シップウめいている ~続・毎朝五分の暗号解読/おやすみ前にラブコメディー~

如月 仁成

七川、シムラ、シノノレH ~紙にペンで書くと……~

 走る。走る。走る。

 頭を打つ。頭を打つ。頭を打つ。


 ――俺達の知力や身体能力は、人間のそれと大差ない。

 でも、この赤髪ポニテ可愛い女の子、紅威くれない朱里あかりちゃんを見ていると、その事実を忘れてしまいそうになる。


 彼女は速い。とにかく速い。

 スレンダーで張りのある美脚をり、山道を疾走する。


 俺は、必死な思いで彼女の背についていく。

 ならばお前も足が速いのかと問われれば、その答えはNO。


 では問題です。俺はどうやって彼女と同じ速さで移動しているのでしょうか?


 ……答えは、ちょっと自分でも信じがたい。

 俺は爆走する彼女に、鞭で体を縛り付けられたまま引きずられているのだ。



 あぜ道は楽だった。舗装された道も、今考えれば良かった方だ。

 一番ヤバかったのは河原。そして今、下り始めた山道もかなり辛い。

 さっきから石ころやら木の根っこやら、ガツガツ頭に当たる。


 でも、そんなことを考えても無駄。激痛に叫び声を上げても無駄。

 朱里ちゃんは一向にスピードを落とす気配が無い。

 おかげで俺は、悟りを開いてしまった。


 無の境地。

 痛いと感じたり、抵抗しようとするなど俗世ぞくせのさもしい感覚だ。

 感情を捨てること。気を付けの姿勢でいること。

 きっとそれが朱里ちゃんとの正しい付き合い方だ。

 

 この境地に達することが出来た俺には、ご褒美が待っていた。

 仰向けで引かれながら目線を上げれば、そこはピンクの桃源郷。

 夢のような楽園には、たわわにフリルが実っている。


 男という生き物は、どうしてこんな三角形に興奮するのだろう。

 所詮しょせん布なのに。

 たかが布なのに。

 すごくドキドキする。


 ……あ、まずい。今の無し。全然ドキドキなんか


 🐦ごきん


「うそっ! まさかこんなとこに電柱があるなんて……。ヤバい音したけど、雫流しずるは頑丈だから平気だよね! じゃ、もうひとっ走り……」

「待つんだこの唐変木とうへんぼく! いくら頑丈な俺の頭でも時速二十キロで電柱にぶつけられたらちょっとヤバい。走馬燈そうまとうを十二話目の途中まで見たぞ」


 第十二話。オープニング曲も無しにスタッフクレジット入りで始まった。

 あれ、走馬燈の最終回じゃねえか。途中で目が覚めて良かった。


「このあたしをとうへんぼく呼ばわりとはいい度胸ね! かま出すわよ?」


 朱里ちゃんが鞭を引っ張って俺の体を無理やり起こす。

 そして、息もかかるような距離に顔を寄せてきた。


 女子って、みんなどうして俺に冷たいんだろ。怖いよ。


 でも怖いはずなのに、女の子とこんなに近付いたことなんてないから喜んでる自分が確かにいる。


 初めて知ったよ。…………俺、ちょろい。


「悪かったよ、そんなに怒るんじゃねえ。でも、引きずるのはちょっとタンマ。今なら地動説をちょっと信じるくらい世界がぐるぐる回ってるんだ」

「しょうがないなあ。じゃ、少しだけはいおしまい! 行くよ!」

「バカなの!? 句読点すら聞こえなかったぞ!」


 そんなに早く回復できるの、この世で宿屋くらいだよ?


