ハジメとハジメのお父さんなんか、ほとんど同じやろ?

「アレなんて言う? 俺とハジメ。感じることが違うやろ? そういうやつ」

「価値観?」

「ワラワラ。価値観。カ、チ、カン、は、人それぞれやろ?」

 スタジオ練習を終えて片づけをしている時に、俺の話を聞いてベンデレはそう言った。

「ハジメのお父さん、ジャズ知らない。ニホン人、だいたいジャズ知らないやん。それは普通。ハジメがジャズやってるほうが変。そら、分かってほしかったらハジメが説明しなあかんで。ハジメ、ずっとひとりで黙々とやってたんやろ? それやったら、お父さん分からへんの当たり前やねん。ハジメが話さな、お父さん知らんやん」

 なぜだか知らないけど胸の内のマグマが急にナリを潜めてしまった俺は、ベンデレの言うそんな言葉を、わりと素直に受け止めてしまっている。俺のことは俺が自分で説明しなければ、親父には分からない。親父に限らず、人間は誰だって知らないことは知らない。説明されなければ分からない。言われるまでもなく、そんなことは当たり前のことだった。なぜ言われないと分からなかったのかが今となっては分からないレベルだ。

「実にその通りだ」

 俺はベンデレにそう返事をしたあとで、顎に手をあててジッと考え込んでいまった。俺はいつから、親父に自分のことを話さなくなったのだろうか。ずっと昔からではなかったはずだ。その昔、俺たちはもっと普通に、普通の親子をしていたはずだった。

「話を聞いてもらったことっていうのがなかったんだ。いつも、あれをしてはいけない、これをしてはいけない。ああしろこうしろと、怒られてばかりだった気がする」

 親父は自分をよく抑制していて、決して手をあげたり声を荒げたりすることはなかったが、その実、俺の言うことに聞く耳を持ってくれたことなんて一度もなかった。そんなような気がする。おれがそう説明すると、ベンデレは猿みたいに顔をしかめて、手を横に振った。

「聞く耳もたへんから言わへん。言わへんから分からへん。そんなん言い出したら、どっちが先か分からんやん。アレ、なんて言う? ほら」

 ベンデレが見せる謎のジェスチャーから、最大限に想像力を動員して、俺は「水掛け論?」と聞いてみる。

「ワラワラ。水掛け論。ミズ、カケ、ロン、言うてる間に、いっぺん話してみたほうが早いんとちゃうん?」

「話せば、分かってくれると思うか」

 俺が真面目な表情でそう訪ねると、ベンデレは白い歯をむき出しにして笑った。

「そんなん、俺知らんやん。俺、ハジメのお父さん知らんやん。でも、マリ人とニホン人が分かり合えるねんで? それに比べたら、ハジメとハジメのお父さんなんか、ほとんど同じやろ?」

 そら、ナンボか分かりあえるんとちゃうん?

 マリ人とニホン人が果たして十全に分かり合えているのかどうか、といった部分にはまだ議論の余地もありそうな気はしたが、ベンデレにそう言われて、俺は渋々、今夜親父に話をしてみようと考えてみる。でも、まずどこから話せばいいのか、その取っ掛かりも難しくてなかなか見つからない。

 親父は俺がドラムを叩いてるらしいということは知っているけれど、どんな種類の音楽をやっているのかということまでは知らないはずだ。説明したことがない。親父もさすがに、ジャズという言葉じたいを知らないということはないだろうけれど、しかし、たぶん言葉ぐらいしか知らないはずだ。しかも、俺が今やっているのは寄りにも依ってアフリカンジャズで、というか便宜的にアフリカンジャズと呼んではいるけれども実際のところは自分たちでもなんなのかよく分かっていないヘンテコな構成のブレーメンの音楽隊で、スタンダードなジャズですらない。だいたい、なんで俺はアフリカンジャズバンドでドラムを叩いたりしてるんだったか、と思い出してみれば、コウの綺麗なだけの軽薄な笑い顔がチラついて、意味なく少しムカッとしたりする。

 地球は偉大だ。きっと人間的に一回り大きくなれる。

 実際、地球は偉大だったのだろうけれど、そもそもの発端としてはコウの適当なその場の思い付きで導かれて、いま俺がここに居るということには、やはり言いようのない不快感が付きまとう。なんだって、あんな軽薄な男の言うことを真に受けたんだか、それも今となってしまってはすっかり思い出せない。きっと、マグマの熱気にやられて、正常な判断能力を失っていたんだろう。

