第3話 セーリン川の戦い
そして、両軍、ある程度の位置まで進むと、互いに弓矢の撃ち合いを開始した。
両軍ともに、時折矢に混じって炎の塊が飛び交う。
互いに最前線の兵士らが矢や炎を食らって倒れて行く。
「よし、
頃合いを見て、ハイアルは突撃命令を下した。
の兵士らが鬨の声を上げて一斉に駆け出す。
「
リューシスもまた動いた。
しかし、駆け出したのは左翼のネイマンの重装歩兵隊だけであった。
中央のバーレンの軽装歩兵隊、右翼のリューシスの騎兵隊は動かなかった。
ネイマン隊は突進しながら戦列を右に伸ばして行った。
対するハイアル軍、向かって来るのがネイマン隊だけであり、また戦列が横に長くなっているので、自然に皆それへ向かって行った。
たちまち衝突した両部隊、怒号と悲鳴と刃のぶつかり合う音を天空に響かせ、激しい戦闘を繰り広げた。
「少人数だ、一気に揉みつぶせ」
ハイアルは余裕の笑みで指揮をする。
ハイアル軍全軍二千五百人に対してネイマン隊は五百人、すぐに殲滅できると思っていた。
ところが、ネイマン隊の五百人は選りすぐりの精鋭の上、重武装をしている。加えて、率いるネイマン・フォウコウ自身が豪勇を発揮、先頭に立って縦横無尽に暴れ回り、ハイアル軍の兵を次々に屠って行くので、容易に突き崩せない。
そして、ネイマン隊は戦いながら更に右に右に戦列を伸ばして行く。それが盾となり、ハイアル軍からはネイマン隊の向こうのバーレン隊、リューシス隊が見えづらくなって行った。
その隙に、バーレン率いる軽装歩兵七百人が動いた。
バーレン隊は斜めに走ると、ハイアル軍の左側面に素早く回り込んだ。そして一斉に突撃を開始した。
人は側面、背後を襲われると脆く弱い。それは軍も同じであり、戦争においては敵の側面、背後をいかに突くかが勝利の鍵となる。
バーレン隊がハイアル軍の側面に襲い掛かると、ハイアル軍の兵士は面白いように崩れて行った。
そこへ更に、リューシスの親衛隊騎兵三百人が動いた。
ネイマン隊がハイアル軍の正面を、バーレン隊が左側面を塞いでいるので、ハイアル軍にはリューシス隊の動きが全く見えない。
リューシス隊はバーレン隊の後ろを風の如く駆けて行き、ハイアル軍の背後に回り込んだ。
「しまった……!」
ハイアルの顔が青ざめる。しかし、すでにどうしようもない。
「
リューシスの大音声が響いた。
手槍を構えたリューシスの親衛隊騎兵が雄叫びを上げて疾駆、ハイアル軍の背後に突撃した。
側面を攻撃されている上に背後を襲われたハイアル軍は、たちまち大混乱に陥った。
三方から包囲されたハイアル軍の兵士らが次々と血煙の下に沈んで行く。
「退けっ、退けっ!」
ハイアルは声をかすれさせながら大声で命令した。
しかし、その大声は虚しく宙に消えて行く。
軍は大混乱で統制を失い、右往左往しながらリューシス軍の兵士らに斬り伏せられて行くのみであった。
勝負が決した。
ハイアル軍二千五百人はほぼ壊滅し、将軍ハイアル・ホーとわずか百数人のみがほうほうの体で逃げ帰った。
対してリューシス軍の犠牲者はわずか七十人ほどである。
「やりましたな」
赤く染まった死屍累々の戦場。バーレンがやって来てリューシスに言った。
「ああ。皆よくやってくれた、ご苦労さん」
リューシスは、例えどんな小さな戦、小競り合いでも、終わった後には将兵を労うのを忘れない。
「これで、奴らは全軍で出て来ざるをえなくなる。俺達がどこまで退いてもだ」
リューシスは愉快そうに笑った。
ガルシャワ軍総大将シーザー・ラヴァンは、ハイアル・ホーの敗走を聞くとすぐに決断した。
「やはり侮れん奴だ。三千人をワイシャン城の包囲に残し、残り全軍でリューシスパール軍を討つ」
シーザーは、およそ一万人の軍勢を率いてリューシス軍のいる南東に向かった。
「よしよし、いいぞ」
リューシスはにやりと笑った。
「バーレン、ネイマン、次の手だ」
「承知仕りました」
二人は軍を離れてどこかへ駆けて行った。
そして、シーザー軍が近づいて来ると、一旦は応戦の構えを見せたのだが、その大軍に恐れをなしたふりをして約一千四百人の軍勢を後退させた。
シーザーは当然それを追う。
リューシスは、目的の場所まで後退すると、軍勢を止めて前に向き直った。
その背後は、あの森がまばらに点在する地帯であった。更にその向こうには、幅広のセーリン川が流れている。だが、そのセーリン川は、何故か水嵩が異様に少なかった。歩いて渡れるほどである。
「待て」
シーザーは進軍を止めた。
リューシス軍と、その背後に広がる森を見ると、緑色の瞳が光った。
「ふむ……なるほどな。大方、あの背後の森に兵を潜ませているのだろう。だがその手には乗らんぞ」
そう言いながらも、シーザーは攻撃命令を下した。
相手のリューシス軍が小勢であるので、弓兵と
それを見たリューシス、歩兵の弓隊に射撃命令を下した。
「矢を放て《ファンジェーン》!」
天地を揺るがせながら襲い来るシーザー軍に、リューシス軍は一斉に矢を放った。