「ったくお前、人を電柱にぶつけといて謝りもしねえし……」

「なにそれ? 男らしくないなあ。はいはいあたしが悪うございましたー。以後気を付けますー。……これで文句ない?」

「腹立つやつだな! そんな謝り方、文句あるに決まって……、無いですからにらまないでください」


 ちきしょう、その目でにらまれると何も言えん。

 チェスで言えば、「ポーン三体いけにえに捧げてキングがワープ」くらいの必殺技じゃねえか。

 姉ちゃんが良く使うけど、俺はルールをちゃんと知らないから使える条件が分からないんだよね……。


 俺は朱里ちゃんの視線から逃げるように、くらくらズキズキする頭を空に向けた。

 すると目に入って来たのは、電線も張っていない電柱の上に留まる一羽のハト。

 ということは、今回死にかけたのは俺のせいだ。

 彼女のせいじゃない。


「……お前のせいにして悪かったよ。全部、俺のせいみたいだ」

「え? 自分から電柱に突っ込んだってこと? ……君の趣味を否定はしないけど、どエムは家でこっそりやってくんないかな」

「俺はエムじゃねえ! ……ああ、叫んだらクラクラの速度アップ……。地球の自転周期が一時間早くなった……」

「一日を素数にされたら迷惑よ。もう、とっとと回復してよね」


 朱里ちゃんはため息をつくと、俺から距離を取って下り坂の先を見据えた。

 線の細い美人さんの精悍な表情。アーモンド形の目がキリッと引き締まる。


 やばいって。

 そんなの見せられたら惚れてまうやろ。ドキドキするやろ。


 あ、うそ。今のもな


 🐦がんっ


「くをををををっ! 頭頂部ばっか狙いやがって……っ!」


 俺の頭に落下した金ダライがくわんと地面に転がる。

 にらみつけた空には、さっきと別のハトが舞っていた。


「……それ、大変ね」

「そうね。お前がそばにいなけりゃここまで頻繁に発症しないんだけどね」

「じゃ、しばらく我慢してよ。雫流はあたしのパートナーなんだから!」


 朱里ちゃんは嫌味を覗かせた笑顔で俺に告げると、再び真剣な瞳を前に向けた。

 きゅっと引き結んだピンクの唇。

 腰まで伸びた美しいポニーテール。


 俺は、こんな美人さんのパートナー。

 じゃあ、やることはひとつだぜ。

 よっこらせ。


「行くわよ!」

「どんとこい」


 ……美人で勝気で嵐のように慌ただしい。

 そんな彼女との出会いは、ほんの数十分前のことだった。

 運命的で、今でもドキドキするあの時のことはきっと一生忘れな……、あ。


 🐦がんっ


「金ダラ鼻ぁぁぁぁぁあ!」

「…………いい加減、行くよ?」

「もう、好きにしてくれ」


 俺がやせ我慢で親指を立てると、二人はたちまち、その姿を変えた。


 一人は、まるで音よりも速く走る風に。

 もう一人は、ただの足手まといに。


 黙想しかすることが無くなった俺は、くらくらする頭で、彼女との出会いを思い出していた。


 ………………

 …………

 ……


 待って? まさかこれ、走馬燈じゃないよね?


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ……風が濃厚な新緑の香りをはらむ五月。

 国立多羅たら高校の正門から通りを挟んで建つログハウス風喫茶店『シャマイン』の二階テラス。

 俺は、祝福の角笛を吹くエンジェルがレリーフされた門柱を見下ろしていた。


 あの正門の柱が心太ところてんとか糸蒟蒻こんにゃくとか、柔らか素材で出来ていたら俺の人生も違うものになっていただろうに。

 一か月前の入学式、俺はハトが操縦するバイクにかれてあの柱に激突。

 そのまま病院送りにされたんだ。


 風が強い日だったからな。

 まさか、女の子五人が一斉にスカート捲れるとは思わなかった。

 そりゃあドキドキするさ。ハトだってやる気も全開さ。


 その日以来、俺は稀有けうな生活を余儀なくされた。

 つまり、病院から制服で出発すると、校門にたどり着く前に新たな怪我を負って救急車で帰って来るという十六連入院コンボ。

 今日は試しに学校じゃなくて、すぐ向かいの家に帰ってみたら難なくたどり着いたとかさすがに嫌がらせだ。


 とはいえ、嫌な距離を残した。ここから校門までの十ヤード。

 目と鼻の先なのに、まるであそこにたどり着ける気がしない。

 しかし、今日こそあそこを越える! 俺の高校デビューはもうすぐだ!


 そんな期待に胸を膨らませる俺の隣には、白いテーブルとティーセット。

 朝から優雅に紅茶など楽しむ、ゆるふわ茶髪でクールな目をした姉ちゃんが座っている。


「しー君、また校門くぐれずに病院行きになるんじゃないわよ?」

「大丈夫。今日から俺の……、七色そらはし雫流しずるの伝説が始まるんだ! 期待しとけよ、姉ちゃん!」

 

 俺が松葉杖にもたれかかりながら包帯の巻かれたこぶしを振り上げると、姉ちゃんはこれっぽっちも期待を込めていない呆れ顔でため息をついた。


「今日から、なんて謙遜はいらないわ。すでに病院じゃ伝説よ。毎日何度も顔を出す常連さん、他にいないからね」

「とうとう俺だけセルフサービスになった。背中の治療がなかなか手ごわい」

「じゃあ病院に行く意味無いじゃないのよ」

「だってスタンプが十個たまると綺麗な女医さんが治療してくれるんだぜ? そりゃ通うだろ。高校生男子なめんな」

「それでドキドキして怪我が増えてちゃ世話ねーでしょーが」


 ……俺は、ドキドキするたびハトから攻撃されるというバカバカしい『罰』が神様から課せられている。

 普通の人なら致死ダメージってレベルの攻撃もちょいちょい食らう。


 でも、神様の罰は俺達を反省させるためのものだから、どんなに痛くても、どんなに苦しくても死ぬことは無い。


 この罰のせいで中学にも卒業ギリギリの日数しか通ってないし、危ないから周りに誰も近付いてくれないんだよね……。


「悪いのは全部、あんたがむっつりスケベなせいなんだからね? なんであんたはパンツ見たくらいでドキドキするのよ」

「こら。罰にまつわる話をほいほいするんじゃねえ」


 罰の効果が強力になるらしい。

 これについては言うのも聞くのもご法度はっとだ。


「それと、俺はむっつりスケベじゃねえから」

「あら、ほんと?」


 俺がにらみつけると、姉ちゃんは切れ長の目をさらに細めてにっこり笑った。


 ……そして椅子から立ち上がって、おもむろにスカートを捲る。今日は水色。


 🐦ガンッ


「じゃあ、今、しー君が食らったモノは何?」

「……洗濯機から脱水機能外したやつ」

「もうちょっといろいろ付いてるけどね、洗濯機」


 俺の足元には、頭を強打した金ダライがぐわんぐわん回っている。

 そんな凶器を落として、北の空へと去っていくハト。

 

「はあ……。弟が姉ちゃんのパンツにドキドキするとか。嬉しいけど心配だわ」

「ふざけんな。気持ち悪い事言うな」

「気持ち悪いだと? そんなこと言う奴にはこうだ」


 🐦ガンッ


「くをぉぉぉぉぉっ!!! だから捲るんじゃねえよ! 殺す気か!?」

「しー君がそんな目であたしを見ていたなんて。姉ちゃんの貞操が心配」

「俺は姉ちゃんの頭が心配だ。いいからスカート戻せっての」


 姉ちゃんを捕まえようと手を伸ばしたが、身軽にひらりとかわされた。

 そして、


「むぎゅ?」


 顔に何かを押し付けられる。

 これ、携帯か?


