エルダーリッチぶらり旅(バハルス帝国編)
西玉
第1話 旅立ち
記憶はない。ただ、その場にいた。
気がつくと存在していた。
創造されたのだ。
そう理解した。
自分を創造した存在が、目の前にいた。
美しく白い顔に、ありえないほどの豪華なローブを纏い、数え切れないマジックアイテムに身を包んだ至高の存在だった。
全身に高貴な黒いオーラをまとい、生あるものにはおそらく絶望を与えるだろう死の象徴たる姿は、ただ、神々しかった。
「……至高の御方」
迷わず膝をつき、こうべを垂れた。
「ああ、よいよい。楽にしろ」
あまりにも普通に、気さくに、親しげに、造物主たる至高の存在に言われ、感動のあまりに涙しそうになり、涙が溢れない自分の体を呪った。
「はっ。ありがたき幸せ」
顔を上げると、至高の存在はすでに別の方向を向いていた。見ている前で、力が振るわれた。
至高の御方が持つ人間と覚しい死体から、真っ黒い沁みが垂れ、地面にこぼれた。
至高の御方の白い手に抱かれていた死体は失われ、死体を飲み込んだと思われる黒い沁みは、地面でわだかまり、その中から力強く美しい姿が立ち上がった。
「デスナイトですか」
思わず呟いていた。自分もこうして生み出されたのだと理解する。まさに、至高の造物主にふさわしい御技だと感じられた。
デスナイトは至高の存在の前で立ったまま、命令を待っていた。
「なぜ、ひれ伏さない」
つい、言ってしまった。至高の存在に作り出されたのに、まるで恩を感じていないかのように立ち尽くすデスナイトに苛立ち、つい声を上げてしまった。
すると、まるで驚いたように至高の御方が振り向いた。いや、驚いたはずがない。当然のことを言っただけのはずだ。
「ほう。さすがはエルダーリッチ。死者の大魔法使いというのは伊達ではないようだな。お前の忠義、嬉しく思うぞ」
「そ、そのような。もったいのうございます」
楽にすることを許されているはずなのに、思わず膝をついていた。エルダーリッチというのが、自分の種族名なのだ。
至高の存在を喜ばせた。これ以上の歓喜があろうか。
体が震える。間違いなく、感動によって。
「ただ階層に配置するのも、もったいないかもしれないな。そうだ……名前をあたえよう。そうだな……イチゴウというのはどうだ」
「ああ……ありがとうございます。そのようなもったいない。至高の御方より名前を賜るとは……」
イチゴウと名付けられたエルダーリッチは、あまりの光栄にひれ伏した。
イチゴウと名付けられたエルダーリッチの前で、創造主たるアインズはアンデッドの製作を続けていた。
実験的な意味もあるのだろう、すべて違うアンデットだった。
時間がたち、イチゴウが特に強力だと思ったものたちが消えていく。後には、ただ死体が残っていた。
「かの方々は、帰ったのでしょうか。あのクラスのアンデッドをこの世界にとどめるには、より強力な魂の持ち主が必要だということでしょうか。あるいは、複数の魂を同時に使用して作成するなど……儀式のような手段が必要なのかもしれませんね」
その様を見ていたイチゴウは、つい口を挟んでしまった。行っているのが至高の絶対者であることを、つい忘れてしまった。
悪い癖だ。魔法のことになると、我を忘れてしまうのだ。この世界に産み落とされたばかりだというのに、イチゴウは種族の常として、魔法の知識を渇望していた。
「ふむ……魂か……」
アインズのつぶやきが、イチゴウの意識を引き戻した。
「も、申し訳ありません。出過ぎたことを申しました。至高の御方のいる前で、お許しも得ずに私見を述べた非礼をお許しください」
イチゴウの体がぶるぶると震える。エルダーリッチはアンデッドである。死の恐怖などない。だが、自らの創造主たる絶対者の不興は恐ろしかった。
心配に反して、アインズの口調は明るかった。
「いや、この世界のアンデッドに関しては、色々と実験をしなくてはわからない。そのような意見を言ってもらえて、嬉しい限りだ」
「も、もったいない……」
「さて、そろそろ今日の分は終わりだな。イチゴウ、お前にはこれから、働いてもらうことになると思うぞ」
「なんなりと、お申し付けください」
イチゴウは這いつくばった。まさに、望むところだったのである。
