落合陽一『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』

 タイトルが長い。


 まぁ読んだ全員が思うことだし、書いてる本人もこう考えながら書いてると思うんですけど「これはエリートの思考だ」という感想に終始します。2章の筆者の生い立ち部分に関しても必要ないと思う。「教科書」と銘打っているからには読者に対してなんらかの「一般的知識」を啓蒙する必要がある。しかし、この生い立ちがあると筆者の特殊性ばかりが浮き上がってしまい、普遍性や一般性に揺らぎが生まれてしまう。ってことも、わかって書いているような気がして嫌なんだよな。


 これから、大学入試改革が行われていくと面接とか小論で合否を決める「総合型選抜」の枠が拡大されていくんだけど、落合陽一もきっぱりと「面接型の選抜は家庭の収入格差が出てしまう」ってきっぱりと断言してる。

 その上で「入試制度は多様の方が多くの天才を見抜くことができる」とは言ってるけど、その家庭の収入格差を縮めようって話にはならないのよね。いや、まぁ言ってることは正しいし、私もそう思うけど、あぁ、これからはエリートと非エリートの断絶ってどんどん大きくなっていくんだろうなぁという悲観はあるよね。


 という「いけ好かねぇな」感がある本書ですけど、全体的に見ればめちゃくちゃおもしろかった。「その通りだよ」って思わされる部分のオンパレードだったし、時代の寵児としてもてはやされるのも頷ける。考えてることは高尚なのに、文章はすっごく平易で読みやすいし、具体例も卑近なものなのに的確かつ精密にできてる。やっぱ頭いいわこの人…。


 これからの時代に必要な能力なども具体的に示している。


今までは、多数派に属するのが社会的な安定を得ることを意味していました。そこでは既存の仕組みをそつなく運用・管理できる人材がエリートとされてきました。しかし、それは人類普遍の原理ではありません。今はフレームワークを作ってお金を稼ぐよりも、ニッチな専門分野を持ち、その専門的な知識を生かして何をしたいのか、何ができるのか明確に伝えられる人も同様に求められます。(P.86)


 「知識を持って、他者に何ができるのか明確に伝える」ってことができればどこの世界でも生きていける。今は伝えるツールがたくさんあるわけだし、オーディエンスも山ほどいる。最終的には言葉なのよね。

 

 あとは第3章で述べられている「統計的思考」「解析的思考」「仮説検証」の重要性。学校教育の中にいると、これらの訓練がいかに為されていないかがわかる。特に「仮説」という概念と高校までの学校教育の乖離が甚だしい。たとえば国語なんかでもテクストを分析することはするけどそれって目の前に顕れているものを「論理的」に分析することでしかない。その営みに仮説って登場しないんだよね。

 最終的に大学教育の中で一番大事になるのは仮説を立てることだし、仮説が立たなければ論理も組めないし、研究がスタートするはずないんだよね。

 世の中に溢れる膨大なデータを収集し、集計し、精査し、傾向を推し量り、仮説を立ててゴールに向かって論理を組み立てていく。高校までの教育では一番最後の「論理」の部分しかほとんどやらない。その姿勢・行動様式が身につかないまま大学に入るから、結局大学も研究者養成機関じゃなくて就職予備校と堕す。

 

 大学入試改革、高大接続改革の中ではこの「仮説を立てること」の重要性をもっと噛み締めないといけない。他者の論理を自分のものにするだけではなく、他者の論理から論理のパターンを分析していき、自分の言葉で仮説を立てて論理を組み立てる素地をつくらなければ、高大接続にはならんのだ。


 いや、当たり前なことなんですよね。当たり前だけど、やっぱり落合陽一がここまでわかりやすい言葉で発信しなければいけないってことは、みんな気が付いていないってことなんですよ。

 大事なのは行動様式を身につける、っていう基本的なこと。

 仮説を立てて論理を組み立てることに必要なのは才能じゃなくて、論理の語彙だ。論理の語彙さえ身につければ、データを当てはめていくだけで思考はできる。 

 

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コドモによるオトナみたいな読書感想文 神楽坂 @izumi_kagurazaka

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