第3話「推理」
この中の誰かが、既に死んでいるかもしれない。
何の根拠もない妄言だ。だがタイミングよく訪れた稲妻と城ケ崎のよく響く声が、その発言に不思議な信憑性を与えていた。ろうそく一本立てた暗がりで怪談を語ると真に迫るように、取るに足らないものだと切り捨てられない雰囲気があった。
「皆様、会話も接触も出来ていますから、幽霊ではないと思います」
「分かんないっすよ、そんなの。幽霊が触ったり喋ったり出来ないって誰が決めたんすか。オーナーさんは幽霊に会ったことあるんすか?」
会ったことは無い。淳子は首を横に振った。城ケ崎は「ですよねー」と得意げになり、隣のテーブルの小林に声をかける。
「コバちゃん。なんか、思い込みが身体に働くみたいな現象あったっすよね。ビタミン剤を薬だと思って飲ませたら効く、みたいな」
「プラシーボ効果?」
「そー、それ! あと、事故で無くなった足とか腕が痛くなるやつとか」
「幻肢痛だね」
「コバちゃん頭いいわー。そーいうのが組み合わさってさ、死んだけどそれに気付いてないから生きてると思い込んでて死んでない、みたいな現象ないっすか?」
「聞いたことは無いけど……『観測問題』と言って、事象は認識されるまで確定されないという話は量子力学の世界に存在する」
「それだ! その……反則問題?で、死んじゃったの分かってない奴が生きたまま幽霊になるんだって!」
いかにも名案を思いついたという風に、城ケ崎がパチンと指を鳴らした。藤本が呆れたようにボソリと呟く。
「そんなわけないでしょ」
城ケ崎がムッと眉間に皺を寄せた。立ち上がり、遠くのテーブルに座る藤本に向かって声を張る。
「どーしてそんなこと言えるんすか。カノジョさんは幽霊に会ったことあるんすか?」
「ちょっと、カノジョさんは止めてよ」
藤本が妙なところに突っかかる。小林が密かに顔を伏せた。
「いいじゃないっすか、カノジョさんはカノジョさんなんだから。それより、カノジョさんは幽霊に会ったことあるんすか?」
「ないけど、生きている人間と幽霊が同じなわけないでしょ」
「じゃあカノジョさんは、自分が生きてることをどう証明します?」
抽象的な問いかけに、藤本が口を噤んだ。城ケ崎が得意げに胸を張る。
「コバちゃんから聞きましたけど、カノジョさん、喧嘩してる間に走ってきたタクシー捕まえてここまで来たんすよね」
「……そうだけど」
「あの橋からここまで、メーター動きました?」
「そんなのいちいち覚えてない」
「本当に? もしかして本当は『見てない』んじゃないすか? タクシーごと川に落ちたから、メーターの記憶はなくて――」
「おい」
岡島がドスの効いた声で城ケ崎の言葉を遮った。煙草の煙を吐き、ギロリと鋭い目で城ケ崎を睨みつける。
「うるせえよ」
貫録ある年長者が放つ、威圧的な言葉。しかし城ケ崎は動じない。
「もう食事はほとんど終わってるんだし、いいじゃないっすか。ジイちゃんはどうなんすか。タクシーと自分の車、どっちで来たんすか?」
「自分の車だ」
「じゃあ最有力幽霊候補っすね」
「なんでだよ」
「高齢者の運転は危ない。常識っす」
「てめえが常識を語るな」
ごもっとも。淳子は心の中で強く岡島の言葉に同意した。
「だいたい、理屈で言えば俺は一番候補から遠いだろうよ」
「え? なんでっすか?」
「俺はこのペンションに一番最初に来た。俺の後に四人もあの橋を通ってるわけだ。もし俺が橋から落ちたとして、四人とも事故の痕に気づかないのはおかしいんじゃねえか?」
そこまで強気に持論を展開していた城ケ崎が、いきなりピタリと止まった。
「……確かに」
顎に手を当て、城ケ崎が考え込む。そして隅っこのテーブルでひっそりジェラードを食べる奥山に声をかけた。
「お姉さん」
奥山がビクリと肩を上下させた。
「わたし?」
「ういっす。お姉さん、ここに来たの最後っすよね。タクシーっすか?」
「そうですけど……」
「橋に事故の痕があったかどうか、覚えてます?」
「覚えてないです。雨すごくて、ほとんど前も見えないぐらいだったし……」
