上に赤、下に紫、左に黄金、右にロイ、ヤル 女王様 ~中央に入る文字は?~

 誰にだって、朝は必ずやって来るという励ましの言葉がある。

 俺は思うんだ、適当なこと言うんじゃねえって。


 嫌な境遇、落ち込んでいる気持ち、不幸な出来事。

 そういう「夜」も時間と共に消えて、「朝」が来るから頑張ろう。

 お前らの言いたいことは、そういうことなんだろ?


 でもその理屈なら夜も必ずやって来るじゃねえか。

 頑張ろうが怠惰に過ごそうが必ず夜はやって来る。

 そう、家に着いたらきっとまたやって来るんだ。

 ……昨日体験した、あの恐怖の時間が。


 電気、ドジ、タライ、電気、ドジ、タライ、電気、ドジ、タライ、落下。


 ……ふむ、なるほど。そんな俺にも、こうして奇跡的に朝がやって来たのか。

 考えを改めよう。なんだよ、いい言葉じゃねえか。



 五月と言えど、田舎いなか町の朝はそれなり寒い。

 さらされた肌はひんやりとするものだ。

 そんな中、ぺらぺらの病院服一枚しか羽織ってないのに体はぽっかぽか。

 なーんでだ?


 その答えを眺めているうちに、再び絶望感が俺の心を支配した。


 体中にぐるぐる巻かれた白い防寒着。足にも白い大きな冬用ブーツ。

 唯一の肌色は右目の周りだけ。逆肌色回、あるいは白色回だ。


 赤髪がポニテ可愛い美人さん、朱里あかりちゃん。

 金パツインテの天才美少女、花蓮かれん

 グラビアモデル系幼馴染美女、沙那しゃな


 ああ、愛しい愛しい三人よ。

 君らが病室に揃ってからたったの三十分で全身に怪我、火傷、命の危機を感じて三階の窓から逃げ出したことにより落下、骨折。


 お願いだから俺に構わないでくれ。

 俺はお前らにとって、遠くから楽しむ観賞用。

 おさわり厳禁。絶対にだ。



 早朝のため、開くことの無い病院正面の巨大な自動ドア。

 その横に設置されたグレーの重厚な鉄扉を開いて松葉杖を踏み出すと、パンの甘い香りがふわりと漂ってきた。

 扉の陰で、ヤンキー座りした美優ちゃんがコロネを尻尾からかじっていたせいだ。

 何やってんだあんた。パンツ丸見えだよ。


 癖っ毛ショートの金髪に、俺を見上げて嬉しそうな色を浮かべる人懐っこい猫目。

 唇は薄めなのに妖艶で、チョコを舐め取る仕草に危うくタライにされかける。


「おいーす、山田! もう帰んのか? そんじゃ一緒に帰るとすっかよ同伴ってやつだなこれ! 美優みゆ、山田にお持ち帰られか? たはーっ! おんぶしろ!」

「美優ちゃん、まさかそのかっこで帰る気なの? ほとんど下着じゃん」

「ちげーよ山田、よく見ろナース服だろこれっ! こういうのはイメクラって言うんだ免許の試験に出るから覚えとけっ! 美優に乗る時用の免許とかエロいこと言ってんじゃねえぞ? 美優に乗って飛ぶ気か山田っ! うけるっ!」

「いやいや、ナース服だってダメだろがよ。着替えてきなって」

「へーきへーき! 乗り物ん中なら文句ねーだろ! 無免で山田にまたがるからな! よっこらしょうこちゃん! 誰だよ祥子ってたはーっ山田のコレか? 会わせろ! 横取りだ―!」