「新品じゃん。くれるの?」

「入学祝よ。しー君、英雄になりたいんでしょ? そこに届く「暗号」をぱぱっと解けば、すぐに英雄になれるわ」

「おお! これが勾玉まがたまの隠し場所を書いてあるっていう……」

「そう。アエスティマティオよ」


 ――アエスティマティオ。それは、勾玉を手に入れるための唯一の方法。

 俺達の種族が思春期を迎える頃に発現する三つの罰を消すためには、この勾玉が必要なのだ。


 ……勾玉欲しい。この罰を解除したい。何が何でも解除したい。

 俺だって他の皆と同じように、胸を張って堂々と、パンツをこっそり見たいさ。

 でもこの罰があるせいですぐばれる。

 せんせー、また七色があたしのパンツにむっつりしてましたーとか聞き飽きたわ。


 俺は携帯の画面を確認した。

 さあて、俺の得意な暗号は……っと。



 本日のアエスティマティオ

 Dランク:七時三十分より、15km走。男女ペアで参加の事。校門前集合。最も早くゴールしたペアに勾玉を授与。妨害自由。

 Bランク:課題は十二時に発表。



「暗号じゃねえぞ? かけっこじゃん」


 しかも妨害自由とか。おっかねえ。


「ああ、そうだったわね。十二時のBランク試験が暗号解読だと思うから、それまで待ってなさい」

「そうだね。これじゃ、走れねえし」


 俺は左足首から先を覆う、薄手のギプスに目を落とした。

 ヒビって、治るの遅いんだよね。


「じゃあちょっと休んだら、初登校に挑むとすっかな!」


 俺は手すりに両手を突いて、ううんと伸びをした。

 胸を満たす空気が濃い。緑の香りは身も心も活性化させてくれる。

 やっぱり、今日はいい予感。

 暗号を解いて、勾玉を手に入れて、鮮烈なる高校デビュー。決まったな。


 校門の前には先生たちが数人。

 ストップウォッチを手に下げて、リストに何かを書き留めながらはるか遠くを見つめている。

 ここがゴールになるのかな? 最後に壮絶なバトルが起きたりして。


 ……店、壊されないかな?


 何となく心配になって一階のテラス席を見下ろすと、そこに多羅高のセーラー服を着た赤い髪の女の子がいることに気付いた。

 先生と同じ方向を見つめて、白くて細い指で長いポニテをいている。


 俺が下の方を覗き込んでいたのが気になったのか、姉ちゃんもティーカップを手に隣に来ると、一階のテラスを見下ろした。


「あら、朱里あかりじゃないの。おーい」


 朱里ちゃん? ああ、俺が病院にいる間に、我が家に引っ越してきた寮生の子か。

 名前だけは聞いてたけど、会うのは初めて。

 そんな彼女が俺達を見上げた時、俺は頭に金ダライを一つ落とした。


「び…………、美人さん!!!!」


 ぱっちり大きなアーモンド目の細面ほそおもてに、長い赤髪のポニテが躍る。

 そしてスポーティーな細い手足と、どこまでも白い肌。

 俺を見ていぶかしげに寄せた眉根すら凛々しく見える。


 なんたるど真ん中! 俺の妄想彼女が具現化されたみたい!


 そんな朱里ちゃんは、思わず口をついた俺の言葉に危険を感じ取ったのだろう。

 不信感をき出しにした目を向けながら、何歩か後ずさった。


 にらまれてすらドキドキする子なんて初めて! なんたる奇跡の出会い!

 俺は限界まで手すりから身を乗り出して……、あれ、ちょっと待て。

 さっきからこんなにドキドキしてるのに、最初の一撃以来タライが落ちてこない。


 空を見上げても、いつもの丸いシルエットがない。


 不審に思っていた俺の耳に、すぐ傍からくるっぽーと声が聞こえた。

 いつの間にやら手すりに留まっていた二羽のハト。

 そのうち一羽が、まるで挨拶するように首をカクンとかしげたので、俺も苦笑いで会釈した。やあ、いつもお世話になっとります。


 🐦バキン バキン🐦


「まさかの白兵タイプっ!?」


 こいつら、くちばしの一突きで手すりを折りやがった!

 全体重を預けていた手すりが落ちれば、当然俺の体もその後を追う。

 ……ああ、この落ち方はやばい。頭からいく感じ。


 重力に身をゆだねた時の怖気おぞけを背筋に感じながら、ぎゅっと目を閉じる。

 でも、いつまで待ってみても想像していた衝撃が来ない。

 第三クールの予告編が始まった走馬燈を途中で切り上げて恐る恐る目を開くと、飛び込んできたのは朱里ちゃんの必死の形相だった。


 …………俺、お姫様抱っこされとる。


 普通、空から人が落ちて来たら避けるもんだ。それをこの子は……。

 なんたる親切、なんたる勇気。

 感動のあまり、うるっときたよ。


 尻餅をついて、腿と両手で俺のことをキャッチしてくれた朱里ちゃん。

 こんな時、言うことなんか一つだろう。

 俺は空から落ちてきた者が当然口にするであろう言葉を、彼女に伝えた。


「……勇者様、俺の世界まじやべーんだ。救ってくんね?」


 こんな、「はい」と「もちろん」しか選択肢がないシチュエーションにもかかわらず、朱里ちゃんは幻の選択肢「ふざけんな」をチョイスしながら、グーで殴りつけてきた。


 お約束というものをまったく理解していない勇者様の一撃は、落下の衝撃以上の破壊力で俺をテラスの海に沈めたのだった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 頭上では姉ちゃんが大笑い。