おどおどと奥山が質問に答える。再び、岡島が「おい」と口を挟んだ。
「さっきから他人の話ばっかり聞きやがって。てめえはどうやって来たんだ」
「タクシーっすよ」
「あの橋からここまで、メーター動いたかどうか覚えてんのか?」
「そんなん覚えてるわけないじゃないっすか」
悪びれもせず、あっさりと答える。藤本がこれ見よがしに溜息をついた。
「じゃあ、あんたも候補じゃない」
「そりゃそうっすよ。当たり前じゃないっすか。オレもコバちゃんもカノジョさんもジイちゃんもお姉さんも全員幽霊候補っす。だから――」
城ケ崎が大きく腕を広げ、演説をするように高らかに宣言した。
「推理します」
◆
城ケ崎の提案に従い、淳子と客五人は食事後、全員でリビングに集まった。
まずは客五人が、長方形のテーブルの長辺に三人と二人で向かい合って座る。三人側の中心に城ケ崎、その右に小林、左に岡島。二人側は城ケ崎から向かって右に奥山、左に藤本だ。冷え性なのか、藤本と奥山は室内だというのにそれぞれカーディガンとジャケットを羽織っている。城ケ崎も椅子の背もたれに白いウィンドブレーカーをかけ、いつでも羽織れるようにしている。
淳子はコーヒーを配った後、テーブルの中央にスティックシュガーとカップミルクを置き、自分にもコーヒーを淹れて少し離れた場所の椅子に腰かけた。城ケ崎と藤本は砂糖とミルクを使い、小林と奥山は砂糖だけを使い、岡島はどちらも使わない。淳子は岡島と同じくブラックのコーヒーを飲みながら、この不思議な会合を見守ることにした。
輪に交わらず観察に徹すると、各員の意気込みのようなものが見えてくる。やたらと身を乗り出している城ケ崎はやる気満々。その城ケ崎側に身体を傾ける小林もそこそこやる気あり。逆に城ケ崎から離れるように座って煙草をふかす岡島はやる気なし。藤本は小林に悪い意味で集中している。ピンク色のカバーをつけたスマホを弄り続けている奥山は、何を考えているのかさっぱり分からない。
「そんじゃまずは自己紹介からいきますかー。ジイちゃん、よろしくっす」
城ケ崎が岡島に話を振る。岡島は不機嫌そうな棘のある声を返した。
「なんで俺からなんだよ」
「そりゃあ、一番の年長者なんで」
「都合のいい時だけ年寄り扱いしやがって」
岡島がふーと煙草の煙を宙に吐き出した。そして気怠そうに話し出す。
「岡島康二。六十三歳。とっくに定年済みだが、定年前は教師をやっていた」
「え、ジイちゃん、先生だったんすか?」
「なんか悪いか?」
「いや、ジイちゃんみたいなガラの悪い先生、オレは見たことないんで」
「お前みたいな常識のねえクソガキは学校に唸るほどいたぜ。小学校だけどな」
城ケ崎が「ひでー」とケラケラ笑った。小学生と同レベル呼ばわりされたのに、堪えていないどころか嬉しそうですらある。幸せな性格だ。
「で、ジイちゃんはなんでこんな日にこんな場所に一人で来てるんすか?」
常人ならば避けて通る急所に、城ケ崎があっさりと触れる。本当、幸せな性格だ。頭が痛くなるほど。
「……なんだっていいだろ」
嘯き、岡島が煙草の火を消した。にわかに場の雰囲気が重くなる。ただし重くした張本人の城ケ崎は「えー」と不満そうに口を尖らせ、全く気にしていない。
「じゃあ、次は、僕が」
たどたどしく言葉を切りながら、小林が前に出た。
「小林学。三十歳。仕事はシステムエンジニアをやっています。今日は恋人の――」
「元」
力強く、藤本が小林の言葉を遮った。
「元恋人、でしょ。一番大事なところを忘れないでくれる?」
「いや、美月、僕は――」
「藤本美月。二十七歳。アパレル関係で働いています。今日はクリスマスを山奥のペンションで過ごすっていうお洒落なことをしてみたくて一人でここに来ました。よろしくお願いいたします」
藤本が恭しく頭を下げた。小林はもうほとんど泣きそうになっている。可哀想に。
「すんません。二人、なんで喧嘩してんすか?」
――聞くのか。本当に、本当に幸せな性格をしている。
「なんだ。この兄ちゃんと仲良さそうにしといて、聞いてねえのか」
「コバちゃん、教えてくんないんすよ。何回も聞いてんのに」