「コレってドレだよ、中指立てんな。それにおんぶは無理だよ美優ちゃん。松葉杖と俺の心が折れちまう。こう見えても、どっちも限界ギリギリぐあああっ!」


 重いんじゃ! でも、美優ちゃんだって女の子。そんなこと口が裂けても言えん。

 俺がナース服のまま帰る気まんまんの美優ちゃんを背負って一歩も動けずに悩んでいたら、タオルを首にかけたジャージ姿の女子が遠くから声をかけてきた。


「おはよー雫流しずる! 約束通り荷物持ちに来……、その状況、何?」

「おはよう朱里ちゃん。これが荷物だ、持ってくれ」

「……なんであたしがお持ち帰りの手伝いしなきゃいけないの?」

「お? お前、あれだろ? 沙甜さてんのとこのあれだ! やっはー! 女の方がいい匂いすっからお引越しだ! おんぶしろ、おんぶ!」


 助かった。

 朱里ちゃんが目を白黒させているうちに褐色の拡声器は俺から飛び降りて、赤いポニーテールの背中に収まった。


「ど、どちらまで?」

「たはーっ! おもしれーなお前! どちら様ってのが正解だ覚えとけ! 美優か? 聞いちゃうのか? 美優は木闇こぐれ美優! 王様なんだなこれが!」

「ああ、ベルゼビュートの! 初めまして、あたしは紅威くれない朱里です」

「知ってるって! 祥子だこれ! ってことはあれか? 山田のコレか?」

「俺の狐ってなんだよ意味分からん。ほれ、行くぞ」


 俺が松葉杖をかざして出口の方を指しても、呆気にとられたままの朱里ちゃんは動こうとしない。

 しょうがないから俺が前を行くよ、祥子ちゃん。

 早朝ならでは、俺はガラガラの駐車場をはすに、慣れた松葉杖で歩き出した。


「王様に見えねえだろ、この人」

「え? ううん? カリスマ感じるよ?」


 無理すんな。顔、ひきつってるじゃねえか。


「……褒められてっぞ、美優ちゃん」

「たっはー! そんなら今夜は祥子とベッドインだなこれ! まあ、とっとけ。いいから!」

「え? なんです??」


 ようやく横に並んだ朱里ちゃんは、美優ちゃんから白い箱を押し付けられてあたふたし始めた。

 まるでおばちゃんと子供だ。

 その子供が苦笑いのままふたを開けると、秒で閉じた。


「黒っ!? い、いえ、あたしこんなの穿けな……」

「なに渡されたの?」

「きゃーーーーーーーーー!」


 いった! ビンタされたよ。意味わからん。


「退院祝いだこれ! ほれ! 山田の分!」

「だ、ダメです木闇さん! あ、ちょっと……」


 美優ちゃんがもう一個同じような箱を放り投げて来た。

 松葉杖マンに無茶すんな。

 俺は地面に落ちた箱を難儀しながら拾うと、中から出てきたのは紫のスケスケパンツだった。

 何してくれてんだよ。


「あたしもこんなの穿けるわけねえだろどあほう」

「そう言わずにとっとけ! 夜勤だった昨日の晩にお前んちで拾ったんだなこれ!」

「えっとさ、今の、突っ込むところ何か所あると思う?」


 勤務中。ぜったい不法侵入。盗んだ。なぜそれを俺に渡す。


「し、雫流! あたし、ついていけない!」

「気にすんなよ祥子! 美優も美優が何言ってるかさっぱりなんだこれ! 胸揉んでいい?」

「た、たすけて……」


 そうな、初見しょけんで美優ちゃんは操作方法が分からんよな。

 病院を出て休日の早朝という無音の住宅街を歩きながら、俺は朱里ちゃんを優しくさとしてあげた。


「朱里ちゃん、そんな困った顔すんなよ。美優ちゃんはちょっと頭のおかしい子って誤解されがちだけど、ほんとはとっても狂った変人だ。だから無視していい」

「そうそう! 美優は美優美優うっせーから今度美優を美優って美優ったら美優されちまうんだこれ! 美優、ついに動詞っ! かっけー!」

「こないだまで形容詞だったもんな。まじ出世」

「山田だって出世しろっての! 下半身からな! いよっ! お大臣!」

「下半身に向けて声をかけるな。大臣、さらに出世しちまうよ」


 朱里ちゃん、口をぽかんと開けたまんまだ。


「す、すごいね。普通に会話できるのね、雫流」

「今の会話を普通と感じるのはどうかと思うけどね。生まれたころから毎週日曜の朝に王様の会合があってさ、俺は美優ちゃん担当だったから慣れた」

「ちょうおしめ替えてやったんだぞこれ! 山田、ちっさ!」

「頭が上がらん。美優ちゃんがばあちゃんになった時は俺がおむつ替えてやっから」

「おっぱいも吸われたぞ? このテクニシャンめ!」

「美優ちゃんがばあちゃんになった時は俺のおっぱい吸わせてやっから」

「たっはーっ! 今吸わせろっ! 転がさせろっ! でもエロいことすっと沙甜にまた怒られるから我慢だなこれっ! あいつ去年、山田と風呂に入ろうとした罰に前髪全部切りやんの! 美優、成人式の写真が落ち武者っ! うけるっ!」


 住宅が点々とし始めて畑や田んぼが広がると、歩道に朝露を湛えてこうべを垂らす下草が目立つようになってきた。

 そんな風景に欠片かけらもそぐわない会話の応酬。朱里ちゃんが何度も混ざろうとして口を開きかけてたけど全部空振り。

 まあ、そうなるわな。ここは譲ってやろう。


「ほれ。美優ちゃんとお話ししろよ」

「うん。……元気ですね、徹夜明けですよね?」

「社会人になったらこんなの当たり前だの利益としますいよっ! 歌舞伎者っ! 美優の下半身も歌舞伎っぱなしか? たはーっ、まいったねこりゃ! キセルっ!」

「逆に寝てないからテンション高いんですか?」

「んなことねーって! 朝は下げ下げだっての! 夜中の美優はこんなもんじゃねえぞ? 寝ちまうからなっ! 股の上で! まーたひらいて~、て~をーうって~」

「そういう歌じゃねえからな!? 怖えよほんと。あと朱里ちゃん。君はそのまんまピュアに育つこと」


 歌につられてその手を上に挙げてる天然さんに釘をさすと、キョトンと首を捻られた。

 あー癒される。


🐦ごんっ


「おおぉぉぉぉぉ」

「ぎゃはははは! おい山田! 救急箱落ちて来たぞこれ! 癒しか? 病んじまってるのか? 美優がお注射してやる! 今度会う時までに生やしとく!」

「ほんとに生やしそうだからぜってーだめ」

「ぎゃはははは、ごっほ! ごほっ! ぎゃははははは!」


 松葉杖がはじく水滴も、甲高い笑い声に掻き消されて霧消する。

 五月の町は、やかましい三人組が通り過ぎる頃、次第に目を覚ましていった。


 ……まじすいません。寝てらんねーですよね。

 クレームはこの無免許ライダーに回してください。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「じゃあ、明日行くからよ! 足首洗って待っとけ山田!」

「また噛まれるのか。アレ、なんの儀式なの?」


 シャマインの前で美優ちゃんと分かれ、店の脇の小路を進む。

 その先にある緑の丘を登りきったところ、俺達が暮らすウェヌス・アキダリアが白磁の輝きにも似た気品を今日も湛えていた。


 芝生を縫うように走る石畳は、松葉杖の天敵。

 俺は慎重に歩みを進めて行く。


「……雫流、紫丞しじょうさんとか美優様とか、強引なタイプが好きなの?」


 軽くあえぎながら登る俺の少し先から、なにやら不安そうな声音が響く。


「うーん……、好きの基準が難しいけどな。たまに一緒にいるのは楽しい。ずっと一緒にいるのは拷問」

「じゃあ、静かな優しい感じの人がいいの? …………遠山さんとか!」


 ああ、遠山さん。すごく優しい子だよね。

 そう言えば彼女、同じクラスだったな。


「いい子だろ?」

「うん! すっごく優しい子! そっかー、ああいう感じが好みなのね……」

「違う違う、何を勘違いしてんだお前は。別に好みとかじゃねえ」

「じゃあどんなタイプが好きなのよ」


 眉根を寄せたアーモンド形の目が俺を見つめる。

 凛々しくて線が細くて、そのくせ表情が豊かで明るくて……


🐦がんっ


 ……言えるわけない。


 俺は臆病なんだ。

 連日俺のことが嫌いと宣言する女に言えるわけなかろう。

 でも、たまに俺に気があるそぶりを見せてくるような気がするんだよな。


「……そうだ。昨日、言いかけた返事、聞いてない」


 朱里ちゃんは俺のことをどう思ってるのか。ひとまずそれを聞いておきたい。


 コツコツトンと何度か石畳を鳴らす音を数えるうち、ようやく朱里ちゃんは俺が質問した「昨日の返事」が何か、思い出してくれたらしい。

 俺の前を歩きながら、あーとか、うーとかポニテをひねって悩んだ挙句、


「試してみたかった事があるの。でも、失礼だよねって思うから、やっぱりやめる」


 なんだろ。今のが「俺のことをどう思ってるのか」に対する返事?

