わがねろもでに ゆえねふりいつ ~〇が〇~ ※言葉四つで正解です 場所は本編にて

 薄暗い、コンクリート打ちっぱなしの一室はまるですべてが停止しているよう。

 でも、かすかに聞こえる俺達二つの吐息が、そこに時の流れだけは存在することを証明していた。


 そんな外界から隔離された部屋の中、さらに木の壁で仕切られた狭い狭い空間。

 人目を避けた内緒の場所で、向かい合い、見つめ合う二人の男女。


 こんなシチュエーション、普通の男なら卒倒するところなんだろうが、百戦錬磨な俺には日常茶飯事。造作もないことだ。


 ふっ、やっぱり俺、かっこいいよな。


「なあ、姫。ウチが今どうして欲しいか分かるか?」

「もちろんだぜ子猫ちゃん。長い付き合いだからな」


 俺はポケットから、百円玉を一つ取り出した。


「今日はこれで勘弁してください」

「……おい、バカ姫。もういっぺんだけ聞いてやる。このシチュエーション、なんだと思う?」

「カツアゲ」

「一生童貞でいろ、てめえは」


 紫がかった長い黒髪のモデル体型美女、紫丞しじょう沙那しゃな

 この厄介な幼馴染が、ボディーランゲージでやれやれ呆れたやつだなバカ雫流しずるはと俺に告げた。


「バカとはなんだ! このバカ王子!」

「どうしてさっきのは分かんねえのに今のは分かるんだ。お前、テレパシーにまで童貞を死守されてるぞ?」


 南西の校庭、陸上競技部活用のクラブハウス。

 そのちょうど真ん中あたりにある男子用更衣室兼シャワー室。つまり、青い手足がいたるところにスタンプされた例の場所。

 俺はそこの中、さらに細かく言うとシャワー個室の中で、恐喝の真っ只中にある。


「少ないからって文句言うな。これが全財産だ。俺がバカな事とは無関係に」

「全財産が百円っていう理由にさ、バカが関与してねえわけねえだろ」


 しょうがねえじゃねえか、連日言葉巧みにお茶代をかっさらってくやつが二人もいるんだから。

 俺がもっと頭が回れば、こんな目に遭わねえんだろうけど。

 ほらみろ、俺がバカなこととは一切関係ねえ。


「カツアゲしてえわけじゃねーっての。……話は聞いたぜ。ショックなのは分かる。でもな、罰に干渉しないってのはウチらのルールだろ」

「ああ、朱里ちゃんのことか」

「なんであのぽっと出のやかましい女にそこまで気合い入れてんだ? 言えよ」

「それは……、まあ、その、パートナーだし……」


 俺の曖昧な返事に軽い舌打ちで返した沙那が、個室の扉にもたれかかる。

 きいと軋んだ音を立てた扉は、盤面の塗装がはがれてみすぼらしい反面、蝶番ちょうつがいについてはやたらと豪華で金ぴかだ。

 先週ここを使った時、全部金でできてるのかと思って削ってみたけど、中は黒っぽくてがっかりした。

 ちきしょう、お茶代の足しになるかと思ったのに。


「ムカつく奴だなあ。てめえがしょぼくれてっから元気付けてやろうと思ってウチも覚悟を決めたのに」

「ホームルームが終わるなり電撃で気絶させてこんなところに連れ込みやがって。これでどうやったら元気が出るか説明しやがれ」

「ったく、じゃあこいつならどうだよ」

「いだだだだっ! 電気っ! 手ぇ掴んで何を……、はあ!?」


 バカ王子は俺の左手に無理やり手錠をかけた。

 そして逆側には自分の右手をガチャリ。


「お前、ほんっとに何したいんだ!? どーすんだよこれ!」

「これはただの保険。ピンチの時に役に立つんだぜ?」

「今が十分ピンチ! 使い方教えろ!」

「万が一誰かに見つかった時、こうしてれば被害者と加害者が入れ替わる。そんな幸せアイテムだ」

「わりい、まったくわからねえしいだだだだだっ! 俺が不幸せにっ!」


 手錠っ! これ、気を抜くと簡単に手が触れるっ!

 世界中の犯人と刑事さん、連行中に「ぽっ♡」とかなってるんじゃね!?


「だから更生しようって気になるんだきっと! すげえ発明品だだだだだっ!」

「騒ぐんじゃねえ!」


 沙那が空いてる方の手を壁に思い切り突く。

 その瞬間、俺は意識の範疇外で口をつぐんで、可愛くこくんと頷いた。


 ……か、壁ドン、だと?


 これはどんなに怒ってる女の子も従順になると言われる都市伝説。

 バカかてめえは。そんなのウソに決まってるじゃねえか。

 見るがいい、俺の反応を。全然素直になってねえ。

 うっとりして口がちゅうの形になってるのもただの偶然だ。


 しかしアップで見ると、ほんとに沙那は綺麗だ。

 長いまつげ。整った鼻梁びりょう。唇には珍しくリップなんか塗ってる。

 バラとチェリーを混ぜたような、ちょっとセクシーな香りが鼻先をくすぐり始めたんだけど、香りの攻撃はやばいって。

 俺、このままだとほんとにちゅうを……。


「この壁の向こう、女子ソフトボール部のクラブハウスなんだ」

「ちゅう…………、は?」

「ソフト部はヤバい。本気でヤバい子が一番から九番まで揃ってる」


 そりゃソフトボールだしな。


「そこでウチは、この素材を最も美味しくいただく方法を考えた」


 そんなことを言いながら、沙那は足元の鞄から電動ドリルを取り出した。


「のぞき穴あけようってか!? ほんと見下げ果てた奴だな! 俺に任せとけ!」


 まったく! 恐怖してほっとしてバカだ。

 俺が嬉々としてドリルを受け取ると、沙那が珍しくふわっと笑顔を浮かべた。


「なんだよ気持ち悪い」

「やっといつもの姫らしくなったじゃねえか」


 そっか。お前なりの気遣いか。嬉しいよ。

 ……でも。

 俺はドリルを持つ手を力なく下げて、溜息をつく。


「俺の心、こう見えて結構バリケードなんだ。できればそっとしといて欲しい」

「ずいぶん頑丈そうじゃねえか。じゃあとっとと穴あけろ。放課後になればパラダイスだ!」


 あれ? なんで俺の説明が通じねえんだ?

 ああ、こいつバカだからな。

 英語ぐらいちょっとは勉強しやがれ。


 しかし、こんな頭の悪いことやるのも久しぶり。

 中学生の頃は二人して至る所に穴を開けたもんだ。

 誰にでも経験のある普通の青春時代って感じ。


 まあ、いつも沙那が堪能してる間、俺の番になる前にドキドキしちまってタライの音でバレるから、覗いてもいないのに犯人扱いされたんだけどな。


 今回は俺が先に覗いてやろう。

 しかも中学の頃とは違う。穴の向こうは高校生。

 ほんとこいつのバカは、俺をいつでもドキドキさせてくれる。

 ……あ、うそです。


🐦しゃわー


「つめてっ! こらハト! 地味っ! いつもの切れ味はどうした!」

「うわっ!? 暴れんな!」


 急に浴びせられたシャワーに驚いたもんだから、手と手が触れ合ってぽっ♡

 となるはずも無くいだだだだだだっ!


