第4話「推薦」
「推薦、っすか?」
城ケ崎が首を捻る。小林はコーヒーを一口飲んでから、説明を始めた。
「つまり、多数決だよ。誰が事故に会ったと思うかを投票して、得票数の多かった人間を幽霊ということにする」
「あー、そういうことっすね。オレは賛成っす」
城ケ崎がうんうんと頷く。その横で、岡島が人を嘲るように唇を歪めた。
「兄ちゃんもえげつないこと考えるねえ」
「え?」
「要するに、誰が一番死んでもいい人間だと思うか言えってことだろ?」
「い、いや、そんなつもりは――」
「兄ちゃんがどんなつもりだろうと、そうなるって言ってんだよ」
岡島が煙草を灰皿に押し付ける。小林は言い返せずに黙る。押しに弱い日本人。
「いいぜ。乗った。五人の中で一番のみそっかすを決めて、このふざけた茶番劇をお開きにしようや」
ドカッと椅子に座り直し、岡島が声を張り上げた。実に楽しそうだ。あの老人は何かにいちゃもんをつけている時が一番生き生きとしている。
岡島が淳子の方を向き、クイと顎をしゃくった。
「おい」
「はい」
「メモとペンを持ってこい」
「分かりました」
沈黙は金。余計なことは言わないのが得策だ。淳子は素直に立ち上がり、自分の部屋に向かった。文具をしまってあるデスクからペンを五本とメモ用紙の束を持ち出し、リビングに戻って皆に配る。全員にペン一本とメモ一枚が渡ったところで、岡島が意気揚々と語り出した。
「じゃ今から、死んでると思う奴の名前を書いて紙を折りたため。全員が書き終わったら開票だ」
「投票者の名前は書くんすか?」
「後でめんどくせえから無記名にしとけ」
五人がそれぞれにペンを持ち、紙に名前を書きはじめる。まずは城ケ崎が書き終え、藤本、岡島、奥山が後に続いた。最後まで悩んでいた小林は、全員が書き終えたことを確認すると慌てて自分も名前を書き、紙を折りたたんテーブルの中央に差し出した。
岡島が再び、淳子を乱暴に呼び付けた。
「おい」
「はい」
「お前が開票しろ」
――お断りよ。逃げた奥さんにやって貰えば?
喉まで出かかった辛辣な言葉を堪え、淳子はテーブルに歩み寄る。そして折りたたまれた五つの紙切れを回収してポケットに入れ、その一つ目を手に取った。
「ではまず、一票目から」
紙を開く。淳子の顔に、引きつった笑みが浮かんだ。
『ジイちゃん』
投票者を隠す気ゼロ。このまま読んでやろうかしら。それはさすがに、意地が悪いか。
「岡島様に一票入りました」
岡島が「ほう」と顎を撫でた。死んでいてもいいと思われているのに何だか嬉しそうだ。どこまでも偏屈。
開票した紙を近くの棚の上に置き、次の紙を開く。そこには、淳子にとって意外な名前が記されていた。
『奥山』
あまり目立たず、他の人間との絡みの少ない奥山には票が入らないと思っていた。誰だろう。丸くて女っぽい字だから藤本だろうか。あるいは小林辺りが無難に「一番可能性が高いから」と投票したか。
「奥山様に一票です」
名を呼ばれても、奥山は微動だにしなかった。淳子は続けて次の紙をポケットから取り出し、開封にかかる。
『小林』
社会人っぽい丁寧な字。岡島、藤本、奥山の誰でもあり得そうだ。もちろん最も可能性が高いのは、藤本だけれど。
「小林様に一票」
小林が「え」と声を上げ、すぐに藤本を見やった。藤本は涼しい顔で小林の視線を受け流す。これ、無記名の意味ないな。そんなことを考えながら、淳子は次の紙を開く。
『城ケ崎』
達筆。字面だけ見たら岡島っぽい。岡島が城ケ崎に入れることに違和感もない。しかしお互いに票を入れあっているとしたら、ある意味では仲が良い。
「城ケ崎様に一票」
城ケ崎が「えー、オレっすか?」と不服そうな声を上げた。これだけ全包囲に唯我独尊な態度を続ければ、そりゃあ入るでしょうよ。淳子は冷ややかな視線を城ケ崎に送り、最後の紙を手に取った。
ここまで、票は綺麗に割れている。
岡島に一票、小林に一票、奥山に一票、城ケ崎に一票。残り一票が藤本に入れば全員横並び。入らなかったら最後の票が入った人間が二票取って確定。結末を収束させる重要な一票。
紙を開く。全員が淳子の一挙一動に着目する。そして淳子はゆっくりと口を開き、そこに記されている名前を淡々と読み上げた。
「岡島様に一票、です」
◆
「なるほどねえ。俺が幽霊だったってわけか」
結果を受け、岡島が満足そうに呟いた。嫌われれば嫌われるほど水を得た魚になる、根性のひん曲がった老人。
「まあ、別にいいけどよ。俺を推薦した理由ぐらい、教えて欲しいもんだなあ」
煙草をふかし、岡島が嘯く。嫌われているという立場を逆手に取った不遜な態度。こう来られては、並みの人間ならばただ肩を竦めて縮こまるしかない。
並みの人間ならば。
「えっと、ジイちゃんに票入れたうちの一人は、オレなんすけど」
あっさりと城ケ崎が名乗り出た。さすがの岡島も面喰らい、言葉を失う。
「ジイちゃん、この中で圧倒的に年上じゃないっすか。だからもう人生楽しんだし、死んでもそんなに悔いないかなーと思って選ばして貰いました。そーいう理由っす」
失礼にも程がある。多少でも推理のロジックが入っていればまだフォローのしようがあるが、微塵もない。岡島が顔を赤くし、城ケ崎を睨みつけた。
「俺はてめえに入れたぜ」
「え、どーしてっすか?」
