第8話
俺が頭をわしゃわしゃと撫で繰り回している途中で、湊は急に倒れてしまった。
救急車を呼ぼうかとしたが、すぐ近くの駅前に病院があることを思い出して、抱えて言った方が早いと判断した。
うんうん、と少し呻くようなそんな声を湊は出していたので、それほど重傷でもなさそうだった。
だから、あいつの身体を持ち上げた。所謂お姫様抱っこに近いような感じだ。
それと同時に俺は自分を疑った。羽のように軽いその体重に驚いたのだ。
いや、これは喩えなんだが。
男だったアイツはこんなに軽い訳がなかっただけの話し。
何はともあれ、大急ぎで病院に湊を担ぎんだ。
緊急外来の受付に行ったら、すぐに処置をしてもらえることになった。
なにやら軽い貧血と栄養失調がちょうど重なったらしく、別室の簡易ベッドで点滴を打つことになった。
「生徒手帳にある緊急連絡先の電話番号にかけたのですが、つながらないんです。えと、彼氏さんでしょうか。貴方は天宮さんの緊急連絡先なんてご存じないですか?」
「いえ……彼氏ではない――ってそんなのはどうでもよくって、天宮さんは独り暮らしをしていて、親御さんの連絡先なんかも携帯から消したとかなんとか前に言ってまして……すみません。なにも、分からなくて」
「そう、ですか。わかりました。天宮さんが目を覚ましたら聞いてみることにしますね」
看護婦さんはそれだけ言うとさっさとどこかに行ってしまった。
これから一体どうすればいいのだろうか。
湊は寝てるけど、このまま一人にさせておくのは心配だ。
結局、俺は親に連絡して今日は帰るのが遅くなる旨の連絡を入れた。
十分くらいベッドの横に居たが、未だ湊は起きてこない。
少し喉が渇いたので、気分転換も兼ねて俺は病院の自販機へと向かうことにした。
―――――
がしゃり、と無機質な音を立てて缶コーヒーが排出される。
時間は夜の七時を回っている。道理で人気が無くなってきたわけだ。
「ふぅ」
一人、病院の休憩室のような場所でコーヒーを飲む。
まわりはしんと静まり返り、自販機の動く音だけが聞こえている。
不意に、何もできない自分が情けなくなる。
緊急連絡先なんて、そんなもの知らなくて当然のはずだ。アイツと俺は家族でも恋人でもない、ただの友達なんだから。
ただの、友達。
その言葉が嫌に胸につきささる。
「……はぁ、何考えてんだよ、俺」
意図的にその先を考えるのは止めた。
その時、休憩室の入口のドアがガラリと開く。
そこに立っていたのは、俺のクラスの同級生だったが――
「あれ? アンダーソンじゃん」
「……お前――だれだっけ?」
まったく印象に残らない顔と体躯だったので、名前が頭からすっぽ抜けてしまっていた。興味もなかったし。
「おいおい、俺の事覚えてないんかい! 同じクラスの森谷、森谷恭介だよっ」
「もりたに――? ああ、森谷ね。悪い悪い」
「いい加減な返事だな……。ま、こんなところに居るくらいだ。何かあったのか? お前、今日の放課後は天宮とデートするって騒いでたじゃんか」
「ああ、ちょっとな……。お前の方はどうなんだよ」
「俺か? はは、俺はだな――親父がちょっと酔っぱらって仕事仲間と喧嘩しちまったんだよ。それで負けて救急車で運ばれちまってな。今はそこの病室で怪我の処置してもらってる。俺は親父を運ぶ係として、家族に同行して来たって訳だ」
「――そうか、大変だな」
「ああ、全くだよ。親父はいっつも何かやらかすんだ。一升瓶で相手の頭かち割ったことは流石にないけど、逆にかち割られそうになったことは何度もあるし、仕事じゃ失敗してばっからしいし。弱いくせに血の気だけは多いんだ。しっかりしてほしいよな」
中々に良くしゃべる奴だな。こいつ。
だが助かった気もする。鬱々として何かを考えているより、こいつの話を聞いて時間を潰した方がまだましだ。