 曖昧にされちった。

 ってことは、やっぱり……、嫌いなのかな。


「……朱里ちゃんは、好きな男とかいるの?」

「ううん? 今はアエスティマティオを頑張ることしか頭にないかな」

「そ、そうなんだ……」


 ほっとする。我ながら男らしくねえな。


「あとは……、お店のこととか! シャマインで働くの、すっごく楽しい!」

「ほとんど働いてねえじゃん」

「そんなことないよ? 宣伝も欠かさないし」


 自慢のメッセンジャーバッグを躍らせながらくるりと振り向く宣伝部長がいつものようにポーズをキメる。


「可愛いメイドさんがお出迎え! あなたの心にご奉仕しちゃうぞ♡ ログハウス風喫茶店、シャマインへようこそ!」

「チラシを渡すな。……あれ? このデザイン知らねえぞ?」

「うん。あたしと花蓮ちゃんで考えた新作よ! クーポンもリニューアル! 雫流も使いなよ」


 言われてみると、チラシの下に付いていたクーポンの内容が変わってる。

 なになに? ドリンクバーが50円引、サラダバーが100円引、朱里ちゃんバー100円引。


🐦がががががんっ


「凄い! 雫流、今の見てた!? 五羽のハトさんが流れるようにタライを落としていく姿、航空ショーみたいだった!」

「そうなんだ。生憎あいにくその時、下を向かなきゃいけない用事があったから見れなかったよ。それより、朱里ちゃんバーってなんだ? えっちなやつ?」

「えっち……!? そ、そんなわけないでしょ!」


 よっぽど怒ったのか、朱里ちゃんは真っ赤な顔をしながらメッセンジャーバッグから鞭を取り出した。

 そして上空を浮かぶ金ダライに鞭を巻き付けて、ハトもろともぐわんと頭に叩き落とす。

 猛烈に抗議するくるっぽー。相手が違うだろ、俺の弁慶つつくな。


「自然落下の数倍いてえ」

「雫流が変なこと言うのが悪いんだからね!」


 昨日の蓄積もあって、そろそろ防御力が限界だ。

 頭クラクラ、朱里ちゃんが十人に見える。これだけいたら鞭で叩かれ放題だな。

 ああ、まさかこれが朱里ちゃんバー?


「あたしのことを呼び放題のサービスなのよ」

「それ、何の意味があるんだ?」

「さあ?」

「……100円引きって、元の金額は?」

「100円」


 チラシは横断歩道渡れば取り放題だから、実質ただ。

 ていうか、喫茶店なんだから声をかけられたら行くわ、ウェイトレス。


「でもね、あきらか用事が無い時も声かけられて正直面倒なのよ。絶対用事ないのに呼んだなって時は……」

「無視するのか」

「ううん? 罵声を浴びせるの」


 困った、人気の秘密が分かってしまった。

 俺は人生見つめ直した方がいい。


「客層変わるな……。変態しか使わねえだろこんなの」

「割引券をちぎって渡しながら言わないでよ。変態ですって名刺渡されてる気分」

「こんなメニューを受け入れる朱里ちゃんの方が変態だ」


 むくれた朱里ちゃんがタライを鞭で掴んで叩き落してきたが、間一髪横っ飛び。

 紙一重で避けきれた。

 もう体力が限界なんだ! 無茶さすな!


 青い芝生の上、片膝立ちでポーズを決めて、まずはクレームだ。


「あぶねえだろ! ドキドキすんじゃねえか!」


🐦がんっ


 うん、避けた意味な。


 俺はいつものようにタライによってKOされて、半ばまで登り切った芝生の丘を仰向けに滑り落ちていった。


 下から見上げる朱里ちゃん、いつも見慣れた光景だ。

 でも、手を振って俺を見送る君は、今日だけちょっぴりいつもと違う。

 ……くそう、ジャージじゃ見えん。


🐦がんっ



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 実は朱里ちゃん、俺の事好きなのではなかろうか。

 そんな大それた妄想をしていたら、額の上に水滴がぱつんと落ちた。

 まるで笑われているようなタイミング。

 まあ、そうだよな。ありえねえよなあ。


 昨日の晩も二人っきりの間に何か言おうとしてたし、さっきだってそれっぽい事を言っていたようにも感じる。

 でも、きっと勘違いだ。

 誰だって、好きな相手の一挙手一投足すべてが自分への好意の現れなんじゃないかと感じるものだろう。つまり、それさ。


 またぱつんと落ちた水滴が、肯定の相づちを打つ。


「やっぱ、お前もそう思う?」


 俺は大浴場の隅っこに作られた「雫流風呂」に浸かりながら、湯気の向こうで揺れるタライに問いかけてみた。

 すると三度みたび、タライの底に溜まった水滴が俺のおでこを打って肯定の意を表した。


 体に傷があることが多い俺は、大きい方の風呂に浸かることが出来ない。

 だからこうして金ダライにお湯を張って、入浴気分だけ味わうんだ。


 お休みの日の朝風呂は最高だ。

 でも、そろそろ上がらないと姉ちゃんに噛みつかれる。

 後ろ髪を引かれる思いで湯船から出て、濡れたギプスに難儀しながら風呂場の引き戸を開けると……、そこには女の子が立っていた。

 