「てめえみてえなクソガキ、生きてても社会の足しになんねえからだよ」
「えー、分かんないっすよ。そりゃオレ、今はただの大学生っすけど、この先まだまだ未来あるんだから、そのうち歌舞伎とか極めて、世界遺産?みたいなのになって表彰されたりするかもしれないじゃないっすか」
「……人間国宝か?」
「そう! それ!」
城ケ崎がパンと手を叩いた。さすがに怒りより呆れの方が勝ったのか、岡島の顔から赤みが引く。淳子は椅子に座り直してやれやれと周囲を見渡し、そして気付いた。
小林が、ずっと藤本の顔を凝視している。
「なあ、美月」
「なに?」
「僕に入れたの、美月だろ」
「だったら何なの?」
「美月は僕が死んでもいいのか?」
「何かダメなことある?」
小林が、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。藤本は見向きすらしない。
「僕は、死なない」
昔のトレンディドラマのような台詞を吐き、小林が自分の胸に手を乗せる。
「美月が死んでいるなら、死んでもいい。でも美月が生きているなら死なない。僕にとって美月はそういう存在なんだ。自分の命と同じぐらいに大事な人なんだ。だから――」
チッ。
またしても舌打ち。しかし今度の舌打ちは、奥山では無かった。城ケ崎が、岡島が、奥山が、そして小林が、その舌打ちをした人物――藤本に着目する。
「あんたさ、自分の何が悪かったか、全く分かってないの?」
「……え?」
「あたしが死んでたら死んでもいいとか、自分の命と同じぐらい大事とか、そういう重たくて気持ち悪いところが嫌われてるって、本当に分かってないの?」
重たくて気持ち悪い。辛辣すぎる言葉を耳にし、小林が僅かにぐらついた。城ケ崎が口を尖らせて小林の擁護に入る。
「それは酷くないっすか。コバちゃんはカノジョさんのことを本気で愛してるんすよ」
「本気で愛していたら、スマホに勝手に監視アプリ入れても許されるの?」
監視アプリ。
事態を察し、城ケ崎の勢いがピタリと止まった。淳子と奥山も事態を把握し、なるほどと小さく頷く。岡島は分かっていないようだった。他の全員が理解していることが理解出来ていない、不思議そうな顔をしている。
「あたしのスマホが無くなって大騒ぎしてたら、この男が探してさ。『今時のスマホはちょっとした情報さえ分かっていればGPSが使える』とか言われたけど、あり得ないじゃない。それでスマホのデータを色々弄ってみたら大当たり。バッチリ行動監視アプリが入ってたわ。何から何まで遠隔操作できるやつ」
藤本がズボンのポケットからスマホを取り出し、城ケ崎に見せつけた。奥山のスマホによく似たピンク色のカバーがついている。城ケ崎が藤本のスマホを覗き込み、呟いた。
「アンインストールしないんすか?」
「最悪、裁判にしようと思ってるから。証拠残さないと」
恐ろしいまでの気の強さ。小林が大慌てで釈明に入った。
「でもそれは、美月のことが心配で――」
「だから! 心配だから他人のスマホに勝手にバックグラウンドで動く監視アプリ入れるようなところが気持ち悪いって言ってんのよ!」
藤本が怒鳴った。怒鳴られた小林は救いを求めるように城ケ崎を見やる。城ケ崎は何かを諦めたように、ふるふると首を横に振った。
「コバちゃん、こりゃ無理だわ」
「お前! ここに来て裏切るのかよ!」
「そー言われてもさー、コバちゃん、話してくんなかったし。勝手に監視アプリは無理だわー。擁護できないわー」
小林と城ケ崎が何やらいざこざを始める。そこに、一人だけ理解の遅れている岡島が割って入った。
「おい、お前ら。監視アプリって何だ」
「あー、要するにコバちゃんはカノジョさんの携帯を勝手に弄って、カノジョさんが今どこで何をしているかを常に監視できるようにしてたってことっす」
「なんだそりゃ。ストーカーじゃねえか。気色悪ぃ」
気色悪い。直球過ぎる評価が、小林の頭に血を上らせた。
「ぼ、僕は貴方に入れましたよ! どうせ老い先短いと思ったから!」
「あ? だから何なんだよ。俺は今、気持ち悪ぃストーカー兄ちゃんに入れりゃ良かったかと後悔してる真っ最中だぜ」
子どもの喧嘩のような言い争いが始まった。淳子はそろそろコーヒーを継ぎ足して落ち着いて貰おうかしらと立ち上がりかける。しかしふと別のことに思い至り、その動きを止めた。
得票は、岡島二票、小林一票、城ケ崎一票、奥山一票。
岡島に入れたのは小林と城ケ崎、小林に入れたのは藤本、城ケ崎に入れたのは岡島。
じゃあ、奥山に入れたのは?
「あの……」
奥山が、口を開いた。
瞬間、小林を中心に巻き起こっていた喧騒が止まった。全員が奥山の存在を思い出し、自然と投票の結果に考えが至る。そういえば、彼女に投票した人間だけ明らかになっていない。そして、彼女が投票した人間もただ一人明らかになっていない。
つまり――
自分に入れた。
「わたし、やっぱり、死にたくない人を無理やり死んでいることにするのって、良くないと思うんです。だから――」
奥山が笑う。にたりと、大きく唇を歪ませて。話が大きく転換する度に訪れていた雷鳴がまた鳴り響き、しんと静まるリビングを大きく震わせる。
「立候補にしません?」
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