至高の存在に仕えられる。しかも、自らを生み出した存在に。これほどの栄誉を受けられる者は、他にいないのではないかと思ったほどだ。
目の前の至高の存在の名をアインズ・ウール・ゴウンという事を知ったのは、後日のことである。この時は、畏れおおくて名前を聞くことなどできなかった。
自分の名前が、いかにも適当につけられたなどとは、思いもしなかった。
※
ナザリック大地墳墓の第九階層、支配者であるアインズ・ウール・ゴウンの執務室に、階層守護者たちが集まっていた。アインズ本人は執務机にむかって椅子に腰掛け、机の上には、乱雑に描かれたナザリック周辺の地図が置かれていた。
アインズが城塞都市エ・ランテル近郊で、洗脳されたシャルティアを討ち取り、復活させてから数日が経過していた。
集まった階層守護者たちは、守護者統括のアルベド、その他デミウルゴス、コキュートス、アウラ、マーレ、シャルティア、つまり全員だ。シャルティアは相変わらず美しいが、どこかしょんぼりしているようにも見える。
「シャルティアを洗脳したワールドアイテムの所有者は……やはり王国、帝国、法国のいずれかに潜伏しているか、国そのものが関与しているという線が強いのだろうな」
ナザリック地下大墳墓の立地条件から、その他の国には接していない。情報を得るのが早すぎる。その3カ国ですら、どうしてナザリックの存在を知ったのか、不思議でならないのだ。
「アインズ様のおっしゃるとおりかと」
デミウルゴスが厳かに言うと、アインズはまずは胸を撫で下ろした。この部分から間違えていたら、どうしていいかわからないところだ。
「では、その3カ国に宣戦布告いたしますか?」
守護者統括であるアルベドが訪ねた。まさか、本気ではあるまいと、アインズは笑う。
「もし、本気でそれをするのであれば、3カ国を食い合わせる策ができてからだろうな。一般的な人間は弱いと確認できたが、どれほどの猛者が潜んでいるか、わからない。何しろ、情報が少なすぎる。まずは、情報を得ることからだろう」
「さすがはアインズ様、見事な深謀遠慮です」
アルベドは深々とお辞儀をした。白いドレスを着た絶世の美女であるが、頭部の角と腰の羽が、人間ではないことを告げている。
「では、あたしたちが調べてきます」
闇妖精とも言われるダークエルフのアウラが勢いよく手を挙げたが、アインズは却下した。少し唇を尖らせるが、素晴らしく整った顔立ちをしているため、可愛らしいという印象しか沸かない。
「じ、じゃあ……どうするんでしょうか?」
おどおどと尋ねたのは、同じくダークエルフでアウラの弟のマーレだ。よく似ているが、スカートを履いているので間違えることはない。たまに性別を間違えそうになるが、それは仕方がない。スカートを穿いた男子である。男の娘、と呼ぶらしい。種族名ではなく、性癖からの分類である。
「強者がいる可能性を知りながら、油断してシャルティアを守れなかったばかりだ。全員がワールドアイテムを持とうと、危険があることは変わらない。まずは、失ってもあまり影響のない者を遠方に派遣し、情報を集めようと思う」
「すると……シモべでしょうか?」
アルベドの問いに、アインズはうなずいた。
扉の側にいた、一般メイドが訪問者を告げる。ナザリック地下大墳墓九階層のアインズの執務室である。外部の者が許可なく訪れるはずがない。
「丁度来たようだな。入室を許可する」
畏まったメイドが招き入れたのは、1人のエルダーリッチだった。
アインズの執務室に入るや、エルダーリッチは這いつくばった。当然だ。部屋で待ち構えていたのは、全員がレベル100、エルダーリッチを小指の先で滅ぼせる者ばかりだ。
「このような者に」
アルベドの呟きが聞こえたのだろう、這いつくばったままのエルダーリッチが、怯えたようにびくりと震えた。
だが、違う反応を示した者もいた。
「さすがはアインズ様、見事な采配です。このデミウルゴス、感服いたしました」
外見はエリートサラリーマン(ただし尻尾が生えた)で伊達男風の守護者、第七階層を守るが、あまりに優秀なため外に出て活動することが最近多くなっているデミウルゴスが、感嘆の言葉を発した。
(……そうなのか? 1番どうでもいい奴で、たまたま通りがかりにすれ違ったから、ちょっと執務室まで来いと言っただけなのだが……そんなに?)
