Sweet Halloween

花岡 柊

Sweet Halloween

 ざわつく周囲。あちらこちらで歓声が上がり、楽しそうにはしゃぐ声が聞こえる。この場所に知り合いなんてそれほど多くないけれど、これだけの人がいれば誰か一人くらい知っている人はいるだろう。けれど、それも今日のこの状況からは判別するのは難しい。これで声をかけてくる人がいるとしたら、どうして私だとわかったのかと、寧ろ怖くなるかもしれない。

 そんな状況下に不本意のままおかれている私の脳内には、当然のように不満が渦巻いている。

 なんなのよ、これ。日本は海外にかぶれすぎなのよ。

 クリスマスだけでも十分かぶれているのに、ボジョレーだって、バレンタインだってそうよ。

 あ、最後のはお菓子メーカーの策略か。ん? ボジョレーも飲料会社の策略?

 何にしても、海外のものにかぶれてはしゃぎすぎなのよ。

 納得できない状況に不満顏のまま、左手にあるスパイダー柄で血塗れの日傘を持ち直す。

「今更ヤダとか言わないよね?」

 羊の顔を右手に持った颯太が、不安そうに私の顔を覗き込んでくる。

「今更やめるなんて、俺が言わせねぇ」

 オオカミの顔を被ったままのいつきが、なぜだか偉そうな態度で言ってきた。

 それを見て、小さく息を吐く。

 これは、半ば諦めのため息なのかもしれない。

 自分の置かれている状況や、ましてこの姿を鏡で見てしまったら諦めたくはないけれど、二人が言うように今更なのだ。当日になって駄々をこねるなんて、小さな子供かっ。と私が二人の立場なら言うに違いない。

 けれど、何が悲しくて大学のキャンパスを血塗れのメイド服で仮装して歩かなくちゃいけないのよ。

 だいたい、メイドなのに何でスパイダーの日傘なんて持ってるわけ?

 メイドなら銀色のお盆でしょう?

 そんな細かいことはどうでもいいのか?

 あ、お盆なんて持っていたら、一発芸を強要されかねないかな。

 いや、強要されてもやらないけど。裸で銀のお盆とか、無理無理無理!

 だいたい、おどろおどろしくするには、黒い物とか血がついてればそれでオッケーみたいな安易さが嫌なのよ。かといって、じゃあどうする? なんて訊かれても、特にアイデアもないけれど……。

 周囲には、仮装をした学生たちがたくさん歩いている。もしかしたら、先生や事務のおばちゃんさえ混じっているかもしれないよね。

 しかも、意外とノリノリだったりして。

 辺りに目をやれば、まんまジャックオーランタンに扮している人や、何を勘違いしているのか裸体に直接腐敗したようなペイントをして、三角の小さな水着を下半身につけているだけの人もいた。

 小島かっ! って、さっき樹が突っ込んでたけど、あの人は知り合いなんだろうか?

 お姫様もいれば魔女もいて、ナイトメア的な人やただのアニオタみたいな扮装の人もいる。

 木を隠すには森なんて、うまいことを言ったものだけれど。どんなに似たような紛争の人たちが溢れていようとも、私はメイド服に身を包む自分が恥ずかしいんだよぉーー。

 何なのよ、このフリフリはっ。

「大丈夫。那智、すごく似合ってるよ」

 慰めてくれているのか素で喜んでいるのか、颯太が満面の笑みを向けるから、不貞腐れたまま睨み返したら頬を引き攣らせた。

「馬子にも衣装だな」

 相変わらずの上から目線に、オオカミに扮した樹の鼻っ柱をパーではたくと、柔らかな素材でできた被り物がヘニャリとずれた。

「何すんだよ」とそれほど怒った感じでもなく言いながら、樹はオオカミの顔を正面へ向けようと直している。そんな私とのやり取りを見ていた颯太は、苦笑いを浮かべていた。

 だいたい、大学内だけならまだ我慢できたのよ。それを何が悲しくてこの格好のまま渋谷まで繰り出さなくちゃいけないわけ? うちの大学は、一体何を血迷っているのよ。

 梱包で使うエアーパッキンのプチプチを潰すみたいに、こみ上げる不満をプチプチと潰しながら長い列に続いて大学の門を抜けた。

 そこから駅に向かい電車へ乗り込むわけだけれど、この人数でこの仮装の大学生が大量に乗り込む事に、JR側は迷惑だとか、大学側は体裁だとかを気にしないものなのだろうか。

 乗り込んだ車両はまるで貸し切り状態だし、おどろおどろしい輩が無駄に楽しそうで、ギャップの高低差に萌えどころではない。

 今にも悪魔の黒魔法でもかけそうなおどろメイクの魔女が、人のよさそうなハリーポッターに向かって楽しそうに顔を近づけて話をしている姿は突っ込みどころ満載ではないか。

 くだらないことを思い観察していたら、渋谷に向かって走っていた電車がいつものタイミングでガタリと大きく揺れた。

 渋谷を前にして毎回同じ場所で車体が大きく揺れるのは知っているから、いつもは両足に力を入れて身構えたり、近くのつり革へ掴まったりするのだけれど、普段とは違いすぎるこの状況につい油断をしていた。

 仮装を楽しむ周囲に飲み込まれてしまい、揺れに踏ん張りがきかなかったせいで、体が大きく傾き視界も傾く。

 倒れるっ!