「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 絹を引き裂くような悲鳴が脱衣所にこだまする。

 でも、この声には聞き覚えがある。

 昔からいつも一緒、すぐそばから聞こえてきた声。……ああそうか、俺の声だ。


 俺はマンガやアニメからの勝手な刷り込み反射で、胸と下半身を隠してその場に女の子座りでへたり込んでいた。

 この前から思っていたんだが、俺の身に襲い掛かるテンプレ、いちいち男女逆。


 顔を上げると、そこには目がくぎ付けになるほどスタイルのいい黒髪ロング。

 ホットパンツにタンクトップ。

 歯ブラシを突っ込んだマグカップと洗濯籠を持ったまま、ずっと俺を凝視しているこいつは……。


「げ。沙那」

「なんだよ、雫流がはいってたのかぁ! そんなら一緒にはいりゃよかったぜ!」

「やめろバカ。いくらお前でもそんなことされたら屋敷がふっとぶ」

「そうか? ウチのパンツぐらいじゃタライ落ちなくなったじゃねえか」


 そう、こいつは俺の罰の事を知っている。

 最近はギリギリの辺りをかすめて話すのが上手くなったけど、もともとテニスボールだった罰が金ダライまでランクアップしたのは間違いなくこいつのせいだ。

 その責任からか嫌がらせかは分からないが、こいつは俺に対してやたらとパンツのガードが甘い。

 でも、免疫が付いたのはこいつのパンツについてだけだった。意味ねえよ。


「そんじゃ、次の段階に移ってやろうか?」

「なんだそりゃ。……上か? それはまずい!」


 出たよ沙那の悪だくみ顔。まずいって。

 姉ちゃんと暮らしているせいで、女子のブラジャー姿くらい見慣れてる。

 でも、まっすぐな性格をしていらっしゃる姉ちゃんとお前のモノとは違いすぎる。

 そんなの見せられた日にゃ……。


🐦がんっ


「なんてことしやがるんだ貴様!」

「まだなんにもやってねえだろ。どんな想像したんだよ、ピュアか」

「とにかく! そんなところを朱里ちゃんに見られたら勘違いされるっての。花蓮に見られたら強請ゆすられそうだし。却下!」


 なんかこいつ、ムッとしやがった。珍しい表情だな。

 どんなにひどいこと言っても、こんな表情を浮かべるようなヤツじゃない。

 そんな時は、笑いながら力で反撃するタイプだから。

 

「てめえがつまらねえ態度とった罰ゲームを執行してやる!」

「何する気だよ! やめろバカ王子!」


 やべえ、暴走し始めた。こうなると手が付けられねえ。

 でかい胸でネックレスを弾ませながら脱衣所を走ると、俺の着替えの山をひっかきまわしてパンツを二枚手に掴んで高々と掲げだした。


「頼むから勘弁しろよ! 後でいくらでもかまってやっから!」

「お宝ゲットーーーー………………………、あれ?」


 沙那はめちゃくちゃになった俺の着替えセットを見下ろしながら、床にぺたんとしゃがみ込んで急に大人しくなると、こっちに首だけ振り向いた。

 なんだよその顔。


「真っ赤? 恥ずかしいんだったら最初っからやるんじゃねえよ」


 俺の突っ込みが耳に入ってないようだ。はにかんでいるような、ひきつった赤ら顔のまま完全に停止してる。

 ……いや、しゃがみ込んだまま腰からゆっくり俺の方に振り返り始めた。


 その胸の下あたりに置いた両手には、片方に一枚ずつ掴んだ俺のパンツの他にもう一枚、紫のすけすけショーツが小さくつままれていた。


「ぐはぁっ! い、いやそれは、そのま、間違いで、俺のじゃねえからな!」


 美優ちゃんに渡されたあれ、持ったままだったのかよ俺。バカじゃねえの?

 なんとかうまいこと説明しないと大変だ。

 ゲームで言えば選んだ選択肢次第で、俺の扱いはちょっとエッチな幼馴染からド変態まで、期間も三日から一ヶ月まで変化する。

 でも、ゲームと違って無限の選択肢があるんだ、上手く説明できるさ。


 そんなことを考えていたら、今まで見たことも無いような悪い笑みを浮かべた沙那がぽつりとつぶやいた。


「……なんでウチが無くしたパンツ、雫流が持ってんだ?」

「どう返事しても生涯奴隷エンドじゃねえかっ!」


 じゃあ選択肢タイムなんかいらないよ!

 てか十五歳でそんなパンツ履いてんじゃねえ!

 俺が絶句している間に、沙那は嬉々として立ち上がると廊下に向けて走り出す。


「しょうがねえからウチのパンツはくれてやる! こいつらとトレードだ!」 

「待て! そんなの要らねえから俺のを返せ!」


 俺は這いつくばるように手を伸ばして訴えたが、その想いが届くことは無かった。

 伸ばした指の合間に出来た狭い視界を、すけすけのショーツが揺れて落ちる。

 ちょっと芸術的。


 しかしこれ、どうしよ。まさかバスタオル一枚で部屋まで戻る訳いかねえよな。

 途方に暮れていたら、開きっぱなしの扉から朱里ちゃんがひょこっと顔を出した。


「ねえ雫流。今、紫丞さんが男子ものっぽい下着を振り回して歩いてたんだけど、まさか取られちゃったの?」

「そうなんだよ!」

「……あたし、あの人嫌い!」

「わりい、俺の部屋から下に着る物持ってきてくれないか? 場所、わかる?」

「うん。昨日、鞄とかシャワールームに置いてあったものとかまとめて部屋に入れてあげたからね。ごちゃごちゃしてて汚かった。掃除しなさい」

「分かった、ちゃんと掃除する。だから頼む」

「おっけー」


 朱里ちゃんはアーモンド目をにっこりとさせると、あっという間に靴音を遥か遠くで響かせた。

 しかし、やっぱいい奴なんだよな、朱里ちゃん。

 普通は同級生のパンツなんか触りたくないだろうに。


 見た目はど真ん中、性格も好き。

 たまに発生する異次元ボケは怖いけど、それでも俺は朱里ちゃんのことを……。 いや、待て。異次元ボケ、か。

 いやいやいやいや、まさかね。


「おまたせー!」


 さすが疾風。

 あっという間に戻ってきて、扉の隙間からピンクのショッパーを差し出した。

 もう、諦めるしかないのかな。


「……タイプじゃない子でも、何度もアタックされるとOKしたくなる現象」

「何を小声でぶつくさ言ってるのよ、みんなが揃うまで朝ごはん食べれないんだから早くしなさい。……いーち」

「待て待て焦らすな! くそう、先に肩を通すのか!?」

「……ゼロ!」

「うおぉぉいバカなの!? 下がるんじゃねえよ! 絶対まだ駄目だからな!」


 まっぱにイチゴ(上)を握り締めたまま鞭で引かれる男子高校生。

 そっちの意味の英雄として爆誕するわけにはいかねえ。


 扉をこじ開けようとする馬鹿力と戦いながら、必死に着替えを済ませていく。 

 だから、これを装着しないのはしょうがない。片手じゃ無理だもん。


 俺は、デビューを断る言い訳を手に入れてほっとしていた。

 よかった、変態への一線を越えずに済んで。


 なんとか着替えを済ませた俺は、常識人でいられたことに胸を撫で下ろしつつ、連日穿き慣れたイチゴの感触に満足しながら松葉杖を突いて脱衣所を後にした。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ここは多羅たら高校の正面に建つログハウス風喫茶店『シャマイン』。