アインズは、自分の最も優秀だと信じている部下が先読みして感銘しているらしいことに戸惑いはしたものの、一方では安心していた。
デミウルゴスが理解した以上、あとは放り投げても大丈夫だろうといういやらしい腹づもりもあったのだ。
「まあ、そうだな」
アインズは、感心しているデミウルゴスを除いて、他の守護者達の顔を伺う。
昆虫のコキュートスは顔の表情がわからないが、他の守護者達は一様にキョトンとしている。デミウルゴスと得意分野が違うだけで同じように優秀だと思っているアルベドさえ、理解しかねていたらしいのだ。
解らないのが普通だと言える。
「デミウルゴス、皆戸惑っているようだ。説明することを許す」
「はっ。ありがとうございます」
恭しく頭をさげると、デミウルゴスは守護者達一堂を見回し、いまだひれ伏したままのエルダーリッチに声かけた。
「まず、こちらに来たまえ。守護者達に説明するまえに、幾つか質問したい」
「承知しました」
エルダーリッチは恐々、といった感じでアインズの前に進み出る。デミウルゴスは人差し指を立てて、まるで教師のように説明を始める。
アインズは似たような光景を見た気がした。確か、探偵映画で見た気がする。
(『犯人はここにいます』とか言いださないよな……)
デミウルゴスがそんな砕けたことを、少なくともアインズの前でしないだろう、とはわかっていても、やって欲しいと思いながら、デミウルゴスの言葉に耳を傾けた。
「まず、エルダーリッチ君」
「あの……イチゴウと名付けていただきました。そう呼んでいただければ幸いです」
「ほう。誰にだね?」
「至高の御方、アインズ様です」
アインズは驚いた。エルダーリッチに名前をつけたことすら忘れていたのだから、驚くのも当然だ。
「なるほど……君はアインズ様に造られたのだね?」
「はい」
「ならば、先ほどの守護者統括殿の言葉は、撤回した方がいいでしょうね」
デミウルゴスはアルベドをちらりと見る。アルベドは青い顔をしていた。
「アインズ様、申し訳ありません。アインズ様が手ずから作成されたシモべとそうでないものの見分けもできない不詳なこの身を、どうかお許しください」
「アルベド、お前を許そう」
「ありがとうございます」
花が咲いたかと思うほどの笑顔が現れる。アンデッドのアインズすら見惚れるほどだ。この笑顔が見られるのなら、時々叱責して、許すのも悪くないと思えるほどだ。
アルベドが背筋をしっかり伸ばした、きりっとした態度に戻る。
アインズが許したのだから、それ以上何も言うなと態度で語っている。簡単にアインズが許したからだろうか、デミウルゴスは少しだけつまらなそうな表情を見せたが、すぐに続けた。
「イチゴウ君、君にはナザリックから外に出て、周囲の状況を調べてきて欲しいのだ。もちろん、これはアインズ様のためであるし、アインズ様の命令と思ってくれていい」
デミウルゴスがアインズに視線を送る。同意を求めているのだと理解して、重々しいと思う動作で頷く。
「承知いたしました。至高の御方、アインズ様の命であれば、いかなることも厭いません」
デミウルゴスは満足して頷く。執務机の上に置いてある地図をアインズに断りながら持ち上げた。
「我らがナザリックを囲む3ヶ国を知っているかね?」
イチゴウがすらすらと答える。下っ端のアンデッドすら知っている情報となっていることに、アインズも満足してうなずいた。
「それで、君はどこに行くべきだと思う?」
「……バハルス帝国でしょうか」
「そう思う理由はなんだね?」
「王国には、セバス様が向かわれていると伺っております。私が行ったとこで、役には立たないでしょう。法国は、人間以外の種族がいないと聞いておりますので、私の正体がすぐにばれ、満足に調査もできないと思われます」
「ふむ。では、君には定期的に、できるだけ詳しい情報を流してもらいたいのだ。伝言(メッセージ)の魔法は使えるかね?」
