#C:右手に植物を左手に罪を

「冗談じゃないですよ」


 アスティ・ラストは口を尖らせて抗議した。まだ若い彼女の足元には、血だまりが出来ていた。

 といってもそれは遥か前に乾いていたし、そこでいくら飛び跳ねてみようと、寝転がってみようと、彼女が着ている服に何の影響も与えないだろうことは明らかだった。

 第六惑星リディーグ。そこに並ぶバイオトープドームの中でも一際大きいその場所は、つい数か月前に凄惨な事件が起きたばかりだった。

 といっても正確な発生日時はわかっていない。犯人は一緒に働いていた同僚を刺し殺し、その後一ヶ月近く平然と業務を続けていた。


「不満かね」

「不満です。何で殺人事件が起きた場所なんかに」

「しかし、しかしだね。此処しか空いていないんだよ」

「それはわかりますが、私じゃなきゃいけない理由がありますか」


 ドーム手前の居住スペースには、物は殆ど置かれていない。

 血だけが妙なリアリティを持ち、床に染み付いている。血痕が所々途切れているのは、当時床に何か置かれていたことを表していた。


「無論、クリーニングはするさ」

「当たり前でしょう。大体そういうことを平然とするから、こういう事件が起きるんじゃないですか」


 若いが故に怖いもの知らずな彼女は、引きつった声を出す。

 小さな顔には不釣り合いの眼鏡が鼻の頭に滑り落ちた。それを指で押し戻しながら、アスティは溜息をつく。


「クリーニングしてやるから感謝しろと?」

「そんなことは言っていないよ」


 組合の副会長である男は、口元に媚びるような笑みを浮かべている。

 アスティは相手の心情や立場を汲んでやれるほど人間は出来ていなかった。


「だって、今そう言いました」

「感謝しろなんて私が言ったかね」

「そう聞こえます。部屋のクリーニングごときで恩着せがましい」

「君は気が強いねぇ」


 壁にはまだ、以前使っていた管理士のネームプレートが下がったままだった。


 アラード・シルディ

 リジィ・ラップ


 そこにまで血がついているのは、なんだか出来すぎた話だと、アスティは皮肉っぽく考えた。


「此処に警察が来ることはあるんですか」

「もうないよ」

「それは僥倖ですね。仕事中に警察が入るほど面倒なことはない。彼らは遠慮なく人が育てた草を踏み抜くんですから」


 アスティはドームを見回した。

 とても大きい。そして悪くはない。殺人事件が起きただけで、殺人鬼が住んでいるわけでもない。

 一人が好きなアスティにとっては、非常に快適な空間とも言える。わざわざ人が殺されたバイオトープに来る者もいないだろうし、野次馬が物見遊山で来れるほど、この惑星は甘くない。


「一つ条件があります」

「なんだね?」


 身構える相手に、アスティはこの時初めて微笑んだ。


「一人ではここは広すぎますから、掃除用のロボットを下さい」





『宇宙とは未来のようなものです。何があるかわからない』


 掃除ロボットが単調に掃除をしながら、そのヘッド部分から流す音声は、かつて此処にいた管理士のものだった。掠れた声だが、その掠れ方が一定でないことから、急に大声を出したか、外的要因によって声質が変わっていると判断出来る。


『しかし未来は牙は剥かない。困るのはエイリアンです。エイリアンは何処からともなくやってきて、牙を立てるんです。あぁ、可哀想な同僚はエイリアンになってしまいました』


 殺人者の証言は続く。アスティはそれに耳を傾ける。

 別に彼らのことに興味があったわけでもなかった。掃除ロボが届いた日に、何故だか知らないが警察からの小包も一緒に届いた。幾つかの品と共に入っていたチップには、警察で犯人が語った一部始終が収められていた。


 それを掃除ロボットに組み込んでみたのは、ただの戯れ以外の何でもない。

 一世代前の掃除ロボットは、円柱型の体に半球型の頭部がつけられていた。最近はもっと細身のロボットが販売されているが、他人に自慢をしたいわけでもないし、自分の私物でもないからどうでも良い、とアスティは考えていた。


