岡本真『未来の図書館、はじめます』を読む。

 確かに、この本の趣旨は「図書館を新設・整備・運用するためにはどのような要素が必要か」ということである。官民の連携の仕方、図書館視察の方法、必要な予算などが具体的に記述されている。具体的であると同時に、非常に平易かつわかりやすい構成で書かれているため筆者の目的意識が十二分に受け止められる。最近、図書館というものに興味を示しだした時代遅れの僕にとっても、図書館というものがどのように運営されているのか、ということを知る大きなきっかけにもなった。


 しかし、この本の魅力はそれだけではない。

 この本は、「市民協働」の方法を教えてくれる本なんだ。

 

 図書館の社会的要請を語るにあたって、まず現在日本が置かれている状況から語りが始まる。人口減少、それに伴う自治体の予算の低下、そして都市の消滅など。今後日本がどんな社会になっていくのか、ならなければならないのか、という問題意識の提起からテーマに入っていく。

 市民が行政と協働するにあたって、どのように情報を仕入れればいいのか、具体的にどのように協働すればいいのかが提示されている(たとえば公共施設等総合管理計画の参照、ワークショップのケーススタディなど)。

 このあたりを見ると、自分がどれだけ「知る権利」を行使していないかがわかる。テレビやネットなどのメディアを通じて知る情報は「知る権利」ではなく「知らされる権利」の行使にすぎない。決して能動的ではなく、スポンサーの論理・局の風土・情報の市場的価値などのバイアスを多重にくぐりぬけて来た「加工された情報」だ。

 生の情報は、自分で掴みに行かなければならない。筆者も述べているが、ITが発展したことによって、行政の情報公開の規模は明らかに広がっている(まったく健全に公開されているかどうかはわからないけど)。僕たち市民は、それらの情報を能動的に享受し、使いこなし、自らの街をどのように作っていくべきなのかを考えなければならない時代が来ている。


 印象的だったのは「すべてを行政が行政サービスとして担いきれる時代は、すでに終わりました」(p..152)という一節。はっきりと断言している。いずれ終わりを告げる、のではなく、既に終了しているのだ。

 この問題意識を持っている日本国民は果たしてどれくらいいるのだろうか。少なくとも僕は持っていなかった。


 今、生徒の主体的な学習のためには図書館の存在がなくてはならないものだということに最近やっと気がついた。図書館は静かに勉強をするためだけにあるのではない。多様性を包むべき場所であり、知の発信地であり、知の交流の場であり、知が建設されていく場所なのだ。

 そして、学校図書室であっても、生徒の自治の中で行われるべきである、とも思う。司書教諭を中心とした教員の発信に加えて、生徒のワークショップなどでより良い図書室にしていくためにはどうすればいいのか意見を出し合う。その輪が広がれば学校という共同体をどうすべきなのか、ということも考えるようになり、最終的には市民協働、そして国際的協働に繋がっていく。これは大き過ぎる理想なのだろうか。

 

 僕の狭苦しい視点をぐっと押し広げてくれた筆者には大いに感謝する。

 学んでいるだけではだめだ。動かなければ。動いて、変えていかなければ。

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