4.落涙インシデント
この地に文明が絶えて久しい。
砂塵がその原因であることは、過去の調査で判明している。
見わたすかぎりの石英の粒子が、この地を白い砂漠へと変えたのだ。
二〇三二年八月に起きたその災害は、<
原因がわかっても、理由はわからないままだ。
なぜ、一夜にしてすべての住人と建築物が消え去ったのか。
なぜ、大量の石英がここに突然あらわれたのか。
なぜ、ただの砂粒が、動力もなしに過去の街並みを<復原>できるのか。
それを調べるために、僕たちは調査を続けている。
……墨田エリア。すべての端緒とされる場所。
※
両国橋を渡り終えた僕たちは、そのまま
蔵前橋通りの付近で大規模な<復原>が起き、小さな公園が砂からあらわれた。復原強度も高く、日没までは構造がもつだろうと見込まれたため、夕方までそこで休息をとる流れとなった。
精緻な彫像のような、あるいは白黒テレビに映したかのような、単色の公園。
すぐ足元を流れる水だけが青く色づき、さらさらと涼しげな音をたてている。
記録によれば、ここはもともとあった川を埋め立てた後に造られたものらしい。
大きな木陰で、僕たちは車座になっていた。
休憩からかれこれ三時間が経つ。
口を開くものは誰もいない。
僕たちの通信に、雑談のためのコードはなかった。
既存のコードを雑談のために使用する権限も。
だから長い調査を経てなお、ほかのメンバーがなにを考えているかは不明だ。
僕のように終わらない独白を続けているのか。
あるいは……なにもない空白が広がるばかりなのか。
通信コードは単純だ。リーダーの
長い年月を経て、僕はそれを冗長化した。
頭の中で膨れ上がった言葉で、単純な言葉を装飾してゆく。語順にともない接続詞をくわえ、逸脱した事象や数値を観測したときには感嘆詞を補い、メンバーごとにそれぞれ別人の音声ライブラリをあてがって、語尾には会話調をぶらさげる。
つまり、通信を「人間らしく」翻訳したのだ。精度を損なわない程度に。
もちろん、すべては僕の頭のなかだけの話だった。
調査の退屈をまぎらすための、ごくささやかな暇つぶし――
『ミーティングをはじめる』
だしぬけにリーダーが言った。
その言葉に命を吹き込まれたかのように、メンバーたちがいっせいに動き出す。
もちろん、僕も。
『予定を』
『時刻は一六〇〇。これからわれわれは引き続き大横川を沿いを北上し、目標エリアに入ります。特級遺構<天空樹>は、過去の周期からして一八〇〇ごろに出現する見込みです。構造体が安定したら復原強度を確認し、一八三〇から調査に入ります』
『わかった。では出発する。各自、周りに十分な注意を払うように』
『了解』
『了解』
『了解』
西日のなか、メンバーたちが動きだす。
これからが調査の本番だ。
一定の周期で現れる「特級遺構」――つまり、災害の中心にあったとみられる建築物に、立ち入り調査を行うのである。かつてこの街を襲った<塵禍>の痕跡をさがすために。
いまのところ、これまでの調査は無駄打ちに終わっている。
砂漠は一九九九年から二〇三二年までの東京を、気まぐれに再現する。<塵禍>が起きた瞬間の建築物にあたるのは、非常にまれだ。
だが天空樹などの特急遺構は、特定の周期で必ず出現するという傾向がある。
調査を続けていれば、いずれは「その瞬間」に行き着くはずだった。
つまり……あの災害が起きた、まさにその日に。
『二三番、どうした』
リーダーの声に我に返る。
出発していたはずのメンバーが、足を止めている。
彼らはそろって、同じ一点を見つめていた。
『二三番、応答せよ』
視線の先にはひとりのメンバーが座り込んでいた。
リーダーの呼びかけにも関わらず、バイザーを地面に向け、沈黙を守っている。
耳に飛び込むのは、降りかかる砂嵐のような、激しいノイズ。
嫌な予感がした。
『二三番、どうした』
リーダーが近づき、彼の顔を上げて、バイザーの奥をのぞきこんだ瞬間。
鋭い
『インシデントA-14を確認。各位、行動を中止せよ』
僕たちはいっせいに直立姿勢をとった。
緊急モードの要請を拒否する権限はない。
さきほど座り込んでいた彼までが、一拍遅れでよろよろと立ち上がる。
その顔を、西日がまともに照らした。
先ほど僕を助けてくれたメンバーだった。
見開かれた両眼から、涙があふれだしていた。
――黒い涙が。
インシデントA-14。砂塵への
体内に入り込んだ砂塵が、<復原>に反応して引き起こす、深刻なエラー。
幻覚。
反応の遅延。
運動能力の低下。
通信不良。
黒い涙。
そして最終的に……。
発病者は活動を停止したのち、砂に還る。
静寂のなかで、リーダーは命じた。
『
僕たちは動かないまま、ただそれを聞いた。
『
同じ呼びかけが何度も反響する。
だが、要請に応えるものはいなかった。
僕たちは立ち尽くしている。
通信コードに、上位者の間違いを指摘する単語は存在しない。
血のように赤い太陽が、地平線に沈みかけたころ。
『そうか』
リーダーはようやく、ぽつりと言った。
『彼が、最後の
同意はなかった。
※
警戒が解かれたのち、僕たちは公園を急ぎ後にした。
彼をその場に残して。
『二三番は、回収隊が来るまでここで待機』
リーダーのその言葉は、事実上の廃棄宣告だ。
回収隊なんて存在しない。
……少なくとも、僕は見たことがない。
あるいは、本当に過去はそういう部隊がいたのだろうか?
この調査を命じた誰かが。
この調査の終わりを待つ誰かが。
もう、なにもわからない。
長すぎる時間がすべてを曖昧にしてしまったから。
背後で構造体が崩壊する音と同時に、頭のなかで計時機が回る。
調査開始から、二九七年と三か月。
僕が僕であることを認識してから、ちょうど百年になる。
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