千本桜

@ichiuuu

第1話 願わくば、春。

【千本桜】


あの花びらが散っていった先は、夏井を流れる清冽な川の水面であろうか。

幼き日の私はぼんやりとしたまなざしで、その遠景を眺めていたような気がする。夕もやにほのぼのと浮かび上がったのは、夏井の岸辺に爛漫に咲き誇る千本桜。千々に咲き誇ってはさすらっていく桜の花びらが、風でたおやかに枝葉を彩る。その様は艶やかで、どこか凛然とした風に見えて、父の運転する車内にいた私の記憶に根強く残っていた。

 そこに仲良しの女三人組と十年後、友の車で桜を見に行くことになるとは、思いもしなかった。

それはあの日の夕景とは程遠く、青い空が眩いまでに感じられる、春のよき日であった。三人の一人は付き合い始めた彼氏がいるとのことで、そののろけに道中興じて耳を澄ましたものだ。

「わあ……」

 私たちは夏井川の岸辺に降り立って、感嘆の声を漏らした。晴天の空に、薄い桃色の花びらが咲き誇って、川面に花筏が流れるのも優美である。

「ねえねえ、あそこで何か売ってるよー」

ビニールハウスの中では、風評被害にいたく傷つけられたいわきの特産品がところせましと並んでいた。私は花を買い求め、友はさらにいろいろ買い漁っていた。

「こういうのから、福島の一歩が始まっていくんだね」

 私たちは今しがた出たビニールハウスに入っていく人たちを見つめ、感慨深そうに言った。

春のよき日は穏やかに過ぎ去っていく。

 花筏の浮かぶ川面に手をかざしながら、私たちのうちの一人、彼氏が出来てご満悦な彼女に、私がふいに、話しかける。

「でもさーあんたさあ」

「うん」

「遠距離恋愛中の彼、仕事、東京なんでしょ」

「うん」

「ってことはもし結婚したら、そっちに、行っちゃうんだね」

「……うん」

 私は花筏の流れゆく様を見つめながら、なんとはなしに寂しさを感じていた。

去っていく、友が去っていく。そう遠くない未来に、あるいは、もしかしたら明日にでも。

「この三人でお花見行けるのも、もう今日で最後かもねえ」

 もう一人の友達が、桜色の空気を思い切り吸い込んだ。

「寂しくなるわね」

「本当に」

 私も思わず同調する。去りゆく友も、悲し気に顔をうつむけて、言う。

「でも私、今日の桜は、絶対忘れないと思うんだ」

それから彼女は言葉を継いで。

「今日、みんなでふるさとの桜を見たってこと、忘れないよ」

 私たちはみな、瞳潤ませて、それが風に散っていった。 

「もう、行こうか」

「うん」

「綺麗だった、桜」

 帰りの道中では楽しく今日のお花見に話題が集って、そして私たちは別れた。幾度も手を振って。

 身内の不幸やらが重なるうちに、二人との関係も希薄になってきて、私はつい最近、彼女が結婚したとフェイスブックで偶然記事を目にした。私には報告もなくて、寂しいけれど仕方のない気がした。彼女がフェイスブックでこの鄙を引っ越して去りゆくと書いた時、

【またあの桜が見たかったです】

と記してあった。

私は休みの日に、車を駆って、夕景の夏井川に降り立った。ああ、夕もやの中に桜が舞っている。それは白雪のように儚く、夢うつつにいるかのようだ。夕映えが川面に映りこみ、そこへさらさらと花が散りゆく。

 私はいつか家族で見た風景に、友と行き、友を見送って、今その余韻に浸っている。

 風が一陣吹いた。もやが晴れて、千本並ぶ桜の花びらが一斉に風にのったような気がした。

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