「……親父さんにもいろいろあるんじゃないか?」
「いいや、ないね。親父はなんも考えてないだけさ。後先考えずに、根性だけでその場を突破しようとするからな。まー、かく言う俺も、その血は捨てきれちゃいないんだけど、さ」
「切ないな」
「ああ、お前がなんでここに居るのか、理由を話してくれないことの次位には切ないな?」
「……うっぜぇ奴だな、お前ってさ」
「ヒデーなおい。だって気になるだろ? 同級生が今にも死にそうなツラしてんだ。話くらいなら聞いてやれるけど?」
まさか、こんな返しをされるなんて思わなかったので、驚いてしまった。
ここまで邪険に扱ってきたのにこんなに親身になって話を聞いてくる奴なんてそうそういるもんじゃない。
こいつは良い奴だ。と俺は勝手に決めつけた。
「分かったよ。気が変わった……。商店街をぶらついてる途中で湊が貧血で倒れちまってさ。今はベッドで寝てるよ。アイツ一人暮らしだから、家まで着いてってやろうかと思って、待ってるだけだ」
「……まじか。天宮倒れちまったのか? どうして?」
「なんかしらんが、倒れたんだよ。倒れる三秒前くらいまで顔色もよくてぴんぴんしてたってのに、いきなり栄養失調と貧血だぞ? どんだけポーカーフェイス得意なんだよって感じだよな」
はは、と森谷が笑ったところで、看護婦さんが来た。
「下村雄介さん。天宮さんが目を覚ましました」
「はい、わかりました。すぐ行きます。わりぃな、森谷。また学校でな」
「あー、俺も手伝おうか? 病院出るくらいまでなら二人いたほうが支え安いだろ?」
「いいのか?」
「問題ないさ。あと俺の親父の方はあと一時間はかかるだろうからな。それに、天宮何気にかわいいし、ポイント稼いでおきたいだろ?」
「冗談も休み休みいっとけ」
「おぉ、怖いね。流石未来の旦那さんだ」
「なんのことかさっぱりだな」
「嘘つけ、あいつに惚れてるって顔してんの、バレバレだぞ?」
俺は森谷のいう事を聞こえないフリをして、病室に向かった。
―――――
「――。」
誰かが、私を呼んでいる。
「――みや」
聞きなれた声? いや、聞いた事の無い声かも。
「天宮!」
うっすらと眼を開けると――目の前にはユウの顔があった。
「おはよう……」
「はは、のんきなもんだな。こっちは心配して見に来たってのに」
ああ、どうしよう。
迷惑かけちゃった。でも、ユウは笑ってくれてる。
怒ってなくてよかった。
「ごめん、急に気分悪くなっちゃって」
「すぐに――が来るから、その言葉は――てやれよ」
……?
何を言っているのだろうか? ユウは。
まぁ、とりあえずなんでもいっか。
今はとにかく――ユウが欲しくてたまらない。
私はベッドから起き上がり――ユウの首に手を回して.
「おいおい、なにsーー」
その美しい唇に、本能的にむしゃぶりついた。
「ん!?」
――はむ、はむ、くちゅ
「ん、も、おとなしく、して」
官能的な音と共に、私の中に生気があふれてくるのを感じる。
心はなぜか空っぽのままだけれど。
「んむ――」
――がらがら、と音がした。
だれだろうか、至福の時を邪魔する奴は。
私は抵抗するユウにかまわず口づけたまま、出入り口の邪魔者を見据える。
「わりぃな湊、森谷――――」
もう一人のユウが、そこに立ってた。
瞬間、背筋に冷たいものが走る。
理解、する。
口づけをしたのは、クラスメイトの森谷で。
未だ銀糸で繋がっているのを信じられないような目で見てきているのは――本物の下村雄介――私が愛してやまない、落とすと決めた人だということを。
「わり、俺一人で帰る」
引きつったような笑顔で、今にも泣きだしそうな顔で、ユウは廊下を走ってった。
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