だが、約一万と言う大軍にはかすり傷のようなものである。一斉射撃をものともせずに、津波のような砂塵を上げて突進して来る。
「退け!」
リューシスの退却命令。
兵士らは一斉に後方へ走った。
当然、それを追撃しようとするシーザー隊の兵士たち。
だが、リューシス隊が森と森の間に逃げ込んで行くのを見て、シーザーが追撃を止めた。
「待て、追うな! あの逃げ方は怪しい。やはりあの森に伏兵がいるに違いない!」
ハイアルも頷いた。
「確かに。あそこは兵を伏せるのに手頃ですな」
「しかし二千五百を討たれておいてみすみす逃がすわけにもいかん。とりあえず先に軽装騎兵を繰り出してあの森を探らせよ。我らはゆっくりと進軍する」
すぐに偵察の軽装騎兵隊が走った。
彼らは森の一帯を見て回ると、戻って来て報告した。
「伏兵はいないようです」
「そうか……」
シーザーは腕を組んで森の奥を睨んだ。
伏兵がいれば、小鳥が急に飛び立ったり、木の枝葉が揺れたりすることがある。だが、それは一切見られない。確かに伏兵はいないように見える。
「昼過ぎの戦いでも奴らに伏兵はありませんでした。きっと本当に千五百人しか連れて来ていないのでしょう」
ハイアルの進言。
「ふむ……そうか。しかし用心に越したことはない。注意しながらリューシスパールを追うぞ」
シーザーは馬腹を蹴った。
全軍でリューシス軍を追って森林地帯に進み入る。
「来たか。大丈夫だよ、追って来い。そこには伏兵はいないからよ」
リューシスは後方を見て笑った。
森林地帯を慎重に進むシーザー・ラヴァン。
進めば進むほど、本当に兵がいる気配が無い。彼は、伏兵がいないことを確信した。
そして進軍速度を速めるように命令を下した。
全軍が全速力でリューシス軍を追う。
「よし、追って来い」
リューシス軍もまた速度を速める。
そして、水嵩の少なくなっているセーリン川に入り、走って渡って行く。
「追え! 伏兵は無い!」
シーザー軍も追ってセーリン川に入る。
あの森林地帯に伏兵が無かったことによって、シーザーの心に隙が生じていた。そして元々他国領である。彼は、セーリン川の水嵩が異様に少ないことに疑念を抱かなかった。
リューシス軍がセーリン川を渡り終えて対岸を走り、追って来たシーザー軍の先陣もまた川を渡り終えた時であった。
川の上流の方から凄まじい轟音が空気を揺るがせたかと思うと、たちまちに泥水の奔流が下って来た。
昨日、リューシスはセーリン川の上流の方に堰を作って川の流れを止めていた。
そして先程リューシス軍が渡り終え、シーザー軍の先陣も渡り終えたところでその堰を切ったのであった。
一晩に渡って堰き止められた川水は、暴発する激流となって押し寄せて来た。
「しまった!」
シーザー自身はすでに川を渡り終えていたが、振り返って顔を青ざめさせた。
だが、時すでに遅し。
上流より洪水の如く迫って来た激流は、渡河中のシーザー軍の中軍を飲み込み、押し流して行った。
「これが目的だったか」
シーザーは歯噛みして悔しがった。
激流は中軍を押し流しただけではなかった。川の水嵩が急激に戻った事により、シーザー軍は川を挟んで分断されてしまったのである。
今、シーザーの周りにいる兵士らは合計七百人人ほどしかいない。
そこへ、リューシス軍が反転した。
「イェダー、行け」
リューシスは、親衛隊三百人を残し、イェダー・ロウと言う配下の武将に残りの一千人ほどを率いさせてシーザーらに向かわせた。
「こうなっては仕方ない、突撃せよ!」
シーザーは自ら手槍を構え、兵士らの先頭に立って突撃を敢行した。
そして一方、川を渡る前に激流が来た為、流されはしなかったが川向うに取り残されてしまったシーザーの後軍。
その数はおよそ六千五百人。中には副将のハイアル・ホーがいた。
ハイアルは必死に兵士らの混乱を静めようとしていた。
「うろたえるな! 確かに中軍は流されてしまったが大した数ではない。我らはまだこれだけの数がいる、我らの方が圧倒的に有利なのだ」
だがその時、大地を揺るがす足音と馬蹄の響きが後方より迫って来た。
「まさか……」
ハイアルは、混乱に右往左往する兵士らの向こうに、その姿を見た。
ローヤンの一隊が現れ、背後より襲って来たのであった。
それだけではない。更に、左右からも騎馬隊が手槍の穂先を煌めかせて突撃して来た。
前日、リューシスはこう指示をしていた。
「バーレン、ネイマン、お前らはあの森の一帯ではなく、それより少し離れたあの丘の裏に潜め。そしてセーリン川の水の音を聞いたら一斉に飛び出し、取り残されているガルシャワ軍の背後を三方向から包み込むように襲え」
バーレン、ネイマンらはその通りに動いたのであった。
ローヤン軍の兵士らは、猛獣の如く咆哮してハイアルらの背後と両側面に突撃した。
激流で分断され、混乱に陥った上での三方向からの奇襲。
絶叫と悲鳴が渦巻く中で、文字通りの血の雨が降った。
見る見るうちにガルシャワ軍の兵士らが倒れて行った。
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