第4話 勝利の麦酒

 ハイアルは大声で叫ぶ。


「落ち着け、狼狽えるな! 三方より包囲されたとは言え、数ではまだ我らの方が圧倒的に多いのだ。落ち着いて戦えば負けることはない!」


 その通りであった。三方より襲い掛かるローヤン軍の数は三千五百人。だがハイアルらはまだ五千人ほども残っているのである。

 ハイアルは必死に兵士らを取りまとめた。

 その甲斐あって、兵士らは徐々に落ち着きを取り戻し始めた。


「そうだ。それに我らの背後は川だ。川から襲われる心配はないのだ、安心して戦え」


 ハイアルは、いわゆる背水の陣を用い、兵士らの生き延びようとする力を奮い立たせようとしていた。


 だが、ハイアルは忘れていた。

 リューシスは、まだ飛龍兵を出していないことを。


 その時、親衛隊三百人を残していた川向うのリューシスの下に、神猫シャオミンが隠していた飛龍たちを引いて来た。


「殿下、うまくいってるの?」


 宙に浮かんでいるシャオミンは、不安そうな顔をしていた。


「ああ、これで俺達の勝ちだ。シャオミン、後で祝いに特上のマタタビをやるからな」

「猫扱いするな。僕は神猫シンマーオンなんだぞ」


 シャオミンは頬を膨らませた。

 それを見てふふっと笑ったリューシスの前へ、一番大きく、全身白い飛龍フェーロンがリューシスの前に歩いて来て低く唸った。

 その龍は、リューシスが十代前半の頃からの相棒であった。名をバイランと言う。

 リューシスは、バイランの額に自分の額を寄せて語りかけた。


「頼むぞ、バイラン」


 リューシスは飛龍バイランの背に跨った。

 鞍には、空中戦でも落ちない為の腰と肩のベルトがある。リューシスはそれを素早く装着した。

 親衛隊全員も、続いてそれぞれ飛龍の背に乗った。

 リューシスは手を上げて進撃命令を下した。

 飛龍たちは大音を響かせて駆け始めた。


飛翔フェーシャン!」


 飛龍たちが咆哮し、一斉に空に飛び立った。


 シーザーらは、イェダー率いる一千人と激戦を繰り広げていた。

 しかし、上空を風となって飛んで行くリューシスらの飛龍隊を見て、シーザーは色を失って愕然とした。


「飛龍隊を隠してやがったか。そして真の狙いはこれか」


 そして、ハイアルもまた、背後より迫る飛龍たちの羽ばたく音を聞いて表情を一変させた。


「しまった……背後は川だが、飛龍であれば飛び越えて攻撃することができる……」


 だが、今更気付いたところで、最早対処する術は無い。


 セーリン川の上空に達したリューシスらの飛龍隊。


 リューシスは殺気立った笑みを見せた。


「行くぞ……降下突撃ジャントゥージ!」


 飛龍たちが再び獰猛な咆哮を上げた。

 前方斜め下に向かって一斉に滑空する。


 飛龍の降下は、その巨体による落下の勢いが加わる為、馬どころではない速度が出る。

 そして、その速度に乗った突撃は、騎馬の比ではない凄まじい衝撃力を持っている。

 飛龍隊は地上からはその行動が丸見えである為、降下突撃は滅多に行うことができない。相手が長槍などで待ち構えていれば、串刺しにされてしまうだけである。だが、一旦隙を見つけて降下突撃を繰り出せば、戦況を一発で引っくり返すことができる恐るべき威力を持っていた。