 二階のテラスをつつむ柔らかな風が、芳醇な初夏の香りを運んでくれる。

 そんなキラキラした空間を、俺の荒々しい呼吸が台無しにしていた。


「ぜ……っ、は……っ、こっ、こちらでよろしかったでしょうかお嬢様野郎」

「そうそう、こっちよ。エッグベネディクトにはきたての高級黒コショウじゃないとね」

「……しー君は、いつから花蓮の召使いになったの?」

「沙甜、違うの。召使いだなんて思ってないから勘違いしないで。これは奴隷」

「ふんがーーーーーっ!」


 俺が松葉杖を振りかざして怒りをあらわにしていたら、朱里ちゃんが清流のように落ち着いた声色でなだめてくれた。


「だめよ雫流。約束したことは責任もって果たさないと」

「ふんがーーーーーっ!!!!」


 清流、まさかのニトログリセリン。大爆発してもいいかい?

 きさまが勝手に決めた約束だろうが!


「姉ちゃん! 怒りより一つ上、この感情を何て呼ぶのか今すぐ教えろ!」

「愛じゃない?」

「うっそ!?」


 驚愕の事実。

 みんなも驚いているかと思って見渡してみたら、しきりに頷いてる。


「おお、深いねぇ! さっすがサタン様ぁ」

「なんでてめえに理解できるんだよバカ王子!」

「じゃあウチがもっと怒らせてやるよ。身をもって体験しやがれ!」


 沙那は言うが早いか、俺の皿からタマゴ乗っけマフィンを取り上げてあっという間に食べきってしまった。


「ふんがーーーーーっ!!!!」


 真っ白な丸テーブル、店内に近い側に姉ちゃんと俺と沙那。

 手すり側にもう一つくっ付けて並べて、朱里ちゃんと花蓮が腰かけている。


 そんな明るい食卓は、俺さえ我慢すればみんなが楽しいというとんでもない法律が施行されていた。


 ……結界内の学校は、土日が休みになっている。

 転生した悪魔が家族と過ごす時間を多くとることが目的らしいのだが、姉ちゃんはこれを律儀に守っている。

 つまり、土曜の午前中、我が家では寮生も含めてみんなで過ごすのだ。


 姉ちゃんの気まぐれタイミングで皿が出され、だらだらとしゃべり続けて朝食と昼食を兼ねる、そんな時間。

 俺が小さな頃は沢山の寮生がいたんだが、ここ数年、一人も寮生を入れずにいた。

 それが今年になって三人も入れるとか、どういう風の吹き回しなんだろう。


「ああもう! 姉ちゃん、なんか食いもん!」

「ちょっと我慢してなさい。みんなに話したいことがあるから」

「我慢できるかよ。俺、昨日の朝飯から何にも食ってねえんだぞ?」


 そのうえ昨日は出血多量。

 今動けてるの不思議。ハトに紐で操られてんじゃねえか?