「いえ。その魔法は習得しておりません」
エルダーリッチは最高第四位階までの魔法が使用できるモンスターだが、まだ生成されてすぐの状況では、種族(モンスター)制限の6種類の魔法しか使用できないはずだ。これからさらに魔法を習得することができるかどうかも、アインズの興味があるところである。
「それで、情報をどうやってナザリックに届けるべきだと思う?」
「転移魔法かな?」
「それも、使えないはずでありんす」
アウラとシャルティアがひそひそと話していたが、デミウルゴスは見事に無視した。イチゴウは答える。
「報告書、あるいは手紙を書きたいと思います。私は……死体であれば、特殊技能(スキル)で動かすことができますので……動物、犬などの新鮮で傷の少ない死体に手紙をもたせて、ナザリックにお送りいたします」
「素晴らしい。そうしたまえ」
イチゴウは恭しく頭を下げた。その下げ方も、慇懃でありながら、あくまでも恐れている感じを受けるものだ。
アインズは感心した。
「デミウルゴス、よくわかった。守護者達も、このエルダーリッチであるイチゴウが調査員として十分な能力を有していることに、疑いはあるまい」
言いながら、アインズは空間に手を差し入れ、その中からお目当のアイテムを取り出した。
「しかし、アンデッドであることが簡単にばれてしまっては、行動も難しいだろう。イチゴウにこれを授ける。アンデッドであることをごまかすアイテムだ」
渡したのは、指輪である。アンデッド特有の禍々しいオーラを押さえ込み、どうしても生者を恨んでいるのでないかと誤解される不吉な目つきを和らげる効果がある。
守護者達もの目つきが、険しくなった。アインズからアイテムを下賜される、というのは、物が何であれ羨ましいものなのだ。
「守護者達にも、必要なものがあれば借り受けよ」
空気を読んだアインズは、『大したことしてないよ』っというアピールで、話を振る。
デミウルゴスが進み出た。
「では、私からは外見をごまかすために、羊の皮を差し上げよう」
「はっはっはっ、デミウルゴス、いくら人間が愚かでも、羊の皮でごまかされるか? いや、構わない。何かの役には立つだろう」
悪魔は魅力的な笑みを浮かべて後退した。代わりに、昆虫そのものの表情のコキュートスが口を開く。
「デハ、我ハ、旅ノ友ヲ」
「ああ。それはいいな」
「私は、連絡の道具をさしあげましょう。自分で用意するのは、効率が悪いでしょうから」
アルベドが言った。アウラとマーレが進み出る。
「あたしは、服をあげるよ」
「じゃあぼくは、旅用の道具を」
「アンデッドに、そんなもの要らないでしょう」
アウラが弟に厳しい指摘をし、マーレがあわあわと混乱した。アインズは2人をなだめる。
「いや、むしろ必要だろう。野営の道具も持たずに旅をしていては、素性が疑われる。マーレ、よく気がついた」
「はいっ」
ダークエルフの少年が珍しく元気よく返事をし、少女が恥ずかしそうにうつむいた。外見は逆であるが。
「わ、わたしは……どうしよう」
最後にシャルティアが悩んでいる。デミウルゴスが優しく言った。
「シモべはどうだね? シャルティアは、特殊な能力を持っているのだし、ちょうど素材があるのでね」
うつむいていたシャルティアが見たのは、デミウルゴスではなくアインズだった。イチゴウが旅立つ理由になった直近の事件の張本人だけに、肩身の狭い思いをしているのだろう。
「いいと思うぞ」
「はいっ。わかったでありんす」
「では、それぞれの持ち場へ戻れ」
守護者、およびエルダーリッチが一斉に頭をさげる。
(ちょっとした思いつきで、エルダーリッチを外に出してみようとしたのだが、割といい考えだったのかもしれないな。しかし……無一文で放り出すことになってしまったな。仕方ないか。今更餞別とかいって、金を渡すのも変だしな。自分でなんとかするだろう。デミウルゴスの羊の皮というのがよくわからないが……敵から隠れる時に使うのか?)
