とん、かん、かん

帆場蔵人

とん、かん、かん 

 誰にでも眠れない夜というものがあると思う。私の場合、持病のアトピーが酷くなると、痒くて眠れなくなる。


 ある夜、どうにも寝れず真夜中にシャワーを浴びてみたが、まだ眠れない。仕事があるのだから、寝なくてはいけないのだけれど。焦れば焦るほど、目は冴えて

いった。仕方がないので少し歩いて気分を変えようか、と外にでた。

 田舎町なので深夜2時というと人気は無い。たまに遠くから車が走る音がするが、後は虫の声などが伝わってくるぐらいだ。近くの田んぼで蛙が鳴いている。ぶらぶら、と歩く。少し痒みから気が逸れたがやはり、無意識に腕を掻いたりしている。しばらく歩くと普段、あまり来ない場所に来ていた。問屋町と町内名が電信柱に見えた。確かに倉庫や会社のオフィスらしき建物が多くなってきている。もちろん、真夜中なので人気は無い。真夜中の一人歩きも、何度かしているので慣れてきたようで怖さもない。

 もう帰ろうか、と考えたときに右手の方に灯りが見えた。何処かの倉庫か工場らしい。三角屋根の建物だ。近づいて行くと建物の前に横付けされた大型の運送会社が使うようなトラックが見えた。建物の扉はぱっくりと口を開けている。こんな夜遅くにご苦労なことだ。そう思い眺めていたが、違和感を感じた。

 よく見ると会社の看板も無ければトラックにも何も書かれていない。見た感じ工場か倉庫で商品をトラックに乗せるのだろうと、思うのだがよくわからない。ふと好奇心が沸いて、私は門扉から敷地に入った。幸い誰もいない。少し中を覗いて帰ろう、と足を忍ばせて建物の入り口まで来た。


とん、かん、かん

とん、かん、かん


 何処となくリズムのある何かを叩くような音が聞こえてきた。そ~っ、と中を覗くと……

薄暗い中、ベルトコンベアが建物の奥まで2列になり伸びていた。私がいる出入り口側が、最終ラインなのか台車に乗せられたダンボール箱が幾つも置かれている。トラックの側には幸い誰もいなかった。ベルトコンベアの前には等間隔で薄い緑の作業服を着た作業員たちが並んでいた。皆んなリズム良く小ぶりのハンマーを片手に持ち振るっていた。


とん、かん、かん


 先ほどの音はこのハンマーの音だったらしい。しかし私はその動きを見て、体を震わせていた。ブレることなく綺麗に重なる動きが、不気味だった。さらに作業員が叩いている物は人形のようだ。

 日本人形、青い目のセルロイドの人形、陶製の民族衣装を着た人形、様々な人形を叩いては次の作業員に手渡し、また叩いては次の作業員に渡す。最後はベルトコンベアの切れたところにある、箱に乱雑に放り込まれる。ふいに震えだけでなく、痒みが全身を這い上がるように襲ってきた。工場の柱には標語なのか、


とん、かん、かん

リズム良く、カッコウの卵

見つけて叩け


 と、貼られている。意味が解らない。人形を叩くことになんの意味があるのか?カッコウの卵とはなんなのか。ベルトコンベアを流れてくる人形とカッコウの卵という共通点を見出せない、二つの言葉が薄気味悪く肌を泡立たせる。

 カッコウと言えば托卵をすることで有名だ。簡単に言うと他の鳥の巣に自分の卵を産んで、他の鳥に子育てをさせるらしい。しかも仮親になる鳥が気付かないように自分の卵を産むと、数合わせに元からある卵を一つ捨ててしまうのだ。しかし、それがこの工場とどう関係があると言うのか。そのときハンマーの音でなく声が聞こえてきた。ハンマーの音はその声に合わせて打たれているようだった。