紫丞しじょうさん、雫流の分食べちゃうとか酷いよ! なんでそんなに意地悪するの!」

「昨日からやけに突っかかってくんなあ紅威くれない! ウチとやんのか!?」

「朱里、しーちゃん。あたしのチームでケンカはご法度はっとよ。座りなさい」


 姉ちゃんの声には有無を言わせぬ強制力がある。

 ケンカ腰に立ち上がった朱里ちゃんと沙那は、ふてくされつつも大人しく従った。

 ……そんなことより、俺のからっぽの皿な。


 涙目になった俺の前に、朱里ちゃんがコトリと食べ物を差し出してくれた。

 隣の席に顔を向けると、爽やかな笑みが俺を包み込む。

 ありがとう、大好きな天然さん。

 ……俺はムキになって、角砂糖を口いっぱいに頬張った。


「なにしてんのよ、紅茶に入れる分が無くなっちゃうでしょうが」


 そう言いながら、姉ちゃんは携帯にメッセージを打ち込んでくれた。

 今日は一階の調理場におばちゃんがいたから、何か運んでくれるようにお願いしたんだろう。

 それまではこいつをつまんでいよう。


「さて、三人には話しておかなきゃいけないからね。あたしとしー君の父親、あそこにいるのよ。……ああ、しーちゃんは知ってるわよね」


 沙那がへらっと姉ちゃんに笑いかけて返事をする。

 なんだ、そんな話か。


 ぼりぼりと角砂糖をかじりながら姉ちゃんが指差した多羅高校の校舎に目を向けると、朱里ちゃんにYシャツの裾を引っ張られた。


「あそこ……? ねえ雫流、校舎の中ってこと?」

「そう。校舎の中央、時計がくっついてる辺りは四階まであるだろ。あそこに閉じ込められてるんだ」

「あの部屋すげえんだぜぇ。昔こいつと学校に潜り込んで、西側の屋上から壁に鎌を突き立てたんだけど、どーなったか分かるか?」


 沙那が角砂糖を三つ俺からかすめ取ってかじりながら聞くと、朱里ちゃんも真似して一粒かじりながら答えた。


「刃が通らなかったとか?」

「違う。東側の壁から刃が飛び出てきて、俺の尻に刺さったんだ。あの恨みは一生忘れねえ」

「まだ根に持ってんのかよ。姫は男らしくねえなあ」

「姫だからな」

「くぎを打ったらその分逆側から出る。そのくせ、触るとそこには壁がある」

「あれを体験して、初めて姉ちゃんの言ってることを信じる気になったんだ」


 朱里ちゃんはともかく、花蓮まで目を丸くして俺と沙那の話を聞いていた。

 そんな話の区切りを狙ったとしか思えない、メッセージの着信音。


 姉ちゃんは携帯を一べつしてすぐに、画面をみんなに向ける。

 そこにはメッセージが二行だけ書き込まれていた。



<皆さんそろそろ集まってるの? ご挨拶

<とか緊張する。十河がやっといてよ。



「……そごうさんって、どなた?」

「父ちゃんは姉ちゃんをこう呼ぶんだよ。そうか、これはそごうって読むんだ」

「相変わらず雫流のおつむはちょっと足りないのね。じゃあ、球の体積は、身の上に心配あーるの?」

「そんなは知らん。何の話だ」

「……やっぱり、ちょっと足りない」


 朱里ちゃんクイズ、またハズれちった。

 ちょっと怒った美人さんのアーモンド形の目。

 怖いけど凛々しくて素敵。


 びくびくにやにやという不思議感情に包まれている間に、おばちゃんがバスケット一杯のパンを運んできてくれた。


「おお! これこれ、エクレア! 三木みきおばちゃんのエクレア、ちょー美味いからだいすきででででっ! ゴメン、お姉ちゃん! 三木お姉ちゃん!」


 いつものほっぺたぎゅー。

 今日はあっさり解放してくれた。

 きっとエクレアを褒めたおかげだな。


 でも、たしかもうすぐ四十になるはず。今更お姉ちゃんなんてぎゅーーー。


「ひだだだだだだっ!」

「今、何か失礼な事考えてなかった?」

「三木お姉ちゃん可愛い! 世界一ショートケーキを幸せそうに食べる、可愛い可愛いお姉ちゃんでふ!」


 テレパスか! もはや、何も考えるまい。

 俺は無心になって大好物のエクレアを取ろうとしたら、姉ちゃんがバスケットごと皿の上に乗せてきた。

 そして代わりに携帯をテーブルの真ん中に置く。見えんぞ。



<みなさん初めまして。七色百太郎と申します

<沙甜と雫流を、よろしくお願いしますね。



 ……なんだかなあ、もうちょっと気の利いたこと言えねえのか、不器用な奴。

 確か、三木お姉ちゃんたちと同い年だったはずだよな。

 貫禄も無いとかなんたる情けなさ。


「……沙甜さん、お父様とメッセのやり取りはできるのに会えないんですか?」

「そうなの。嫌な罰」

「そうなんですね……。雫流も会えないの?」


 正面に座る沙那が俺の隣に座る朱里ちゃんをちらりと見て、嫌味を顔に浮かべながらため息をついた。

 まあ、お前とは違って付き合い短いんだ。そんなリアクション取るなよ。


「俺は別に会いたくないんだ。父ちゃんのこと嫌いだし」


 俺の返事を聞いてこれでもかと見開かれる朱里ちゃんのアーモンド目。

 でもさ、ヤツとは血も繋がっていないし、生まれてから一度も会ってないんだ。

 それが戸籍上父親になっているわけで、赤の他人なのに特別な存在。

 そんなのと会っても、どうしたらいいかなんて分かんねえ。

 だから、できれば会いたくない。


 それに、いくら六歳まで育ててもらったからって、姉ちゃんのファザコンぶりが異常すぎる。

 ……やきもちもあるけど、姉ちゃんを騙して悪いことに利用しようとしてるんじゃねえかとまで考えたことすらある。


 俺のいつものセリフを聞いて、姉ちゃんが寂しそうなため息をつく。

 そして再び届いたメッセージをしばらく眺めると、クスリと目を細めながら再び携帯をテーブルに置いた。


「ほれ、あんたのことこんなに考えてくれてるじゃない。だから嫌いとか言わないであげて。アエスティマティオ用の暗号と違って、温かい気持ちが込められてる。これが七色の暗号よ」


 携帯には、物心ついたころから毎日姉ちゃんと一緒に楽しんできた、父ちゃんからの暗号が表示されていた。



   赤

黄金 □ ロイ、ヤル 女王様

   紫



「これは、しー君抜きで考えなさい。と言っても、大して難しくないけどね」

「姉ちゃん読めたの?」

「と、思うわよ? ほら」


 姉ちゃんは真っ白なワンピースをみっともないほど捲りあげて太ももをさらした。

 うん、確かにチェーンが外れてる。


「七色の暗号は本来姉ちゃんの物なんだから、あんたが奪った罪は大きいわよ?」

「なんのこっちゃ。あと、いちいち父ちゃんを名字で呼ぶな」


 まったく、人の気も知らねえで。

 こっそり気になってる子に彼氏の自慢されてるのと一緒。めちゃくちゃ不快。

 どんだけいいやつって説明されても父ちゃん爆ぜろとしか思えねえ。


 俺がムッとしている間に、三人が姉ちゃんの携帯を覗き込む。

 そして、お互い顔を見合わせながら推理を始めた。


「上が赤くて下が紫ってことは、虹かなあ? じゃあ、真ん中に入るのは七色?」

「違うわね。それじゃ横の意味が通じない」

「そんじゃ、虹そのものじゃねえか? 左半分は黄金虫こがねむしだ」

「そういうことね。沙甜、読めたわよ?」


 なんと瞬殺? みんな頭いいなあ。

 乗り出したせいでテーブルを這う二本の金髪。

 それを滑らせながら花蓮が顔を上げると、姉ちゃんは楽しそうにふふっと笑って首を振った。


「それじゃ、途中なの。暗号なんだから、文章になるのよ」


 途中? 

 四角に入る文字を探すだけじゃダメなのか。

 でも、その説明を聞いた金パツインテは、のんびりと椅子に腰かけて紅茶を飲み始めた。


「あきらめたのか?」

「違うわよ。ばかばかしくて呆れただけ」

「あら、もう分かったの? さすがね」


 未だに首をひねる朱里ちゃんと沙那も、花蓮の顔を覗き込む。

 どう読むの?


