行として騎士たちをまとめてきた私の立場をどうしてくれる!?」


 なんとも身勝手な意見だが、タスクとて彼女が自身の立場や役職惜しさに言っている訳では無いことはなんとなく分かっている。

 思慮が浅く、暴力的だが彼女が愚かではないこともなんとなく分かっている。

 でもそんなん関係ないから、とタスクは心の中で呟いた。


「……お前の立場なんか知らん。お前からは人事の助言もいらないから。もう戻ってくれて結構ですよ」


 タスクはピシャリと言い放った。





 ビジネスのシーンにおいても中間管理職は大変、とよく言われるように、ある小集団の長たるものは部下たちが遺憾なく実力を発揮できるように環境を整え、同時に大集団の意向に沿うように彼らを従わせて導かなければならない。


 ところがその二つの両立は必ずしも簡単ではなく、そこには飲み屋で中年男性がよく言っている「いやぁ、上と下との板ばさみでもう嫌んなっちゃうよ」というアレが発生する。

 強い力で部下を服従させれば、それは押さえつけられたバネのように凝り固まって柔軟性を失わせるし、もしかするといずれは強い反発を見せるかもしれない。


 部下と仲良く楽しく好き勝手にやれば、それは組織全体の目標から乖離して迷走し、最終的には『下の上から中の下』くらいの成果に落ち着くだろう。

 上から与えられた目標を効率的に達成し、高い成果を生むためには、「トップの意向を理解していて、色々なことに精通していて、それを教えてくれて、下らないジョークに付き合ってくれて、そして怒らせたらヤバい」タイプの上司が必要なのだ。この場合の怒らせたらヤバいというのは心理的なものでも、進退や給与に対する影響力でも、どちらでも構わない。


 よく軍隊などでは上官が圧倒的なパワーで部下たちを押さえつけているが、タスクが映画などで見かけた限りではそれも主に新兵時代、いわば半ば学生に近い立場だからこそであり、それを乗り越えればむしろ小隊とやらは家族のような付き合いになるとも聞いたことがあった。


 そんな訳で、あれから6日後、タスクは砦の南方、レバル山の頂上に居た。

 タスクの足でもおよそ2時間もあれば登頂できる程度の山で、途中に危険な場所も多くない比較的安全な場所だ。

 流石にスーツで来るような場ではないので、これを機会にかつて王家の仕立て屋だったという中年女性にクリーニングとして一張羅を預け、代わりに弓兵隊の軽装を借りてきた。

 格好だけ見るとコスプレ登山者だが、もちろん生き抜きで登山に来たわけではない。


 どうせならと、オリエンテーションも軍隊風にしてみたのだ。

 既存の集団を一度解散して、新たに組んだ『戦隊』。騎士10人、剣士12人、弓兵8人で編成されるその戦隊ごとに山を登って親睦を深めようというものだ。

 ただし、タスクの知っている軍隊よろしく、兵たちは各々のフル装備で登ってきてもらう。重装備の戦盾騎士にはなかなか過酷な道のりだろう。

 そして今日はその4日目だ。


「軍師さまぁー。次の戦隊さんがスタート準備できたみたいですぅー」


 夫婦貝を被るように頭に装備しながらアリスタが報告してくる。

 当然ながら砦を無防備にする訳にはいかないので、日と時間を分けて時間差で上ってもらっているのだ。

 アリスタの頭から受話器、もとい、ほら貝を取って応える。


「現在の最短タイムは砂時計6・5回転だ。全員で協力してベストを尽くすこと」


 そして、もちろんハイキングしただけでは本当にただのオリエンテーションだ。

 なので「この登山の結果や、日ごろの成果をもとにして大隊の指揮官とその中心となる戦隊、あるいは更なる人事異動を決定する」と全兵士に伝えてある。

 これで皆の張り合いも出るだろう。


「リタイアしたくなったら|妖精の癇癪球(フェアリス・クラッカー)を割れば、妖精とインストラクターの人が向かうから。それでは健闘を祈ります。スタートしてください」


 妖精の癇癪球はアリスタが木の実の殻をもとに魔法で作ったアイテムで、割ると固有の魔力信号が周辺に発されるというものだ。

 妖精の魔法は人間とは根本的に異なるようで、ヴァンガード村的な名前の某雑貨店兼書店のグッズよろしく、役に立つんだか立たないんだか分からないものばかりだ。


「さて、じゃあモニターも出してくれ」


「はい。森の監視者シルバ・ディスクロージャー。とぉーうっ!」


 スクリーン代わりの妖精の落書帳スラック・スクリーブルに山の風景がぼんやりと映し出された。

 効果半径は狭いが、事前にマーキングを行った魔力溜りマナ・スポットの精霊と視点を共有することが可能な妖精式の監視カメラである。

 登山経路の魔力溜りは6箇所。山全体とはいかないが、これを使えば先に登って頂上で待つ身のタスクでも同時に多くの兵たちを見守ることができた。

 皆で励ましあう様子が映ったかと思えば、激しく口論をする戦隊もいる。あるいは皆してのんびりとハイキングペースで登り始める戦隊もいた。だがどんな過程を経た者たちであっても、頂上に到着し労いを受けると、その後は満足げに談笑しながら下山して行った。


