孫悟空、ファッショナブル、もう一匹は? ~なぞなぞです~

 A4ルーズリーフ一枚分くらいの小さな空間。

 そこに、俺が感じている絶望が見事に表現されていた。


 なんたることだ、壁にかけられた猿のレリーフを目にして、感動のあまり箒をロッカーにしまう手が止まるなんて。

 これが真の芸術というものか。


「……見ざる、言わざる、お前ら二人のせいで俺の人生はめちゃくちゃだ」

「頭を抱えてるわけじゃないから。あんた、バカのひき始めの症状が出てるわよ?」

「そんなこと無い。なんて素晴らしい作品なんだ」

「変態の頭の中は理解できないわね。それなら、頭を抱えてたってどうしようもないから隣の二人に思い切って相談するよう教えてあげなさい」

「無理だろ。一匹は見ないふりしてるし、もう一匹はそんな不幸を見て失笑してるんだから」


 理不尽な境遇に、頭を抱えている奴が俺。

 自分の罪をなすり付けておいて笑いを堪えてる自然バカが朱里ちゃん。

 同じく、自分は関係ないとばかりに見て見ぬふりをする花蓮。

 ほんと、まんまじゃねえか。


 ……ここは校内の第二美術室。

 つやの浮いた木目で縁取られた部屋の中、特有の石油っぽい匂いに包まれながら、俺は深いため息をついた。


「この作品が語り掛けてくる通りだ。なんで俺が罰を受けなきゃならんのだ」

「感謝しなさいよね。私も朱里あかりも、あんたの罰当番手伝ってあげたんだから」

「罰当番の理由、学校中に俺の破片を撒き散らしたからって言われたんだが?」


 貴様が主犯。朱里ちゃんが実行犯。

 俺はそれを電柱の陰から覗いてた、どこにでもいる普通のタライーマンだ。


「理由なんか知らないわよ。あんたが指示された掃除、授業をさぼってまで手伝ってあげてるんだから……、そうね、高い方のお茶で勘弁してあげる」


 絶句。

 お前らの罪を肩代わりして投獄されたのに、出所したらみぐるみ剝ぐ気か?


 子供のような風貌の金髪ツインテール美少女、鼓歌音こがね花蓮かれん

 この、我関せずと目を塞ぎながら百三十円請求して来る厚顔無恥な金髪猿が、汚れたぞうきんを「美」の字が書かれたバケツに投げ入れて、それを指差す。

 はいはい。運べばいいんだろ、ちきしょう。


 俺が虚ろな目で二つのバケツをぶら下げると、廊下を叩くリズミカルな音が響いてきた。

 笑ってる方の赤毛猿のお帰りだ。


「たっだいまー! あれ? 掃除、おしまい?」

「おしまいも何も、ゴミ捨てにどんだけ時間かかってるんだよ!」


 こっちの、赤髪がポニテ可愛い紅威くれない朱里あかりちゃんは、俺の抗議を完全反射する異能力者。

 気付けば毎回こっちが謝ることになる。

 だが、今日は負けねえ。

 ……万が一負けそうになったら、金パツインテにすべて擦り付ける!