「……親バカ。位置を変えてもいい? 真ん中は私じゃなきゃ納得いかないわ」

「それじゃ成り立たないでしょうが」

「二人で盛り上がってねえで、読み方教えてくれよ」


 読めないトリオ、揃ってむくれる。

 むくれても朱里ちゃんは可愛いなあ。

 あとの二人はブサイクなんだが。


「はあ……。虹、七色。つまりそこの変態をよろしくねって私たちに頼んでるのよ」

「え? ……ああ、なるほどね。あたしたちが雫流を囲んでるのか」

「なんだつまんねぇ。頼まれねぇでもよろしくしてやんよ」

「しー君、分かったでしょ? ……感動して言葉も出ない?」

「いや、そう言われてから改めて見ると、リンチされてる図に見えるな」


 昨日の惨劇、窓から逃げ出したから命が繋がったんだ。

 この図、窓が姉ちゃんに塞がれてる。

 多分俺には二度と朝が来ない。


「なんて屁理屈こねるの! 信用なさいな!」

「いやいや、信用ならねえだろ。暗号の右側見ろよ」

「……珍しく変態の意見に同意ね。沙甜、その男にどう思われてるの?」


 姉ちゃんは、暗号の意を汲めた時点で右側を読まなかったんだな。

 今更携帯を見つめて、固まっちまった。

 それと同時に沙那が情け無用に大笑いし始めた。

 おお、読めたんだな。


 あとは赤い髪の名探偵。今日は不調そう。


「……黄金、虹、ロイヤル? 左側は黄金虫よね。じゃあ、右はエロイヤル? なんのこと?」


 うーん、天然さんの名探偵、今日は閉店中なのな。正解は、


「エロい、やる、女王様だ」

「………………ほんとだ。ちょっとえっち」


 朱里ちゃんがほっぺたを両手で押さえて赤らめた顔を隠すと同時に、姉ちゃんの手がすうっと携帯に伸びた。

 みんなの目が注目する中で打ち込まれたメッセージは……。



なにか言いたいことがあるのではないか?>



 そして即レス。

 送られてきたのは、すっぽんのスタンプ。

 どす黒い瘴気を噴き出して立ち上がる悪魔王。

 ……父ちゃんは、姉ちゃんを怒らす天才。


「そー、らー、はー、しーーーーーぃ!」

「さ、沙甜!? ちょっと落ち着きなさい! 魔眼まがん開いてどうする気よ!」

「わはははは! サタン様の本気、久しぶりに見るなあ! やっちまえー!」


 朱里ちゃんと花蓮は慌ててるけど、沙那は何度か目にしたことがあるし、俺にとってはいつもの光景だ。

 慌てふためく二人をよそに、姉ちゃんは真っ赤な瞳――魔眼を見開いて、全身にまとった黒い瘴気を人差し指の先に溜める。


 それを、山をも切り裂く雷撃に変化させて撃ち出した。


 耳をつんざき、脳まで揺らすほどの轟音。

 まぶたを閉じても眼底まで直接届く眩しさ。

 どんな攻撃も通用しない父ちゃんの部屋の内部に、なぜかダメージを与えることができる雷撃。

 それが校舎の時計の上あたりを貫通して、ふわっと浮かぶ雲を霧消させながら青い空へと溶けていった。


「……姉ちゃん、もいっこスタンプ届いたよ」


 これは初めて見るな、ちょっと感心。

 そこには、まっ黒こげになってひっくり返ったすっぽんが転がっていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 姉ちゃんが鼻息荒く椅子に腰かけて、バスケットからエクレアを一つ取って豪快にかぶりつく。

 俺は携帯の代わりにバスケットをみんなの真ん中あたりに置くと、あっという間に三本の手が残り四つのエクレアをかっさらって行った。


「……沙那なら分かるけど花蓮かよ。返せ。大好物なんだ」

「文句あるの? 好きな物も食べることが出来ないなら、自分の罰を解除するために勾玉を使うことにするけどいいのかしら?」

「それはダメ。可及かきゅう的速やかにあたしの罰を解除しないと、二人の命がこの世から消滅する。そしてそれをきっかけに、この世界の調和が壊滅するほどの事態になる」


 何度聞いても仰々しい。

 でもこの件に関して、この人はガチだ。

 逆らおうものなら俺の命が先に消滅する。


「やれやれ……。それは大変ね」

「でしょ? だから花蓮も頑張りなさい!」


 花蓮が肩をすくめてため息をつくと同時に、店内へ通じる扉が開いた。

 三木お姉ちゃんが、ミルクとコーヒーが二層になったグラスを運んで来たけど、どうやって淹れたんだ、これ?


「ウチはなんだっていいぜ? サタン様の命令ならなんだってするし」

「てめえはなんで姉ちゃんには従順なんだよ」

「雫流にだって従順じゃねえか! ほれ、密着~!」

「ぐばばばばばば」


 足をくっ付けんな、バカ王子。


 俺が痺れている横で、真剣な表情を浮かべた朱里ちゃんが席を立つ。

 何かの覚悟を秘めたような目……。一体なんだろう。


 反射観察スチールリフレぐばばばばばば!


「いつまでやってんだよてめえは! 集中できん!」

「嬉しいくせにぃ」

「……沙甜さん。必要な勾玉って、あといくつくらいなんです?」


 目の前の感電騒ぎを完全に無視して、朱里ちゃんが問いかける。

 姉ちゃんはグラスを二つとマドラー二つ、ストロー二つを沙那の前に置くと、指を折って何かを数え始めた。


「Sランクの勾玉に換算して、五個分くらいよ」

「……姉ちゃん、それじゃみんなが分かっても、俺が分かんない」


 朱里ちゃんにグラスとマドラー、ストローを回して、自分の分は直接ストローを挿しながら聞いてみた。


「Aランク三つでSランク相当。Bランク三個でAランク一個分よ」

「あーーー。やっぱり基準がわからん」


 こらみんな。バカを見る目でバカを見るな。

 ……いや、向かいに座ってる王子だけ、何かを企んだ顔しながら花蓮にマドラー渡してる。


 マドラーを受け取った花蓮はコーヒーとミルクをかちゃかちゃ混ぜながら、俺の知力でも分かるように説明してくれた。


「変態は三進法も分からないのね。この三日で手に入れたのがB、B、C、A、B。Bランク三つがAランク一つ分。だからAランク二つとCランク一つを手に入れてるの。あとAランク一個かBランク三個でSランク一つ分になるわ」

「ああ、今の分かりやすかった。Cランク一つ分が余計だけど、そこはちりつもってことだな」


 花蓮は肯定の代わりに鼻でため息をついてマドラーをグラスから抜いた。

 なるほどそうなんだ。そんなペースなら、結構すぐなんじゃねえか?


「いい、変態。よく聞きなさい。ここまで私たちは派手にやり過ぎたの。今後は目を付けられて手に入れにくくなるから、気合い入れなさい」

「まあ、そいつに関しちゃウチも同意だな。ペース落ちると思うぜ」


 こと、勝負について沙那の意見は信頼できる。

 隣でしきりに頷く朱里ちゃんと同じ気持ち。俺も眼差しに真剣さをたたえて頷くと、沙那はニヤリと笑いながら、花蓮にマドラーを渡した。

 ……ん?