 ちなみに、タスクとアリスタが二人きりで4日間も山の頂上に居座り続けているのかと言えば、もちろん違う。

 初日に最高タイムを叩き出した戦隊の隊長に残ってもらい、以降は食料調達に寝床作りと世話になっているのだ。

 当初はいま一つやる気の無さそうだったその男に、タスクは「お前の戦隊は逆に半端なタイムを出したら大隊長に任命するから」と伝え、そしてその結果、初日の一番手で挑戦した彼の戦隊のタイムは、いまだに破られていない。

 四苦八苦しながら山に挑む者たちを観測し、登頂したものを労い、それを5回ほど繰り返して4日目が終わった。


「第18戦隊はかなり口論してたなぁ。こりゃマイナス30点だわ」


 妖精の落書帳に戦隊ごとのスコアをまとめながら、タスクはおもむろに骨付き肉に齧りついた。


「今日のはイマイチだな。昨日の甘草で味付けしたってヤツの方が美味かったぞ」


 流石に山まで来るとそこそこの動物がいるらしく、また砦より南方で魔物が少ないこともあって、この山頂の生活はタスクにとっては久々の肉ライフでもあった。もちろん自分で狩った訳ではないが。


「ありゃあ別に味付けじゃなくて腹に良いから使っただけですぜ。ってーか、味付けこってりの濃いめが好きなんて、やっぱ軍師さんていいトコの生まれなんスね。普段の振る舞いは田舎モン臭いけど。俺は街に来るまで、食いモンの味付けに好みがあるなんて考えもしなかったスわ。まぁ女の子の味なら大歓迎でテイスティングするスけど」


 同様に骨付き肉に齧りつきながらサーブリックが答える。

 王国の中でも大きな街からは離れた森の小村で生まれ育ったというサーブリックのアウトドア知識は流石のもので、本人はもちろんのこと、他の戦隊員たちすらもほとんど疲労させずに最速で登頂して見せた。

 それから以後4日間、昼寝をしては食料を調達し、軽口を叩いては食料を調達し、という生活を送る彼に、タスクはなんだかんだで世話になっている。


「あぁー。……ビール飲みてぇ」


 もちろん仕事は仕事としてこなすが、稼いだ分だけ遊ぶのはタスクの信条だ。大抵の日本人男性が夢に見たであろう骨付き肉に齧り付いたならビールだって飲みたくはなる。


「なんですかぁ、それぇ?」

「酒だよ。酵母を使って麦を低温発酵させたヤツ」

「へぇ。麦酒ばくしゅみたいなもんスかい? やぁー俺も酒なんて久しく飲んでないスわ。あー、話してたら飲みたくなってきた」


 砦でのスープに若干の穀物があったので、もしかしたらとは思っていたが一応存在はするらしい。


「まぁ王都を取り返したら、一杯やりましょーや。んなことよか、軍師さん。大丈夫なんスかい? 明日は姐さんの隊が来ますぜ?」


 アージリスのことだ。


「いや姐さんて、お前のが年上だろ。アージリスって呼べよ」

「やぁー、その、ほら。姐さんは姐さんスから」


 やはりというか、彼もまた人間重機にはビビッているみたいだ。

 2日目の晩に聞いた話だが、まだ王都が健在だった頃に、酒の席で友人と二人して、どちらがジョークで彼女をより笑わせられるかを競い合ったことがあるそうだ。結果、二人仲良く彼女の左右の手で宙吊りになったらしいが。