「さすがはハト! 罠への誘導とかおしゃれででででででででで!」

「我慢しろバカ姫! 騒いだら見つかるだろうが!」


 沙那の声に、更衣室のドアが鳴らす重い音がタイミングよく続いた。

 俺たちの叫び声、無理やりつぐんだ口の中で急停止。

 あっぷっぷ。


「何やってんのよあんた達!」


 悪ガキコンビ、せーのでホールドアップ。

 壁を背にして並んだ俺たちの前に現れるポリスが、どうか仏の慈悲を持った優しい方でありますように。


 だがその希望は、金髪のひと房目が個室の入り口から覗いた瞬間に打ち砕かれることになった。


「……なあ、沙那。仏の慈悲って言葉の対義語、知ってるか?」

花蓮かれんじゃね?」

「授業さぼってるバカどもを探しに来てみれば……、ほんと、何やってたのよ?」


 呆れ顔の仁王様。

 大きめの白いレースリボンで結ばれた金パツインテが可愛い鼓歌音こがね花蓮。

 彼女のなけなしの慈悲だろう、生殺与奪せいさつよだつは俺たちの返事にゆだねられた。


 ハトが出しっぱなしにしたシャワーを浴びながら壁を背にするバカ二人。

 顔を見合わせて、ちょっと考える。

 なんて返事したら許してもらえるかな?


 濡れた制服。暗い部屋。

 シャワー個室。二人の男女。

 ……えっちっぽいことしか連想できん。

 もしもそんな誤解をされたら仲良く独房行きだ。


 だが、ここはまだ刑務所で言えば入り口に過ぎん。

 逃げるチャンスは必ずある!

 この廊下の先まで駆け抜ければ、きっとそこには!


「違うぞ! 誤解だ誤解! 俺達は、ただ……」

「ただ?」

「ただ……、このドリルで……、女子ソフトボール部の壁に穴を……」


 しまった。廊下の突き当りが処刑室になってた。

 なんて手間いらず。


「当局へ連行してやるんだから! 素直に手を出しなさ……、えらく準備のいい覗き魔ね」


 花蓮の目線を追って見上げる先で、鎖の音を鳴らす手錠。

 うわ、これ、まずい。

 日本の法律では、俺が犯人ってことになるはずだ。

 法治国家日本。男子にとことん不利。


 ああ、さっき沙那が言ってた言葉の意味、これか。

 お前がピンチの時に使えるんだなふざけんな。


「待ってくれ! 主犯はこいつなんだ! 俺に罪を着せるために手錠を準備したほどの計画犯! こいつを差し出すから司法取引を要求する!」


 俺が手錠ごと沙那を引っ張って突き出したら、輪っかの先には右腕だけがぷらんとぶら下がっていた。


「足りねえ!」


 残りの部品は花蓮の脇をすり抜けると、あっという間に更衣室の外へ脱出。

 おい主犯! これ、それなり重要なパーツなんじゃねえのか!?


「わはは! ウチの分も花蓮に叱られといてくれ! その右手はお前がピンチになった時にでも使いな! お守りだ!」

「今が十分ピーンチ! 使い方を教えろ! それにこれ……、ああ、作り物か」


 びっくりした。よくできてるなあ。

 俺は左手を持ち上げて、手錠の逆側にぶら下がった元・沙那の右手をまじまじと見つめた。

 ゴム手袋みたいになってて、中のレバーで指が開いたり閉じたりする。

 触った感じも、手とは思えないまでもそれなりの弾力と柔らかさがあった。


「私が作ってあげたの。新入生歓迎会の時にフォークダンスをやらされることになったから」


 おお、想像したくねえ。

 次々と姿を消す外側の列。白昼堂々行われる猟奇殺人。死因は感電死。

 犯人丸わかり。

 とんだ簡単ミステリーだ。


「しかしお前、こんなもの作れるの? はぁ~、器用だなあ花蓮は…………」


 天才な上に器用だなんて、ほんとにすごいな。


「でもこれ、お守りにしろって言われてもな。どうやってお守り袋に入れよう?」

「さあ。それより、出れる時くらい授業に出なさい。地上で一番のバカを脱出できるかもしれないわよ」

「そうだな。俺が一番じゃなくなったら、誰が一番になるのかな」

「分度器」

「へえ、見かけによらないな。賢そうなのに」


 呆れ顔で歩き始めた花蓮の後を追って、暗い更衣室から校庭に出た。

 にわかに俺の顔を叩く、眩しい朝の光。

 目が痛い。思わず頬を吊り上げながら、手をかざして光を遮る。


 ……すると顔の前に生々しい女の手がぷらんと垂れてきて、俺は叫び声を上げた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 校舎の中、俺の前を歩く、光の中に揺れる金髪。

 綺麗だなと思う純粋な気持ちが、不器用な表現方法しか見い出せずにイタズラ心へと塗り替えられた。


 子供じみた感性。

 でも、姉ちゃんの部屋で見つけた本には「子供っぽい行動はモテる男の必須条件」と書いてあったはず。

 それを信じてみよう。


 俺はふつふつと沸き上がったイタズラ心に従った。

 元・沙那の右手の指先で、花蓮のほっぺたを後ろからつついてみる。

 すると予想通り、金髪がしなだれかかる細い両肩が驚くほど跳ね上がった。


「ひみゃう!」


 おお、可愛い叫び声。八十点。

 だが俺をドキドキさせるには至らなかったな。


「変態! なにすんのにょ!」

「噛み方が芸術点として加算されますっ!」


🐦がんっ! ぱしーん! こん♪


「ややこしいわ!」

「痛いわね!」


 タライ、ビンタ、俺の頭から傾いて落ちるタライが花蓮にヒット。


「お前のは「こん」だろうが! 「がん」と「ぱしーん」の方が断然いてえ!」


 正当な文句と共ににらみつけたら、返って来たのは当社比五倍ちょいの怖い顔。

 ぜんぜんモテねえじゃねえか。許すまじ、ぽんちょなにがし。


「全部あんたが悪いんじゃない! 「こん」の分、返却してやる!」

「ビンタのために俺に近付いたお前が悪い。だからタライを持ち上げんじゃねえ」


 報復を宣言したジャスティスツインテが、両手で一生懸命金ダライを持ち上げてぷるぷるし始めた。


 そこまで重い? どんな非力だ。

 しかも、そこでやらかしたら自爆するんじゃね?

