第4話  極楽浜

 夜明けと共に目覚めた。

恐山は死者の居る場所だというのに、昨夜はぐっすり眠ってしまった。

妻と娘が枕元に訪ねて来てくれるかもしれないと、

心のどこかで期待していたのだが。

昼過ぎまでに川内へ戻らなければならない。もうあまり時がない。

あわてて身支度をして、湯治宿を飛び出した。

まだ、薄暗い朝の霊場恐山は深い冷気に包まれている。


 総門から地蔵殿に続く参道には石灯篭が並んでいる。

数えて見ると四十八基あった。

よく見ると船の名や松前、越前など地名が刻まれていた。

廻船問屋や商人たちが寄進したのだろう。

津村は、まだ新しい西屋の名の刻まれた石灯篭を見つけた。


地蔵殿の扉が開いていたので中に入り、

恐山菩提寺の本尊地蔵菩薩像の姿を仰ぎ見る。


「何という、お姿だ」


千年以上前の地蔵菩薩像だと聞いた。

どこか異国の神のような彫りの深い顔立ちで、逞しい体つきをしている。

驚いたことに、地蔵菩薩像は赤い僧衣を纏っていた。

赤い僧衣の袖はボロボロに擦り切れている。


 目を閉じて手を合わせると、

亡くなった人の名前が不思議なくらい次々と浮かんできた。

妻、娘、両親、戦死した大勢の友、中野竹子、

斗南での生活苦で亡くなったり、行方知れずになった知人たち。

これまで思い出すことのなかった人々の名前まで次々と浮かんでくる。


鶴ヶ城下の新しい家で、

会津木綿の着物姿の妻が笑顔で美味しい<こづゆ>を作っていた。

ホタテの貝柱のダシ汁が美味かったな。

妻は、たくさんの着物を持っていた。

厳格な武士の家に生まれた、しとやかで芯の強い女だった。


粗末な着物の小さい娘が歩いているのは脇野沢村の浜辺だ。

そういえば、雪が降る前に一度だけ浜辺で遊んだことがある。

娘の笑顔が浮かぶ。娘は鶴ヶ城を知らないが、海を知っていた。

海に囲まれた、ここ斗南藩があった地、下北半島で短い一生を終えたのだ。


 足をひきずりながら、ゆっくりと踏みしめるように恐山菩提寺の庭を行く。

賭博地獄、重罪地獄、どうや地獄、修羅王地獄、無間地獄に血の池地獄。

それぞれに地獄の名を付けられた岩場と、地底から上がる白い煙を眺めた。

人を恐れないカラスたちが、頭上で野太い声を上げている。


様々な地獄があるものだな。

だが、この世の地獄と比べてみれば・・・・・・


 賽の河原を歩いて行くと目前に、

明るい翡翠ひすい色の宇曽利湖が広がった。

地獄から極楽へ境内の風景が変化していく。


極楽浜に着くと白砂に、

巨大な羽を広げたカラスが舞い降りてきた。


「おはようございます、津村様、恐山詣はいかがでしたか」


昨日の僧侶が風にひらめく黒い僧衣を纏っている。


「おはようございます。極楽浜の風景は素晴らしいですね。

不思議なことですが、初めて来たのに何故か、とても懐かしい。

恐山はもっと不気味な場所だと思っていました。

でも違った。心が休まる場所でした」


二人はしばらく宇曽利湖と、それを囲む朝の光に縁取られた峰々が、

蓮華の花びらを、かたどる風景に見入る。


「正面の端正な形の山は大尽山おおづくしやま

奥に見えるのが下北一、高い山の釜臥山かまぶせやま

山頂には恐山の奥の院があります。


北前船が津軽海峡を航海していく時に目印となったのが、

下北半島の中心にそびえる、あの釜臥山です。


釜臥山に鎮座する釜臥山大明神は恐山の、

お釈迦様の化身とも言われています。

その為、恐山は航行する北前船の「守護神」として、

海運業者や西屋さんのような廻船問屋からの信仰を集めるのです。

石灯篭をごらんになりましたか。

海運で財を成した方々が寄進してくださいます。


会津の人は会津磐梯山あいづばんだいさんに見立てて、釜臥山を斗南磐梯山となみばんだいさんと呼ぶのですよね。

陸奥湾を猪苗代湖いなわしろこに見立てるのですね」 」


朝の光を浴びた僧侶の横顔が白く光った。


「なんと、斗南磐梯山に恐山の奥の院があるとは、知りませんでした。

いつの日か登ってみたいです」


津村は目を輝かせる。


「下北は、決して流刑地ではありませんよ。

米は獲れませんが、豊かな海に囲まれて暮らしている。

ここの人たちは皆、船に乗って蝦夷地へ出稼ぎへ行きます。

遠くは国後くなしり択捉えとろふまでも行くそうですよ。

それに何よりも素晴らしい宝、ヒバの森があります。

平泉中尊寺の金色堂は下北のヒバで造られています」


「拙者も、ここ恐山で暮らしたいと思います。

どうか方丈様の、おそばにおいてください。

寺男として使ってください。お願い致します」


津村は深く頭を下げた。


「私はかまいませんが、あなたは西屋さんに奉公したばかりなのですから、