『だから仇を取ってやろうと思ったんです。ねぇ、あの血は青かったでしょう? 青かった、青かった、青かった』

「赤かったよ」


 アスティはそう呟く。

 淹れたばかりの珈琲が、右手に持ったマグカップの中から良い匂いを上げる。


『キッチンが嫌いだった。あの忌々しいキッチン。俺達がいたバイオトープにもあった。きっとそこで彼はエイリアンに食われてしまったのです。俺が、助けにいけない場所で』


 リジィ・ラップは世にも珍しいキッチン恐怖症だった。

 幼い頃に母親がそこで首を吊ったとかで、それで一歩も入れなかったのだと言う。何しろ彼が見たのは死後何日も経過した母親の遺体で、彼がキッチンに入った僅かな振動で崩れ落ちてしまったというから、トラウマになっても仕方のないことだと思う。


「キッチンが嫌い、か」


 アスティは呆れたような口調で呟いた。

 生きるために必要なものはいくつか存在するが、食べ物が何を差し置いても一番である。


 コートリア惑星群にある惑星のうち、人類が最初に生活を始めたのは、第一惑星「フラスコ」だった。実験器具の名前が用いられているのは、その名の通り実験的だったからである。


 フラスコで人々が植えた最初の食べ物は、ジャガイモだった。旧星から持って来た種芋を植えて、それを人々の主食とした。現在のように小麦が主食となったのは、せいぜい五十年前の話である。


「バイオトープで植物を育てながら、この人は何を考えていたんだろう?」


 人々の食生活は、バイオトープの発展と共に充実していった。

 旧星での食生活を参考にしながら、必要な種類を、必要な量だけ。バイオトープで実験されて、完璧に調整された種子は第四惑星「エスネル」へと送られる。そしてそこで働く農業家とロボットによって、過不足のないように作られる。


『計算しつくされています。エイリアンはそうやって旧星を滅ぼして、今度は……。でも愚かなことに彼らは人間の食生活には疎かったのでしょうね』


 主食の小麦は総生産量の四割、ミヤビで使われる米はほんの少し。開拓時代の象徴であるジャガイモは一割。

 コートリアではそれ以外を主食として認識していない。旧星時代には多くの主食が存在したようだが、誰もそれに意味を見出さなかった。


『珈琲があまりに甘すぎました。砂糖を入れすぎたんです』


 コートリアにおける砂糖とは、全て人工甘味料である。旧星ではサトウキビという植物があったというが、種子のないものは育たない。

 旧星からコートリア惑星群に移る時に、彼らは五隻の宇宙船にありったけのものを詰め込んだ。しかし、氷に閉ざされて五年経った世界では、既に多くのものが「手遅れ」だったという。


 バイオトープで育てている植物の多くは、辛うじて旧星から運び出されたものを品種改良したもので、失われてしまった旧星の植物からは遠ざかる一方である。

 アスティは主に、植物の品種改良を得意とする管理士だった。各企業からの依頼で、野菜でも花でも薬草でも、望み通りの形か、あるいはそれに近いものに改良をする。

 旧星の植物を切り離すかのように改良を繰り返しながらも、その一方で彼女は旧星の植物に恋い焦がれていた。


「貴方はどうだったの?」

『珈琲は好きですよ。俺の珈琲はいつも彼が淹れてくれてたし』

「きっと変化が嫌いなんだね」

『味が変わったらすぐにわかります』

「変わってしまった同僚を許せなかった」

『だから殺しました』


 暫く高笑いが続いた。アスティは眉一つ動かさずに珈琲を飲む。自分で淹れた珈琲は、いつもと同じ味のようにも思えるし、少し濃いようにも感じられた。

 掃除ロボットは自分の中から流れる音など、どうでも良い様子で、前に血だまりがあった場所を往復していた。クリーニングにより床は全て張り替えられたが、そこだけ色が違うような錯覚を与える。

