第2話 決戦開始

 リューシスらの軍の内訳は、弓隊、天法士ティエンファード隊らを含む歩兵が約三千五百人、リューシスの親衛隊を含む騎兵が一千二百人、そして飛龍フェーロン兵が三百人であった。


 飛龍兵とは、文字通り空を飛ぶ事のできる翼龍に乗って戦う兵であり、いわゆる竜騎兵である。


 飛龍は、空を馬の全速力と同じぐらいの速度で飛行することができる。但しその大きな身体の為、飛行高度は大体地上から二十メイリ(二十メートル)ほどであり、能力の高い飛龍で最高三十メイリほどである。また、体力的に長時間の連続飛行はできない。


 飛龍兵の主な運用方法としては、空からの敵陣の偵察の他、上空からの弓矢攻撃、それと降下しながらの突撃がある。特に、降下突撃は、落下の勢いを活かす為にかなりの速度と衝撃力があり、その威力は騎兵の騎馬突撃を遥かに上回る。


 欠点としては、空を飛ぶことはできるが空中で小回りが利かず、急に止まったり、細かい動きができないこと。それとどこにいても地上からは丸見えであり、姿を隠す場所が無い為に、地上からの弓矢の的になりやすく、先述の降下突撃などもかなり策を練って敵軍の隙を突かねば繰り出すことができない、などの点である。


 また四本脚であり、地上を走ることもできるのだが、全力で走っても馬の半分ほどの速さしか出ず、地上の機動部隊としてはあまり役には立たない。


 そして、飛龍は繁殖が難しく絶対数が少ない上、騎乗して空中で戦えるようになるにはかなりの訓練が必要になる為、編成に莫大な金と時間がかかることであった。


 だが、それらの欠点があっても、やはり地上の地形の制約を受けずに空中を自在に動ける点、上空からの強力な攻撃ができる点、これらだけでかなり大きく貴重な戦力であり、どの国家でも少ないながらも飛龍兵を重視して大切にしていた。


「ワイシャン城はガルシャワ軍によって包囲されております。城の中に入ることは難しいでしょうな」

「だから野外決戦と言うことになる。だけど五千人で一万六千人相手にどう勝てばいいんだよ」


 リューシスは力が抜けたように嘆息した。


 その時、薄暗闇の前方から、水の流れる音が聞こえて来た。

 より進軍して目を凝らすと、そこには川が横たわっていた。


「セーリン川です。水嵩も多く流れは急。歩いて渡ることはできません。あちらに大橋があるので、そこから行きましょう。


 バーレンが背後より告げた。

 リューシスは右手を上げて軍勢を止めた。

 そして、セーリン川を見つめてしばし黙然と何か考え込んでいた。やがて川の対岸に視線を移す。

 対岸では、草原の中に、深い森がまばらに点在しているのが見えた。


「ああいう風に森があちこちにあるのか」

「そのようです」


 ネイマンが、部下から地図を受け取り、確認した。さっきバーレンにたしなめられたからか、口調は部下らしいものとなる。


「木はかなり高いようだな」

「ええ。飛龍が超えられる高さではありませんな」


 バーレンは森の梢を凝視する。


「じゃあ、兵を伏せても敵軍の飛龍兵には見つかりにくいだろうな」

「はい。しかし、あそこの森は、いかにも伏兵がありそうに見えます。兵を伏せても敵軍もそれを読むことでしょう」

「そうだな……だが……」


 リューシスは再び無言で思案に入った。

 森とセーリン川を交互に凝視する。

 やがて一人でうんうんと頷いた。何か思いついたようであった。


「いかにも伏兵がありそうな森。しかし、実際には伏兵がいなかったとしたら?」


 リューシスはにやりと笑った。

 バーレン、ネイマン、共にその言葉の意図がわからず、首を傾げた。


「よし、決戦の地はここだ」

「ここで? だけど大将、ワイシャンからは十コーリー(十キロメートル)も離れてるぜ」


 ネイマンの口調が再び元に戻った。


「ここに来るようにおびき寄せればいい。簡単な話だ」


 リューシスは笑う。


「しかし、ガルシャワ軍はワイシャンを包囲しております。包囲を解いて来るでしょうか?」

「まあ、その策も思いついた。これは半分賭けだが……しかし、ここまでおびき寄せれば恐らく俺達の勝ちだろう。三倍の敵だろうが面白いように勝つぞ。バーレン、ネイマン、今から言う通りに手配しろ」


 リューシスは、前方のセーリン川と、その対岸の森を睨みながら指示を告げた。


 翌朝も、早くからガルシャワ軍が動いた。

 前日と同様、雲梯や投石器、飛龍隊による攻撃を仕掛ける。


 ワイシャン城の守備兵は、ガルシャワの一万六千人に対してわずか千八百人。だが、三日目の今日も、名将ビーウェンの巧みな指揮により、ワイシャンのローヤン兵は高い士気を保ちつつよく戦い、城はなかなか落ちる気配を見せなかった。

 その状況に、ガルシャワの総大将シーザー・ラヴァンは、幕舎からワイシャン城を見上げながら深い溜息をついていた。


「あれだけの兵でよく持ち堪えている。流石にビーウェン・ワンはローヤン一の名将と謳われるだけある」


 苦笑いで嘆息しながらも、敵将を称賛していた。

 シーザー・ラヴァン、この時二十五歳。長身で、金髪と緑色の瞳を持つ美丈夫であった。


「なあに。我が軍の士気は依然高い。この調子では今日にでも落とせましょう」


 副将のハイアル・ホーは傍らで余裕の笑みを見せる。


「そうかな? 我が軍の士気は確かに高い。だが、敵軍の士気も昨日より高いと見える。籠城三日目なのに前日よりも士気が高いと言うのはどういうことだ? ビーウェン・ワンの指揮力だけでなく、城内で他に何かあったのではないか?」


 シーザーの宝石のような緑の瞳は、城壁の上の兵士の表情までをも冷静に観察していた。


「そうでしょうか?」

「恐らく援軍がこちらに向かっているのではないか?」

「援軍?」

「そろそろ来てもおかしくはあるまい」


 シーザーが言った時、取り次ぎの兵士が走って来て跪いた。


「将軍、ローヤンの援軍がこちらに向かっているとの報告が」

「ほらな」


 シーザーはハイアルを見ていたずらっぽく笑った。

 だが、ハイアルは笑う気にはなれない。


「己の慧眼を誇っている場合ではありませんぞ。敵の援軍が来るとなれば由々しき事態」

「うむ、その通りだ」


 シーザーは頷いたが、顔は尚も笑っている。そのまま兵に向き直り、


「援軍の数はわかるか?」

「偵察に出た天法士ティエンファードによれば、およそ一千五百人。すでにここより七コーリー(七キロメートル)南東にまで迫っております」


 それを聞くと、ハイアルは安堵したように笑った。


「何だ、たったの一千五百人か。案ずることはありませんでしたな」


 だが、今度はシーザーが笑わなかった。緑色の瞳を鋭く光らせた。


「一千五百人だと? いくら大半の軍を南方の戦線に向かわせているとは言え、あまりに少なすぎる。俺の見立てでは、アンラード(ローヤンの帝都)にはもっと兵がいるはずだ」

「アンラードの防備の方を重視したのでは?」

「それにしてももっと兵を出せるはずだ。怪しいな……。援軍を率いている将は誰だ?」

「兵士らの会話を盗聴したところによると、ローヤン皇帝の第一皇子エンズリューシスパールとのこと」

「何、リューシスパールだと」


 それを聞いたシーザー、ハイアル、二人の表情が一変したが、その色は対称的であった。

 ハイアルが更に安心したような顔になったのに対し、シーザーの顔は険しくなった。


「驚くことですかな? 」


 ハイアルが不思議そうにすると、


「リューシスパールが来るとなれば油断はできん」

「え? リューシスパールのうつけぶりは我が国にも聞こえております。奴が来るとなれば我らには幸運と言えるでしょう」


「お前も奴をうつけと見ているのか」

「違うと言うのですか?」


「ローヤンの第一皇子リューシスパール。確かにその素行は悪く、戦にも出たがらず、出てもやる気のない戦いぶりだと聞く。だが伝え聞くその戦いぶりの端々に、非凡な戦術の才が感じられるのだ。考えてもみろ。リューシスパールは確かに戦で大した活躍はしていないが、負けたことも一度も無いのだぞ? 一昨年、ナンリャン高地の戦いでローヤン軍は稀に見る大敗を喫した。だが、ほとんどの部隊が散り散りになって潰走したその中にあって、リューシスパールの部隊だけはほとんど兵を損なうことなく撤退に成功したと言う。お前、そんなことができるか?」


「やる気がなく前線に出ていなかったからではありませんか?」

「いや。俺はあの戦の詳細を聞いている。リューシスパールの部隊は最前線で戦っている。奴は間違いなく知勇兼備の名将だ。噂に聞くうつけぶりは、恐らく何らかの事情による演技ではないのか?」

「そうですか……」


 ハイアルは真面目な顔になって頷いたが、


「しかし、それでも兵数はわずか一千五百人。それほど恐れることはないのでは?」

「その一千五百人と言うのがそもそも怪しい。伏兵を用意しているのではないか?」


 すると取り次ぎの兵が横から言った。


「周辺も探りましたが、伏兵はいなかったとのことです」

「そうか」


 シーザーは頷いた。

 そしてしばらく眉間に皺を寄せて思案すると、決断を下した。


「少数とは言え、背後より迫っている。放っておくわけにもいかん。もちろん迎え撃つ。だが、ここに来てあの城の包囲を解くわけにもいかん。二千……いや二千五百の兵を割いてリューシスパールの軍に向かわせよう。ハイアル、お前が行け」


 ワイシャン城より南東六コーリー(六キロメートル)の草原地帯。

 リューシス軍の前方に、ハイアル・ホーが率いるガルシャワ軍がその姿を現した。

 遠目にそれを見たリューシスは、にやりと笑った。


「やったぞ、予想通りだ。ワイシャンの包囲を解くわけにもいかないから、少数を差し向けて来やがった」

「どれぐらいの人数でしょう?」


 バーレンは目を凝らす。


「シャオミン、わかるか?」


 リューシスは左肩を見やった。そこに乗っていた神猫シンマーオンシャオミンは、パタパタと高く舞い上がった。


「二千……いや、二千五百人……ぐらいかなあ?」


 シャオミンは、もうすぐ戦が始まろうと言う殺伐とした空気に似つかわしくない、のんびりとした声を出した。


「よしよし、狙い通りのちょうどいい人数だ。バーレン、ネイマン、さっき言った通りの作戦で行くぞ」

「承知致しました」


 二人は頷き、それぞれ部隊を率いて左右に展開した。

 ネイマンは、軍中から選りすぐった最強の精鋭歩兵五百人を重装備にして左翼に、バーレンは軽装にした歩兵七百人で中央に、それぞれ布陣した。そしてリューシス自身は自らの親衛隊騎兵三百人を率いて右翼に展開した。


 残りの三千五百人はいない。別の場所に隠してあった。


 そして二千五百人を率いてやって来たガルシャワ軍のハイアル・ホー。

 リューシスの陣容を見ると嘲るように笑った。


「たった一千五百人であのようにただ横に布陣するだけか。シーザー様は一目置いているようであったが、所詮買いかぶりのようだな」


 そして、ハイアルは命令を下した。


「かかれっ!」


 二千五百人、横に三列、縦に二段に構えてリューシス軍に向かって進撃した。


「迎え撃て!」


 リューシス軍もまた進軍した。


 ここに、後に伝説となる運命の戦いの緒戦が始まった。

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