「何よその言い方! ぺ」

「全部花蓮のせいだ!」


 うん。初手、7六歩の時点で投了。合理的。


「ちょっと変態バカ! なによ今の!」

「だって口喧嘩でこいつに勝てる気しねえんだもん」

「……花蓮ちゃん、ほんと? あたし、信じてたのに」

「よし。その調子だナチュラルバカ」

「どいつもこいつも! 頭にくるわね!」


 俺の誘導にまんまと乗って今にも泣き出しそうな赤髪と、親の仇のように俺をにらみつける金髪の肩をポンと叩きながら廊下へ出る。

 お昼前、四限真っ只中の校舎は凛とした緊張感を持つ静けさに満ちていた。

 さすがに小声に切り替えるか。


「それにしてもほんと、焼却炉まで行って戻って来るのにずいぶんかかったな」

「何言ってるの? あたし花蓮ちゃんに言われた通り、小学校まで捨てに行ったんだけど」

「はあ? なんだそりゃ? 俺は間違いなく花蓮に焼却炉って伝えたぞ?」


 俺が聞き返すと、赤いポニテの向こうで金髪の天才が無表情のまま加速した。

 まるで逃げ出すようにすたすたべちゃっと転んで、即逮捕。

 今日は白に黄色い花柄だ。


🐦がんっ


 二人して俺に向かって、しー! とかしてきたが、知らん。ハトに言え、ハトに。

 そしてお前は観念しろ。俺は間違いなく焼却炉って言ったからな。


「花蓮、聞き間違えとか。まさかそれもドj……、ごほん。まあ言わないけど」

「かたじけない」


 罰について会話すると、効果が強まるからな。


「わびと言っては何だけど、私もそのタライ、気にしないから」

「くるしゅうない」


 花蓮に手を貸して立ち上がらせてあげたら、すぐ横で朱里ちゃんがさっきの表情を浮かべて両手を口に当てていた。


「ほんとに花蓮ちゃんのせいだったなんて……」

「おお、今回のはこいつがドj…………やらかした」

「やらかしたとか言うな! この変態!」

「伝言もままならんとは。チームワーク最悪じゃねえか、俺達」

「あたしと雫流はベストコンビだけどね。花蓮ちゃんのせいよ」


 嬉しいこと言ってくれる。

 そんなこと言われて花蓮は怒るかと思ったんだが、意外にもニヤニヤ笑いだした。


「ベストコンビ? ふふっ、バカ言いなさい。私の方がベストな組み合わせよ」

「なんだよ。まるでチームにもう一人いるような言い方だな」

「ええ、そうよ。今日から合流するの。彼女と私のコンビ、強いわよ?」


 へえ、もう一人メンバーが来たのか。そりゃ楽しみだ。

 ……だからさ、朱里ちゃん。素直に喜こぼうよ。

 いいじゃん、ベストパートナーの座についてそんなに眉尻上げなくても。


「あたしと雫流の方が強いんだから!」

「……それなら、今日のアエスティマティオで勝負する?」

「望むところよ!」

「おお、熱いねえ。そういうノリ好きだぜ」


 青春だなあ。そして結末は夕日の中での硬い握手。

 やるじゃないのよ、おぬし。うふふっ、おぬしもね。

 お互いに、それがしの負けよと勝利を譲り合う。

 感動的な青春未来予想図だ。きらきら輝いてる。


「有り得ないけど、もしあたしが負けたら雫流が一日花蓮の奴隷になるから」

「有り得ないけど私が負けたら、変態バカを鞭の練習台にさせてあげるわ」

「うおぉぉい! どっちかは有り得ちゃうだろふざけんな!」


 きらきら未来予想図通りに事が進むと大参事だよ。

 図の中に、首輪で引かれて尻を鞭で叩かれる男を勝手に書き足すな。

 これ、犬なの? ブタなの?


「引き分けの場合、景品特権として両方勝ちって宣言させてもらう!」

「なに言ってるのよ雫流。両方負けなら二人とも楽しめるんだから、そこを狙うに決まってるじゃない」

「良く気付いたわねナチュラルバカ。もっと言ってあげなさい」

「それ、最強だよな。恐い。朱里ちゃんは、今日の議題って書いたホワイトボードを常に持ち歩くべき」


 なんで「絶対に負けない!」が「鞭で叩きたい!」になるわけ?

 自分のセリフを振り返らずにしゃべるから亜空間になるんだ。


 職員室へ下りる階段の一つ手前、生物準備室のドアのところで足を止めながら、どうやってこいつらを説得したものか考える。

 だが、十二時ちょうどの発表とされていたアエスティマティオが、俺の熱弁フェイズを強制終了させた。


「まってくれ、運営! このままでは俺が、犬の顔に豚の尻で悪魔の体という不細工キメラにされちまう!」

「ようし、勝負よ、花蓮ちゃん! 最近、鞭の精度が下がってたからね!」

「私も手を抜かないから。ちょうど召使が欲しいと思っていたところだし」

「正々堂々と引き分けを目指すんじゃねえ!」


 嬉々として携帯を見る二人を止められる奴はいないのか。

 俺は頭を抱えた猿に戻りながら、朱里ちゃんの携帯を覗き込んだ。

 せめて一つでも俺が勾玉を取れたら引き分けの可能性が下がるけど……。



  本日の進級試験

 Cランク:孫悟空、ファッショナブル、もう一匹の猿が勾玉を持つ。女子を含むペアで解読する事。最も早く勾玉に触れた女子へ授与。妨害自由。鎌の使用を許可する。

 Bランク:十三時半、南東球技校庭に勾玉を設置する。五分間連続、右手で勾玉を握り続けていた者に授与。妨害自由。協力自由。鎌の使用を許可する。



「珍しいな、Cランクの方が暗号なのか。それじゃ早速……」

「待って! ……雫流、あれ使っちゃだめだからね?」


 朱里ちゃんの白い指が、俺の腕をギュッと握り締めてきた。

 でも、俺から反射観察スチール・リフレクスを取ったらブサイクくらいしか残らないよ? 暗号解読できなくなっちゃう。


 ……まて。

 それ、昨日のことがあるから心配してくれてるんだよな。

 邪魔してるわけじゃないよね?

 いぶかしむ俺の耳に、花蓮のくぐもった声が聞こえた。


「……嫌味な話ね」

「何で生物準備室に入ってるんだよ」


 ドアの小窓から覗くのは、俺に話しかけてきた人体模型。

 身長ぴったり。スキンヘッドにツインテがとってもシュール。


「嫌味ってなんだ? こら、腹を割って話せ。……違う違う。膵臓すいぞうは外さんでいい」

「こんなの誰にでも読めるから、ただのバトルロイヤルよ」


 最後の方は、何を言っているかよく聞き取れなかった。

 それは花蓮が肺も外してしまったせいでは無くて、鎌を持って走る悪魔達が大挙して押し寄せてきたせいだ。

 いや、人間も混ざってる。さらには先生までどああああああああ!


 人波に流される、という言葉を体験できるとは思わなかった。

 これ、凄い。転んだりしたら踏みつぶされる。一瞬たりとも気が抜けない。

 ……ああ、だからあいつ、嫌味って言ったんだ。


 俺は胸を、背中を、肩を押されてもみくちゃにされながら、さっきまで掃除していた第二美術室に押し込まれた。

 その中では先生の祝福ブレスにより体を青い光で守られた数十人が、鎌を振り乱してめちゃくちゃに暴れている。

 なんだよ、勾玉ここにあったの? ……それも嫌味だな。


 そんなことを悠長に考えている場合じゃなかった。

 教室に入って来る連中に後ろから押されて、鎌でできた扇風機に突っ込まれる。

 こんなの、俺の運動神経じゃ三秒とて避け切れん。


 祝福ブレスによる防御って、切れないあるいは致命傷をうけないってだけで、めちゃめちゃ痛いんだぞ?

 昨日体験したからよく分かる。発動がちょっとでも遅れたら意味無いし。

 ……てか、俺、


「防御されてなくね?」


 体、青くないよ? センセ?

 俺が天使に振り向くと同時に、視界の隅から鎌の先端が横薙ぎに入って来た。

 ……これ、腹に刺さるよね? やばくね?


 そんな俺の体を、痛みより先に快感が貫く。

 朱里ちゃんの鞭だ。

 真後ろに引っ張られたおかげで、鎌は薄皮一枚の距離を通り抜けて行った。


 仰向けに倒れて頭を打ち付けたまま床を滑ると、到着したのは赤い幅広のリボンが可愛い、純白な夢の国。


🐦がんっ


「びっくりした! 危なかったわね、雫流! タライからは守ってあげられなかったけど」

「今回ばかりは死ぬかと思った……。さすがは俺の勇者様」


 朱里ちゃんが俺の上半身を起こしてくれると、今更体が冷たくなって、汗があり得ないくらいに噴き出した。

 助かったんだ……、俺。


「とったー!」


 女子の叫び声が響き、落胆の声とまばらな拍手が起こる。

 声のした方へ目を向けると、青い光で包まれた女子が二人ではしゃいでいた。

 驚いた。人間じゃねえか。


 そして、彼女が手に持ってるレリーフを見て二度びっくり。

 あれは俺の心情を余すことなく表現した芸術作品!