よくよく西屋さんと、お話しをしてください」


顔を上げると、僧侶は静かに微笑んでいた。


津村は力が抜けたように極楽浜の白砂にひざまずき、

風にひらめく僧衣の長い左袖の裾を掴んだ。


「方丈様、お教えください。妻と娘をどのように弔えば良いのでしょうか?」


「思い出すことですよ。

思い出してあげることが一番の亡き人への供養になります」


長い袖の裾を握りしめながら、深くうなずく。


「あなたの亡き人への思いを恐山に預けていきなさい。

そしていつでも、亡き人に会いたい時に、ここに会いに来ればいいのです」


握った僧侶の袖の裾が擦り切れていることに驚き、津村は手を離す。

そういえば、本尊の地蔵菩薩像の赤い僧衣の袖の裾もボロボロだった。


「本堂の地蔵菩薩様は、夜になるとお堂から出て、

恐山の地獄に見立てられる岩場を巡り、苦しむ魂を救って歩く。

苦しむ魂が袖に、すがるので袖が擦り切れるのです。

この世では、たくさんの苦しむ人々が私の僧衣の袖を握ります」


穏やかな低い声が心地よく響く。


どんな表情なのか、ひざまずいている津村には見えなかったが、

極楽浜の強い風に吹かれる黒い僧衣の袖は、

神の使いのカラスのようだった。




 昨日と同じ道案内役のアイヌの長衣を着た少年が寺務所の前で待っていた。

急いで、用意された粥をすすった栄三郎は、深く礼をして恐山菩提寺を後にした。


「今朝、もう一度、温泉に入りたかったな」


山道を歩きながら、思わずつぶやいた。

自分の体と着物から硫黄の匂いがしていることに気づく。


「入らなかったのですか?アタシは入りましたよ」


少し後ろを歩いていた少年が言った。


「えっ、おまえは、もしかして」


振り返った栄三郎は少年の、ほっ被りしている手ぬぐいを取った。

少年だとばかり思っていた道案内役は、

艶やかな黒髪を後ろ一つに束ねた硫黄の匂いがする娘だった。


「名を、トワと申します」


娘は、にっこりと笑った。


「トワ、妙な名だな」


娘はぷっと頬をふくらませて不満な顔をした。


その顔に見覚えがある。忘れもしない。

昨夜の<花染めの湯>で悪態をついていた、ちょっと色っぽい娘だ。


後ろを歩いていたトワが、津村の着物の袖の裾を掴んできた。


「何をする?」


驚いてトワの顔を見る。


「小さい時から何度も恐山温泉へ湯治に来ています。

恐山の信者なので、ここは庭のようなものです。

まさか津村様が恐山の寺男になりたいだなんて。

あの方丈様は恐山の次の山主になられる尊いお方。

でも、トワは津村様が方丈様の所へ行ってしまうのは嫌です」


涙声になりながら、うつむく。


「何故、そんなことを知っている。聞いていたのか。

極楽浜にいたのか」


津村の心がざわつく。


「いいえ、盗み聞きなどしていません。方丈様からお聞きしました」


「いったい何者だ。 

女のくせに男のようなかっこうをして。

おれがどこへ行こうと、何をしようと関係あるまい」


「トワは杣人の娘ではありません。川内の西屋の三女です。

津村様が恐山へ行くと聞いて、ご一緒して道案内役をしたいと、

父さんにお願いしました。


でも、小娘の案内役なんていらないと、津村様に断られると思って、

男の子の姿をしていました。

父さんは、津村様とトワが夫婦めおとになればいいと言っています」


頬を、ほんのりと薄桃色に染める。


ソウイウコトダッタノカ・・・・・・


津村は深いため息を飲み込んだ。


「昨日、津村様は、ずっと方丈様とお話して泣いてばかりいるから、

お声をかけることができませんでした。一人寝で寂しかった」


今度は悔しそうに頬を膨らませる。


よく見ると表情豊かで、なかなか可愛らしい娘だ。


「トワ殿は、いくつだ」


「はい、十四になりました。

アタシが作ったけいらん、美味しかったですか」


袖の裾を、しっかりと握って離そうとしない。


「津村様が恐山温泉を気に入ってくれて嬉しいです。

宇曽利郷は良いところでしょう。

下北には他にもたくさんいい所があります。

今度また、リワが案内しますね」


うふふと無邪気に笑っている。


どうやら、おれは恐山の娘に捕らわれたようだ。

グルリと海に囲まれた斗南の地にしばらく留まるとしよう。



                                               了

  

               


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恐山温泉 オボロツキーヨ @riwa

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