アインズは悩んだものの、大したことではないだろうと、考えるのを放棄した。
※
イチゴウと名付けられたエルダーリッチが旅立ったのは、翌日である。
ナザリック地下大墳墓の二階層から、最近では図書館の雑用を命じられていたこともあり、アインズの執務室で約束した品を守護者達がそれぞれに持参してくれたた。もちろんイチゴウは、大変恐縮しながら受け取った。
アルベドからは筆記用具の一式と、アウラからは地上の人間が普通に着る服を渡された。
「アインズ様から、これだけの厚遇を与えられたのです。死ぬ気で働きなさい」
とアルベドには言われ、
「こんな服、ナザリックじゃ手に入らないんだからね」
とアウラは言いながら渡してくれたが、アウラが渡してくれた服は、エルダーリッチが作成された時点から着用していた古びたローブより安物にしか感じられなかった。
ユグドラシルに由来する品では、最低限の装備ですら高価すぎるということを、イチゴウは理解していなかったのである。
粗末な服に感じられたが、階層守護者が言うことに間違いがあるはずがないと信じて、イチゴウはアウラがくれた『普通の』服というものに着替えることにした。
マーレは野営の道具を一式くれたが、やはり、
「ナ、ナザリックの、アイテムは高価すぎと疑わしいって、デミウルゴスが言っていたから、ぼくが作ったんだよ」
と言って渡してくれた。食器や簡易テントといったものが、全て木製でできていた。どうしてナザリックのものが使えないのかわからなかったが、守護者が自ら作ってくれたというのだ。感謝しないわけにはいかない。
デミウルゴスが渡してくれたのは、羊の皮だった。デミウルゴスが羊の皮だというのだから、羊なのだ。ただ、被ると不思議なことに、エルダーリッチの外見が人間に変わるらしい。
ちょっとした魔法だと、イチゴウは喜んだ。エルダーリッチの外見は、骸骨ではない。骨に皮が張り付いているが、カサカサに乾いた皮がはりついているため、どう見ても生きた人間ではない。
デミウルゴスから与えられたのは、実に見事な皮だった。被ると、まるで生きた人間のように見えるのだ。
アインズから預かった指輪と併用すれば、ほぼ人間に見えるに違いない。
ただ、
「痛んだら、修復は難しい。人間がいれば、新しく調達するといい」
と言われたのが不思議だった。羊の皮を調達するのに、人間が必要なのだろうか。しかし、階層守護者達の中でも知恵者で知られるデミウルゴスの言葉である。人間に会えばわかるだろうと思い、深くは追求しなかった。
コキュートスから、旅の友をプレゼントされた。実際にはコキュートスの友人の配下で、知恵の働くものを借り受けたということだった。コキュートスは渡す時に、
「大事二シテイレバ、途中デ増エルカモシレナイゾ」
と言っていた。そんなこともあるだろうと納得した。
シャルティアはシモべをくれるということで、実はちょっと期待していた。
エルダーリッチは死者の大魔法使いと呼ばれるほど、高位のアンデッドなのだ。本来であれば。
だが、ナザリックでは支配者がオーバーロードであるため、使い走り程度の役しかない。そのイチゴウがシモべをもらえるというのは、ちょっとしたステータスに感じられた。
だが、シャルティアからのプレゼントは間に合わなかった。
「ちょ、調教にちょっと時間がかかっているでありんす。出来たら、追わせるでありんす」
と言っていた。たとえ遅れたとしても、自分の部下ができるのは嬉しい限りだ。シャルティアには改めてお礼を述べると、逆に恐縮されてしまった。
旅立ちに弁当などはない。イチゴウはアンデッドなのだ。寝食の必要なく、一日中休息なしで歩き続けても、疲労することもない。
下手に馬車に乗るより、早いかもしれない。
そんなわけで、イチゴウは徒歩でナザリック地下大墳墓を旅立つことになった。
行先は北東、バハルス帝国である。
一見して、ただの旅人にしか見えないはずだった。
アンデッド特有のまがまがしさは指輪で消し、乾いた肌は別の皮で覆い、古びたローブは背中のバックパックにしまってある。
作成された当時と変わらないのは、武器にもなるねじくれた杖だけだ。
旅人が杖を持つことはごくありふれたことだったので、下手に武器を手にしているより旅人らしい。
