冒頭からアイヌの描写が出てきますが、実際に津軽にもアイヌがいたそうです。南直哉禅師が『死者のいる場所』で書いているような、この世とあの世の境にあるような、どこか異界めいた雰囲気。それでいて、出て来る人物は過去を引きずりながらも確かにそこに生きているという息遣いを感じる。淡々とした物語ですが、それだけに主人公の静かな怒りややるせなさ、そしてまたほのかな希望のようなものも伝わってきます。読者も主人公とともに温泉に浸かるようにほっと一息つくことができる、そんな作品です。
歴史ものを書く上で大きな流れをまず提示して小さな存在にスポットを当てる手法と、小さなものを切り取る過程で大きな流れを背後に読み取らせる手法と二通りあると思いますがこの作品は後者。小さなもの、小さくされた者の悲劇を克明に見つめる中で、今は勝者となっている存在の未来の傲慢の果ての姿も匂わせる、なかなかの巧者とお見受けしました。ちなみに自分の父方の本家は、会津から山を越えて米沢に逃れてきた郷士で「八重の桜」は辛くて見る事が出来ないと申しておりました。
明治の世。陸奥へと追いやられた、一人の会津の侍を追った短編小説。時代小説でありながら、名もなき一人の侍に視点をあわせ、等身大の物語に仕立てています。明治の新政府が華やかなりしころ、戦いに敗れ、日の当らぬ場所へと追いやられた者たちもいた。光当たらぬ彼らを見つめる、そのまなざしは、とても優しく、彼らの未来を見つめています。ストーリーの切り取り方がとてもうまい、名作時代短編です。
ある男が温泉に浸かる話です。と言いたいところですが、この話、温泉よりも時代の流れを感じさせてくれる、大変いい時代小説です。何より描写が細かいのがいいですね!当時のお風呂というのは、今とはもちろん違いますし、しきたりもあります。今のように調節されているものでもありませんし、口コミのようなものしかないでしょう。そんな中、各自、自分の決め事を作り風呂に入る。なんだか、いいヒューマンドラマが見れて気がします。次の話にも期待して、星3つ送らせて頂きます。