 今日のお前の天気、晴れ所により、にわかこん。


「ととっ、きゃあ!」


 天気予報、ハズレたな。

 こんが降る地域を間違えた。

 花蓮にとっては相当重かったんだな。後ろに転んで水色ボーダー丸見え。

 にわかこんは、俺の頭に降って来た。


🐦がんっ!


「こら! 返却するのは「こん」の約束だろうが!」

「うるさい! 私の反撃はこれからよ! うんしょ」

「なあそれ、やめねえか? やらかして頭の上に落としそうで見てらんねえ」

「やらかすとか言うな! そんなことになる訳……、へっくち」


㊎ゴガンっ!


「ぐおぁぁぁぁぁぁっ! 楽しかった記憶がいくつか飛んだっ!」

「そんなのもともと入ってなかったわよ。気のせいだからとっとと立ちなさい」


 予想外すぎる。なんたるスナップ。

 お前、罰を解除しない方がいい。世界を狙える。

 なんのだよ。


「あとそれ、もう外しなさいよ」


 どれ? ああ、これ。

 そうね、手錠なんか付けてうろついてたらみっともない。

 元・沙那の右手も付いてるからパッと見、怖いし。

 俺は回る世界にクラクラしながら立ち上がると、大変なことに気付いた。


「あああ! あのバカ! 鍵持って消えやがった!」


 慌てふためく俺に、落ち着いた様子で近寄って来る花蓮。

 目の前で立ち止まると、スカートのポケットから小銭入れを取り出してその中を指先でかちゃかちゃとかき混ぜ始めた。


「あれ? ん…………、あった。ほら、手を出しなさいよ」

「安全ピン! ほえー。花蓮は頭も良くて器用な上に女子力高いんだな。縞パンだけど」

「最後のを忘れるまで、これを手の甲へ刺し続けることに決定。いーち」

「忘れた! 何もなかった! 初夏の太陽を表現するために照明さんがいい仕事してた!」


 花蓮は俺の熱弁に呆れた顔を浮かべながら、手錠の鍵穴にピンを差し込んだ。


「でもさ、そんなので開くのか?」

「開くわよ………………。おもちゃの……、手錠だからっ、簡単に!」


 おいおい、段々語気が荒くなってるじゃねえか。

 それに、最初は耳に心地いいかちゃかちゃを奏でてたのに、今はひっかくような音になった後、最後に金属が折れるようにパキンて鳴って、「あ」って言ったんだけど大丈夫かな。


「大丈夫じゃねえことやらかしやがったな! 今! ぺきって! 折れた安ピン持ったまんまてへっじゃねえからな!?」


 慌てて鍵穴を覗き込んでみたけど、折れた針先が見事に金具に噛んでる。

 これって、鍵があっても外れないんじゃねえか?


「まあ、あんまり気にしないでいいんじゃない? 似合ってるわよ」

「ふざけんな」

「お礼も安い方のお茶でいいから」

「おお、そういうことなら喜んでふざけんな」


 そういうのはポンプで消化してから言え。マッチっぱなしで逃げんな。


「じゃあ、この仕打ちのわびとして一つ教えてもらおうかな」

「いやよ」


 いやんばっさり。

 じゃねえぞ放火魔。逃がす訳にいくか。

 俺は花蓮の肩を優しく叩いて、できるだけ気持ちが届くように深く頭を下げた。


「朱里ちゃんの罰、消してやりてえんだ。お前の知恵を貸して欲しい」


 花蓮の表情が見る間に曇る。

 その反応は、まあ予想通り。

 朱里ちゃんとお前、ぎくしゃくしてるからな。


「それは、無理よ」

「嫌なの分かってるけど、どうか頼む」

「……違う。嫌なんじゃない。…………無理なのよ」


 そう言いながら、花蓮はゆっくりと階段を上る。

 手すりを優しく撫でながら、一歩ずつ確認するように足を運んでいく。


「無理ってなんだよ。勾玉じゃ解除できねえのか? 普通ならEランクの勾玉一個で一つ目の罰って消えるんだろ? 美嘉姉ちゃんから聞いた」

「……そうね。前世があんたみたいな最下層民だったら一つ目はE、二つ目がD、最後の罰はCランクの勾玉にキスするだけで消えるのよ」

「ちゅうするんだ。使い方初めて知ったよ。……じゃあ、Bランク一個で全部消えるわけか?」

「違うわ。超過分は使えないの。消費期限もせいぜい三時間。だからBランクの勾玉を手に入れても、消せるのは最初の罰だけよ」

「そうなんだ。じゃあ、朱里ちゃんの罰を消すのが無理ってのはどういうこと? 高いランクの勾玉じゃないとダメってことか?」


 踊り場まで上った花蓮は、窓に背中を預けて溜息をついた。

 階段の途中で立ち尽くす俺を見つめる灰色の瞳。

 それが諦めの色を見せると、ツインテールを揺らしながら続きを話してくれた。


「確かに、格式によって解除に必要な勾玉のランクは違う。あたしたち六大精霊は、一つ目の罰の解除にSランク一つ分必要なの」

「Sって、今夜出題されるあれか。難しそう。でも、A玉三つでもいいはずだよな。それで朱里ちゃんを救えるわけだろ?」

「そういうことじゃなくて、朱里は勾玉を使えないのよ。なんであの子、うちのチームにいると思う?」


 さあ。


 …………あれ? そうか。

 普通なら、自分で手に入れた勾玉は自分のもの。

 姉ちゃんのチームにいるから、せっかく手に入れた勾玉を巻き上げられるんだ。


「ほんとだ。なんでさ」


 花蓮は腕組みをして、その訳を話し始めた。


「…………沙甜さてんが、あの子に頼んだのよ。助けてほしいって。勾玉を手に入れたら、全部差し出せって」

「………………………ん? え? それだけ?」

「そう」

「そんな馬鹿な」

「あの子は親切なの。どうしようもないほどに親切」

「だからって…………、いや、そうか。なんとなく分かるぜ」


 たとえ自分が苦しくとも、助けてくれと頼まれると助けたくなる。

 朱里ちゃんらしい。


 姉ちゃんが言っていた、早くしないと大変な事になるっていうあれ。

 誰のことか知らねえけど、二人がこの世から消えちまうって言ってたな。

 それを救うために、あんなに酷い目に遭ってるのに勾玉を差し出してるんだ。


「やっぱり、朱里ちゃんを救ってやりてえ。優しい奴が苦しむなんて、いやなんだ」


 こいつは、そう思わないのか?