 ……おお、岩猿と着飾る、ね。だじゃれか。

 さっきまでガン見してたのに気付かなかった俺、ちょっとおバカさん。


 教室内の騒ぎをよそに、朱里ちゃんは真剣な表情で俺の制服、鎌が通り過ぎた辺りを確認して胸を撫で下ろしていた。

 悪い。心配かけたな。


「ありがとな。ほんとに助かった。それよりゴメン、朱里ちゃんなら勾玉取れただろうに」

「何言ってんのよ! そんなのより君の方が大切に決まってるでしょ!」

「……おかしいな。いつも勾玉の為に殺されかけてる気がするんだが」


 半分本気、半分照れ隠し。

 俺はふらつく体を画材が突っ込まれている棚に掴まりながら引き起こして、ふくれた顔になった朱里ちゃんに笑いかけた。


 ……そんな朱里ちゃんの制服は、ぼろぼろだった。

 必死に戦ってたんだな。足を引っ張ってごめ……んんんん?


 セーラーの肩口から胸のあたりまで、制服が破けたせいでちらりと覗いた白い物。そしてその先に見える赤いリボン。

 それって……、まさかっ!


🐦こんっ とぷとぷとぷ


「はっ、初めまして! わたくしごぼごぼごぼごぼ」


「「「「「うわ…………」」」」」


 昨日も食らった感覚。いや、もっと濃厚。

 そして教室に蔓延するざわつき。


 のったりと前髪から落ちる滝の内側から見える、足元に溜まっていく青ペンキ。

 勘弁してくれよ。


「……今更青くなられても」


 うまい事言ってる場合じゃねえ。とは言えこんなのどうにもできん。

 絶望し始めた俺の耳に、廊下から聞き慣れた花蓮の声が響いた。


「また出たわね!? 古都の妖魔『ぬるぺたありんす』!」


 そうか、こんな俺にも一つだけやれることがあったんだ。

 俺はご期待に応えるため、両腕を伸ばして口を縦に広げながら教室のみんなの方を向いてみた。


 ……びっくりするほど、物を投げられた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 第二美術室から点々と続く青い足跡は、西校舎を出た先に立つ、クラブハウス棟の中央にあるシャワー室へと続いていた。

 ……その犯人は、きっと明日も罰当番だろう。


「それにしても天才だぜ、俺に新しいあだ名付けた奴」

「そうかな? どういう意味なの、サバンナDHAセブンって」

「青魚を食べ過ぎた奴って意味じゃね?」

「ミカンじゃないんだから青くなんかならないわよ。それよりペンキ落ちた?」

「おお、花蓮は絶対綺麗にならねえとか言ってたけど、平気みてえだな」


 朱里ちゃんに着替えを取りに行ってもらってる間、俺は髪と体に付いたペンキを熱いシャワーでなんとか落としきっていた。

 男子更衣室を兼ねた古いシャワールームには手形とか足形とか各所に残っちまってるけど、建て直しが早く行われることに貢献したってことで、一つ勘弁してくれ。


 しかし毎日必ず、ドア越しに朱里ちゃんとお話しする機会があるな。

 その都度裸を見られてるけど、今日はそんな失態を晒さないようにしよう。

 

沙甜さてんさん、これ以上制服をダメにしたらおなかに「せい」、背中に「ふく」って書いて裸で学校に行けって怒ってたよ。で、夜まで新しいのが届かないからこれ着ておけって。三つ渡されたけど、どれがいい?」