 そして朱里ちゃんは、倒した丸テーブルに隠れながら俺をにらみつけていた。


「そこの勇者様! 怖がる気持ちは分かるけど、ちゃんと挨拶しなさいな。それ、あたしの弟の雫流しずるよ」

「………………この変人が?」

「そうそう。待望の、あなたのパートナーよ。頑丈だから好きに使って」


 姉ちゃんに説明されても、朱里ちゃんは一向にテーブルから出ようとしない。

 俺は警戒を緩めてもらうために、彼女に質問を投げかけた。


「パートナーって何のことだ?」

「……アエスティマティオは、基本的に二人一組で参加するのよ」

「ああ、それでかけっこも二人一組なのか。…………え? パートナーって何?」

「君の頭どうなってんの? だから……」

「違う違う。俺が朱里ちゃんのパートナーなの?」

「そう言われたけど猛烈に信じたくない。絶対にいや」


 あふん。いきなり嫌われた。

 しかし、その警戒の眼差しはいい感じ。こんな綺麗な子がパートナーなんて、俺、


🐦がんっ


「まだなんにも言ってねえだろうが!」


 俺が空に向かって声を上げている姿を見て、いよいよ朱里ちゃんはテーブルの向こうに隠れてしまった。

 丸めた紙がいくつも突っ込まれた腰下げのメッセンジャーバッグ。

 朱里ちゃんの体のうち、そいつだけがテーブルから顔を出している。


「ほんと大丈夫なの、君?」

「ああ。これは、言えないアレだ」


 相手が同じ魔族ならこれで通じるだろう。

 案の定、赤髪の天照あまてらすはテーブルから顔を出しながら、納得したとばかりに一つ頷いた。


「さっきは助けてくれてありがとな。ハトの攻撃から逃げ切ったの、初めてだよ。ほんとに俺の勇者様だ」

「その勇者様って呼び方やめてよ。鎌出すからね」

「おお、分かった」


 鎌を出す。最近、俺達の間で流行り出した怒りの比喩表現だ。

 ちきしょう。そんなに怒るんじゃねえ。


 どうやって機嫌をとったものやら悩む俺をよそに、朱里ちゃんはため息をつきながらテーブルを元に戻すと、手近な椅子を引いて腰かけた。

 そして急に寂しそうな表情を浮かべて、ぽつりとつぶやく。


「パートナーだったら、もうちょっと早く来てくれたらよかったのに……」

「どういう意味だよ」

「Dランクのアエスティマティオ、出たかったの」

「そりゃ無理だ。これだもん」


 俺が足のギプスを指差すと、朱里ちゃんはしょんぼり度をさらに高めながら俯いてしまった。


 二階から降りてきた姉ちゃんが、そんな彼女の様子を見て俺をにらみつける。

 知らねえっての。


 結果だけ見たら俺のせいかもしんないけどさ、その過程になんら関与してねえ。

 俺のエクスカリバー、まだ鞘から出したことねえのに赤んぼ渡されても。


「なんでそこまでへこむのさ」

「…………ったから」

「え?」

「悔しかったのよ! あたしが嫌われ者だから、だれもチームに入ってくれないって言われて……。そのうち、あたしはチームから捨てられちゃうって……」


 酷い奴もいたもんだ。


「バカ言ってんじゃねえよ。姉ちゃんがそんなことするわけねえだろ」

「そうそう、朱里を捨てたりなんかしないわよ。事情があって、むやみにメンバーを増やせないだけ。もうすぐ何人か入って来るから」

「でも……、せめて勾玉取って見返してやりたいのに一つも取ったことないし……」


 まあ、朱里ちゃんの言いたい事は分かる。

 この際重要なのは、理由じゃなくて見た目。

 いじめっ子ってやつがそこを突く以上、事情なんて関係ないわけだ。


「あたし、ここしか居場所が無いの……。だから、勾玉を……」


 ああもう、見るに堪えん。

 お前は俺の為に、凛々しい顔をキープしといてくれ。


 俺は朱里ちゃんの元に近寄って、白くて細い手を取った。

 やれやれ、こんなに震えて。でも、もう大丈夫だからな。


「……きもい。何のつもりよ」

「え? 話の流れ的にそのセリフはおかしくね?」

「おかしいのは君の頭。あと、顔」

「清々しいほどの嫌われっぷりだな。俺、泣いてもいいか?」

「泣く前にその手を離しなさい」


 俺は涙をこらえて、校門の前に立つ先生に向けて大声をあげた。


「先生! 俺達、今から参加していい?」

「ちょっ……、ええっ!?」


 驚く朱里ちゃんの声をさえぎるように、先生の声が響く。


「チームヴィーナス、七色そらはし雫流しずる。チームヴィーナス、紅威くれない朱里あかり。参加承認。路上に書かれた矢印をよく確認していくこと。以上である」

「よし、行くぞ!」


 俺が声をかけても、朱里ちゃんは不安そうなまま。

 おいおい、そんな顔してるんじゃねえよ。


 ……今、奇跡の身体能力ってやつを見せてやるからさ。


「無理しないでいいよ……。スタートしてから三十分も経ってるし。今からじゃ絶対勝てない……」

「そんなこと分からねえさ」

「分かるよ」

「いいや分からねえ。だって俺、バカだから」


 朱里ちゃんの手を引いて強引に立ち上がらせながら、俺は優しく微笑んだ。


「でも、バカな俺にも分かる。ここにいたら勝率はゼロパーセント。走り出しさえすれば、それはゼロじゃなくなる」

