第2話 カッツェ平野での出会い
死者の大魔法使いとも呼ばれるエルダーリッチのイチゴウは、頭の中に住み着いたゴキブリのシャリアと共に、カッツェ平野を旅していた。
旅していたといっても、何ヶ月も延々と移動し続けるというわけではない。
アンデッドであり、疲労というものがなく、その上睡眠も食事も不要な体である。
のんびりとてくてく歩き続けても、一昼夜も歩けば踏破してしまうだろう。
イチゴウはエルダーリッチではあるが、その見た目は同種族から乖離している。
まず、アンデッドとしての禍々しいオーラは、至高の存在であるアインズ・ウール・ゴウンから与えられた指輪によって完全になりを潜めている。これは、アンデッド探知の魔法についても効果を発するのだと、説明されていた。イチゴウがアンデッドだと、確信を持って言える者はいないことを意味する。
種族の特徴である干からびた薄い皮膚は、羊の皮――であるはずの人間がそっくりの皮――を着ることで覆い隠し、これも特徴はである古びたローブも脱いでバックパックにしまい、ごくありふれた村人の服装をしている。
エルダーリッチの特徴はとして残っているのは、ただ『ねじくれた杖』のみという徹底ぶりだ。
相棒のゴキブリは、ただイチゴウの頭蓋骨の内側に張り付いているだけだ。疲れることもないだろう。そのうち増殖することを、イチゴウは楽しみにしている。
カッツェ平野はアンデッド多発地帯として有名な場所である。毎年リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国が戦争をし、千単位の死傷者が出るという曰く付きの大地である。
大気そのものにアンデッドの成分が含まれているというだけあって、イチゴウは実に清々しい気持ちで平野を歩き続けた。
ナザリック地下大墳墓に背を向けて歩き続けると、前方から大きな砦らしきものが見えてきた。
アンデッドの多発地帯に住みたがる人間はいないと思われるが、現に砦がある。
まだ距離はあったが、遠目に見ても実に立派な砦だ。
こんなものをつくるのは、たいていが人間種だということは、イチゴウも理解している。
イチゴウは、種族でいえば異形種ということになる。アンデッドになる前(生前)の種族がどうであろうと、アンデッドになった段階で、すべからく異形種なのだ。
人間が、住むわけでもないのに砦を作る。毎年戦争をしていることから考えるまでもなく、軍事用だろう。
イチゴウは、ゆっくりと近く付いてくる巨大な砦に、少しウキウキしているのを自覚した。アンデッドの種族的な特性として、精神は大きく振れない。だが、感情がないわけではない。
イチゴウが砦を見て心躍らせるのは意味のないことではない。エルダーリッチは、古来迷宮や古城の支配者として知られている。それには意味があるのだ。つまり、種族の属性として、拠点の支配者として君臨するのが大好きなのだ。
近づくにつれ、イチゴウは進行方向と砦の位置がずれていくことに気がついた。
イチゴウが目指しているのは、バハルス帝国のナザリックから1番近い都市であり、人間が住む場所だ。
一方の砦は、平野の中にある。
イチゴウは立ち止まり、少し考えた後、寄り道をすることにした。
それは至高の存在に対する裏切りかもしれない。もし裏切りにあたるとすれば、想像するだけでも背筋が凍るほど恐ろしいことだ。
だが、そもそもイチゴウは、具体的な行動については何も指示されてはいない。情報を集めるということなら、興味を持った場所には何処でも行ってみるべきだろう。
自己弁護をしながら、イチゴウは砦に足を向けた。本音は、ただ近くで見たかったのである。
カッツェ平野の砦は、本来王国領であるにもかかわらず、帝国の旗が掲げられていた。イチゴウには旗の紋章を見分けることはできなかったが、アイウズ・ウール・ゴウンの旗でないことはわかる。イチゴウは、その旗をアインズ・ウール・ゴウンのものに差し替えたい衝動に駆られた。
アインズが世界を征服したら、この砦を貰えないだろうかと想像しながら近づいていくと、アンデッドの成分を含んだカッツェ平野の空気にはふさわしくない、騒々しい音が聞こえてきた。