 バンドのメンバーと別れ、自宅の近くまで戻ってみても、それでもなかなか親父と話す決心がつかずに、俺は近所の公園でブランコに座って時間を潰した。なんとなく、チャットでリッコにメッセージを送ってみたりもした。やるだけのことはやった。あとは待つだけだ。まるでご利益のある経文のように、今日だけでそのフレーズを100回以上は繰り返しているような気がする。自分で思っている以上に、心細く感じているのかもしれない。ブッ……ブッ……と、スマホが続けてバイブする。

『きっと大丈夫だよ』

 短い返事と、雑なスタンプが三連続で届いた。俺の知らないなにかしらのゆるキャラがイエーイ! ハッピー! グレイト! みたいなノリで画面上で派手に騒いでいる。そんな、リッコ自身の言葉ですらない投げやりな励ましで、でもなんだか肩の力が抜けてなんとかなりそうな気分にもなってくるんだから、三連雑スタンプもそれほど捨てたものではないのかもしれない。俺は少し口の端を上げて笑い、返信をしない。

 ずっと、俺の人生はギリギリで、決して一度もミスすることなくギリギリの崖っぷちを走り続けるしかないんだと思っていた。でも不思議と今は、ダメだったらダメだったで、それもそれで悪くないのかもしれないな、なんて風に、今は思いだしている自分がいる。

 俺の中のマグマは冷えている。

 冷えたマグマは大地となり、それが様々なものを吸収して肥沃な土壌となる。どんなものになるのかは知らないが、やがてそこになにかが芽吹くこともあるのだろう。

 オーディションに受かってメジャーデビューして、東京に行って音楽をやっていく。そんな未来もあるのかもしれない。やっと小指の先がかかったんだ。絶対にここに食らいついていってやる、コケずにギリギリの崖っぷちを走り抜けてやるっていう、そういう熱い気持ちはある。俺は本気でそれをやろうとしている。そのためには、親父をどうにか説得する必要も出てくるだろう。なんとかするしかない。

 でも、同時に、ダメだったらダメだったで、別にそれもそんなに悪くもないのかなと考えている俺もいる。コウとつるんでパッとしない高校生活を送って、ベンデレたちと月イチぐらいでムーンオーヴァーでライブをやって、たまにリッコから雑なスタンプが送られてくる。そんな生活が続いていく未来も、それはそれでアリなのかもしれない。

「こんなところにいたのか」

 そう声を掛けられて顔を上げると、寝巻きにジャケットを引っかけた親父がすぐそこに立っていた。わざわざ探しに出てきたのだろうか。小学生でもあるまいし、そんな近所を探してみて見つかるなんてことも早々ないだろうと思うのだが、ひょっとして、これまでも俺の帰りが遅い日には、こうして近所を見回っていたのだろうか。

「なにをしてるんだ。帰るぞ」

 親父はそれだけを俺に言い渡して、もう背中を向けて歩き出している。わざわざこんなところにまで探しに出たりはするくせに、俺に対してはまったくもって、聞く耳ってのを持ってない。

 まあでも、聞く耳もたへんから言わへん。言わへんから分からへん。そんなことを言い出したら、どっちが先なのか分からないのだろう。いっぺん話してみたほうが早いのかもしれない。俺は反動をつけて、ブランコから立ち上がる。

「親父」

 親父の背中に声をかける。親父が足を止めて、ゆっくりと振り返る。俺は言う。

「話があるんだ。聞いてほしい」

 口に出して言ってみれば、それはこんなにも簡単なこと。

 三秒。親父は不思議なものでも見るように、少し首を傾げて俺の顔を見ていて。

「とりあえず家に帰ろう。茶かコーヒーでも淹れる。それから話を聞く」

 そう言って、親父はまた俺に背中を向けて歩き出す。

 その背中を見ながら、俺はどこから話をはじめようかと考えている。そう、その昔、俺の中にはずっと熱いマグマが滾っていたのだ。コウがいて、ベンデレがいて、キャリーにケイタにヒフミに、あとリッコとかもいて。俺は気付いてなかったけど、きっと親父も、ずっといてくれたのだろう。

 今はほのかに暖かいなにかだけが胸の奥にある。

 俺は地面を蹴って、駆け足で親父の背中を追う。

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でも助走をつけて 大澤めぐみ @kinky12x08

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