「君……。でも、その足で……」

「君って呼ぶな、雫流でいい。パートナーだろ?」

「……パートナー……」

「さあ! 勝ちに行くぞ!」


 俺がウインクすると、朱里ちゃんは頬を赤くしながら、瞳にたたえた涙を振り払うように大きく頷いた。


 ……それでいい。その凛々しい笑顔のためならなんだってしてやる。

 俺は朱里ちゃんを引く手に力を込め、颯爽と一歩目を踏み出した。



 ……そして二歩目で、びっこをひいた。



「いてて……っしょ。いてて……っしょ」

「…………………………こら、君」

「だから、雫流と呼べと……、いてて」


 これだけ痛い足で歩けるなんて、俺の身体能力、やっぱ奇跡だよな。


 朱里ちゃんの手を引っ張りながら、なんとか姉ちゃんの前まで進むと、いつもの呆れ顔が楽しそうに待っていた。


「ったく、あんたはほんとかっこ悪い子ね」

「うそ? 今の俺、世界一かっこいいだろ。絶対一位になってみせるから、ちょっと脇に除けていただけると助かります」


 俺の懇願にのろのろと通路を譲る姉ちゃん。

 そんな姉ちゃんに、朱里ちゃんが不服そうな音を鳴らした。


沙甜さてんさん! これ、使えない!」

「失礼な。ゼロパーセントの可能性を1パーセントにした奇跡の男になんてこと言うんだ、この恩知らず」

「一を百にするのが奇跡の男なの! ほんと頭痛い。何なのよ、君……」


 なんだよ。お前の為に頑張ってるのが分からんのか?

 限界まで痛いの我慢してるのに酷い仕打ちだ。

 お前、男を見る目が無い。


 次なる難関、木組みの階段に挑み始めると、姉ちゃんが声をかけてきた。


「朱里。それ、奇跡的に頑丈だから平気よ」

「うぅ……、でも……」

「いいから。魔界第二軍の司令官の実力、見せてやりなさい」


 何のことだろう。朱里ちゃん、なんか持ってるの?


「そんなことしたら……」

「いいから見せてやりなさい。……あんたの、奇跡の身体能力を」


 なんだ、期待して損した。

 この子も、足が痛くても歩けるんだね。


 でも、朱里ちゃんは見る間にやる気になったようだ。

 堂々とした瞳が、鼻息と共に俺に向けられる。


「……ねえ、雫流。絶対一位になるって言った気持ち、ほんと?」

「お前に何ができるっての? いいからここは俺に任せておけよ。必ず朱里ちゃんを一位にしてやるから」

「良く言った。……なら、根性見せてよね!」

 

 彼女はそう言いながら、腰下げのメッセンジャーバッグに手を突っ込んだ。

 中から現れたのは、彼女の髪の色と同じ、真っ赤なロープ。

 いや、これは…………、ロッド?


「じゃあ行くよ! あたしのパートナー!」

「おまえは何を言って……、はふ~ん♡♡♡♡♡」


 自分の口から出たとは到底思えない、とんでもなく色っぽい声。


 朱里ちゃんの振るった鞭が俺の体にぎっちり巻き付いた時、足の痛みなんて可愛いと思えるほどの激痛が脳天まで突き抜けた。

 はずなのに……………、


 めちゃめちゃ気持ちいい!


 なんだこれ! 一体どうなって……どわたたたたたっ!


 快感に溺れた直後、信じられないほどの勢いで体を引っ張られた。

 四歩ぐらいは走ることが出来たけど、あとは無理。


「ちょ! ぐはっ! あかりちゃごがががががががっ!」


 奇跡の身体能力。朱里ちゃんは本当に持ってたんだ。

 男子高校生一ヶを引っ張っていながら、この速さ。

 俺は驚きよりも感動が上回り、最高の賛辞を彼女へ送った。


「ごごごごごががががががっげげげげげげげげげっ! がふんっ!」


 もとい。なんか硬いものが頭に当たったから評価反転。

 殺す気か? めちゃくちゃだこいつ。


 でも、俺が朱里ちゃんを一位にさせてやるって言った以上しょうがない。

 命がけで付き合ってやるさ。……パートナーだしな。


 …………せめて、電柱にだけはぶつけないで下さい。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ……

 …………

 ………………


 俺は医療のプロフェッショナル。

 既に外科医と同等の技術を有す。


「へったくそね。包帯くらいまともに巻けないの?」

「じゃあ姉ちゃんがやれよ」


 俺は顔に巻いた包帯のせいでくぐもった声を、正面に座って紅茶をすする姉ちゃんにぶつけた。


 制服がこいのぼりの吹き流しみたいになって、全身の裏面が傷だらけ。

 消毒して、ひとまずガーゼだけ当てて全身を包帯で巻いてみた。アイム、マミー。


 俺は学校指定のジャージに着替えて、二階のテラスで回復につとめていた。


 そんな俺の後ろでは、柱に隠れたヘッドドレスが揺れている。


「いつまでそうしてるんだ? 出て来いよ」

「うっさい! 恥ずかしいのよ! そんなデレ切った顔でこっち見るな!」

「こんな包帯まみれなのによく分かったな。正解です」


 彼女は、この喫茶店で働いているらしい。

 だからってその制服――メイド服に着替えるとか、俺を殺す気か?