「どれでもいい。早くよこせ」

「じゃあ、このセーラー服で」

「朱里ちゃん、ペン持ってる?」


 どうやって背中に「ふく」って書こう。


「似合うと思うのに、気に入らなかった? では二番目の袋、オープン! えっと、これは……、燕尾服?」

「すげえな。似合うかな」

「の、バニーガール」

「似合ったら大変だよバカやろう!」


 きっと世界中で誰も抱いたことない。「セーラー服の方がまし」なんて感情。


「バカとは何よ! わざわざ寮まで戻って取って来てあげたのに!」

「確かに悪かった。もう期待してないけど、最後のは?」

「あとは制服しかない」

「やっぱりバカじゃねえか! 最初からそれよこせコラ!」


 俺が乱暴にドアを開くと、隙間から、やたらふかふかした服を渡された。

 広げてみると、マジックで「せいふく」と書かれたパンダの着ぐるみパジャマ。

 ……そうな。他の二つよかましかも。

 突っ込む気力も根こそぎ失せた。もうこれ着て過ごすよ。


「あと、替えの下着も持ってきてあげたわよ。女の子にこんなもの持たせて……」

「おお。それについては心から詫びよう」


 俺は心からの感謝と共に、見覚えのあるピンクのショッパーを受け取った。

 ……そんなにデビューさせたいのか貴様。


「こんなにペッタンコでも、形が崩れないように気を遣わなきゃいけないんだな。そういうこと教えてくれる奴、周りにいなかった」


 俺は一つの決意を胸にドアノブへ手をかけると、勢いよく隙間にローファーが差し込まれた。


「何? まさか、付け方をちゃんと教えてくれるとか? 嬉しいけど恥ずかしい!」

「相変わらずなに言ってっか分かんねえ奴だなぁ姫ぇ! 退院したのに連絡も無しとかどういう了見だぁ!」

「ちょ……、ダメですって! 中で男子が着替えてるんです!」

「うっせぇなぁ。見慣れてっから平気だっての!」


 げ、最悪。

 扉の隙間に覗く、うっすら日に焼けてやたらと長い見覚えのある素足。

 そりゃいつか会うだろうとは思ってたけど、こんなとこに来るんじゃねえ。


 ドアの隙間に手がかけられて強引に開かれると、朱里ちゃんを押し退けながら、やたら背の高いスタイル抜群の女が突入してきた。


「ひっさしぶりぃ! ウチの姫ぇ!」

「どわっ!」


 上下を両手で隠して床にしゃがみ込む俺に、いきなり抱き着くバカ女。

 バラとチェリーを混ぜたような、ちょっとセクシーな香り。

 それは四年以上も俺にまとわりついてきた悪友のアイデンティティー。


 紫がかった黒髪をとことん伸ばしたモデル体型美女、紫丞しじょう沙那しゃな

 性格、厄介。関係性、厄介。未来予想、厄介。

 だが最悪に厄介なのは、こいつが神に与えられた罰。

 自分にはまったく害がないという、実にこいつらしいその罰は……。


「いだだだだだだだだっ! 離れどどどどどどどどっ!」


 触った異性を感電させるという、究極に厄介な代物なのだ。


「姫ぇ! 王子様に会えたってのに嬉しそうじゃねえとはどういう了見だぁ? 鎌出すぞコラァ!」


 沙那が俺を突き飛ばすように離れると、ようやく呼吸を取り戻した。

 なんか日に日に、死のパターンが増えてる気がする。


「……昨日、てめえと会った時の作文が出てきたから悪い予感してたんだよ……」

「はぁ? 作文にするほど感動したのかよ! だったら金か体で払えって!」

「金なら十分払ったわ! この馬泥棒のバカ王子!」


 ……何のことは無い。

 こいつが悪ふざけで盗んだ馬。

 その罪を、偶然あぜ道で見つけた俺になすり付けたんだ。


 あの後、こいつが馬のケツを蹴り上げたもんだから白馬が暴走。

 無我夢中でたてがみにしがみついてたものの、どこかで振り落とされたんだろう。

 次に目を開けたら病院だった。


 俺は骨折。馬も骨折。俺の治療費と馬の慰謝料は姉ちゃんが払った。

 だが、どれだけ王子のせいだと説明しても許してもらえなかった俺は、罰としておもちゃもマンガもゲームもすべて取り上げられた。

 そんなからっぽの部屋には、縦笛だけが寂しく転がっていたんだ。


「笛一本の方が安くついたわ! この極悪人!」

「やつらから取り返すの大変だったんだぞ? 感謝しろよ~」

「いだだだだだだだだだっ! くっ付くなバカ王子! 離れろっ!」


 ……思えばあれが皮切りだ。

 中学校で再会してからも、こいつは何度も俺をトカゲの尻尾として使いやがった。

 嫌がってるのに付きまとって来て、悪さをしては俺のせいにした。


 もっとも、俺が罰を発生して嫌われるようになってからも絡んでくれたことには感謝してる。

 おかげで日常会話には困らなかったし、人気者だった沙那を通してみんなとコミュニケーションも取れた。


 その意味での恩人との再会は嬉しい。

 だがそれを上回って余りある恨みと鬱陶しさ。

 そして何より……、ってホント待て貴様! 俺オールヌード!


「でででででめめめめめっ! いいかげげげげげげ!」

「おお、わりいわりい。ほんと久しぶりぃ! こっちの雫流も久しぶりぃ! 相変わらずちっせえな!」


 感電してるせいで見放題か! 責任とってお嫁に来いよてめえ!


「雫流、この人誰……! っきゃーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


 ……朱里ちゃん、きゃーって言いながら塞ぐの、耳じゃないと思うよ?

 おかげでお嫁さん二人目ゲットだ。


 沙那がようやく立ち上がって、朱里ちゃんにニヤリと笑いかける。

 悪だくみがこびり付いたような顔は相変わらずだ。

 その隙にとパンダで下半身を隠していたら、意外な言葉が飛んで来た。


「ウチは紫丞沙那。今日からおんなじチームだからよろしくな!」

「あ……、あたしは紅威くれない朱里あかりです。よろしくお願いします……」

「……なんで貴様が同じチームなんだよ。考え直さねえ?」

「照れてんじゃねえぞコラぁ! てめえの王子様なんだから、当然だろ?」

「え? まさか、昨日の王子様って……。紫丞さんのこと?」

「そう、これが俺の王子。……って、何やってんの、天然勇者様は」


 朱里ちゃん。沙那のでかい胸を後ろから揉まないように。絶景だから。

 まあ、こいつに関しちゃまったくドキドキしないけどね。


「……憎らしいんだけど。じゃなかった、女の子だよ? なんで王子?」

「ウチは可愛い女の子ならウェルカムだぜぇ? もっと揉む?」

「そっちの王子だったの!?」

「違う。白馬に乗ってたから王子と名付けたのは小五の頃の俺だ」


 そうなんだと納得して離れる朱里ちゃんの携帯が鳴る。

 沙那はそれを見て自分の携帯をいじると、悪だくみ顔を寄せてきた。


「そろそろBランクのアエスティマティオが始まるぜ。ほれ、とっとと着替えろ!」

「雫流! あたしと花蓮は沙甜さてんさんに呼び出されちゃったから二人で頑張ってね!」

「まじか。って言っても……」


 さっきの恐怖がよみがえる。

 鎌が乱舞する戦場になんか入りたくねえよ。


「ったく、グズグズしてんじゃねえぞ姫ぇ!」

「うるせえ、てめえは先に行ってろ! パンツが乾いたらすぐに追うから!」

「はぁ!?」


 しまった。この言い訳はさすがにねえよな。

 シャワーの扉にひっかかったパンツは、まだびっしょり。

 ペンキでべとべとになった制服は諦めたが、シャツとパンツだけは洗って干しておいたんだが……。


「明日んなるわ!」

「おっしゃるとーり」

「雫流、さっきの袋に、パンツ入ってるよ?」

「せめて中身を見るまで絶望は後回しにしておきたかったっ!」

「なんだ、あるんだったらとっとと着替えやがれ!」


 そう言い残した沙那は、どたどたと慌ただしく更衣室を後にした。


 さて、やむなしだ。俺も着替えて更衣室を出よう。

 その後、戦場に向かうか教室に向かうかは風任せだが。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 …………かま出しとる。


