二年目.十二月十四日――残り二年と三百五十三日

◆透明じゃない色を教えてよ

 ≪外国へ見聞を広げに行くことはいいことです。自国の良いところを再発見させてもらえますから。

 けれど、な国同士で文化を比較して殊更ことさらに自国を持ち上げる論理は控えた方がよいかもしれません。

 なぜこんな言葉を書き記したかと言えば、こうとでも最初の辺りで断っておかなければ……いい子ぶることが出来ないじゃあないですか!

 差別主義者に転向するつもりはありません。元々わたしは良い人なんかじゃなかったんです。それでも良ければどうかお付き合いください。≫


 すべてが急ごしらえだけど、そこだけは据え置きの木椅子に身をゆだねている。今日の日記をつづりながら空いた片手で手を握る。自分同士で握手するなんて寂しいことは言わない。

 「硝子……、ちゃん……」

 「はい」

 

 うつな声にもめげずに、彼、もしくは彼女はがんばってる。手、いや、おてて? そんな幼児語を使ってみたくなった。いつか通り過ぎた幼児期を錯覚してしまうくらいには、今の私を模した硝子の剣は小さくて、はかなげだ。

 手を引いてご挨拶。まずは私から。


 「……自己、紹介します。スーラ=トーラ……、『絵画祭』を志すもの……、です。こっちは、たまたま……私に、似ているだけの硝子ちゃん……、です。よろしく……、お願いします……」

 「はい、伺っておりますよ」


 おんなじ女の形をしていても、私が雪の結晶アイスバーンなら硝子ちゃんはワイングラスと、いえる。こんな例えを使うのも先日の酒の勢いを忘れられないからかもしれない。

 ただ、それ以上に彼と話すのは正直気まずかった。


 「申し訳ありません。お名前を伺ってもよろしいでしょうか? 今日は色々とお話しいただけるということで……。私はココン=コラの縁戚で硝子ショーコといいます。本日は助手役を務めさせていただきますので」

 応対を積極的に丸投げしつつ、自分自身は消極的に単なる美少女であることに終始する。ペンを動かすことに注力する。

 だけど、話は聞くし目と目は離さない。硝子ちゃんは変わらず私の口となってくれた。私より少し年を取っていない声の色はきっと黄色い。

 きっと、ココン女史の血の色を取り込んだからだろう。きっとした眼差しは確かにあの時のあの人にも似ていた。 


 ≪硝子ちゃんは真っ直ぐとした物腰で国家の犬に物怖じしなかった。

 頼もしくて好感が持てる。君の、薄く黄味がかかった色合いは蜂蜜色の口づけベーゼのようだと言ったら気味悪がられた。

 なんて失礼な! だけど、これは唐突にやってきた伊達男ヴァンの言葉であってわたしの言葉じゃない、借りものなら仕方がないね。

 あぁ、魔が差した! その間のことはあまりにも忌まわしかったので記録には残さないことにしますね! どうか、後世の歴史家たちは頭を悩ませてください!≫

 

 「……にゃん」

 「え?」

 「ニャンと申します。姓がニャンです。名の方はどうぞ情けで、聞かないでください」≪ニャン?≫

 どうか頼みます。一緒にこくりとうなづいた。私も笑わない。硝子はくすりと笑った。≪笑わない笑わない≫


 ニャン伍長は何かを言いたげにして、結局は子どもの言うことだと思って納得したようでした。

 「おひげ……、剃ってきてたんですね……?」

 不精な髭を取り払ってしまえば、なるほど三十男と言う風采は撤回しなければ、存外に若く見えた。流石に私より若返ることはなかったけれど。

 ココン女史に吐いたあの言葉を忘れることはありませんが、ロランから紹介されてやってきた案内役である以上は無下に扱うことはできません。


 赤みを帯びた肌であっても剃り残しは青く見えるのだろう。だけど、真っ平に草刈りをされている。いつか青髭に育つことはないなんて思って、少し笑う。

 口に出せばさぞ怒る。私は彼の誇りを穢すことはしない。

 それに私の頭上に生い茂るのは草色の髪、雪解け水を吸ったならさぞや育つだろう。


 「……≪色々とは言いましたが、「色」の論理は大陸のものであって我が国に関係なかったりします。

 髪の色、瞳の色は滲み出る血の色だなんてそんな戯言は――この世界では立派に通じます。≫」

 「わかりきったことをおっしゃる。外なる国からの来訪者も増えました。この“世界”がリトラウルム、誉ある皇帝陛下の名で呼ばれなくなって幾分と経ったのです。

 当然でしょう」


 あの雪の日は目立たなかったけれど、なるほど顔色がるい。国粋主義者にとって、神権と王権は等しくイコールで結ばれるものだ。

 外国人、実質は別世界の住人が神に捧げる舞踏会武闘会の主役を横取りしようだなんて、とんでもない不敬だと言うつもりなのだ。

 古臭いとは思わない。程度の差こそあれ、どの国でもやっていることだから。


 正しい。

 苦々しい思いを真正面きってぶつけることはこの上なく好ましく思えた。

 だから伍長に甘んじている理由もわかってしまう。

 