普通、一回聞いて教えてくれなかったら諦めるでしょうに。淳子は密かに溜息をついた。藤本がじろりと小林を見やり、小林は慌てて話を変える。
「いいから次行きましょう。じゃあ、そこの女性、どうぞ」
指名され奥山がゆらりと動いた。机の上にスマホを置き、ボソボソと語り出す。
「奥山彩音。二十三歳。建築事務所で事務員をやっています」
沈黙。
もうこれ以上は何も出て来ませんよ。口を噤み、微動だにしない奥山は、全身で全員にそう語りかけていた。珍しく戸惑いながら、城ケ崎が口を開く。
「えっと、最後はオレっすね」
城ケ崎が背筋をピンと伸ばし、元気よく声を張った。
「城ケ崎直哉。ハタチの大学生っす。自転車が趣味で、特に山道をガーッって走んのが好きなんすけど、なんかザーッって嵐が来たんで、こりゃやべえってなって緊急でここに泊まることにしました。よろしくっす!」
ブン、と勢いよく城ケ崎が頭を下げた。誰も何も反応しない中、小林が「よろしく」と言葉を返す。和を尊ぶ日本人。
「そんじゃ自己紹介も終わったんで、これからオレたちの中に幽霊はいるのか、いたとしたら誰なのか、推理を始めたいと思いまーす」
城ケ崎が幽霊探しの開始を宣言する。岡島と藤本が呆れたような顔をするが、その場から離れようとはしない。何だかんだで人を惹きつける力はあるのよね、この子。淳子は城ケ崎の人間力に感心しながら、ふんわりと豆の香りが漂うコーヒーに口をつけた。
◆
幽霊探しが始まり、最初に発言したのは小林だった。
「いるかどうかから始めるのか?」
「んー、逆っす。いる前提で進めて、全員が幽霊じゃないって証明出来たら、いないことになる感じ」
「幽霊じゃない証明なんて、どうやってするのよ」
ついさっき「生きていることを証明しろ」と言われた藤本が、意趣返しのように城ケ崎に喰ってかかった。
「あんたの定義だと自分が死んだことに気づいていない幽霊は、人間と全く変わらないんでしょ。じゃあ証明なんか出来ないじゃない」
「って、思うじゃん? ところが出来るんだなー」
城ケ崎が不敵に笑った。そしてずいとテーブルから身を乗り出し、女子二人に近づく。
「オレらタクシー組は清算のレシートがあれば、そこまで乗って来た証明が出来る」
小林が「ああ」と頷いた。城ケ崎が右の手のひらを上向かせ、二人に差し出す。
「レシート、持ってる?」
藤本と奥山が目を合わせる。返事は、ほとんど同時に返って来た。
「あたし、いつもタクシーのレシート貰わないし」
「わたしも……ゴミになるから断ります……」
QED。証明できないことを証明して証明は終了した。「マジかー」と額に手をやる城ケ崎に、小林が尋ねる。
「城ケ崎くんはどうなんだ?」
「え? オレはあんなの貰わないっすよ。要らないじゃないっすか」
なのにあんな「いいこと思いついた」みたいな顔をしていたのか。無茶苦茶な男だ。
「つうかよ」
火のついた煙草を人さし指と中指で挟み。椅子の背もたれに身を預けながら、岡島が面倒くさそうに口を開いた。
「レシート以前に、荷物で証明出来んだろ。死んでたら持って来れねえ」
「荷物は駄目っすよ。死ぬ前から持ってるんすから、死んでも持って来れるっす」
「どういう理屈だ」
「だってそうじゃなきゃ、服持ち込めないから幽霊はみんな全裸になっちゃうじゃないっすか。全裸の幽霊とかあんま聞いたことないっすよ」
「触れて喋れて物食える幽霊の方が俺は聞いたことねえよ」
全くだ。淳子はまたしても心中で岡島に同意した。岡島のいちゃもん癖がツッコミとして機能している。
「じゃあ、僕や岡島さんの車も生存証明にはならないのか?」
小林が尋ねる。城ケ崎は「んー」と悩んだ後、窓を指さして答えた。
「なるならない以前に、この嵐の中、それだけのために駐車場まで車見に行きます?」
行かないっすよね。常識的に考えて。そう言いたげな口調。「お前が『それだけのため』とか言うな」ぐらい言っても許されると思うのだが、小林はただ「そうだね」と素直に引き下がった。自制心の強い日本人。
「っつーわけで、生きてることの証明は無理っぽいんで、誰が死んでるかの推理に入りますか」