「大丈夫って何がだよ?」

「いや、だって軍師さん、姐さんの言い分をズバっとやっちまってたじゃん。俺だったら死を覚悟するスねぇ」

「そぉですよ、軍師さまぁ。アージリスさんの傷ついた乙女心に謝った方がいいですってぇ」


 二人して好き勝手を言ってくるが、タスクとしてはそんなものを気にかけるつもりはない。

 いま考えるのは一匹でも多くの敵を効率的に倒し、そして一人でも多くの味方を生き残らること。

 広い視野で全体を見渡し、必要な時に必要な行動がとれる人材を上に立たせることだ。

 当然、一人の我侭など聞いてはいられない。確かに怖いけど。


「そもそも俺の居た世界じゃ3・2ラールグの人間重機を乙女とは呼ばないから」


 女心を介さないタスクの言葉に、アリスタは頬をぷっくりと膨らませる。


「むぅーっ! 酷いですっ! 軍師さまぁっ! アージリスさんだって女の子かも知れないじゃないですかぁ!?」

「なんで疑問形なんだよ。むしろそっちの方が可哀想すぎるだろ。……それで、マズルス・クラスタルっていうのはどうゆう人だったんだよ」


 それはさておきということで、タスクが口にしたその名に、それまでヘラヘラ笑っていたサーブリックは少しだけ驚いたそぶりを見せた。


「……ひゅう。意外だなぁ。軍師さん、知ってたんスかい?」

「惚けるなよ。お前がわざわざアージリスの話題を振ってきたんだ。その先を俺に話すつもりだったんじゃないのか?」


 アージリスが立腹していることも、明日にアージリスの隊が登山に臨むこともタスクは承知の上だ。そして同様にサーブリックだってそのことは分かっているはずだ。

 なのにわざわざ話を振ってくるくらいだ、求めていたのはその話題ではなく、その続きにあたる部分だろう。


 タスクとしてもあの夢でみたマズルスたちの不遇の最後は、忘れたくとも忘れられないものだ。

 たとえ望まずとも記憶に残るし、あの230センチはあろうという騎士団長の男性がクラスタルという姓であったことも覚えている。

 人事の判断材料にする気は微塵も無いが、サーブリックが話すというのなら聞く気はあった。


「俺としちゃ決まったことに逆らう気もないスし、姐さんとも別に知り合い以上友人未満なんで義理立てする気もないんスわ。まぁでも姐さんが怒った理由は軍師さんの人選の役に立つかも知れませんぜ」

「話してくれるんなら聞くさ。人事の参考にする気はないけどな」


 確かに日本でも、同族経営において経営権が受け継がれた際などに、それが良い方向へ作用すれば下で働く社員たちが「先代の遺志を継いだ二代目のために頑張ろう」と奮起するケースはある。

 だが好意的に作用しないケースもあるし、そもそもトップの人間が適切な能力を持っているかどうかとは関連性の無い話題であって、今の王国の人事に必要な考え方ではない。

 そんなタスクの思慮を察しているのかいないのか、サーブリックが話し始める。


「軍師さんの知っての通り、姐さんは最後まで王都に残ったっていう先代騎士団長の意志を継いで、騎士団長代行になったんスわ」

「だろうな」


 そのくらいは予想の範疇だ。


「姐さんは昔からクラスタルって姓のせいで優遇されるのを嫌ってて、一般枠で騎士団に入団したらしいんスね。俺はまだその頃、村に居たんで又聞きスけど。んで、並み居る猛者たちを寄せ着けず、圧倒的な強さで出世して、なんと1年後には姫様の近衛になったんスわ」

「いや、あのガタイなら当然だろ」


 タスクが思わず失笑すると、サーブリックもまた「でスよね」と笑った。


「んで、姫様……王女殿下の近衛ってことは将来の国王と王妃の近衛なわけスから当然、騎士団の副団長に推薦されたんスね」


 タスクには分からないが口ぶりからすると、この国では至極当然の出世コースなのだろう。


「ところが、ここでまさかの事態。騎士団長、つまり親父さんがそれに反対して、結局姐さんへの任命は見送りになっちまったんスよ」

「……マズルスはなんて言って反対したんだよ?」


 サーブリックの口ぶりが演技がかって上手いせいもあって、タスクとしても正直気になると言えばなる。

 それにタスクとて人の気持ちが分からない訳では無い。誰だって周囲や家族から高く評価されれば嬉しいし、逆に否定されれば悲しい。父親に出世を反対されたとあっては同情だってしたくはなる。


「なんでも、『此の者は戦盾騎士ホプリテス第一の心得を解するに至っておらず』って話らしいスわ。あぁ、ちなみにその第一の心得ってのは確か、『主君を護り、民を護り、己を護る』ってのだったかな」


 思わず考えてしまう。


「……その三つくらいなら満たしてはいるように思えるな」


 ソフィアを護り、砦の民を護り、自分自身を護る。まぁ若干単細胞気味なのはさておき、少なくとも今はその条件くらいはクリアしていそうだ。


「でスよね。んで、まぁ、それから何年か後に俺らは……王国はこうなって、姐さんは騎士団長代行の任についてからもその心得ってのを守り、守らせてるっちゅー訳スよ」


 タスクとしても疑問ではあった。マクレラントが剣士隊長『代理』なのに対して、アージリスが騎士団長『代行』であることについて。

 素人なりに解釈すれば、マクレラントは臨時で就いた職ながらも自らの剣の道を、あるいは教えを説いて部下を導いているのに対して、アージリスは実質的にマズルスの空席を埋めているに過ぎないということだ。