 そう思った瞬間、がっちりとした手がすっと伸びてきた。

「大丈夫か?」

 俺様オオカミが、倒れそうになった私の体を支えてくれた。

 筋肉質の腕にしがみつくようにしていれば、自分の心臓が瞬時に反応しだす。

 ああ。このどさくさに紛れて、ぎゅっと抱きつけばよかった。

 なんてことが脳裏をよぎる。

「あ、ありがと」

 普段ならこんな風に至近距離に樹の顔が来たら慌てて離れるところだけれど、今日はオオカミに扮しているおかげで、顔が近くても照れずにすむ。

 いや、照れてはいるのよ。だけど、ほら。見た目オオカミだし。無駄に牙を見せた口を開けてるしね。

 何ならオオカミの目だって、じっと見つめる事だって……。

 いや、さすがにそれは無理かな。いくらオオカミだからって、中からこっちを見ているわけだし。うん。

 何見てんだよ。なんて又俺様口調で訊かれても困るし。

 そんなこんなで実は大好きなオオカミの至近距離にドキドキと妄想を膨らませていたら、すぐそばでは、「うあぁーっ!」という叫び声とともに、裸の大将扮する学生めがけて羊の颯太が倒れ込んでいた。

 見ればムチムチ裸体の大将にがっちりと抱きとめられていて、思わず爆笑してしまう。

 ごめんなさいっ。すみませんっ。を連呼して、ぺこぺこと謝った颯太は体勢を立て直し、というか大将の抱擁から逃れてそそくさとこちらへ戻ってきた。

「何してんの~」

 クスクス笑うと、若干不貞腐れている。

「お前、面白すぎだから。お礼におにぎりでもプレゼントしてやりゃいいのに」

「二人とも面白がりすぎだよ。他人事だと思ってぇ」

 ケタケタ笑うオオカミに扮した樹の鼻っ柱を颯太がちょっとだけ怒りながらはたくと、樹は表情も変えずに、と言ってもオオカミの被り物の表情が変わるわけもないのだけれど。牙のたくさん見える口から長い舌をたらした顔のまま、斜めにずれた顔をクイっと直しているのを見てたら電車が渋谷へと着いた。


 辿り着いた街は、大学の比じゃないくらいの仮装した輩で溢れかえっていた。

 ハロウィンて、子供の行事じゃないの?

 Trick or Treat! って近所のお家を訪ねて、お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうよ。って行事でしょ。

 子供を差し置いて楽しむ大人で溢れる街は、賑やかを通り越して暴動に近い気がする。

 仮装行列がスクランブル交差点で、まさにスクランブル状態でわけがわからない。

 颯太と並び、余りの凄さに呆然としてしまう。

「凄いね」

「……うん」

 呆然と立ち尽くしていた二人の動揺へ、樹が活を入れる。

「はぐれるなよっ」

 周囲の喧騒に飲み込まれそうになりながらも、樹がオオカミの被り物の中からくぐもった声で叫んだ。

 樹の号令のような叫び声を機に、私たちはこの大量に溢れている有象無象の中へと繰り出していく。本気で怖い仮装の人にぶつかって、「すみません」と謝っているうちに樹はどんどん先を行ってしまう。

「ちょっと、待ってよ」

 樹に声をかけてみたけれど、喧騒に負けて届かないみたいだ。樹は、振り返りもしない。

 そうこうしているうちに、私の直ぐ後ろにいた羊の颯太が、どっかの骸骨とぶつかって少し離れてしまう。

「颯太っ!」

 声を上げると「那智ー」なんて大声で叫んで、何とかそばまでやってくると私のメイド服のスカートを掴む。

 普段なら、「そんなに引っ張ったら、見えちゃうでしょっ!」と掴んだ手を払い落とすところだけれど、今そんなことをしたら颯太とはぐれるのは必至だから我慢。

 しばらく先の通りでは、ちゃんとした列になって仮装パレードが行われているみたいだけれど、このスクランブル交差点を抜けるまでは揉みくちゃだ。警察もなんとかしようとしているけれど、どうにもなっていない。