とん、かん、かん

とん、かん、かん

とん、かん、かん


 二列のベルトコンベアの間をまるで、ネジを巻かれた人形のようにギクシャクした動きの作業員が、とん、かん、かんと繰り返しながら規則正しく手を振り歩く。その姿はどうにも奇妙で異様な光景に写った。


ガリガリ、ガリガリ、


 すぐ近くで何かを引っ掻く音がした。驚いて見ると私は無意識に両腕を掻き毟り、血だらけにしていた。私は酷く焦り、後ろに一歩よろめいた。ガラン、と足元で音がした。後ろに置かれていた空のバケツを蹴飛ばしてしまったのだ。


ピタ、とハンマーの音が止んだ。


 締め付けられるような静寂の中、私は動けず工場の外壁に背を張り付けていた。痒みは酷くなる一方で、恐怖と痒みで私は叫び出しそうだった。腕や顔に血が出るほど爪を立てて我慢する。逃げないと行けない、と考えるのだが足が動かない。どれぐらいたったのか、恐らくは数秒間だとは思うが、私は息も止めてその場で硬直していた。やがてまた、


とん、かんかん

とん、かんかん


とハンマーの音と声が響き始めた。


 私はホッと安堵の息を吐いた。どうやら気づかれなかったようだ。しかし、痒みは引かない。ゆっくりだが、皮膚に食い込んた爪が掻き毟ろうと動いている。


ガリぃ、ググッ、がりィ


 痛みや痒みを通り越して、もう何も感じない。なんとか我慢しようとするが、どうにもならない。掻くことで恐怖を消そうと、体が動いている。


ふと気付いた。


 とん、かんかん、と変わりなくハンマーの音はしているが、あの作業員の間を歩き回る声の大きさに変化が無い。つまり動いていないようだった。その変化を不思議に思いながら、また私は息を潜めて工場の中を覗きこんだ。


ぞわり


 作業員たちが皆んなこちらを見ていた。帽子を深く被っているので、はっきりと表情は見えない。無個性な集団の視線。


ぞわり


 その先頭に掛け声をかけていた作業員が、直立不動で私の方を見ていた。皆んなこちらを見ながら、とん、かんかんとハンマーを打っている。


ドン!ガンガン!


 ふいに掛け声が変わった。合わせて全ての作業員が激しく、人形を叩く。顔面や腕、あるいは粉々に全身を砕かれた人形は背後に放りだされる。その間も全ての作業員の視線は私を見ている。次々と砕かれていく人形たち。


ドン!ガンガン、

ドン、ガンガン、

ドン、ガンガン、


荒々しいハンマーの音、顔面を砕かれた日本人形が目に入った。


ぞぞぞ、ぞぞぞぞ……ガリぃ、ググッ、がりィ、ガリガリがりがりガリ



 こちらに近づくわけでも無く、彼らは掛け声に合わせて人形を破壊する。私は体中を掻き毟りながら、血塗れになることも憩わず、這い上がってくる恐怖という虫を殺そうとしていた。自分の行動ながら意味が解らない。


ガリガリ、ガリガリガリガリガリガリ、ガリガリガリガリガリガリガリガリ、ガリガリガリガリ、ガリガリ、ガリガリ、


ドン、ガンガン、

ドン、ガンガン、

ドン、ガンガン、


ガリガリ、ガリガリガリガリガリガリ、ガリガリガリガリガリガリガリガリ、ガリガリガリガリ、ガリガリ、ガリガリ、


ドン、ガンガン、

ドン、ガンガン、

ドン、ガンガン、


 ひたすら続くハンマーの音と声を否定しようとしているのかのように、私の両の手の指は自分の皮膚を掻き破りながら、苦鳴を圧し殺していた。声を挙げた瞬間に、この狂った均衡が破れて奴らが私に向かって来るのではないか。この痒みと痛みだけが、私を現実に繋ぎとめているのだ。