 ソフィアの判断とも思えない。本人が望んだことなのだろう。


「なるほどなぁ。まぁどうでもいいけど」


 タスクはごろりと横になって、少しだけその心得とやらについて考えた。




 翌日、レバル山の麓で、アージリスは夫婦貝へ向けて力強く喋りかけた。


「アージリス・クラスタル以下30名っ! エクルス砦よりただいま到着した! いつでも開始できるぞっ!」


 アージリスとしては甚だ不本意ではあったが、ヒヒガネがソフィアから正式に任命されている以上は与えられた課題の中で自身の力を知らしめるしかない。

 かつては不名誉にも自身の父によって地位を遠ざけられた彼女であったが、あの日からより一層の鍛錬を重ねて、そして更に今は他の団員たちにも『戦盾騎士の心得』を遵守するための指導にも打ち込んでいる。

 自分もあの頃よりも成長しているという自信があった。


 そして彼女とてヒヒガネが軍を強くしようという思いで動いていることは認めている。ならば、自身の強さを証明して考えを改めさせるまでだ。

 ぐっと拳を握りこんで待つと、夫婦貝から可愛らしい声が返ってきた。


「あ、アージリスさん。いらっしゃいませぇ。いま軍師さまは服を脱いでサーブリックさんといるんでぇ、ちょっと休憩して待っていてくださぁい」


 アリスタの声に、何人かの女性隊員がざわめく。

 特に弓兵の少女クラティスと女剣士のプラータは顔を赤らめ鼻息を荒くして、「こ、これはえらいこっちゃですわ」「……サー×タスということですね」などと語り合っている。

 無意識に更に拳を握るアージリス。篭手が軋み、金属が悲鳴を上げた。


「どこまでもふざけたヤツめ!」


 数十秒後、ペチンという音と「ふぎゃん」という妖精の悲鳴が聞こえ、その後ようやく夫婦貝から男の声が響く。


「……失礼。お待たせしました。ちなみに頭洗って水浴びしてただけだから。変な誤解しないでください。女性はそうゆうの好きかもしれないけど、マジで変な誤解しないでくださいね」


 更に篭手がベキベキと鳴った。貴様のことなど心底どうでもいいわ、と思ったが、反応するのも癪なので何も言わなかった。


「はいでは、現在の最短タイムは砂時計6・5回転分です。全員で協力してベストを尽くすこと」


 最短タイムはサーブリックで間違いないだろうと思った。アージリスも彼のことは知っている。飄々として気に入らない男だ。同じ村で育ったというアーレイとかいう男と一緒になって自分をからかってきたこともあった。

 だが自然の中で育ったあの男なら適当に見えつつも的確な助言で仲間を導くような芸当をみせてもおかしくない。


「リタイアしたくなったら妖精の癇癪球フェアリス・クラッカーを割れば、妖精とインストラクターの人が向かうから。それでは健闘を祈ります。スタートしてください」



「征くぞ!」


 アージリスは合図と同時に勢いよく山へ駆け込んだ。

 ドスドスと地を踏み鳴らしながら山道を駆けるアージリスに他の隊員が続いてゆく。


 アージリスの見たところ、この競争の決め手となるのは戦盾騎士だ。比較的身軽な弓兵や剣士と比べて、鎧に大盾、それに騎士個別の武器もある。最も早く疲労するのは必至だろう。

 だが、騎士10人、剣士12人、弓兵8人という配分は全ての隊で共通。皆が同じ条件だ。

 そしてアージリスには自信があった。隊員の配分はヒヒガネとマクレラント、アトキンソン、サーブリックとリオ他数名で協議して行なったようだが、アージリスの隊には偶然か配分の都合か、比較的優秀な戦盾騎士が揃っていたのだ。

