第16話 旅の終わり
フールーダ・パラダインの手を掴んだ瞬間、イチゴウは幸せな気持ちになった。
何かを聞かれたような気がする。
大したことではない。この幸せな気持ちが続くのであれば、フールーダが知りたいことを、イチゴウが知っていることを教えるぐらい、どうということはない。
知っていることを洗いざらい話し、突然、その幸せな気持ちが消えた。
イチゴウは、見知らぬ場所にいた。
闘技場で戦っていたのではなかったか。観客席に飛ばされ、その場にいたフールーダ・パラダインに敗北を宣言され、その手を握った。その直後から現在まで、記憶が欠落している。
何らかの、魔法的な手段で操作されたのだろう。アンデッドであるイチゴウに対してそれほどの強力な催眠を行うとすれば、イチゴウをアンデッドと知った上で魔法を施したのに違いない。
「……シャリア、いるかい?」
『もちろん。私は常にお側におります』
イチゴウは、檻の中にいた。両手と両足にいかつい枷があり、鎖で繋がり、鎖の先は背後の壁に楔で撃ち込まれていた。
「……私は、どうしたのだ? 何があったのだろう?」
『やっぱり……覚えていらっしゃらないのね……あの……人間の年寄りに触られて、アンデッドを使役する魔法をかけられたのよ。アインズ・ウール・ゴウン様とナザリックのことを知りたがっていたわ……イチゴウさんが知っている全てのことを、話してしまったと思うわ』
「……なぜ、奴らがアインズ様とナザリックのことを知ったのだろう……」
『イチゴウさん、闘技場でその名を口にされたから……』
「そうだったか?」
『離れた場所の声を聞く魔法もあるのでしょうね……アインズ・ウール・ゴウン様のお名前は、辺境の村を助けたマジックキャスターとしてしか知らなかったわ。イチゴウさんが至高の御方と呼んだから……死霊使いだと考えたみたい』
「……ナザリックのことを、私は、何か言っただろうか?」
『イチゴウさんが、ナザリックのことをあまり知らなくてよかったわ。場所だけ……おおよその場所と方角だけ……それ以外は、何も言っていないわ。本当よ。イチゴウさんは、ナザリックを裏切っていないわ。大丈夫よ。安心して』
シャリアが、イチゴウの頭蓋骨の中で必死になっているのがわかる。イチゴウがナザリックの秘密を漏らしたとなれば、イチゴウは自ら滅ぶことを選択するだろうと考えてのことだろう。
シャリアの考えは正しい。イチゴウは、すでにどうやって滅びるか、考えていた。
手足を拘束されている。このままでは、何もできない。自ら滅びることもできない。いや、自由になったところで、どうやって自殺すればいいのかはわからない。簡単には死ねないからこその、アンデッドなのだ。
「シャリア、私は死なない。死んで詫びられるほど……私の犯した罪は軽くはない」
『……イチゴウさんは……罪なんて……何も犯していないわ』
「至高の御方の秘密を漏らした。もはや、それだけで万死に値するだろう。だが……私は死んで責任をとれるほど偉くはない。死ぬときは、誰かに滅ぼされるときだろう。それが、フールーダ・パラダインかもしれない。ただ……それだけだ。私は、死なない。このままでは、アインズ様に合わせる顔がない……んっ? そういえば、私の顔は……」
『今は、素顔ですわ。ようやく、ナザリックにいた頃の凛々しいお顔に戻られましたわ』
イチゴウは顔を風が撫でるのを感じた。イチゴウをアンデッドだと看破したのであれば、人間の皮を被っていたこともわかっていただろう。人間の皮を奪い、エルダーリッチ本来の姿にして、牢の中に閉じこめ、さらに枷をはめたのだ。
「……魔術的に封じられていないな……私を操った割に……やることが中途半端だ……私を逃がしたいのか?」
「アンデッドのことを、よく知らないのでしょう」
「……そうかもしれないな」
それにしては、イチゴウを操った魔法は見事なものだ。アンデッドについて詳しく知らなければ、これほど見事にイチゴウを操れるとは思えない。
イチゴウは不思議に思いながらも、牢を脱出することにした。
魔術的に封じられていない牢であれば、知恵のあるアンデッドを拘束しておくことはできない。
イチゴウは知恵を持ち、自ら考えることのできるアンデッドである。
両手を拘束する枷から逃れるために、強引に引き抜いた。
手首から先がもげて落ちる。片腕が自由になった。もう片腕も引き抜く。二本の腕が、手首から先を床に落とした。
代わりに、上半身は自由になった。
足枷をはめられたままかがみ、落ちた手に腕を近づけると、自らくっつき、元に戻った。同じ要領で足を引き抜く。
イチゴウは、自らの肉体の破壊と再生により、枷を脱出した。