 体のすべてを青い光で覆われた女の子が、首のラインを横切る鎌をしゃがんで避けながら、手にした鎌で細身の男子を薙ぎつける。

 それを、体の大きな男子が鎌を地面に突き立てて止めた。

 今の連携、同じチームなのか。二対一では女子の方が圧倒的に不利。

 女の子が鎌を戻す間に、細身の方の男子が上段に鎌を振り上げた。

 だが彼は、近くで暴れていた男子に体をぶつけられて鎌を取り落とすと、背後から別の女子に薙ぎ払われて五メートルほど転がったところで仰向けに倒れこんだ。


 ……そんな光景が、至る所で繰り広げられている。


 ざっと見て、悪魔百人。

 南東球技用校庭で砂埃を巻き上げながら、黒光りするデス・サイズを振り回してガチバトルの真っ最中だ。


 この戦闘を、無表情、鉄面皮の教師三十人ほどが囲んで両手を突き出し、事故の無いように見守っている。

 対象を青い光で守る防御特化の祝福ブレスのおかげで、鎌で怪我をする生徒はいないのだろうが、それ以外のことでは怪我をするだろう。


 今も、鎌の刃の部分で切られたように見えた生徒が吹っ飛んだが、刃による切断は体を覆う青い光によって免れたものの、鈍器による打撃そのものはそれなりにしか軽減されなかったようだ。

 自分の鎌を取り落として、腕を押さえて苦しそうにうめいていた。


 この中央通路と、そして東校舎の窓からは人間の生徒達が声援を送っている。

 まあ、見ていて盛り上がる気持ちは分からないでもない。


 ……そんな声援が、ひときわ大きくなった。

 戦場の真ん中で、誰かが地面に落ちていた勾玉を手にしたようだ。


 だが次の瞬間、百の戦士は一つの山に変化した。

 そして崩れたスクラムのように、山から生徒が少しずつ離れていくと、最下層から呻き声と共に倒れる生徒が十人ほど現れた。

 もちろん、さっき勾玉を手に入れた生徒も大の字になって倒れていた。



 ………………よし、覚悟は決まった。



 俺は周りに並び始めたギャラリーの皆さんをかき分けて、力強い一歩を踏み出し、そして二歩目を校舎へ向けた。


 バックレよう。


 後は、わざと服を汚して証拠さえ残さなければ朱里ちゃんたちを誤魔化せる。

 いやあ、頑張ったんだけどねえ、ダメだったわ。……これでいこう。


 だから、バトルの方が面白いよ、みんな。

 珍しいからって、逃げるパンダに携帯向けんな。証拠になるだろが。


 俺がシャッター音に対して肉球を晒して拒否していると、一旦落ち着いていたギャラリーの声が再び盛り上がった。

 いや、盛り上がるなんてもんじゃない。

 今日一番の熱狂が辺りを覆い尽くして山にこだまする。


 俺もつい戦場に目を送ってしまい、そして後悔した。

 戦場の中央、おそらく勾玉の落ちていたその場所に現れたのは、


「……あのバカ。どうなっても知らんからな」


 男子に囲まれても頭が見えるほどの長身。

 その背には、身長の二倍以上もある巨大なデス・サイズ。


 紛れもなく、沙那の姿だった。


「た……、たおせーーーっ! 紫丞をたおせーーーっ!」


 さすがに有名人。今までも何かにつけて暴れまわっていたんだろう。

 あんなシチュエーションで名前を叫ばれるなんて、俺の次くらいにかっこいい。


 叫び声に合わせて、まるで万力のように沙那の体が両側から潰された。

 でも、さっきのように人が山を成すことは無かった。

 代わりに、その中央から生徒達が次々と、まるで玉入れの籠からお手玉をほいほい出して数えているかのように飛ばされていく。


 戦場の音量に合わせるかのように、ギャラリーも最大のボルテージに達した。

 まるで見えやしないけど、中学時代に何度も見ているから想像は容易につく。

 きっと沙那のやつ、嬉々として鎌を振り続けているに違いない。


 ……沙那は強い。めちゃくちゃ強い。

 でも、乱入前の戦闘で半数くらいがリタイアしていたとしても、二年生、三年生も混ざった五十人近くを相手に突っ込んだのはやり過ぎだろう。


「まあ、そんだけ暴れりゃ満足だろ」


 聞こえるはずもない声を沙那に向けて発したその時、ヤツは鎌を地面に打ち付けて大ジャンプ。

 スカートをはためかせながら円陣を一瞬で抜け出すと、俺に向かって走り出した。


「バカ! 紐パンで暴れてんじゃねえ!」


 間違えた。こっちに来るんじゃねえ!


 いつものニヤニヤ顔が、興奮でさらに歪んでいる。

 また何か企んでいるんだろうが、この状況で俺をトカゲの尻尾に使うことなんかできねえだろ。

 だから巻き込むんじゃねえ。


 とっとと逃げれば巻き込まれずに済むんだろうが、興奮が怒涛となって押し寄せる圧力にさらされて身動き一つとれない。

 立ち尽くしているうちに、沙那の姿が視界でどんどん大きくなる。すると、


「雫流ぅ! ヘイ、パース!」


 視界いっぱいに広がった沙那が、小さな丸いものを投げてきた。

 投げられた物は、反射的に肉球で受け取るさ。そりゃ、正常な反射だろう。


 そして全速力のまま鎌を地面に打ち据えて、俺を飛び越える。

 紫の紐パンだ、目で追うさ。それも正常な反射だろう。


 だが、そんなものを見ている場合ではなかったことを、血眼になった五十人ほどの戦士に押しつぶされてからやっと思い出した。


 これ、凄いよ。

 五十人の体重に潰されると、痛みがまるでわからない。ただ苦しいだけ。

 てか、ほんと苦しい! 助けて!