何かを叩く騒々しい物音に、怒鳴る男のダミ声が、イチゴウには不快だった。
これから自分のものになるかもしれない砦を叩くなど、いったい誰が何の目的でしているのだろうか。
「おい、開けろ! 開けてくれ! くそっ、誰もいないのか。この砦には、兵士が常駐しているんじゃないのか」
何やら焦っているようだ。イチゴウは速度を変えずに近づいていくと、砦はしっかりとした木製作りで、おそらく何万人もの人間が収容可能だろうという巨大なものだった。
これをいただくには、よほど大きな功績を上げなければならないと思い至る。少しばかり傷物になって、価値が下がった方がもらいやすくなるだろうかと、声を上げている者への評価をあらためる。
大きな声を出しているのは、どうも人間である。人影が四つある。このような人気がないところにいるということは、イチゴウと同じように旅人だろうか。
アインズが、冒険者というものに化けたという噂も聞いたことがある。ならば、その冒険者かもしれない。
「仕方ないね。ヘッケラン、運が悪かったんだ。覚悟を決めなよ」
言ったのは女だ。長い髪を束ね、長い耳が目立っている。アウラやマーレほどの長さはない。肌が白いところをみると、半森妖精といったところか。
「覚悟を決めるというのは、何の覚悟です?」
叫んでいたのとは別の男が尋ねた。善人そうな穏やかな顔をしているが、やはり焦っているのか、口調がとげとげしい。
「――逃げた方がいい」
最後の1人、小柄で黄色い髪をした、育ちの良さそうな女が言った。
「私も賛成だ。何の覚悟だって言ったね。当然、尻尾を巻いて逃げる覚悟さ」
誰が何を言い、どんな内容かということについては、実はイチゴウには全く興味がわかないことだった。イチゴウが4人に近づいたのは、たまたまイチゴウが砦に興味を持ったからに過ぎない。さらに加えれば、どうして男が砦を叩いていたのか、理由を聞きたかった。
すでに怒りはなかったが、自分のものにしたいと憧れを抱いた砦を殴られるのは、いい気分ではない。
「倒せば、言い金になるんだぜ」
言ったのは、砦を殴っていた男だ。近づくにつれ、男が殴っていたのが扉であることがわかる。扉を叩くということは、訪問者だ。
ならば、しかたがない。訪問者が扉を叩くのは、むしろ当然だ。イチゴウの怒りは完全に霧散した。
「倒せないから、ここまで逃げて来たんだろ。何を格好つけているのさ」
「ここまで撤退したのは、消耗を防ぐためだ。アンデッドを退治するための装備で、ギガントバシリクスとやりあうのは自殺行為だろ。ギガントバシリクスだって、装備さえきちんとしていれば、倒せるさ。それを確認するのに、いつ襲われるかわからない平野にとどまることはないから、ここまで来たんだ」
耳の長い女に向かい、ヘッケランと呼ばれた男が主張したが、答えたのはもう1人の逞しい優しげな男だった。
「なら、ここでその確認をするということですか?」
「中に入れない以上、仕方ない」
「――無理。魔法を使いすぎた。あんな大物を仕留められるだけの力は残っていない」
「アルシェがそう言うなら、仕方ないよ。ヘッケラン、諦めな。砦に入れないのなら、いつまでもこんなところにいたら、逃げることもできなくなっちまう」
「いえ……もう、遅いかもしれません」
優しげな男の声に、弾かれたように三人が反応する。3人は周囲を探ったが、その男の目はイチゴウに向いていた。
イチゴウは驚いた。アンデッドであることは、指輪の力でわからなくなっているはずなのだ。
「……誰です?」
「旅の者です。あなた方こそ、何をしているのですか?」
イチゴウは尋ね返す。イチゴウの任務は、情報の収集である。そのためには、人間の情報が1番必要なのだと、デミウルゴスから言われていた。
「我々はワーカーです。この辺りのモンスターを退治しにきました。旅人ですか? 1人で? そんなに、強そうには見えませんが」
「……この辺りは、強くないと1人で旅もできないのですか?」
なるほど、これは貴重な情報だと思いながら、イチゴウはアンデッドであることがばれていないようだと安堵した。