「あと、危なくて近寄れないわよ。何その足の踏み場もないほどのタライ。君の罰なのは分かるけど、落ちて来る条件が分からないから心臓に悪い……」

「メイド服のおかげで新記録だ。これで明日のランチは豪勢になる」

「まさか、神様からの罰、売ってるの?」

「一個二十円だ。欲しい?」


 普通に会話してるだけなのに、朱里ちゃんの好感度がどんどん呆れ顔に反映されていく。

 それでもようやく柱の陰から出てくると、溜息をつきながら俺の隣に腰かけた。


 ゴシック風の白黒ふりふりメイド服に赤いポニテが映える。

 俺が伸びる鼻の下を包帯で隠しながらちらちらと朱里ちゃんの姿を眺めていたら、姉ちゃんがニコニコしながら紅茶とスコーンを並べてくれた。


「二人ともお疲れ様。そして、一等賞おめでとう!」

「沙甜さん、意地悪……」

「まあ、下から一位なのもやむなしだろ」

「雫流が川で溺れなかったら何人か抜いてたわよ!」

「誰のせいで溺れたと思ってんだよ!」


 朱里ちゃんに一時間引きずられて、分かったことがある。

 こいつは天然バカだ。


 何がショートカットだよ。

 川なんか入ったら、両腕を封じられてる俺がどうなるかなんて分かるだろ。


 ……まあ、じっとしてたらちょっと水を飲むって程度で済むんだろうけどね。

 気を失うほどの溺れ方になったのは、スケスケ制服を強引に見ようとして暴れた俺のせいなんだけどさ。


「しかも溺れた男子には人工呼吸ってのが乙女のたしなみだろ。掌底食らった鳩尾、まだ痛む」

「インパクトの瞬間に口からウグイが飛び出してびっくりしたわよ。それより命の恩人に逆恨み? ほんと男らしいわね」

「くそぅ……。窒息死するところを助けていただき、ありがとうございました」

「分かればいいのよ」


 ご機嫌が斜めどころか真下に向いた朱里ちゃんは、紅茶を飲む姿もちょっと乱暴。

 そんな彼女の腰には、制服の時にも付けていたメッセンジャーバッグが揺れる。

 これ、トレードマークなのだろうか。


「……あれ? そのバッグからはみ出してる紙、この店のチラシか?」

「そうよ。あたし宣伝部長だから、学校にも至る所に置いて歩いてるのよ」


 そう言いながら、彼女は校門を指差した。

 ああ、あれもうちのチラシだったのか。


 校門にレリーフされたエンジェルが吹いている角笛に突っ込んである紙。

 朝から気になってたんだよね。


「宣伝部長だからって、あんな小さな子に意地悪すんな。あれじゃ音が鳴らん」

「この喫茶店に来る人は、あそこからサービス券付きのチラシを取ってくるのよ。今や、校内でこのシステムを知らない人はいないわ! あたしの宣伝力、大したもんでしょ?」

「大したもんだ。じゃあ最初から店に来る連中の為にあそこに挿してあるんだね」


 やっぱり天然バカだ。

 見た目はど真ん中だけど、めちゃくちゃだしバカだし、何より俺を嫌ってるし。


 ……さすがに萎えてきたよ。

 もう、こいつにドキドキして金ダライが落ちて来ることもないだろ。


「それよりさ、傷だらけにしてゴメンね。平気?」


🐦ガンッ


 ……俺、ちょろい。


「……心配してくれて嬉しいよ。でも、本当に心配だったら、心配しないでくれ」

「ややこし。えっと、じゃあ心配せずに気持ち悪い男だと思ってたらいいのかな」

「なんで百がゼロまで落ちちゃうんだよ。お前はいままで「中トロ」って言葉を知らずに生きてきたの?」


 ほんとは優しい子なのかな。思わずギャップドキドキしちまった。

 俺はテラスを横切る丸い影が増えたことに怯えつつ、ニヤニヤ顔でスコーンにかじりつく姉ちゃんに文句を言った。


「姉ちゃん、タライくらい簡単に止められるだろ。たまには助けろよ」

「ばかね、それじゃ罰の意味無いじゃない。罰は正しく履行りこうされてこそ罰。……もっとも、どんだけそれを説明しても納得いかないって奴が、罰を解除する手段を作っちゃったんだけどさ」

「それって沙甜さんのお父様のことですよね?」

「そうなの! 『免罪の救世主』なんて呼ばれて当人は恥ずかしがって丸まってると思うけど、宇宙一かっこいい人なのよ!」


 ……そうだ。アエスティマティオを作っているのは、俺達の父ちゃんだ。

 姉ちゃんは、俺が会ったことの無い父ちゃんの功績を、いつも自分のことのように自慢する。


 そんな父ちゃんに、六年も育ててもらった姉ちゃんが羨ましい。

 だから、多分やきもちなんだろうな。……俺は父ちゃんの事、大っ嫌いだ。


「そんな大した奴じゃねえだろ。俺達に会えもしない甲斐性なしが」

「なによ! 姉ちゃんの彼氏の事、悪く言ったら承知しないわよ!」

「なんで父ちゃんが彼氏なんだよ、意味分かんねえ」

「しょーがないでしょー! 戦争に負けて転生させられちゃったんだから!」

「あー、はいはい、そうでしたね。でも、会えやしねえ人の事なんかもうどうでもいいだろ……って、泣くな!」


 やべえ。ついイライラして地雷踏んじまった。

 こう見えて、姉ちゃんは泣き虫。

 クールな顔立ちをくしゃくしゃにゆがめて、ぽろぽろ泣き出した。


「……雫流、あんた最低ね」


 ああもう、朱里ちゃんにはにらまれるし姉ちゃんはひっくひっく言ってるし!

 泣きたいのはこっちだよ!