 せめてこの苦しさの源が、女の子だったなら我慢できる。

 閉じていた目を広げて確認したら、シャツのボタンが勢いで飛び散って、胸が完全にはだけた、


「うおえええ」


 男子の胸板がこれでもかと押し付けられていた。

 もちろん俺は、ここで意識を失った。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 灯りが落とされ、青の色に染められたダイニング。

 南の窓辺に立ち、銀の髪を月光に冷たく輝かせる女性に、月明りの届かぬ暗がりから声がかけられた。


「月が明るいわ。でも、都会では月がここより明るいって聞くわね」

「…………そんな事実。ない」

「人間から聞いたの。相対的なものだそうよ」

「…………都会、地上。常に明るい。相対的ならば逆」

「違うわ。夜空に星が無いから、月だけが明るく見えるらしいわよ」

「…………天使界、一年。星は明るかった」

「そうね、お疲れ様。久しぶりの地上から見る月、堪能なさい」


 胸元のブレスレットを軽く撫でる暗がりの中の女性は、溜息と共に言葉を継いだ。


「胸が痛いわ。いつも感じるけどさ、あの子達の表情、見た?」

「…………助かった。私は虚弱体質」

「誤魔化さないでよ。昼に頼んだ荷物運びの話じゃねーっての」

「…………勾玉、仕方のないこと」

「命がけで手に入れた勾玉を、当然のように差し出してくれるけど……。観察なんかいらないわ。あの子たちの涙、痛いほど伝わってくる」

「…………自分達、使いたいところ。もともと沙甜の罰。どれも辛い」

「レトリビューション・チェーン以外はあの子たちが背負ってるわけだからね。七色が解除してくれた罰をこんな形で復活させるなんて。神め……」

「…………あれ以降、沙甜は罰、増えてない」

「ええ。毎日暗号届くからね」


 暗がりの女性は、そう言って携帯電話を振ってみせた。


「沙那の罰は一目瞭然。花蓮の罰も言わずもがな。でも、朱里のが分からない。思い当たるふし、無いんだけど?」

「…………私が口にすると、罰の効果最大に。知っている。言えない」

「分かってるわよ。使えない奴ね……。でもあの子、罰のせいでわざわざ嫌われ者になってるのよね? ……ああ、返事しちゃだめよ、独り言」

「…………早くしないと、大変。でも、それは雫流ちゃんの方が上」

「そうね。この罰を解除して、人質にされてる七色を救い出さないと。そして、すぐにでもまた天界に乗り込む!」

「…………あの子たち、無し。勝算は」

「前とは違うからね、勝つ必要はないわ。善戦すればいいのよ。そしてその講和条件の中で、雫流のことを神に認めさせればいい」


 南の窓際で漂う空気のリズムが変調した。

 ため息という物を知らぬ女性は、しかし不確定な未来を見据えて漠然とした不安を確かにまとう。

 そして何かを思い出したように喜びの感情を吐露とろした。

 氷のような無表情は一切崩さずに。


「…………雫流ちゃん、久しぶりに会った。嬉しい」

「あんた、甘やかし過ぎだからね。ちょっとは厳しくしなさいよ」

「…………それ、無理。どうしよう、会うたびにどんどん綺麗になっていく。このままじゃお嫁さんに行っちゃう」


 暗がりからは軽い笑い声が浮かんだが、その感情が高まったわけではなく、むしろ目の前にそびえる高い壁の存在に今更気付いたことへの自嘲のようなものだった。


「結婚が原因の別れは、幸せの一つの形。ここが難しいわ……」

「…………会えなくなるのに幸せ。理解不能。家族愛も、まだまだ奥が深い」


 二人はそれぞれ押し黙り、自分の中の思考を組み立てていく。

 人間だけに与えられた感情を理解できるようになるまで、あと何百年を費やすことになるのだろうか。


 そして、思い出したように最愛の家族の話に巻き戻る。


「…………危なかった。さっき」

「神め、えげつないことしてくるわね。五十人に潰されたんでしょ? その前のアエスティマティオでも、鎌で真っ二つにされるところだったらしいわ」


 窓辺の女性は微動だにしなかったが、まるで悲痛な表情で頷いたような空気をその背にまとった。


「…………肋骨が折れて肺に刺さる直前。私が祝福ブレスを使わなかったら、間に合わなかったはず」

「ありがとうね。せいぜい一日一回使えれば御の字なんだから、しっかりチャージしておきなさいな、出涸らし天使長」

「…………定常的祝福ブレスに切り替えを」

「いえ、あんたのスペシャリティーを使ったら、さすがに神に怪しまれる。今まで通り超回復にだけ力を回して。代わりに、あの子たちに雫流のそばから離れないようにしてもらうから」

「…………それ、あの子たちに怪しまれる。防御、普通いらない」

「大丈夫よ。罰とかアエスティマティオじゃ命を落とすことは無いって、みんな信じ切ってるから。単に、痛いことから守りたいって思ってくれるはず」

「…………わからない」

「相変わらず『友情』を知らないのね。平気だから、信じなさいって」


 窓際の女性は、市街の方へと目を向ける。

 そこでは、最愛の家族が未だに眠っているはずだ。


「…………あの子が死んだら、私達の犯した大いなる罪が露呈」

「そうなれば、これを裁くのは神ではなく、三つの種族すべての民意」

「…………そして民意一致。あの子の存在、消されてしまう」

「神め……、難題を見事にクリアーしたわね」

「…………神が我々を裁く。すなわち、自らをも裁く必要が発生」

「だから安心しきっていたのにね……」


 暗がりの女性は、椅子のきしみを伴って立ち上がった。

 そして扉へと、さらなる暗がりへと足を運びながら、


「急がなきゃね。あの子が事故死に見せかけられて命を落とす前に。あるいは、あの子が『四つ目』の罰を発症させる前に。……あの子に勾玉を使わせちゃダメ。分かってるわよね」


 窓際からは、返事が無かった。

 銀色の女性は、ただ最愛の家族が眠る方角を見つめていた……。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 目を開けると、そこはおっぱいが顔の上に乗っている世界なの?