 騎士10人全員が平均か、あるいはそれ以上の実力者揃いだった。


 全員がゴールすることが条件ならば、この勝負は騎士の能力差で決まる。山に強いサーブリックであろうと仲間の能力まで好きにできる訳では無い。

 ゆえに、アージリスはこの勝負をなんとしても勝ちに行くと、隊員たちにも伝えていたのだ。


「足元を確認して、既に踏み均された場所を進め!」


 更に今日が登山の最終日でもあり、山道はすでに多くの足跡で踏み均されていた。これならば初日に挑戦したサーブリックよりも一層有利だ。

 とはいえ、当然のこととして重装備の登山が楽であるはずも無く、隊員たちの息は徐々に上がりはじめる。


「……過酷だったのはどの隊も一緒だ! 気合を見せろ貴様ら」


 背中ごしに次々と威勢のいい返事が聞こえてくる。他の隊員たちも大隊の中心を担う名誉には憧れているようで、良いタイムを出したいという意欲が伝わってくる。

 あるいはそんな思いから生まれた発言なのかも知れないが、


「大丈夫か? なんならその盾、交代で持つぜ」


 という声が聞こえてくる。アージリスは思わず立ち止まって、振り返った。


「馬鹿な口を利くな貴様っ! 戦盾は騎士の誇りだ! 騎士にとって戦盾スクトゥムは重荷になりえない! 他者に預けることもない!」


 怒鳴りつけると、それを口にしたであろう剣士の男と、言われたであろう騎士の男とが、共に吃驚した様子で頭を下げてきた。


「し、失礼しました」


 戦盾は騎士の誇りであるし、それにこの競争はアリスタの魔法でヒヒガネにも監視されている。

 確かにタイムは重要だろうが、それだけで評価されるのかが不明な以上、騎士道に反した行動をとって評価を下げる真似は避けたかったというのもあった。


「分かってもらえればいい。征くぞ。急げ!」


 再び具足を地面に打ち付けて、ひたすら山道を進んでゆく。隊員たちもまた、それに続いた。

 アージリスにとって父マズルスは憧れであったし、騎士団長という職も憧れではある。

 だがそれ以上に、騎士という、力強く、逞しく、栄誉ある職業。その規範でありたいと思っていた。

 幼い頃から、国にその身を捧げ、民からの羨望を一身に受ける、その素晴らしい職業に憧れていたのだ。


 始まりは、やはり父の影響であったのかとも思うが、とにかくアージリスはおねしょ癖がようやくなおり始めた頃には、既にその鎧姿の大男たちに憧れていた。

 なんなのかは分からずとも格好いいその鎧姿を眺め、やがて真似事を始めて、そしてそれは本格的な鍛錬になった。

 体格に恵まれていたこともあって、14歳で騎士団に入隊して以後はすぐに周りを圧倒してのし上がって行った。

 だからこそ、昔も、そして王都を追われた今でも、騎士の中の騎士でありたいと思っていたのだ。

 そう。『主君を護り、民を護り、己を護る』という規範を実践してきたつもりだった。

 先日の勝利もそうだ。確かにタスクの策が効果的であったことは認める。だが実際に戦場での勝利をもたらしたのは戦盾騎士があればこそだ。


 だからこそアージリスは、この場においてもヒヒガネに対して騎士の高潔さを、戦盾の尊さを、証明しなければならない。

 そんな気迫もあって、そして隊員たちもまたそれに引っ張られたこともあって、アージリスたちはペースを落とすことなく1時間近くを走り続けた。


「頂上はそう遠くないぞ! 気概を見せろ!」


 アージリス自身も汗にまみれて息を切らしながらも、隊員たちを奮起させようと、声を張り上げて発破をかける。

 もしかしたら、それが返って隊員の注意をそらしてしまったのかも知れない。

 短い悲鳴とともに隊員たちが後続から順々に「隊長!」と呼びかけてきた。

 振り返ってみれば、最後尾を走っていた、クラティスが脚を抑えて倒れている。


「何事だ!?」


 尋ねるが、皆が気まずそうに視線を泳がせる。

 クラティスはといえば「すみません、すみません」と涙をこぼすばかりである。

 近づいてみれば足首が赤みを帯びている。


「……捻挫か?」


 少女はなんとか立ち上がろうと試みるが、バランスを崩してしまい、プラータがどうにかそれを抱きとめた。

 この様子では山道を行軍するのはとても無理だろう。


「頂上を間近にして、なんということだ……」


 部下を負傷させて、途中で棄権するような失態を目にしてヒヒガネは何と言うだろうか。

 いや、口では何と言われようが構わない。だが、ヒヒガネが軍師として客観的に自分たちを眺めている以上、自分の今後の発言力は完全に失われたと見るべきだろう。

 それどころか騎士を代表する立場でこのような醜態を晒しては、近衛騎士という名誉ある役職にまで泥を塗ったことになりかねない。

 そんなアージリスの様子を見てか、先刻怒鳴りつけられた剣士が口を開く。


「じ、自分が背負って行きます」


 自分の剣を隣の仲間に預けた剣士がクラティスに手を差し出す。

 騎士にとっての盾ほどかは分からないが、剣士もまた剣を誇りとしていることはアージリスも知っている。

 以前に鍛冶に預けた剣を回収した剣士が、これは自分の剣じゃないと騒いでいるのを目にしたことがあった。