アンデッドだとばれることのなにが問題か、ということより、アインズに与えられた指輪が効果を発揮していない、ということの方が問題なのだ。
そのようなことが、起こり得てはいけないのだ。
「ねえ、2人とも、それどころじゃないよ。あんたも聞いていたでしょ。この辺りはアンデッドの多発地帯だし、私たちはそのアンデッドを狩りに来たけど、運悪くもっと強力なモンスターにでくわしたのよ。死にたくなかったら、私たちと一緒に逃げるか、どこかにかくれて祈っているほうがいいわよ」
「――イミーナ、違う」
中でも1番若く、小柄な少女とも言える女が、2人を押しのけて前に出る。
「違うって、どいうこと? アルシェ、どうしたの?」
「――この人……強い。たぶん、第4位階も使える」
「本当か?」
最初に大声をあげていたヘッケランも近づいてきた。
イチゴウは、いままでの会話の内容を整理して、たぶん強いモンスターに遭遇してしまい、逃げるか戦うかで意見が分かれているのだろうと判断した。
すると、アルシェという女が言った『第四位階』というのは、魔法の位階のことだろう。
エルダーリッチのモンスターレベルは22であり、確かに第四位階の魔法を一つ覚えている。イチゴウはアインズのスキルにより強化されており、実質30レベル相当のステータスを持つが、使える魔法が増えているわけではない。
使える魔法は、モンスターがはじめから操れるという6種類だけだ。今後、さらに魔法を覚えられるかどうかは、イチゴウ自信が知りたいと思っていたところだ。
「まあ……たいしたことはないですよ。第4位階の魔法は、一つだけです」
「じゃあ、第3位階も使えるんだな?」
それは間違いない。エルダーリッチの代名詞とも言われるファイヤーボールは第3位階だ。
「多少は」
イチゴウが言ったのは、謙遜ではない。第3位階の魔法の数は、ただでさえ多い。しかも、この世界の人間たちが独自開発した魔法も多く存在するらしい。その中で、たった6種類の魔法しか使えないというのは、少々恥ずかしくも感じているのだ。
「ギガントバシリクスが近くにいる。手を貸してくれないか? 礼はする」
「ちょっと、ヘッケラン。そんな怪しげな奴、引き入れるつもり?」
「――でも、強い」
「アルシェ、あんたは黙って。ヘッケラン、下手に力を借りると、後々面倒ごとを抱えることになるって、経験あるだろ。ギガントバシリクスを無理に倒す必要なんかないんだ。ここから逃げたらいい」
イミーナと呼ばれていたハーフエルフの女は、腰に手を当てて胸を反らした。平たいその胸を見て、イチゴウは何故かシャルティアを思い出した。
いや、シャルティアの胸は大きい。そのはずだ。どうして目の前のハーフエルフと印象が重なったのか、よくわからなかった。美人だからだろうと、一人で納得した。
「私も反対ですね。あまりにも、その方は得体がしれない」
優しげな逞しい男も反対する。確か、この男が最初にイチゴウに気がついた。
イチゴウはその理由が知りたかった。
「その人は、初めから私を……まるでモンスターを見るような目で見ていましたが、私はそんなに人間に見えませんか?」
イチゴウが逞しい男を指で示すと、男はばつが悪そうに頭を掻いた。
「これは失礼しました。ですが……私は信仰系のマジックキャスターをやっていて、神の存在を信じています。自分の勘を信じることにしているのです」
なるほど、ただの勘らしい。しかし、アンデッドとは見破られないはずなのに、ごく普通の人間の姿をしているのに、イチゴウを怪しいと思うあたり、人間の勘というものも、軽視できないかもしれない。
そう思っていると、イチゴウの頭の中で何かが警告を発した。何かとはいうまでもない。頭の内側で生活しているゴキブリのシャリアだ。
「では、決をとるか」
「2対2になるのが決まっているだろう」
ヘッケランの提案に、イミーナが牙を剥く。口を挟んだのはイチゴウだ。
「逃げるなら、早くお逃げなさい。もう、来ていますよ」
「どこ?」
イミーナが悲鳴に近い声を上げた。そんなに恐ろしい相手だろうか。
イチゴウは上を見る。4人がイチゴウの視線を追い、絶句した。