 俺が寂しい顔を自覚しながら花蓮の顔を見ると、そこには予想とまったく異なる色が浮かんでいた。

 窓から吹き込んだ風が揺らす彼女の前髪から覗いていたのは、冷たい瞳。


 心臓を鷲掴みにされたよう。体が一瞬で凍り付く。

 硬直したまま花蓮を見つめていたら、苦々しい表情を浮かべながら静かなトーンで語り始めた。


「……私と朱里、そして寿々すず……柴咲しばさきのことね。三人は、同じ中学校だったの。朱里がおかしくなり始めたのは、中三の秋から。ちょうどそのころからクラス内で事故や怪我が増えてきて、罰が発症したクラスメイトも見つかったの。だから朱里の奇行も、罰の症状じゃないかとみんなは考えた」


 昔話? どうしたんだよ急に。


「中学生には、勾玉を手に入れる手段が無い。でも、友達を救いたい。あたしと寿々は、朱里の罰が何なのか、いろいろ推察したわ。……でも、すべて外れだった。そしてあの子は、自分を救おうとするあたし達を毛嫌いしていったの」


 そうか。花蓮は、俺と同じことをやってみたのか。


「そのうちに、誰かが言い出した。あの子は、魔眼まがんが開いたんじゃないかって」


 普段は自信に満ちた花蓮が、肩を落としながら訥々とつとつと語る。

 徐々にその音量は小さくなって、聞き取り辛くなり始めた。


「それでも最後まで、私と寿々は朱里の味方だった。そしてあの日、日頃の傍若無人な態度にとうとう爆発した連中に囲まれて足蹴あしげにされていた朱里を、寿々が身を挺して助け出したの。あたしの友達にこれ以上酷いことはさせないって。でも、そんな寿々に向けて、朱里は……、机を投げつけたのよ」


 昨日の噂話はそれか。

 信じられない。信じたくも無い。

 でも、花蓮の目から流れた悔し涙は、俺を夢の世界から無理やり現実へ引きずり出した。


「寿々の目の下、一生消えない傷は朱里に付けられたのよ。あの時、流れる血を拭いもせずに寿々は言ったわ。すべて分かったって。金輪際、あなたの事を友達と思う人を根絶やしにするって。私も、その時にすべて諦めた。そして今は恨んでもいない。だって……」


 言葉も出なかった。

 俺を見つめる花蓮の目には色も無く、虚ろな何かがそこにあるだけ。

 信じた者に裏切られた、そんな絶望だけを浮かべたまま、声を上ずらせた。


「だってただの化け物に! 感情を抱くだけ無駄だから! ……あたしはあの子に、今後一生、あなたを化け物だと思うようにする。……そう言った」

「なんてこと言うんだよ!」


 思わず出してしまった俺の大声に反応もしない。

 そんな金髪の少女は、苦々しい笑みを浮かべて震える唇で答える。


「そしたらあの子、涙を流しながら喜んだのよ? 信じられる?」


 花蓮の瞳から、涙があふれだす。

 俺も同情せずにはいられずに、胸が苦しくなった。


「よく分かった。ありがとう、話してくれて」


 友達を救えない。

 中学生だった花蓮には、胸が張り裂けそうな思いだったに違いない。


 俺は、花蓮の肩に出来るだけ軽くと意識しながら、手をポンと乗せた。


「で? どうやったら朱里ちゃんを救えるんだ?」


 この言葉を聞いて、花蓮の泣き顔が、お得意の呆れ顔にシフトする。

 いやいや、呆れんな。おかしいだろ。


「……これだからバカは。死滅しなさい」

「いやいや、だからさ、勾玉なしでどうやって助けようかって話だろが」

「あんた! 今の話聞いて、私の気持ちが分からなかったの!?」

「分かるって。お前、朱里ちゃんの事、まだ友達だって思ってるじゃねえか」


 ……実は、カマをかけたんだけどね。

 やっぱ正解だったか。


 目を見開いた花蓮。

 その頬が、赤く染まっていく。

 これは、図星を突かれた奴の顔。


 他人の顔色ばっかうかがって生きてきた嫌われ者を舐めんなよ?


「む……、無駄だって言って……」

「それ、この頼れる俺がいなかったときの話だろ? 今は違う。この、奇跡の男がいる。今まで内緒にして来たけど、俺は学園の英雄になる男なんだぜ?」


 ……溶けて行く。

 出会ってからというもの、どこか違和感を感じていた花蓮の表情から、今、一枚の仮面が剥がれ落ちた。


 柔らかな、余裕のある笑顔。

 小さな唇に当てられた、気品のある指先。

 湿気をはらんだ五月の風に、スカートの裾を軽やかに蹴飛ばされながら、くすくすと上品に笑い始めた。


 溜まっていた涙が、その拍子に再び頬を伝う。

 でも、その笑顔はガラスでできた鈴を鳴らすよう。

 軽やかな調べ。俺もつられて笑顔になっちまった。


「…………やっぱりあんた、とんでもないバカだったのね。……素敵」

「でも、そんな素敵な俺はとんでもないバカなんだ。何をどうしたらいいのやらまるで分からん。だから知恵を出せ」

「じゃあ頼りにならないじゃない! あはははは!」


 声を上げて笑いやがった。

 こら英雄に向かって失礼だろうが。泣いていいか?


「はあ……。そうね、一つ思い付いたわ。でも、私が納得できる答えを持ってこないと二度と手を貸してあげないから」

「難題はいやだぞ」

「まず、目を閉じなさい。そして朱里のことを思い浮かべなさい」

「おお、それなら得意分野だ」


 またくすくす笑ってる。

 なんだよ、目をつぶってる俺にいたずらか?

 顔に「後頭部」って書く気か?