 「今や、リトラウルムは世界の中心ではなくなった。それは認めましょう。

 けれど貴国黄国の干渉にて失った『メロニス』、『フォル・クフォルク・フォルク』といった赤の同朋を再びひとつにまとめ上げたなら、この母なる大地にそうそう手出しは出来ぬと御覧じろ」

 

 その気概に魂が燃えるようだった、もし胸が熱い血を吐き出してくれるなら見せてやってもいいとそう思えるほどに。

 けれど、硝子は袖を引く。お互いをぐいぐいと引っ張ったって誰も倒れはしない、


 「……御高説有難うございます。けれど、今回はここ『帝都中央練兵場』の下見ということで、参ったのです。案内のお仕事をされないなら、匿名で内務総局えらい人お手紙を投函しますチクります

 「では、行きましょうか」

 

 立つように促されて渋々立ち上がる。止んでいた雪が思い出したかのように振り殴る。彼の赤茶けた髪の上に雪の粉を振りかけた。

 本来の肌を露出させた大地は、まるで紅顔の上に薄化粧を施した若武者のようだ。急ごしらえの帆布テントでは冷たさも防ぐことは出来ない。

 赤でまとめられた街並みと石の畳、都市にいては細かく分けられてその広さを実感することのないけれど、草一本さえ生えていないこの運動場なら世界の果てまで見通せるそんな気がしたんです。


 『絵画祭』の舞台はここではありません。

 けれど同じ地面を通して、ここと確実につながっています。

 そこには万人が集まるのでしょうか、いつかは皇帝と一対一で雌雄を決する

生きた証拠を刻み付けることが出来るのでしょうか?


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 ≪硝子ちゃんは教えた通りに小難しいことを言ってくれました。

 国家憲兵隊というのが「兵隊さん」と「お巡りさん」の混色ってのは知っているけれど、正直詳しくはないから伍長という呼び方が本当に正しいかまではわかりません。


 案内役を引き受けてくださったニャン伍長、彼は実にいい人でした。愛国者です。本来この言葉を口に出して言うのはあまりよくないことらしいので、次から気をつけることにしましょう。


 ちなみにこの世界=リトラウルム(日本語履修者の間での略称は璃国りこくらしいです、以後、そう書くことにしましょう。)を中心とした大陸諸国は「絵」の文化です。

 新参の我が国ストロヴェニチュア(略称は栖国すこくです。以後同じように。)は対抗して「字」の文化とか言い出しました。実際そうなので大人げないとかはいいませんけどね。


 とにかく、わたしの目標は、この国の伝統芸能である儀典剣闘の極点である『絵画祭』で勝利をおさめ、この大地に永遠に「スーラ=トーラ」の名を刻み付けること。

 何度決意してもし足りないとは思いますが、決意します、決意します、決意します!


 この大会は古い儀礼に故を持ちます。

 かつて血みどろの戦いとして大陸中に知れ渡り、いまの帝都を紅く染めた大災厄を縁として思い返すためだとか。

 ただ、神話中で語られた事ですが、優劣を競うわけでなく三ヶ国/参加国の和合を狙ったものであるとのことらしいです。

 それでも――いさかいの種は血を誘って実を付けると言いますが、そこに至るまでもなく記録上確実に死人は出たといいます。


 世が火薬と蒸気、紙とペンの時代に移って、この地は懐古主義者たちのものだけではなくなりました。

 まず、わたしがここにいます。似たような人もきっとたくさん。


 六十年おき、九月四日に開催されるという以外に詳細は明らかになっていないこの大祭は名誉を求める者にとって格好の舞台でした。

 なにせ最後の相手は現皇帝コサージュ・リュードその人だというのですから。近代に入ってからは一度さえも、開催の宣言が為されたことすらもありません。


 神と同質と称される皇帝に認めさせるため、彼の目に留まるため、古式にのっとって、戦うのです、歌うのです、舞うのです。

 何より血の絵画を描かないといけないんです。存在さえ確かでないもののために、挑む猶予がもう三年を切っているというのに。≫


 ペンを置いた。ちり紙で手を拭く。一気に吐き出した。

 「私は、おろかです」

 誰もが血の論理に縛られている。それは薄肌を通り越して表れる瞳や髪の色だったりするし、両親から子へ孫へ受け継がれる血脈だったりする。

 

 だけど一番を挙げるなら食べなければ生き続けることは出来ないってことだ。

 私は肉なんかじゃありません氷製だなんて気取ってみてもそれは融けて透明になった血に過ぎない。

 この世界にあらざるものがこちら側にやってくるために必要なもの、考えてみればわかり切ったことでした。


 「ん、くっ、ぐっ、ぐきゅ、ごきゅ……」

 だから、指先を舐めてもらっている。私の肉を融かして透明な血が硝子の喉へ流れ込む。

 硝子の剣はなにも透明とは限らない。どんな色の血肉だって味わう権利くらいあるだろう。だけど、今の私は出来る限り自分の色に染めてみたい、そう思ったんだ。エゴだとわかってる。


 今の私に似ているからこそまだ手放したくないと思ったのに、身一つを得て早くも巣立っていこうとする。そんな硝子が怖かった。

 また、体が軽くなっていく感覚と共に、また私は少しだけだが意識を失うことにした。

 ……硝子がきてからというもの、この部屋のベッドが飾りじゃなくなってうれしかったりする。

 

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君は絵の具立てとなり走り出す 東和瞬 @honyakushiya

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