 この剣士もあるいは、多少は覚悟を持って他者に剣を預けたのかも知れない、と思った。

 ともあれ、部下がそうまで気概を見せてくれたのであれば、アージリスとしてもそれに応えてみんなを鼓舞しなくてはならない。今は進めるだけ進むことが先決だ。


「急ぎましょう。隊長」


 そうだ。山頂まではそう遠くない。まだ進める。

 ここまでは順調だった。多少ペースを落としても、まだ十分にトップを狙えるはずだ。

 だが、申し訳無さそうに涙ぐむ弓兵の少女を見て、アージリスはふと既視感を得た。

 それは、いつだっただろうか。

 少女を背負ったことなどあっただろうか。

 記憶を巡らせると、なんとなくある光景が浮かんできた。


 それは確か、幼少のアージリスのまだおねしょ癖がなおっていなかった頃だ。

 あんな風に涙ぐんでいた少女を、鎧の騎士が優しく背負ってくれた。

 それはきっと誰よりも強く、誰よりも逞しく、誰よりも大きな、この国で一番の騎士の背中だったと思う。


「……いや。……違う」


 だが、自然と否定の言葉がこぼれ出た。



 その日、その赤毛の少女はどうして思い立ってしまったのか、幼少の身一つでふらりと母親に会いに出かけたのだ。

 王都の北西のはずれにある、花と緑が美しい場所。そこには石でできたお布団が沢山並んでいて、その中の一つにはお母さんが眠っている。

 幼いながらもそれを知っていた少女は、どうしてもお母さんに会いたくなって、女中に告げた。「旦那様のお仕事が終わったらお願いしてみましょう」と女中は言うが、そうは言われても、お父さんが帰ってくる頃には少女はいつも眠たくなってしまうのだ。

 だから一人で出かけた。最初は勇み足だった。住居区を抜け、商店街を抜け、牧場区を抜け、ひたすら歩いた。


 だが、少しずつ不安な気持ちが出てきた。お父さんと来た時にはこんなに遠い道のりだっただろうか。いや、道はあっている。でも、こんなに心細い道のりだっただろうか。もっとあっと言う間に辿り着いた道のりじゃなかっただろうか。

 最初の内は通行人で溢れていた道のりも、街のはずれに近づくに連れてひと気がなくなり、いまは辺りを見回しても誰もいない。

 途端に怖い気持ちでいっぱいになったその少女は、お母さんに早く会いたくなり、駆け出して、そして転んでしまったのだ。


 そうして、誰もいない道の真ん中でわんわん泣いていた少女に声を掛けてくれたのは、偶然通りがかった戦盾騎士の青年だった。

 盛大に泣き立てる少女をどうにかなだめたその青年は、少女の目から見ても頼りなさげで、身の丈は女中たちと同じくらいだし、肩幅など少女の父親の半分程度しかなかったと思う。


 その矮躯の青年は背負っていた戦盾を外して近くの木に立て掛けると、少女を優しくおぶってくれた。

 戦盾を置き去りにしたままのんびりと歩く騎士が背中越しに語ってくれた話。伝承に伝わる騎士の英雄譚。強敵に立ち向かう屈強な騎士の物語。それらを聞いている内に、少女は泣き止み、次第に彼の話に夢中になった。

 その大きくて強い騎士の物語に夢中になりながら、王都のはずれの墓地にたどり着き、帰る道でもまた同じ話をせがんだ少女は、以降その騎士という存在に憧れ、そして誰よりも偉大な騎士であった父の背を追うようになっていったのだ。


 その幼い少女が憧れたのが、大きくて強い物語の騎士なのか、見るからに頼りなさげな矮躯の騎士なのか、まぁそれは思い出しても前者だろう。

 だが、アージリス・クラスタルは衣嚢から取り出した妖精の癇癪球フェアリス・クラッカーを握りつぶした。

 ポンポンという弾ける音とともに、妖精固有と思しき魔力信号が辺りに弾け飛ぶ。


「……隊長!?」


 先ほどの剣士が驚きの声を上げると隊員たちが次々と振り返った。

 リタイアしたくなったら妖精の癇癪球を割れ、というタスクの指示は誰しもが聞いていたのだから当然だ。


「無理をして貴様まで怪我を負ったららどうする? その者にも早急な治療が必要だろう。大局を見ろ。私たちがなすべきなのはこの山を登頂することではない。主君を護り、民を護り、己を護ることだ」


 なにも記憶の中の騎士のような「優しい」などという存在になりたかった訳ではない。

 だがアージリスは、一面だけでは全容を知ることのできない騎士というものの奥深さを、改めて少しだけ学べた気がした。

 程なくしてサーブリックとアリスタが現れた。クラティスには薬草と巻布で治療が施され、サーブリックの「まぁ全治1週間とこスね」という言葉に一先ず一行は安堵した。


 結局、アージリスの隊は途中棄権した唯一の隊となり、4泊5日の山頂生活を終えたタスクたちをともなって、砦への帰路へ着くとことなった。





 同日の夕暮れ時、砦の前に兵士800余名が集まった。

 タスクも小規模な講演会なら開いた経験はあるが、やはりこの人数は何度見ても圧巻である。

 歓迎されない余所者扱いだと割り切っていた前回と比べて、今回はこの大軍を名目共に預かる立場になってしまったのだから、緊張はより一層だ。


 預けておいたスーツはクリーニング店並みとはいかないものの、仕立て屋の女性が綺麗にしておいてくれた。ソフィアに貰った濃赤色の外套は折角なので、このままプロパガンダの意味も込めて着用を続けることにする。

