第3話 エルダーリッチ、冒険者になりそこねる
ワーカーチーム、フォーサイトが去った後、カッツェ平野の砦の門が開いた。
フォーサイトのリーダー、ヘッケランがいくら騒いでも、固く閉ざされていたはずの扉である。その扉が、まるでイチゴウを招くかのように、目の前で開いた。
イチゴウが開けたのではない。1人になって、砦の周りを回ってみようかと思っていた時、突然扉が動いたのだ。
特に驚くでもなく、イチゴウが開いた扉を眺めていると、内側からひょっこりと人間の顔が突き出てきた。ちゃんと首が繋がっている、ただの人間である。
「ギガントバシリクスは、行ったかい?」
「いや、そこに居る。体の一部を持ち去られたがね」
「ひっ!」
顔を出したのは、フォーサイトのメンバーより年かさで、体つきもしっかりした人間の男だった。
鎧で身を包み、武装までしているのに、臆病なことだ、とは思っても言わずに、イチゴウは付け加える。
「もちろん、本体は死骸だ。このまま放置すると、ギガントバシリクスゾンビになるのだろうか?」
「し、死んでいるのか。驚かせるな」
イチゴウの疑問には答えが返されなかった。イチゴウであれば、死体を操作することができる。一般的には、まさにそれこそがゾンビなのだろう。
もし、ギガントバジリクスが都市を滅ぼすほどの力を持つという評価を知っていれば、ゾンビとして使役することも考えたかもしれない。だが、現在の一号にとってのギガントバジリクスの価値は、倒すのを手伝うと銀貨が一枚もらえるという程度にすぎない。
ちなみに、アルシェが渡した銅貨については、どうしてもらったのか理解していなかった。
「驚いたのか……ただのトカゲだと思うが。ところで、中にいたのなら、どうして開けなかったのかね? フォーサイトのヘッケランという男が、この扉を何度も叩いていたが」
イチゴウがこの場所に迷わずこられたのは、ヘッケランが騒いでいたからだ。
出会った人間の名前をきちんと覚えていた。自らがごく一部の戦闘メイドより、格段に優れた認知力と記憶力を示したことなどは知らずに、男に尋ねる。
「この砦は、王国との戦争の際に帝国兵の駐屯所とするために作られたのだ。年に一度しか使わないのももったいないから、普段はカッツェ平野のアンデッド討伐にくる騎士団や冒険者の休憩所として開放されている。しかし、ギガントバシリクスなんて化物を引き連れてこられて、開けられるはずがないだろう。自殺行為だ」
納得できるような、できないような理由だ。それほど恐れる相手だろうか。いや、この人間が弱すぎるのだろう。イチゴウはそう結論付けた。
「ふむ。ところで、ギガントバシリクスは始末したのだから、中には入れてもらえるのだろうか。金なら多少はあるが」
イチゴウがアルシェからもらった皮袋を取り出す。本当に多少しかはいっていないということは、イチゴウの認識にはない。この世界の貨幣価値などわからない。
「ああ……泊まっていくなら銀貨1枚だが、中で休憩するだけなら、無料だ。あんたなら、ギガントバシリクスを退治してくれたんだし、泊まるのも無料でいい」
「見学は?」
「見学だけで、泊まらないのか?」
イチゴウには、宿泊どころか休憩の必要もない。
もう少し旅をつづければ、ナザリックに提出する報告書を書くために落ち着いて書物ができる場所をもとめるのだが、まだ出発したばかりだ。さすがに早いだろう。
「ああ。見学だけでいい。疲れてもいない」
本当は見学の必要もないかもしれない。この砦に、アインズが知りたがる情報があるとは思えない。見学をしたがったのは、イチゴウの趣味である。
自分がいずれ、廃城やダンジョンの支配者となった時のために、イメージを含らませておきたいのだ。
どんな場所にどんなモンスターを配置しようとか、想像して楽しむのだ。
「わかった。入ってくれ」
イチゴウが入れるだけの隙間があけられる。
砦の中に入り、しばらくうっとりとしながら、頑丈に作られただけが特徴の帝国生建築物を堪能した。
砦を出てしばらく歩いた。
出たのが昼だったか夜だったか覚えてはいない。しばらく歩く、というのも、感覚ではわからない。
完全暗視の特殊技能に加わえ、疲労しない体であり、時間の感覚はかなり鈍いためだ。