 だがそんな私の意識は様々な物を内包して膨らみ続け、やがて臨界に達した。ブレイカーが落ちるように意識がブラックアウトする、と思ったとき左手に体が引かれた。女の声を聞いた気がしたが、よく解らなかった。背後であのドン、ガンガン、という掛け声が大きくなり規則正しい靴音がしたようにも思ったが、気がつくと私は誰かに手を引かれて走っていた。

 もうあの声は聞こえない。途端に掻きむしった体中の傷が痛み出して、私は呻き足がよつれそうになってしまう。そこでようやく私の手を引いていた誰かは足を止めた。荒い息を吐き出しながら、その誰かに眼をやる。

  私の手を引いていた誰かもこちらを見ていた。白いワンピース着た女だ。まだ少女と言ってよいくらいの華奢な体つきで、長い黒髪が走ってきたせいでわずかに乱れていた。背中には何処か不釣り合いな赤いリュックサックを背負っていて私の背後を見ながら、


「もう大丈夫みたいね」


 と言った。私は荒い息を吐き出しながら、辺りを見回した。ここはどの辺りだろうか。少し先に街灯に照らされた公園の入り口らしきものが見えた。


「は、あ……なんだか解らないけど、助かったよ。ありがとう」

「危なかったね。おじさん、ひどい傷」


 そう言われた途端に体中に自分がつくってしまった傷がひどく疼き呻いてしまった。


「この先の公園に水道があるから、そこで手当てしてあげるわ」

「え?いや、そこまでしてもらうのは悪いから……」

「いいのよ。おじさん、あいつらに見つかったらまずいからね」


  少女は私の断りも気にせず、また私の手を引いて歩き始めた。


「あいつらというのは、あの工場にいた奴らかい。君はなにか知っているのか」


  私の言葉に少女は振り返らずに、きゃはは、とさもおかしそうに笑った。


「やっぱりただ迷いこんで来ただけなんだ。あいつらは緑のチームだよ」


  緑のチーム?そう言えば奴らは緑色の作業服を着ていたけれど、そう考えていると少女はあたしは赤のチームよ、と背負った赤いリュックサックを指して言った。さっぱりわからない。そうこう話しているうちに公園内の水道のあるところに辿り着いた。


「おじさん、そのシャツ脱ぎなよ。タオルがあるから傷口を洗い流して」


 少女の前で腫れ上がり傷だらけの体を晒すのは気が引けたが、私の妹くらいの相手でもあり気にしないことにした。冷たい水が滲みて、ひどく痛むが洗い流して清潔にしておくのが一番なので我慢しよう。


「それでこんな夜中に君は何をしていたんだい」

「あたしは探しモノをしてたのよ」

「探しモノ?何か落とし物でもしたの」


 違う、違う、と少女はまた、きゃははと笑いながらリュックサックから包帯を取り出してきた。


「随分と用意がいいんだな」

「まあね。緑や青とやり合うこともあるから」

「おいおい、また物騒な話しじゃないか。そんな危ないことをしてるのか」


 この少女やあの工場の奴らは何をしているのだ。


「おじさん、あのままだったら殺されてたよ」


 馬鹿馬鹿しい、流石にそれは無いだろうと言おうとして、あの工場での異様な空気を思い出し私は口を噤んだ。


「カッコウの卵は知ってる?」


 それはあの工場で書かれていたことと同じなのか。


「カッコウは自分で子育てせずに他所の鳥の巣に卵を産んで子育てさせるの」

「托卵だね」

「そう。で、アレもカッコウと同じように人形や人間とすり替えられて育つの」


 アレ?緑の奴らは一体、何をしていると言うのだろうか。


「アレ、と言うのは…」

「怪獣よ」


 は、はは、なんだよ。怪獣?ギャ◯スとかシンガ◯ラとかしか思い浮かばないんだけど。私は思わず笑ってしまう。


「そうだよね。信じられないでしょう。でも、命の恩人の話しを聞くぐらいはいいでしょ?」

「じゃあ、あの工場では……」

「人形に潜んでいる怪獣を炙り出してたのよ。人形のは点数が低いんだよ。その分、リスクも低いけどね。あいつら緑のチームは集団戦術で人形を手当たり次第に集めて確実に得点してるわけ」