巨大な砦の壁に、8本の足でへばりついている、巨大な爬虫類の姿があったのだ。頭上10メートル、斜め上だ。
イチゴウは気分を害した。
ギガントバシリクスと思われる爬虫類は、ワーカーと名乗る一団(餌)の不意を突くためか、砦の壁を上ったのだ。巨体である。登るために、指が砦の壁面に穴を空けていた。
恐るべき鉤爪の力だと感じる前に、イチゴウは自分が将来もらいたいと思っていた砦に傷をつけたギガントバシリクスに、腹を立てたのだ。
「逃げろ! あんたも!」
ヘッケランの判断は早く。イチゴウが歩いてきた方角に向かって走り出した。イチゴウにも声をかけたのは、ヘッケランの人となりだろうか。
「<ファイヤーボール>」
ギガントバシリクスに腹を立てていたイチゴウは、無造作に得意の魔法を放った。
「――やっぱり……」
何か珍しかっただろうか。アルシェと呼ばれていた少女が呟いた。
火の玉が放たれた。ギガントバシリクスを目指して飛ぶ。
ギガントバシリクスは抵抗されるとは予想していなかったのか、回避が遅れ、頭部のすぐ横に着弾した。
火の玉が爆発する。爆風では吹き飛ばないだろうが、爪を立てていた砦の壁に穴が開き、ギガントバシリクスが体勢を崩し、宙を舞って大地に叩きつけられた。
8本足の巨大なトカゲは、ダメージがないかのように起き上がる。イチゴウの目は、ギガントバシリクスが張り付いていた砦の壁に釘付けになった。
「ああ……あんなに、壊れて……く、くずが……この、くずが……」
怒りのあまりに声が震え、即座に精神の動揺が抑えられる。
「おおかた、あんたが壊したと思うが……」
背後のヘッケランの言葉など聞こえなかった。
重要なのは、砦が破壊されたことだ。
壊したのは、ギガントバシリクスだ。ギガントバシリクスが〈ファイヤーボール〉を避けたりしなければ、イチゴウが将来もらうはずだった砦が傷物になったりはしなかったのだ。
イチゴウはギガントバシリクスを睨みつけた。イチゴウの視線を恐ろしいとは思わなかったのだろう、体長にして10メートルはあろうかという巨大な爬虫類が牙を剥く。
「石化が来るわ!」
イミーナが叫ぶ。
「なら、下がってきなさい。私は耐性がある」
ワーカーの4人を置いて、イチゴウは前に出た。アンデッドは炎と信仰系魔法以外のほとんどに対して耐性がある。状態異常を受けることはほとんどないが、席かに対してまで完全耐性を持っているかどうかは自信がなかった。それでも、目の前のトカゲを見る限り、抵抗に成功するだろうと感じていたので、石化されるとは思えなかった。
前に進みながら、自らがもっとも得意とする魔法を発動させる。
「〈ファイヤーボール〉」
一発ではない。イチゴウは、アインズの特殊技能による強化で、〈ファイヤーボール〉なら百五十発は連射できる。
もちろん再詠唱時間があるため立て続けに放てるというわけではないが、一発ずつであれば、きわめて短い間隔で放つことができる。
さらに、〈ファイヤーボール〉の魔法は範囲魔法であるため、直撃しなくても多少のダメージは通る。
イチゴウの放った一発はギガントバジリクスの頭部近くに着弾した。怒ったのか、大きく開けた口の中に二発目を放りこんだ。
警戒して体をうねらせたところに三発目、後退したところに背後に落ちるように四発目を放ち、前に出ようとしたところに腹を狙って五発目を放った。
イチゴウは、自分が強者だとは認識していない。第3位階の範囲魔法など、児戯に等しいと感じている。それは、自らの創造主が圧倒的強者だからであり、その後周囲にいたもの達で、自分より弱い存在は、POPモンスターとして雑魚扱いだったからだ。
だから油断はしない。さらに〈ファイヤーボール〉を十発ほど打ち込む。ギガントバジリクスの反撃を封じることには成功しているが、倒すには至らない。
ギガントバシリクスが苛立つように咆哮しながら後退し始めた。厚い皮に守られてはいるが、ダメージがないわけでは無いのだろう。
さらに続けようとしたとき、イチゴウの背後から風切り音が聞こえた。
ギガントバシリクスが苦悶の声を上げる。爬虫類そのものの顔、2つの目に、矢が刺さっていた。