唯一、マジックポイントやヒットポイントの回復が、時間の経過を体感できるチャンスだったかもしれないが、先ほどのギガントバシリクスとの一戦では、どちらも削られるというほどではなかった。
たまに頭蓋骨内のシャリアと話をしながらの、のんびりとした旅だった。
アンデッドであることは探知されないはずだが、カッツェ平野のアンデッドたちは生者だとも認識しなかったらしく、近くを通っても無視された。
しばらく飽きもせず歩き続けるうちに、馬車の轍がついた、広い道に出くわし、これが街道だろうとあたりをつけた。
トブの大森林を掠めるように街道は伸び、森の中にいるトロールやオーガの姿を見かけたが、珍しいものでもないだろうと気にせず通過した。
すでにどれぐらい歩いたのか、考えるのも興味がなくなった頃、立派な城壁に守られた街が見えてきた。
街道沿いの帝国の街である。
帝国領内でも最も戦地に近いだけあって、見上げるような壁に囲まれていた。
王国のエ・ランテルにはくらぶべくもないが、イチゴウはエ・ランテルを見た事がない。
この街の城壁にはせいぜい3メートルぐらいだろう。要塞として作られたのではないのなら、それでも充分なのだろう。
街が見えてくると、さっそくイチゴウは自分が支配したときのことを考えて妄想してみる。
中々、魅力的だ。
砦のよりもいいかもしれない。
妄想しながら、街に入るためにできている列に並んだ。
街の名をコールタールというのとは、人間たちの会話を小耳に挟んだ結果の知識である。
街に入る時、一人旅の旅人は珍しいらしく、色々と質問はされたが、マジックキャスターだということで問題なく通ることができた。
行くあてがないと知ると、魔術師組合と冒険者組合の場所を親切にも教えてくれた。
帝国では、騎士もこういった雑務をこなすのだと旅人のイチゴウに自慢げに語ったが、イチゴウはあいまいに感心したふりをした。自慢された意味も、その凄さも、理解できなかった。
「冒険者組合と魔術師組合か……確か、平野であった人間たちはワーカーだと言っていたな。どちらがいいかな?」
「両方行ったらどうです?」
頭の中でシャリアがアドバイスをくれる。相談相手がゴキブリ、ということに抵抗はない。
「……そうしよう。近い方がいいな」
教えられたとおりに歩いていたイチゴウは、目の前に魔術師組合があることを発見する。
どういうわけか、イチゴウはこの世界の文字が読めた。アインズが知れば悔しがったかもしれないが、アインズと世間話をするような光栄には、いまだに浴せないでいる。
イチゴウが魔術師組合の扉をくぐると、受付らしいカウンターで若い女が退屈そうにしていた。楽な仕事だろうなと思いながら、イチゴウは尋ねる。
「魔法のことを知りたいんだが」
「アイテムのご購入ですか? 巻物ですか?」
この娘は人の話を聞いていなかったのだろうかと思いながら、再びイチゴウは尋ねる。
「魔法のことを知りたい。この世界には、どんな魔法があるんです?」
女はぽかんと口を開けた。まるで言葉がわからないか、とてつもない可笑しなことを聞いたかのようだ。
「えっと……ご用は、それを知りたいっていうことですか?」
「ん? まあ、そうかな……」
「それでしたら、帝都アーウィンタールの魔法学院へのご入学をお勧めします」
「……そうか。ところで、アイテムとか巻物と言っていたが……」
イチゴウは、魔法の品の価格を知り、金を稼ぐ必要を実感した。
イチゴウはまず、この世界の魔法について知りたかった。
モンスターとしての種族属性で使える魔法の以外には何もできないイチゴウなので、基本的な知識から知りたかったのだ。
結局金がなく、アイテムなどの購入もできないことを理解して、魔術師組合では何もすることがないという結論に達するのに、あまり時間はかからなかった。
人間の社会では、金がないと何もできない。手持ちの金では、数日宿に泊まるだけで終わってしまう。
なかなか、厳しい状況だ。
まずは金を稼ぐ必要があることを理解し、イチゴウは冒険者組合を訪れた。
他に金を稼ぐ方法が思いつかなかったのである。
逆に、冒険者になれば金を稼げるだろうということは、平野であったワーカーたちとの会話から掴んでいた。
「魔法の品が高価なら、奪ってしまえば高く売れるのかな」
「ダメですよ。事件を起こしたら正体がばれて、アインズ様の命令を果たせなくなります」