 見る見るうちに地上が近づく。

 ガルシャワ兵らの驚愕と怖気に歪んだ顔が大きくなる。


 リューシスは手槍ランザーを後ろ脇に引いた。

 そして敵兵が眼前に迫った瞬間、勢い良く前に向かって振った。

 二人の敵兵を同時に薙ぎ倒した。

 また、バイランの頭の二本の角が次々に敵兵らを突き飛ばして行った。


 親衛隊の他の者らも、次々にウェイバー兵の背後に降下突撃を食らわせた。

 三百の飛龍隊による一斉降下突撃。

 その衝撃力と破壊力は凄まじく、あっという間にウェイバー兵一千人ほどが倒れた。


 ハイアルのウェイバー兵らは、阿鼻叫喚の地獄に陥った。


 リューシスらの飛龍隊は、一回目の突撃を終えると再び空へと舞い上がった。

 そして大きく弧を描いて旋回すると、


降下突撃ジャントゥージ!」


 再びリューシスの号令が空に響き渡り、飛龍たちが二度目の降下突撃を行った。


 これで勝負は決した。

 最初の飛龍の降下突撃によりすでに士気を失っていたウェイバー軍は、二度目の降下突撃で完全に崩壊した。


 飛龍たちは砂城を崩すようにガルシャワ兵らを次々に倒して行くと、再び上空に戻る。


「お、おのれ……リューシスパール……せめて一撃だけでも……」


 ハイアル・ホーも手傷を負っていたが、上空の飛龍隊の先頭にいる白龍の姿を見つけるやカーザーを抜いた。

 その震える姿を、リューシスも空から見ていた。


「将だな。あれがシーザー・ラヴァンか?」


 当然であるが、リューシスとシーザーは会ったことがない。互いの顔を知らなかった。


「俺の手で討ち取ってやる」


 リューシスが残忍とも見える笑みを浮かべた。

 褐色の眸に強い光が宿り、全身から闘気が上った。

 手槍ランザーを右手に構えると、左手でバイランの首を前に倒した。


 バイランが魔獣の如く咆えた。

 地上に向かって滑空。


「来い」


 ハイアルはカーザーの切っ先を空へ光らせた。


 リューシスを乗せたバイランは更に速度を上げて地上に落下して行った。


 白龍とハイアルの姿が交錯し、刃光が弾け飛んだ。


 そして白龍が再び舞い上がったその瞬間、ハイアルの首が宙に飛んでいた。


 リューシスはそれを振り返りもしなかった。

 空に舞い上がると、地上を見回した。

 すでに、こちらのガルシャワ軍はほぼ全滅しており、バーレン、ネイマンらの隊が残兵を掃討し始めている。


 川向うに目をやった。そちらでもイェダーらがシーザーらの兵を駆逐したところであった。

 総大将のシーザーは、わずかの供回りの者らと共にすでに逃げていた。


 リューシスはバイランの背から大音声で叫んだ。


「ガルシャワ軍は壊滅した。我らの勝利だ!」


 それはまるで、天からの勝利宣言。

 リューシス軍は一斉に沸き立ち、勝鬨を上げ、またリューシスを称賛する声を四方の天地に響かせた。


 草原を騎馬で逃げるシーザー・ラヴァンは、上空を飛翔しながら勝鬨を上げるリューシスを遠目に見て、憤怒の形相で呟いた。


「この俺がこうまで完敗するとは……だが負けたままでいる俺ではない。リューシスパール、いずれこの借りは返す」


 今や敗軍の将である。しかし、その深緑の瞳はぎらぎらと殺気に満ちた光を放っていた。

 そして次の瞬間、シーザーは不敵に笑った。


 ――面白い。リューシスパール……良い好敵手に巡り合ったものだ。


 後に終生のライバルとなるリューシスパール・アランシエフとシーザー・ラヴァン。

 これが二人の初めての直接対決であった。


 ワイシャン城の包囲に残っていた約三千人のガルシャワ軍は、シーザーらが壊滅したことを知ると激しく動揺した。

 そこへ、シーザーらの軍を壊滅させたばかりのリューシス軍が、その勢いのままに殺到して来た。

 それを見て、ワイシャン城内のビーウェンも自ら兵を率いて出撃した。

 ガルシャワ軍約三千人は、包囲していたはずが城の内外から挟撃される形となり、散々に打ち破られて潰走した。


 こうして、リューシスはついにガルシャワの大軍を撃破したのであった。

 わずか五千人で、さしたる被害もなく約三倍の一万六千人を一方的に打ち破ると言う衝撃的勝利であった。



 リューシスらは堂々とワイシャン城に入城した。


 ビーウェン・ワンらは、跪いて出迎えた。

 リューシスをろくでなしの馬鹿皇子エンズだと思っていたダイ・イーツァオらは、すでに見る目が変わっていた。

 完全に畏敬の対象としてリューシスを出迎えた。


「ビーウェン、悪かったな。ちょっと待たせちまった」


 リューシスは銀色の兜を脱ぐと、ビーウェンの前で膝をついて声をかけた。

 ビーウェンは面を伏せたまま涙を流していた。


「いえ、一刻たりとも待ってはおりませぬ。よう来てくださいました」

「泣くなよ。流石のお前も歳取って涙脆くなったか」


 リューシスは苦笑した。


「涙脆くなどなっておりませぬ。ただ……幼少の頃は泣いてばかりおられ、長じては一転、無頼を気取って街で暴れてばかりいた殿下がこうもご立派になられ……あのように鮮やかな戦いぶりでこの老体の身を救ってくださるとは……言葉もございませぬ」