「イミーナ、やるのか」
「あたりまえだろ。ギガントバシリクスの討伐報酬、いくらだと思っているんだい! この人だけで倒しちまったら、報酬の分け前を貰えるもんか!」
「――素直じゃない」
「イミーナだからな」
アルシェの言葉に苦笑しながら、ヘッケランが前に出た。
「石化さえなくなれば十分です。毒なら任せて下さい」
大柄で優しげな男が、イチゴウの肩を軽く叩いてヘッケランに続く。
毒に対しても耐性があるのだが、それをいう間はなかった。
視力を奪われたギガントバシリクスを取り囲むように、2人の男が武器の有効範囲ぎりぎりから攻め、間隙をぬってイミーナが矢を放つ。
これが、ワーカーと名乗った人間たちの戦い方なのだろう。
なかなかの連係だ。イチゴウとギガントバジリクスの間に入るように人間たちが展開している。もはや手を出す必要もなく、憎きギガントバシリクスは討伐されてしまうだろうかと思いながら、イチゴウはさらに〈ファイヤーボール〉の準備をする。
背後から、小柄な影が話しかけてきた。
「――まだ、魔法が使えるんですか?」
「ええ」
同じ〈ファイヤーボール〉なら百発は放てる。あえて言うまでもないかと、イチゴウはただ肯定の返事のみを返した。
「――なら、援護に行きましょう」
アルシェが飛行の魔法を使い、空中に浮かび上がった。
イチゴウは感心して、思わず拍手をしていた。
拍手の音が耳障りだったのか、あるいは別の理由か、魔法で飛び上がったアルシェは空中で静止し、振り向いた。
いかにも怪訝な顔、というのを絵に描いたような表情だった。
「――あなたは飛ばないの?」
「飛べません。それ、魔法ですか?」
「――第3位階、割と人気の魔法……」
「ほう……私は使えませんが、是非覚えたいところですね。そうすれば、あの人たちに当てても〈ファイヤーボール〉の威力が減殺されることを防げます」
「――当てると怪我をするから、ではないの?」
「あの人たちが怪我をしても、私には困る理由がありません」
「――確かに……。でも、当てられるとわたしが困るから、一緒に飛びましょう」
アルシェはふわりとイチゴウの背後に回り込む。
「――私はあまり魔力が残っていないから、攻撃魔法は任せます。あの人たちに当てたら、高いところから落とすから」
「わがままな人だ」
イチゴウの呟きを無視して、アルシェが背中に抱きついた。胴に腕を回し、驚いたような声を上げた。
「――痩せている。病気?」
「骨と皮ばかりだと言われます。でも、生まれたばかりの頃から、こうですよ」
「――よく、生きてこられたね」
骨と皮ばかりの赤ん坊でも想像したのだろうか。アルシェは心配そうに言ったが、イチゴウはアンデッドとして作られ、それ以前の記憶はない。
エルダーリッチがダイエットをして痩せるはずもなく、初めから骨と皮しかないのだ。
「抱えて飛ぶには、軽い方がいいのでは?」
「――それは事実」
アルシェが再び舞い上がる。地面が遠ざかる浮遊感は特別なものだったが、内臓が存在しないイチゴウの感動は少なかった。
「私にも、使えますかね?」
エルダーリッチの種族特性として、拠点のボスになりたがるのと同じぐらい、魔法に対する習熟欲が強いことがある。
自然発生したエルダーリッチは、さらなる知識を求めて、地下組織の一員に成り下がるぐらい執着するのだ。
「――第4位階まで使えるなら、きっと覚えられる」
「それは楽しみです」
舞い上がると、ギガントバシリクスと一進一退の攻防を繰り広げる3人を、真上から見下ろす位置まで移動した。
視力を奪われているギガントバシリクスといっても、強敵には違いない。10メートルにもなる巨体を支える8本の足はいずれも破壊力抜群で、人間などひと飲みにできるほど巨大な頭部には、毒をもった鋭い牙が並び、尻尾の一振りで大木さえなぎ倒すのだ。
目が見えないぐらいで、まさに丁度いいハンデなのだろう。
「人間たちが倒されてからのほうが、いいのでは?」
イチゴウは、背後から抱きかかえているアルシェに聞いてみた。
「――どういう意味?」
「死体になった後なら、怪我を恐れずに魔法を落とせます」