「もちろん、そんなことは考えていないよ」
頭の中のシャリアに答える。情報の収集が任務なのだ。最初の街の初日に討伐隊が組まれては何もわからない。
最初から帝都を目指したほうがよかっただろうか。少し悩んだが、後からシャルティアが派遣するシモべが合流する予定なのだ。
そのシモべと相談してから決めようと思い、イチゴウは冒険者組合の扉をくぐった。
冒険者組合には活気が感じられなかった。もっとも、あったとしてもエルダーリッチであるイチゴウは何ら感銘を受けないだろう。
依頼を張り出した掲示板には、そこそこの依頼が張り出してあるが、数だけだ。銅級・鉄級の冒険者に向けての依頼が多く、それ以上になると数えるほどしかない。
銅や鉄級の冒険者にあまり強さは求められていないのか、倉庫整理や害虫駆除、中には夜勤での見張り、などというものもある。
依頼を張り出した掲示板の奥にカウンターがあり、魔術師組合同様に暇そうな顔をした女が座っていた。
奥には待合室をかねているのか、何組かの机と椅子のセットが置かれたスペースがあり、冒険者と思われる武装した人間たちがたむろしている。イチゴウの印象では、道中で出会ったワーカーを名乗るものたちのほうが強そうに見える。
イチゴウはカウンターに向かった。まずは話を聞かなくては何もできない。
「金を稼ぎたいんだが」
「冒険者への登録のご希望ですね」
女の質問に首肯し、冒険者としての登録手続きを行おうとする。
冒険者としての様々な説明を受け、書類を作成しようとして、銀貨5枚を要求された。
「……手持ちがこれしかないんだが」
イチゴウがアルシェと名乗った女から渡された巾着をひっくり返す。同時にもらった銀貨も入れてある。
巾着のなかからは、銀貨1枚と銅貨が30枚出てきた。文字通り、イチゴウの全財産である。
「……足りませんよ」
受付の女が、どこの田舎ものだと説いたげな視線でイチゴウを睨む。
「……前借り、とかできないか?」
「登録もしていないのに、できるわけないでしょう」
「借金は?」
「同じです。信用がない相手に、お金を貸す人間はいません」
冷たい物言いだった。イチゴウが登録費用も出せないと分かってから、カウンターの女の態度が急降下している。
仕方ない。出直すしかないだろう。
最後に、イチゴウは食い下がってみた。
「私の友達を置いていけば、信用になりませんか?」
「友達?」
いかにも胡散臭いものを見るような顔で、女は眉を寄せた。イチゴウは自分の口を手で覆った。
「すまないね」
小声でつぶやく。
「仕方ありませんわ」
頭の中で声が反響し、声を発した主が頭蓋骨の内側を移動する。手のひらに乗ったのを感触で確認する。
「こちらです」
イチゴウが手を差し出す。その上に、シャリアが載っていた。
「あ、あなた……いま、どこから……キャー!」
カウンターの向こう側で、女が悲鳴をあげてひっくり返った。
「……残念。ダメなようですね」
イチゴウは口の中にシャリアを放り込んだ。
イチゴウは結局、魔術師組合でも冒険者組合でもまともな情報源には出会えなかった。
まず金がいる。その金を稼ぐにも元手がいるのだ。
冒険者組合を出たところで、イチゴウはこれからどうしたらいいのかと考えはじめる。
「……奪うしかないのか」
「おっと、そういうことは、口に出すもんじゃないぜ」
イチゴウの呟きを聞き咎めたのか、背後の男が声を出した。
イチゴウが振り向くと、冒険者と思われる武装した男がいた。武装といってもかなりの軽装だ。
革鎧で上半身を隠してはいるが、服だけしか着ていない部位も多い。腰に下げているのもわん曲した短刀で、モンスター相手には破壊力が不足しているように見える。
首から銅のプレートを下げているので、冒険者なのだろう。
「そうですね。冗談です」
「金に困っているのは、本当なんだろう?」
イチゴウは男を見た。
ただの通りすがりではなさそうだ。イチゴウを追って、声をかけてきたように感じる。イチゴウが文無しであることは知っているのだろう。
なら、近寄ってきた理由も察しがつく。
「いい稼ぎ口でもあるんですか?」
「話が早いね。帝国で冒険者ってのは、あんまり流行らないぜ。やるならワーカーだ。俺は、冒険者組合を利用するために登録はしてあるが、依頼は受けない口だ。よかったら、仕事を手伝わないか? どうしても冒険者になってみたいっていうのなら、銀貨5枚程度の稼ぎは保証する」