 その様子を見つめながら、アスティは独り言を続けた。


「偶に宇宙には美しい花が咲いているというじゃない。でも野菜が生えているなんて話は聞かない。きっと目立たないからだと思うけど」


 彼女の愛するものは、旧星で滅んでしまった。

 あるいは凍り付いた地面の下にあるのかもしれないが、大気まで凍って自転もしなくなった旧星には、誰も辿り着くことが出来ない。


「宇宙のどこかに生えていると思うんだ。あの美しい野菜が」


 幼い頃に一度だけ文献で見た野菜。それを彼女は再現させようとして、仕事の合間を縫っては、自主的に品種改良を行っていた。

 誰かに邪魔をされるのが嫌で、人と組むことはなく、たった一人で仕事をしていたために、組合の人間からは「そんなことをしていたら病むぞ」などと脅された。

 しかし幸いなことに彼女は一人の方が性に合っていた。


「綺麗な野菜だよ。豆なんだけどね。大豆や小豆も綺麗だけど」


 独り言をつぶやく。話し相手は掃除ロボットの中から一方的に垂れ流される、殺人者の慟哭。

 彼女は一人が性に合っていた。残念すぎるほどに。


「そら豆っていう野菜でね。花弁に黒い斑点があって、それが死斑を連想させるから不吉だって言われていたことがある」

『可哀想なアラードは死んでしまった』

「ある有名な哲学者は、その茎が冥界と地上を結んでいて、豆の中には死者の魂が入っているかも知れない、なんて思ったんだって」

『悲しくて泣きました。泣いている俺を見て、アラードの形をしたエイリアンは戸惑ったようでした』

「死者の魂なんて素敵じゃない」

『俺は彼を殺して、いや、彼の肉体を刺して、それで』

「どんな味がするのかな?」

『食べました』


 エイリアンがまた出てこないように、殺した同僚を食べたという。叫ぶような証言を聞きながら、アスティは自分の持っているオレゴンに視線を落とす。

 その画面に表示された資料には、その殺人事件のことが書かれていた。


『あの狂った科学者が来てからです。アラードがおかしくなったのは。外から人なんて呼ぶから、エイリアンが入ってきてしまったんだ。その人はね、愛する人のために不老不死になろうとしたんです。でも失敗して、醜く老いることを繰り返す人生となってしまった。……そうだな、もしかしたら彼自身がエイリアンだったのかも』

「なにそれ」


 馬鹿らしい、とアスティは肩を竦める。

 そんな馬鹿な話があるわけがない。愛のために不老不死になろうとして、挙句に失敗したなんて哀れすぎる。

 しかしそれが本当だとすれば、元々孕んでいた他人の狂気が芽吹くのも無理はないかもしれない。


「芽吹く」


 アスティは小さく呟いた。

 誰もいないのだから大声を出しても良いのだが、一人に慣れている彼女は大きな声を出すことを好まない。


「品種改良に成功して、そら豆が出来たとしても、芽吹いた時に私はそれをそら豆の芽だとはわからない」

『アラードは狂ってしまったのです』

「貴方がどちらの狂気かわからなかったように。管理士なのに、どうして気長に観察できなかったのかな」


 それとも、とアスティは笑う。


「もしかしたら私は既に、そら豆を作ってしまっているのかもしれない。誰も正解を知らないから、判断が出来ないだけで。貴方の狂気もそれと一緒。既に芽が出ていたのかも」


 泣きわめく殺人者の声は、掃除ロボットと共に居住スペースを巡る。

 そこに残る殺人の痕跡を消そうとするかのようだ、とアスティは考えて、しかしすぐに苦笑いで打ち消した。床は全て張り替えたのだから、痕跡など残っているはずもない。


『だから俺はアラードを殺してなんかいないんです。俺が殺したのは』

「リジィ・ラップ」


 タブレットの表面を指で軽く叩く。

 「加害者:アラード・シルディ」の名前が拡大表示された。




 アラード・シルディは逮捕時にはまだ「まとも」だった。少なくとも身に起きた出来事を冷静に話すことは出来た。

 ある日、一人の科学者が来て身の上話をして帰った後、同僚のリジィは妙に明るくなった。

 それまで、どちらかと言えば暗い性格をしていた同僚の変化に、アラードは少し恐怖を覚えた。あの学者の狂気に触れて、おかしくなってしまったのではないかと思ったという。

 そしてある日、苦手な筈のキッチンで珈琲を淹れているリジィを見て、アラードは「確信」した。リジィは完全におかしくなってしまった。このまま放置しておくわけにはいかない。

 手渡された珈琲は酷く甘くて吐き気がした。その様子を見て、リジィは笑っていた。


 殺される。


 アラードはリジィに襲い掛かり、そして殴りつけ、蹴りつけ、ナイフで刺しながら問い詰めた。何を企んでいるのかと。その時に抵抗したリジィの右手が、アラードの左腕を強く引っ掻いたという。