「悪かったよ。姉ちゃんの罰、俺が解除してやるから」

「沙甜さん。あたしも約束したでしょ? 頑張るから、泣き止んでください」


 姉ちゃんの罰。それは、俺たち姉弟はあの人に会うことが出来ないというもの。

 どう悪化するか分からないから、その罰について詳しく聞いたこと無いけどね。


 どうにか落ち着いてくれた姉ちゃんは、むすっとしながら俺のことを指差した。


「……じゃあ、まずはそれを解いてみせなさい」

「どれを? ……おっと着信。なるほど、これね」


 もう十二時だったか。

 Bランクの課題――暗号が届いたってわけだ。


 よし、姉ちゃんの為に頑張ろう。

 俺の罰もとっとと解除したいけど、まずはこの泣き虫が先だ。


 ちょっと気合いを入れつつ、暗号解読の時にいつも使っているルーズリーフをテーブルに広げながら携帯を見た。



 本日のアエスティマティオ

 Bランク:七川、シムラ、シノノレH。この中に、勾玉がある。二人一組で解読する事。最も早く発見できた者に授与。ペア以外の者と協力した場合失格とする。



「ほほう。この程度の暗号、俺にかかれば瞬殺だな!」

「うそ!? ……雫流、暗号解読、得意なの?」


 メッセンジャーバッグから携帯を取り出して難しい顔をしていた朱里ちゃん。

 そんな彼女が、驚きの声を上げた。

 おいおい、人を見た目で判断するもんじゃないぜ?

 俺は暗号を紙に書き写しながら、ニヤリと口端をゆがめた。


「ああ任せとけ、得意なんだ。って言っても、姉ちゃんのフォローが無けりゃまるで読めないんだけどな」

「……は? それ、得意って言う?」

「得意って言う」


 なんだよ。どんな暗号だって、俺たちコンビなら五分で解読しちまうんだぞ?

 だから不信感き出しの目はやめて下さい。

 あと、姉ちゃんも鼻すすってないで説明しろよ。


「姉ちゃんからもこいつに言ってやってくれ、俺が天才だってこと」

「……しー君は語彙ごいが乏しいわね。そういう時は、「俺はばかだ」って言った方が朱里に伝わりやすいわよ?」

「失敬な! ようし、こんな暗号一瞬で解読してみせるから、いつもみたいにほとんど姉ちゃんが解読しちゃってくださいお願いします!」

「前に説明したじゃない。多羅たら高生でいられる三年間しか、アエスティマティオに参加できないって。解読どころか、ヒントすら出せないわよ」

「なにそれ? ……じゃ、一生かかっても解読できないじゃねえか」

「沙甜さん! これ、使えない!」


 朱里ちゃん。他人を指差してそんなこと言っちゃいけないよ。

 男子だって泣いちゃうことあるんだからな。


 それにしても、そんなインチキあるか?

 これじゃ俺の華麗な英雄計画が全部パーだ。


「ごめんね朱里。しー君は、必要なパーツが一つ足りないの」

「一つじゃないわ。脳から何本か抜けてるんじゃない? ネジ」

「ううん? ネジじゃなくて、脳が無いの」


 良く動けるな、俺。


「いい加減にしろ。俺はバカじぇねえぞ」

「じゃあしー君に問題です。台形の面積は、上底足す下底かける高さ割る何?」

「め、面積」

「沙甜さん! こいつ、ほんとに使えない!!」

「なんだとバカ野郎!」

「バカはどっちよ! 今後は君の事、「イコール2」って呼ぶから!」


 なんでこんなに怒られているのか分からない俺を置いて、朱里ちゃんはルーズリーフを勝手に取り上げて、いろいろ書き込み始めた。


 ……おお。凛々しい横顔が綺麗。

 でも、ドキドキはしない。

 だってこんなに必死に取り組んでいるんだ。俺だって真面目にならざるを得ない。


「早く解かないと……。えっと、音読み……。カタカナを漢字に……」

「随分必死だな。朱里ちゃん、そんなに周りの連中を見返してやりたい?」

「それは、今はどうでもいい。目の前で大切な人が泣いてるの。必死になる理由なんてそれだけで十分」


 いやん、男前。

 でも朱里ちゃん。さっきから何度も「志村」って紙に書いてるけど、一生懸命に空回りしてるだけに見える。って言ってるそばからまた書いた。

 この子、圧倒的にひらめきが無い。


 俺は、手元に残った一枚の紙――最初に暗号を書き写した紙をいじりながら、恐る恐る姉ちゃんに伺いを立ててみた。


「姉ちゃん。……あれ、使ってもいい?」

「そう言うと思ったわ」


 呆れ顔にため息。でも、どこか楽しそう。

 ってことは、いいってこと?