「……話がうますぎるな。裏がありそうだ」
イチゴウが当然の疑問を口にすると、男は笑った。
「いまの話は、そんなに美味くないと思うぜ。もちろん、ちょっとばかり危ない仕事だからな」
「……ふむ。他にやることもないし、乗らせてもらおう」
「即決か。気に入った」
男はグリーンリーフの盗賊だと名乗った。
グリーンリーフはワーカーのチームで、冒険者でいえばミスリル級の実力があると言われたが、やはりイチゴウには金属の知識が乏しく、なんのことかわからなかった。冒険者の階級については組合で説明を受けていたものの、まともに聞いていなかったのだ。
イチゴウが案内されたのは、人通りの少ない路地裏にある倉庫だった。
指示されるままに中には入る。
「老公、1人連れてきました。金がなくて、冒険者登録もできなかったんで声を掛けました。肝は座っているようです。報酬は、冒険者登録用の銀貨5枚で話をしてあります」
中は薄暗い。暗くても問題ない。イチゴウはエルダーリッチのスキルとして、完璧な暗闇さえ見すかすことができる。
倉庫の中には、テーブルや椅子などの最低限の家具が持ち込まれ、溜まり場のようになっていた。溜まっているのはイチゴウを案内した盗賊を含めて5人だ。特に、『老公』と呼ばれた最奥に座っている人間は目を引いた。
鮮やかな緑色の鎧を纏った、80歳になろうかという老人なのだ。
戦地でもないのに武装しているのは、常在戦場を意識してのことか、あるいは通常の服と同じぐらい体に馴染んでいるのかもしれない。
それらすべてのことが、イチゴウの気は引かなかった。
「ほう。冒険者希望の文無しか。だか……お前しゃん、素人ではなかろう」
歯がないためか、わしゃわしゃとした感じの話し方をして、老公と呼ばれた男が立ち上がる。
イチゴウは思わず左手の人差し指にはめた指輪を見た。イチゴウがしている装飾品はこれだけだ。アインズから与えられた、アンデッドであることを誤魔化す指輪だ。
「いえ。私はただの素人です。ただちょっと、攻撃用の魔法は使えますね」
魔法を使えると言った時、老公以外の男たちがさわさわと囁いた。それほど驚くことだろうか。人間たちは、生まれつき使える魔法というものがないのだろうか。
「スペルキャスターか。帝国て学んた者なら、金に困っているということもなかろう。王国の者か?」
「……ナザリックだ」
この点は、イチゴウの誇りでもある。譲るつもりはないので、はっきりと言い切った。
頭の中に戻っていたシャリアが心配してくれていた。
「知らんな。国の名か?」
「いずれ国になると思う。今は、墳墓だな」
「ひゃっひゃっひゃっ、意味かわからんわい。まあよい。わしらか探していたのは、金にこまって少々きたないことも厭わない奴しゃ。報酬は、冒険者登録用の銀貨5枚ていいのか?」
「十分だ」
「十分か。よくか無いのう。まあよい。その方か、わしらも助かる。仕事は今日の夜しゃ。再ひここに来い」
「……老公、行かせていいんですか?」
それまでずっと黙っていた男の1人、重々しい板張り鎧を身につけた男が尋ねる。
「構わんとも。何も知らせておらんのたからな。しゃか、わしらを売ろうとすれは、後悔するそ」
最後に、老公はパルパトラと名乗った。その名を知らなかったイチゴウに少し不快そうな顔をしたが、知らないものは仕方が無い。
この辺りを旅するなら、強者の名前ぐらい覚えておけと言われ、イチゴウは解放された。
夜には用ができた。逆にいえば、夜まで何もすることがない。
昼でも夜でも関係なく視界が効き、しかも眠ることも食べることもできないイチゴウにとって、することがないというのは若干の苦痛でもある。
報告書を作成するほどの出来事もまだ起きていない。ただ、じっとしていてもエコノミークラス症候群になるはずもない体なので、何もせずに座っていること自体は苦痛ではない。苦痛なのは、アインズの役に立つための作業を何もせずに、時間の経過を待たねばならないことだ。
結局、路地裏でイチゴウはじっとしていた。
表通りに行き交う人間たちを呆然と眺めて時間を潰した。
デミウルゴスに言われたことを思い出す。