 ……疑問形にもなるさ。にわかには信じがたい。

 でも間違いなく、未だかつて体験したことの無いほどに、俺は今、おっぱい。


 おでこには東半球。口を塞ぐ西半球。右目には綺麗な鎖骨のライン。左目は真っ赤なリボンに黒レース。

 そして鼻腔びくうを通すと脳が一瞬で幻惑に犯されるこの香り……。

 ココナツミルクの甘さにオレンジピールの酸味とほろ苦さ。

 ああ、なんだ。この香り、知ってる。


「あーびっくりした。病院じゃねえか。天国かと思ったぜ」


 俺が西半球に塞がれたくぐもった声で話すと、顔見知りの看護婦さんがのんびりと顔を覗き込みながら起き上がった。

 ナースコールのボタンを操作してたんだな。


「お? 起きやがったなこれ! 山田の下半身もぐっもーにんか? そのままぐんぐん立たせて掛け布団干しとけ! おーいせんせ! 山田、起きたけどどうすんだ? ケツにぶっとい注射器ぶっこんでいい? って美優の下半身に注射器くっついてねー! BLチャンスだーいしっぱーい!」


 もう着てるんだか裸なんだか分からない、ピンクのナース服が廊下に飛び出ると、入れ替わりに美人の女医さんが入って来た。

 おお、ポイント溜まったんだ。


 そしていつも通り、自分で脈を測って心音を聞いて、問題なさそうと診断したら出て行ってしまった。

 せめてどこか怪我でもしてたら包帯巻いてる間くらい椅子に座っててくれたんだけど、胸の辺りがちょっと痛いくらいしか異常を感じられない。無念。


「診察、どうだった? 平気?」

「おお、朱里ちゃん。付き添ってくれたんだ」


 さらに入れ替わりで駆け込んできたのは朱里ちゃんだった。

 外は真っ暗。結構な時間廊下にいてくれたんだろう。

 ほっとした表情に疲れも見てとれる。

 ……ありがと。


「結構な大怪我だったらしいけど、何日か入院になるの?」

「……さあ。これくらいだったら明日の朝には帰るつもりだけど」

「さあって何よ。それに、君が決めるものじゃないと思う」

「いや、俺が決めてるんだ。セルフサービスだから」

「……すぐに病院を変えましょ。ここと君の頭、どっちもおかしい」

「ああ、だいじょぶ。……おかしいのは、たぶん俺の身体だから」


 胸、切開して縫合した跡がある。肋骨が折れたのかな?

 これぐらいの痛さだったら、明日の朝にはくっついてるな。

 成長期だからだろうか、お医者さんが言うより早く治っちゃうんだよね、俺。


「そういえば、勾玉どうなったの? 他のやつに取られちゃったよな」

「雫流が握ってたやつ? あれ、ただのビー玉。紫丞さんだっけ、あの子が本物持ったままなのに皆が騙されちゃったの。おかげで五分逃げ切ってた」


 ってことは、またしても俺はあのクサレ王子に利用されたってわけかっ!

 アエスティマティオで負う怪我は天使が絶対ガードしてくれるからって、さっきのはやり過ぎだ。かなり苦しかった。

 ちきしょう、覚えてやがれ!


 俺の怒りが伝染したのか、朱里ちゃんも鼻息荒くベッドの端をぽむぽむ叩いて、むくれた顔を向けてきた。


「あたし、あの人嫌い!」

「そうなんだ。でも、そう言わないでくれると助かる。あいつはああ見えて、いいところが一つもないのにイケメン女だからめちゃめちゃ女子にモテてムカつく」

「……ん? えっと……、え? 何が言いたいの?」

「だから、あいつのこと嫌いっていうと、朱里ちゃんが女子から嫌われる。あいつを嫌いって言わないでくれると、そんなことにならないで済むから俺が助かる」


 朱里ちゃん、きょとんとしちゃった。

 俺バカだから、今のややこしい説明、ちゃんと合ってなかったかも。


「だからだな、えっと……」

「……それなら、望むところよ」

「え? おいおい、ダメだって。学校で嫌われちゃったら、人生真っ暗闇だろうが」


 そういえば、俺が嫌われ者になった時に姉ちゃんが言ってたな。

 そんな小さいこと気にすんなって。


 でもな、それは姉ちゃんが学生じゃねえから言えるんだ。

 俺たちにとっては、学校が全部。


 しかも、そんな世界のバランスは危ういほどに繊細。

 ……こんな優しい奴だって、ちょっとしたきっかけで嫌われる世界なんだ。

 そんなの見過ごせるわけねえ。


「いいのよ、そんなの。しかもそれを嫌われ者キングの雫流に言われてもねえ」

「まあ、そうなんだけど……」


 なんか、うまくごまかされちまったか?


 朱里ちゃんは俯いて、手指を組んだり離したりもてあそんでいたかと思うと、おもむろに顔を上げて俺の目を見つめてきた。

 潤んだ瞳にほのかに宿る決意。

 俺は、思わず居住まいを正した。


「な、何?」

「……雫流は、紫丞さんと付き合ってるの?」


 なんだ、そんな話か。


「冗談じゃねえ。確かに中三の初めの頃ちょっと意識してた時期もあったけど、あの電気ウナギ、めちゃくちゃだからな。無理」

「そうなんだ……、えへへ」


🐦がんっ


 なんだろ、今のえへへって。ひょっとして、そうなんだー。だったらあたしが先に取っちゃおうかな? 🐦ゴゴゴゴゴ、チュドーーーン って意味なのかな?