「ちょっと怖いんだけど。なにする気だよ」

「あれ、使いなさいよ。そして見えた物を逐一報告なさい。さっきも言ったけど、私が納得できる答えを拾ってこないと承知しないからね」

「おお、まさかあれにこんな使い方があったとは。やっぱりお前、天才だ」

「褒めてもダメ。……ほんとに、頑張りなさい」


 任せとけ。それじゃあ……



 反射観察スチールリフレクス……………………



 思い浮かべた朱里ちゃん。ポニテ。赤い…………。

 朱里ちゃんが、風景が、赤く染まっていく。

 これは、昨日の光景。


 ……赤い、リフレイン。


「何が見える?」

「……柴咲さんに叩かれて、嬉しいって言ってた」

「昨日の話? あの後で?」


 俺は頷きながら、さらに朱里ちゃんのことを思い浮かべていく。


「沙那とケンカしてる。どうしてだろう」

「犬と猿だからよ」

「レンガのピラミッドで、花蓮と笑ってる。……屋敷でも。シャマインでも」

「……なるほどね、言われるまで気付かなかった。どうして私とは普通に接していられるのか。どうして、沙那にはあんな態度を取るのか。……まあ、いいわ」

「良くない。ちゃんと知恵を貸せよ」


 妄想の朱里ちゃんがふっと消えた所で目を開けながら、俺はもう一度頼んでみた。

 すると、満足そうな笑顔が一つだけ頷いてくれた。


「……あんたはなんで、答えのないところにきっかけを作り出せるのよ」

「俺はゼロを1に出来る奇跡の男だからな。それより何か分かったのか?」

「さあ、まだたったの1だし、分からないわよ。謎についても、あんたに手を貸すかどうかも。ああ、お茶は買っておきなさいよ」

「悪魔か」

「ふふっ。……ええ、とっても怖い、悪魔よ」


 花蓮はどこか軽やかに感じる足取りで階段を上って行った。


 俺はその頼れる後ろ姿を眺めながら、真剣に朱里ちゃんのこ


🐦がんっ


 ……真剣に、朱里ちゃんの事を九十九パーセント考えた。

 あと、真っ白な足から覗く縞パンの事についてはちょっとだけ考えた。


 ほんと、ちょっとだって。信じてく


🐦がんっ


 ……信じてくれ。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



<七色はどうしてそう分からず屋なのだ。

 あたしが手を下せばひとまず丸く収まる

 ではないか。何が不服なのだ。


 自分で分かってるじゃない。ひとまず、>

 しか効果無いよ。

 十河、君は、雫流の母親代わりなんだか

 ら、彼らの為にもここは厳しくしないと

 いけない。


<お前は何も分かってない。一部始終を見

 ていた美嘉から話を聞いた時、あたしは

 なんでその場にいてあげられなかったの

 かと泣き叫んだのだぞ。


 ああ、彼らのまだまだ小さな胸の内を分>

 かってあげられない程度には、俺も歳を

 とったのかもな。でも、それを助けるの

 は、親の言い訳なんだ。


<そうかもな。七色に教わったものだ。親

 が手を出す行為は、すべて言い訳に過ぎ

 ん。苦しくとも手を貸さないこと。ただ

 し、必ず見ていてあげる事。


 俺がそれを十河から教わったんだけどね>

 。君がするべきは、ただ自分が最も願う

 ものに対してまっすぐであること。一貫

 性が無ければ、彼らは納得しないはず。

 そのためなら、雫流がそれに反したら厳

 しく止めるんだ。


<悪魔のような男だ。それが最愛の女に言

 うセリフか? あたしは雫流に嫌いだと

 言われただけで三日は寝れなくなるのだ

 ぞ?


 そのあいだ、ずーっとメッセに付き合わ>

 されて俺も三日寝れなくなるからね。よ

 く知ってる。


<もう、今から泣きそうだ。あたしは雫流

 に嫌われなきゃいけないのか。


 俺が必ず見てる。お前の父親だしな。飄>

 々としたいつもの十河でいてやってくれ

 。美嘉ちゃん先生にも頼んでおこう。そ

 うすれば大きな事故にはならない。


<あいつらは、自分たちの力だけで乗り越

 えることができると思うか?


 当たり前だ。必ず雫流がなんとかするさ>

 。だって、小学生の時に宣言してたし。


<何を?


 あいつ、将来好きになる女の子の為に、>

 英雄になるんだってさ。




 ――知られざる研究所。

 ウェヌス・アキダリアの隠し扉のその先に、灰色とブラウンウッドで塗り固められた部屋がある。


 四面を埋め尽くす本棚が古い装丁で隙間なく塗りつぶされた部屋には、ランタンによる赤い光が一つだけ灯されていた。

 マホガニーのテーブルは四人掛け。

 そこに、かつての癖で四つ準備されたティーカップが並べられている。


「…………沙甜さてん七色そらはしは何と?」

「あんたの対処を肯定してたわ。手を出すなってね。でも、最悪の場合守ってあげて欲しいの」

「…………昨日、間に合わなかった。あの罰は脅威」

「神め……、ほんと腹立つ! あたしたちの何が悪いのよ!」

「…………まあ、悪いだろう。禁忌だし」


 銀の髪を持つ天使は、天使ゆえに瞬きをしない。眼球も動かない。

 空の席に置いてある二つのティーセットを交互に眺める都度、その髪を肩でさらりと鳴らしていた。


「とにかく、なんで朱里あかりはそんな態度とったのかってことよ! ああ、あんたは言っちゃ駄目。独り言」

「…………当然。私が口にすれば、罰の効果最大に」

「役立たずねほんと。でも……、やっぱりあたしの罰じゃないわよ、あれ。あるいは沙那しゃなみたいに、ちょっと変わった形に変えられてるのかもしれない……、ああくそっ! 分からないわ!」

「…………言えること、一つ。魔眼まがんではない」

「ええ、それは分かる」


 大きく息を突いた女性の大きな影が、本棚の一面に揺れた。

 その一角には大量のバインダーが収められ、背表紙にはそれぞれ「研究結果」とだけ書かれて五桁もの通しナンバーがふられている。


「…………朱里だけ、解除を」

「今、七色に言われた。あたしが欲しい物の為に、それだけはできない。一人だけ特別扱いをしたら、逆に三人を失うことになるわ」

「…………沙甜、悪魔」

「ええ、悪魔よ。でも、ほんとの悪魔は神よ」

「…………言葉、矛盾。でも、禁忌、自らを罰することをしない。それを罪とすること、神もまた矛盾」

「でも、ヤツはそれを回避するすべを手に入れた。雫流が再転生することになった時、ばれるってことに気付いた。だから執拗にあの子の命を狙うのよ」

「…………その因果関係は不明。でも、雫流ちゃんが死んだら、三種族、すべてにばれる。その時、裁くのは民意。神ではない」

「あの子の存在を認めさせるには、戦争しかない」

「…………そのため、まずは七色を手に入れる。お前の進む道。単純。でもその道、光が陰り出した」


 そう言って立ち上がった銀色の髪は、ランタンの炎を静かに落とした。


 闇は、二人の心を映すよう。

 優しさを持てば進めず。

 覚悟を持って進めば必ず傷つく。


 切れ長の目に浮かびそうになった涙を気迫で留めた女性は、テーブルに、家具に、自らの体を刻ませながら、力強く唯一の扉へ向けて進んでいった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 四限目が終了して先生が出ていくと、沙那が椅子ごと近付いてきた。

 いつもの悪だくみ顔が妙ににやけてるけど、お前、気持ち悪いよそれ。


「雫流ぅ、怒んなよ~。いつもみてえに、完成された凛々しい顔しろよぉ」

「てめえ、いつもいつも俺を置いて逃げやがって。それより完成された顔ってなんのことだ? なにが完成したんだよ」

「福笑い」

「俺の凛々しい顔がすこぶる心配だ。鏡貸してくれ」


 このままでは好きな子に告白するたび爆笑される。


「あら、沙那がこいつを褒めるなんて珍しいわね」

「こいつは俺をからかってるだけだ。見ろ、これが人を褒める時のつらか?」


 小走りで近寄って来た花蓮に、両手で挟んで沙那の顔を振り向かせたら、眉根を寄せて露骨に嫌そうな顔をされた。


「ちょっとやめなさいよその能登半島みたいな顔。あとあんたは、とっととそれ外しなさい」

「なんだよ、感電我慢してまで見せてやったのに。おい沙那、こいつ外せるか? また花蓮がやらかしやがって……」


 沙那は鍵穴を覗いた後、任せとけとか言いながら鞄からピンセットとマイナスドライバーを取り出した。

 なんで持って歩いてんだよそんなもん。


 それにしても、今日はクラスの空気がいつもより断然重い。

 理由は簡単なんだけど。


 ……二つ後ろの席に座ったままでいる女の子。

 可愛そうに、昨日の噂があっという間に広まったようで、みんなが朱里ちゃんのことを見る目が驚くほど冷たい。

 朝からああして、誰とも話すことなく俯いたまま。

 ああ、くそう! せめて話しかけてやろう。


 俺が朱里ちゃんに声をかけようと思って腰を浮かせたら、電撃と共に腕を引っ張られて無理やり席に着かされた。

 犯人は俺の腕を机に横たえると、そこに頭を乗せて鍵穴を覗き込みながらピン先を抜く作業に入る。


「いでででででででっ!」


 そこまで密着せんでも!

