三室戸寺のあじさい姫

江田 吏来

六月の三室戸寺

 大学の授業で、俺は西国さいこく観音かんのん巡礼の旅をしている。といっても、京都にある十二ヶ所の札所ふだしょを一年かけて巡り、今と昔の違いをレポートにする授業だ。

 今日はくじで決まった四人で、宇治うじ三室戸寺みむろとじに行く予定だったがスマホが鳴る。


高原たかはら? 俺、風邪ひいちゃってさぁー。今日、無理。わりぃな』


 病人らしからぬ声で、電話は切れた。

 続いて――。


『あ、高原たかはらくん? 私、いま起きたの。寺田てらださんは行くと思うし、ごめんねぇ』


 ふざけんな! いまからでも来いよ。と、心の中で叫ぶ。

 ため息しか出てこないが、香ばしいお茶の香りが漂うJR宇治駅前で、寺田さんを待つことにした。しかし、緑色をした茶壷形のポストの前で、再び鳴りだしたスマホを片手に声を荒げる。


「は? 場所を間違えた? 京阪けいはん宇治駅? あー、もういいよ。寺田さんはそこにいて。俺がそっちに行くから」


 スマホをカバンに投げ入れて、タクシー乗り場の横にある、観光客むけの大きな地図看板に目をむけた。


「えっと京阪宇治駅は――、宇治橋を渡ってすぐか。一直線だし、歩いて行けそうだな」


 早足で歩きながら、この授業を選択した自分を呪う。

 はじめての宇治は最悪だった。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい」


 合流した寺田さんは、ひとつに束ねた髪をふり乱しながら、何度も頭をさげるから、俺は「もういいよ」といって、三室戸寺行きのバスに乗りこんだ。

 お互い無言のまま三室戸寺に到着すると、売店から「茶団子はいかがですかぁー」の、声がする。

「帰りに団子買っていい?」と聞いても、地味で普段から目立たない寺田さんは、こくんとうなずくだけ。

 気まずい雰囲気のなか、【西国十番三室戸寺】と刻まれた、風格のある石碑の横を通り、朱色の山門をくぐった。すると参道の下は、大量のアジサイで埋め尽くされていた。


「三室戸寺は、アジサイが有名なのか?」


 色鮮やかな大輪の花が並んでいるので、うっかり話し掛けてしまったが、寺田さんは頷くだけで、やはり会話にならない。

 俺はこの気まずい空気を変えたくなった。


「アジサイの色が変わるわけ、寺田さんは知ってる?」


 日が経つにつれて、青いアジサイが赤紫のような褪せた色になるのは、花の老化現象だけど、土の酸度によってアジサイの色が変わることぐらいは、知っていると思った。ところが寺田さんは、「あじさい姫」と小さくつぶやくと、ポツポツとしゃべりだす。


「昔ね、あじさい姫は人間の男の子に恋をしたの。でも、花の妖精だから言葉がだせなくて……。だから自分の色を変えて、恋心に気付いてもらおうとしたの」


 あまりにも乙女チックな答えなので、俺は唖然として言葉を失う。そんな雰囲気を察したのか、寺田さんは慌てだした。


「あぁ、ごめんなさい。ち、違うの。アジサイは話せないから色を変えるけど、人には言葉があるよね。だから、もっとお話ししなさいって、お母さんが……。でも、私、昔からしゃべるのが苦手で……。だけど……」


 かなり動揺してうつむく寺田さんの姿に、思わず笑ってしまったが、派手なメイクで上から目線の女よりも、親しみが持てる。


「寺田さん、時間ある? 後でアジサイ、みに行く?」

「は、はい。行きます!」


 一万株のアジサイを後回しにして、俺たちは長い石段を登る。そして登りきると、たくさんのはすの葉が飛び込んできた。


「これ、すごいなぁ。蓮の花が咲いたら、極楽浄土の絵になるな」

「蓮の開花は七月だから、もうすこし先ですね。春は桜とツツジで、夏はアジサイに蓮。秋は紅葉で、冬は雪景色。三室戸寺は素敵な所ですね」


 すこし落ち着いたのか、寺田さんは鈴のように澄みきった声で、咲いたばかりの花のような笑顔をみせる。

 俺の心臓がトクンと音を立てた。


「あっちが、本堂かな?」


 寺田さんから目をそらし、うるさすぎる心臓の音に戸惑いながら歩くと、ずっしりとした本堂が姿をあらわした。自由に鐘がつける鐘楼しょうろうや、朱塗りの三重の塔もある。

 いにしえの京都と聞いてイメージするような風景が、境内にはたくさんあり、意外と面白かった。

 そして境内の散策が終わると、五千坪もある広大な庭園へ。

 朱色の山門を背景にした、青いアジサイはおもむきがあった。白いアジサイがとても綺麗で、ハートの形をしたアジサイもみつける。

 俺たちは、遠足にきた子供のようにはしゃいでいたが、やがて日は傾き、閉園時間が近づく。


「せっかくだから、どっかで飯でも食って帰る?」


 思い切って寺田さんを誘うと、仔猫のような丸い目を細めて、「はい。お願いします」と、笑ってくれた。


「じゃ、JR宇治駅まで戻るか」


 俺はうれしくて声を弾ませたのに、寺田さんは花のような笑顔から、突然、目に涙をためて首を横にふる。


「JR宇治駅はダメです。宇治橋を渡るのはダメ。宇治橋には橋姫はしひめがいて、男女で宇治橋を渡ると――。あっ、……えっと、ふ、ふたりのえんが……、橋姫に切られるって聞いて……。わ、私、そんなのイヤだから……」

「縁? もしかして、京阪宇治駅にいたのは、一緒に橋を渡りたくなかったから? え、でも、それって――」


 俺の質問に、泣きだしそうな寺田さんの青白い顔は、どんどん赤くなる。恋心に気付いてほしくて、赤く色を変えたあじさい姫みたいに。


「京阪宇治までいって、時間差で橋を渡るか」 


 照れ笑いをしながら手を取り、お互い真っ赤になってしまった顔を、夕映えのせいにして歩いた。






 それから七年、俺は五つ紋付羽織袴もんつきはおりはかまを着て、宇治上うじがみ神社にいる。

 縁切りで有名な橋姫は、宇治橋からすこし離れた橋姫神社にまつられていて、現在はカップルで橋を渡っても平気らしい。

 そして三室戸寺にあるハートの形をしたアジサイは、恋の願いを叶えてくれるそうだ。もし、あなたが恋愛成就を願うなら、六月の三室戸寺へ。

 効果は人それぞれだが、俺は神社建築として日本最古の本殿にむかって、誓詞奏上せいしそうじょうに挑む。


「――苦楽を共にし、夫婦の道を守り、終生変わらぬことをお誓い致します。何卒なにとぞいく久しく御守護おまもりくださいますよう、お願い申し上げます」


 真っ白な綿帽子からみえる彼女の頬が、あじさい姫のようにまた赤く染まっていた。

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