「――意味ない」
「却下ですか……」
どうしてダメなのか、いまいち理解できなかったイチゴウだが、アルシェはイチゴウに使えない魔法を使用できる。それだけでも、機嫌をとるメリットがありそうだと思えた。
使い慣れた〈ファイヤーボール〉を落とす。人間に当てないように、ギガントバシリクスの胴体をめがけて落とす。
それほど難しくはなかった。人間たちはギガントバシリクスの怪力による攻撃を警戒して、踏み込めずにいたため、距離は比較的空いていた。
同時に何発も落とすのは、特別なスキルや魔法が必要で、イチゴウに使えなかったため、1発ずつ少しの間を空けて落としていく。
「――まだ、撃てるの?」
5発ほど落としたところで、アルシェが驚いて尋ねた。合計で16発放ったことになる。
イチゴウはアインズのスキルで強化されたアンデッドだ。〈ファイヤーボール〉なら150発は撃てるが、あえて言うこともない。
それから淡々とファイヤーボールを打ち続け、30発ほど落としたところで、ギガントバシリクスが動かなくなった。
地上に降ろされたイチゴウに、人間たちが駆け寄ってきた。
「すごいな、あんた。飛行の魔法は使えないみたいだが、あれだけ〈ファイヤーボール〉を放って平然としているなんて」
「冒険者なら、オリハルコン級……アダマンタイトのパーティにいてもおかしくいかもね」
ヘッケランとイミーナが口々に褒めそやす。この世界の金属についてあまり知らないイチゴウには、なんのことかわからない。
大柄の男が近づいてきて、頭をかきながら片手を差し出した。最初にイチゴウをモンスターと間違えた男である。その後も、態度は疑り深いものだった。
「私は、ロバーデイクです。さっきも言いましたが、信仰系のスペルキャスターをしています。先ほどは……すいませんでした。素晴らしい魔力ですね」
イチゴウの魔力を褒められるということは、作成したアインズのスキルを褒めることでもある。イチゴウは当然だと思いながらも、気分をよくした。
「お気にせずに。あなたたちを助けたかったわけではありませんから」
「じゃあ、なんなの? 報酬目当て?」
「イミーナ、せっかくロバーデイクが和解しようとしているんだ。嫌味を言うなよ」
「悪かったわね。口が悪くて」
ヘッケランに注意され、イミーナが唇を尖らせる。
イチゴウは、ギガントバジリクスを攻撃した理由を説明した。
「この素敵な砦に、爪痕なんかつけられれば、殺したくもなるでしょう?」
「――それ、あなただけ」
口を挟んだアルシェは、なぜか上機嫌に笑っていた。
「まあ、いいさ。とにかく助かった。我々だけでも勝てたかもしれないが、石化対策をしないで相手にできるほど簡単なやつじゃないし、あんたが魔法で援護してくれなければ、痛いダメージをもらっていただろう。俺たちは、アンデッドを狩りに来たっていうのは、言ったよな。ギガントバシリクスを討伐するなんて、思わぬ臨時ボーナスだ。ここらで根城に戻るつもりだが、あんたはどうする? よかったら、一緒に来るかい?」
「まっ、あんたの薄気味悪さが解消されたってわけじゃないけどね。ただ、敵じゃないってのは、信じてやるさ」
「――イミーナ、失礼だよ」
「アルシェがそんな事を言うなんてめ珍しいですね。どうです? アルシェも気に入ったようですし、魔力系のスペルキャスター同士、話が合うんじゃないですか?」
ロバーデイクもにこやかに話しかけてくる。イチゴウは少し考えてみた。
この人間たちと同行するメリットと、デメリットだ。
情報を得るには、人間と接触する必要があり、どうしたわけか信頼関係が確立したらしいので、一緒にいくメリットは大きいだろう。何より、アルシェという女からこの世界の魔法のことを聞き出したい。
だが、逆にデメリットも大きい。イチゴウの外皮は羊の皮であり、劣化したら取り替えるしかないのだ。デミウルゴスなら羊から作れたのだろうが、イチゴウが自作するのであれば、人間の皮を剝ぐしかないだろう。つまり、交換すれば別人になってしまう。
イチゴウの中身がアンデッドであることは知られない方がいいだろう。知られても問題ないなら、アンデッドと感知されない指輪をアインズが渡すはずがないからである。