 …………いかん。都市が一つ消滅する。


 俺が恐怖し始めると同時に、朱里ちゃんはご機嫌な笑顔を浮かべながら丸椅子を寄せてきた。

 怖い怖い。


「じゃあ雫流は、好きな子いないの?」


🐦がんっ


 アーモンド形の目がくりくり揺れる。

 やばいやばいやばい。落ち着け、俺。

 まずは素数をゼロから数えながら……。


「お……、おう。いや、の、ノーコメント」

「ふーん。そうなんだ。えへへ」


🐦がんっ


「朱里様。そろそろ勘弁していただけないでしょうか」

「そう言えばさ、あたしの事、美人って言ってくれるよね。あれ、本気?」


🐦がんっ


「も……、もはや死なばもろともだこの野郎! 朱里ちゃん!」

「は、はい!」

「朱里ちゃんは、俺の事…………、すっ、好きなのか?」


🐦🐦🐦🐦🐦🐦がんっごんっがんっごんっガツン!


「いってえ!!! 最後のスパナっ! ちきしょう、負けるもんか!」


🐦🐦🐦🐦🐦🐦ガツンぽよ~んこんっゴンかんっ


「俺は…………、おぉ…………、あか……ちゃ……」


 くらくらする。

 一個、明らかにヤバいものが混ざってた。

 最後のお玉の一個前、何が落ちて来たんだ?


「だ……、大丈夫?」

「それより、返事!」

「は、はいっ! えっと……、あたし……」

「しっずるー! 遊びに来たぜー!」

「だーーーーーーっし! こんのバカ王子っ! 今までの苦労ーーーっ!」


 沙那が尻までかかる黒髪を揺らしながら、ノックも無しに飛び込んできた。

 こいつ、やっぱり疫病神っ! なけなしの勇気が水の泡っ!

 俺は怒りに任せてベッドを思いっきり叩くと、手首がグキッと滅多に聞こえない音を鳴らした。


「ぎゃーーーーー! 7ポンドはピンク色ーーーーーっ!」

「相変わらず姫はバカだなあ。ボーリング玉なんか思いっきり叩いて楽しいか?」


 そんなことを言いながら面白がってベッドに上がり込んだ沙那が、7ポンドを持ち上げて腹の上に掲げだした。

 バカ野郎。腹筋の前に内臓が割れるわ!

 俺は反射的に、ナースコールへ手を伸ばした。

 毒を持って毒を制す。こいつを撃退できるのは、美優ちゃんしかいない!


 だが指先が触れる直前に、逆の腕を引っ張られて体ごと引きずられる。


「危ないよ! やめてあげて!」

「おいおい、紅威って言ったっけ? ウチの姫、取る気か? 骨があるやつぁ好きだけどよぅ」

「あたしは紫丞さん嫌い!」


 ちょっとまて。修羅場みたいになっちまった。

 でもこれ、素直に鼻の下なんか伸ばせない。

 どう考えてもおもちゃを取り上げられたバカと自慢の自然ボケで楽々俺を助けてくれるボタンから遠ざけるバカの一騎打ち。


「わははは! じゃあ勝負だぁ! ウチが勝ったら、こいつの下半身をもらう!」

「じゃああたしが勝ったら上半身ね!」

「頼むから引き分けダブル優勝になるなよお前ら!」

「こら。夜中の病院でバカ騒ぎしないの」


 おお、救世主。

 こいつまでノック無しなのは気になるところだが、花蓮が病室に入って来た。


「モテまくりじゃない、変態。鼻血なんか垂らして」


 言われてみれば、顎から血が垂れてる。

 さっきさんざん頭に物を叩き落とされたショックか?

 俺はぺたぺたと顔を触ってみると、眉間を通って頭から血が垂れていた。

 うん。鼻から下は鼻血だね。ってどあほう。


「やだ雫流! 大変! 早く救急車呼ばないと!」

「落ち着けナチュラル。余計遠回りだ。……これくらいなら平気だろ。花蓮、そこから滅菌ガーゼ取ってくれ。あと、消毒液と包帯も」

「ちょっと変態。自分でやる気なの?」

「そう。ここじゃセルフサービスなんだ」


 俺の説明に鼻を鳴らしながらも、花蓮は滅菌ガーゼに消毒液、包帯を左手に、ピンセットを右手に握りながらベッドまでやらかして、頭部へがりっと右手の物を突き立てた。


「ぎゃーーーーーー!」

「すまん。まことに遺憾の意をてへぺろ」


 そして悪気も無いような顔で消毒液の蓋を外して、それを頭からてへぺろ。


「しゅわわわわーーーーーー!」

「ぎゃはははは! 相変わらずいいセンスしてんな、花蓮! ようし、ウチが包帯巻いてやる」


「ぐばばばばばばばばばばば!」


 こ、殺されるっ!


 俺はナースコールのボタンへ手を伸ばすと、やはり逆の側に引っ張られて、その腕を胸に抱かれた。


「ちょっと! あたしのパートナーなんだからあたしがやるわよ!」


 ぎゅー。


「つつましやかっ!」


🐦がんっ


「あ」

「あ」

「あ」


 …………金ダライ、オンザピンセット。


 気を失ったのか、死んじまったのか。俺は聴覚以外の感覚がなくなった。


 これ、よくあるハーレムエンドに見えなくはないが、ただのバカみたいなドジと、俺を嫌がらせて喜んでるバカ王子と、自然な動きでナースコールから引きはがしたナチュラルバカによる夢のコラボ。


 俺に気がある奴がいるとすれば、やきもちっぽく腕を引いてくれた朱里ちゃん。

 まあ、その事実がうれしい。俺は腕に感じる小さな幸せを感じながら眠りに……。


「ちょっと朱里。あんた、この変態のこと好きなの?」

「そうだよさっきから。バカ姫だぞ、これ?」


 眠りになんか、つけるわけがない。

 さっきの答え……、聞くまでは。


「ううん? 大っ嫌いだよ?」


🐦🐦🐦ががーーーーーん!


 ……ハト、秀逸。


 俺は頭の上に落とされたアンプ付きキーボードから奏でられた、見事に俺の心情を表現した芸術を耳にしながら、安らかに目を閉じた。



 つづく。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「…………沙甜。やはり私には、友情なるものが理解できない」



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