羊の皮が痛んだら、人間で調達しろと言われた。なるほど、とイチゴウは思った。
羊の皮を被って人間に化けるのは、デミウルゴスの力を借りなければできないだろう。だが、人間の皮を剥いで着てしまえば、同じ効果が得られそうだ。なら、そうすればいい。
そこまで考えて、さらにイチゴウは疑問をを抱いた。人間の皮を剥いで代用しろという冷酷な指示を出すデミウルゴスが、どうしてわさざわざ羊の皮を加工するのだろう。はじめから人間でいいではないか。
考えても結論は出なかった。
シャリアに尋ねてみると、曖昧にごまかされた。
夜になる。イチゴウは倉庫に向かった。
イチゴウが、改装した倉庫の扉をくぐると、男たちが一斉に立ち上がった。
「来たか。こなけれは中止しゃったか、今日やるへしということなのしゃろう」
「流石に文無しがいく場所じゃない。使ってくれ」
最初にイチゴウに声をかけた盗賊が、巾着を渡してよこす。
イチゴウが待っているものと同じぐらいの大きさだった。だが、膨らみ具合、中身の張り具合は比較にならない。
開けてみると、中にぎっしりと銅貨が入っている。
「必要経費しゃ。遠慮はいらん」
小さな巾着袋にぎっしり詰まろうが、銅貨ではあまり価値がないとは、イチゴウは知らなかった。
だが、イチゴウはそもそもこの金で何をするのか聞いていない。
「報酬の前渡しですか?」
「違う。ああ。仕事の内容をきいておらんか。お前しゃんは、これから賭博場に行ってもらう。そこで遊んて、奥の扉の鍵を開けるんしゃ。それたけていい」
「それだけか。簡単そうだな」
イチゴウは素直に言った。話を総合すると、賭博で遊んで、部屋の鍵を開ければいいのだ。
「いい度胸だな」
板張りの重そうな鎧を着た男が、イチゴウの肩を叩く。
「鍵を開けるタイミングは、俺たちが外から指示する。2回・1回・3回でノックをするから、それから開けてくれ。しばらく待って扉があかなければ、お前さんが失敗したと解釈して、俺たちは帰る。そのまま強行するには、危険が大きいからな」
盗賊が言った。危険が大きい、という言葉にイチゴウはひっかかった。
「あなたたちは、私が鍵を開けた後、何をするんです?」
「知らん方かいい……と思ったか、あんたは覚悟か出来ていそうた。教えてやれ」
老公パルパトラは、説明を盗賊に任せて、自分は手に槍を握った。
先端が金属ではなく、ドラゴン種の牙であることをイチゴウは見てとる。緑色の鎧も、金属でなくドラゴンの皮に見える。
ただの老いぼれた戦士ではなく、ドラゴンを狩った経験があるのだろうか。
「賭博は違法じゃない。しかし、麻薬は違法だろうがそうじゃなかろうが、体を蝕む。どこから入ってきたのか知らないが、最近この都市で麻薬が流行りだしているんだ。お前さんがこれからいく賭博場は、麻薬の取引兼保管庫になっている。俺たちは、街の領主に雇われたワーカーだ。グリーンリーフっていえば、少しは有名なはずだがな。冒険者を雇うわけにいかない理由があるらしい。どうせ、知り合いの貴族に麻薬の利益が回っているとか、そんな理由だろ」
イチゴウは説明してくれた盗賊にむかって頷く。
話の内容にはほぼ関心がなかったが、今の話は覚えておいて、アインズに報告する価値があるだろうと思えた。
盗賊は続ける。
「だから、この仕事が簡単だなんて思うな。どうせ用心棒ぐらいいるだろう。うまくやってくれ。あんたに何があっても、俺たちは助けない。代わりに、俺たちのことを喋っても構わない。パルパトラ率いるグリーンリーフに喧嘩を売るやつは、この辺りにはいないからな」
「……わかった」
よほど腕に自信があるのだろう。そういう物言いだ。
なら、すべて自分たちだけでやったらいいじゃないかとも思ったが、せっかく色々なことを教えてくれたのだから、そのまま賭博場に行ってみようと思った。
きっと、アインズも知りたがることがあるに違いないと、勝手に想像していた。
「じゃあ、私は博打をして……奥の扉の近くで合図を待っていればいいんだな?」
「そうだ」
盗賊が頷く。倉庫を改修した溜まり場の奥から、空気を裂く鋭い音とともに声がかかった。
「頼むしょ」
先程までとは別人と思えるほどの鋭い視線で、パルパトラは槍を使った突きの動作を繰り返している。
ただ、歯の数が少ないことだけは、気合いではどうにもならないらしい。