牢の鉄格子も同じことだ。
エルダーリッチは干からびているので細い。だが、鉄格子の間隔はさらに狭い。
イチゴウは、狭い鉄格子の間に強引に体を押しこみ、一部潰れながら、鉄格子から抜け出した。脱出する原理は心太と同じだが、しばらくすれば、潰れた体は自然に復元される。
「……シャリア、ここはどこだい?」
『地下牢ですけど……イチゴウさんが支配したがっていた、あの塔の地下ですわ』
「……なるほど。それは素晴らしい。だが……私ではフールーダには勝てまい……隙を突こう。見つかってはなるまいね。シャリア、眷属を使役して、他の人間に発見されず、フールーダを襲うための道がわかるかい?」
『ええ。まっすぐにはいけないけど、あの人間がいる場所と、他の人間に合わない方法は教えられるわ』
「十分だ。頼むよ」
『お任せあれ』
頭蓋骨の中のシャリアの心強い言葉と共に、イチゴウは地下牢を歩き出した。
シャリアはイチゴウの頭の中にいながら、無数の眷属を手足のように働かせることができるのだ。
塔の内部に、ひっそりと住むシャリアの眷属たちが、イチゴウの体を這い上って情報をやりとりしている。
イチゴウはその会話自身は聞けなかったが、シャリアが逐一報告してくれる。
フールーダが応接室に向かったことは間違いない。イチゴウは、廊下の端から応接室に消える老人の背中を発見した。
周囲に人がいないという報告を、シャリアから受ける。応接室には誰かがいるらしい。面談中かもしれないが、隙をつくには好都合だ。
イチゴウはシャリアに導かれるまま、応接室の扉に張り付いた。
耳をそばだてる。
フールーダの声が震えていた。
イチゴウの杖も奪われている。魔法を使用するのに、杖は必要ない。
イチゴウは、いつでも魔法を放てる準備をしながら、応接室の扉を引き上げた。
床に這い蹲り、涙を流すフールーダ・パラダインの姿がある。だが、そのような老人など、イチゴウにはどうでもよかった。よくなってしまった。フールーダが面談している人物が何者か、一瞬で悟ってしまった。
「……おお」
イチゴウが、フールーダ同様に膝をつく。這いずり、その人物の足元にひれ伏す。
フールーダの前には二人の人物がいた。一人は漆黒の鎧を身につけた偉丈夫であり、一人は旅装の美女である。イチゴウに気付きながら、女は一瞥を投げかけてきただけで表情を変えない。現在のイチゴウは、皮をはがれてエルダーリッチそのままの姿である。
「……アインズ様……」
「うん? 私のことがわかるのか?」
イチゴウがひれ伏したアインズ・ウール・ゴウンその人が、不審そうにたずねた。
「はっ……至高の御方であるアインズ様は、たとえどのようなお姿であろうと、違えるはずがございません」
「……ふむ?」
「当然です」
隣にいた美女、ナーベラル・ガンマが、イチゴウを見下した。
「おお……このエルダーリッチ……あなた様の配下でしたか……」
「おお……そうなのか?」
アインズの声が、今までに増して不思議そうな色を帯びる。
「……イチゴウ……の名を賜りました」
「……イチゴウ……酷い名前だな……いや……思い出したぞ。私がつけた名だ。そうか……ナザリックでしばらく見ないと思ったら……どうして……」
アインズがさらに言い募ろうとした時、隣にいたナーベラル・ガンマが耳打ちした。漆黒の鎧をまとったアインズが、手を打ち鳴らす。
「……そうか……任務、ご苦労だった」
アインズの手が、イチゴウの肩に置かれる。イチゴウは、この世のものとは思えない至福を味わった。アインズは、イチゴウのことを忘れていたのではないか。あるいは、イチゴウが欠かさず送った報告書を、全く見ていないのではないか。そんなことは疑わなかった。ただ、労をねぎらわれた。それだけで、忘我するほどの幸せを味わったのである。
『イチゴウさん……しっかりして』
頭の中で響くシャリアの言葉も、どこか遠くで響く声にしか聞こえない。
イチゴウは、ただひれ伏した。アインズは、フールーダとの話に戻っていた。
忘我していたイチゴウが気がつくと、アインズがイチゴウを見ていた。慌ててイチゴウが自分の姿を整える。居住まいを正し、かしこまって平伏する。
「ではイチゴウ、次の任務を与える」
アインズ・ウール・ゴウンがイチゴウの次の任務を告げる。イチゴウに選択肢はない。
「はっ。謹んで、お受けいたします」
イチゴウは、深く頭を垂れた。
エルダーリッチぶらり旅(バハルス帝国編) 西玉 @wzdnisi2016
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