 腕に体ごと抱き着きやがって!


 だが、ここはプラスマイナスゼロってことにしといてやろう。

 胸元に出来た隙間から、ちらりと赤っぽい何かが見えて幸せ。


 ……いや待て。赤ぁ?

 こないだのスケスケパンツといい、真っ赤な胸元といい、お前は俺が崇拝する女子高生を汚す気か?

 まあ、しょうがないから見るけど。


「……………能登半島?」

「おせえな今頃かよ」


 沙那は俺の後ろに立った花蓮を見上げた。

 が、まずい。

 こいつ今、俺の目線を追った後、自分の胸元を覗き込んだ。


「さっきはそう見えたのよ。ほら、早く外してあげなさいな」

「早くぅ? こいつのためにぃ? 違うよな~。時間かけた方が嬉しいんだよな~」

「うるっせえ、早く外せ! 電気がいてえんだよ!」


 やばい、ドキドキの寸前。これ以上は危険だ。


 今タライが落ちたら花蓮に当たる。

 俺から離れるように言わなきゃ。

 そう思って花蓮を見上げてみたら、グレーの瞳が上から覗き込んできた。


「さっきは嬉しかったわよ、変態。ちょっとだけ見直した」


 素直かよ。ちょっと照れる。

 俺、そういう扱い慣れてねえから、なんて返事をしたもんか。


「でも、やっぱり違うかもって少しでも感じたら、その時は諦めるから」


 いやいやいや! 俺一人じゃ解決できねーって!

 どうやって説得しようか悩んでるうちに、沙那が先に口を挟んできた。


「こいつを見直すぅ? そりゃあ考え直した方がいいぜ。今だってこいつ、ウチの」

「学食のA定!」


 妙なネタねじ込んでくるな! 空気読め!


「…………ことを」

「ソフトクリーム付き!」

「金で買収するほどの悪人なんだぜ?」


 ちきしょう! なんて悪知恵の働く子っ!


「なによ今の? 沙那に弱みでも握られてたの?」

「二十秒くらい前からね」

「ふーん。それよりあんた、お茶、まだ貰ってないんだけど?」

「ああ、そうか。沙那より前に約束してたもんな。買ってこないとででででで!」


 沙那の電撃と、ドライバーの音が強くなった。

 特にドライバーの音、ヤバい。花蓮も、心配そうな顔を寄せてきた。


「ててててめっめめ! なに怒ってんだだだだだ!」

「さあな」

「それ以上奥に挿したら、俺のネジにまで届いちまままままままっ!」


 鍵穴に差し込んだピンセットもあんなに曲がって、誰かが押しただけで折れちゃいそう。


「変態、心配しないでも、あんたのネジなんかもともと全部へっくち」


 ごつん。べきん。


「お前は! ほんっとにファンの期待を裏切らないやつだな!」

「いたた、おでこでピンセット押すとはね。沙那、リカバーできそう?」

「……こりゃ、切っちまった方がはええな」


 沙那はむっとした表情のまま、ドライバーと折れたピンセットを机に放ると、鞄をごそごそやり始めた。


「頼むわ、なんとかしてくれ」


 俺の言葉に真剣な顔で頷いた沙那は、鞄から白衣とマスク、オペ用のナイフとゴム手袋を順番に机へ出して、周りで見ていた全員の口から悲鳴を上げさせた。


「なるほど、金属切るよりこっち切る方が早いよな。ってきゃーーーーー!」


 俺の机を中心に、教室が阿鼻叫喚で満たされる。

 だが、そんな騒ぎがピークに達した瞬間、まるで嘘のように音が止んだ。


「…………朱里ちゃん」


 いつの間にか傍に立っていた朱里ちゃんは伏せた顔のまま俺の手を引くと、教室の外へと向かった。

 無言で、足早に。


 背中に感じるどよめきと、繋いだ手から感じる硬い表情。

 こらお前ら。朱里ちゃんいじめんな。

 みんなに一言文句を言いたかったけど、初めて登校した日の事を思い出して、口をつぐんだ。

 どうして君は、あの時クラスの皆と仲良くなることを拒絶したんだ?

 

 ――俯く赤いポニーテールに連れてこられたのは、トイレ脇の手洗い所。

 そして彼女が手にしたポーチから、ポンプ式の手洗い用洗剤が顔を出す。


「その手があったか。さすがは朱里ちゃひょわ!」


 手と手錠に塗りたくられる洗剤。

 泡だらけになったところで、朱里ちゃんは小さな声で、せーのと言いながら手錠を引っ張った。

 つっかえた時の痛みを想像して歯を食いしばっていたのに、手錠はするっと音も無く、簡単に抜けた。


 あまりのあっけなさに浮かべた、朱里ちゃんのとぼけた顔。俺のぽかんとした顔。

 お互いに見つめ合って、同時に噴き出した。

 ……そこには二人が抱えた不安など、入り込む余地はなかった。



 ひとしきり笑った後、並んで手をすすぐ。

 でも、今まで通りという訳にはいかないようだ。

 彼女は、ずっと口を開くことは無かった。


 ……まるで太陽がその瞳を閉じてしまったよう。

 俺は、自分の気持ちに改めて気付いた。

 暖かな光無しで、俺は生きて行けやしない。


「朱里ちゃん…………、なんで、なんだ?」


 昨日の告白。そして、罰。

 聞いてどうする。どっちも、返事なんかできるはずないだろう。


 俺は口にしてしまったことを後悔しながら彼女を横目で見た。


 ハンカチで手を拭いて、その手をメッセンジャーバッグに入れる。

 そして取り出したのは、小さな包み。……飴玉か?