「いつも言ってるでしょ? 観察なんかあてにならない。これはお父さんからの受け売りだけど、あたしもそう思ってる」

「でもさ、俺にとっては観察が全てなんだ。タライのせいでクラスの皆から嫌われてた間も、この力のおかげでなんとかやってこれたんだ」

「じゃ、あんたのしたいようにすればいいんじゃない? ……どうせこのままうじうじしてたって、可能性はゼロパーセントなんでしょ?」


 そうだ。俺の力はこれしかないんだから。


「ああ、使うさ。俺の力は、ゼロパーセントの可能性を1パーセントにする奇跡の力だからな」

「そうね。……だから、朱里としー君はベストパートナーなのよ。朱里はね、こう見えて、理論的な推理はあたし以上に得意なの。つまり……」

「ちょっと! 話し込んでないで手伝いなさいよ! あと沙甜さん! こんな役立たずがベストパートナーなんて迷惑です!」

「……そうか。こいつは1パーセントを百パーセントにするのが得意ってことか」


 そういうことなら、いつも姉ちゃんと暗号を解いていた時と条件は同じだ。

 俺は、「きっかけ」を探すだけでいいんだ。


 集中。集中。集中…………。


 視界が、赤く染まるような感覚。


 俺は、ぼっち生活で身に付けた、唯一の力を解放した。



 反射観察スチール・リフレクス…………。



 朱里ちゃん。耳の下、がく関節が不定期に動く。奥歯を強くかみしめながら、暗号を無意識に読んでいる。悔しさ、焦燥。同じ作業の繰り返し。

 せわしなく動く眼球。情報収集段階。蓄積。不明瞭な目的。

 手。雑な字と震え。意地、必死。そして不安。思考の低下。


 解答。……必死に解いてるけど、諦める直前ってところか。


 ふむ。よし、ウォーミングアップ終わり。

 俺は、手元に置いた暗号の紙に視線を移した。


 暗号の意味。意図。そして違和感。

 文字数から、一字が一字に変換。あるいは、句点で区切れる三文字。

 違和感。それはもちろん、カタカナ。

 カタカナだからできる事。合成、変換、回転。

 ランク、B。さほど難しくないと考えた父ちゃん。今までの条件のうち、もっともシンプル、簡単なもの……。


 解答。……文章の、回転か。



 俺は暗号を書いた紙を、右へ左へと回してみた。


「何やってるのよ」

「俺、なんでか知らんけど、暗号の鍵になるもの見つけるの得意なんだ」

「なにそれ? 嘘くさい」

「ほんとだって。だから、姉ちゃんは俺の言葉をヒントにあっという間に暗号を解いちまうんだ。今回は「回転」がキーだと思うんだけど……」

「回転…………。そうか!」


 朱里ちゃんは大声を上げると、俺が手にした紙をひっくり返した。

 なにするんだよ、邪魔すんじゃねえ。

 まさか読めたわけじゃあるまい? 姉ちゃんだって、俺がキーワードを出してから解読するまでに何分もかかるんだ。それを……。


「……カミ、ツマル、ツノノフエ! 裏から読むなんて!」

「裏? …………おお、ほんとだ! 朱里ちゃん、天才か!? って、テーブルに飛び乗るんじゃねえ! そんなことしたら……」

「そこの門柱! エンジェルの角笛のことよ! 雫流、ハリー!」


 朱里ちゃんが叫んでる。でも、俺には何も聞こえない。

 だって、俺の目にとんでもない物が映ってるから。


 真っ白なストッキング、ガーターベルト、そしてピンクの三角形。

 朱里ちゃんが下の方を指差しながら何かを叫んでるけど、あいにく俺、ちょっと忙しいから後でね。


 でも、こんな可愛い子の、そんなもの見た日にゃ……


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「こわっ!!!!!!!!」

「早く!」

「ばばばばバカ言ってんじゃねえ! 俺は逃げ……あふん♡♡♡♡」


 椅子ごと、鞭でびしいと縛られた。

 筆舌ひつぜつがたい激痛に襲われている意識はあるのだが、それを上回る快感。


 もう、一生分幸せ。ハトにどうされても構わん。

 俺は朱里ちゃんに引かれるまま階段へと走……らなかった。


「うそん」


 朱里ちゃん、俺を椅子ごと引いたままテラスの手すりへジャンプ。

 引っ張られて手すりに頭を打ち付ける俺。


 そのまま二階から飛び降りる朱里ちゃん。

 地面に頭から落下する俺。


 そして信じられないスピードで階段を引きずられ、


「あががががごべばふじこごがげげげげどどどどどどっ! ごひん!」


 しまいには、かつて知ったる門柱の硬さを頭頂部で味わった。


「この中に勾玉が……、あった! あったーーー! すごいよ雫流! すごい!」


 朱里ちゃんの歓喜の声。それを、校内全域に響き渡る放送が掻き消す。


『……告知。全学、傾注。アエスティマティオ、ランクB。発見者一名確定。チームヴィーナス・紅威朱里。以上』


「本当にあたしが……、雫流! やったよあたし達! 本当だった! あたしたち、ベストパートナー! 勾玉を手に入れたんだよ!」


 朱里ちゃん。勾玉がどうのって大騒ぎしてるとこ悪いんだけどさ、それと同じ渦巻き模様、俺の顔にも二つくっ付いてるんじゃなかろうか。

 世界がぐるんぐるん回ってる。かなりヤバ目に。


 薄れゆく意識の端に捉えたものは、地面に整列して俺を見ているハトの大軍。

 こいつら、既に俺が致死ダメージに達しているために手が出せないのだろうか、舌打ちでもするかのように飛び去った。


 ああ、やっぱり、朱里ちゃんは俺をハトから助けてくれる勇者様なんだ。

 そんな勇者様の手にかかって死ねるんだ。こんな幸せ無いよ。


「…………なんかおかしくね?」


 そう、こいつは不条理のかたまりだ。


 ハトから俺の命を助けつつ、自ら必死の一撃を放ってくる。

 俺のことを散々バカにして、お荷物扱いしてるくせに、涙を流して俺をパートナーと呼んで喜んでいる。


 そんな朱里ちゃんが、椅子ごと俺を起こして抱きついてきた。


「……朱里ちゃん。お前、俺の事嫌いなの? 好きなの?」

「大っ嫌いだよ!」


 元気いっぱい、はち切れそうな笑顔で抱き着きながらそんなこと言われても。

 本気なのか、冗談なのか、はたまた照れ隠し?

 こんな謎めいた言葉の本心、バカな俺に理解できるはずは無い。


 でも、一つだけはっきり言えることがある。

 美人さんで、男前で、明るくて、運動神経抜群。

 呆れるほど天然バカなのに、呆れるほど俺を嫌っているのに、俺は、お前のことを好きになっちまったようだ。



 ……俺は、太陽みたいな女の子に、恋をした。



 つづく

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