 まずはソフィアが前に立ち、木造きづくりの壇上から兵たちへ労いをかけた。


「皆さん、ご大儀でした。今回のオリエンテーションにて新たなお仲間の方たちの親交も深まったと思います。今後とも大変な戦いが続くと思いますが、皆で力を合わせてどうかご尽力ください」


 兵たちの先頭でそれに答えるのは、騎士団長代行のアージリスだ。


「はっ! 必ずや御身のご期待に沿えるよう、我らの盾、剣、弓、杖に誓い、この身を捧げます!」

「ありがとうございます。では、タスクさんから、皆さんの大隊長を発表していただきます」


 ソフィアが身を引くと、入れ替わってタスクが壇上に立った。


「改めてお疲れさまでした。今回は戦隊単位での初めての行動となりましたが、王都の奪還ではこうした職の機能の垣根に捕らわれない、事業部ディビジョン単位での行動が必須となります。それに伴って、皆さんには全体の指示を理解した上で、遂行に向けて自分たちでも工夫していただきます。同時にこれまで以上の強度で、これまで以上に柔軟な戦線構築も必要になりますので、戦隊ごとの連携も必要です」


 急ごしらえではあるが、私生活でも行動をともにするようにと伝えてあるし、なにより強い共通目的意識があり、集団の結束は固い。まぁ、どのみちやるしかないのだが、それでもタスクの中にも「やれる」という思いが生まれていた。


「戦隊長は戦隊を纏め、大隊長の意向をよく理解してください。大隊長は自分の責任を十分に理解した上で、全体を見て行動してください。では大隊長を発表します」


 緊張で顔を強張らせるものが多数。来いとばかりにタスクを見つめ返す者が若干名。面倒くさそうにそっぽを向く者が一名。相変わらずおっかない顔だがどこかすっきりした表情の者が一名。

 皆がタスクを見守った。


「第1大隊隊長、アトキンソン・ドゥーキス」


 タスクの声に、アトキンソンが当然とばかりに前へ出る。


「第2から第7戦隊までの指揮と、戦盾での戦線構築時の指揮を任せる」


 タスクと同世代という年齢の割には若さを残した性格ではあるが、視野が広く本能的な機転も利く男だ。騎士と剣士の両方に顔が利くのも大きい。


「この身、この盾にかけて! 拝命しますっ!」


 流石に騎士だけあって、形式ばった場では礼儀正しいらしい。

 アトキンソンが勢いよく跪くと、戦隊がそれに続いた。


「第2大隊隊長、マクレラント・グランド」


 同様にマクレラントが前へ出てくる。


「第8から第13戦隊までの指揮と、戦線構築時の剣士の指揮を任せる。第1、第2両大隊長は日ごろから連携を密にとり機能向上に励むこと」


 こうして見ると普通の老人なので無理はさせたくないが、剣を持つのを見せて貰った時には目の前を旋風が通り過ぎたのかと思った。彼の実力と経験は前線に必要だ。


「この身、この剣にかけて拝命致しまする」


 マクレラントと179名の隊員たちが跪いた。


「第3大隊隊長、リオ・ピグマリー。第14から19戦隊の指揮と、戦線構築時の弓兵隊の指揮を任せる」


 凄まじい弓の腕前にも驚いたが、他にも短刺突剣ショートレイピアでの戦闘や工作手芸にも秀でているらしい。

 そして、一見すると年端もいかぬ少女にも見えるが、実際は「タスクくんより片手分くらい年上だよ~」という事実に更に驚かされた。

 黒髪と赤みのある褐色肌を含めて、ドワーフである祖母からの遺伝らしい。


「この身、この弓にかけて、はいめ~します」


 同様に180名が跪く。


「第4大隊隊長、ゼルズニッケ・ローゼンブラッド。第5大隊隊長、アルフリード・レビット。残りの戦隊をそれぞれに任せる。戦線維持の際は各自アトキンソン、マクレラントの目の届かない場所をフォローすること」


 アトキンソンとマクレラントが、それぞれ推薦した騎士と剣士だ。

 ゼルズニッケはこの砦では数少ない年配の騎士で、砦では子供たちの遊び相手にもなっている優しい男だ。

 アルフリードはまだ若いが気骨のある隻眼の剣士で腕も立つ男だ。過去にはマクレラントの養子だった男に命を救われた経験があるらしい。


「この身、この盾にかけて拝命します」

「この身、この剣にかけて拝命させていただきます」


 これで全ての戦隊の配分が終了した。


「以上5人の大隊長は兵たちの規範となるべく行動すること。戦隊の皆さんは大隊長に敬意をもって接し、指示に従うこと。職権を超えた行動や発言があった場合には自分か近衛兵に報告すること」