 その包みを開いて黄色い粒を摘まむと、真剣な面持ちになって俺に向き直った。


 俺の目の前で開いた左手の真ん中に、飴玉を押し付けて握る。

 その手を前に差し出してゆっくり開いていく。


 体育館前でもやられたことがあるのに、反射的に体が動いちまうもんだ。

 俺は濡れたままの両手をお皿にして、その下に差し出した。

 でも予想通り、何も落ちてこなかった。


「えへへ。大事な物を取られたくない時の、あたしの必殺技よ!」


 そう言いながら俺から一歩離れた朱里ちゃんは、輝くような笑顔を浮かべて、くるりと回りながらジャンプした。


 ……まるで時間が止まったようだった。


 逆光の中で踊るスカート。

 可愛く曲げた膝。

 手首を反らすように軽く握った手。

 そして俺を見つめ続ける微笑みに、右手で隠した飴を放りこんだ。


「か、かわいいっ! …………朱里ちゃん! やっぱり俺……」


🐦🐦🐦🐦🐦しゃわー


「朱里ちゃんのこ冷てえっ! こらハト! 邪魔しなさんな!」

「あはははは! ハトさん、可愛いっ!」


 ……あ、うん。

 五か所の蛇口を全部上向きにして、その上に座っていらっしゃる。

 それ、指で押さえるのと同じ要領な。

 俺に水流の集中砲火。

 びっしょびしょ。


 でも朱里ちゃんがいつものテンションで笑ってる。

 じゃあ、いっか。


 俺を指差して笑っている彼女を見ているだけで、心がぽかぽかだ。

 ……やっぱり君は、太陽みたいな子だ。


 肩の力を抜いて微笑む俺の耳に、朱里ちゃんの携帯から着信音が響く。

 それと同時に、ハトも空気を読んで蛇口を締めてくれた。


 隣に寄り添った朱里ちゃんが、携帯をタップする。

 ……早朝に知らせがあった、ハイレベルなアエスティマティオ。

 その前半が、今、発表された。



  本日の進級試験

 Aランク:わがねろもでに ゆえねふりいつ これを外すと、勾玉がある。二人一組で解読する事。最も早く発見できた者に授与。ペア以外の者と協力した場合失格とする。妨害自由。鎌の使用は不可。

 Sランク:深夜二時に発表。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



『……告知。全学、傾注。アエスティマティオ、ランクA。発見者一名確定。チームクイズ研・和田達也。以上』


 校内を満たす絶望の声。

 そりゃあそうだ、Aランクの勾玉だ。

 まともに取り組んだみんななら、悔しくて当然だ。


 ……俺だって悔しい。

 でも、おれの悔しさは、みんなとちょっと違う。


「まいったわね。朱里の事で頭が一杯だったから、作戦立てるの忘れてた」


 へろへろになって俺の横を歩く花蓮は、そんなに悔しがってないみたい。

 三時間も追いかけまわされたのに、大した精神力。


「それにしても、俺たちの足止めにあれだけの人数集まるか? たった四人相手に、五十人ぐらいいたぞ。これじゃまともに暗号なんか解けねえ」

「今のところ、校内一の厄介チームだからね。当然でしょ」


 普通、チームは八人編成。

 何人かを俺たちの足止めに回しても、残りで暗号解読に挑むことが出来る。


「これからも同じことされたら、正直きつい」

「高レベルの課題が出た時は、早めに隠れてれば済む話よ。寮とか、シャマインでもいいし。今夜はとりあえず食堂に集合よ」

「ああ、早く帰って寝とかないと。……そう言えば、さっき暗号読めたって言ってたよな。答え、どこだったの?」


 教室に入る直前で立ち止まって質問すると、花蓮は携帯を俺の向きに差し出した。


「文字が何か所か変わってるのよ。百人一首なんか知らないと思うからその辺りは説明省くけど……」

「光孝天皇だろ。わがころもでにゆきはふりつつ。…………どうした花蓮! フグがカキに当たった時の顔になってるぞ!」

「やめなさいよ、怖い。なによそのまともな会話。あんた、さっき逃げ込んだトイレにいた蛾、食べたりした?」

「食うか! 追い払ってやったのになんてこと言いやがる。昔やってたゲームに百人一首が題材のやつあってさ、キャラ名と呪文だから全部覚えたんだ」


 俺の説明に、ほっと胸を撫で下ろす金パツインテ。

 よかった、この程度で済んで。

 昔、美嘉姉ちゃんの前でそらんじたら三日寝込んじゃったからな。


 ……二人とも、いくらなんでも失礼だよね。


「でも知らなかった。蛾にそんな栄養素があるの?」

「無いから絶対食べないで。さっきの私みたいな顔になるわよ」

「それはやだ」

「そんなにひどい顔だったの? あんたのせいなんだから忘れなさい」


 そう言えば、昨日のレンガの中に蛾を咥えてるツバメがいたな。

 面白がって朱里ちゃんに見せたら、ドン引きされたけど。

 あれ、どの辺に置いたっけ。こんど探しに行こう。


「……じゃあ、字が変わってるの分かるでしょ?」

「えっと、「こ」が「ね」になってる。後は、「き」が「え」。「は」が「ね」。「つ」が「い」」

「答え、もう口にしてるわよ。着替え。更衣室じゃない? 後のヒントはコガネと鋼とツガイ」

「…………あれのことかな? 男子更衣室に、金ぴかの蝶番ちょうつがいが二つくっ付いてる扉があるんだ。お前のお茶代になりそこねたやつ」

「なによそれ。でも、きっとそこね。あたし達がペアだったら手に入れてたかも」


 そう、パートナー以外の者との情報交換は禁止だ。

 残念だったけど、こればっかりは仕方ない。


 それに、もし暗号が分かってもあれだけの人数から逃げ切って悠長に勾玉を探すことなんかできねえ。


 今後はどうやって勾玉を手に入れたものか考えながら教室の扉に手をかけたちょうどその時、部屋の中から大声が響いた。


 今の声、柴咲さん?


 花蓮と目配せをして教室に飛び込む。

 そこには、窓のそばに呆然と立ち尽くす朱里ちゃんと、彼女をにらみつけながら教室の中央で仁王立ちする柴咲さんの姿があった。


 他の皆は、教室の隅に固まったまま朱里ちゃんに冷たい視線を浴びせている。

 ……よく見ると柴咲さんの足元に、もう一人、誰かがしゃがんでいた。

 あれは遠山さんだ。


「この子に近寄らないで! この、化け物!」

「……分かってる。大丈夫よ、寿々。……遠山さん。今度あたしに近付いたら、本気で殺すわ。覚えておいて」


 なんてこった。昨日見た悪夢の続きだ。

 どうしてこうなったのか分からない。

 でも、酷い言い方だけどチャンスかも。


 反射観察スチールリフレクス


 柴咲さん、涙を流してる。まさか本意じゃない?

 朱里ちゃんも奥歯を噛み締めて、握った手が真っ白になるほどっっっ!


「ぐあああああああああっ!」


 いてえ! 前の比じゃねえぞこれ!

 目に焼いた棒でも突っ込まれたみたいだ! 激痛が後頭部まで突き抜ける!