 ビーウェンは袖で涙を拭った。


「それが涙脆いって言うんだよ」


 リューシスはビーウェンの肩を叩いて笑った。


「しかし殿下。今日の勝利は少々派手すぎましたかもしれませんな」


 背後のバーレンが真顔で言った。


「そうかな?」

「五千で一万六千を破ったんだ。派手に決まってるぜ」


 ネイマンが言うと、泣いていたビーウェンも急に表情を曇らせた。


「確かに……これで宰相ら皇太子エンタイーズ派はますます殿下を警戒するでしょう」

「かもな……まあいいよ。帰ったらまたやる気のないふりで遊んでればいい」


 それを聞くと、ビーウェンはにやりと笑った。


「やはり、演技でしたか」

「はは……お前の目は誤魔化せないな」

「このビーウェン、老いたりとは言え、目はまだまだ曇っておりませぬ」

「おう、ローヤンの為にいつまでも元気でいてくれよ」

「しかし殿下。いつまでも演技をしているわけには行きますまい」

「まあ……どうしようもなくなったら城を出て山賊にでもなるさ」

「山賊?」


 ビーウェンは驚いて目を丸くした。


「はは、冗談だよ、冗談」

「まあとにかく、用心だけはされますよう」

「ああ、わかっている。とりあえず……疲れた。麦酒ピージュあるか? 飲もう飲もう」


 リューシスは愉快そうな笑い声を上げながら回廊の奥へと歩いて行った。


「また麦酒ピージュかよ。こういう時ぐらい葡萄酒プータージュにしたどうなんだ」


 ネイマンが呆れた声を上げて後に続いた。


「一仕事した後は麦酒ピージュが身体にしみるんだよ」

「いつもそれで、結局最後まで麦酒ではありませんか。またこの前みたいに翌日吐きっぱなしになりますぞ」


 バーレンもたしなめながら歩いて行く。この時代の麦酒ピージュは、現代に比べれば質が悪く、悪酔いしやすかった。


 そしてビーウェンたちワイシャン城の将たちも後に続いた。


 その夜の酒宴は、城の兵士たちだけではなく住民たちにも酒が振舞われ、身分の隔てなく明け方までどんちゃん騒ぎが続いた。

 その中心にいたのはリューシス。

 ワイシャンの人間らは皆、今回の一戦で完全にリューシスに対する見る目が変わった。

 どうしようもない放蕩皇子から一転、ワイシャンを救った智勇に長けた英雄へ。


 しかし翌日、そこには二日酔いでベッドの上に寝たままのリューシスの姿があった。


「だから言ったんだ。ずっと麦酒ピージュで飲み続けるもんじゃねえって」


 その傍らに立っているネイマンが呆れた声を上げる。


「殿下が二日酔いで動けないと知ったら、未だ周辺の砦を占拠しているウェイバー軍が襲って来るかもしれませんぞ」


 流石のバーレンもたしなめるように言った。


 そこへ、取り次ぎの兵が転がるように駆け込んで来た。


「リューシス殿下、大変でございます!」

「どうした」


 バーレンが代わりに答える。


「この周辺の諸城、砦を占拠しているガルシャワ軍らがこぞってこの城に押し寄せて来ています」

「何、本当か?」


 バーレン、ネイマン、共に顔色を変える。


「数は?」

「合計しておよそ八千ばかりと」

「十分に大軍だな。殿下、寝ている場合ではございませぬ。殿下が二日酔いで動けないと知って襲って来たのではございませんか?」


 バーレンが言う。

 すると、リューシスは突然目をパチリと開き、上半身を起こした。


「二人とも準備しろ。すぐに戦だ」


 リューシスは、とても二日酔いには見えない生気に満ちた顔でにやりと笑った。

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飛龍の皇子リューシス 五月雨輝 @teru817

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