とは思うものの、実際には武器も持たずに一人旅をする人間がこの世界にどれぐらいいるかということはわからなかった。
しかし、問題はない。武器を持たずに一人旅をしていることが奇妙であるなら、それも報告事項の一つだと言える。
ごく普通の旅人だと自覚しつつイチゴウが歩き出すと、階層守護者達のコキュートスから預かった旅の友が話しかけてきた。
「これから、よろしくお願いしますね」
姿はない。イチゴウの頭の中でも声が響く。
「おや、言葉を操るとはすごいですね。あたなの眷属はみんなそうなのですか? それとも、あなたが特別なのでしょうか?」
「誰にでも話せるわけではありませんよ。大きな声が出せないので、喋っても伝わりませんしね。多分、イチゴウさんしか聞き取れないでしょう」
「ほぅ。それはまた、どういうわけです?」
イチゴウはナザリックを出て、カッツェ平野を掠めるように歩く。声が答えた。
「私の声が聞こえる場所に、私が移動したからでしょうね。貴方の中、暖かくて、とても快適だわ」
「なるほど、なるほど」
イチゴウと会話している声の正体がいるのは、イチゴウの頭の中だ。比喩ではない。
エルダーリッチには多少の皮があるとはいえ、中身は空である。スケルトンほどではないが、脳も失われている。
どうやって考えているのか、というのは、スケルトンに筋力トレーニングが意味があるのかを考えるのと同じくらいの徒労である。
「コキュートス様が、君を大事にしていれば、増えるとおっしゃったが」
「もちろんそうでしょうね。私のお腹には、かわいい赤ちゃんになる前の卵が、いっぱい入っているもの。あなたの中は快適だから、きっと、私の子供達でいっぱいになるわ」
「それは楽しみだね」
「そう言ってもらえて、嬉しいわ」
イチゴウの頭部、の内側に居るのは、階層守護者達のコキュートスから託された大事な仲間である。
少し話しただけで打ち解けたし、これからの旅も楽しいものになのだろうと思えた。
「君の名前は?」
イチゴウが尋ねると、少しだけさびしそうな返事が返ってきた。
「ないの。私の眷属はいっぱいいるから、恐怖公様も、お名前をつけきれなかったのだわ」
イチゴウ不憫に思った。産まれてすぐ、至高の存在からイチゴウと名付けられた時の興奮と感動は、消滅するまで忘れないだろうと思えるほどだ。
「私でよければ……僭越ながら……うぅん……やはり荷が重いな」
「私に名前をつけてくださるの?」
「そうしたかったのだが……」
自分は至高の存在に名付けられた。これから旅を共にする大切な仲間が、自分ごときに名付けられるのは可哀想ではないか。
イチゴウはそう思って言葉を濁した。だが、余計な心配だったようだ。
「嬉しいわ。あなたみたいな素敵な殿方に、名付けていただけるなんて」
本気なのだろうか。しかし、褒められて悪い気もしない。イチゴウはその気になった。
「そうですね……あなたは女性なのですから、恐怖伯爵令嬢とかどうですか?」
「長いわ」
割と容赦なく、恐怖公の眷属はすっぱりと断った。むしろ、この方がありがたい。気に入った名前しか、喜ばないだろう。気軽に提案できるというものだ。
「恐怖公の眷属であることを考えると、ふさわしい名前かと思うのですがね」
「うぅん。そんなことにこだわらなくても良くてよ」
恐怖公に対するリスペクトとかないのだろうか。エルダーリッチは歩きながら考えた。
背後にナザリックが見えなくなるまで考えた挙句、あることを思い出した。
「恐怖公の上司はシャルティア様なので、シャルティア様から一部いただこう」
「いいわね。どんな名前?」
「シャリア、はどうだい?」
「……素敵ね。気に入ったわ」
イチゴウの頭のなかで、シャリアと名付けられたメスのゴキブリがうれしそうに触覚をうごかしているのが感じられた。
「では、これからもよしくね。イチゴウさん」
「こちらこそ、シャリア」
1人と一匹の向かう方向には、霧に包まれたカッツェ平野が見えていた。
自分の名前の一部をゴキブリに与えることになった階層守護者がどんな顔をするか。
そんなことは、どちらも全く意に介さないのである。
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