「推理って何すんのよ」
藤本がまた突っかかる。主導権を握ろうとしているのかもしれない。話に乗せられている時点で、主導権は揺るぎなく城ケ崎のものなのだけれど。
「んー、ぶっちゃけ、特定はムズいと思うんすね。だから確率論で行こーかなと」
「確率論?」
「そ。この中で一番死んでいる確率が高い人間を幽霊ってことにする」
「……ねえ、ずっと思ってたんだけど、その幽霊を決めて何の意味があるの?」
「オレが満足する」
一切の躊躇いなく、むしろ自慢げに城ケ崎が言い切った。言葉を失う藤本に変わり、岡島が城ケ崎の相手を引き継ぐ。
「そんじゃ、そこの姉ちゃんでいいだろ」
岡島が煙草で奥山を示した。示された奥山は「え」と声を上げる。
「さっきも言ったけどな、この姉ちゃんがここに一番遅く来た。俺たちの誰も事故の痕を見てねえってことは、その姉ちゃんが事故った可能性が一番高いってことだ。何か間違ってるか?」
岡島が城ケ崎に迫る。城ケ崎は腕を組み、んーと首を捻った。
「それは間違ってないとは思うんすけど、別の視点も必要だと思うんすよ」
「別の視点だあ?」
「単純に誰が事故を起こしやすいかで考えたら、やっぱ高齢者で自家用車のジイちゃんじゃないっすか」
常にしかめ面の岡島が、さらに眉間の皺を深めた。
「だから俺が死んでることにしろってか。あ?」
「そういう考え方もあるって話っすよ。なに怒ってんすか。さっきまで誰が幽霊でもどうでもいいみたいな感じだったのに、自分が死んでるのはイヤなんすか?」
イヤに決まってるだろう。淳子は素直にそう思ったが、岡島は言い返せずに怯んだ。
「……俺より、こっちの兄ちゃんはどうなんだ」
岡島が今度は煙草で小林を示した。小林が「僕ですか?」と目を丸くする。
「兄ちゃん、どこから来た」
「東京ですが……」
「じゃあ普段は車なんか乗らねえだろ」
「そうですね。ほとんど乗りません」
「俺は毎日乗っている。車がなきゃどこにも行けねえところに住んでるからな。んで、そうやって毎日車を乗り回してる俺と、休日に錆びついた免許証引っ張り出してきた兄ちゃんの、どっちの方が事故る確率は高いんだ?」
小林がグッと顎を引いた。城ケ崎が「うーん、そーいわれると……」と困ったように頭の後ろを搔く。そこに、藤本が口を挟んだ。
「確かにこの人、運転下手だし、事故る可能性は高いかも」
「お、おい。美月」
「確かに言われてみたら、雨でスリップしてそのまま川に突っ込むとか、この人がすごくやりそうな事故り方だわ。うん、間違いない。死んでるのはこの人だ」
「やめてくれよ。美月を残して死ぬなんて、僕はイヤだ」
小林が上半身を前に傾け、藤本を真っ直ぐに見据えた。
「なあ、美月。頼むから機嫌を直してくれよ。僕はもしかしたら君が死んでいるかもしれないなんて、考えるだけで恐ろしい。それぐらい君のことを――」
チッ。
強い舌打ちが、小林の口説き文句を遮った。全員の視線が舌打ちの発信元、奥山に集中する。奥山は苦々しげに釣り上げていた口角をすっと戻すと、背筋を伸ばし、涼しい顔で言い放った。
「何か」
何か、じゃないだろ。全員がそういう顔をしながら、全員がそれを口にしない。あの奥山のカップルに対する強烈なヘイトは一体なんなのだろう。そしてそれだけのヘイトを溜めておきながら、どうしてクリスマスに山奥のペンションになんか来たのだろう。踏み込むまいと思っていた客のプライベートに、淳子はにわかに興味を覚え始める。
「しかしこのままだと、どーにも決まりそうにないっすね」
城ケ崎が肩を竦めた。傍で見ている淳子は決まらないなら無理して決めなくて良いと思うのだが、すっかり流されてしまっている客たちは次なる一手を思案し始める。
小林が、ポンと開いた左手に握った右手をぶつけた。
「推理で決まらないんだったら――」
雷鳴が轟いた。話が、決定的におかしな方向に歪められたことを示唆するように。
「推薦はどうかな」
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