 改めて配分された全ての兵が一つに重なって返事をした。


「これにて大隊長の任命を終える」



 異論を唱えて来るかと思ったアージリスも、先頭に居ながらにして、第5大隊としてしっかり跪いていた。


「では次に創発戦略隊を任命する」


 兵たちの何割かは思わず顔を上げ、何事かとひそひそ声が漏れてくる。

 創発戦略。当初の予定から現場の状況が変化したとしても、状況の変化に応じてトップの意思に合わせた策や行動を臨機応変に投じていく戦略だ。

 環境が目まぐるしく変化する昨今のビジネスシーンでは重要視される戦略の一つでもある。


「創発戦略隊隊長、アージリス・クラスタル。戦略的目標を正しく理解し、予見を大きく外れた事態が発生した場合にもその勇敢さを持って立ち向かって欲しい。……アージリス隊長、他29名戦隊員はご起立ください」


 タスクの声に合わせて、第5大隊として跪いていた30人が、アージリスを先頭にして立ち上がる。


「創発戦略隊は、こちらの意図しない事態が発生した場合に真価を発揮する部隊だ。通常の前線よりも更に大きな危険が予想されることも鑑みて、隊員には拒否権を与える。望まぬものはそのまま第5大隊に編入するので、アージリス隊長の下で命を懸けて任につける人だけがこれに就くように」

「な……」


 アージリスが思わず、こちらに詰め寄りかけて、だが踏みとどまる。

 兵士は命がけで戦って当たり前という考えの人間重機には理解できない発想だろうとは思う。

 だが普通の人間にはコボルトだって恐怖の対象だし、兵士の練度や気構えだって、建前はあれども、まぁ人それぞれだ。


 アージリス自身も本音ではそれを分かっているからこそ、前に出るとも堂々と構えるともはっきりしない挙動になったのだろう。

 俯いていて壇上からは流石に表情がうかがえないが、目を泳がせているに違いない。


 創発戦略隊は不測の事態に対応すべく創設したものだ。

 全員が一体となって戦えるものでなければ存在する意味は無い。アージリスを筆頭に、全員が一心同体となって動く必要がある。

 だからこその選択権だ。


「では隊長は隊員たちを労ってやってください」


 振り返るように促す。

 アージリスはしばし戸惑った後に、覚悟を決めたように振り返り、そして見た。


「……っ!」


 29人が一様に跪き、頭(こうべ)を垂れる光景を。

 重装備のまま山道を汗まみれで走らされた騎士も、怒鳴りつけられた剣士も、クラティスも、プラータも、皆等しく彼女のもとに残った。


「アージリス隊長。隊員たちを労ってやれ」


 タスクに再度促されて、アージリスはやっと、高くあった頭を下げると、口を開いた。


「こ……ちらこそ、……よろしく……たのむ」


 その巨体にはとても似つかわしくない、蚊の鳴くような声だったが、きっと隊員には届いたことだろう。

「隊という単位は指揮官を頭として動く手足だ。確かに命令は絶対で、戦略のために個々の命を懸けてもらうことはある。だが指揮官は、部下たちが血肉を持った己(じぶん)の体の一部であることを常々心がけること。全ての指揮官は王女殿下に献身して、民を思い、そして仲間を守ること」

「はい!」


 流石の連携というべきか、タスクが言い終えると、一拍おいて隊長職から一斉に返事がきた。

 サーブリックから聞いたマズルスがアージリスの出世に反対した理由。それはタスク個人としては他人事でどうでもいい話でもあったが、マネジメントに携わる身にはちょっと気になる問題でもあり、あの日しばらく考えていた。


「なお創発戦略隊の隊長は、王国騎士長を兼任とする。騎士として人々の規範であり続けること」


 なので、結局分からずじまいだったその問題の答え、『己を護る』の意味を広義に解釈するという模範解答を、翌日に森の監視者(シルバ・ディスクロージャー)の画面越しにアージリスに教えられた時はタスクとしては若干だけ悔しくもあり、そして若干だけ、その人間重機を見直した。


「あぁ、でもさっきのは語先後礼の方が礼儀正しいかな。20点減点」


 だがやっぱり悔しいので少しからかってみて、そして案の定、少し涙目のままの騎士によって宙吊りにされて腹パンをくらった。



 なお、ずっと呼ばれずに立たされ続けていた第1戦隊の隊員とその先頭の飄々とした男は、多角戦略隊として任命した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る