イチゴウは指示された賭博場に行き、会員証の代わりにもらった金を見せた。
治安が悪い、というような場所ではなかった。賭博場というのも、一般的なものなのだろう。だが、麻薬は別なのだ。
受付にいた男は、巾着の中身を見て、かわいそうな生物を見るかのような目をイチゴウに向けたが、何も言わずに通した。
少ない元手で楽しむのも、賭博の楽しみ方である。
奥に進んで、行われていたのは、流石に丁半博打というわけではなかった。
ルーレットのように洗練されたものでもない。銀貨を7枚放り上げ、表が出る枚数を当てるものや、チェスのような盤上ゲームの勝者にかけるものや、鍛え上げたゴブリンを戦わせているものもある。
イチゴウにはどれも新鮮でおもしろかったが、渡された支度金が、実はかなり少ないことを今更ながら自覚する。
「どれにしましょうかねぇ」
「私の同族が戦うものとかなら、確実に当てられると思うわ」
頭の中でシャリアが助言をくれる。確かに、角を持った昆虫を戦わせる競技はあったのだが、残念ながらゴキブリの戦いはなかった。昆虫同士の戦いに、ゴキブリを出せるかといえば、たぶん無理だろう。
「それはなさそうだけど……シャリアの眷属があちこちに居そうだね」
イチゴウは熱気にあふれた博打場を見回す。人間がまるで鈴虫のように固まって、怒号を上げている。きっと金をかけているのだ。当然だ。そのための場所なのだから。
「……へえ。一緒に旅したがる子がいるかしら」
「言葉が通じるのかい?」
「通じなくても、野生の眷属なら操れるわ」
「面白いね。試してみよう」
イチゴウはこっそり壁際に寄った。料理も出されているので、食べかすが散らかっている。落ちた食べかすを独占していたゴキブリを摘み上げる。
「おい! そんなところで何をしている!」
突然背後から声をかけられたので、振り向く。
「どうかしましたか?」
「そっちは立ち入り禁止だ。近寄るな」
警備員だろうか。軽装だが武具を身につけている。顔立ちは悪い。いや、顔が悪いわけではなく、目つきが悪い。
「それは失礼」
どうやらイチゴウが鍵をあけなければならない扉は、この奥だろうと検討をつける。
ならば、賭博で遊んでいたら、ノックの音が聞こえない。
イチゴウは、グリーンリーフの調査の甘さに少し苛立ちながら、手にしていたものを持ち上げた。
「そ、掃除か。ご、ご苦労」
武装した男が声を引きつらせる。イチゴウにはその理由はわからなかった。
イチゴウは、行くなと言われた奥を見つめながら、手にしていたシャリアの眷属をシャリアに遭わせるため、口から送り込んだ。
「ひっ、ひっ……」
「どうしました?」
何やら騒がしいので首を向けると、先ほどの警備員らしい男が尻餅をついていた。
イチゴウが覗きこむ。
「よ、寄るな。さ、触るな」
「なぜです?」
「ひゃぁ!」
男が逃げていく。
一体、何があったのだろう。
「どうしたんでしょう」
「わからないわ。でも、この子もあなたの中、気に入ったみたい。一緒に旅をしてもいいかしら」
「シャリアが気に入ったのなら、もちろん構わないとも」
頭の中で二匹のゴキブリがまぐわう姿を微笑ましく想像しながら、イチゴウは奥に目を向けた。
賭博場から少し離れた場所に、イチゴウは入り込んだ。
奥、だと言われていた。不確かな情報なのは間違いない。だからこそ、イチゴウに声をかけたのだ。確かな情報が得られたのなら、仲間たちで行ったに違いない。
いつの間にか、賭博場から離れて、細い通路に入り込んでいた。
正面に扉がある。たぶん、あれが目的の扉だろうと見当をつける。
人間がいた。いや、人間だろうか。
話し声が聞こえてくる。イチゴウはそのまま歩き続けた。
「このまま、帝国で商売を続けないのか?」
「仕方ないでしょ。王国内で、栽培している拠点の村が焼かれて、穴埋めが大変なのよ。あなたにも、帰ってもらったほうがいいわ。六腕の1人を、いつまでも私だけの護衛として使っているわけにはいかないもの。デイバーノック……どうしたの?」
「誰か来たな……人間か。妙な感じがしたが……知らない顔だな。誰だ?」
イチゴウは、エルダーリッチと対峙していた。
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