「もうっ、だから嫌だったのよ」

 喧騒に紛れて愚痴を洩らしたら、聞こえるはずのない私の声を拾い聞いた樹が、いつの間にか近くにいて「今更って言っただろっ」と声を張って私の手をしっかり握った。

 行列の方へ向かって歩くための行為だと思っても、不意に繋がった手につい頬が緩む。

 こんなに揉みくちゃにされている中なら、正々堂々と手を握れる。

 嬉しさを噛みしめていると、気づいた。さっきまで、必死になって私のスカートを握っていた颯太の姿がないんだ。

「颯太がいないっ」

 樹に向かって叫ぶと、気にすんなとばかりに手を振る。後でなんとか合流できるだろう、とばかりにいなくなった颯太を気にすることもなく、樹は私の手を引いてずんずん進む。

 揉みくちゃにされるのが鬱陶しいのか、樹がヘニャリとなったオオカミの被り物を脱いで、空いた方の手で握りつぶすようにして持った。

「オオカミの鼻が邪魔で仕方ねー」

 文句を言っているけれど、どこか楽しそうだ。

 樹の表情はずっとオオカミのままでわからなかったけど、本人はこの状況を楽んでいたみたいだ。

 それに、やっと樹の顔を見られた私は、颯太のことも忘れて嬉しくなる。

 通った鼻筋に、きりりとした二重は少しだけ意地悪そう。一本だけある八重歯が可愛いと思うのは、私のひいき目かな。

 元々、このパレードへ参加しようと言い出したのは樹だった。

 どんな恰好にするのか、衣装をどこへ買いに行くのか、決めたのも全部樹だ。

 賑やかなのが大好きなんだろうな。

 私も颯太も普段から樹に呼び出されては、知らないサークルの集まりに参加させられていた。知らないメンバーの中に混じっても、いつも楽しく飲んだり騒いだりできていたのは、樹のおかげだと思う。

 乱暴な言葉遣いの癖に、細かく気をくばってくれるから、私も颯太もいつも楽しくいられるんだ。

 今だって、樹の笑顔を見たら何だかこの揉みくちゃも楽しくなってくるから不思議だ。

 あと数メートルでこの状況から抜け出せそうになったところで、持っていた傘が誰かに引っかかって私の体が引っ張られた。

「いつきっ」

 握っていた手が離れて、空を握る。

 離れた手を求める。

「いつきっ!!」

 私が叫んだ直後。どこか、直ぐ近くでクラッカーが大量に鳴った。

 激しく鳴り響いた弾ける音に、周囲の時間が一斉に止まる。

 私も驚いて立ち止まった。

 周囲の動きが止まった瞬間を逃さず、樹が再び私の手をしっかりと握り、スクランブル交差点から、揉みくちゃのここからから飛び出した。

 逃れた先にある縁石のそばに二人で立ち、未だ大賑わいの群集へ視線をやった。

「やべー。マジ飲み込まれるかと思った」

 さすがの樹も仮装パレードを甘く見ていたらしく、オオカミの被り物を握ったままの手で額の汗を拭っている。なのに、その直ぐあとには可笑しそうにクツクツ笑い出した。

「やべー。ちょー、楽しー」

 夜なのにたくさんの電飾で輝く渋谷の空へ向かって、樹が声を上げる。

 やっとまともに呼吸ができると隣に座りこんだ私も、倣うみたいに声を上げる。

「たのしぃーー」

 すると、すっと隣にしゃがみこんだ樹がニヤッとイタズラな顔をした。

「俺がどうしてオオカミにしたか解るか?」

 挑むような目つきに向かって、私は首をかしげた。

 私の目をじっと見つめてくる樹の瞳がセクシーなのは、どうしてだろう?

 これも私のひいき目?

 あんまり好きすぎるから、錯覚でも起こしてるのかな?

 だってほら。樹の顔が少しずつ私へと近づいてくる。

 心臓が暴れだす。

「オオカミになったのは、か弱き子羊を食らうためだ」

 赤頭巾を襲うオオカミの如く、なりきった樹の顔が近づいた。

「Trick or Treat.俺が那智を好きなの、知ってた? お菓子よりも俺でしょ」

 考える間もなく触れたのは、唇だった。

 ふさがれた唇に大きく見開いた目には、電飾の文字がチカチカと入り込んで来る。

 樹が眩しいのか電飾が眩しいのか、抜け出したはずなのに気持ちがスクランブル状態だ。

 ゆっくりと離れた後に、やっぱり挑むように片方の口角を上げた樹が目の前で笑っていた。

「欲しいものが手に入った」

 ニカッと笑うその顔は、憎らしいのに嬉しい。

「子羊なら、颯太だと思うんだけど」

 浮んだ冗談に樹が爆笑しながら私を抱き寄せる。

「だな」

 ケタケタと声を上げて笑う樹を見て、私もまた可笑しくなってきた。

 樹の鼓動を聴きながら二人で笑い合っていたら、当の羊が大きく手を振りながらスクランブルから飛び出してきて言った。

「あ、オオカミがメイドを捕まえてる!」

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