 饒舌に語る少女を見ながら、私は溜め息をつきそうになった。また訳が解らない単語が出てきた。点数?怪獣?私は考えようとしたが傷口にかけられた冷たい水が浸みて痛み、口からうめき声だけが漏れる。少女が背中を拭くと冷たい指が時折、私の肌に触れて年甲斐もなくどきどき、としてしまう。


「あたし達、赤のチームはどちらかと言うと得点の高いのを狙って行くんだよ。ちまちますんのは性に合わないんだ」


 少女がまた投げ渡してきたシャツを着る。本当になんでも入ってるな、リュックサック。手足に包帯を巻いていく。いつものことだから私は手慣れている。血は止まらないだろうけれど。幾分、痒みは引き始めた。


「あー、それでその点数の高い怪獣というのは?」

「そりゃあ、人間に潜んでいる取り替え子だよ。ただ点数が高い分、孵化されたらハイリスクなわけ」

「なるほど…しかし、君みたいな可愛らしい娘が危ないことをするのはなあ。私には君くらいの妹がいるんだよ」


そう言いながら水道の水で汚れたシャツを洗う。


「おじさんは好い人だね」

「そんな事は無いだろうけど……」


 その時、背後で少女が溜め息をついた。少女が近づいてくる気配がして、しゃがみ込んでいた私の首の裏の傷に冷たい指の感触が伝わってきた。


「本当、残念だよ」

「え?」


 同時に頭部に激しい衝撃を受けて、私は倒れた。一体、何が…後頭部が焼けるように痛い。視界がぐゎんぐゎんと揺れている。地面に這いつくばりながら、なんとか少女を振り返った。


「い、いい、一体……な、なっんつも、りぃ、ぃ……」

「おじさん、怪獣だからね。ほんと、残念だよ」


 私が……なんだって……か、いじゅ……そんな馬鹿な……。私を見下ろす少女の手には小ぶりのハンマーが握られていた。


「ひと、だ……私 、は人だ。殺人だぞ、これはっ!?」

「人にしちゃ頑丈だね。傷口、見てみなよ」


傷、口?


 傷口、と言うのは……少女がハンマーを私に突きつけて右腕を指した。べろり、と剥がれた皮膚の下、赤い血が流れでてその下の真皮が剥き出しになっているはずなのに。そこには青銅色の鱗が露出していた。


これはなんだ。これは、これは……、夢だ。きっと悪夢を見ているに違いない。


「な、ぁ、これ……夢、なんだろ?」


私は少女に哀願した。頼む、頼むよ。

だが少女が手にしたハンマーは振り上げられた。


「そうね。きっと悪夢だよ」


 少女の声は冷淡そのものだった。少女に殴られた傷口が激しい熱と掻痒感を帯びて、う、ウゴァァァァァ⁉︎頭が、額が割れ……


 私が額を触ったそのとき、ばっくり、と額が裂けていくのがわかった。何かが視界に垂れ下がる。それは、いや何故、痛くないのか?いやそれよりも、これは

それは甲殻類の脚を、蟹かなにかの脚が垂れ下がっている。額の中から突き出している感触……なんだこれ、私の頭、どうなって……そんな思考を展開する前に、少女の振り下ろしたハンマーの鋼が私の意識を叩き潰していく。


わ、た、し、あはは、はど、どどう、どどうどうどう……あぁぁあああああぁ……


少女が何か歌っている。


とん、かん、かん、とんかんかん

リズム良く

カッコウの卵を

見つけて叩け、見つけて叩け

カッコウはどこにいる、ここにいる

このひと、あのひと、そのひとか


あゝ、夜になど歩くのでなかった。

意識はさらに何度も衝撃を受け四散、した。

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とん、かん、かん 帆場蔵人 @rocaroca

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