 三日経ってもリジィは何も白状しなかった。それどころか今度は体を腐らせ始めたので、アラードは辟易した。無駄な抵抗をするものだと思って、更に尋問をした。

 頭を割って、内臓を裂いて、血の殆どを垂れ流しても、リジィは何も言わない。それを見てアラードは二度目の確信を得る。


 これだけ痛めつけても悲鳴を上げないなんて、これはエイリアンに違いない。エイリアンがリジィに成りすましているのだ、と。


 魚の開きのようになってしまったエイリアンをバイオトープの隅に埋めた後に、アラードは漸く安心した。それから一か月もの間、平然と仕事をし、事件発覚時にも悪びれる様子なく警察に捕まった。

 しかし、逮捕後に発見されたリジィの日記が、彼の信念を崩してしまった。


 ――あの科学者のような生き方なんか御免だ。過去に振り回されるのなんか馬鹿馬鹿しい。あの醜悪な肉体に比べたら、キッチン恐怖症なんて可愛いものだ。

 ――珈琲を淹れてみた。吐き気を堪えながら作ったにしては上出来だと思ったが、アラードに飲ませたら凄い顔をしていた。砂糖を入れすぎたみたいだ。悪いことをした。


 科学者の話を聞いて、リジィは前向きになろうとしていた。そして苦手なキッチンに入れるように努力をして、初めて珈琲を自分の手で作った。それを飲んだアラードが、あまりの甘さに吐き出してしまったので、照れ隠しに笑ったのである。

 それが、リジィの変化の真相だった。


『じゃあ俺が殺したのはリジィだった? エイリアンじゃなかった? ……あぁぁ、俺はなんてことを。俺が死ねばよかった、俺が死ねば、俺が死ねば』


 音声が不自然に途切れる。

 アスティはそちらに目を向けることなく、珈琲を飲む。掃除ロボットはそろそろ、今日の分の作業を終えようとしていた。毎日ランダムに再生される殺人者の証言は、暇つぶしには丁度良い。

 その悪趣味を咎める者は、このバイオトープにはいない。


『……では名前を』


 殺人者ではない、刑事らしい声が入り込む。年の頃は五十ぐらいだろうか、落ち着いている割に若々しさもある声だった。

 それに対して何十秒かの間を挟み、掠れた声が返事をする。


『リジィ。リジィ・ラップです』

『そうか。君は私に見覚えはあるかな?』

『いいえ、ありません』

『……なるほど』


 刑事は咳ばらいを一つすると、聴取記録用のマイクにのみ拾えるような、小さい声で言った。


『これより、アラード・シルディの二回目の聴取を行う。担当は……ガーランド・シルディ』


 掃除ロボットが動きを停止して、それに伴い音声再生も終了した。

 アスティはオレゴンをテーブルの上に放り出すと、椅子の上で大きく伸びをする。


「父親のこともわからなくなるって、相当強い自己暗示だよね。まぁ専門家じゃないから知らないけど」


 犯人が元々狂気に染まっていたためか、殺してから一ヶ月経って発覚したためか、この事件は謎が多かった。

 科学者の話の何が、アラードを刺激したのか。リジィが甘すぎる珈琲になんの疑問もなくアラードに差し出したのは何故なのか。日記が残っているということは、少なくともアラードが珈琲を飲んでから暫くはリジィは生きていたこととなる。その間、アラードは何をしていたのか。リジィは本当に危害を加えなかったのか。


 しかし何より謎なのは、被害者たるリジィの肉体の行方である。アラードはリジィをバイオトープの隅に埋めたと言ったが、全ての土をひっくり返しても、リジィの右腕だけ見つけらなかった。仕方なく警察は、此処の全ての土を持ち出したそうだが、爪の一枚すら見当たらなかったという。


「まだ何処かにあるのだとして……」


 アラードは「食べた」と言ったが、それでは彼が自身を保っていた頃の証言と食い違う。もしかしたら、まだ此処にはリジィの右腕があるのかもしれない。不在証明が出来ないのなら、存在否定もまた不可能だった。


 アスティの目は、居住区からゲート一枚を隔てた先にある、バイオトープを見つめていた。口元にうっそりとした笑みを浮かべ、彼女はその口で夢を語った。


「豆を育てたら、死者の魂が宿って、そら豆になったりしないかな?」


 彼女は一人が性に合っていた。


END

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惑星#00 淡島かりす @karisu_A

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