「雫流!」

「七色!?」

「ちょっとあんた! まさかまたなの!?」


 くっ……。でも、これもバカの功名。

 俺の叫び声でケンカがうやむやになってるうちに。


 痛む頭を抱えながら、朱里ちゃんに向けてふらつく足を踏み出した。


 救ってあげたい。そこにいちゃいけない。

 これだけの冷たい視線にさらされたままでいたら、心が壊れちまう。

 俺がここから! 連れ出してやる!


 ……だから頑張れよ俺の体! 三歩しか進めてねえぞ! 机に寄り掛かってなきゃ立ってられないとか、頭痛ごときに負けんなよ! ふざけんじゃねえ!


「ぐぅっ、くそっ!」


 呻く俺の体を、誰かが支えてくれた。

 脈を打つように安定しない視界の中に映るのは、メガネと三つ編み。


「おお、遠山さん……」

紅威くれないさんのとこ、行きたいの? 大丈夫?」


 本当に、頭が上がらない人だよ。

 こんなに勇気を持ってる人、俺は知らない。


「やめて……、やめてーーーーーーーー!」


 必死に、何かにあらがおうとする絶叫が響く。

 揺れる視線を声の方に向けると、朱里ちゃんが俺たちに向けて投げつけようと、机を持ち上げていた。


 ……いや、違う!


 観察の余波で赤く染まって見える朱里ちゃんの手。

 あれは、持ち上げてるんじゃなくて……。


 浮き上がろうとする机を、掴んでいる?


 もっと観察を!

 そう願う俺の視線は、誰かの背中に妨げられた。


 両手を広げて、机から俺達を守ろうと立ちふさがったのは、柴咲さん。


「ちきしょう! だから良い奴が痛い思いしようとすんじゃねえ!」


 それだけは勘弁ならねえ!

 頭の激痛?

 体を動かすのにそんなもん関係ねえだろ!


 俺は柴咲さんを突き飛ばして、振り下ろされた机に頭から体当たりした。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ……

 …………

 ………………


 やれやれ、ね。


 もう、朱里の件からは手を引くわ。

 成り行きを見てたけど、やっぱりあれを罰とは思えない。

 目は赤くなっていなかったようだけど、この世界にはカラーコンタクトってものがあるから簡単にごまかせる。


 ……やっぱり、あの子は壊れたのよ。


「これでもあんたは、あれがただの罰だって言うつもり?」


 足元で転がってるバカ。

 そう、目を回してるあんたよ。

 あんたがあたしに希望をくれて、あんたが幕を下ろしたの。

 責任とって、最後の言葉を言いなさい。


「いやいや。あれ、ただの罰じゃねえだろ」

「そう、ようやく分かったのね。だから……」

「すげえ罰だな。正体はまるで分かんねえけど、あんなの聞いたことねえ」

「この脳捻転のうねんてん! どんなひねくれた頭なのよ!」

 

 これだからバカは嫌い!

 ああもう、私はなんでこんなのを一瞬でも信用したのかしら。


「おお、それと、気付いたことがあって。あれ? なんだっけ? 頭打ったから忘れた?」

「いいわよもう。どこかの天使が祝福ブレスしてくれたから助かったようなもんだけど、頭から凄い音が鳴ったのよ? ちょっとはじっとしてなさい」

「じっとしてられるかよ。それより、お前はなんか分かった?」

「……はっきりと分かったことがあるわ。あれは」

「いたたたたたたっ! こらハトつつくなっ、俺はポップコーンじゃねえ! アレルギー表示見ろよっ、もろこし成分ゼロだろ!」

「質問しといて話の腰を折るんじゃないわよ! この変態バカ!」


 ああもう、頭痛い。

 世の中からバカのワーストテンは消えてしまえばいい。

 ……ああ、そうすると沙那も入っちゃうわね。それは困る。


「何匹寄って来るんだよ! 俺がゼロを1にする奇跡の男だからってひがむんじゃいてててて! 逃げ出した朱里ちゃんを探しに行くんだから邪魔すんな!」


 ……行ってどうする気よ。

 ああ、考えてないのか。

 バカの一等賞だもんね、あんた。


 バカだから朱里の事を信じて。

 バカだから寿々と遠山を助けて死にそうになって。

 バカだから神の使いにいつもつつかれて…………。


 ん?


 いつも?


 ………………なんでタライじゃないの?


「お前らなんで今日は床にいるんだよ! うわあ! 机ん中から増援が出てきた! た、助けて花蓮!」


 まさか!


「……あんたに一つ、お願いがあるの」

「はあ!? 俺がおねがいだだだだだ!」

「あたしに勇気を頂戴」

「今は朱里ちゃんが先だ! あいつが悲しむなんて間違ってる!」

「……信じてるのね、朱里の事」

「当たり前だ! 何があっても、俺はあいつの事を信じる! って、どこ行く気だよ花蓮! たすけででででで!」


 そうなの。信じ抜くのね。


 ……あんたのバカが、あたしに勇気をくれた。

 しかもさっきの一言で、朱里の謎の半分は解けた。


 凄いわ。やっぱりあんたは、ゼロを1にする男よ。


 あんたは、あんたの思うように足掻きなさい。

 あたしは、朱里の罰を見極める。


 ……そしてもう一つ。


 これだけの事態、当然動いているわよね、沙甜?

 あなたの足を止めとかないと。

 せっかく答えが見え始めたこの件に介入されたら、解決できるものも解決できなくなる。


 先に動けて良かった。

 あなたの思い通りになんかさせないわ。


 しかし、どっちも前途多難ね。

 ……こんなの、久しぶり。


 思わず舌なめずり。

 ふふっ。あたしこそ、魔眼が開いているんじゃないかしら?


 さて、勝負と行きましょうか。


「この魔界の宰相さいしょう、ルキフゲ・ロフォカレを舐めるなよ、沙甜! そして、神!」



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「それ、本当?」

「…………廊下から見ていた。さすがに限界。あれだけ解除する」

「あたしがそれを許可できない。今、みんなが無垢なまでに勾玉を渡してくれているのはそこに例外が無いから。一つ許可すると平等にしなければならない。でも、雫流に勾玉を使わせるわけにはいかない」

「…………ならば、一つしか手が無い」

「あたしは七色を信じる。あたしの意志を貫く。準備しておいて正解だった」

「…………あの子たち、頑張ろうとしている。それでも?」

「だからこそ、よ。散々頑張って思い通りにいかなかったら、それこそ絶望させちゃうわ。花蓮あたりに邪魔されると厄介。先に動けて良かった」

「…………では、教頭の権限。我が名でサインする」


 沙甜が出した一枚の紙を美嘉が受け取った。

 印字された文章の下に、一行分の空白。

 そこに、指を真一文字に滑らすと、青白い煙を噴きながら焦げ跡となって文字が刻まれた。


 美しい筆記体で刻まれた、美嘉の真の名前。

 これで、その紙は正式に効力を持つ書類となった。



 ……その紙の冒頭には、「退学届」と書かれていた。



 つづく。

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