「みんな、言いたいことは分かるけど、ペースは落とさないで」

「沙甜さん、チームって八人まで入れますよね? メンバーは増えるの?」

「ううん? 事情があってね、この四人で頑張って頂戴」


 何か話が進んでるみたいだけど、こっちの方が気になってしょうがねえ。


 花蓮が上品ぶって静かにマドラーをグラスに入れて、口に咥える。

 そして吸い込んでいくうち、顔のパーツが全部縦に伸びていった。


「ぶははははは! こういうガキみてえなこと考えさせたら世界一だなお前!」


 そんな悪ガキが、俺を見てニヤリとする。

 OK、打ち合わせなんかいらないぜ。同時に、せーの、サムアップ!


「っぷぁ! ちょっとあんたたち! なに笑ってるのよっ!」


 顔、真っ赤! めちゃくちゃ可愛いなこのやろう!

 思わずドキドキす……、はっ!? いかん!


🐦がんっ


 俺は衝撃に備えたが、いつまでたってもタライが落ちてこない。

 代わりに、誰かがどさりと背中から抱き着いてきた。


 力無くもたれかかる真っ白な腕。俺の胸に滑り落ちる銀髪。そして忘れるはずもない、清流を彷彿ほうふつとさせる冷たくて清々しい香り。

 これは……!


美嘉みか姉ちゃん!」

 

 彼女は、俺達の家族。

 俺が生まれるずーっとずーっと前から、姉ちゃんと共に生きてきた人。

 ……いや、この地で「人」と言うと誤解を招くな。

 人間でも、俺たち魔族でもない、この地に住まう第三の種族。

 そう、美嘉姉ちゃんは、天使だ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 沙那は大人が苦手だからな、黙っちまった。

 初見の花蓮も、随分といぶかしんでる。


「なんで天使がいるのよ?」

「ああ、美嘉姉ちゃんは家族だ。仲良くしてやってくれよ」

「…………私に仲良くする必要、皆無。雫流ちゃんと仲良く。さもなくばレイピアで串刺しに」

「すな。それより一年もお疲れ様。天使界、どうだった?」


 この質問には返事もせず、美嘉姉ちゃんは俺にもたれかかりながらみんなに問いかけた。


「…………この中で、魔眼が開いた者。正直に言う」


 なんのこっちゃ。俺はバカな質問だと思いながらみんなの顔を見渡したが、予想に反して真剣な表情になっている奴が二人いた。

 俯いた朱里ちゃんと、彼女を冷ややかに見つめる花蓮。

 …………まさか。


「おいおい、朱里ちゃんが魔眼開いたなんてことねえだろ。あれ、過去の記憶を取り戻すから凶暴な性格になるって聞くし」

「…………アガリアレプト。お前、開いた」

「いえ、そんなこと無いです」


 消え入るような声で朱里ちゃんが答える。

 嘘はついてないと思うんだけど、なんだろう、このべたつくような空気。

 俺が朱里ちゃんに声をかけようとしたら、姉ちゃんの携帯にタイミングを奪われてしまった。


「……団体さんが来たみたい。みんな、お店に入って頂戴」


 姉ちゃんの指示に、みんな重苦しい空気をまとったまま席を立つ。

 えっと、俺、なんかしてあげたいんだけど。


 ……そうだな、こういう時こそバカの出番だ。 

 俺は相棒に頼ってみることにした。


「沙那! てめえは男性客に触るなよ? 慰謝料で店がつぶれる」


 俺の軽口を察したのか、沙那は悪だくみ顔を浮かべながら近付いてきた。


「お? やきもちか? 安心しろよー、ウチはてめえにしか触らねえよぉ」

「いや、俺にもだめだごごごごごごごっ!」

「はあ……。ちょっと沙那。早くしなさいよ」

「ひでえ目に遭った。目がちかちかする。花蓮、わりいけどブルーベリージャム取ってくれないか?」


 俺の指図にムッとしながらも、花蓮はジャムの蓋をあけてスプーンですくった。


「疲れ目じゃないんだから効かないわよ。それにこれは我が家で作った高級品なんだからね。口に入れた瞬間「芳醇」という二文字に体が支配される甘美な味わいを満喫なさい。ほら、あーん」

「あーん」

「……もうちょっと口を大きく開きっくちょ!」


 花蓮のくしゃみ、お茶目じゃないか。

 俺の眼球にブルーベリーを投げ込むなんてね。


「ぎゃーーーーーーーーーーーーーっ! 芳醇っ!」


 あまりの激痛にもんどりうって椅子から落ちかけたら、三人が一斉に俺を支えてくれた。

 ああ、父ちゃんが作ってくれた暗号のよう。

 でもな、一人だけ俺のためを思えば手を出さない方が正解な奴がいるんだが。


「いだだだだだだだっ! ししししゃなだだだ! はなぜぜぜぜぜ!」

「こら、暴れんじゃねえ! っととと!」

「きゃっ!」

「きゃあ!」


 派手な音を立てながらもつれ合って、四人で床に倒れちまった。

 何かを引き摺り下ろした音が聞こえたけど、それよりこの柔らかな物が気になる。

 ……なんだこれ?


 むにゅん。もみもみ。


 初めて体験する、柔らかい何かに包まれている不思議な感覚。

 目を開けると、すぐそばで金パツインテが俺を見つめていた。

 爆発的に泣く寸前の顔だ。そりゃそうなるよな。


 まずは謝ろうじゃないか。多分初めての体験、俺なんかでごめんね。


「…………へ、へん…………」

「待て! 落ち着け! これは不幸な事故! そう、事故だ! まずは俺の上から降りろ! それと、いつまで握ってる気だよ!」


 俺のイチゴをな。

 ……もう慣れたよ、男女逆パターン。


「へんたーーーーーーい!」

「逆だろうが! ズボン降ろされてもみもみされたのは俺の方がはあっ!」


 被害者に対して、なんでそんな重い左を打ち込めるんだお前。


「あんたは何でそんなパンツ穿いてるのよ!」

「そこは関係ねえだろう! 今の攻撃おかしいからな!? ちょっと涙がでたじゃねえか!」

「てめえはなんでウチのパンツ穿いてねえんだよ!」

「こっちはこっちで頭がおかしい!」

「雫流はなんでパンツ穿いてるの?」

「助けて姉ちゃん! 俺の心がパーンってなりそう! パーンって!」


 ちょっと空気を換えてやろうとしただけなのに、なにこの仕打ち!

 姉ちゃん! なんとかしてくれ!


「我慢なさい。そういう時、お父さんは嬉しそうにしてたわよ?」


 …………この日、俺は初めて、父という存在を尊敬することになった。



 つづく。

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