考えた末に、イチゴウはせっかくの申し出だが、と切り出した。
「私は、この素敵な砦のことをもうすこし調べたいと思います。あなたはワーカーと言っていましたが、それは冒険者とは違うのですか?」
イチゴウが尋ねると、4人は顔を見かわして笑い出した。ヘッケランが口を開く。
「……いや、笑ってすまない。それだけの力を持っていて、本当に世の中のことを知らないんだなと思ったんだ。冒険者は、冒険者組合に管理されている連中だ。組合に守られている代わりに、面倒な規則に縛られる。俺たちワーカーは、仕事をとる事から、下調べまで全部自分たちでやる代わりに、受けちゃいけない仕事ってものはない。たとえ人殺しでも、受けたければ受けてもいい。全ては自己責任だ。イチゴウさんは、どうしたい? 冒険者になりたいかい? 俺としては、ワーカーの方が向いていると思うが」
なかなか興味深い話しだとおもいながら聞いていたイチゴウだが、別に冒険者にもワーカーにもなりたいわけではないのだ。
「魔法の研究をしながら、廃墟の支配者としてゆっくり過ごしたいのですがね」
さらに4人はひとしきり笑い、今度はアルシェが答えた。
「――魔法の勉強なら、帝国に来たのは正解。帝都には魔法学院がある」
「しかし、アルシェさん、この方は〈ファイヤーボール〉も使えるのですよ。アルシェさんの目では第4位階すら使えそうなのでしょう。いまさら、魔法学院もないと思いますよ」
ロバーデイクの言葉にヘッケランもイミーナも同意したが、アルシェはイチゴウのことを他の人間より多少は知っている。そのための助言だったのだろう。
イチゴウはアルシェの言った『魔法学院』を記憶に刻みながら、首を振った。
「私は、攻撃魔法はいくつか使えますが、飛ぶこともできませんし、生活に必要な魔法は全く使えません。知識が偏っているのでしょう。できれば、きちんと基礎から学び直したいのです」
「――偉い。いまの力だけでも、いくらでも稼げるのに」
「ああ。その通りだ。しかし、それならなおの事、帝都まで一緒に行かないか? ギガントバシリクス討伐の分け前も渡したいし、魔法学院に入るのにも、まずは帝都までいかないといけないしね」
再三の誘いだったが、イチゴウに応じる気はなかった。
「すいませんが、帝国は初めてなのです。帝都とはとても魅力的なのでしょうが、帝都だけで帝国のことを全て知った気になるのは、つまらないです。帝国内の都市をいくつか回りながら、ゆっくり帝都を目指したいと思います。ギガントバシリクスの分け前でしたら、手持ちのもので結構ですよ。本当に、私はあれに腹を立てて殺したくなっただけなのですから」
「そっか……アルシェ、残念だね。あんたが興味を持つ男なんて、めったにいないのにね」
「――イミーナ!」
「本当のことだろう? 私たちは、ワーカーのフォーサイトっていうチームだ。帝都の『歌う林檎亭』が本拠地だよ。帝都に来たら尋ねておくれ。こっちのヘッケランがリーダーだ。それから……ギガントバシリクスの分け前だけど……これでいいかい?」
イチゴウの手に、イミーナが銀貨を一枚置いた。
「わかりました。また、会うこともあるでしょう。分け前ですが……これは銀貨ですね?」
「ああ。それだけあれば、しばらくは食えるよ」
「なるほど。ありがとうございます」
イチゴウは頭を下げた。何故か、ロバーデイクが苦虫を噛み潰したような顔をし、ヘッケランがイミーナを引きずっていき、アルシェが近づいて、金属が入った袋をイチゴウの手に押し付けてきた。
「これは?」
「――私、お金がなくて。ごめんなさい。帝都にきたら、きちんとお礼をします」
アルシェが押し付けてきた袋には、数十枚の銅貨が入っていた。
イミーナが渡していた報酬が破格に少なかったのだとは、イチゴウは気がつかなかった。
ナザリックから出たばかりのイチゴウには、ギガントバシリクスはただの雑魚にしか見えなかったため、報酬が出るだけでも十分だったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます